ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2019年07月09日(火) もう大丈夫。きっと大丈夫

雨の一日。時おり激しい雨音。

雨ならば雨を受けとめよう。やまない雨はない。



昨日の夕方のこと、思いがけないアクシデントがあった。

いつものように一番風呂に入ったじいちゃんが

入浴後に脱衣所で足を滑らせたのか転倒してしまう。

「どすん」と大きな音がして真っ先にめいちゃんが駆けつけていた。

娘と私もすぐに駆け付けたけれど笑い飛ばすじいちゃん。

尻もちをついただけだと思っていたのだけれど

その後少しずつ様子がおかしくなってしまった。

めまいと吐き気、これはいけないと救急車を呼んだ。


幸い命に別状はなかったのだけれど後頭部を打っており

脳内の硬膜に少し出血が見られていてそのまま入院となる。

多量の出血だったら手遅れになるところだった。

軽い出血で良かったとほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間

医師はまだ油断が出来ないと言う。急変する場合もあるとのこと。

一人で心細かったけれど義妹が病院まで駆け付けて来てくれた。

6時間ほどの処置を終えやっと病室に落ち着くことが出来る。



今日の検査では昨日ほどの出血は見られないとのこと。

病室もナースセンターから離れた部屋に移った。

24時間ぶりの食事を「うまい、うまい」と食べるじいちゃん。

もう大丈夫。きっと大丈夫と自分を宥めるように言い聞かしていた。



めいちゃんが「おじいちゃんのにおいがする」と言って

茶の間の座椅子を子犬のようにくんくんと嗅いでいた。

そんな微笑ましい姿をじいちゃんに見せてあげたいな。


みんなで帰りを待っている。かけがえのない大切な家族だもの。





2019年07月07日(日) 主なき家に咲く紫陽花

二十四節気の「小暑」そして「七夕」

梅雨が明けて本格的に夏が訪れる頃と言われているけれど

今年はまだもう少し梅雨空が続きそうだ。


七夕の日に晴れるのもめずらしく今日は梅雨の中休み。

若き頃ならば夜空を見上げてせつなく想うひともいたけれど

この歳になると孫たちに「織姫と彦星」を語るばかり。




今日はすこし遠出を。母の生まれ故郷まで足を伸ばす。

香美市香北町の美良布と言うちいさな町だった。

アンパンマンの生みの親、やなせたかしさんの故郷でもある。


母の生家はもう後絶えになっており今はもう廃屋と化しているけれど

車一台がやっと通れるほどの狭い山道を登った高台にある。

覚悟はしていたけれどそれはなんとも憐れな姿だった。

庭には草木が生い茂り一歩も中には入れない。


祖父母がいて叔母もいた遠い昔の光景を懐かしく思い出す。

子供の頃の夏休みにはずっとこの家で過ごしていた。

祖父がスイカを冷やしてくれた谷川の水。

さらさらと水音が聴こえる。それは今でも変わらない。

ひとつでも変わらないことがあるのがとても嬉しかった。


裏庭の方にまわってみたけれどそこも一歩も入れない。

塀から覗き込んで見るとまるで大きな木のような紫陽花。

もう盛りは過ぎていたけれどとても綺麗に咲いていた。

主なき家にそれは毎年咲いてくれていたのだろう。

なんとありがたいこと。おかげで哀しみも薄れていく。

その紫陽花の影に祖母が微笑んでいるように見えた。

思わず「おばあちゃん来たよ」と声が出る。


遠路はるばる悪路を連れて来てくれたじいちゃんに感謝。

「また来ような」と言ってくれてとても嬉しかった。


ふと母はもう来ることは出来ないだろうとはっきりとおもう。

荒れ果てたお墓を撫でるようにしながら谷川の水を供えた。



2019年07月06日(土) いっぱい微笑んで

くもり時々ぽつぽつと雨が降る。

ありのままの空に身をまかせるように過ごす。



朝のうちに母を訪ねる。

日曜日のつもりだったけれど一日でも早い方が良いかなと

大好物のバナナを届けたら「まあ嬉しい」ととても喜んでくれた。

あまりに喜ぶので少し照れくさくなったほど。

母の笑顔を見ていると救われたような気持ちになる。

ささやかなことだけれど親孝行が出来ているのだろうか。




今夜は保育園の夏まつりがあって少しの間だけ見に行っていた。

あやちゃんも招待状をもらっていて浴衣を着て参加する。

どんどこどんどこ太鼓の音に合わせてそれは可愛らしい踊り。

親ばかを通り越してばばばか。めいちゃんが一番上手に見える。

帰って来たらいっぱいほめてあげようと帰りを待っている。


気がつけば朝からずっと微笑んでいた一日だった。

今日も「いい日」をありがとうございました。



2019年07月05日(金) ソルティドックを私にください

曇り時々晴れて久しぶりの真夏日となる。

風がそよそよと心地よい。おかげで暑さも苦にはならず。


今朝はめいちゃんが珍しく「おばあちゃんといく」と言ってくれる。

久しぶりの保育園だった。こどもたちの笑顔がとてもまぶしい。




仕事中に取引先の社長さんと電話で話していて

行きつけだったスナックのマスターが亡くなっていたことを知る。

最近は街に繰り出すことも無くなってしまってご無沙汰していたけれど

いつも優しく微笑んでくれたマスターの顔が目に浮かび

たまらなく悲しくてなってしまって涙があふれてしまう。


私にとっては「とまり木」のようなお店だった。

カウンターでマスターと向かい合ってたわいのない話をする。

「いつものやつね」と言って作ってくれたソルティドック。



死はこんなにも身近なものだったのかとふと悔しさが込みあげる。

逝ってしまったものはどうしようもないとは思えないのだった。


若き頃からのたくさんの思い出。それがせめてもの救いだった。

ソルティドックが飲みたくてたまらない夜。



2019年07月04日(木) 久しぶりの青空

曇りのち晴れ。久しぶりの青空がとても嬉しかった。

咲き誇っていた紫陽花が色あせて

化石のようになりはじめてしまったけれど。



7月になってから少しずつ活気が出て来た職場。

今日は義父がずっといてくれて随分と助かる。

母の事も相談することが出来た。

やはりゆっくりと時間をかけて説得するしかないようだ。

出来る事ならば今の施設にずっと居させてあげたいけれど

あっけらかんと笑いとばす義父を見ていると

なんとかなるなるようになるだろうと思えてくる。





帰宅してひと休みしてから夕食の仕度。

あやちゃんがお手伝いをしたいと言えばめいちゃんも。

娘がトンカツの作り方をふたりにおしえていた。

油で揚げるのは危ないなと思っていたけれど

あやちゃんやってみたら出来ました。

さすがお姉ちゃんねと褒めれば悔しがるめいちゃん。

わいわいと賑やかな台所がとても楽しかった。



夕焼け空を見るのはほんとうに久しぶりのこと。

ほんのりと茜色に染まる空を見あげながらこれを記す。



2019年07月03日(水) また笑顔で会いましょう

雨が降ったりやんだり。時おり激しく強い雨が降る。

南九州、特に鹿児島では大変な豪雨になっているようだ。

避難を強いられこれから不安な夜を迎える人も多い事だろう。

とても他人事には思えず心が痛むばかりである。

強い雨雲が北上しており高知県も油断が出来なくなった。

どうか降り過ぎませんようにと祈る事しか出来ない。




午前中は体操教室へ。職場の協力があってこそのこと。

貴重な時間だと心してありがたく楽しませてもらった。

昨夜からの酷い肩凝り、背中の痛みも嘘のように楽になる。



午後は母の施設で担当の介護士さん達と面談があり出掛ける。

約束の時間より早めに行って母に会うことも出来た。

ちょうどリハビリ中だった母がベットに横たわっており驚く。

今日はちょっと頑張り過ぎて疲れが出てしまったようだ。

でも顔色はとても良い。何よりも上機嫌で笑顔が嬉しかった。

もう暴言を吐くこともない穏やかな母がそこにいた。


面談ではこのひと月の母の様子を詳しく報せてもらう。

介護士さん達がとても親身になってお世話してくれているのが分かる。

母の性格も分かってくれていて楽しく接してくれているようだ。


ケアマネさんから大切な話。それは寝耳に水のような話だった。

来年の春までに次の入居先をもう決めなくてはいけないのだそう。

こればかりは私の一存では応えられず義父に相談しなくては。

まだ先の事とは言え月日の経つのはとても早いものだった。


また母の覚悟が必要になるのだと思えば気が重くなる。

母を説得する自信はないけれど母に優しく接することは出来る。

そう思って「なんとかなるだろう」と思うよりほかに道はない。


バナナが食べたいと母。そうね、バナナ大好きだもの。

日曜日まで待っていてね。また笑顔で会いに行きましょう。



2019年07月02日(火) 投げ遣りになってはいけない

半夏生と言う名の植物をいまだこの目で見たことがない。

今日は「半夏生」だと知った朝。

その日に降る雨を「半夏雨」とか「半夏水」とも言うのだそうだ。


齢ばかりを重ねて無学の我が身。今日はひとつ勉強になった。




午後一時で仕事を終わらせてもらって

市の特定健診に行っていた。

毎年欠かさず受診しているけれど

昨年からとうとうメタボになってしまった。

ただのデブでは済まされない。

メタボはある意味病的な太り方だった。

著しい体重増加もあっておそらく今年もそうだろう。

まあいいかと思いつつやはり健康には気をつけたいと思う。


危機感を感じることは時には大切なことではないだろうか。

ずるずるとどうなってもいいやと投げ遣りになってはいけない。


ふとそんなことを思った一日だった。


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