ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2020年04月01日(水) 風のせいにしてしまおうか

午後になり降り続いていた雨がやっとやむ。

雨雲を追いやるように強い風が吹き始めている。

明日は晴れるだろうにざわざわとこころが落ち着かない。

風には罪がないけれど風のせいにしてしまおうか。



残念ながら今日もまた隣町から感染者が出た。

昨日の人の同僚だということ。仕方ないことなのだろう。

それ以外の感染経路はまったく公表されない。

昨日の人がいったいどこに行っていたのか

どんな行動をとっていたのかそれが知りたくてならない。

どこにいても感染しうるのならそれこそが恐怖そのものなのだ。



コロナの話ばかりでは気が滅入るばかり。

だからと言って笑って無関心を装うことなどどうしてできようか。

某SNSを見ながらいつも思うことがある。

まったく不安を見せようとしない人に不信感さえおぼえるけれど

その人はその人なりの生き方があるのだろうと認めてあげなくては。

そう自分をなだめつつ「不安なら不安と言ってごらんさい」と

「どうしてもっと自分に正直になれないのか」と声にならない声。


私にはこうして自分の心を整理する場所がありありがたいこと。

かつて「書くことは生きること」と。それは今でも変わらない。



お風呂上がりの孫たちのはしゃぎ声を聴きながらこれを記す。

我が家はこんなにも平和なのでした。



2020年03月31日(火) やまない雨はないだろう

朝から小雨がずっと降り続いている。

菜種梅雨。桜雨と言葉にすればこれも今の季節ならではのこと。

どんな空もありがたく受けとめてあげようとおもう。



月末の仕事をなんとか終えてほっと帰宅するなり

隣町の宿毛市からコロナの感染者が出たことを知る。

ついに来たかと思った。覚悟はしていたけれど

あまりにも身近なことで一気に恐怖心がつのる。


県の記者会見では感染経路は調査中とのこと。

一刻も早い公表を待ち望むばかりである。


決して軽はずみな行動はなかったと断言できるのだろうか。

感染者を責める気持ちはないけれど不信感がつのるばかり。



「みんなみんな前を向きましょう」と昨夜はそう思っていた。

そうして少しでも不安な気持ちを鎮めようとしていたのは確か。

けれども自分が前を向けない。情けないけれどそれが本当のこと。

どれほどの不安も受けとめられるほど強くなどないのだった。


いまはただ雨を受けとめている。やまない雨はないだろうと

ありのままの空に自分を重ねているとなんだか落ち着くのだ。





2020年03月30日(月) みんなみんな前を向きましょう

小雨が降ったりやんだり。桜の花もしっとりと濡れるばかり。

どんな空であっても健気に微笑みひとの心を和ませてくれる。



志村けんさんの悲報はとてもショックで遣り切れない思いがつのる。

まるで親しいひとを亡くしたような喪失感が襲ってきた。

同時に恐怖心も。それが最期のメッセージであるかのように。


私たちはもっともっと危機感を持たなければいけないのだ。

どうか悲しまないで。それよりも身を守って欲しいと

そう叫んでいるような気がしてならない。


彼の死を決して無駄にしてはならないのだ。

ひとりひとりが自覚を持ってこの危機を乗り越えなければいけない。



茶の間にいつも笑いを届けてくれた。

それは演技ではなく心からの優しさだったのだと思う。

涙が出るほど笑い転げたこともあった。

可笑しくて泣けるなんてなんて幸せなことだろうか。


きっと日本国中の人々を見守ってくれるに違いない。

「だいじょうぶだあ」みんなみんな前を向きましょう。



2020年03月29日(日) ひとりひとりの我慢があれば

夜明け前までぽつぽつと雨が。そうして曇りのち晴れの日曜日。

東京ではなごり雪が降ったよう。桜の花も冷たかったことだろう。



朝のうちに息子に電話。元気そうな声にほっとして川仕事へ。

海苔は少し元気になっていたけれど収穫は相変わらず。

ほんの少しの海苔でもありがたく精一杯に手を動かす。

やったらやっただけのことはある。何もせずに諦めるわけにはいかない。


あやちゃんが自転車に乗って作業場へお手伝いに来てくれた。

娘夫婦とめいちゃんはお買い物に行ったとのこと。

人がたくさん居るところには行ってはいけないのだと

学校で教わったことを子供なりにしっかりと守っている。

なんと健気なことだろう。えらいねあやちゃんと感心するばかり。

そんな我慢がストレスにならないように見守ってあげなくては。


東京から高知へ帰省してくる大学生が増えているとのこと。

誰も止める人がいないのだろうかと思うのは私だけだろうか。

今は自由であってはいけないのだと思う。我慢する時なのだ。

ひとりひとりの我慢があればきっと拡大は防げると思うのだけれど。


コロナ一色だった3月も残り少なくなった。

花は咲き誇り春爛漫なのが何よりの救いに思える。


けい君の入学式は予定通りに出来るのかな。

新学年の学校はちゃんと始まるのかな。

家族であれこれと話しながら食卓を囲んだ夕暮れ時のこと。





2020年03月28日(土) 今日のことはもうお終い

曇り日。夕方近くから雨が降り始める。

しっとりとあたりを潤すような優しい春の雨だ。

むくむくと木の芽のいのちを感じる。

やがて新緑の季節がやってくることだろう。



娘夫婦が仕事のため孫たちと過ごしていた。

土手の道はまるで我が家の庭のようで

自転車で走りまわる孫たちを微笑ましく眺める。

おもいっきり外遊びが出来て良かったなと思う。


お昼前に息子から電話。職場で発熱し早退したとのこと。

病院には行かないと言うので取り急ぎ解熱剤を届ける。

コロナだったらどうしようとはらはらと心配するばかり。

息子いわく感染するような場所には行っていないと。

昔から季節の変わり目にはよく熱を出す子だったので

今度もそうかなとあまり過剰に考えすぎないほうが良いかと。


夕方電話したら「もう治った」とケロッとしていた。

念のために明日の仕事を休ませてもらったと聞きほっとする。


よほど困ったことがない限り電話などしてこない息子。

それくらいの距離がちょうど良いのかもと思ったりした。



娘が帰宅。娘むこも早めに帰って来てくれる。

いつもと変わらないにぎやかな夕食。


ぽっとんぽっとん雨だれの音を聴きながらこれを記す。

朝からいろんなことを考えた一日だったけれど

もうリセットしよう。今日のことはもうお終い。



2020年03月27日(金) 僕がいなくなってもだいじょうぶ

目覚めた頃にはぽつぽつだった雨がやがて本降りになる。

しばらくは青空に会えそうもなく菜種梅雨に入ったのだろうか。


3×9が27で今日は「さくらの日」なのだそう。

空が曇れば「花曇り」雨がふれば「桜雨」そんな日本語が好きだ。



今朝はめいちゃんと保育園へ。担任の保育士さんが転勤とのこと。

お世話になったお礼をと保育室の前まで一緒に行ったけれど

他のお母さんと熱心に会話をされていて割り込むわけにもいかない。

めいちゃんも少しとまどっていた。「おはよう」が言えない。

「おはよう」と言ってくれない。なんとも寂しい気持ちになる。



仕事で郵便局のÅTMに行っていたら局員のY君が私を見つけたのか

駐車場まで追いかけて来てくれて転勤になったことを知らせてくれた。

それも栄転で隣町の郵便局の局長さんになるのだそう。

思わず拍手をしていた。なんだか自分の息子のように嬉しい。

けれどももうY君に会えなくなるのかと思うとやっぱり寂しい。

「かんぽ生命」の係だった彼には母の入院の度にお世話になった。

いつも親身になってくれてどれほど助かったことだろう。

「僕がいなくなっても大丈夫」とちゃんと引継ぎもしてくれるそう。



郵便局の庭先の桜をしばし仰ぐ。花びらから落ちる雨の雫は

決して桜の涙ではないのだと思った。きらきらと光る希望のよう。





2020年03月26日(木) なんとしても守りたい

曇り日。午後からぽつぽつと雨が降り始める。

花や草木は雨を待っていたかもしれない。

ひとのこころもしっとりと潤ってほしいものだ。



めいちゃん保育園の「お別れ遠足」

曇り空なので心配していたけれど無事に行けたよう。

お弁当も美味しくお友達と遊んで楽しかったと喜んで帰って来た。


無邪気なこどもの笑顔をなんとしても守りたいとつくづく思う。


高知県内のコロナ騒動は今のところ落ち着いていて

入院していた感染者全員が退院したニュースが流れる。

新たな感染者を出さないためにも行動の自粛が大切に思える。

こればかりはそれぞれの自覚に任せるしかないけれど

自由奔放な県民性が仇にならなければ良いがと心配でならない。



お風呂上がりの孫たちのはしゃぎ声を聴きながらこれを記している。

なんと平和なことだろうとかみしめるような思いがつのる。


平穏無事は決して当たり前の事ではないと

今日と言う日に感謝し手を合わせて眠りましょうか。


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