ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2020年12月18日(金) 練炭と豆炭の頃

連日の氷点下。今朝は昨日よりも更に冷え込む。

暖房のなんとありがたいことだろう。

昔は火鉢だったことを思うと便利な世の中になったこと。


幼い頃の火傷の跡が今も右足に残っている。

炬燵が電気ではなく練炭だったのだ。

父が真っ赤に焼けた練炭を炬燵に入れる時に

「危ないから足を入れるなよ」と言ったのに

幼い私は言う事を聞かなかったらしいのだ。

その時の痛みは記憶にないと言うのに

父の言葉だけはなぜか薄っすらと憶えている。


そう言えば「あんか」も豆炭だった。

母がお風呂を焚く時に薪と一緒に火を点けてくれたのだ。

「あんかを持って来なさいよ」と母に言われて

弟とふたり我先にとお風呂の焚口まで持って行くと

まるで火の塊のような豆炭を母が火箸で挟んでは

「ほうれ、ほうれ」と順番にあんかに入れてくれたのだった。

それを宝物のように抱いてお布団を温めてから眠るのだ。


懐かしいものである。一気に思い出す冬の光景があった。


父がいて母がいて弟がいて「チョビ」と言う名の犬もいた。

家族がばらばらになることなど夢にも思っていなかった頃。



2020年12月17日(木) 精一杯の日々

とうとう氷点下の朝。しんしんと音が聴こえるような寒さだった。

それでも日に日に慣れてきているのだろう苦にはならない。

寒さあってこそだと思うのだ。まだ遠い春を想うことが出来る。



仕事を少し早めに終らせてもらっていつもの病院へ。

待合室がすっかりクリスマスモードになっていて心が和む。

あと一週間でもうイブなのかほんとうに早いものだ。

いつも通りのお薬。薬剤師さんがとても優しく語りかけてくれる。


その足で母の入居料の支払いにお世話になっている病院へ。

会計が混雑していて待ち時間が長くなりそうだったので

自販機でコーヒーを買って飲みながら待つことにする。

缶コーヒーではなくネスカフェの自販機で紙コップで出て来るやつ。

熱々のをふうふうしながらそれがとても美味しかったのだ。

けれどもマスクを少しずらして飲んでいたのがいけなかったのか

うっかり手を滑らせてしまって口元から胸元へとこぼしてしまった。

思わず悲鳴をあげたくなるほど熱かった。少し火傷をしたみたい。

とんだ失態をやらかしたものである。今思えばなんと滑稽な有様。


コーヒーまみれの醜態のまま支払いを済ませ

ケアマネさんと少しだけ母の話をして急いで帰宅する。

最近の母はとても穏やかで落ち着いているとのことで

年内の面会はもう無理かもしれないと伝えるしかなかった。

時間の余裕もなければこころの余裕もない気がする。

とにかく無事に仕事納めをすることで頭がいっぱいなのだった。


いっぱいいっぱいではいけないのだけれど

どうか許してほしい。私なりに精一杯の日々が続いている。





2020年12月16日(水) さっぷいさっぷい

寒さは日に日に更新されていて今日はとうとう初雪。

平野部はさほどでもなかったけれど山里は一面の銀世界だった。

幸い道路には積もっておらず無事に職場に辿り着く。


峠道を越えたところで母から電話があり

血相を変えた様子で「すぐに帰りなさい」と言うのだ。

その命令口調に一瞬むっとしてしまってとても穏やかにはなれない。

母は母なりに雪道の心配をしてくれたのだろう。

ずいぶんと昔のスリップ事故を覚えていてくれたのだと思う。

「ありがとう大丈夫よ」の一言がどうして言えなかったのだろうか。


雪はどかどかと降り続いていたけれどすぐに溶ける雪で

積もることもなく午後3時頃には陽が射し始めていた。


さっぷいさっぷい。今夜は鍋にしようと家路を急ぐ。

ありがたいことに昨日いただいた白菜があった。

葛きりを買い忘れていてあやちゃんが残念がっていたけれど

文句も言わず食べてくれてほっと嬉しく思う。


母に電話してみようかと思いつつ迷っているところ。

「今朝はありがとう」と言うべきか

「今朝はごめんなさい」と言うべきか。








2020年12月15日(火) お母さん大丈夫よ

最強寒波とのこと今季いちばんの冷え込みとなる。

日中も7℃ほどの気温で冷たい北風の一日だった。


午前中に免許講習のため警察署へ。

あまりに大勢の人で入室するにも戸惑うほど。

係の女性が「大丈夫ですよ」と言ってくれる。

窓を開けて換気をしているとのことだったけれど

それで安心とはどうしても思えずなんとも不安な時間だった。


やっと講習が終わって新しい免許証をもらう。

写真がとても気になっていたけれど5年前とさほど変わらない。

ずいぶんと歳を取ったと思っていたけれど勘違いだったのか

それにはさすがににんまりだった。やるじゃん私と思う。

免許証はブルーだったけれど次回の更新は5年後との事。

69歳の自分の顔を想像するのもなんだか愉快であった。



午後は職場へ。仕事が忙しく帰宅が少し遅くなる。

お客さんから大きな白菜と大根と蕪をいただきとても嬉しかった。

義父と同僚と3人で分けて義父は早速今夜の夕食にするとのこと。

母がいなくなってからすっかり料理に目覚めているらしい。

それも微笑ましくて「お母さん大丈夫よ」と伝えてあげたい。


帰宅したらめいちゃんのお友達が遊びに来てくれていた。

久しぶりの事でほっと胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。

しばらくは遊んでもらえないかもと心配していただけに

はしゃぎ声がなんだか天使の歌声のように聴こえたのだった。



今日の県下の感染者は過去最多の36名と聞きまた愕然とする。

幸いと言っていいのか山里からの感染者はいなかったようだ。

どうかどうかこのまま収まってくれますように。



2020年12月14日(月) 冬将軍がやって来る

冬将軍がお馬さんではなく新幹線でやって来る。

とうとう一気に真冬の寒さになってしまった。


木枯らしを受けて風に舞うススキの千切れ穂が

まるで小雪のように見える窓の外。

老いたススキもそうして旅に出るのだった。




寒さのせいか血圧が少し高め。

それでも特に体調が悪いのでもなくまあこんなもんだろうと

いつものように焼酎を飲みつつこれを記し始めたところ。


めいちゃんが夕食前に寝てしまってやっとさっき目を覚ます。

保育園のお昼寝が無くなってしまったのにまだ慣れておらず

とにかくひと眠りしてから夕食を食べる日が続いている。

一年生になるための訓練なのだろうとあたたかく見守るばかり。


今夜は久しぶりに娘むこが居て「しらすうなぎ漁」はお休みとのこと。

孫たちも嬉しいのだろうとてもにぎやかにはしゃいでいる。

やはり父親の存在は大切。お父さん大好きのふたりだった。



最近ずっと寝る前にユーチューブで懐かしい歌を聴いている。

昨夜は「スワンの涙」だった。確か小学6年生の頃の歌。

ネットって凄いなと思う。探せばなんだって見つかるのだもの。

さあ今夜もそろそろ聴くことにしましょうか。




2020年12月13日(日) 幸せは「仕合せ」と書く

穏やかであればあるほどそれが乱されるのが怖くなるものです。

幸せは「仕合せ」と書く。それにはきっと意味があるのでしょう。



日曜日は朝のうちにお大師堂へ行くのだけれど

どうしたら良いものかとしばし悩んだあげく今日は行かず。

お参り仲間さん達のことを考えると迷惑をかけるのではないかと。


たとえば高知県を日本の国に例えてみる。

高知市が東京だとすると今の山里は大阪に値するのだった。

だとすると私は毎日大阪に行っていることになる。

そんな私がどうして平然とお参りに行けようか。

「自粛」と言う言葉が重くのしかかっても仕方ないことだった。


孫たちのお友達も遊びには来てくれない日曜日。

幸い家族そろって買物に出掛けたようでほっとする。

昨日の事もありじいちゃんと「避けられているのかも」と。

それも当然の事のように思えた。用心に越したことはないのだもの。


近所の地場産市場で息子たちと偶然に会った。

息子も職業柄とても用心していて近寄ろうとはしない。

私もそれを心得ていてあえて距離を置いてつかの間の会話だった。

けい君が不思議そうな顔をしてそれでもにこにこと笑顔を見せてくれる。

元旦は休みが取れたそうだけれど「正月はまあええわ」と。

たとえ家族とは言え会食には違いない。それが得策だろうと思う。

寂しいけれど仕方ないこと。右を見ても左を見てもコロナなのだ。


明日からまた仕事だけれど気の重さは不思議となかった。

なんとなく武者震いのようなこれは「勇気」に違いない。



2020年12月12日(土) なんとしても守りたい

暖冬を思わすような陽気もあと2日ほどだろうか。

来週の火曜日には一気に真冬並みの気温になるとのこと。

暖かな陽射しを惜しむように過ごすばかりであった。



午前中は川仕事へ。朝陽がきらきらと川面に射してまぶしい。

身体を動かしていると薄っすらと汗をかく。

すっぽりと被っていた頬かぶりを脱ぎ捨てて川風に吹かれる。

なんと心地よい風だろう。ほんのりと潮の香りがしていた。


年内の川仕事は今日でお終い。明日の予定だったけれど

じいちゃんが昨日ひとりで作業をしてくれたのだった。

「おまえも日曜日は休みたいだろう」と優しさが心に沁みる。



いつもなら孫たちのお友達が遊びに来てくれる土曜日の午後。

今日は呼ぶ声も聴こえずひっそりと静かだった。

もしかしたら私が山里へ仕事に行っているせいかもしれないと

思い過ごしかもしれないけれどそんな心配もあった。


今日は全国で3千人を超す過去最多の感染者。

高知県も27人とこれも最多を記録する。

そのうち4人が山里の人だと情報が入って愕然とするばかり。

治まるどころかどんどん拡がっているのだった。

小さな山村でクラスターが発生していると言っても過言ではないだろう。


恐怖心と不安はつのるばかりで出来ることならば仕事を休みたい。

けれども師走の繁忙期にどうしてそんなことが出来ようか。

命がけの綱渡りだとしても立ち向かって行くしかないだろう。


家族がみんな心配している。そんな家族をなんとしても守りたい。

最前線で闘っている医療従事者の気持ちが痛いほどにわかる。


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