ひとりごと
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ずっと出張続きだった夫が休みを取った。 それで「映画でも見に行こうか」と言った。 近くの映画館の上映リストを調べて 「あまりぱっとしないかな」と夫は言っていたけれど 私は見たい映画があった。 新聞や雑誌でも評判がよくて、友だちもおすすめの「半落ち」。 夫は原作を読んでいるだけに、気が進まないらしい。 でも「たまには日本の映画を見るのもいいか」と腰を上げた。
平日の昼間、観客は女性のグループが多かった。 私たちはいつものように、それぞれコーラをひとつずつと ポップコーンをひとつ買って席についた。
地味な感じで始まった映画だったけれど、すぐに引き込まれた。 とてもよかった。 おもしろかった。 しみじみと胸を打った。 会場を出るとき、夫が「泣いただろう」と私に聞いたけれど 夫も目と鼻を赤くしていたのだった。 めったに映画の感想を言わない夫が「感動した」と言っていた。 「日本の映画もなかなかいいね」と嬉しそうだった。 私も、原作本を読んでみようと思った。
映画館のすぐ下のレストラン街で、少し遅めの昼食をとった。 おなかに優しい中国粥のランチセット。 これもしみじみと体に染み入るようだった。
今月は、見たい展覧会の予定がいっぱいある。 嬉しくて、ほくほくしてしまう。 今日は、日本橋と京橋をはしごしてきた。 「若冲と琳派」展の最終日、 「1分間の悦楽 万華鏡の世界」展の初日だった。
「若冲と琳派」、最終日になったけれど行ってよかった。 最初の「四季草花図屏風」を見たとき、 渋い金色の地に描かれた、可憐な花を見て胸がトキンと鳴った。 瑞々しい花が風にそよいで揺れたように見えた。 なんて美しいのだろう! 花の形に忠実で正確で、写実的なように見えて実はとてもデザイン的で。 62種類もの草花が、自然に、そこに生えているかのように描かれている。 いつまで見ても見飽きることがない。
最初からこんなに印象的だったのに、そのあとに続くどの絵もため息が出るほど素敵なのだ。 胸はドキドキしっぱなしだった。 俵屋宗達、深江芦舟、渡辺始興、酒井抱一。 そして鈴木其一。 日本画にはあまりなじみがなく、詳しくはないけれど 「これは好きだ!」とはっきり言える心地よさだった。
伊藤若冲の、大らかな絵は見ていて楽しかった。 一気に描かれたかのような勢いのある鶏たち。 雄鶏はりりしくて、でも後ろに必ず描かれている雌鳥を優しく気遣っているようで。 何より、若冲自身の目が、生きものに優しい。 「糸瓜郡虫図」、すんなりデザイン的に描かれたヘチマに さまざまな虫たちが集まってきている。 まるで隠し絵のように自然に、11匹の生きものがヘチマで憩っていた。 楽しくて、大好きな絵だった。
思いがけないほど楽しい展示だった。 出口が近づいてくるのが、残念だった。 この展覧会でこんなに満足したのに、私は贅沢にも次の展覧会に足を向けた。 日本橋のデパートから歩いて10分ほど、目的地は京橋の画廊だ。
「中村明功・あや子 1分間の悦楽 万華鏡の世界」。 大好きな万華鏡作家さんの初めての個展だった。 このところ何回かお話しする機会もあって、顔も覚えていただいていて ひょっこり顔を出した私を喜んで迎えてくださった。
小ぢんまりとした感じのいい部屋の中に、 ご夫婦ふたりで作られたたくさんの万華鏡が並んでいた。 色とりどりのステンドグラスで綴られたもの、手のひらに入るほど小さなもの。 大きな箱、小さな箱、謎の箱。 どれも外から見るだけではわからない。 手にとって、小さな穴から覗いて見て、そして初めて広がる世界に歓声が上がる。
どんなに美しい映像もその一瞬だけのもの。 次の瞬間には違う模様になっている。 この美しさは今この瞬間の自分だけのものなのだ。 贅沢で秘密めいた楽しみだ。 その映像のバリエーションも、万華鏡の数だけ個性がある。 「万華鏡」と言って、思い浮かべるものの何十倍も不思議な世界が広がっている。 宇宙空間に浮かんだ天体に無数の星がまとわりついているように見えたり 放射状に光の帯を伸ばしながらくるくる回る立方体もあった。 「どうしてこんなふうに見えるの?」と不思議でたまらない。
美しくて謎がいっぱいの魅力的な万華鏡。 どんなものを作ろうか?と考えているときが一番大変で 作るのはとても楽しい作業なのだそうだ。 おふたりで交互に説明してくださった。 とても楽しくて居心地がよくて、おしゃべりをしながら2時間以上も見させていただいた。 そして、とても気に入った小さなひとつの万華鏡を予約して帰ってきた。 この展覧会の会期が終わったら、あの万華鏡は私のものになる。
ラッシュ直前の電車の中、なんとか座れた席で少し夢を見た。 しっとりとした草花が、昔のどこかのお屋敷で揺れる夢。 海の底や、空の果てのような万華鏡がくるくる回る夢。 透明な色彩がゆらゆら揺れて、きっと私も体も揺れていただろう。
↓素敵な万華鏡を作られる中村さんご夫妻のサイトはこちらです。 1分間の悦楽 万華鏡の世界 万華鏡のことがよくわかります。
ガシャガシャン! と、庭で大きな音がした。 窓を開けて顔を出してみると、逃げていくしっぽ。 倒れている薔薇の鉢、鉢、鉢。 花壇の縁取りレンガの上に並べておいた薔薇たちを、 用足しに来た猫ちゃんが倒して行ってくれたのだった。 幸い鉢は壊れていない。 だけど土がこぼれて根っこが半分見えていた。
早く植え替えをしなくては、と思っていたのだった。 伸ばし伸ばしになっていたけれど、これはいい機会。 お天気もいいし、今日は薔薇のいっせい植え替え日にしよう。 大まかな剪定は済んでいるし、赤玉土も、腐葉土も牛糞も、ちゃんと買ってあるのだし。 身支度をして、庭に出た。
去年の冬は体調が悪い日が多くてサボってしまい、2年ぶりの植え替えだった。 倒れてしまった鉢から順にやっていった。 薔薇をそっと鉢から抜き出し、土をよく落とし、水で洗い、病気がないかよく確かめた。 鉢もきれいに洗い、新しくブレンドした土を入れ、根っこがよく広がるように丁寧に植えつけた。 もちろん元肥も忘れずに。 しっかり根元を固め、たっぷりと水をやり、そして日の当たるテラスで休ませる。 タグの名前が消えかけているものは、新たに名前を書き直して鉢に挿した。
ほかの庭仕事と同じ。 始めてしまえば、簡単で、こんなに楽しい。 薔薇の植え替えは健康診断みたいなものだ。 ひとつひとつの名前を確かめ、様子を伺う。 たくましい成長を喜び、元気がないものはその原因を考え対処する。 根っこが張り、株が大きくなり、窮屈そうになった薔薇は ひと回り大きな鉢に着替えさせる。 調子が悪そうなものは、少し小さい鉢で養生させる。 みんな自分で選んだかわいい薔薇たち。 それぞれの今までを思い、これからの成長を願い、触れるたびにますます愛しくなる。 寒い時期のこの作業の大変さは、春の花で報われる。
いくつもの鉢の薔薇たちの中で、その成長が一番嬉しかったのはグラミス・キャッスルだ。 買って何年たってもミニバラよりも小さく細く弱々しく、 水遣りをすると倒れてしまうくらい、根張りも小さく浅かった。 それが、この2年で立派になったこと! いっぱいに根っこが張って、鉢が持ち上がるほどだった。 まだ枝は細いけれど、瑞々しい赤い芽がいくつも吹きだしていた。 もうダメかと思ったときもあったけれど、諦めなくてよかった。 今年は花もたくさん見せてくれるだろうか。 このまま元気に育ってくれますように。
去年買ったばかりの新入りさんを除いた、十数鉢の薔薇の植え替えが終わった。 ふかふかしっとりした土に植えられて、たっぷり水を飲んでテラスに並んでいた。 空気がひんやりしてきて、満足して部屋に入った。 それでも今日は暖かくてずいぶんと楽だったのだ。 ちょっと冷たい風にも、ほんのり春の匂いが感じられた。 水に触れるのも苦にならなかった。 力強くなった陽射しは背中を温めて続けてくれた。 薔薇と触れ合って楽しかった。 思い切って植え替えを始めてよかった。 きっかけをくれた猫ちゃんに感謝。
明け方の夢の中で、美しい風景の中を歩いていた。
街並みはユトリロの絵のようだった。 私は嬉しくなって、いつもどこへでも持ち歩いている あのデジカメのシャッターを何回も切った。 建物の前では、絵本から抜け出たような子どもたちが 透き通るような色彩で、ふわふわと舞うように遊んでいた。 あまりにもかわいくて、きれいで愛しくて 私は何枚も写真を撮った。
夢の中で、夢中になって写真を撮っていた。 デジカメのモニターを確かめると、街並みも子どもたちも 絵のような雰囲気のまま、ちゃんと写っていた。 そして私は「これは夢だから写真は残らないのだろうな」と 不思議に冷静に考えて、残念に思っているのだった。
目が覚めた。 やっぱり夢だった。 夢のような風景は夢の中だけのものだった。 撮った写真も向こうの世界に置いてきてしまった。 夢の写真が撮れたらいいのに。
夕方、回覧板を持って外に出たら、空がきれいだった。 そのまま少し歩いてみた。 風は冷たいけれど、雲は暖かい優しい色だ。 磨かれた空を流れる薔薇色の雲、金色の天使のはしご。
夢の中じゃなくても、 こちらの世界も、こんなにも美しい。
| 若く見られるメイクのコツ |
2004年02月06日(金) |
デパートの友の会のセミナーのメイクの講習会に参加した。 その名も「若く見られるメイクのコツ」!
私はお化粧については全然自信がない。 高校を卒業したころ、化粧品会社主催のお化粧講習会に参加したのに その後、何年もちゃんとお化粧をしなかったので身につかなかった。 口紅さえ、初めて買ったのは二十歳になってからだった。 若いうちはお化粧なんてしなくていいのよ、なんて思っていた。 学生のころはそれでもよかったけれど 社会人になってからは、それは通用しない。 身だしなみとしてのお化粧が必要なのだ。 そしてさらに年を重ねた今、自分が元気でいられるように 自分のためにもお化粧のコツを知りたいと思った。 必要以上に若く見せることはないけれど 明るく元気そうに見えるようになったらいいな、と思う。
定員12名。 ざっと見たところ、私が一番年下で ほかは母と同年代かそれよりもう少し上に見える方ばかりだった。 いつもボタニカルアートを習う教室の壁のカーテンが開かれて、 一面まるごと鏡の壁になっていた。 その鏡に向かって、机と椅子が並べられていた。 講師のメイクアップアーティストは中年の男性だった。 勢いのある大きな目で、緊張して座る私たちを眺め回した。 私も背筋を伸ばしてその目を見つめ返した。 講義が始まった。
人に会ったとき、第一印象を決めるのは顔の細部より、雰囲気である。 髪型、服装、姿勢、表情。 似合う髪形、似合う色形の服、美しい姿勢、生き生きとした表情が その人を若々しく見せる。 似合う色は、人それぞれ髪や肌などの色で、 春、夏、秋、冬のタイプに分けられる。 ゴールドが似合う、春、秋のタイプ。 シルバーが似合う、夏、冬のタイプ。 服装にも、メイクにも、自分のタイプがわかっていれば より美しく若々しく見せることができるのだ。
ひとりひとりを前に座らせて、メイクのポイントも教えてくださった。 よくテレビなどで見る変身コーナーのようだ。 ファンデーションの色、ペンシルの使い方ひとつで見違えるようになっていく。 ひとり終わるごとに、その変身に歓声があがる。 私は手付かずのままだった眉を中心に、教えていただいた。 眉山の位置や眉のラインの説明を、鏡の中で聞いて 手際よくカットされていくのを見守った。 びっくり! 初めの自分との対面。 ちゃんとした大人に見える。 眉の形ひとつでこんなに違うものなんだ。 お化粧っておもしろい。 席に戻ると「きれいになったわよ〜」と隣のおばさまが声をかけてくださった。 その方の目元は、下まつげのきわに入れた銀色のアイラインで、より魅力的になった。
2時間の予定時間で全員が終わり、質問コーナーになった。 私は鏡の中の自分のさえない顔色のことが気になって伺ってみた。 もう一度、みんなの前に座らされた私の頬に、先生の魔法のひと刷毛。 薔薇色のパウダーで、顔が明るくなった。 そして少し離れて私を見た先生は、ちょっと考え、 部屋の後ろのコート掛けを見て、黄色いコートを取ってくるようにと言った。 たまたまそのヒヨコ色のコートは私のものだった。 それを手に取ったとたん、「ほらやっぱり!」と先生の声。 「それを顔の下に当てて、またはずしてみて。」
全身が映る鏡を見たまま、私はコートを胸に当て、そしてはずしてみた。 ヒヨコ色のコートを当てると、ぱっと顔の血色がよくなる。 下に着ていた黒に近いこげ茶のセーターのときは、さえない顔になる。 口紅の色さえ違って見える。 見ていたみんなも「おぉ〜。」と声を上げた。 「じゃあ、それを着てみて。」と言う、先生の指示に従い 着慣れた自分のコートをするりと羽織った。 さっきのチークとコートの色で、私の顔は元気そうになった。 くすんだような頬に透明感が生まれた。
「それはあなたに似合う色なんです。そのセーターは似合わない色なんです。」 と先生は断言した。 出かけるとき、つい選んでしまう古いコートは、私を元気にしてくれていた。 少しは引き締まって見えるかと思って着ていたこげ茶色のリブ編みのセーターは 私の顔を不健康に、老けさせて見せていたらしい。 私のカラータイプは、夏が混ざった春で、明るい色、パステルカラーが似合うのだと言う。 暗い色や重い色は、顔を疲れさせて見せる。 なるほど、目の当たりにして、すっかり納得してしまった。
いくつかの質問も終わり、予定時間を大きく過ぎて講義は終わった。 来たときより若々しくなった12人はにこやかに部屋を出た。 その明るい笑顔で、みんなが満足したことはよくわかる。 受付の女性が私を呼び止めて「どうでした?」と様子を聞いてきた。 「ご覧の通り〜。」と、私は大人っぽくなった眉を見せた。 「とってもおもしろかったです!」
4月から、あの先生の講座が開講するらしい。 もっといろんなことがわかるのだろう。 受講してみようか、どうしようか。 ぐらぐら気持ちが揺れている。
帰り道に覗いたファッションビルの店先は、もう軽やかな春物でいっぱいだった。 ふんわり桜色に、さわやかな浅葱色、明るい菜の花色。 パステルカラーは好きなのだけれど、自分の年を考え、 子どもっぽく見えるかと思って敬遠がちになっていた。 でもこれからは、自信を持って選んでみよう。 もうすぐやって来る春に向けて、すっきりと明るい服を探してみようかな!
魔法瓶を買った。 おなかに熱いお茶をたっぷり詰め込んで 隣にいてくれる。 かわいくてたまらない。
ずっとうちには魔法瓶がなかった。 紅茶を淹れるときには、沸かしたてのお湯を使うし お煎茶の時だって、2人分くらいなら沸かしてすぐに ちょうどいい温度まで冷ませるし。 そんなに必要だと思わなかった。
でもこのごろ、花粉症対策やダイエットのために 朝にやかんいっぱいに沸かすプーアール茶やウーロン茶。 これは最初はアツアツだけれど、 やかんに入れたままだとすぐに冷めてしまって 冷たいまま飲んだり、そのたび電子レンジで温めたりしていた。 紅茶を淹れようとお湯を沸かしたつもりが ティーポットに薄まったプーアール茶を注いでしまったこともある。 う〜ん、これは問題。
それで結婚して16年目でやっと魔法瓶を買う気になった。 買うならこれ、とずっと思っていた銀色の魔法瓶がやってきた。 胸を張ったペンギンのようなクラシックなスタイルのこれは 「ポット」と言うより、やっぱり「魔法瓶」だ。 すごい名前。 魔法の瓶なのだ。
沸かしたてのお茶を、魔法瓶の鏡張りのおなかの中に注ぐときの コポコポコポ…と言う音が懐かしい感じだ。 中身は熱いのに、外はひんやり光って澄ましている。 カーブした取っ手を持って、ノブを押しながら傾けると 湯気と一緒に熱いお茶がトクトクとすべり出る。 あぁ、嬉しい。 顔はニコニコ、体はほっかり。 やっぱり魔法の瓶だね。
去年の秋から楽しみにしていた。 谷川俊太郎・賢作の親子ライブ。 近くの小学校での催し物だ。
大好きな詩人の谷川俊太郎さんがやってくる。 賢作さんはジャズピアニストだ。 詩人とピアニスト親子のライブってどんなものだろう? 予約して買っておいたチケットと引き換えに だだっ広いひんやりした体育館に並べられたパイプ椅子に座った。 椅子に座る私たちの前には、小学生たちがひざを抱えて並んで座った。
校長先生の挨拶が終わり、初めて見る詩人とピアニストが ママさんコーラスの歌に迎えられてひょうひょうと入ってきた。 いつまでもざわざわと落ち着かない低学年の子どもたちは いきなり始まった「うんこ!」と言う詩の朗読に一気に心をつかまれた。 集中、集中。 わくわくと期待に光るたくさんの目。
賢作さんのピアノやパーカッションをバックに 俊太郎さんの詩の朗読が続く。 ことばあそびや音あそび。 子どもたちは大喜びだ。 その後ろで私は、詩人本人が読む詩に酔っていた。 これが本当のリズム、間なのだ。 文字だけで何度も読んだ詩が、生き生きとふくらんではずんで響いた。
休憩を挟んで始まった高学年の時間、子どもたちはしんと静かだった。 詩の朗読と美しいピアノの音色に耳を澄ませて聞き入っていた。 「生きる」そして「道」。 言葉の間に風景が浮かんだ。 きっとそこにいた子どもたちにも大人たちの心にも。 短い時間に旅をしているようだった。
夢から覚めたように体育館に明かりがついた。 拍手に送られ、入ってきたときと同じようにふたりはひょうひょうと出て行った。 名残惜しくその背中を見送った。
子どもたちが教室に戻ったあと、体育館の出口でCDが販売された。 一緒に行った友だちと1枚ずつCDを買って、サインの列に並んだ。 体育館の窓を覆っていた暗幕は左右に引かれて 谷川親子の後ろから明るい光が射していた。 ひとりひとりと話しながら、俊太郎さんはCDのライナーやケースにサインをする。 私もCDのケースにサインをいただいた。
そして何気なく持って行っていた3冊の詩集のうち、一番古い本にも手が伸ばされたのだ。 「こんなぼろぼろになった本を見ると嬉しいんです。作者としては。」と にこにことおっしゃって、サインと握手をしてくださった。 中学生のころから持ち歩いている黄ばんだ文庫本の、若い「著者近影」の裏に 谷川俊太郎さんの名前と今日の日付が黒々と書かれた。
体育館の外はまぶしかった。 陽射しが暖かかった。 何かで胸がいっぱいだった。 前よりもっと大事になった本とCDを抱えて うららかな春の道を帰ってきた。
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