振り返る8
2019年3月、妹は自殺した。

妹の部屋の片付けは何日もかかった。
父は早く部屋を空にして2度と来なくて済むようになりたいと
頑張ったが、結局最後は業者に頼んだ。

胃がんの手術、心臓の手術、白内障の手術と
80歳を超えた父は、何度も入院した。
妹の生活費を捻出するため、退院するとすぐに職場に戻った。

父は職場で死にたいと言っていた。
開業して50年以上、人生の大半をそこで過ごした。
妹がいなくなり、仕事をする張り合いがなくなり、父はついに
廃業届を出した。

飛び降り自殺した部屋は事故物件だ。
なのに管理会社もオーナーも何も言ってこなかった。
部屋で死んだわけじゃないが事故物件には違いない。
飛び降りて亡くなった場所は、マンション前の歩道だ。
誰も歩いてなくてよかった。
妹のせいで、歩行者に怪我を負わせなくてよかった。

私たちは毎日、その現場の上を歩いてマンションに
入らなければならなかった。
父は自分のせいで妹を亡くしたと責めながら、その上を
歩かねばならなかった。






2021年06月09日(水)

振り返る7
2019年、3月 妹の誕生月に消えた。

妹は晩年、目が見えなくなっていた。
なぜかわからないが、メガネを2つ重ねてかけていたそうだ。
飛んだ時にかけていたメガネは警察から父に戻された。
それをなぜか、私に渡そうとする。
いらん!と吐き捨て持っていた手を振り払った。
バラバラに壊れた2つのメガネを見て、父はまた泣いた。
白内障かもしれないからと説得して、手術を受ける予定だったそうだ。

ベッドの近くの2つの寝袋は、妹が使っていたそうだ。
どこに寝ても全身が痒くなる。
この部屋は虫が湧いてると言っては、ベッドと寝具を買い替え
それでも痒みは治らず、寝袋を買い、
それでも痒みは治らず、近くのホテルに何泊もしたそうだ。
ホテルのベッドは痒くならなかったそうだ。

痒みは更年期障害のせいだと思う。
私も全身掻きむしり、眠れなかったから。
ミミズ腫れと掻いたせいで湿疹ができ皮膚がボコボコになった。
皮膚科でアレルギーの痒み止めをもらい、飲み出してから痒みは止まった。
飲まないと痒くなるから治ってはいない。
原因はわからない、いろんなケースが考えられます。
皮膚科の医師は、こう言った。
待ち時間が長いから、同じ薬をネットで買って飲み続けている。

妹は父と散歩した。
帰りがけに、コンビニで500mlの水を2本父が買い部屋まで運ぶ。
部屋の前で受け取り、妹はドアを閉める。
そんな毎日だったそうだ。

部屋の片付けで妹の部屋にいた時、冷蔵庫を開けた。
冷蔵室には何も入ってなかった。
冷凍室に小さなおにぎりが1つか2つあった。

晩年、妹は水とおにぎり以外食べられなくなっていたそうだ。
何を食べても飲んでもアレルギーが出た。
ガリガリに痩せていたそうだ。

目も見えず、全身痒く、食べられず。
衣装部屋の押し入れの奥に、日本画の道具一式があった。
そして妹が描いた絵が何枚もあった。
一緒に暮らした時よりずっと上手になっていた。
花を生けることもできず、お茶を点てることもできず。
母の形見の茶釜が、日本画の横に置いてあった。








2021年06月08日(火)

振り返る6
2019年3月、妹は消えた。

一番大きなポリ袋は45L?
父は、衣装ケースに入っていた服を次々に投げ込んだ。
グッチも、アルマーニも、セリーヌも何もかもぐちゃぐちゃにして。

私と母は、預金通帳と保険証を探すのに苦労した。
財布にあったクレジットカードも回収する。
手続きに必要な書類が見つからない。

オレンジの箱の中にバーキンがあった。
継母ちゃんは私に使いなさいと言った。
なんで私が人の使い古したお下がりを使わなければいけないんだ?
いらないとだけ母に言った。
ふざけんな、こんなもの持つくらいならスーパーのレジ袋のほうがましだ。
心の声が出そうになった。

いらない、と10回くらい言ったと思う。
継母ちゃんは悲しそうな顔をしていた。

エルメスもサンローランもシャネルも、ミンクのコートも。
ブルガリもバンクリもカルティエも。
父が足りなくなって、継母に出させたお金で買ったものだと思う。

妹の直葬の費用は数十万円だった。
セコムのせいで鍵屋さんに開けてもらった部屋の解錠代金も
直葬の費用も全て、継母ちゃんが出した。

新品の寝具が乗った新品のベッドの近くに
寝袋が2つあった。



















2021年06月07日(月)

振り返る5
2019年3月、妹がこの世からおさらばした。

妹の部屋は2LDKだった。
父が胃癌で入院・手術をし、収入が激減するのを
見越して、手狭な部屋に引っ越したからだ。
その前までは3LDKだったそうだ。
家賃20万円、生活費30万円、臨時の出費額は知らない。

2LDKのうち、一部屋は衣装部屋だった。
話に聞いていたのと、実際に見るのとでは大違いだ。
私も母も絶句した。
ハイブランドの箱の山。

引っ越しの準備をしている最中で洋服ダンスを捨てたと父は言った。
冬物のオーバーコートの列だけで1000万円近い。
安っぽい衣装ケースの中には、ハイブランドのセーター、スカート
ブラウス、ワンピース。
ハイブランド以外なかった。

電化製品は全て新品だった。
ウェッジウッドの写真立てに、若い頃の母がいた。
食器棚にはオールドノリタケ。
書くのが面倒くさい。
ブランド品以外は一切なかった。
身につけるもの全て。
上から下まで。
宝飾品も、一番安価なものがスワロフスキーだった。

たまに父が手を休めて、窓を開けたベランダの前に立つ。
身体が前に傾く。
私はすぐに飛びかかれるように身構えた。
何度も何度も。
目が離せなかった。








2021年06月06日(日)

振り返る4
2019年3月、妹は逝った。

あっという間に30分が経ち、会館の人がバタバタ片付けだした。
祭壇の花を顔の周りに飾り、蓋が閉められ、父が号泣しすがりついた。
霊柩車に乗せられ、妹は斎場に行ってしまった。

私たちは車を見送っただけだ。
父は車に乗ろうとした、走り出した車を追った。
息子と一緒に父を引き止め、車道に飛び出さないようにした。
お骨上げもなし、つまり妹の遺骨も遺灰も実家にない。

実家に戻る途中、私が履いていたパンプスが崩壊した。
ヒール部分が取れ、靴底全てはがれた。
10年近く履かなかったパンプスは、こんなふうになるのかと
驚いたことを覚えている。

実家に戻り、喪服を着替えてすぐに、妹の部屋に行った。
父が全て処分すると、大量のゴミ袋を出して
目についたもの全て突っ込み出した。
昔から捨て魔だったが、早すぎないか。
何かしていなければ動いていなければ
おかしくなりそうなのはみんな同じだった。
私と母は、保険証を探した。







2021年06月05日(土)

振り返る3
2019年3月。
生前、妹は何もいらないと言った。
墓にも入りたくない。
戒名も遺灰も遺骨もいらない。
通夜も葬儀もいらない。
彼女の遺言を守るために、父は直葬を選んだ。

両親、私、息子が葬儀会館に向かった。
たった4人だけでお見送りをするのは初めてだった。
妹は棺の中にいた。
祭壇もいらないと言ったはずだったが、祭壇に花が飾られていた。
会館の人がお別れの時間は30分です、終わると斎場に運びますと
言った。

私は妹を見たくなかった。
昔、同級生が首吊り自殺した。
お通夜に行き、棺の中の彼女の顔は苦痛に歪んでいた。
妹は飛び降りた。
だから余計に見たくなかった。

促されイヤイヤ棺に近づくと、中に知らない女性がいた。
30年ぶりに見た顔は、知らない人の顔だった。
だけど妹は綺麗だった。
ほんの少し、ぶつけた頬が赤くなっているだけで
生前同様に美貌は損なわれていなかった。

あっという間に30分が経った。
混乱したままの父は、みんなで写真を撮ると言ってきかなかった。
頭がおかしいと思った。
どうしても撮ると言ってきかない。
会館の人にスマホを渡し、どんな表情をすればいいのか。
撮ってもらった写真を見て安心した。
棺は写っていなかった。
ゾッとした瞬間だった。












2021年06月04日(金)

振り返る2
2019年3月
事件性がないと判断された妹の遺体は、警察署から
葬儀会館に移された。

次に行うのは、普通ならお通夜と葬儀だ。
納棺前に遺体を安置する部屋がいる。

生前、妹は父と話していたそうだ。
何もしなくていい、何もいらない。

妹は葬儀会館にある遺体保管室に入った。
安置ではなく保管だ。
アメリカのドラマで見たコトのある、ステンレスの扉つきのもの
だと思う。
実際見てないから断言できないけど。

実家に帰る前、私は息子に電話した。
父は誰にも言うなと言ったが、私が拒否した。

生前、妹はどんな死に方が一番綺麗か調べたそうだ。
雪山で眠るように逝きたかった。
インドア派の彼女が山に入るなんて想像できないし
山岳救助隊に迷惑をかけるのを考えると勘弁してほしいと
私は思う。

絶対に受け入れられないのが飛び降り自殺だった。
妹は自分の姿や顔に少しでも傷つくようなことを嫌った。
彼女の美貌を保つには、絶対に選択しない手段だった。
なのに、彼女は飛んだ。








2021年06月03日(木)

振り返る1
2019年3月を振り返る。
たった2年しか経ってないのに記憶が曖昧だ。

あの日、父から電話があった。
私は昼寝していて気づかなかった。
何度もかけてるのにと怒鳴られたような気がする。
パニックになった父は何を言ってるのかわからず、ただ妹が
もうこの世にいないことだけわかった。

すぐに母が電話を代わり、私は今から行くと言った。
電話では死因は聞かなかった。
来ても会えないと言われたけど、会うつもりは毛頭なかった。
実家に着くと、私は世間話を始めた。
妹について聞きたいと思わなかった。

時折、咆哮のような泣き声で泣く父。
少しづつ話し始めた。
最後、部屋のドアを閉める寸前、スリッパが散らかっていたそうだ。
いつもはきちんと揃えているのに。
おかしいと思ったのに、そのまま帰ってしまった。

警察から電話があり、まず父が疑われたそうだ。
警察署、妹の部屋、実家と何度も行き来して
そのたびにパトカーで送迎してもらったそうだ。

妹は度重なるストーカーに対抗するため
セコムに入っていた。
だから、警察官と一緒に部屋に入ろうとしても入れなかった。
錠前屋さんを呼ぶとあっという間に開いた。
解錠するのに7万円かかった。
警察官も両親もドアから離れてくださいと言われ
解錠する瞬間は見せなかった。

そんな話や、警察署で尋問まがいのやりとりをした話や
思い出や、後悔や、自分を責める言葉やを聞き
時折泣き叫ぶ父を宥めて、夜を明かした。




2021年06月02日(水)

11年ぶりに
いろんなところのIDを整理してたら、enpituがあった。
数日分読んでみた。

ちょうど妹をアレと呼んで、怒り狂ってた頃の日記だった。
先月、ここの存在をすっかり忘れて、適当に借りたブログに
コトの顛末を書き始めたところだった。

ブログよりここのほうがいいな。
静かだしね。

2019年3月、妹は飛び降り自殺した。


妹はもういない。



2019年3月の初め頃。
日にちが思い出せない。
父から電話があった。
急いで実家に帰り、それから数週間は書類の整理で忙しく
その後の数ヶ月は痕跡を消し去る勢いで売り払った。
司法書士を依頼し、つてを頼って弁護士を依頼した。

妹はまた部屋を変わるつもりだったそうだ。
去年、ふと思ったこと。
湯水のようにお金を使ったのに、なんで賃貸暮らしだったんだろう。
裕福な家庭のお子様は、分譲マンションを買ってもらってるじゃない。
なぜ父は買い与えなかったんだろう?

少し考えて思い出した。
ストーカーや痴漢が妹を付け回したんだ。
そのたびに引っ越しを繰り返したっけ。

11年前に父が手術し、退院後仕事を再開したものの
閑古鳥が泣き収入が激減した。
入院前に、最後の部屋に移ったのかわからない。







2021年06月01日(火)

振り返る9
2019年3月のこと

妹の部屋にあった、こんなものまで持ってたのかと思ったものは

1. エルメスの乗馬用鞭
2. エルメスのゴルフバッグネームタグ
3. オールドノリタケのティーセット
4. 母が愛用した茶道具と和室で使った茶釜
5. ミンクのショール
6. 父の誕生日に贈ったロイヤルコペンハーゲンのイヤーフィグリン
7. マイセンのティーセット
8. シャネルのマトラッセ
妹の洋服類で最安値だと思ったのはセオリーリュクス。

自分の20年を振り返った。
爪に火をともすように、1週間同じものを食べ続けた。
より安い家賃のところへ引っ越した。
仕事を求めて、転々とした。
引っ越すたびに、費用を作るために持ち物を売った。

なんで私だけがお金の苦労をしなければならなかったのか。
妹の贅沢品で何ヶ月生活できたか。

結局、私も妹や母と同様に性根が腐ってるんだと思う。
父に集って生きようとする。
父が出して当然だと思う。

息子と話したら、噛み合わなかった。
息子曰く、なぜ妹に仕事を紹介しなかったんだ。
父は私たち姉妹が幼い頃からずっと言い続けていた。
就職してはいけません。
自動車免許は持たなくていい。
お前たちはお嬢様なんだから。
嫁いで、結婚相手と婚家の色に染まることが何よりの幸せだ。

私の結婚後は、家計簿をつけ、電卓を叩く日々だった。
離婚後、自力で生きていかなければいけないと
気づいた。

日本人には
保護する子女に普通教育を受けさせる義務(第26条第1項)
勤労の義務(第28条第1項)
納税の義務(第30条)が定められている。

勤労の義務は、私には関係ないことだと思い込んでいた。

年収800万が高いのか普通なのかわからない。
旅行に行けない。
高価なものは買えない。
外食はしない。
家賃や住宅ローンの占める割合が高い。

父の全盛期の年収は、桁違いだった。
嬉しそうに話していたのを覚えている。
教えられたのは、モノは値段で判断してはいけない。
モノそのものの価値を見極めること。

最初の夫の父親は会社を経営していた。
何を話す時も、モノの値段が先に来た。
異和感と嫌悪感しかなかった。

特殊な家族だと思っていた。
最近、ニートの子どもと子どもを甘やかしてダメにする
高齢の親が増えている。
我が家は全く珍しい家庭じゃなかったと知った。

私がいまだに理解できないこと。
ショッピングモールに行く人の多さ。
ファミレスで食事すること。

父も継母も、イオンに行ったことがない。
回転寿司に入ったことがない。
100円ショップは存在すら知らない。
コンビニは近所にできてから行くようになったと思う。
リサイクルショップで家電を買う私を、宇宙人を見るように
父は見た。

成人してからの年数が20歳までより多くなったのに
子どもの頃に染み付いた感覚は抜けない。

















2019年06月10日(月)

初日 最新

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