曇り日。にわか雨が降ったり薄日が射したりと忙しい空。
気温も29℃と梅雨らしい蒸し暑さであった。
いつもの朝の道であったが思いがけない事がある。
先日散ってしまっていたねむの木の花が満開になっていた。
それはとても信じられないような光景である。
ねむの木の習性には詳しくないが、もしかしたら二度咲く花かもしれない。
何だか夢を見ているような気持になり今朝は写真を撮った。
明日の朝もきっと咲いているだろう。楽しみでならない。
職場に着くと義父がそわそわと落ち着かず
辛い腰痛を抱えながら畔の草刈りに出掛けた。
「やらんといかん」がもう口癖になり決して弱音を吐かない。
痛み止めを飲み過ぎるとまた腸に潰瘍が出来るのではないかと心配であった。
しかし明日からまたしばらくは雨の予報なので今日しかないのだろう。
月末の経理は安泰。取引先への支払いは昨日の内に済ませてあった。
今日は社会保険料の引き落としがあったが預金残高に余裕がある。
おまけに支払いのお客さんが三人も来てくれて大助かりだった。
おかげで資金は潤い奇跡のような月末となる。
母が助けてくれているのに違いないと思う。
きっとはらはらしながら見守っていることだろう。
2時を過ぎても義父が帰って来なかったので目の前が明るくなった。
今日こそはカーブスへ行けそうだ。うきうきと嬉しくてならない。
定時で仕事を終えられるのは久しぶりのことである。
自動車専用道路を時速90キロで走り抜けた。
一週間ぶりだろうか、お仲間さん達と笑顔を交し合う。
もうその時点で昨日までの鬱々した気分はすっかり晴れていた。
しかしカーブスを終えるなり義父から電話があり
同僚の仕事の事で散々文句を云われる。
昼食を食べに帰ったら同僚が車検整備をしていなかったらしい。
明日はまた大型車が入庫するので義父も心配になったのだろう。
とにかく私の段取りが悪いように云うので一気に辛くなった。
農作業に行くなと云うのではない。社長は義父なのである。
同僚に指図をし段取りをするのが社長の仕事ではないだろうか。
全ての段取りを私に任すこと自体が間違っていると思う。
長い電話となりやっと義父を宥め電話を切った。
むしゃくしゃする気持ちのままサニーマートへ行ったら
駐車場でカーブス仲間のS子さんに会った。
今日は来ていなかったので残念に思っていたが
偶然に会えてとても嬉しかった。
「また会おうね」と笑顔で手を振って別れる。
S子さんはいつも親身になってくれて一番好きなお仲間さんだった。
夕食は「すき焼き」に決める。3割引きの窪川牛を3パック買う。
それでも予算オーバーだったが「どんとこい」と思った。
大船に乗った気分でたまには贅沢も必要である。
夫がまるで肉に飢えていたように食べていた。
その口元が気持ち悪くてならない。
昔はキスもしたのにいったいどうしたことだろう。
私は糸こんにゃくと豆腐だけ食べて「ごっちょさん」と席を立つ。
また夫を置き去りにしてしまったが自室に行けばほっとする。
今朝は中学時代の恩師の詩を書いたが
詩人の「高山京子」さんが読んでくれるのをずっと待っていた。
しかしやはり駄目だった。私が期待し過ぎていたのだろう。
「まあそんなもんだろう」と潔く諦める。
期待はしない方が良い。思い通りにいかないことばかりである。
雑魚が鯛に期待するなんて何て愚かなことだろうか。
それよりも雑魚は雑魚らしく真っ青な海を漂うのが良い。
※以下今朝の詩
京子先生
国語の授業が大好きだった 京子先生は物静かで 大きな声を上げることはない
騒いでいた男の子達も静かになり まるで母親を見るように 不思議とおとなしくなる
「幾山河 越えさり行かば 寂しさの」 京子先生は節をつけて歌ってくれた その透き通るような声が教室に響く
窓から潮風が舞い込んで来た 海であることは永遠に変わらない
旅人が仰ぐ空は果てしなく続き どれほどの哀しみも癒されていく
京子先生は歌い終わるとふっと 遠くを見るような目をした 少女時代もあったのだろう 恋をしたこともあったのだろう
私は京子先生に母を重ねた それはとても切ないことだったが 現実のはざまでふっと夢を見る
随分と歳月が流れたが 京子先生の歌声は生涯忘れることはない
概ね晴れ。久しぶりの青空であった。
気温も30℃に達し真夏日となる。
憐れでならないのは紫陽花の花でぐったりとなり
枯れ始めた花は今にも息絶えてしまいそうだった。
元気なのは畑の夏野菜で特に茄子は鮮やかである。
山里の県道の道端であるがまるで一面の茄子畑のようだ。
他人事ながらこれほど植えて食べ切れるのだろうかと思う。
おそらく茄子が大好物なのだろう。それも微笑ましいことだ。
幸いその地区には猿の被害がないようで何よりであった。
今朝は途中でお客さんの家に寄り一緒に職場へ行く。
昨日車のバッテリーが上がり道端に乗り捨ててあると云う。
昨日は日曜日で対応出来ず今朝になってしまった。
職場に着くと同僚が出勤していて三人でその場所へ向かう。
エンジンは直ぐに始動しお客さんは大喜びで帰って行った。
出張料だけのサービス仕事であるがこれも大切なことに思う。
義父はまた整体に出掛け午後から一気に忙しくなった。
例の外車の車検であるがスムーズには行かない。
一時間以上も費やしやっと車検が通る。
義父も同僚ももう二度と御免だとぼやいていた。
二時になっており今日もカーブスを諦める。
書類作成もありとても定時では帰れそうになかった。
潔く諦めた方が焦ることもなく気分的には楽である。
記録簿を書いていた義父が前回の記録簿を見たがっていたが
車内にそれはなくお客さんも昨年中古車で買ったらしい。
車検証に「整備工場コード」が記載されており
AIの響君に訊ねたら長崎県内の整備工場であり驚く。
お客さんにとっては憧れの「ハマー」であったが
はるばる長崎から来たとは知りもしなかっただろう。
3時半過ぎにやっと帰路に就いた。
ぐったりと疲れており夕飯の献立も思い浮かばない。
少し鬱の症状も感じられこれでは駄目だなと思う。
どんなに疲れていてもカーブスへ行けば元気になった。
心地良く汗を流しリフレッシュしていたのだろう。
それが叶わないことでこれほどメンタルをやられるのか。
あの明るく朗らかだった私は何処に行ってしまったのだろう。
明日こそはと思うがそれも明日になってみないと分からない。
なんだか麻薬が切れたような禁断症状が襲って来ていた。
このままカーブスに行けなかったら死んでしまうかもしれない。
それは考え過ぎだが一気に気分が滅入っているのは事実である。
そうなればまた劣等感が襲って来る。
私は駄目だ。何をやっても駄目だと思う。
詩を書いても短歌を詠んでも誰にも認められやしない。
それでも必死になって書き続けることがとても愚かなことに思える。
今朝は中学時代の怖ろしくてならなかった教師の詩を書いた。
決して思い出ではないはずなのにその顔をはっきりと憶えている。
※以下今朝の詩
馬
「馬」と呼ばれていた教師であった 確かにその顔を見れば「馬」である
転校生だった私は 穏やかな山村から海辺の町へ 同じ高知県であっても 言葉はまったく違っていて 荒々しく怒っている様に聞こえた
「馬」は生徒たちから怖れられていて 暴力は日常茶飯事である 女の子にも平気で暴力をふるった
胸にナイフを忍ばせていた男の子は 」 護身用だったのかもしれないが 机に傷を付けたり突き刺したりして その目は異様な輝きを放っていた
「馬」に見つかれば殺されるかもしれない どれほどはらはらとしたことだろう 「馬」ならやりかねないと思った
教室の窓からは穏やかな海が見えたが 「馬」の授業になると荒れ狂っていた 今日は誰が殴られるのだろうか 私かもしれないと怖ろしくてならない
昭和の時代のことであるが 思い出とは言い難い記憶であった
還暦の同窓会に出席した時 「馬」が病死したことを知った
もうこの世に「馬」が存在しない ほっとした気持ちと裏腹に 何だか「馬」が憐れでならなかった
曇りのち晴れ。久しぶりの青空であったが爽やかとは行かず
梅雨の時期特有の蒸し暑さであった。
今朝はいつも通りに4時に目覚めたが二度寝をし5時まで寝ていた。
何も急ぐことはないゆったりと時間が流れる日曜日の朝である。
夜が明けてから詩を書いたがいつもとは違う詩になったようだ。
夫は朝食が出来るまで茶の間で過ごすのが習いであるが
昨夜はまあちゃんが泊まりに来ており茶の間で寝ていた。
めいちゃんには自分の部屋がなく可哀想でならないが
夫は8時には寝室へ行くのでそれからはめいちゃんの部屋である。
来年には中学生になるのでこのままではいけないと思うが
娘夫婦は全く気にしていない様子であった。
子供部屋は在るがあやちゃんが占領しており無理な話である。
昔は娘の部屋で4畳半の狭さもどうしようも出来ない。
朝食後は9時前まで自室で過ごす。
SNSを一通りチェックしてから今年の一月の日記を読んでいた。
わずか半年前のことなのに何故か懐かしくてならない。
毎日仕事のことを書いておりお客さんの顔も目に浮かんだ。
義父や同僚のことも皆が「その日暮し」である。
私も毎日頑張っていた。我ながら「よくやった」と思う。
最後の詩も「そこそこ」に書けており 自画自賛である。
数編選んでから秋の文学賞に応募してみるつもりだが
未発表の作品に限られているので推敲が必要になる。
それも面倒だが労を惜しんではいけないのだろう。
昼食は昨夜の野菜炒めを入れて「ちゃんぽん」を作った。
残りご飯で「ビビンバ」も作り大満足である。
川向に新しいラーメン屋さんが出来たので夫に話したら
来週あたりに行って見るかと云ってくれて嬉しかった。
直ぐ近くなので夫も億劫に思わなかったのだろう。
昼食後は茶の間で倒れ込むように寝ていた。
今日もだらしなく3時間も寝入る。
めいちゃんと遊び疲れたのかまあちゃんが帰って行った。
夫はテレビを観ていたがつまらないのでまた自室に籠る。
今度は今年の2月の日記を読み返していた。
それは良しとしてひっきりなしに煙草に火を点けてしまう。
おまけに西日の差し始めた部屋の何と暑いことだろうか。
我慢出来なくなりまた茶の間に戻りテレビを観るしかない。
「どっきり」だろうか。観ていればけっこう面白かった。
やっと5時になり娘と夕食の支度を始める。
今夜は「鰹のひっつけ寿司」で娘とつまみ食いをしながら作る。
鰹は土佐佐賀産ではなく長崎産だったが脂が乗っていて美味しかった。
孫達には玉子のお寿司を作っていたが
あやちゃんは3時に昼食を食べたそうでお寿司は夜食になるだろう。
それでも台所に来て笑顔を見せてくれたのが嬉しかった。
めいちゃんは夕方まで隣の地区の公園で遊んでいて楽しかった様子。
しかし明日のことを訊いてはならない。
それはめいちゃんが決めることであった。
おそらく宿題もしていないだろう。
今夜も遅くまで茶の間で過ごすことになりそうだ。
午後8時を過ぎた。外はもうすっかり暗くなっている。
仕事のことを考え始めたらきりがなく少しいきり立っているようだ。
明日はあしたのことと思うが落ち着くことが出来ずにいる。
この日記を書き終えたらSNSで短歌と俳句を詠むのが日課だが
果たして書けるだろうかと心細くてならない。
※以下今朝の詩
曇りのち晴れ
ちゅんちゅんと雀の声が 夜明けを知らせてくれる
窓を開け放すと灰色の空 今日の天気は曇りのち晴れ 久しぶりにおひさまに会える
新聞配達のバイクの音 川向の販売店からやって来る 雨の日も風の日も休みはしない
土手の道には犬と老人が歩いている もう何年も見て来た姿であったが 犬も老人もすっかり年老いてしまった
除草作業が終わった土手には もう姫女苑の花が一輪もない 雑草として刈られてしまった 何と切ないことだろうか
雀の声に負けないように ちちちちちと燕が鳴いている 巣立ったばかりの幼い姿に 朝陽が射し始めることだろう
大きく息をする 朝の風がこころに溢れそうな朝だ
雨のち曇り。風も強まることもなく静かな雨であった。
台風7号は昼間のうちに土佐沖を通過し
今は東海地方から関東に向かっているようである。
高知県は幸いにも台風の影響は殆どなく何よりに思う。
もうひとつの台風は温帯低気圧に変わったそうだが
まだ大雨の心配があるだろう。油断は禁物である。
どうか大きな被害がないことを祈るばかりであった。
地震も頻繁にあり何と不穏なことだろうか。
平穏は決して当たり前でない事を改めて感じる。

仕事は同僚が通院のため午前中は工場も静まり返っていた。
義父ものんびりモードで穏やかな時間を過ごす。
例の外車の車検整備が完了していたが車検は午後にすることになった。
お昼の間に義父が乗用車で何処かへ出掛けて行く。
車検もあったので直ぐに帰るだろうと待っていたが
2時を過ぎても帰らず連絡も在りはしなかった。
私も待ちくたびれてしまって定時で帰ることにする。
仕事の疲れもあったのだろう少しでも家で横になりたかった。
3時にはサニーマートへ着いていたが車が停められない。
「あったかパーキング」には無許可の車が多くあり
何と非常識な人が居るのだろうと悲しくなる。
しばらく待っていたが出て行く車はないので
仕方なく駐車禁止地帯に車を停めてしまった。
もし注意されたらその時のことである。
ゆっくりとは行かず大急ぎで買物を済ませた。
3時半には帰宅しておりほっと肩の荷を下ろす。
茶の間で横になる前に自室でアイスコーヒーを飲んだ。
煙草ももちろんで一気に2本も吸ってしまう。
笠原メイさんの日記はSNSではまだ更新されていなかったが
ダイレクトで見ると既に更新されており読むことが出来る。
何だかこっそり覗いているような罪悪感もあったが
誰よりも先に読めることが嬉しくてならない。
「詩と思想」の7月号にまた詩が入選したのだそうだ。
6月号にも入選していたのでアマゾンに注文してあったが
発送が遅れているそうで未だ届いていなかった。
あれこれ調べていたら出版社から直接購入できることが分かる。
送料も無料とのことで有難く早速6月号と7月号を注文した。
一週間ほどで届くとのことで楽しみでならない。
5時からは夕食の支度であったが娘の姿がなかった。
15分程遅れてやっと台所に来てくれる。
娘も疲れていたのだろう居眠りをしていたそうだ。
5時半からダンス教室へ行くので手の込んだ物は作れず
夫にはイカのお刺身を与えその場を凌いだ。
元気いっぱいのめいちゃんが跳びはねるように準備をして
娘と一緒に出掛けて行き何だか夢ではないかと思う。
今週もずっと学校を休んでいたとは思えなかった。
昨日の夕方には担任の先生も来てくれていたのだ。
きっと「理由」があるはずだが誰も知らないことである。
娘はあまり心配していないようなので私達祖父母もそうしたいと思う。
今頃は大好きなダンスを楽しんでいることだろう。
笑顔で居られる時間がとても尊く感じられる。
※以下今朝の詩
透明
透明であること 手のひらで掬えば 節くれだった指が 柔らかく見える
随分と働いて来た 重い荷も難なく運び 髪を振り乱して来た
仕事は生きる糧であり 食べなければ死んでしまう 疲労は心地よく身に沁みる
老いの坂道は辛いが 上り続けるしかない 雨の日も風の日も ひたすら上り続けている
透明な雨が降る 青くもなければ白くもない 濡れてしまえば尚更のこと いっそこのままと意を決す
どのような生き方であっても 嘆くことはしないでいよう
受け止めればカタチなどない 触れることも掴むこともせず 降り続く雨を見ている
日中は強雨の予報だったが殆ど降らず。
気温も夏日となり不快な蒸し暑さであった。
台風7号は今夜のうちに土佐沖を通過し
8号も伴い明日は関東を直撃しそうである。
いったいどれ程荒れるのか見当も付かない。
今日も京都等で豪雨により道路の冠水や川の氾濫があったそうだ。
四万十川も上流地域でかなり降ったらしく濁流が流れている。
四国直撃は免れてもとても他人事には思えず
どうか大きな被害がないことを祈るばかりであった。
朝の道では数日前からねむの木の花が満開になっていたが
今朝は殆ど散ってしまい何とも憐れな姿であった。
道端の民家の畑の隅にあり低木の小さな木である。
昨年は見た記憶がないので最近植えられたのかもしれない。
それとも種が飛んで来て根付いたのだろうか。
それにしてはあまりにも成長が早過ぎるように思う。
民家の人も楽しみに愛でていたことだろう。
「咲けば散る」それは自然の掟でありどうすることも出来ない。

仕事は今日も義父が居てくれて朝から活気に満ちていた。
車検整備済みの車にエアバックの警告灯が点灯し消えない。
消去しない限り車検は通らない決まりである。
義父が「AIに訊いてくれ」と云うので響君を頼ったが
私の説明が不完全だったらしく的確な回答が得られなかった。
よくある例としてアドバイスをしてくれたが
思うように行かず義父は苛立つばかりである。
挙句には「AIと直に話すことが出来んのか」と無理なことも云う。
結局はディーラーに相談することになり義父は市内へと走った。
その時点で2時を過ぎており今日も定時で終われそうにない。
例の代車を買い取ってくれたお客さんが3時に来てくれると連絡があり
もうカーブスどころではなくなり来店を待っていた。
高齢女性であるが頭はしっかりしており車代も支払ってくれる。
おまけに自動車税も支払ってくれることになり大助かりだった。
しばらく雑談をしていたが亡き母とは飲み友達だったそうだ。
カラオケも好きでよく一緒に歌っていたそうである。
母の思い出話に花が咲き私も嬉しくてならない。
母より三歳年下で秋にはもう85歳になるが
今回の事故の事もあり免許返納を考えているらしい。
しかし車は手放さずお孫さんに譲る予定なのだそうだ。
くれぐれも安全運転でと見送り私も帰路に就く。
ふっと気づけばカーブス教の信仰が薄れている。
毎日の日課だったのが今週は一回しか行けなかった。
熱しやすく冷めやすい性分を思い知るばかりである。
4時過ぎに帰宅。笠原メイさんの日記を読んでから茶の間で過ごす。
今日も4編の詩を書いたのだそうだ。才能があってこそのことだろう。
私は駄目だなと思う。今朝も思うように書けなくて苦しかった。
その「書けない」ことを詩にしたのだが我ながら最低だと思う。
AIの響君はいつも励ましてくれるが応えられない不甲斐なさがある。
ああ駄目だ駄目だ。そう思うとしばらく立ち上がれなくなるのだった。
それでも書きたくてならない。一日一編の詩に命を賭けている。
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」ようにその内まともになるだろう。
しかし決して自分に銃口を向けてはならない。
※以下今朝の詩
無題 落書きさえも書けない 真っ白い紙がまるで 一反もめんのように ひらひらと追い駆けて来る
少女の頃の詩は拙くて 恋に恋をしていたけれど 老いてしまえば恋を忘れ 命にしがみつくばかりである
枯れ始めた花の儚さは 言葉には出来ないのだ 胸を締め付けるような切なさを 書いてしまえば愚かな感傷となる
俯いてばかりはいられない すくっと胸を張り歩もうとする
最後には必ず希望をと 心掛けて来たけれど 深い闇に足を踏み込めば 光は遠ざかるばかりであった
雨ばかりの日々が続いているが 雲の上には必ず太陽が在ることを 思い知らねばならない
朝のうちは小雨が降っていたが日中は殆ど降らず。
気温は24℃となり少し蒸し暑く感じる。
気掛かりなダブル台風は土佐沖を通過しそうであった。
直撃は免れるようだが明日はまた大雨の予報である。
今朝はまた青森で震度6強の大きな地震があった。
幸い津波の心配はなかったが大きな揺れで怖かったことだろう。
地震がある度に明日は我が身だと不安でならなくなる。
南海トラフ地震が起きれば津波は避けられず
海から5キロほど離れているが海水が押し寄せてくるだろう。
高台には立派な防災センターが出来ているがその時に何処に居るのか。
家に居れば避難が出来るが山里で仕事をしているかもしれない。
そうなれば帰宅困難となり家族にも会えない可能性もある。
あれこれと考えていると酷く追い詰められたような気持になった。

仕事は大いに順調。義父は今朝も整体に行っていたが
11時には帰って来てくれて仕事を始めてくれた。
車検整備完了の車があり今日中に納車しておきたい。
午後から車検となったがけっこう時間が掛かり
あっという間に2時になっていた。
もうカーブスどころではないと潔く諦め腰を据える。
書類作成中には来客があり大口の入金があった。
おかげで月末の目途が立ち何とほっとしたことだろう。
全く期待していなかったので余計に嬉しくてならない。
同僚は外車の「ハマー」と格闘していたが
思ったほど不備はなく明日には車検整備が完了しそうである。
いつも即金のお客さんなのでそれも楽しみであった。
3時前に納車。代車不要のお客さんだったので同僚と二人で行く。
車検が完了したので義父もほっとしたのだろう。
事務所でおやつのお菓子を食べていた。
一番好きなのは「かりんとう」で「お煎餅」も好きである。
食べ出したら止められない止まらないでカリポリと微笑ましい。
そんな子供みたいな義父を見るのがとても好きだった。
3時半に退社。義父が笑顔で送り出してくれる。
私も「また明日ね」と声が弾んでいた。
帰り道で地場産店に寄ったらお客さんのコナンと娘さんに会った。
「ニーナちゃん」はもう一歳を過ぎておりお人形さんみたいに可愛い。
「ベリーキュートね。ナイススマイルね」と声を掛ける。
コナンもすっかりパパになり抱っこする腕も逞しく見えた。
ニーナちゃんのきらきらと輝く青い瞳。さらさらの金髪。
何だか夢を見ているような気持になった。
「じゃあまたね」コナンの日本語も嬉しくてならない。
今日は何ていい日だったのだろうと思うずっと笑顔で過ごせた。
5時前に帰宅。慌ただしかったが笠原メイさんの日記を読む。
それから私の日記のランキングを確かめたら
何と2位になっておりびっくり仰天であった。
24年間書き続けて来て初めてのことである。
これはひとえに毎日「投票ボタン」を押してくれる人のおかげであった。
すっかり落ちぶれた書き手にとってこれほどの励みはない。
そうかと云って優越感に浸ることもなく
これからも劣等感に苛まれながら書き続けて行くことだろう。
これ以上もこれ以下もない「そこそこ」の私でありたい。
※以下今朝の詩
くすり
ほんの一粒でいいから おくすりをください
胃液に溶けるのではなく 感情に溶けていく そんな薬を求めている
押し寄せてくる痛み 気が狂ったように暴れる どうしようもない感情を 鎮めたくてならないのだ
ゆったりと大らかになりたい 全てのものが優しくなるように 穏やかな波に揉まれ続けたい
間違っているなら正そう 罪ならば素直に受け止め いくらでも償いたいとおもう
一度きりの薬である 天から処方されたのなら 手を合わせて空を仰ぎたい
ゆっくりと薄れていく痛み もう苦しむことは在りはしない
一粒に救われ一粒に希を託す
今は止んでいるが日中は土砂降りの雨であった。
気温も低目で随分と涼しく肌寒さを感じる。
鹿児島県内では線状降水帯が発生し家屋の浸水被害があったようだ。
赤ちゃんを抱いた女性が救助の船で避難している映像が流れる。
水は一気に増えたそうでどんなにか怖ろしかったことだろう
ダブル台風と梅雨前線。明日も何があるやら分からない。
台風は週末にかけて関東を直撃しそうである。
四国も油断はならず細心の注意が必要であった。

今日は義父が整体を休んでくれて順調に仕事が捗る。
腰痛は辛そうであったが一生懸命に頑張ってくれた。
例の事故車は廃車にすることになりお客さんには今貸している代車を
買い取って貰うことになった。同じ車種なのでお客さんも喜んでくれる。
商談は13万円に決まり直ぐに支払ってくれるそうだ。
車検は来年の12月まであるのでお買い得ではないだろうか。
同僚は午前中に車検整備を済ませ午後から例のブレーキ修理である。
キャリパが錆びついていたので随分と手間取ったが
やっと修理が終り納車することが出来た。
明日からはまた新たな車検整備である。
定時を少し過ぎてから土砂降りの雨の中を帰路に就く。
水曜日はリハビリの日で今日は診察もあった。
リハビリではまたU君と語り合えるのが楽しみでならない。
しかし自分からしゃべりだすようなU君ではなく
あれこれと会話の種を見つけては誘う患者であった。
何も話さずに目を閉じていると胸がドキドキするのである。
まるで季節外れの姥桜であった。
リハビリを終えるとレントゲンを撮ったが
ズボンを下ろさねばならずこの歳になっても恥ずかしい。
「女の子やもんね」と技師がバスタオルで覆ってくれた。
その後一時間も待ちやっと診察となったが
レントゲン写真を見ながら医師が唸っている。
左の股関節が3センチもズレているのが私にも見えた。
これ以上ズレると手術はとても難しくなるのだそうだ。
仕事をしている限り手術はとても無理である。
「もうええけん、このまま死ぬけん」と医師に云ったら
「死にゃあせんけん」と苦笑いをしていた。
5時に帰宅。直ぐに娘と夕食の支度を始める。
今日は娘に買物を頼んであったのでメニューが楽しみであった。
3千円の予算であったが「鰹のタタキ」があり驚く。
「スマ鰹」であったが脂が乗っておりとても美味しかった。
夫と夕食を食べながら今日のレントゲンの話をしていたら
「歩けんなったらどうするがぞ」と責めるように云う。
夫はもちろんのこと娘や息子に迷惑を掛けるのは目に見えている。
「けんど、会社があるやんか」と私が歯向かうと夫は静かになった。
無理なことは夫も承知なのだ。けれども心配でならないのだろう。
即手術に臨めるような時間的余裕は全くない。
それよりも月末に向けて如何に会社を守るかが重要であった。
自分の足よりも会社が大切だと云っても過言ではないだろう。
毎日のカーブスとU君の施術のおかげで私は歩くことが出来る。
しかしその陰には気遣ってくれている家族が居ることを忘れてはならない。
歩けなくなったら潔く死のう。それも思い上がりなのだろう。
※以下今朝の詩
扉
とんとんとん 誰かが扉を叩いている かちゃりっと鍵を外す
見知らぬ人であったが 何処かで会ったような 懐かしさが込み上げて来た
あなたはだあれ どこから来たの
天の国から来たのだそうだ 「たましい」には名前がなく それなのに呼んで欲しいと云う
おはいりなさい 遠かったでしょ
椅子に腰掛けたたましいに ブラックコーヒーを淹れた
ひとくち飲めば涙をこぼす 生きている時には 毎朝飲んでいたのだそうだ
どんな人生だったのだろう 思い残すことはもうないのか
部屋に声がこだまする その声も何故か懐かしい
またいらっしゃいね もう鍵は掛けないから
扉は静かに閉まった いったい誰だったのだろう きっと名前があるはずだった
それは雨の夜のことである
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