ひとりごと
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| 今年の初薔薇は初スタンダード |
2004年01月08日(木) |
朝、今年最初の薔薇の苗が届いた。 私の初めてのスタンダード仕立ての薔薇だ。 秋に注文して、本当は年末に届くはずだったのが 「すいません。配達業者の方が、大物の配達は年内は もう取り扱わないと言うことで、年明けになります。」 と、わざわざナーサリーから電話があったのだ。
大物? スタンダードってそんなに大きいものなのかしら?と思っていたら、 本当に長くて大きな箱が運んで来られた。 強い風に閉まりそうになるドアを押さえながら 「大きいですね〜!」と、思わず言ってしまった。
部屋に運び入れて、長さを測ってみると190cm。 段ボール箱が3つもつぎはぎになっている。 その継ぎ目のガムテープをはがして、 上の箱をはずすと、傘の骨のような枝が出てきた。 下の箱を脱がすと、ビニールに包まれた根っこの塊。 最後に真ん中の箱をそっと抜いた。 竹ざおにくくりつけられた長い幹が現れた。 部屋の中で立ててみると、私の背丈よりずっと高かった。
なんて立派なスタンダード! 嬉しいな。 箒のようなこの枝が長く伸びていっぱい花が咲いてくれるかな。 玄関の横に鉢を置いて、2メートル下の(自転車だけの)駐車場の方へ 枝垂れさせようと夢見ている。
北風がとても強くて寒かったけれど、根っこが裸だったので急いで鉢に植えつけた。 こんなに大きいとは思わなくて、8号鉢しか用意していなかった。 根っこの巻きも、ぐるぐると大きかった。 これは12号くらいは必要かもしれない。 なるべく早く、赤玉土などと一緒に配達を頼まなくては。 車がないと、こんなときにはちょっと不便だ。
とりあえず8号鉢に植えられたスタンダードは、 ツンツルテンのズボンを無理やりはかされた背の高い少年のようだった。 強い風に倒されないように、玄関の隅に寄せて置いた。 早く、早く鉢を買いに行かなくちゃ!
ギスレーヌ・ド・フェリゴンドと言うむずかしい名前の薔薇が どんな花を見せてくれるのか、どんな風景を作ってくれるのか、 今からその季節が待ち遠しい。
今年の年賀状では、4人の友だちが 「赤ちゃんが生まれました!」と嬉しい報告をくれた。 みんな同年代の友だちだ。 ぴかぴかの赤ちゃんを抱っこしている友だちの写真を見て 赤ちゃんの匂いや柔らかさを思い浮かべてほっこりした。 赤ちゃんと暮らし始めた友だちを思うと嬉しくて そしてとても元気が出てきた。
出しそびれていた今年最後の年賀状と一緒に お祝いのカードをポストに入れた。 4時30分の最後の集荷には何とか間に合った。 帰り道はオレンジ色の夕日だった。 きれいな空だった。 明るくてなんか幸せでついついスキップ♪
この家に住み始めてから丸5年。 年が明け、運送屋さんの仕事始めを待って引っ越してきたのだった。 今日は、家の5歳の誕生日だ。
実家での新年会に持っていったガレット・デ・ロアがおいしかったので それでお祝いしようと思っていたのに、家の近くでは見つからなかった。 ガレット・デ・ロアは1月6日にいただくケーキなので ちょうどよかったのに、ちょっと残念。 その代わり、夫が最近気に入っているトップスのチョコレートケーキを買ってきた。
小さく切り分けず、大胆にも2等分して、半分ずつのケーキを贅沢に食べた。 大きな塊にフォークを入れるのは、ドキドキして嬉しい。 「小さいころ、こんなのが夢だったよね」 「丸いケーキをそのまま食べるのもやってみたいね」 などと話しながら、あっという間に直方体が小さくなっていった。 本当は割り当てを全部食べられそうだったけれど 夜も遅いので我慢して少し残した(明日の朝のお楽しみ)。 夫はきっちり半分残していた。
紅茶をゆっくり飲みながら、この日はいつも引っ越した日のことを話す。 「あなたが年末から出張に行っていて、ひとりで大変だったのよ〜」 「よくこんな寒い時期に引越ししたよね」 「あの日は晴れていて暖かい日でとても助かったのよ」 「もう5年も住んでいるのか…」 見回すと、傷がついてきた床、少しくすんだ壁、増えた家具。 すっかり見慣れた部屋の風景。
こんな会話も空気も飲み込んで、家は少しずつ年を重ねる。 落ち着いてくる。 庭の景色も豊かになってきた。 住む人は変わらない。 家や庭と一緒に、古びるのではなく豊かに年を重ねていこう。 熟成していこう。 また来年も、そんなことを思いながら、ふたりでケーキを食べるのかな。 今度は丸いガレット・デ・ロアを半分こにしよう!
このお正月は暖かでうららかだ。 なんの予定もなく、ゆっくりと起きて、おせちをいただいて、 そして日向ぼっこをしていると眠くなる。 眠ってしまう。
なんてまあ、このお正月はよく眠ること。 自分でもあきれてしまうくらい、気がついたら眠っているのだ。 夢の中でも私は眠くて、年賀状を見ながらうとうとしている。 それはすぐに正夢になる。
「いいんじゃない?お正月なんだから。」 と、私が静かなのは大歓迎の夫は言ってくれた。 「そうね。寝正月って言う言葉もあるくらいだものね。」 と、私も自分を正当化。
うん、いいんだけれどね。 でも食べては寝ていたので、 たった3日間で体がふよふよになってしまったのよ。 不思議なの。 寝ているだけなのに、おなかはきちんとすくのだもの。
少しは運動もしなくちゃ…と思うだけで体は動かないまま窓の外を眺めた。 シジュウカラのための巣箱には、相変わらずアシナガバチが住んでいて のどかな羽音を立てて、出入りしていた。 窓ガラスに止まって日向ぼっこをしているハチを見て 困ったな、と思いながらも、陽射しの暖かさにまた眠くなってしまうのだった。
まあ、いいか。 お正月なんだもの。 開き直って、もうひと眠りしようか。 ハチのことは、目が覚めて頭がすっきりしてから考えましょう。 運動するのも、日常に戻ってからでいいわ。 今はいいのよ。 お正月なんだから。
あれ? 去年も同じようなことを言っていたような…。
1月2日はいつもの通り、実家に家族がそろっての新年会だ。 両親がいる家にみんなが集まる。 ケーキを3つ買って、私は夫と一緒に訪ねていった。
母の手料理やおせち料理、叔母のお得意料理がテーブルに並んでいた。 妹たちもエプロンをつけて、働いていた。 父と叔父、義弟や従弟はビールを飲み始めていた。 小さな甥や姪たちは、 みんなが集まって賑やかなのに興奮してはしゃぎ回っていた。 そして2匹の犬たちも、 大勢の人たちにかわいがられて遊んでもらって嬉しそうだった。
この犬たちが生まれたとき、私はもう結婚してこの家には住んでいなかった。 なのに、たまに訪れるだけの私を、犬たちは家族として認めてくれる。 甘えてひざに乗ってきたり、ゴロンと寝転んでおなかをなでさせてくれる。 そんなところがとてもかわいい。
きゅうきゅうと鳴いていた生まれたばかりのねずみのような姿をよく覚えているし、 甘えた仕草につい子ども扱いしてしまうけれど、この犬たちは3月で6歳になる。 もう立派な中年犬なのだった。 いつの間にか、私たち姉妹の年を追い越していた。
「うるさすぎ!」とか「いたずら!」と、時々うるさがられるけれど みんなの張り合い、心の安らぎになっている。 この2匹がいることで、家族がつながっている部分が確かにあると思う。
競うようにして私のひざにあごを乗せてきたミニチュアダックスフント姉弟の なめらかな長い茶色い毛並みをなでながら、今年も元気でいてね、と話しかけた。 ずっしりと重く大きくなった、いつの間に年上になった犬たちは、 子犬のころと同じ信頼しきった純粋な丸い目で私を見つめて ぺろりと手をひとなめしてくれた。
12時が過ぎ、新しい年がやってきたあとも、 夜更かししてささやかなおせちの用意をしていた。 まだ年末の続きのようにばたばたとしていたのに ほんの数時間眠って朝、目が覚めると 空気はちゃんとお正月の匂いになっていた。
新しいノートを開いたときのような、洗いたてのシーツのような、 アイロンをかけたばかりのハンカチのような、水仙の花のような、 そんなお正月の匂い。 小さいころは、もっとはっきり感じていた。
大晦日、この夜だけは夜更かしを許されていた。 がんばって年が変わるところを見届けよう、と思っていても どうしてもだんだんと目が閉じてきてしまったのだけれど。 夢うつつのうちに除夜の鐘を聞き、 古い年の神さまと新しい年の神さまがバトンタッチするイメージを思い描きながら眠った。 大きな紙がゆっくりと裏返しになっていくようなイメージもあった。
そして目が覚めたら、お正月が来ているのだ! 雨戸が閉まったままで薄暗い部屋のひんやりした空気は、 昨日とは違うお正月の匂いだった。 枕元に用意しておいた、新しい下着とよそ行きの服をいそいそと着た。 妹たちも祖父母もまだ眠っているらしい。 大掃除をしたあとできれいになっている家の中もお正月の香りでいっぱいだった。
階段を下りて台所に入ると、大きなお鍋にお雑煮用のおつゆが温まっていた。 私が眠る前にはまだ作りかけだったおせち料理もきちんと重箱に詰められていた。 一体、母はいつ寝ていたのだろう。 やっぱりいつもよりいい服を着て、その上にエプロンをかけた母に 今年最初の「おはようございます」を言った。 料理の支度をする母のまわりをうろうろしたり、 年賀状を待って何度もポストを覗きに行ったりした。 静かで明るい外の空気も、胸がすうっとなるようなお正月の匂いだった。
家族が起きてきて、いい服を着てニコニコと顔を合わせて、そろって神棚や仏壇を拝んだ。 おせちが並べられた客間のテーブルの後ろにみんなを並べて、 父がセルフタイマーで記念写真を撮った。 そして一人ずつがお正月の挨拶をして、お屠蘇をいただいて、おせちやお雑煮をいただいた。 やがて、ゴトリと年賀状がポストに落ちる音がするのだった。
私たち姉妹は年賀状を家族それぞれに分けたり、ゲームをしたりした。 そのうちに、両親はお年始回りに出かけた。 ふだんは使っていない火鉢に炭を熾して、祖母と一緒にお餅を焼いた。 砂糖醤油やきなこをまぶして私たちはびっくりするほどたくさんお餅を食べた。
今日は昨日の続きで、同じような一日のはずなのに、いつもとは全然違うのだった。 ほこりっぽいような使い古したような昨日から一晩明けただけで、 世界は洗われたようにまっさらで清潔になっていた。 これがお正月なのだ、と思うと嬉しかった。 昼が来ても、夜になっても、特別なお正月の匂いがした。
あれから何十年。 年毎にあらたまったお正月の匂いは薄れていったけれど 今日も確かにそれを感じた。 グラスに注いだお屠蘇で夫と乾杯し、新年の挨拶をした。 お餅を焼き、お雑煮をよそいつけた。 そして、苦労して重箱に詰めたばかりのおせち料理をふたりでつついた。 朝からお酒を飲んで、おなかいっぱいになって、すぐに眠くなった。 たまに時計を見て、昨日の同じ時間のことを思い、 たった1日でこれだけ違うことをおもしろく不思議に思った。 とろりとしたお正月時間が流れていた。
祖父母や私がいなくなっても、実家では同じようなお正月の空気が流れているのだろうか。 挨拶を交わして、ひとりひとりお屠蘇をつぎあっているのだろうか。 小さな甥は新鮮で不思議なお正月の匂いを感じているのだろうか。 感じていたらいいと思う。
お正月は、小さいころのことをやたらと思い出す。
お風呂の中で除夜の鐘を聞いた。 一年前は夫の実家のお風呂の中で除夜の鐘を聞いていた。
そのときのことを思い出し、この一年を思い、 これから始まる新しい一年のことを思ったとき、 胸がトクン!と鳴るのがわかった。
一年前には、こんな年が待っているだなんて思いもしなかったのだ。 楽しいことも、心配なことも、幸せなことも、悲しいことも、 みんな想像以上のことばかりだった。 同じように、まっさらな年にはまた思いがけないことが待っているのだろう。 想像もできないような出来事のことを思い、頭がくらくらした。
楽しいことは大きく、悲しいことはできたら避けたいけれど どうしてもやってくるのなら、ほんのちょっぴりでありますように。 また一年後の除夜の鐘を、健康な体で幸せな思いで聞くことができますように。
みなさま、今年も一年どうもありがとうございました。 出会えたことを嬉しく思っています。 ここでお話したことは宝物です。 来る年もどうぞよろしくお願いいたします。 新しい宝箱がもうすぐ開く!
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