ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2020年02月10日(月) やってみないとわからない

日中は暖かくなる予報だったけれど風が冷たかった。

降りそそぐ陽射しにずいぶんと助けられる。



めいちゃん今朝もはだかんぼうで朝ごはん。

その姿を見ているだけで寒そうでたまらないけれど

本人はへっちゃら。よほど裸が気持ち良いのだろう。

素人考えだけれどそうして体温調整をしているのでは。

そのおかげか今年はまだ一度も風邪をひかない。


保育園は「おかあさんといく」と言うので職場に向かう朝。

立春を過ぎてから急にお遍路さんが多くなったように思う。

今朝の山道でも5人のお遍路さんに会釈をした。


仕事は明日お休みのせいか車検の予約もなくひっそり。

活気がないとやたらと眠い。なんだかだらだらするばかり。

肩の力もすっかり抜けてしまってふにゃふにゃしていた。



帰り道に寄ったスーパーで「青さ海苔」を売っていた。

もう収穫をしているお仲間さんがいるのかとおどろく。

帰宅してじいちゃんに話したらもうそろそろらしい。

腰の痛みも少し楽になったので今日は見回りに行っていたとのこと。

あと二週間ほどで我が家も収穫を始めることになった。


きりりっとするように身体のスイッチが入る。

職場との二足の草鞋をうまく履ける自信は全くないけれど

やってみないとわからない。なんだか大きな賭けのように感じる。


試されているのなら試していただこう。

そんな意気込みでいっぱいになった。



2020年02月09日(日) いつまでも幼いままではいられない

今日も晴天。風もなくぽかぽかと暖かい日曜日となる。

たくさんの洗濯物がまるで日向ぼっこをしているよう。



日曜日なのに早起きをしたあやちゃん。

昨夜は生まれて初めて子供部屋で独りで寝たようだ。

そんな成長のひとこまがとても微笑ましい朝のこと。

「えらかったね」とほめたら「べつに」と言って愉快。


4畳半の狭い子供部屋もそのうち不便になるだろう。

やはり真剣に増築を考えたほうが良さそう。

そうすれば娘たちもずっと同居してくれるのではないかと

じいちゃんと頷き合って勝手な未来予想図を描くばかり。



午後、ご近所さんが我が家に集まり一週間後の打ち合わせ。

来週の日曜日には地区の「厄抜け長寿祝い」の行事があって

我が家を頭にお当番の役目がまわってきたのだった。

地区の大切な行事なので疎かには出来ずあれこれ頭を悩ます。

とにかく例年通りの事をと話がまとまり一時間ほどで解散。

当日は忙しくなりそうだけれどみんなで力を合わせて頑張ろう。



夕飯を終えてお風呂の時間。今は娘とめいちゃんが入っている。

あやちゃんは最後に独りで入るのだそう。

なんだか一気に大人びて来てぐんと成長したようにおもう。


いつまでも幼いままではいられない。

あやちゃんは少女の階段をのぼり始めているのだろう。



2020年02月08日(土) じゃあねまたね元気でね

たっぷりの陽射しが降りそそぎ暖かな一日。

空をみあげていると空の一部になれる気がする。

光のなかの天使とたわむれているような穏やかさ。



二ヵ月ぶりの母の通院日。20分ほどの道のりを迎えに行く。

母に会うのは18日ぶりだった。その間幾度も夢を見る。

音沙汰のないのは元気な証拠と安心しきっていたけれど

思いがけずに腰の痛みが再発していて少しとまどう。

ベッドから自力で起き上がることが出来ない。

ヘルパーさんに助けてもらってなんとか支度が整った。


一度立ち上がり歩く時は痛みがないよう。

母いわく。いくらでも歩けるのだそうだ。

その誇らしげな笑顔にどんなにか救われたことだろう。

車椅子はもう卒業。歩行器を車に積み込み病院へ向かった。


診察中も主治医との談笑が弾み笑顔でいっぱいになる。

こっそりお酒を飲んだら腰の痛みも治るだろうなどと。

通院が母のストレス解消になっているのではと感じた。


帰り道はふたりともお腹がペコペコ。

国道沿いのレストランに寄って昼食を食べてから帰ることに。

ずっとお刺身が食べたくてたまらなかったと母は刺身定食を。

それはそれは美味しそうに食べてくれて見事に完食。

食欲は元気な証拠とその食べっぷりがとても嬉しかった。


帰ったらヘルパーさんが庭にお布団を干してくれていた。

陽射しをいっぱいに浴びてお布団も嬉しそう。

母も嬉しかったのかしばらくホールに居るからと。

そうしたら帰りを待ちかねていたようにお友達が来てくれる。


駐車場からホールをのぞき手を振ると母とお友達も手を振っていた。

じゃあねまたね元気でね。私も歌うようにして家に帰る。






2020年02月07日(金) なんでもないような平凡こそが幸せ

曇りのち雨。本降りにはならずぽつぽつとつぶやくような雨。

最高気温は10℃を越えていたけれどしんしんと寒い一日。

おひさまのありがたさをつくづくと感じる。



今朝はめいちゃんが「おかあさんといく」と。

早起きをしていたけれどお人形さんと遊びたかったようだ。

たまには良いかなと思いつつ少し寂しい気持ちにもなる。


いつもの山道をラジオを聴きながら職場に向かう。

鈴木杏樹の「行ってらっしゃい」今朝は違う人の声だった。

どうしようもなく恋に落ちてしまう時もあるものだ。

複雑な気持ちが込み上げてくる。罪と名づけるのも哀し過ぎる。



ぼちぼちの仕事。来客は昨日の高齢のお客さん。

支払いに来てくれたので手間賃だけいただく。

独り暮らしなのは知っていたけれど91歳とは知らなかった。

娘さんに知られたら叱られるからと気にしていた。

もちろん他言はしないけれど今後の事が少し心配。

高齢者の事故の多い昨今。どうか無事故でと祈るばかり。



午後は特に急ぎの仕事もなかったので早めに帰宅する。

ぎっくり腰から5日目のじいちゃんだいぶ楽になっている。

安静第一で一日中炬燵でテレビを見ていたようだ。

私も炬燵に潜り込む。まるで天国のような暖かさだった。



晩ごはんはトンカツ。あやちゃんが喜んでわしわしと食べる。

マヨネーズをたっぷりかけて食べるのではらはらする。

「デブになるよ」と言ったら「いいのいいの」って笑って。


そうして今日も穏やかに暮れていく。

なんでもないような平凡な一日が幸せでなくてなんだろう。





2020年02月06日(木) 笑い話をしましょうか

氷点下にこそならなかったけれどぐんと冷え込んだ朝。

職場のメダカの鉢には薄氷が張っていた。

最強寒波とのことで寒さを覚悟していたけれど

日中は陽射しが降りそそぎ思いがけない暖かさとなる。



今朝もめいちゃんを保育園に送り届け職場に向かう。

ピンクの口紅。髪は三つ編み。服はワンピース。

我が孫ながらほんとうに可愛らしいこと。

こういうのを何て言うのだろう。親ばかではなくてババばか。



仕事はぼちぼちの忙しさ。同僚が午前中休んでいたので

義父が対応してくれてとても助かる。

サービス仕事が多く売り上げにはならないけれど

だからと言って決して疎かにしないのが我が社流だった。


昨日の車の鍵が行方不明になった高齢のお客さん。

昨夜も探してみたけれどやはり見つからないとのこと。

スペアキーがあったはずだけれどそれも見つからない。

仕方なく最後の手段で新しい鍵を作ることになった。


午後から同僚がキーシリンダーを外しに行ってくれる。

そうそう簡単に外れるものではなく大変な作業のよう。

それから二時間ほどしてお客さんから電話があった。

なんと服のポケットから鍵が見つかったのだそう。

それもめったに着ない服だと言うので不思議なこと。


同僚はもうキーシリンダーを外し終えていた。

今度はそれを元通りに付け直さなければいけない。

お客さんには見つかって良かったですねと言いながら

いくら仕事とは言え同僚には申し訳ない気持ちがつのる。


それも笑い話になって「やれやれ」と今日が終わる。

同僚のあっ君ほんとにごくろうさまでした。



2020年02月05日(水) 明日のことはまたあした

晴れたり曇ったり。風がとても冷たかった。

今夜から週末にかけて最強寒波がやって来るそう。

暖冬に慣れた身体に強い寒波が堪えそうだ。


梅の花がほぼ満開に近くなり菜の花もちらほら。

「春は名のみの」と歌うけれど決して名のみではない。



めいちゃん今朝も口紅をさしすっかりおしゃまな女の子。

髪はポニーテールで花飾りをして保育園に行く。

どんなに寒くてもズボンは穿かずいつもスカートだった。

「節分」が終わり今度は発表会の練習を始めているよう。

劇やダンスがあるそうでとても楽しみでならない。



今日もぼちぼちと仕事。来客があれば世間話もしたり

高齢者が多いのでついつい長話になるのも楽しかった。

電話もあり車の鍵が行方不明になったとのこと。

新しく鍵を作ることも出来るけれど明日まで様子を見ることに。

「ボケたのかもしれん」と嘆くのでなんとも気の毒だった。

お宅へ駆けつけて一緒に探してあげたい気持ちになる。



帰宅するとちょうどあやちゃんと一緒になり「おかえりぃ」

ランドセルを玄関に放り投げてさっさと二階へ上がる。

宿題はいったいいつしているのだろうと思う。

朝になるとちゃんと出来ているのも微笑ましかった。



今日も平穏無事に暮れていく。真っ赤な夕陽も見られた。

明日のことはまたあした。今夜もぐっすりと眠ろう。




2020年02月04日(火) 老木のようなわが身にもつぼみのようなものがある

冷え込んだ朝も立春だと思えばこころが和む。

こころに春を。花だって咲かせようと思うのだった。


老木のようなわが身にもつぼみのようなものがある。

それはずっと固いままでもう枯れているようにも見える。


だからと言って嘆きはしない。ありのままの姿だもの。

堂々と胸をはって空に手を伸ばすことだって出来る。


咲けないまま老いるということはきっとそういうこと。




今朝も口紅をさしためいちゃんと保育園へ。

燃えるゴミの収集日だったので集積所へ寄った。

「めいがだすけん」と言って手伝ってくれるめいちゃん。

いつもはじいちゃんの仕事だけれどまだまだ無理のよう。

子供心に少しでも役に立とうと思っているのが伝わり微笑ましかった。



仕事は少し落ち着く。今日はゆっくりとお弁当を食べられた。

お昼休みもちゃんと取れて車の中でラジオを聴きながらうたた寝。

どんな日もあるものだ。口癖の「ぼちぼち」を実践出来た日。


ゆっくりと買物をして帰宅。娘が洗濯物をたたんでくれていた。

じいちゃんは少しマシになったよう。もう少しの辛抱だ。


夕飯は野菜たっぷりの煮込みラーメン。

あやちゃんはラーメンライスですごい食欲。


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