ひとりごと
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大丈夫 大丈夫でない 2004年10月05日(火)

大雨の降る中、指定された専門病院まで、膝のMRIを撮りに行った。
このMRIは2回目で、前回はめまいがひどいために頭部を撮った。
そのとき、結局わかったのは、「鼻炎」だけで、そんなことは
わざわざMRIで見なくてもわかっていたのだったけれど。
今度も同じ病院で、さあ、どんなことがわかるのか。

膝のMRIは、頭を撮るときより簡単で楽だった。
終わったあと、できたフィルムを持って、そのままいつもの整形外科に行った。
その写真を元に、これからの治療方針を決めるのだった。
雨のせいか、整形外科はすいていて、すぐに先生に呼ばれた。
レントゲンと同じような白黒の大きなフィルムが4枚。
それぞれに、少しずつずらして撮られた膝の断面写真が12枚ずつ。
先生は1枚ずつそれを見ながら説明してくださった。

結果、右膝の半月板は、ひどく切れているのではなかった。
膝には炎症があって水がたまってはいるものの、半月板は傷ついているとしてもほんの少しで
最初に心配されたような手術をする必要もないそうだ。
痛みと炎症がひどいときは注射で抑えて、とりあえずは筋力トレーニングをしながら、
レーザーと超音波のリハビリで、様子を見ていくことになった。
先生の声も、明るくて軽かった。

よかった。
いくら足とは言っても、手術となるとおおごとだったから…。
診察のあと、いつものリハビリを受けて帰ってきた。
これからは、少しずつよくなっていく。
自分でも、少しずつ鍛えていこう。


実のことを言うと、私の膝なんかより、携帯電話のほうがずっとかわいそうなことになっていた。
昨夜、母に駅まで送ってもらって車を降りるとき、雨の車道に携帯電話を落としてしまったのだ。
すぐにそれには気がつかず、駅のホームに上がってから携帯がない、とわかった。
公衆電話から、自分の携帯電話を呼び出した。
私の服からも、持っている荷物からも着信音は聞こえなかった。
たぶん母の車の中にあるのだと思い、呼び出し続けたけれど誰も出てくれなかった。
念のため、家にいる妹に電話をかけて、母に探してもらうように頼んでおいて、
私は駅の改札口を出て、もしかしたらと思い、車を降りた駅前の道を眺めてみた。
あった!
びゅんびゅんと車が走る雨で光る暗い道の真ん中に、私の白い携帯電話が落ちていた。
車が途切れたところで急いで走り出て、雨にぬれた携帯を拾って戻った。
ハンカチで水滴をぬぐってポケットに入れて、とりあえず駅に戻って電車に乗った。

明るい車内で携帯電話をあらためて見てみると、かわいそうに満身創痍。
大きくて深い傷がいっぱいついていた。
開いてみると、かわいい恵ちゃんの待ち受けが現れるはずの液晶画面は
墨流しのような、シュールな模様にかわっていた。
どうやら轢かれるか、跳ね飛ばされるかしたらしい。
拾ったときには急いでいて気がつかなかったのだけれど、
悲しいことに、お気に入りのインコのチャームのついたストラップと
アゲハ羽化記念のビーズのチャームがなくなっていた。
妹たちがくれたトトちゃんのキイホルダーだけが、捻じ曲がった金具でぶら下がっていた。

MRIの病院から駅に向かう途中に、ボーダフォンショップがあったので寄ってみた。
フィルムの入った大きな袋を持ったまま、修理依頼書にサインをした。
これだけの大事故にもかかわらず、中のメモリや基盤は無事で、
液晶画面と外装交換だけで直るようで、ほっとした。
機種変更のときにボーダフォンクラブに入会していたので、修理代金も1割の1200円ですむそうだ。
前の故障のときも、800円ですんだのだっけ。
私みたいな粗忽者は、会員になっていて大正解だった。
用事はすぐに済んで、預り証と代替品の真っ黒い携帯電話を受け取ってショップを出た。

どう考えても、私の膝や手首より、携帯電話のほうが重症。
かわいそうなことをしてしまった。
私が持つ機械たちは、いつもハードな運命にさらされている。
デジカメも、パソコンも、何回も修理を受けている。
そのたびごとに、新しい顔になって帰ってきてくれる機械たちがかわいい。
もっと大切に、気をつけて使わなくては。
「丁寧同盟」にも入ったのだし。
脱皮してきれいになって帰ってくる携帯電話のために、新しいストラップを用意して待っていよう。


リョウコ 2004年10月04日(月)


実家に静岡旅行のお土産を持って遊びに行った。
近くに住む妹や姪たちもやってきて出迎えてくれた。
リョウコはコンコンと苦しそうに咳をしていた。
やっぱり。
私もおとといの夜くらいから、呼吸が苦しかったのだ。
一緒に咳とひゅうひゅうの合唱。
不思議な連帯感。

5歳になる姪のリョウコと私の体質は似ている。
喘息もちで、風邪を引きやすい。
伯母の体質が似るなんて、これは斜め遺伝とでも言うのだろうか?
母親である妹にもわからないリョウコの苦しみが、私にはわかる。
そう思うと、よけいに親しみを感じ、愛しく思う。

私もリョウコも、早いうちに妹が生まれてお姉ちゃんになった。
まだ2歳にもならないうちに、母親の膝を譲ることになった。
ベビーカーからも降ろされた。
妹は甘えん坊の泣き虫だった。
お姉ちゃんは「しっかりしなくちゃ!」と思うようになった。
もしかしたら、そんなことも喘息のきっかけになったのかもしれなかった。

元気な3歳のリンコは、私のお土産をとても気に入ってくれたようだった。
フクロウの絵のタオルハンカチを丁寧にたたみ、嬉しそうに握りしめた。
かわいい白フクロウ饅頭も、にこにこパクパクと3つも食べた。
でもリョウコはそれどころではなかった。
このときばかりは母親の膝を独占して、コアラのようにしがみついたきり。
タオルハンカチは見たけれど、袋から出すこともできず、
もちろん、お饅頭を食べることもできず、苦しそうに全身を使って息をしていた。
妹が薬を吸入させようとすると、ぐずって泣いた。
呼吸に追い立てられて、苦しくて吸入のタイミングがつかめない。
一瞬だけ息を止める、それができない。
よくわかる。
励ましながら、私も一緒に吸入をした。
やがて呼吸は少しずつ穏やかになった。

妹がリンコの世話をするので、席を立たなければならなくなった。
コアラのリョウコは私の膝に移された。
嫌がりもせず、素直にリョウコは熱い頭を私の胸に押し当ててきた。
柔らかいさらさらの髪をなで、小さい背中をさすりながら胸がいっぱいになった。
がんばれ、がんばれ、早くよくなりますように。
祈りながら唱えながら、背中をさすり、頭を抱きしめた。
リョウコの重みと体温が私の膝と胸を湯たんぽのように温めた。
いつまでも抱いていたいような気持ちになった。
少しでも苦しさを吸い取ってやれたらいいのに。

妹が帰ってきて、またリョウコは母親の膝へと戻った。
私の膝はすうすうとした。
でもリョウコはずっとくつろいで楽になったように見えた。
当たり前でわかりきったことなのだけれど、リョウコのことを一番心配しているのは妹で、
リョウコが一番安心できるのは妹の膝の上なのだ。
ちょっとだけ寂しかった。

夕食後、リョウコもリンコも妹にもたれかかって眠ってしまった。
妹は、眠ったままの二人を連れて帰ることになった。
一番下の妹がひとりを抱っこして、家までお供することになった。
ぐったりと眠った子を抱きながら傘をさして、妹たちは門を出た。
その後姿を見送って、バイバイ、と手を振った。
すると妹の肩から、眠っていたはずのリョウコが小さく手を振るのが見えた。
にこりともせずに、でも確かに手を振っていた。
また胸がぽっぽと温かくなった。
リョウちゃん、お天気になったら、元気になったら、また一緒に遊ぼうね。


雨の日 2004年10月03日(日)

夫は昼過ぎに出張に出た。
昨夜から息が苦しかったので、
無理をしないでひとりでくつろぐことにした。
ソファに横になって、ぼんやりテレビを眺めた。
本を読みながら、時々うとうとした。
雨降りで暗い外の色は、夕方のようだった。

少し元気になって起き上がった。
ゆったり懐かしい曲をかけた。
とっておきの青い鳥のティーカップセットを出して、お茶の用意をした。
お菓子は一昨日作ったスイートマロン。
アルミホイルに包んでオーブントースターで温めた。

ほっくりと温かい栗の香り。
優しい甘さ。
お茶の熱さがおなかにしみる。
顔がにこにこと笑ってくる。

窓を開けると、闇の中に雨の音。
押し寄せてくる金木犀の香り。
自分をうんと甘やかした贅沢な1日をさらに飾る
あふれるばかりの、めまいがするほどの花の香り。


RIMPA 2004年10月02日(土)

明日が最終日と言うこんなぎりぎりになって
やっと「RIMPA琳派」展に行くことができた。
見に行けてよかった。
それはそれは混んでいて疲れたけれど、見ごたえがあった。
おもしろかった。

帰りの電車の中から、ぐったりとよく眠った。
駅に着いて夫に揺り起こされ、あわてて
「今、象に着せる服を選んでいたところ」なんて言ってしまった。
「象?服?」「あ、夢だ」「うん、夢だろうね」
最後のほうで見た、象のような絵が心に残っていたのか。

家に帰って簡単に食事を済ませてからは、ふたりともやたらと居眠りをした。
居眠りともいえないくらいにぐっすり。
テレビがついていても、最後まで見られない。
時々起きては、CDをかけ、ソファを取り合い、またぐったり。
鳥や月や波や花に似た不思議な夢も見続けた。
寝ぼけたことを言って、笑い合いながらも納得していた。
そしてまたいつの間にかぐっすりと…。

だめだよ、ちゃんと起きなくちゃ。
もしくはちゃんと眠らなくちゃ。

夢と現を行ったり来たりしながら、夜中までふわふわと過ごしてしまった。
単純な私たち、RIMPAにやられたらしい。



金木犀がいっせいに咲きだした。


うちの気まぐれシシトウ 2004年09月30日(木)

今日はこれだけのシシトウを収穫した。
丁寧に種を取って、酢豚に入れた。
本当なら、わざわざシシトウの種を取ったりしないよね。
でもうちのシシトウは激辛なのだ!

7月、初めて収穫したときは、普通にこんがりと網焼きにした。
一緒に穫り入れたピーマンやトマトやナスのマリネがおいしくて嬉しくて
シシトウにもなんのためらいもなく、笑いながらかぶりついた。
辛い!!
ヒ〜〜〜!!
急いで水を飲んだりごはんを口に入れたりしたけれど
そんなものじゃおさまらない。
鼻からも耳からも目からも火が噴き出そう!
そんな私を見て、大笑いした夫も、そのあと同じ目にあった。

こ、これは辛すぎる。
唐辛子よりも辛いかもしれない。
もう食べられない…。
半分ずつかじったシシトウが2本と手をつけていないシシトウが3本、お皿に残った。
夫と二人、どうしよう?と顔を見合わせた。
頭がかっかと燃えるようで、その夜はなかなか寝つかれないほどだった。
もう恐くて、それからシシトウを収穫することができなかった。
それでもシシトウは、小さなキッチンガーデンで清楚で涼しげな白い花をいくつも咲かせ
つやつやの実をどんどん実らせるのだった。
大きく育っていく実を私はただ見守るだけだった。

8月の終わりに友だちが2人、うちに泊まった。
話の種に、そのシシトウを摘んできて、「チャレンジしてみる?」と聞いてみると、
友だちは気軽にシシトウを手にとって生のままかじるのだった。
きゃー!
あんなにいっぺんに口に入れたら大変なことに!
はらはらして友だちの顔を見守った。

でも彼女は、「ぱりぱりしておいしいよ。」とにこにこと言った。
ウソ!
もうひとりの友だちも、シシトウをちぎって口に入れた。
「うん、平気平気。ぴりっとするけれどおいしい。」
ホント!?
私もおそるおそる同じシシトウを食べてみた。
本当だ。
普通のシシトウだ。
ほんのり甘みさえ感じるほど。
最初のシシトウだけが特別だったのかしら?

友だちは2本目を口に入れた。
すると「ヒ〜!辛〜!!」と、今度はギブアップ。
どうやら個体差があるらしい。
食べてみなくてはわからないのが恐ろしい…。

とりあえず食べられるものもあるらしいことが、友だちのおかげでわかったので、
それからは小さく刻んで炒め物などに使うようになった。
涼しくなって、だんだん辛さも弱くなってきたような気がする。
そして今日は大胆に、大きめに切ったシシトウを5本も酢豚に入れてしまった。
お味見のとき、お箸についたたれをちょっとなめただけなのに舌がぴりりとした。
いやな予感がした。
果たして!
情熱的な激辛酢豚となってしまったのだった。
今日はハズレだった。
いえ、アタリと言うのかな…?

まだいくつも気まぐれなシシトウが庭に揺れている。
かわいい花も咲いている。
博打のような気まぐれシシトウ、今度はいつ食べよう。
チャレンジしたい方、いませんか?


半月板 2004年09月24日(金)

やっと整形外科に行ってきた。
実のことを言うと、左手首は7月の終わり頃からずっと痛かった。
でも、手首の痛みくらいで医者にかかるのも
たいそうな気がして放っておいた。
薬でも塗っておけば、知らないうちに治っているだろう、と。
だけど、1週間経っても1ヶ月経っても
手首はひねるたびにきりきりと痛むのだった。
ペットボトルやジャムの瓶のふたを開けるのも苦労した。
そろそろ2ヶ月経とうという頃になって、さすがに変だな、と思い始めた。

そして先週から、今度は右足の膝が痛くなってきた。
右足の、それも内側だけなのだけれど、深く曲げると痛んで、
一度痛くなるとしばらくは熱を持ったように、じんじんとうずく。
知らないうちに「痛い…」と口に出てしまう。
昨日のスイミングのときに、先生に相談した。
今まで黙っていた左手首のことも話した。
すっかり仲よしになった若い女性の先生は、私の手首をひいたり、足を触ったりして
すぐに病院に行ったほうがいい、と言った。
スイミングのクラスの仲間が、隣町の整形外科を教えてくれた。
スポーツ整形外科が得意なお医者さまなのだそうだ。

インターネットで調べて、今日は早速その医院に行った。
午後一番の診察で診ていただいた。
左手首と両膝(比較のために)のレントゲンをとって、それから診察室に呼ばれた。
手首も膝も、骨には異常がなかった。
よかった…。
「スポーツは何かされていますか?」「どんなときに痛いですか?」と質問されて
手首をひねったり、押したりされた。
そして両手の握力を測った。

左手首は神経の緊張状態が続いていると言う。
パンパンに張っていて、それで痛いのらしい。
筋力はとても弱くて、そして筋肉のつきにくい骨格らしい。
鍛えようとしても、筋肉がつく前に神経を痛めてしまう。
やっぱり、4月から始めたスポーツクラブのマシンジムで痛めてしまったのだろうか。
一番弱いところから始めたのだけれど、負荷を上げすぎてしまったのかもしれない。
手首が痛くなってからは、マシンジムはお休みしていた。

次に膝も「こうやったら痛いですか?」「ここを押したら痛いですね」と
伸ばしたり曲げたり、押したりされた。
それはツボをついて本当に痛いのだった。
位置と痛みから言って、半月板損傷の疑いがある、と言われた。
半月板はレントゲンには写らないけれど、MRIで見たらよくわかると言う。
もし半月板が切れていたら、損傷によっては外科手術が必要になるらしい。
まだ痛み始めて1週間で、膝に水もたまっていないので、ただの関節炎かもしれない。
手首と一緒に、塗り薬とリハビリでしばらく様子を見て、
それからMRIで調べるかどうか決めることにした。
とりあえず今日から、レーザー治療と温熱療法を受けることになった。

膝はたぶんバレエで痛めたのだろう。
無理なジャンプやプリエの仕方がいけなかったのだと思う。
そう言えば、最初から膝が痛くて、鎮痛剤を飲んでおさえたこともあった。
その頃から、痛めていたのかもしれない。
先生もよく見て、注意してくださっていたのに、きっとちゃんとできていなかった。
もちろん、せっかく始めたバレエのレッスンだけれど、お休みしなくてはいけない。
スイミングのほうは、続けても大丈夫だそうだ。
リハビリにもなるらしい。
それはせめてもの救い。

今まで、自分にそんなものがあると意識もしなかった半月板。
先生に模型で見せていただいた。
半月の形の軟骨のようなものが、膝の関節の両脇に挟まっていた。
本当にここが痛んでいるのだろうか。
張り切って始めたスポーツクラブで、無理をしてかわいそうなことをしてしまった。
もともとあまり運動向きにはできていないのだから、
あせらずゆっくりとやっていかなくてはいけなかったのに。
しばらくは電車で1駅のこのお医者に通って、苦労をかけた手首と膝を大事にしていこうと思う。
無事に治ったら、今度こそゆっくり少しずつ筋肉を鍛えていこう。
楽しいバレエも、いつか再開できるように!


庭に毎日シジュウカラたちがやってくる。
今日は巣箱の下見をしていた♪
今度こそ、ここで子育てしてくれるといいな。


カモの流れに 2004年09月23日(木)

図書館から帰ってきて少し寒い部屋の電気をつけた。
やかんにお湯を沸かしている間に、CDを探した。
なぜかさっきから「やさしい雨の祇園町」「あれは初めての恋」…と
古い歌の言葉とメロディーが頭をめぐっていた。
たしか、古いフォークを集めたCDの中に入っていたはず。

お湯が沸いて、紅茶を淹れた。
借りてきたばかりの本をめくりながら「神田川」で始まったCDを聴いた。
2曲目には「妹」それから「赤ちょうちん」が続いた。
外は曇り空。
ひとりの部屋にぼんやりオレンジ色の灯り。
図書館の重い古い本。
なんだか曲のムードにぴったり…。

やがて、その曲が流れてきた。
しっとりと爪弾かれるギターの細い音色。
本を閉じて、ゆっくりと味わうように聴いた。
そしてすぐに笑ってしまった。
「やさしい雨の祇園町」のあとに続いたのは「加茂の流れにうつるあなたの姿」。
歌の題名は「加茂の流れに」だった。
なんでこの歌が頭から離れなかったのかわかった。
帰り道、いつもの川に4羽のコガモがやってきているのを見たから。
ただ「カモ」と「川」のキイワードから連想しただけだったんだ。
なんて単純!
大体「鴨」と「加茂」では字が違うじゃない!と自分に突っ込みを入れた。
あぁ、おかしい。

でも、カモのことは私たちにとっては大切なことなのだ。
結婚して、この川のそばに住むようになって、毎日カモを眺めていた。
カモの訪れや旅立ちで季節を感じ、季節の移り変わりを感じてはカモたちを待った。
9月の下旬、冬鳥たちの先陣を切ってやってくるコガモたちは秋を告げる使者。
「コガモが来たね」
「もうそんな季節なんだね」
の会話を毎年繰り返していた。
オスもメスも同じような地味な装いでやってきて、
やがて寒くなるにつれて、オスは鮮やかな模様に衣替えをする。
「コガモが色づいたね」
「もう冬がやってくるんだね」
そんなことを話すのだ。

2枚組のフォーク大全集が終わるころ、夫も帰ってきた。
「コガモが来ていたね!」
とリビングのドアを開けるなり彼は言った。
また笑ってしまった。


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