ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2019年12月13日(金) ぐっすりと眠りましょう

たっぷりの陽射し。北風も和らぎぽかぽかと暖かい一日。

今年は暖冬なのだろうか。しばらくは穏やかな日が続きそう。



山里の職場を休ませてもらって川仕事に専念していた。

大潮だけれど川の水があるうちに作業が出来る。

先日よりずいぶんと楽だった。ありがたき浮力なり。

海苔の赤ちゃんも順調に育っていて嬉しい。

まるで我が子のように思って愛しさが込み上げてくる。


寒さはまったく感じずむしろ薄っすらと汗をかくほど。

喉の渇きに空腹も加わりふたりともふうふうとしていた。

それでも今日の目標を達成するとなんとも心地よいもの。




午後は炬燵に潜り込んでゆっくりと休む。

やがて娘とめいちゃんが帰って来てしばらくするとあやちゃんも。

年賀状用の写真を撮るのだとふたりとも着物を着て

めいちゃんが私の口紅を「かして」と言って愉快なり。

どんな年賀状が出来るのだろうと楽しみなこと。


晩ご飯。娘がさつま芋のシチューを作ってくれた。

私は豚バラ大根を作ったりほうれん草の胡麻和えも。

みんなでにぎやかな晩ご飯。笑顔がいちばんのご馳走。


お風呂の時間になってあやちゃんが寝入ってしまった。

無理に起こすのも可哀想でそっと寝かせてあげることに。

金曜日ともなるとやはり疲れが出てくるのだろう。

口では生意気なことも言うけれどやっぱりまだ幼さが残る。


お風呂上がりのめいちゃんがはだかんぼうで走り回っている。

おばあちゃんは日課の日記を書き終えました。

後はお布団に潜り込むだけ。今夜もぐっすりと眠りましょう。



2019年12月12日(木) 溺愛することが愛ではない

よく晴れてたっぷりの陽射しがありがたい。

陽だまりにいると暖かいのだけれど北風が冷たかった。

「北風と太陽」のお話を思い出すような冬の一日。



愛犬あんずの命日。もう7回忌にもなった。

たくさんの思い出の中でいまも走り回っている。


ペットロスという言葉があるけれど

私たち家族にはそれがなかった。

むしろ天寿を全うしたあんずを褒めたたえてあげていた。

人間よりもずっと短い寿命の犬の最期を見届ける

その覚悟がなければ犬を飼う資格がないとさえ思える。

厳しい言葉だけれど悲しんでばかりではいけないのだ。

溺愛することが愛ではない。そうつけ加えておこう。


お墓参りにも行かなかった。好物だったお饅頭も供えず

ただただあんずの思い出話をしながら夜を迎える。


あんずと遊んだことを憶えていないあやちゃん。

あんずの存在さえも知らないめいちゃん。

お父さんもお母さんも家族に恵まれ幸せに過ごしていますよ。





2019年12月11日(水) せつなくて優しくて穏やかな午後

曇り日。日中は暖かくなる予報だったけれど

やはり陽射しがないと肌寒く感じるものだ。

冬のおひさまのありがたさをつくづくと感じる。



仕事が早めに終われたのでやっと母のところへ。

午後から入浴があったそうでベッドで寛いでいた。

とても気持ち良かったと嬉しそうにしていた。

もう独りでの入浴は無理になってしまって

ヘルパーさんの介助がほんとうにありがたい。


腰の痛みはまだ続いており可哀想でならないけれど

歩行器をついて歩く時はまったく痛くないと言うこと。

寝たきりにならないようになるべく歩かせてくれているようだ。

皆さんとても親身に介護してくれていてただただ感謝しかない。


帰り際にホールに居た車椅子の老女と少し話をした。

いつも私の顔を見るたびに微笑んでくれる穏やかなひと。

手を握るととても冷たかったのでしばらくさすっていた。

少し認知症のようだけれどちゃんと会話が出来て嬉しかった。

「また来るね」と言うと「楽しみにしているから」と言ってくれる。


なんだか母がふたりいるような気がして胸が熱くなる。

もっともっとふれあいたいと心からそう思った。


ホールの窓から老女が手を振って見送ってくれる。

ふっと涙があふれてきた。せつなくて優しくて穏やかな午後のこと。



2019年12月10日(火) もう眠くなりましたよ

日中はぽかぽかと暖かい今日も小春日和。

仕事の手を休めてはつかの間の日向ぼっこ。

どこからか猫がやって来ておいでおいでをしたら

にゃおんにゃおんと鳴いて可愛らしかった。


そういえば先日母を病院へ連れて行った時に

母が真面目な顔をして「猫のたたりかもしれん」と

主治医の先生に言っていたのを思い出した。

子供の頃に猫をいじめたことがあるのだそうだ。

先生が「そうかもしれませんね」と言って皆で笑ったっけ。


母の様子が気になりながらも今日も直帰する。

痛みが少しでも和らいでいることをただただ祈るばかり。

週末には川仕事を控えているのでそれまでに会いに行こう。




あやちゃんピアノ教室の日。ぎりぎりまでテレビを見ていた。

娘が「どうするの?ピアノやめるの?」と問うと

「やめない」と言って大急ぎで出掛けて行った。

先が思いやられるけれど楽しく続けて欲しいと願っている。

どんな習い事も「強制」があってはならない。

子供が進んでやりたいことをやらせてこそ伸びるのだと思う。


いつもならとっくにお風呂に入っている時間なのだけれど

ふたりとも子供部屋でそれぞれの机に向かっている。

お風呂は最後にふたりだけで入るのだそうだ。


ずいぶんと成長したものだなと微笑ましく思う。

おばあちゃんは焼酎を飲んでもう眠くなりましたよ。



2019年12月09日(月) 微笑まずにはいられない

今日も青空。日中は気温が上がりぽかぽかと暖かい。

お隣のアロエの花が咲き始めた。冬に咲く花だったのか

毎年見ているはずなのに忘れていてはっとおどろく。



川仕事の予定だったけれどじいちゃんの提案で延期。

あまりにも潮が引きすぎるので週末まで待つことに。

川の水があったほうがずいぶんと楽なので大賛成だった。


おかげで山里の職場に行ける。仕事も気になっていた。

月曜日のせいか来客も多く忙しい一日となる。

合間を見ては年賀状の宛名書きをしていた。

印刷ばかりではあまりにも味気ない気がして

宛名だけは毎年手書きにしている。


少しだけ残業になったけれど4時前に帰宅。

娘が洗濯物をたたんでくれていたのでほっと嬉しい。

「ゲゲゲの女房」の再放送に間に合って良かった。

炬燵に潜り込んで見る至福のひと時である。


5時を過ぎるとじいちゃんが一番風呂。

珍しくめいちゃんが一緒に入ると言っていたのに

「やっぱりやめた」と言って上半身裸で戻って来る。

そのまま上着を着ないで裸のままで晩ご飯を食べた。

そんな姿を見られるのもあとどれくらいだろうと思う。

愉快なめいちゃんに微笑まずにはいられなかった。


今日も穏やかないい日でした。ありがとうございます。



2019年12月08日(日) やってみないとわからない

久しぶりの青空。朝は冷え込んだけれど日中は小春日和になる。

冬のおひさまはほんとうにありがたいものだ。



海苔の赤ちゃんが可愛らしく芽を出し

海苔網を漁場に張る川仕事に行っていた。

夜明けを待ちかねるように出掛けたけれど

思ったよりも潮が引いていて少し苦労する。

水の浮力がないと網がとても重くなってしまうのだ。

寒い朝だったけれど身体はすぐに温まる。

朝陽をいっぱいに浴びて精一杯に頑張った。


海苔の赤ちゃんが順調に育ってくれますように。

後は天に任すしかない。どうかどうかと祈るばかり。


今年は例年よりも減作をして全部で80枚ほど。

あと3日もあればすべてを張り終えられるだろう。

山里の職場も繁忙期なのでなんとか両立させたい。

今はまだ序の口。春の収穫期を思うと少し不安になる。

やってやれない歳ではもうなくなってしまったのだ。


でもやってみないとわからない。そう思うことにしよう。




夕飯はあやちゃんのリクエストで豚汁。

愛媛の麦味噌で作ったらほんのりと甘くて美味しかった。

こころもからだもぽっかぽか。今日も「いい日」でした。



2019年12月07日(土) 子供みたいな母と

二十四節気の「大雪」曇り空でしんしんと冷え込む。

おひさまが恋しい。明日は晴れてくれそうだ。



母の通院日。先月までお世話になっていた病院へ。

まだ腰の痛みが続いておりやっとこさ車に乗れた。

ヘルパーさんの介助がとてもありがたい。


血液検査、心電図等あれこれの検査を終えて

大好きな主治医の先生に会えた母はとても嬉しそう。

母の事をよく分かってくれている先生が

「お酒を一杯ひっかけたら痛みが治るかもしれんね」って

談笑が続きなんとも楽しい診察になった。

心臓の持病は落ち着いており次は二ヵ月後のこと。

私の負担も少なくなりほっと安堵する。


帰り道、買い物がしたいと言い出した母を宥めつつ

痛みが治まり歩けるようになったらと約束をする。

なんだか子供みたいな母が憐れでもあり愛しくもあった。


そうして母と半日を過ごす。ほっこりと穏やかな時間だった。


娘として出来ることを精一杯にと改めて思う。

また会いに行きましょう。いっぱいの笑顔で。


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