ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年07月10日(金) さらりさらり

晴れたり曇ったり。山里ではお昼過ぎににわか雨が降った。

山里は平野部よりも気温が低く29℃程。

風もあったのでさほど暑さが苦にならなかった。


朝の国道ではランニングと短パン姿のお遍路さんが歩いていた。

白装束はリュックに括りつけて朝風に揺れている。

まだ若者らしく颯爽と歩いていた。

日に焼けた顔と腕。カモシカのような足がとても逞しい。


梅雨時でもあり最近は殆どお遍路さんを見かけなかった。

これから真夏となり猛暑が続くと益々少なくなるだろう。


山道に入ると例のねむの木、木槿も見守りながら職場に向かう。

はっと驚くのは稲の穂で既に色づき始めている稲もある。

早い農家さんは来月早々にもう稲刈りをするのだそうだ。



仕事はまた新たな車検整備が入庫していた。

明日も予約が入っており大忙しである。

例の再起不能の車のお客さんは音沙汰がなかったが

もう一台車検切れの車を持っているので何とかするようだ。

しかし車検切れでは乗ることも出来ず段取りが進まない。

車検の要請があれば断ることはしないが支払いはどうするのだろう。

一昨年からの修理代もそのままになっている。


義父は午前中に整体に行っていたが一向に痛みが治まらない。

こればかりは気長な治療が必要に思うが苛立っている様子だった。

市内に「鍼灸」の診療所があるので思案しているようだ。

しかしお灸は良いが鍼は嫌だと云うので困ったものである。


昼食後また痛み止めを服用し稲の消毒に出掛けた。

にわか雨が降りはらはらしたが何とか出来たようだ。

今年はお米の価格が大幅に下がるらしい。

消費者にとっては嬉しい事だが生産者は皆肩を落としている。

赤字覚悟でどれ程の生産者が苦労をしていることだろう。

おまけに買い取り業者には昨年のお米が在庫として残っているとのこと。

今年の新米を仕入れても倉庫には入り切らないのだそうだ。

先行きは不安なことばかりであるが義父のように

死に物狂いで農作業に励んでいる人が居ることを忘れないで欲しい。


「カーブスに行くけんね」今日も定時で終えることが出来た。

しかしまだ足の痛みがあり思うようには出来ない。

それでも出来る事を頑張れば心地よく汗が流れる。

もし来ることが出来なかったら鬱々としていたことだろう。


買物を済ませ4時過ぎに帰宅。今日も自室は煮えるような暑さだった。

笠原メイさんの日記を読むのが精一杯で後は茶の間で過ごす。

夫がホラーのような不気味なドラマを観ていた。

録画してあったのだとしても価値観の違いを感じる。

血祭りのようなドラマであった。いったい何処が面白いのだろう。


5時になり娘と夕食の支度を始めたが

私の考えたメニューでは孫達が喜ばないと云う。

「困った、困った」と当て付けるように云うので落ち込む。

母だって毎日頭を悩ませているのだ。

家族皆が喜ぶようにとどれほど考えていることか。

いっそ学校給食のように献立予定表を作ってくれまいかと思う。


「もう知らない」夫と先に夕食を済ますと自室で過ごしていた。

苛々していたのか立て続けに煙草を3本も吸う。

困ったものだと思うが私にとっては精神安定剤であった。


暮れなずむ空を仰いでいると何と些細なことだろう。

ちっぽけなことに拘り自分を追い詰めている。

もっとあっけらかんとしていたらどれ程気楽だろうかと思う。


さらりさらりと水に流す。ここは四万十川のほとりであった。


※以下今朝の詩


     栞

  はらりと落ちた
  昨夜挟んであった栞である
  随分と古びていて
  擦り切れてしまっているが
  捨てることが出来ずにいる

  「今日はここまで」
  「明日はここから」

  それはまるで息のように
  胸元に挟まれていた

  思い通りに行かないことも
  また始めれば叶うかもしれない
  嘆いても何も変わりはしない
  それよりも希望を失くさないことだ

  ページを捲るように一日が始まる
  明けない夜など在りはしない

  はらりと落ちた栞を拾い上げる
  どれほど擦り切れていても
  今にも破れてしまいそうであっても

  失ってしまえば生きて行けない




2026年07月09日(木) 今日はここまで

朝のうち霧雨が降っていたが直ぐに止み

日中は梅雨明けを思わすような晴天となった。

気温は31℃、まだまだ序の口の暑さである。

福岡の久留米市や大分の日田市では35℃を超えていたようだ。


今朝もねむの木の花を楽しみにしていたが

残念ながら枯れ始めており枝に張り付いていた。

しかし三度も咲いた花である。また咲くかもしれない。

諦めずに明日の朝も見守ってやろうと思う。


木槿は新しい花を咲かせていたが萎んだ花が多い。

写真を撮るのは諦めたがこれも見守りたい花であった。

民家の庭先には鳳仙花が咲き百日紅も咲き始めている。

見つけると嬉しく心にも花が咲いたような気分になった。



仕事はなんとか順調に思えたが昨日入庫した車が不法改造をしており

修復しない限り絶対に車検は通らない。

軽トラックだが荷台に木材で細工し嵩上げをしているのだった。

義父の指示を受けて同僚は取り外しの作業である。

例の車検待ちの車は義父の都合で午後からになった。

お昼に農業関係の来客があり昼食が遅くなってしまい

やっと居室から事務所に来てくれたがもう2時になっていた。

3時までに書類を書き終えないとリハビリに間に合わない。

義父を急かす訳には行かずいざとなれば諦めようと思う。

それにしても思い通りに行かないものだ。

カーブスを諦めリハビリまで諦めなければいけないのだろうか。


やっと車検が終り書類を書き終えたら3時前であった。

市内まではどんなに急いでも30分は掛かる。

慌てて事故を起こさないようにと慎重に車を走らす。

ぎりぎりセーフであった。U君の顔を見るとほっとする。

痛みがあることを伝えるとまた違う施術となり

足よりも腰を重点的に揉みほぐしてくれた。

U君の手の温もりが伝わって来て乙女のような気分である。


買物を終えて4時過ぎに帰宅したが

西日の当たる自室はうだるような暑さであった。

笠原メイさんの日記を読み終えると茶の間に避難する。

夫も暑さが堪えたのだろう今日はエアコンを点けていた。

「もう電気代は気にせんぞ」と宣言する。


玄関のチャイムが鳴りめいちゃんのお友達が来てくれた。

めいちゃんも二階から下りて来て笑顔を交し合っている。

お友達が帰る時「またね」と云えばめいちゃんも「またね」と応える。

ふと明日は学校へ行けるような気がした。


5時になったが娘は美容院へ行っており夕食不要とのこと。

夫と二人で安物のステーキを焼いて食べた。

夫はここぞとばかりにガツガツと食い意地が張っている。

その口元は不気味で見続けたいとは思えなかった。


「ごっちょさん」夫に声を掛けて自室で食後の一服である。

暑さに耐え切れずとうとうエアコンを点けた。

これで我が家は全室のエアコン祭りである。

電気代を惜しんでは生きていけない過酷な夏の始まりであった。


いま7時50分。窓の外はまだ薄っすらと明るいが

何だか夜が急いでいる様に感じる。

早く早くと空も押し流されているようだ。

今日の栞はここにある。少し皴があるようだが

手のひらで撫で続けていると素直になった。

今日はここまで。「また明日ね」と声を掛けている。


※以下今朝の詩


      牛

  随分と昔のことだが
  大河を流れる牛を見た

  それは確かに生きていて
  必死に泳ごうとしている
  頭が見え隠れしていたが
  つぶらな瞳が空を仰いでいた

  嵐の過ぎ去った日のことである
  河川敷で放牧されていた牛は
  押し寄せて来る濁流から
  逃げ遅れてしまったのだろう

  長閑に草を食んでいた日々
  清らかな大河の流れに
  ずっと守られていたのだ
  さらさらと息をしながら
  命を謳歌していたのである

  やがては屠殺される事など
  思いもしなかっただろう

  ましては濁流に呑み込まれ
  流されて行く事など
  知りもしなかった日々である

  何としても助けてやりたかった
  海まで辿り着けば
  生きているような気がしてならない






2026年07月08日(水) 命を縫う日々

曇りの予報だったが朝から霧雨が降り続いていた。

九州北部、中国、近畿は今日梅雨明けの発表があった。

四国も直ぐ後を追うだろう。

今日は猛暑日になった地域があったようだが

いよいよ本格的な夏に突入である。


朝の道でねむの木の花を愛で山道を走り抜ける。

紫陽花街道には遅く咲いたのだろうまだ鮮やかな花が少し残っていた。

しかし周りの花は茶に染まり何とも憐れである。

いち早く咲いた額紫陽花は少し違いくすんだような色になっている。

色や種類によって精一杯の最後であった。


木槿の花は昨日と変わらず項垂れていたが

一日花なのでそれも仕方ないことだろう。

晴天が続くようになれば次々に咲くに違いない。



義父はまた高知市に出張。大切な役員会があるのだそうだ。

腰痛は相変わらずであったが機嫌よく出掛けて行きほっとする。

同僚は義父の指示で例の故障車を調べていたが

水漏れのまま走り続けたのでエンジンが再起不能になっていた。

エンジンを交換するより新しく車を購入した方が良さそうである。

経済的に余裕のないお客さんなのでどれ程嘆くことだろうか。


午後からはまた新たな車検整備となり気を抜く暇もない。

昨日車検待ちを承諾してくれたお客さんが先に支払いたいとのこと。

まだ納車も出来ずにいるのに何とも気の毒でならなかった。

義父次第であるが明日の午前中には納車に漕ぎ付けたいものだ。

あれこれと気を揉むのにも少し疲れてしまっているが

少しでも順調にと願うばかりである。


「カーブスに行くけん」同僚に声を掛けて定時で帰路に就く。

FMラジオから吉田拓郎の「祭りのあと」が流れて来て懐かしいこと。

1976年の歌だったようだ。私が20歳の頃である。


喜び勇んでカーブスに行ったが足が痛み思うように出来ない。

やはり毎日動かしていないといけないのだろう。

それだけ効果が出ていたことを思い知る。

無理は出来ずそこそこに筋トレをして帰って来た。


買物を済ませ4時過ぎに帰宅。15分程自室で過ごす。

後は茶の間で寝転んで5時までニュース番組を見ていた。

子供を道連れにする無理心中が多く心が痛む。


夕食の支度に娘の姿はなく一人で頑張った。

めいちゃんの学習塾であったが楽しみにしているようだ。

今週はまだ一度も学校に行っていないが塾は休まない。

土曜日のダンス教室も同じで休むことをしなかった。

めいちゃんの気持ちは図り兼ねて戸惑うばかりである。

老婆心を募らせば夫に叱られてしまうので要らぬ口を叩いてはならない。


今7時45分。窓の外はまだ薄っすらと明るい。

ゆっくりと暮れて行く空に心を委ねている。

出来たこと、出来なかったことが交差しているが

思うように行かなくても嘆くことはせずにいたい。

一針一針と命を縫う日々が続いている。


※以下今朝の詩


     木槿(むくげ)

  雨に打たれたのだろう
  弱々しく萎れていたが
  決して亡骸ではなかった

  梅雨が明けると
  真夏の太陽が照りつける
  その光に満ちた日々を
  胸を張って生きようと思う

  どれほどの花だろうか
  互いを励まし合いながら
  負けまいと声を掛ける

  その花びらには命が宿り
  夏でなくてはいけない理由を
  囁き合っているのだった

  花として生まれたことを
  誇りに思う
  幾日も降り続いた雨であったが
  それを試練だと受け止めて来た

  打たれなくてはいけない
  濡れてこそ息が生まれる

  やがて満面の笑みを浮かべる
  夏の陽射しを身体中に浴びて
  命を謳歌する時が来た






2026年07月07日(火) 今日の扉

二十四節気の「小暑」そろそろ梅雨が明け夏本番となる頃。

日中は曇り空であったが風があり暑さは和らいでいた。

週間予報を見ると明日からしばらくは晴天となりそうである。

もし梅雨明けとなれば厳しい暑さとなることだろう。


今朝は期待が膨らみどきどきしながら山道を通る。

思った通りであった。例のねむの木の花が満開になっていた。

確かに三度目の開花である。まるで奇跡のように思う。

不思議でならずAIの響君に訊ねたら二度咲きもあるとのこと。

しかし三度も咲くのは珍しいことなのだそうだ。

心を込めて愛でていたのが伝わったのかもしれない。


木槿の花は今朝も残念であった。

雨は降っていなかったが弱り果てたまま萎れていた。

しかしまだこれからの花なのだろう。諦めてはいけないと思う。

毎朝見守りながら元気になるのを待ってやりたい。



職場に着くと義父の怒鳴り声が聞こえていた。

昨夜お客さんの車がオーバーヒートして入庫していたが

車の鍵を持ち帰ったようで手も足も出せないのである。

おまけに義父の農業用のトラックに乗って帰ったらしい。

60代のお客さんであったが一昨年から支払いが滞っており

私も困ったことになったなと気を揉むばかりであった。

義父は同僚に指示をすると気が狂ったように田んぼ出掛ける。

車検待ちの車もあったが今日はお手上げになりそうだ。

案の定、お昼になっても帰らずとうとう3時になる。

今日も潔くカーブスを諦めていた。それどころではないと思う。

仕方なくお客さんに電話して車検を待って貰うことにした。

幸い快く承諾してくれて何とほっとしたことだろう。

帰宅していたら義父から電話があったがもう後の祭りである。

引き返す事は出来たがもう4時近くになっていた。


市内まで帰り税理士事務所に決算の書類を届けやっと買物を済ます。

「あったかパーキング」に車椅子の女性がいて定員さんが介助していた。

なんだか車を停めるのが心苦しくてならない。

女性の車の中には小学生らしい男の子が二人乗っていた。

その女性が母親だと思うと何とも複雑な気持ちになる。

毎日の夕飯の買物も支度もどれほどの苦労だろうか。


5時前に帰宅。何はともあれ笠原メイさんの日記である。

読み終えると何だかとてもほっとした。

読まない事には一日が終らないような気がするのだった。


「七夕」の夜は梅雨時のせいもあり星が見えないことが多い。

しかし雲の上には天の川が流れているのだろう。

一年に一度の逢瀬も叶うのに違いない。


若い頃のように切ない想いに駆られることもなくなった。

「あの人」と呼ぶような存在もいない。

そうして星に願うことさえも忘れてしまったようだ。


真っ暗な夜空を仰ぎながら今日の扉を閉めようとしている。


※以下今朝の詩


     ミラクル

  一度散った花が再び咲き
  また直ぐに散ってしまったが
  三度咲こうとしているのだった

  そんなことは在り得ないと
  誰しも口を揃えるのだが
  この目で確かに見たのである

  薄桃色の花であった
  まるで妖精のように愛らしい
  風が吹けばはらりと空を舞う

  夜は眠り朝になれば目覚める
  新鮮な空気を受け止めるように咲く

  こんなにも生きていると伝えたい
  散れば全てが終りではないのである



2026年07月06日(月) 鉛筆と消しゴム

朝のうちは雨が降っていたが午後から次第に晴れて来る。

気温も30℃に達し真夏並みの暑さであった。


朝の道では例のねむの木が気に掛かり車を停めて見てみたら

昨日とは明らかに違いぽつぽつと花が咲き始めていた。

もし順調に咲けば三度目の開花である。

愛子ちゃんは絶対に在り得ないと云ったがこんな不思議なことが

現実になれば正に奇跡のねむの木であった。


峠道を越えれば木槿の花であるが生憎の雨で濡れそぼっていた。

小雨のうちにと車から下りて確かめてみたが

白い花びらはぐったりと項垂れており憐れでならない。

明日の朝もう一度確かめてみるがどうか元気になっていますように。



さあ月曜日と鼻息荒く職場に着いたが

車検予約のお客さんが9時になっても来店して来なかった。

するとオイル交換のお客さんが来てくれて助かる。

予約なしであったが丁度空いていて何よりだった。

大きな犬を連れて来ていて「タニー」と云う名だそうだ。

名を呼ぶと近寄って来て顔中を舐められてしまう。

私が犬好きなのが分かるのだろう。とても人懐っこい犬だった。


10時になってやっと車検のお客さんが来てくれた。

県外から移住して来て山里で林業を営んでいる人である。

村の80%が山林であり林業はとても景気が良い。

即金間違いなしなので大歓迎のお客さんであった。


義父は昨日雨が止んでから畔の草刈りをしていたそうで

今朝は立ち上がれない程の痛みに襲われたらしい。

居室から事務所に下りるのも苦労で何とも憐れな姿である。

整体に行けば少しは楽になるだろうと出掛けて行った。


義父の留守中に宅配便が届きまたスマホで衝動買いをしたようだ。

振込用紙が入っているはずなので開封したらびっくりで

何と「シワ消しクリーム」が入っていた。

彼女さんに頼まれたのかもしれないと思ったが帰宅した義父に訊ねると

「俺が使うがじゃ」と応えたので失礼ながら笑うしかない。

もう直ぐ83歳になろうとしているのに何と云うことだろうか。

可笑しくてならなかったが義父のシワが伸びるのを思い浮かべていた。


昼食を食べ終わるとまた草刈りに行くと云う。

腰痛もしかりだが熱中症も気になり引き止めたが頷くような義父ではない。

痛み止めの薬を飲みよたよたしながら田んぼに出掛けて行った。


おかげと云うのも申し訳ないが久しぶりに定時で終えることが出来た。

やっとカーブスへ行けるので嬉しくてならない。

お仲間さん達がそれぞれに手を振ってくれて大歓迎である。

今日は計測があったが筋肉量は29%だった。

まだまだ脂肪に満たされておりどうしようもない。


筋トレ中にお客さんから電話があり修理代を支払いたいとのこと。

市内に勤務している人なのでサニーマートで待ち合わせをした。

しかしいくら待っても姿が見えず汗びっしょりになる。

どうやら私が場所を間違えていたらしく

お客さんも私の姿を待ち侘びていたようだ。

走り寄って来てくれたお客さんの顔を見るととてもほっした。

エアコン修理のお客さんであったがガンガンに冷えているとのこと。

クレームもなく順調で何よりに思う。


4時過ぎに帰宅。そのまま5時まで自室で過ごす。

今日は「サラダ記念日」であったが俵万智さんのポストは無かった。

ラジオで聴いて知ったのだが実際には「唐揚げ」を作ったのだそうだ。

カレー味の唐揚げで彼氏がとても美味しいと喜んでくれたらしい。

そこで一句だが「唐揚げ」では字余りになってしまうので

夏らしく「サラダ」にしたのだそうだ。

日常のほんのひとコマであるが彼女はそれで大きく羽ばたいたのである。

そうして今は成功者としてその実力を発揮し続けている。

そんな俵万智さんを遠い目で見ている私が居た。

いくら手を伸ばしても届かないそんな存在を思い知る。


何を書いても認められない。

同人誌のD氏からは「誰も読んではいないから」と突き放された。

心を込めて詠んだ短歌も「ぼろ屑」となり消えて行く。

才能が無いと云ってしまえばそれまでだが

踏みにじられた哀しみを葬る術を未だ知らずにいる私だった。


※以下今朝の詩


     不器用

  鉛筆の芯は折れる
  消しゴムは転がる

  それはよくあることで
  どうってことはないが

  カッターナイフで鉛筆を削るのが
  苦手な子供であった
  消しゴムは走るように転がり
  優しい誰かが拾ってくれた
  そうして投げてくれたのだが
  上手くキャッチ出来ないのだ

  不器用な子供であった
  細かい作業は苦手なので
  いつも大雑把に仕上げた
  絵を描くことも苦手で
  画用紙を半分に折って
  絵の具を塗りたくり
  広げて見ると素晴らしく
  芸術作品に見えたが
  先生にこっぴどく叱られた

  何をやっても上手く出来ない
  美しいものは遠ざかっていく

  それはおとなになっても変わらず
  歳を重ね老いを感じる今になっても

  不器用に生きている
  このまま死んでしまうのは
  惜しいなと思うのだけれど
  仕方ないことなのだろうか

  せめて微笑みながら逝きたい






2026年07月05日(日) ホトトギスと雀

雨のち曇り。午前中は雷雨となりプチ嵐のようであった。

気温は25℃を超え不快な蒸し暑さとなる。

私があまりにも汗をかくので夫に異常だと云われた。

もしかしたら「多汗症」かもしれないと病気になりたがる。

しかし病院へ行けばただの汗っかきだと云われるだろう。

朝から汗が止まらず髪の毛は洗ったかのように濡れていた。


雨の中、買物に行こうと外に出れば娘が植えていた「青葱」が

まるで病に侵されたようにぐんにゃりと枯れている。

ちょこっと葱が欲しい時に重宝していたので残念でならない。

やはりプランターでは育ち難いのだろうか。

たかが葱と思うが野菜作りもそうそう簡単ではなかった。


お昼にはまた巨大なお好み焼きを作り夫と半分こにして食べる。

下田まで行けばテイクアウトのお店があるが

家で作った方が安上がりでもあり美味しくもある。

食べ終わるなり今日もまたお昼寝三昧であった。


3時間程寝ただろうか。目覚めたら台所の流しが綺麗に片付いてる。

娘かと思いきや何とめいちゃんが洗ってくれたのだそうだ。

ご褒美に2百円あげたら満面の笑顔で喜んでくれる。

その笑顔がとても嬉しかった。


洗濯物を畳み終えてから5時まで自室で過ごす。

まだ4時前だったのに笠原メイさんが日記を更新していた。

今日は甥っ子さんの誕生日パーティーがあるのだそうで

いつもより少し早目に書いたのだそうだ。

病気を抱えていても微笑ましい時間があるのが何よりに思う。


それから暇つぶしに今年の4月の日記を読み返していた。

僅か3か月前の日記だと云うのに何故か懐かしい。

仕事の事、義父の事、あらあらと云う間の日々であった。

それにしても我ながら読みごたえがありすっかり自画自賛である。

またいつか読み返す日が来るだろう。それは10年後かもしれない。


ひと月分の日記を読むのに1時間を費やし煙草を10本も吸った。

暇つぶしにはなったが何と不健康な事だろう。

何とかして煙草を止めたいが思い切ることが出来ない。

真っ黒になった肺をこの目で確かめてみたいものだ。



今日は頻りにホトトギスが鳴き今も鳴き声が聴こえている。

どうやら眠らない鳥ではなかったようだ。

窓の直ぐ近くで鳴いていてもその姿を見つけられない。

赤い舌をしているのだそうだ。血を吐いたような赤い舌である。

肺結核を患っていた正岡子規が自分の身と重ねたのが納得出来た。


私は雀になりたい。ちゅんちゅんと鳴きながら空を飛びたい。

まだまだこれからの人生ならば「なりたい自分」を思い描く。

雀の寿命は知る由もないが百歳まで生きられるかもしれない。


※以下今朝の詩


     夜明け


  川向の山並みが薄っすらと見える
  靄のような雲がたなびき
  今日も雨が降るのだろうか

  土手の道を老人と犬が横切り
  腰を屈めたその姿を庇うように
  犬はゆっくりと歩いている

  眠らなかったホトトギスが
  悲鳴のような声を残して
  山に帰って行った
  少しでも眠らせてやりたい

  日曜日の朝は靴下を履かない
  素足は心地よくふたつ並んでいる
  歩けば痛む足であったが
  足がなければ生きて行けない

  そろそろ雀が目を覚ます頃
  燕も空を飛び交うことだろう

  新聞配達のバイクが路地を縫う
  ことんと音をさせて新聞が届く

  真っ新な朝である
  昨日とは違うのだろう
  もう何度目の朝なのだろうか
 




2026年07月04日(土) 後ろ指決死隊

雨のち曇り。日中は本降りの雨となった。

「ざあざあ」と表現するべきだが「しょぼしょぼ」と聴こえる。

雨音に耳を澄ますのも愉快な事であった。

気温は25℃、そう高くはなかったが蒸し暑くてならない。

エアコンのお世話になりながら一日を過ごす。


今朝は峠道を越えてから道端の一段低くなった処に

木槿(むくげ)の花が咲いているのを見つけた。

毎年咲いていただろうに今年初めて見つける。

丁度ガードレールの下側なので見逃していたのだろう。

月曜日には車から下りて写真を撮ってみようと思う。


職場に着くと義父の姿がなかったので整体かなと思っていたら

友人の車を届けに大月町まで行っていたのだそうだ。

その友人も顔を見せてくれて事務所は賑やかになる。

ちょうど私は早弁をしていて大笑いになった。

今日の昼食は最悪で地場産店にはお弁当が一切なく

仕方なく菓子パンとカップ麺を買って来ていた。

しかもカップ麺にお湯を注ごうしたらポットの電源が切れており

肝心のお湯が出ない有様であった。

「何なんだこれは」と自分でも可笑しくてならない。

お湯が沸くまで義父の友人と漫才のように話していた。

早弁はせめて11時なのだそうだ。

私はいつも10時過ぎに食べるのであまりにも早過ぎるのだろう。


仕事は部品待ちで宅配便が来るのを待ち兼ねていた。

ちょうどその合間にオイル交換のお客さんが来てくれる。

予約なしの来店であったが雨で仕事が中止になったとのこと。

毎朝5時に家を出て愛媛県の現場まで通っているのだそうだ。

毎日100キロ走行しているので直ぐにオイル交換時期が来る。

ホンダの古い軽トラックだが走行距離は20万キロを超えていた。

60代だが独身で猫と一緒に暮らしていたが

その猫を交通事故で亡くしてしまったそうで憐れでならない。

独り暮らしとなり何の楽しみもないが

寝て起きて仕事に向かう毎日だけが張り合いになっているそうだ。

元気な内は働きたい。それは私も同じ気持ちである。


お昼前にやっと部品が届く。義父が確かめ同僚に指示をしていた。

しかし複雑な修理らしく今日の納車は無理なようである。

車検で入庫していたので義父に相談すれば

月曜日になるとのことで久しぶりに定時で仕事を終える。

皮肉なものでカーブスは午後から休みであった。

結局今週も一回しか行けなかったことになる。

こればかりは臨機応変にと思う。また行ける日があるだろう。


帰り道にはFMラジオで「たかちゃん」の声を聴けた。

今日も「にゃあにゃあ」言っていて愉快でならない。

昔のよしみであるがすっかりファンになった。


買物を終えて4時前に帰宅。20分程自室で過ごしてから

茶の間で寝転び夫とテレビを観ていた。

いかにも土曜日らしい番組である。


5時になれば一気に気忙しくなり今夜もまたダンス教室である。

娘のピッチの早いこと。手際よくちゃちゃっと夕食を整えていた。

めいちゃんは今週二回学校に行けた。

毎日でなくてもそれが精一杯であることが分かる。

水曜日には学習塾にも通い始めてやる気満々であった。

昨夜も茶の間で遅くまで勉強をしていて何と明け方の3時半である。

娘夫婦も私達祖父母もそんなめいちゃんを見守ろうと決めた。

「学校」と云う型に閉じ込めなくても伸び伸びと過ごすこと。

それが子供にとって一番大切な事ではないだろうか。


今朝は少ししんみりとした詩を書いた。

例のくみこさんが最も嫌う詩である。

予想通り反応はなく「いいね」もなかったが

なんだかそれがすっきりと心地よくてならない。

ようは誰にも媚びない事である。

どれほど後ろ指を差されても私は「わたし」を貫きたいと思う。


※以下今朝の詩


      記憶

  何処だろう此処だろうか
  手探りで生きている

  硬ければはっとして
  柔らかならほっとする

  幼い頃の記憶は朧気であり
  初めて歩いた日を知らない
  母に抱かれたことも
  父に背負われたことも
  それはきっと柔らかなこと

  少女時代の哀しみは
  大きな傷跡になり
  今でも疼き続けている
  私は自分が可哀想でならない
  それはきっと硬いことである

  救われて励まされた日々は
  心の拠り所となった
  出会いもあれば別れもある
  縁は尊く支えられていたのだろう

  老いてしまえば全てのことが
  在るべきことだったと思える
  おそらくそれが運命であり
  歩き続けて来た結果であった

  柔らかな記憶と硬い記憶が
  渦のようにぶつかり合って
  心を掻き乱しているが
  生きていて良かったと思う

  最期の日まで忘れはしない




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