ひとりごと
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また朝まで眠れなくて、なぜだか眠るのがこわくて でもベッドに入ったらお昼近くまで眠っていた。 目が覚めたら雨が降っていた。 庭に出ると、べべの眠る黒々とした土の上で、 瓶に挿したピンクの薔薇と青梗菜が鮮やかな色でぬれていた。 目をつぶって手を合わせ、べべに語りかけた。 「寒くない?トトちゃんと一緒だからもう大丈夫だよね。」 それからトトにも「べべちゃんをよろしくね。」と話した。
あの日、まるでべべの最後の姿に会うためだけに帰ってきたような夫は 翌朝からまた出張に行ってしまっていた。 こんな雨のひとりの日、何をしようか。 まずジュジュのえさを取り替えて、彼が食事するのを見守った。 時々私の顔を見ながら、プチプチと熱心に食べていた。 「ひとりと1羽、これからは仲よくしてくれる?」 話しかけると、目を見てちゃんと聞いてくれてた。 ジュジュも、トト、ピピ、べべの3羽のインコを私と一緒に見送っているのだ。 たまたまうちに飛び込んできた迷い鳥のジュジュが 3年以上をともに暮らして、すっかり家族の一員になっていた。 雛から育てた手乗りのトトやべべと比べて、影が薄いようなジュジュだったけれど これからは私のただ1羽の大切なインコなのだ。 そのうちお嫁さんをもらってあげようか。
床を暖かくして座り込み、ジュジュを観察しながらビーズ細工をした。 セキセイインコの作り方が載っているビーズの本を見つけたのはずいぶん前だった。 いつかうちのインコたちを作ろうと思っていてそのままになっていた。 べべの姿を鮮明に覚えているうちに、べべを作りたかった。 最初にジュジュを作ったのは練習(ジュジュごめん)のためと、 そこにいるジュジュをよく見つめたかったから。 背中はこんなグラデーションになっていたのか、おなかの色はなんてきれいな翡翠色だろう、 なんて長くて美しい尻尾だろう…。 ジュジュをこんなに一生懸命見たのは初めてだったかもしれない。 ビーズのジュジュは、ビーズの色が足りなくて途中までになってしまったけれど、 それでも彼そっくりにすんなりかわいく形になった。
べべはここにはいないので、パソコンの画面で写真を見ながらビーズを編んだ。 昨日まで毎日見ていた羽の色を、あらためてよく見て形作った。 胸からおなかにかけての空色に白が雲のように混ざっている。 くちばしはピンクがかった淡いオレンジで、脚はきれいな桜色だ。 似たような色のビーズを探して、べべらしく作った。 背中の黒いV模様も忘れてはいない。 そう、べべはこんな感じだった。 ふっくらとしてきれいでかわいかったのだ。 ビーズのべべができた。 嬉しくて、昨日べべをそうしたように手のひらに乗せたり、ほおずりをしたりした。 私はべべの形がほしかったのかもしれない。 こんなものを作ったところでべべは喜びはしないのに。
それで言ったら、これまでにべべが喜ぶようなことなんて何もできなかったと思う。 大好きなトトとの恋を実らせることができなかった。 えさだって、好きなだけいっぱいを食べさせてやれなかった。 もちろん空だって一度も飛ぶことがなかった。 べべは幸せだったのだろうか。 私がかわいがるだけかわいがって、それで自分が喜んでいただけなのではないか。 愛しているのなら、もっとしてやれたことがあったのではないか。
少なくとも、私はべべと暮らして幸せだった。 とても楽しかったのだ。 インコたちの中でただ1羽のメスのべべには「同士」のような気持ちも持っていた。 気が強くてクールでそっけないけれど、本当は優しくて繊細なべべの性格も大好きだった。 こんな小さなインコだけれど、尊敬もしていた。 べべからはもらうばかりだった。
あぁ、「何かをしてやれる」なんて言うこと自体が思い上がりなのかもしれない。 私にできることは、一瞬一瞬をただ精いっぱい生きている彼らの潔さを尊重して、 今その一瞬が少しでも快適であるように祈ることだけなのかもしれない。 これからのジュジュとのつきあい方も、そんな感じでできたらいい。 小さな2つのビーズ細工を手のひらに並べて愛しい鳥たちの顔を1羽ずつ思い出していった。
今日、ひとりの雨の日、ずっと鳥たちのことを考えていた。
べべと一緒に最後の夜を過ごした。 一瞬も離れなかった。 一緒に夜の庭を歩いて星を見上げ、明ける前の空を眺め、 空き地まで日の出を見に行った。 山の向こうに赤い日の光が点のように見えたかと思ったら それは見る見るふくれてまぶしい光の矢となった。 澄んだ空気の中を一直線に走ってきたまっさらな光が私たちを清めた。 べべの青い羽は目に痛いほど鮮やかに輝いた。 私とべべが一緒に過ごす最後の朝がやってきた。
本当に美しく晴れた日だった。 空には雲ひとつなく、陽射しはガラスのように透明だ。 悲しいのに明るい。 悲しいけれど明るいのが嬉しい。 部屋に射しこんできた光の中にべべをそっと置いた。 ジュジュはかごの中からそっとべべを覗きこんだ。 不思議そうに首をかしげながら、いつまでもべべを見ていた。 そしてジュジュも光を浴びて、気持ちよさそうに「チュリ!チュリ!」と鳴いた。 今までだったら、べべの合いの手が入るのだった。 ジュジュとべべは交互に、あるいは一緒に歌っていた。 べべの返事がないのを不思議に思ったジュジュは、一声鳴くごとに間を置いて耳を澄ましていた。 それでも返事が返ってこない。 ジュジュはやがて黙って、不思議そうにべべを見下ろすのだった。 ジュジュはひとりぼっちになってしまった。 さびしそうな黒い瞳を見て、胸が痛んだ。
べべをジュジュの隣に預け、私は庭に出て穴を掘った。 べべを埋めるのは、もちろんトトの隣。 コンテ・ド・シャンボールとブール・ド・ネージュの間に決めた。 トトのブルーガーデンにひざまずいて、そこに生えている草花や球根を掘り起こした。 そして深く掘っていった。 できるだけ深く深く。 そのとき、家の中で電話が鳴った。 一番下の妹からだった。 べべに最後のお別れをしに来たいと言う。 私も、ひとりでべべを見送るのはつらいと思っていたので、妹を待つことにした。 それまでの間に穴を掘り終え、庭の花を摘んだ。 花が少ない時期と思っていたのに、明るい色のかわいい花々ですぐにざるはいっぱいになった。 薔薇も3つの花を摘めたのが嬉しかった。
やがて妹が来た。 べべと同じ白と水色の花々で作られたブーケと、母から預かったお線香を持ってきてくれていた。 妹は、無言で横たわるべべを見て涙をこぼした。 赤ちゃんだったべべをお店で見つけたのは、この妹と一緒のときだった。 真っ白な翼を見て「天使みたい!」と私たちは喜んだのだった。 思いのほか気の強い女王さまのようなべべだったけれど、今度こそ本当の天使になった。 私たちは何度もべべを抱き、美しい羽をなで、写真を撮っては別れを惜しんだ。 べべは本当にきれいでかわいくて愛しかった。 あの気の強いべべがこんなにもおとなしく、素直に人間に抱かれているのが不思議なようだった。 今までなかなか切らせてくれなかった脚の爪もそっと切った。 脚はきれいな桜色のままで、爪は真珠貝を削ったように白く光っていた。 すんなりと素直に伸びた脚の形が、最後の瞬間までべべが苦しまなかったことを物語っていた。 すみれ色がかった淡いグレーの縞模様の頭も、白い翼も、くっきりと黒い模様も、長い白い尻尾も 澄んだ青い空のような羽毛も、何から何まで完璧に美しいべべだった。 「こんなにきれいな体を土に還してしまうなんてもったいないね」と妹が言った。 うん、でもね。土に還さないと、新しく生まれ変わってこられないのよ。 大地に眠ったべべの魂は空に昇っていくよ…。
お別れのときが来た。 白い箱の底に、べべが好きだったおいしいえさを敷き詰めた。 ハンカチに乗せてべべを入れ、新鮮な青梗菜やみかんの房や粟の穂で囲んだ。 そして庭の花々でべべを包んでいった。 ちらりと見えるべべの青が、お花畑の中に光る青いチョウチョのようだった。 最後にジュジュに見せてお別れを告げさせ、私たちもべべの柔らかい体をそっとなで もう一度ほおずりをして、箱のふたを閉めた。 7年近い長い間、毎日見て、ふれて、愛してきたべべとの別れだった。 もうこれで2度とべべにさわることができない。 もう会えない。 「ありがとう」「さようなら」と告げながら白い棺を深く掘った穴の底に入れ、 べべが愛用していたはしごと鈴をその上に乗せた。 たくましく伸びた何本ものシャンボールの根がべべを守るようだった。 さらに花をそえて、私たちは土をかけた。 しっとりと重い土がべべの上に重なっていった。 最後にふたりでムスカリの球根をべべのいる真上に植えて、土を押さえて平らにならした。 瓶に挿した薔薇のつぼみと青梗菜を供え、母がくれたお線香を焚いた。 その香りで、急にそこはお墓らしくなった。 妹と二人で手を合わせ、目をつぶり、べべの冥福を祈った。 最初から最後まで、トトのお墓の上に飾った小鳥が隣でずっと見守ってくれていた。
部屋に上がり、手を洗い、妹が買ってきてくれたお寿司で精進おとしをした。 思えば昨日からちゃんとした食事をとっていないのだった。 やっとすいたおなかに、お寿司はすとんすとんとおさまっていった。 おいしかった。 べべの思い出話をしながら、持って来てくれたケーキも食べた。 私が作った栗のケーキや渋皮煮も食べた。 音楽に合わせてジュジュは明るく歌い、私たちも悲しいけれど晴れ晴れとした気持ちで しゃべりながら延々と食べた。
夕方になり、妹が帰る時間が来た。 身支度をした妹は「それじゃ、あまり気を落とさないようにね」と言った。 そうだった。 これからひとりの時間、べべのいない現実と向き合わなくてはいけない。 妹がいて、しゃべっている間は悲しい気持ちを忘れていた。 気遣ってくれていたのだと思うと、ありがたかった。 べべとの別れをするこのとき、ひとりでなくて本当によかった。 妹を派遣して、いろいろと持たせてくれた母にも感謝した。 みんな心配してくれていたんだ。
妹が帰り、私は手持ち無沙汰になった。 埋葬してしまうと、もうべべのためにできることはないのだった。 お風呂を沸かし、ゆっくりと入った。 昨日はべべをひとりにしたくなくてお手洗いにも行きたくないくらいだった。 でも今は、べべはトトの隣で静かに眠っている。 空の上ではトトと再会して幸せに飛び回っていることだろう。 その美しい風景を思い浮かべると、胸がいっぱいになった。 もう何の苦しみもない、心配もいらない…。 あとはただ、私たちがべべのいない悲しさと戦っていくだけなのだ。
からっぽのべべのかごが残された。 その中を覗き込みながら、べべの姿や癖や声を頭の中に甦らせた。 決して忘れない。 大好きなかわいい、柔らかい温かい大切なべべのことを。 べべがくれた幸せな楽しい日々のことを。
べべちゃん、どうもありがとう。 もっと一緒にいたかったよ。 でもいつか、きっとまた会おうね。 それまで、やっと一緒になれたトトちゃんと仲よく幸せにね。 いつまでも大好きだからね。
べべが死んでしまった。 あまりに突然のお別れだった。
今朝、私はちょっと寝坊して遅くなったのに、 べべからの朝ごはんの催促がないのをちょっと不思議に思った。 だいぶ汚れてきていたえさ箱を洗う間も催促がなかった。 いつもなら、待ちきれないべべから「ピリ!?ピリ!?」と声がかかるのに。 えさを入れる前、鳥かごを掃除するときに、べべの様子が違うのに気がついた。 まん丸に羽をふくらませてうつらうつらしている。 これは変だ。 指を出してみると、珍しく素直に乗ってきた。 かごから出してもおとなしく私の指に止まったまま、 時々目を閉じながらもはっと気がついて私の顔を見つめたり、顔をすり寄せたりするのだ。 気の強いべべが私にこんなに甘えてくるなんて、調子が悪い証拠だ。
ついでに体重を量ってみると、35グラムしかなかった。 セキセイインコとしては標準だけれど、最盛期には51グラムもあったべべにしては少なすぎた。 たしかに先々週くらいには38グラムまで落ちていたけれど、ダイエットが成功したのだと思っていた。 あわててえさを手に乗せてべべに見せると、お愛想のように2、3粒食べただけだった。 その代わり、水は新しいものを入れると、すぐに飲み始めた。 もう獣医さんがあいているのを確かめて、予約の電話を入れた。 午後4時半に行くことになった。
鳥の病気にはまず保温。 ペットヒーターを鳥かごに入れて、かごを布で被った。 温度計を中につけるのも忘れずに。 これで28〜30℃を保つように気をつけなくてはいけない。 なかなか温度が上がらないので、布の上にビニールのプチプチや、 私のカーディガンやフリースもかけた。 かご内の温度は28℃まで上がったけれど、べべはふくらんだままだった。 心配で見つめていると、急に伸び上がるようなしぐさを見せ、頭を振りながらえさを吐き始めた。 これは普通ではない。 びっくりしてしまって、すぐに獣医さんに電話をした。 様子を話すと、1度の嘔吐でどうかなることはないけれど、 心配だったら午後最初の診察の前に診てくださるとのこと。 4時前に伺うことになった。
べべを暖かく保温したまま獣医さんに連れて行くための準備をすませ、 何度も時計を見、べべのかごを覗きながら、落ち着かない気持ちで家を出る時間を待った。 出発の時間、鳥かごの中は32℃になり、べべのふくらみはようやくとれていた。 それでもやっぱりうとうとと具合が悪そうだった。 そんなべべを手でつかんでキャリーケースの中に入れた。 ほとんど抵抗をしないのが心配だった。 キャリーケースを入れる紙袋にはダンボール箱をはめこみ、 お湯の入ったペットボトルをタオルでくるんで箱の底に入れた。 その上に、ぷちぷちで被ったキャリーケースをそっといれ、さらにプチプチと布をかぶせた。 キャリーケースの中が30℃以上を保っているのを確かめながら、 バスと電車を乗りついで獣医さんにたどり着いた。
受付でキャリーケースを出してべべを見ると、苦しそうに底にうずくまっていた。 すぐに保温のために奥に連れて行かれた。 出てきた受付の女性は「べべちゃん、おうちでも羽を広げて震えたりしていましたか?」と聞いた。 「いえ、ふくらんでいただけです。震えているのですか?」と言うと 「ええ、そうなんです。ちょっと様子が普通ではないような…。」と受付の女性は口ごもり、 すぐに診察室に案内してくれた。 診察台の上には、酸素吸入のケースに入れられたべべが、今までで一番苦しそうにうずくまっていた。 脚がちゃんと立たないらしい。 いつもの優しい獣医さんは、「ちょっと厳しい容態ですね。」と難しい顔で言った。 「べべちゃん!どうしたの?べべちゃん!」と声をかけると 「あまり大きな声をかけると、べべちゃん、しんどいですからそっと…。」とたしなめられた。
昨日まで元気だったこと、今朝もまだ指に止まったり、部屋を飛ぶくらいの元気はあったこと、 その急激な容態の悪化を考えると、中毒症状が考えられると言う。 ピピちゃんのときと同じように、とりあえずレントゲンを撮って調べることになった。 もし誤って金属片を呑んでしまったのだったら、レントゲンに写るし、すぐに解毒治療ができる。 私は一旦、診察室を出て待合室で待つことになった。 さっき見たべべの様子があまりにも苦しそうだったので、 不安で落ち着かない気持ちで診察室のドアを見ていた。 「ピー!キキッキキッ!」と、べべが怒る声がした。 たぶんレントゲンを撮るために、先生につかまれたのだろう。 べべの大きな声を久しぶりに聞いて、ちょっと嬉しかった。 でもそれが、私が聞いたべべの最後の声だった。
診察室の中が騒がしくなった。 「酸素!」と先生の声がして、すぐに私も中に呼ばれた。 急いで走って診察室のドアを開けた。 ぐったりとしたべべが獣医さんの手の中にいた。 口元には助手さんの手によって酸素吸入のチューブがあてられていた。 獣医さんは、聴診器をべべの胸にあてながら、心臓マッサージをしていた。 「非常に危ない状態です。呼吸がとまっています。」と言われた。
なんのことだかわからない。 それって、べべが死ぬかもしれないってこと? まさか、うちのべべが? あのべべが? 「べべちゃん!しっかりして!気が強いべべちゃんじゃない。がんばれ!がんばれ!」 私は大きな声を出し、獣医さんの手からはみ出しているべべの尻尾をさすった。 もう大きな声をとがめられることもなかった。 べべには私の声が聞こえているのだろうか? それで元気を出してくれるかもしれない?
しゅっしゅっと酸素の出る音がチューブからもれる。 べべの口はとじたまま。 目はぱっちりと開いているが、まばたきもせず、焦点もあっていない。 変だ、変だ。 でもまさか、私のべべちゃんが死ぬなんてこと、あるわけはない。 大丈夫だよね。 去年の冬、あの大病を乗り越えた生命力の強いべべちゃんだもの。 今度だってがんばってくれる。
獣医さんは、一生懸命べべの小さな胸をマッサージしては聴診器をあてた。 それは何分続いただろうか。 でもとうとうべべの目に光が戻ることはなかった。 「残念ですけれど…。心拍がもどりません…。」 臨終を宣告されてしまった。
うそでしょう? だって昨日はあんな元気にごはんを食べていたのよ。 今朝だって、私の指にしっかりと止まって甘えてくれたのよ。 いつもの額縁の上にだって飛んでいったのよ。 べべがそんな急に死ぬわけはない。 でも、べべはもう動かなかった。
呆然として涙も出ない。 ただ、うそでしょう?と言う言葉だけが口からもれる。 獣医さんは低い声でお悔やみを言い、原因について話してくださった。 やっぱり足の麻痺や突然の痙攣、呼吸停止は中毒の可能性が高いと言う。 金属中毒が一番疑われるので、それを確かめるためにレントゲンを撮りたい、と言われた。 了承して診察室を出た。 待合室には、キャリーケースを抱えた2人の女性が待っていた。 中の様子が聞こえたのだろう、しんみりと決まり悪そうに眼をそらせた。
私はどうにかなっていたのだと思う。 「うちの鳥、死んじゃったんです。今。昨日は元気だったのに。」とへらへらと口に出していた。 信じられなくて、笑いが出てきそうだった。 「私のべべちゃんが」「べべちゃんべべちゃん」…とつぶやく私は異常に見えたことだろう。 再び診察室に呼ばれるまで、「べべちゃん」「べべちゃん」と呪文のように小さく言っていた。 呼ばれて診察室に入ると、べべは白い箱に寝かされていた。 ティッシュで作られた小さな枕を敷き、ふわりとティッシュの布団をかけていた。
レントゲン写真を見ながら、獣医さんが説明をした。 金属片は見つからなかったとのこと。 そうなると、可能性としてはえさや水に細菌がいたのかもしれないとのこと。 もしくは脂肪肝から来る中毒かもしれないとのこと。 たしかに、前に脂肪肝を指摘されていたので、それが一番可能性が高いのかもしれない。 突然毒が回ってしまったら、どうしようもないのだろうか。 べべちゃん、がんばってダイエットをしたのに。 でも急激なダイエットは、肝臓に負担がかかるらしい。 そうなると、やっぱり私がいけなかったのか、と自分を激しく責めてしまう。 べべちゃん、おなかがすいていたのに、餌を減らしてしまった。 ごめんね。 あんなに食いしん坊だったのに。 「でも、それが原因とは限りません。中毒はいつ何で起こるかわからないのです。」 と、獣医さんは言ってくださった。
もう原因が何かなんていい。 今、この現実があるだけだ。 「べべ、去年ここに入院して、大きな病気を乗り越えたんです。強い子なんです。」と言った。 「そうでしたね。とてもがんばってくれたのに、本当に残念です。」と獣医さんも鼻声で言った。 長いこと入院して、何度も何度も通院して、ようやく元気になったのに。 べべちゃんは強い子なのに。 「今度の12月で7歳になるんですよ。ずっと私と一緒だったんです。」 「来年は酉年だから、べべちゃんの写真を年賀状に使おうと思っていたんです。」 考える間もなく、いろんな言葉が口から流れ出す。 先生はひとつひとつに静かにうなずいてくださった。
次の患者さんが待っている。 失礼しなくてはならない。 「どうもありがとうございました。」と深く頭を下げて、べべと一緒に診察室を出た。 「間に合わなくて…。力がおよばなくて残念でした。」と受付の女性は診察券を返しながら言った。 「お世話になりました。」と言って、静かなべべと一緒に病院を出た。 駅に向かいながら、実家に電話をした。 「べべちゃん、死んじゃった。」と告げながら、まだ自分でも信じられなかった。 涙も出なかった。 電車に乗っていても、手に持っている大きな荷物に死んだべべちゃんが入っているなんて とてもとても思えないのだった。 べべはうちで、暖かい部屋で待っているような気がした。
電車を降りて、スーパーに行き、べべの好きな青梗菜と、かわいい花束を買った。 その2つの包みを、静かなべべが入っている袋の中にそっと置いた。 バスではなく、すっかり暗くなった道を歩いて帰った。 明るいバスになんか乗りたくなかった。 暗い細い道を歩きながら友だちに電話をした。 話しているうちに、やっと涙が出てきた。 鼻をハンカチで拭きながら空を見上げると、クリーム色の大きな月が出ていた。 満月のようだった。 おおらかで優しい光を見て、また涙が出てきた。 べべちゃん、あの空にのぼっていったのかな。
家が見えてきたら、また涙が出てきた。 べべは、この家に住む前から一緒にいてくれたんだ。 トトとべべのかごを抱えて、この家に一緒に引っ越してきたんだ。 べべちゃん、家に帰ってきたよ。
べべはとてもきれいだった。 長いこと患っていたのではなかったので、やつれてもいず、羽も抜けておらず、 つやつやと鮮やかな羽が美しかった。 さわるとふわりと柔らかく、顔を近づけると懐かしいインコの匂いがした。 とてもきれいでかわいかった。 まだ私の手元にいるので、死んでしまったと言う実感がわかない。 トトみたいに看病をさせてくれたわけでもなかった。 あまりにも突然だった。 でもそれがべべらしい、と思うのだった。 気位の高いべべは、私の手をわずらわせり、やつれてぼろぼろになった姿を見せたくなかったのだ。 長いこと私を苦しませないように、こんなにあっさりと、美しいまま逝ってしまったのだ。 つややかな羽が1枚も欠けることなく、少しほっそりとしたべべは、今までで一番美しかった。 きっと天国で、出迎えに来たトトちゃんがびっくりしているよ。 やっとまた一緒になれたね。 今度こそ、仲よくね。 いつまでもね。
深夜になって帰宅した夫もびっくりして信じられない様子だった。 「本当に?あの気の強いべべちゃんが?」と言った。 「僕にこんなに体をさわらせてくれるなんて初めてだ。」とべべをなでながらつぶやいていた。 そのあと、3人で庭に出た。 満月は頭の真上を少し通り過ぎて、青く白く光っていた。 「べべちゃん、初めて外に出たんだね。」と夫が言った。 べべは月に照らされて、いっそう白く美しかった。
眠れないまま、長い長い日記を書いてしまった。 長い1日だった。 どこかまだ実感がわかないので、こんなに冷静に文を書けるのだと思う。 べべの柔らかい体にふれられなくなったとき、私はどうなるのだろうか。 べべはまだ私の腕の中にいる。 今までなんでもない日だった10月28日が、忘れられない特別な日になってしまった。
 ぬれた草や落ち葉の匂いは、小さいころの寄り道を思い出す。 誰もいない空き地の真ん中で、雨の音や虫の気配を聞いていた。 傘の模様まで覚えている。
 道のつきあたりの公園では、山茶花がもう咲いていた。
 うちでもやっと秋明菊が咲いた。
でもなんでみんな壁のほうを向いているの? うなじもとても素敵だけれど かわいい顔を見せてちょうだいよ。
| 秋の晴れた日に友だちと |
2004年10月25日(月) |
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待ち合わせをして3人で昼食をとった。 |
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そして庭園美術館で「エミール・ノルデ展」を見て。
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庭を見て、花を見て。 |
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夕方になってお茶を飲んで、おしゃべりをして。
久しぶりにいっぱい話してのどが痛くなった。 |
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今日のお土産を広げて、ほくほくと1日を懐かしんだ。 |
ふたりで図書館に行き、夕食の買い物して家に帰ってきたら 暗い部屋に留守番電話のランプが点滅していた。 夫の会社からだった。 すぐに折り返し電話をした夫は、むずかしそうな長い話のあと、 受話器を置きながら「行かなくちゃ」と、ため息をついた。 「どこへ?」「出張。」「これから?」「そう。」 「え〜?今日は栗ごはんよ。さんまだって買ってきたのに。」 「栗ごはんか…。残念やけど、無理やなぁ。」と、夫は本当に残念そうに言った。
「じゃ、行ってくるから。」夫はすぐに落ち着かなさそうに着替え始めた。 ついさっき、家に帰ってきたばかりなのに。 「せめてお茶でも飲んでいって?」と言うと、うなずいてようやく腰を下ろした。 紅茶を淹れ、昨日焼いた栗のケーキを切った。 夫が休んでいる間に、着替えなどの支度を整えた。 一服して、夫はあっという間に出かけてしまった。 あぁ、本当に大変そうだ。 気をつけて。
私はぽつんと残された。 それはよくあることなのだけれど、今日はそんなつもりではなかったので 空振りのような、拍子抜けのような、手ごたえのなさを感じてぼーっとしてしまった。 水に浸したままの栗と、冷蔵庫の中のさんまのことが気になって立ち上がったとき 頭の上から、ゴトゴトと音がした。 2階には誰もいないはずなのに! じっとして耳を澄ました。 やっぱり物音がするようだ。 どうしよう、もしかして泥棒? 確かめに行きたかったけれど、恐かった。 ひとりで今、どうにかなってしまったら大変だ。 もし泥棒なら泥棒で、出て行ってくれるまでここでじっとしていようか? でも、降りてきて鉢合わせしたらどうする? やっぱり思い切って、確かめに行こう。
それでも恐いので、実家に電話をして、話しながら2階に上がることにした。 次々と電気をつけて明るくして、末っ子の妹ののんきな声を聞きながら ドキドキと部屋を確かめて回った。 …大丈夫だった。 寝室にも和室にもトイレにも異常はなかった。 さっきの音はお隣の物音が響いただけかも?と思うことにした。 「リスかもよ。だったら楽しいね。」と妹。 「うん、きっとリスだよ(ネズミでも泥棒でもなくて)。よかった〜。」「うん、よかったね。」 ついでに妹とおしゃべりをした。
そして妹の後ろが騒がしいことに気がついた。 「どうしたの?ずいぶん賑やかね。」と聞いた。 明日は真ん中の妹の誕生日なので、みんなでお祝いをしているのだそうだ。 はしゃいでいる犬の声や、飛びつかれた誰かの悲鳴も聞こえた。 父の話し声や、甥の笑い声も聞こえた。
「いいなぁ、楽しそうね。賑やかね〜。」 「賑やかって言うか、うるさいって言うか…。ちょっと待ってね。」 と、妹の電話は母に代わった。 「どうしたの?また出張?大変ねぇ。…あぁ!気をつけて。ろうが手につく!」 母の声は途中から悲鳴になった。 「なに?ろうって?ケーキのろうそく?ねえ、ケーキにろうそくが立っているの?」 ちょっとうらやましくなってしつこく聞いた。 「そうよ。ケーキのろうそく。…こら!ダメ!」と母。 どうも犬を叱っているらしい。
バースデイケーキを囲んでわいわいと楽しそうに集まっている実家の様子が目に浮かんだ。 みんなそろっているらしい。 「いいねぇ。楽しそう。」と言うと 「いらっしゃいよ。栗ごはん持って!」と母が言った。 そんな、もう夜になってしまったし、今からはとても行けない。 そう伝えると「だったら明日でもゆっくりと…。」と、母は明るく言ってくれた。 なのに「へへ〜〜ん、明日は友だちとお出かけの予定があるのよ。 こっちはこっちで忙しいのよ〜。」と言ってしまった(それは本当のことなんだけれどね)。
「そう、予定があるの。それならよかった。」と母。 「そうよ、だからこっちのことは気にしないで。」私は強がりを言ってしまった。 「じゃあね、Kちゃんに『明日おめでとう』って伝えてね。」と電話を切った。 またひとりの静かな部屋になった。 実家のみんなの賑やかな声が耳に残っていた。
ひとりなんてよくあることだし、気楽なものだし、暖かい部屋にいて食べるものもあって、幸せなんだ。 夫だって、まだ電車の中だろうし、ましてやもっとつらい思いをしている人が今いっぱいいるのだ。 そうわかってはいるのだけれど、やっぱりさびしかった。 玄関や窓の鍵をもう一度確かめて、お湯を沸かし、紅茶を淹れ直した。 そして栗のケーキをもう一切れ食べた。 うん、おいしいじゃない。 こっちにだって、ケーキはあるのよ〜。
ひとりでケーキをむしゃむしゃ食べた。 ケーキの中で断面を見せている栗がかわいくて、水の中の栗や、2匹のさんまが愛しかった。 ちょっと変だぞ、私。 早く明日になって、友だちと会いたい。
栗のケーキを作っているとき 地震のことを知った。
私には何もできることはないのに。 なのに落ち着かなくて どうしたらいいかわからなくて。
夜が明けた。
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