ひとりごと
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チャーム 2004年03月22日(月)

デジカメ2世のためにチャームを作った。

いつもそばにいてほしいトトのような
小鳥のガラスビーズを
ムーンストーンとクリスタルの雫でつないだ。
どこかに行っても家に帰ってくるように
巣箱のチャームもぶら下げた。

手作りのチャームをつけて
デジカメ2世はすっかりうちの子になった。


青い庭の春 2004年03月21日(日)

トトのブルーガーデンが賑やかになってきた。

クロッカスはブルーバードとトリカラー。
小さなかわいいシラー・シベリカ。
初お目見えのミニアイリス。
小粋なパンジーはエクリプス。
ヒヤシンスはブルージャケットとスカイジャケット。

ネモフィラにもつぼみがついた。
ニゲラもレースの葉を伸ばし始めた。
こぼれ種のワスレナグサも咲きそうだ。
アネモネはもう少し。

初々しい花の向こうで
元気な葉っぱに囲まれて
青い鳥の像がうっとりとほほえんでいた。


描きあげよう 2004年03月20日(土)


ボタニカルアートの教室に通い始めて3年がたった。
1ヶ月に1度のレッスンが楽しみだ。
なのに、ちゃんと作品として描きあがったものは
ほんの少ししかない。

2時間のレッスンでは、デッサンをするのがせいいっぱい。
薄く下塗りができたら私にしてはマシな方だ。
家に帰ってすぐに続きを描き始めたらいいのだけれど
夕方になっていて、電灯の光になっていると色も違い
また明日の昼間にしよう、となってしまう。
そして翌日は日曜。
ばたばたと雑用に追われたり、出かけてしまったり。
気がついたときには、モデルの花はしおれてしまっている。
そんなことの繰り返し…。

せっかくお月謝を払い、いい画材を買ったのにこれではもったいない。
中途半端がはずかしい。
1ヶ月に1枚の絵を仕上げよう。
ちゃんと描きあげよう。

今日のモデルはおいしそうな苺だった。
これなら小さいから、レッスン時間のうちに仕上がるかも!
と思ったけれど、苺には小さな種がいっぱいあるのだった。
できるだけ種の少ない小さい苺を選んでも
なんとか下塗りをするところまでしかできなかった。

雨の中、夕方の家に帰宅した。
荷物を降ろし、すぐにモデルの苺を出した。
教室で見たときより、すでにずいぶん柔らかく熟れてきている。
夕食の支度の前に、少しでも描いておこう。
ゼリーの空きカップに水を入れて、筆をとった。

苺を見つめ、紙に顔を近づけて、細い筆で色を乗せる。
赤い絵の具から苺の匂いがするようだ。
いや、モデルの本物の苺が香っているのだ。
私の絵はまだ香らない。
よく見て。
へたのつき方、種の並び方、その形、色の微妙さ。
淡い水彩を重ねて、苺を紙の上に表していく。

肩が凝ってしまったのと、おなかがすいた(と夫が言った)ので
今日のうちには描きあがらなかった。
でもこの絵はちゃんと仕上げたい。
苺をひとつ。
できたら、その周りにいろんなベリーも散らせたらいい。
私の庭で実るはずの、ワイルドストロベリーやラズベリー、
ブルーベリーやタイベリーも一緒に描けたらかわいいだろう。
おいしそうな絵ができるはずだ。

この秋、2年ぶりに展覧会をすることになった。
それに出品することを目標にしよう。
今この一瞬の苺の命を紙に写し取ろう。


2代目 2004年03月19日(金)

新しいデジカメがやってきた。
いそいそと開けた。

中古だと聞いていたけれど
まったくの新品に見える。
ぴかぴかのつやつやだ。
お店に出ていたときのシールもそのままだ。

まずは携帯電話で記念撮影。
カメラ自身が写真に撮られることはめったにない。
そう、こんな姿をしていたのだ。
つややかな丸い目が少し不安そうにこちらを見つめていた。

そして充電器につないだ。
オレンジ色のランプを点灯させて
じわじわと静かに電気をおなかに蓄えていく。
その後姿が、なくしてしまったデジカメと同じでほろりとする。

ランプが消えて、満腹になったことを知らせた。
スイッチを入れてみると、モニターにべべが写ってびっくりした。
そうだ、メモリーカードは予備に取っておいたものを入れたのだっけ。
入っている画像は見慣れたものばかりで前のデジカメを見ているような錯覚をする。

いよいよ初撮影。
最初に、この数日間、デジカメ代わりにお世話になった携帯電話を撮った。
次に、鏡に向けて、デジカメの自画像を撮らせた。
シャッターが切れるときの音が微妙に違うような気がするけれど
使い勝手は前のデジカメと変わらなかった。

本当にそっくりなのだ。
シールを剥がしてテーブルの上に置いていると
前のデジカメが若返って帰ってきたようだ。

「そっくりなの」と妹にメールすると
「そっくりも何も同じ機種じゃん」と突っこまれた。
それはそうなんだけれど。

夜遅く帰ってきた夫にもデジカメを見せて「ね?そっくりでしょう?」と言うと
「そらそうや。同じ機種なんやし。」と笑われた。
そうなんだけれどね。
別人なんだよね。

初々しい2代目デジカメ、これからよろしく。
すぐに傷だらけになっちゃうかもしれないけれど許してね。
いろんなものを見せてあげるよ。
一緒にどこへでも行きましょう。
どこかにいるあなたにそっくりの初代も、これで安心するね。
旅に出てしまった初代と、いつか対面する日があったらいいね。

明日の朝、ふたりで最初に見る花は何でしょう?


春が来ていた 2004年03月16日(火)

黄色い水仙が一輪咲いた。
粋な模様のミニアイリスが咲き出した。
青や白のクロッカスは満開だ。
ワスレナグサのつぼみを見つけた。

小さなオーニソガラムも白い星の花を咲かせた。
黄モッコウバラのつぼみもぎゅうぎゅうに頭を寄せ合って
瑞々しい葉っぱの間から覗いているのだった。
ダンゴムシやアブラムシも活動を開始していた。

小さな庭にも春がやって来た。
「チョットコイ!チョットコイ!チョットコイ!!」と
誰かを呼ぶコジュケイの声が
水色の空に気持ちよく響いていた。


薄情な私を許して… 2004年03月15日(月)

午後からはパン教室だった。
デジカメがない分、いつもより軽くて薄いバッグを持って
駅までぶらぶらと歩いて行った。

この春、初めてのチョウチョに出会った。
胸が弾んだ。
淡い黄色だった。
素敵な夏になりそうだ。
ひらひらと舞う蝶を目で追いながら、早くカメラを、とバッグを探ろうとして
なくしたことを思い出し、手をおろしてぼーっとした。
チョウチョは高いところを飛んで、畑の向こうに行ってしまった。

うららかな陽射しの中、足元にナツカシ色のカラスノエンドウの花を見つけた。
雪柳がぽろぽろと垣根に咲き始めていた。
見上げると桜のつぼみもはじけそうになっているのだった。
いつもだったら、愛用のデジカメに収めるところだ。
私はまぶたの奥と、心の中に春の景色を焼き付けた。
焼きたてパンの画像は携帯電話で撮った。

あのデジカメがない。
さびしい。
いつも私と一緒に世界を見てきたのに。
今頃どこでどんなふうに過ごしているのか。
壊れてはいないだろうか。
無事なまま、誰かの手元にあるのならいいけれど。

ぼんやりした頭のまま、懐かしいデジカメの姿を見たくて
インターネットで検索した。
4年前に発売されたデジカメを扱っているお店はなかったけれど、
当時の記事の中に、その名前と性能について書かれているものを探しては
ほめられているのを見て、うなずいたりした。
そう、あれはとても使いやすいデジカメだった。

ふと思いついて、オークションのコーナーで検索してみた。
1件だけヒットした。
見慣れたデジカメが、もっとずっと新しいきれいな姿で現れた。
いいな。
また使うならこれがいいな。
そう思い、熱に浮かされたようにふらふらと金額を打ち込んだ。

すると次の瞬間、
「おめでとうございます!あなたが落札しました!」の画面が。
あぁ!
落札してしまった。
買っちゃった。
あっという間だ(しかも安い)。
すぐに出品者からメールが来て、手続きとなり、
2、3日中に新しい同じデジカメが手元に届くことになった。

嬉しいような、悲しいような。
デジカメがまたやってくるのは嬉しいけれど
まだなくしてから1日しかたっていないのに。
帰ることを信じて待っているつもりだったのに。
自分がとっても薄情で不義理なことをしているように感じてしまった。
なんだか罪悪感。

デジカメをなくした一部始終を知っていて心配してくれている
両親や妹に電話で報告した。
「よかったじゃない!」と言われた。
「でも、こんなすぐになんて。長年連れ添ったデジカメに申し訳なくて…。」と言うと
「そんなことないわよ。あのデジカメもこれで安心するわよ。」と母。
「代わりのデジカメがいるなら、ゆっくりと帰ろう、って無事でのんびり帰ってくるよ。」と父。
「こんなにすぐに同じデジカメが見つかったのは縁があったのよ。」
みんなに慰められた。

そうなのかな。
そう考えるしかないな。
やっぱりデジカメがないのは不便だし寂しいし。
新しいデジカメを用意していてもいいのよね。

もちろん失ったあのデジカメのことはずっと待っているつもりだ。
不便とか便利、だけではない、長年の思い出がつまっているから。
トトのキイホルダーだってついたままだ。
いつかあのデジカメが帰ってくるまで、2代目にがんばってもらおう。

あぁ、こんな薄情な私だけれど、あのデジカメちゃんは許してくれるよね。


デジカメが!! 2004年03月14日(日)

ガーン!!
ガーン!
ガーン…。
私のデジカメが!
私がデジカメを…。
あの私の分身のような、右手と一体化していたような
大事なかわいいデジカメをなくしてしまった。

10日ぶりのお出かけは茅ヶ崎まで。
おととしHP上で里親探しをして、
素敵な里親さんと巡り会えた犬のラブリーちゃんに会いに行ったのだ。
そちら方面で法事のある両親とは、ラブリーちゃんのおうちで落ち合うことにして
それまでの時間、妹と茅ヶ崎散策を楽しんだ。

陽射しは柔らかく暖かく、ほんのり潮の香りを含んだ風はここちよく、
街は明るくておしゃれで優しかった。
妹と、あちこちに見えるワンちゃんグッズを扱うお店を覗いたり、
素敵な雑貨屋さんやお花屋さんを見つけてはしゃいだ。
もちろん写真もいっぱい撮った。
どこを見ても絵になるようだった。
下調べをしていた小さなビストロで、おいしくて安い贅沢なランチをとった。
おいしそうな写真を妹と撮り合った。

そして海!
去年の初夏、八丈島以来の海だ。
晴れた空の下で海は青く、透き通って輝いていた。
波の間にサーファーたちが見え隠れしていた。
砂浜では、犬や子どもたちが走り回り、人々が散歩を楽しんでいた。
私と妹も、美しい海に感激して海の向こうに見える島や、
打ち寄せるレースのような波や、砂浜の足跡を見つめ、カメラに収めた。
貝殻を拾ったり、ヒトデを見つけたりした。
そしてそのまま、ラブリーちゃんのおうちのほうへ
砂浜沿いに歩いて行ったのだ。

ワンピースにパンプスのスタイルで砂浜を歩くのは大変だった。
ただでさえ歩き慣れていないのに、強い海風に吹かれ、
陽射しを浴びて私たちは疲れていった。
だんだん口数も少なくなり、ずっと向こうまで続く砂浜を見つめてただ歩いた。
時々、足元を洗いそうに近づく白い波や、低く空を飛ぶトンビを撮った。
そう、そのときは確かにデジカメを持っていたのだ。

途中、母から電話が入り、砂の上にカメラを置いた。
でもすぐに拾い上げて、レンズについた砂を払ったのも覚えている。
それからいつものように、ストラップを手首に通し、しっかりと握って歩いていたはずだ。
いつものように、あの重みを感じていたはずだ。
デジカメがないのに気がついたのは、それからしばらくあとのことだった。

砂浜からやっとのことで、舗装された道に上がり、広い国道を延々と歩いた。
そして住宅街に入ったところで、デジカメに入れておいた地図を確かめようとしたのだ。
まさか。
当たり前のように、手首にぶら下がっているはずのデジカメがない。
バッグの中にも、買い物袋の中にもない。
妹にも預けていない。
消えてしまった。

「探しに戻る!」と引き返そうとして、妹に止められた。
とりあえず、両親と合流してからの方がいい。
どこで落としたのか、今までの道のりを思い出し直しながら、泣きたい気持ちで歩いた。
やがて、車で迎えに出てくれた父と会い、そのまま来た道を引き返した。
ふたりで黙々と歩いた国道も、車で通るとあっという間だった。
道には落ちていなかった。
大体、道で落としたら、その音で気がつくはずだ。
そうしたら、やっぱり砂浜で?
車を止めてもらって、砂浜に下り、母からの電話を受けたところまで歩いた。
途中、散歩している人にも聞いてみたけれど、見つからなかった。
私のデジカメは、どこにも見つからなかった。

その後、ラブリーちゃんのおうちでは、とても楽しいときを過ごした。
おうちは素敵で、飼い主さんは優しくて、ラブリーちゃんは幸せそうだった。
妹のデジカメを借りて、その様子を何枚も撮ったけれど、
やっぱり勝手が違って使いづらい。
楽しく過ごしながらも、いっときもデジカメのことが頭を離れなかった。
ラブリーちゃんのおうちを辞して、教えていただいた近くの交番に届け出た。
できることはすべてやった。
あとは連絡を待つだけだ。

この4年間、何より誰より、たぶん夫よりも長い時間を私と過ごしたデジカメ。
愛するかわいい大切なデジカメ。
どこに行ってしまったのだろう。
一体、いつ手離してしまったのだろう。
まるで煙のように消えてしまったかのようだ。
落としたのに気がつかないほど疲れていたのだろうか。
手離してしまってほんとにほんとにごめんなさい。

トトの顔と名前を刻み込んだハート型のキイホルダーがついている。
200枚ほどの楽しい画像が入ったままだ。
4年間ずっと持ち歩き、3回も修理をして、ボディは傷だらけだ。
愛着がいっぱい、とてもかわいい。

まだぼんやりしている。
ため息が出てしまう。
私のデジカメ、どうか出てきますように。


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