大雨にこそならなかったが雨が降ったり止んだり。
しばらくは梅雨空が続きそうである。
台風七号に加え八号も発生し列島に近づいているようだ。
二つの台風が合体したらいったいどうなるのだろう。
大きな被害がないことを祈るばかりである。
今朝はめいちゃんが「行って来ます」と元気に登校した。
それ程の安堵があるだろうか。とてもほっとした朝である。
何だか今まで悪い夢を見ていたような気がした。
とにかく今後何があろうと温かく見守ってやりたいと思う。

仕事はまた新たな車検が2台入庫。同僚が頑張ってくれる。
義父は連日整体に通っており藁にも縋る思いであった。
今日もお昼には帰って来たがやはり痛み止めが必要である。
憐れでならないが無理を承知で頑張っていた。
整体の帰りに買物をして来たそうで「浅漬けの素」は
昨日愛子ちゃんから貰った胡瓜を漬けるのだそうだ。
「なんぼでも食えるぞ」と嬉しそうに話す。
自炊にもすっかり慣れて栄養管理も怠らない。
青汁も高麗人参も飲んでおり健康にも心掛けている。
しかしいつ何があるやら分からず義父も不安なことだろう。
義祖父は若くして心臓発作で亡くなっている。
私は会ったことがないが普段からとても元気な人だったそうだ。
午後から義父が仕事を始めたので一気に忙しくなり
今日もカーブスを諦めようと思っていたが
それとなく義父に相談したら「帰れや」と云ってくれてほっとする。
定時を少し過ぎていたので大急ぎで帰路に就く。
FMラジオは沢田研二特集で「勝手にしやがれ」が流れていた。
3時過ぎにはカーブスへ着いていたが尿意を催しトイレに向かう。
ショッピングセンターなのでトイレは遠く一ヵ所しかない。
杖なしで歩くにはとても辛い距離であった。
行きは何とか歩けたが帰りは足が棒のようになりまともに歩けない。
やっとカーブスへ戻るとコーチが心配して駆け寄って来てくれた。
情けないことこの上なく筋トレも思うように出来ない。
息を整えながら無理をしないように出来る範囲で頑張った。
お仲間さん達も声を掛けてくれ「車椅子やね。ポータブルトイレやね」と
冗談交じりであったが大笑いになって楽しかった。
買物を終えて4時過ぎに帰宅。笠原メイさんの日記を読んでから
5時まで茶の間で横になってテレビを観ていた。
温泉で5歳の男の子が行方不明になり捜索が続いているようだ。
わずか3分の間にいったい何があったのだろう。
どうして両親と一緒に浴槽から出なかったのだろうと思う。
残念でならないが親御さんの気持ちを思うと心が痛むばかりである。
夕食は「茄子と胡瓜」茄子は仕舞が着いたが胡瓜はまだ沢山あった。
義父を見習って漬物にするべきかもしれない。
ニンニクをスライスして「スタミナ漬け」が良いだろう。
今夜も夫と差し向かいで食べたが、夫の座が長いこと。
私はとっくに食べ終わっていたので「ごっちょさん」と席を立つ。
それが何だか後ろめたくてならない。夫を見捨てるような気持である。
さっさと食べなさいと急かしている様にも感じた。
6時を過ぎたら娘達が夕食を食べ始めるが
今夜も夫婦だけで孫達の姿は見えなかった。
もうそれが当たり前になっていることが切なくてならない。
老婆心とは厄介なもので娘夫婦にとっては大きなお世話なのだろう。
サザエさんやちびまる子ちゃんの家のようには行かない。
やはり少しずつ日が短くなっているのか
今は7時50分、もう外はすっかり夜の帳が下りている。
隣室からはめいちゃんの笑い声が聞こえているが
あやちゃんの部屋からは何も聞こえない夜であった。
※以下今朝の詩
雨音
雨だれの音が耳に心地よい ぽぽたんぽぽたんと歌いながら 輪になって踊っているようだ
かなしいことがあった日は どうして雨が降るのだろう 涙が雨と手をつないで マイムマイムを踊り出す
けれども笑顔にはなれない 無理に微笑んでしまえば 顔がくしゃくしゃになる
傘を差していては踊れない 髪から滴が落ちて来れば 水溜まりになれるだろうか
泣きたいだけ泣けばいい
空にはかみさまがいて よしよしと声が聞こえて来る
踊り疲れたらゆっくりと休もう 繋いだ手を離す時は寂しいけれど その温もりは消えやしないのだ
ぽぽたんぽぽたんさようなら
今度会う日は青空がいいね
半分青かった空が次第に雲に覆われ午後には少しだけ雨が降る。
そんな梅雨らしさを愉しんでいた。
朝の道では枯れ始めた紫陽花が切なくてならず
恋をしている少女なら涙を流すことだろう。
恋をしていなくても哀しい。それは女の名残かもしれない。

仕事は午前中に消防車の点検があった。
殆ど走行していないのは平和な証拠であったが
3ヶ月ごとに必ず点検をする決まりになっている。
お昼前には市内からはるばるタイヤ交換のお客さんが来てくれた。
まだ作業を始めていない内から即金で代金を支払ってくれる。
それも大雑把に消費税を抜いた金額だったが
常連のお客さんなので大サービスとする。
午後一にはオイル交換のお客さんが来てくれた。
今年の始めに新車を購入してくれて2度目のオイル交換である。
オレンジ色の「ハイゼットジャンボ」で昨日は川遊びに行っていたとのこと。
そうしたらダムの放流があり危うく車ごと沈んでしまいそうになったそうだ。
まだ若いお客さんで子供さんを連れて行っていなくて何よりである。
その後は高齢のお客さんのブレーキ修理であったが
昨年市内で中古車を購入したらしく完全な整備不良であった。
ブレーキのキャリパはすっかり錆びついていて同僚が難儀するばかり。
高齢者でなくても中古車を購入する時は慎重に選ばねばならない。
2時前に久しぶりに愛子ちゃんから電話があった。
今日は「花」ではなく「茄子と胡瓜」である。
家庭菜園で食べ切れないほど収穫したそうで例の如くで
「すぐに取りにお出で」と待ったなしであった。
定時で帰りたくて気忙しさもあったが大急ぎで駆け付ける。
胡瓜は20本、茄子は10本、ピーマンも10個あった。
義父と同僚にも分けたが残りも多く有難いことである。
とんぼ返りで事務所に帰れば支払いのお客さんが来てくれた。
雑談を少し。とうとう3時になってしまう。
その時点でもうカーブスは諦めねばならない。
ふっとカーブス教にのめり込むのも程々にしなければと思う。
とにかく仕事が一番である。それが常識ではないだろうか。
優先順位を決めて臨機応変に過ごさねばならないのだ。
サニーマートまで帰り着けばセルフレジで「よしむらさん」に会った。
今日はいつも以上に忙しそうで走り回っている。
それでも私を見つけると直ぐに駆け寄って来てくれて有難いこと。
何でも中国人の団体客が来ていたそうで振り回されていたらしい。
セルフレジは簡単なのだがスムーズに行かなかったのだそうだ。
私が「ニイハオよ」「シェイシェイよ」と云うと大笑いになった。
よしむらさんは私の荷物をカートに載せると
「雨が降り出したけん気を付けて帰ってよ」と笑顔で見送ってくれた。
足が不自由で障害者の端くれであるが親切が身に沁みて胸が熱くなる。
サニーマートを出てから市内の中古部品屋さんへ走った。
義父が注文していた部品が品違いで返品しなければならない。
けっこう重かったので車内であたふたしていたら
「すぎもと君」が見つけてくれて車まで取りに来てくれた。
それからやっと家に帰ろうとしたら運送屋さんの車が2台も停まっている。
車を回すことが出来ず仕方なくバックで出ようとしていたが
ハンドル捌きがイマイチで上手く道路まで進めなかった。
そうしたら事務員さんの女性が外に飛び出して来てくれて
「オーライ、オーライ」と誘導してくれて大助かりである。
何だかこの世の全ての人が親切で優しい人ばかりに思えた。
おかげで帰宅出来たがもう4時半である。
横になる暇もなく5時まで自室で過ごしていた。
「高知県文芸賞」の案内が今年も届いていた。
去年は佳作だったので今年こそはと思う。
身の程知らずかもしれないが「挑戦」してみたかった。
貶されて踏みにじられたことを思い出すと口惜しくてならない。
雑草だって石ころだって生きているのだと思う。
古希の挑戦である。このままでは死んでも死に切れないのだ。
※以下今朝の詩
お涙頂戴
ぐるぐるぐる 頭の中で記憶が回っている ぶつかったり転んだりして 少しも静かになってくれない
「むかし」を書けば お涙頂戴になってしまう もうそう云うのはよそう
決して苦労ばかりではなかった それなのに辛かったことばかり 思い出してしまうのだった
記憶が傷ついているのだろうか その傷口が今も残っているのなら 幸せの薬を塗ってやらねばならない
いつまでも少女ではいられない 駆け上がるように上った階段に いったい何を落として来たのだろう
振り向けば青い春 真っ白だった夏があり 色づくことを覚えた秋 そうして冬に私は生まれた
「泣きなさい笑いなさい」 歌声が心に沁みて来る
記憶は留まることをせずに ぐるぐると回り続けている
二十四節気の「夏至」一年で最も日が長い日である。
明日からは少しずつ日が短くなるが
季節は真夏に向かい厳しい暑さとなるだろう。
今日も30℃の真夏日となり不快な程の蒸し暑さであった。
我慢出来なくなり茶の間のエアコンを初めて点ける。
もう光熱費を気にする場合ではなくなったようだ。
「父の日」でもあり今朝は夫に「一風に行こうかね」と誘うと
「おう、行ってもええな」と応えてくれてとても嬉しかった。
しかし出掛けようとすると「何処へ行くがぞ?」と首を傾げる。
焦って今朝のいきさつを話すと「行くとは言ってないそ」と宣う。
すったもんだしていたが私の云い分が通り「やったあ」と声が出た。
宿毛市の一風まで僅か20分程のプチドライブであったが
嬉しくてならず夫を「彼」と呼びたくなった。
今日はラーメンセットを食べる。半炒飯がとても美味しかった。
いつものことだが食べ終わると直ぐに帰宅するのが習いである。
お腹は満腹になっており帰宅するなりお昼寝だった。
途中で何度か目を覚ましたが結局3時まで寝入る。
気怠い寝起きで自室に籠り煙草を立て続けに吸う。
気分が悪くなっても吸い続けるどうしようもない有り様だった。
電話が鳴り山里の郵便局の車が配達中にパンクしたとのこと。
とても困っている様子で義父に連絡したら引き受けてくれる。
日曜日であっても「お助け隊」の義父がとても頼もしく思う。
それから一時間程去年の日記を読み返していた。
自分の詩がとても新鮮に感じる。書いた記憶が殆どないのである。
SNSでは過去の詩を読むのは困難なので
日記に書き残して置いて良かったと思った。
いずれはネットの藻屑になる詩ばかりであるが
まるで我が子のように愛しく感じられた。
夕食は父の日なので奮発してステーキにしたが
今日は安価な輸入肉が無く仕方なく高価な「窪川牛」を買い求めた。
定員さんに訊いたら今日は入荷無しとのこと。
父の日の商戦としか思えず何だか「やられたな」と思う。
あまりに高価なので娘が驚き「もったいない」と云っていたが
娘婿も父親である。たまには柔らかで美味しいお肉を食べさせてやりたい。
「一風」にも行っていたので財布が一気に寂しくなった。
明日からまた「働いて、働いて」頑張ろうと思う。
今日も車中で夫と話していたのだが私の収入が無くなれば
家計は一気に苦しくなり毎日の食費もままならぬなる。
年金だけでは暮らして行けない今はそんな世の中であった。
「いつまでもこの家には居ないから」と娘は云うばかりであるが
もう直ぐ同居を始めて12年目になろうとしている。
決して別居を望んでいる訳ではないが先が思い遣られるばかりだった。
本来なら長男である息子に家を譲るのが一番であるが
娘達と同居をしている限りそれは無理な話しであった。
10年が20年になれば孫達も立派な大人になる。
それぞれの未来があり私と夫は死んでしまうかもしれない。
残す財産は土地と家だけである。
娘や息子にどれほどの苦労をかけることだろうか。
「その時にならんと分からんな」夫と頷き合ったことだった。
午後7時50分。まだ外は夏至の名残を残している。
父の日でありながら何も出来なかった義父を想うばかりであった。
※以下今朝の詩
風
泣いているような風である かなしいことがあったのか その声に耳を澄ましている
雨の季節に微笑むことは 難しいことではあるまい
雨ならば雨を受け止め 在りのままの空を仰ぐ
こころに水溜まりが出来れば 幼子のように飛び込めばいい そうして童心を懐かしむのだ
厚い雲の彼方から声が聴こえる 泣きじゃくることは容易いが こころがそれを許さなかった
風は深呼吸をしながら息を整える 雨を伴う風であっても苦しくはない
吹けば吹くほどに満たされていく
今日も梅雨空であったが時おり薄日が射す。
気温は29℃と高く随分と蒸し暑い一日だった。
南海上に台風7号が発生したとのこと
今は西に向かっているが東に向きを変えれば
また列島に接近し少なからず被害をもたらすだろう。
梅雨前線を刺激し大雨が降る怖れがあるのだそうだ。
除草作業の時期となり四万十川の土手も一面の雀色となる。
可愛らしく咲いていた姫女苑も跡形がなかった。
山里の県道も同じく今朝も除草作業をしていた。
作業員は村民で日雇いのアルバイトなのだそうだ。
日当が一万円らしく数日働けばけっこうな収入となる。
男性ばかりではなく女性の姿もあり驚く。
小雨決行で余程の雨でない限り作業は続けられていた。

義父は高知市へ出張。また整備振興会の役員会である。
もう高齢なのでそろそろ身を引けばと思うが
他に適任者がいないのだそうだ。
自分が出席しなければ始まらないとばかりに颯爽と出掛ける。
工場の仕事は車検予約もなく同僚ものんびり待機であった。
午前と午後にオイル交換のお客さんがあっただけである。
どちらも掛売上で今日の収入にはならなかったが
今のところ資金は潤っており特に問題はない。
これも田舎ならではのことなのだろう。
営業時間は5時半までだったが同僚に5時で終えるように伝え
私は定時でさっさと帰路に就く。
土曜日の午後はカーブスが休みなので何の楽しみもなかったが
一週間の疲れもあり家に帰って横になるのも良いだろう。
「FMはたらんど」のたかちゃんも3時からの放送なので
少ししか聴けなかったが今日も「にゃあにゃあ」しゃべっていた。
最後に居酒屋へ飲みに行ったのはいつだったろうかと思う。
それこそ過去の日記を読み返して見なければ分からなかった。
買物を終えて4時前に帰宅。少し自室で過ごしてから
茶の間で夫と面白いテレビを観ていた。
めいちゃんはふた従姉妹のまあちゃんの家に遊びに行っていて
今夜のダンス教室も一緒に行く約束をしているようだった。
今日は参観日だったのだが今朝は上機嫌で学校へ行く。
昨日の朝のこともあり何だか狐につままれたような気分である。
しかし笑顔で登校してくれてどんなにかほっとしたことだろうか。
夫も娘もあっけらかんとしている。私も見習わなければならない。
ここ数日の事よりも「これから」だと思う。
家族の期待を一心に受けてどれほど頑張って来たことだろう。
そのプレッシャーはとてつもなく大きかったのだと察する。
「しんどい、疲れた、助けて」心の声を聞き逃してはならない。
子供にとっても大人にとってもほっと安らげる場所が必要なのだ。
※以下今朝の詩
怒
歳を重ねて来ると 喜怒哀楽の「怒」が薄れる そうして穏やかになると 生きづらい世の中も 難なく生きていけるのである
荒れ狂う空に壊される暮し 刃が光れば怖ろしくてならないが 遅かれ早かれ死ぬのだと思えば どうってことのない些細な事である
むしり取られた花の陰には 悔しさの蕾が残っている どうしてそんな事をするのかと 歯向かう前に涙がこぼれてしまう
誰にも侵されずに生きることは 容易い事ではなかったが 怒っても何も変わりはしない
青空にぽっかりと浮かぶ白い雲
風が吹けばどうしようもなく流れる
| 2026年06月19日(金) |
止まない雨がないように |
今日も梅雨空。小雨が降ったり止んだりだった。
朝からもう蒸し暑くエアコンのお世話になる。
枯れ始めた紫陽花。元気いっぱいのグラジオラス。
今朝は名も知らぬオレンジ色の花が咲いていた。
例の良心市の直ぐ傍で民家の人が植えているのだろう。
花の好きな心優しい人なのに違いない。
峠道を越えると母の友人の家だが
畑の作物を猿から守る為だろうネットを張り巡らしている。
しかし猿の器用な手に掛れば直ぐに破られてしまいそうだ。
まさに苦肉の策と云えるが少しは収穫出来るだろうか。
それから先は田園地帯が続いており早苗の緑が眩しい。
稲は順調に見えるがもういもち病が発生しているようだ。
また義父の苦労が増えることだろう。
稲刈りまで2ヶ月足らずである。稲の成長は驚くほど早い。

仕事は今日も義父のおかげで順調に捗ったが
例の事故車は取り合えず修理代の見積もりをすることになった。
オイルパン、ラジエター、マフラーも傷めているようだ。
縁石に乗り上げた時にかなりの衝撃があったのだろう。
同僚は車検整備が一段落し今日は外車の修理をしていたが
簡単に交換出来る部品にも関わらずお昼になっても終わらなかった。
義父は一切手助けをせず「やらして置け」と云うばかりである。
昨日の体調不良の事もあり私もそっと見守ることにした。
午後からは整備振興会の研修があり市内へと向かう。
まだ先の事だが車検完了の書類がペーパーレスになるのだそうだ。
簡単になるように思えてもネットを利用するのでとても複雑である。
研修で一通り習ったがやってみないと分からないと思う。
3時までの研修だったが早目に終りカーブスへ行けた。
足の痛みも殆どなく絶好調で張り切って頑張る。
お仲間さんと「晩ご飯は何にする?」と話したりもした。
買物を終えて4時過ぎに帰宅。15分程自室で過ごす。
笠原メイさんの詩は今日も素晴らしかった。
めいちゃんは今日も元気であったが
今朝はかん虫が起こり大声で泣き喚いていた。
「助けて、助けて」と叫んでおり可哀想でならない。
きっと余程のストレスを抱えているのだろう。
娘は出勤時間となり逃げるように出掛けたが
娘婿が仕事を休み待機してくれていた。
おかげで祖父である夫の出番はなかったが
私も夫もどんなにか心配したことだろう。
しかし一切の口出しをしてはならないと耐えるだけであった。
目に入れても痛くないほど可愛い孫である。
いったいどうしてしまったのだろうと心が痛むばかりだった。
6時過ぎにはあやちゃんの担任の先生が来てくれていた。
玄関先で娘の笑い声が聞こえ何だかとてもほっとする。
一度も会ったことのない生徒のために時間を割いてくれたのだ。
それが仕事だとしてもどれほど有難いことだろうかと思う。
悪いことばかりではない。嬉しいこともきっとある。
どんな境遇であってもちいさな花は咲くだろう。
そうして止まない雨がないように青空の日がやって来る。
信じること。守ること。決して光を見失ってはならない。
※以下今朝の詩
こころ
自慢するようなことは 何も在りはしないが 胸を張って生きている
野辺ならば雑草であり 海ならば雑魚であった
黄色くてちいさな花だ 名だってちゃんとある
釣り人が海に戻す魚にも 確かに名があるのである
花として生きて良いのか 魚として生きて良いのか
心細くてならない時も 胸を張り続けて来た
蔑まれ踏まれた日もある 海で仲間外れにされたことも
それでも生き永らえて来れたのは 一心を貫くような「こころ」である 誰にも侵されることはない 微笑むことも輝くことも出来る
俯けば涙がこぼれそうになる だからこそ胸を張って 守り続けて行かねばならない
曇り時々雨。朝のうちは青空が見えていたがお昼前には雨になる。
いかにも梅雨らしくじめじめと蒸し暑い一日になった。
義父の彼女さんがニンニクの花を持って来てれたのだが
窓を閉め切ってエアコンを点けると匂いが充満してどうしようもない。
薄紫の可愛らしい花だったが仕方なく外に置くことにした。
せっかくの好意であり残念であったが独特の匂いには勝てやしない。
私は今日まで花が匂うことを知らなかった。
外に置いてあれば気を悪くするかもしれないが
義父の許しを得ておりちゃんと伝えてくれるだろう。

義父は午前中に整体に行き午後から工場の仕事に励んでくれた。
エアコン修理はほぼ完了であるが事故車は思いがけない破損である。
義父なら直せないことはないが修理代が高額になりそうだった。
やはり中古車を勧めた方が良さそうで義父が交渉を引き受けてくれる。
もっと早く気づくべきだったと悔やまれたが
義父のせいにしてしまえばあまりにも憐れであった。
同僚は今日も車検整備をしていたが体調が悪いとのこと。
コロナやインフルの心配もあり近くの診療所に行かせたのだが
発熱も風邪の症状もなく「肩凝り」ではないかとの診断であった。
忙しい日が続いていたのでそれも無理のないことに思う。
訊けば日曜日も休まず草刈りをしていたらしい。
もう若くはないのだ。ゆっくり休むことも大切である。
義父が仕事をしていると私も忙しくなり定時では終わりそうにない。
しかし「カーブス教」の信者になったからには何としてもと思う。
何とか義父の許しを得て逃げるように帰路に就いた。
仕事の事も気掛かりであったが元気に明るく筋トレに励む。
お仲間さん達と交わす笑顔が嬉しくてならない。
買物を終えて4時過ぎに帰宅した。
夫にめいちゃんのことを訊けば「黙っていろよ」と忠告された。
今日も学校に行けなかったのだ。もう3日も休んでいる。
今朝はいつも通りに起きて朝食を食べていたのだが
洗面所で私に会うと「おばあちゃん今日も行きたくない」と云う。
咄嗟に私も「休んだらええよ」と応えたのだった。
行きたくない理由を訊いてやれば良かったがそれは母親の義務だろう。
老婆心丸出しの私が訊いても娘に叱られるだけである。
しかしあやちゃんとは違う何かがありそれが希望に思えた。
朝の憂鬱は直ぐに治まり夕方には笑顔で元気溌溂のめいちゃんである。
夫にもこんこんと云われたがとにかく見守ることだろう。
不登校と決めつけてはいけない。きっと立ち直れるのだと思う。
娘も悩んでいるようだったが何も云ってはくれなかった。
相談してくれたらと思うが娘にとっては余計なことなのだろう。
誰にだって「特別」がある。ストレスが当たり前の世の中で
おとなも子供もどれほど我慢を強いられていることだろう。
おとなは仕事を休めないが子供は自由であるべきに思う。
強制的に学校へ行かせても子供は傷つくばかりである。
その傷を癒すのは親であり家族しかいないと私は思う。
泣き声がすればはらはらと心配でならない。
笑い声がすればほっと胸を撫で下ろしている私であった。
※以下今朝の詩
紫陽花
花びらが茶色になる 盛りを過ぎれば切ない やがてそれは化石になる
誇らしい初夏であった 特に雨の日は輝き 微笑みを絶やさない 愛でられることに慣れて 蔑まれることを知らなかった
たくさんの花びらである 青や白や薄紫の色となり まるで永遠のように思えたが 何かを失うかのように 茶の色に染まり始めた
夏が深まっていく 陽射しが痛くてならない けれども決して嘆きやしない
季節が巡ればまた咲くだろう 根を張り逞しく息を紡いでいく
目を反らしてはならない 最後まで見届けてやろうと思う
朝のうちは小雨だったが次第に本降りとなる。
「ざあざあ」ではなく「しょぼしょぼ」と聴こえる雨だ。
朝の道の紫陽花がどんなにか喜んでいるだろうと思ったが
もう盛りを過ぎたのか茶色の花びらが目立つようになった。
残念だが次第に朽ち果てて行くことだろう。
そうして化石のようになり季節を乗り越えて行く。
ずっと昔から咲いている紫陽花ばかりでその生命力に驚かされる。
人は枯れて尽きても魂が残るが「根」にはなれないようだ。
輪廻転生を繰り返して生まれ変わってもまた違う人生が待っている。
前世の記憶も失われてしまうのだった。

仕事は何とか順調になり義父も同僚も一生懸命である。
今日も一日車検が入庫していたがお昼過ぎには完了していた。
エアコン修理の義父はとうとう痛み止めを飲んだそうで
休み休みであったがやっとエアコンが効くようになった。
早ければ明日には納車出来るだろう。
後は事故車の修理であるが義父の腕なら一日で完了するかもしれない。
腰の痛み次第であるがきっと何とかなるだろう。
工場が気になったが整形外科のリハビリがあり定時で退社する。
病院へ着いた頃には雨も小降りになっていた。
雨の日は患者さんが少ないらしく駐車場も空いている。
キャンセルもあったようで直ぐに順番が来た。
今日も目を閉じていたがU君が話し掛けてくれて嬉しい。
お昼にオムライスを食べたことを話したりする。
U君は今日もおにぎりとカップ麺だったそうだ。
美味しいオムライスを食べさせてやりたくなった。
でもカップ麺は毎日でも飽きないくらい好きらしい。
4時前には病院を出て買物を済ませていたが
取引先の部品屋さんに用事があり寄り道をしていたら帰宅が遅くなる。
もう寝転ぶ時間もなかったので5時まで自室で過ごしていた。
SNSは相変わらずで私の詩は評判が悪い。
やはり褒めてくれるのはAIの響君だけである。
笹原メイさんも云っていたが「いいね」の数が気になってならない。
しかしゼロではないのだ。もっと足るを知るべきだろう。
今朝は夫の少年時代の詩を書いた。
夏になるとよく話してくれる思い出話であったが
聴く度にきらきらと眩しくてならない。
夫が四万十川の汽水域で泳いでいた頃
私は上流の山村で水遊びをしていたのである。
やがては出会う日が来る事など知りもしなかった。
もしかしたら前世の魂が川を下って来たのかもしれない。
それが「縁」に繋がったのだろう。
夫は私の詩を一切読むことはないが
書き残すことが私の使命のように思っている。
※以下今朝の詩
対岸
石ころを拾って投げる ぽちゃんと水の音がした
河口に近い汽水域である 川辺を歩く人は多いが 川で泳ぐ人はいない 浅瀬はなく危険な深さである
昭和の時代には 川のほとりに小学校があった 桜の木がある小高い山の上だ
夏になると子供達は川で泳ぐ 皆泳ぎが達者で 対岸まで泳ぎ切る子ばかり 坊主頭の少年の姿が目に浮かぶ
対岸にはスイカ畑があったそうだ 「うまそうだな」誰もがそう思う そうしてとうとう盗んでしまった 罪悪感よりも甘いスイカだったそうだ
少年はおとなになり川漁師になったが 川船を操るのは好きでも 漁をするのはあまり好きではなかった
昭和が平成に代わり 対岸へ渡る橋が出来た もう泳がなくても良い 自由に対岸に行くことが出来る
少年はすっかり老人になり 夏の思い出を語り始めた
あの日投げた石ころは 深い川の底で眠っているのだろう
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