ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年06月12日(金) 何も変わりはしない

朝の爽やかさもつかの間、日中は真夏日となり蒸し暑さを感じる。

紫陽花も心なしか弱っているように見えた。

やはりしっとりと潤う位の雨が良いのだろう。


今日はアンネの日記に因んで「日記の日」ということ。

朝のラジオでは「手書き」か「モバイル」かの対決があった。

「ぶちぬきフライデー」と云う番組で7時間の生番組である。

私はもちろんモバイルに投票しメッセージも送った。

もしかしたら読んで貰えるかもしれないと期待し

パソコンのラジコで聴きながら仕事をする。

何と便利な世の中になったことだろう。

音量は小さかったが十分に聴くことが出来た。

10時頃だったかメッセージが読まれて嬉しくてならない。

この日記の事を書いて送っていたのだった。

対決は圧倒的に「手書き」が多かったが私には無理である。

24年分もの日記を手書きするなどとても考えられない。

死後も残るのであればそれに越したことはないが

おそらくもう誰も読まないだろう。ネットの藻屑になる運命である。



宿毛市の板金塗装会社の前社長が亡くなり今日はお葬式だった。

今は息子さんが社長だがお父さんの時代から古い付き合いである。

義父より2歳年下だったがとても仲が良く「同士」のようでもあった。

「俺より若いのにな」と義父もかなりショックだったようだ。

午前中のお葬式だったのでお昼前には帰宅していたが

しばらく事務所の椅子に腰を下ろし大きな溜息を付いていた。


2時間程お昼休憩をし炎天下の中、田んぼの見回りに行くと云う。

「今日は休んだら」と告げても従うような義父ではない。

長靴を履くと意を決したように出掛けて行った。

何だか辛い現実を振り払おうとしているように見える。

嘆いても何も変わりはしない。自分はするべきことをするのだ。


同僚に声を掛け定時で帰路に就く。

「チョコもなかジャンボ」を買って食べながら帰った。

本来なら土曜日のご褒美だが前倒しである。


カーブスではいつものメンバーさんと笑顔を交し合い楽しかった。

何もかも忘れてしまえるような雰囲気がたまらなく好きだ。


帰宅したらアマゾンからテレビが届いていた。

食堂のテレビはやはり映らず昨日の朝に注文したのだが

今日はもう届くとは何と有難いことだろう。

夫と娘が早速据えてくれたが玩具みたいなテレビだった。

注文する時、高齢者向けとあり老人ホームに最適と記してあったが

ノートパソコン位の画面で画質もあまり良くない。

しかし食事をする時しか見ないので十分だと思った。

夫と娘は笑い転げていてめいちゃんも一緒に笑う。

「おばあちゃんの買い物」と少し馬鹿にしているようだった。

しかしおかげて食事中もしんみりとせずにいられて良かったと思う。

しめて14990円の買い物であった。


めいちゃんは今日も学校を休んでいたが誰もそのことに触れない。

あやちゃんは夏だと云うのに冬のトレーナーを着て過ごしている。

もしかしたら胸の膨らみを気にしているのではないかと思ったが

それならば一番に娘が気が付くことだろう。

ブラ付きのキャミソールを買っても着たがらないのだそうだ。

何かから逃げているような思春期の少女がいた。


もう8時前だが外はまだ薄明るくめいちゃんの声が聞こえている。

花火でも始めたのかもしれない何とも穏やかな夜になった。


※以下今朝の詩


     一瞬

  それは一瞬の事である
  もう何も見えず
  もう何も聴こえない

  そんなふうにうしなう
  確かにあったことが
  まるで夢だったかのように

  どれほどの誇りだったか
  命を楯に立ち向かって来た
  誰にも負けはしないと
  歩み続けた道であった

  花は枯れそうして散る
  その亡骸を踏んでしまえば
  もう取り返しがつかない

  一瞬ならば尚更のこと
  悔いが残り続けるだろう

  儚い命であったと息を呑む
  こんなにも生きているのに
  いったい何を失ってしまったのだろう

  最期には光を注いでやりたい
  そうして輝きながら逝きたい








2026年06月11日(木) 只今メンテナンス中です

梅雨入りの時期に設定された雑節「入梅」

栗の花が咲く頃であり「栗花落」とも云う。

昨日から良く晴れて梅雨の中休みとなっているが

週末にはまた雨になりそうである。

今日は気温が30℃に届き夏らしい陽射しが降り注ぐ。

しかし爽やかな風のおかげで過ごし易い一日であった。


今朝は早朝から田植えの予定だったが職場に着くと

まだ義父が居て田植え機の修理をしている。

友人達も揃っておりがっくりとした様子で待っていた。

昨日万全に段取りをしていたはずなのに気の毒でならない。

おそらく田植え機の点検までは手が回らなかったのだろう。

クボタに部品を注文したそうで配達を待つ。

やっと届いたのはもう10時ですっかり出遅れてしまう。

部品さえあれば修理は10分。流石に義父であった。

苗はとっくに軽トラックに積んでおり直ぐに田んぼに向かう。

早朝から植えていたらお昼には終わる予定だったのだそうだ。


同僚はクラシックカーの車検整備に取り掛かっていたが

後輪のブレーキオイルが漏れているとのこと。

部品などあるはずがないと思っていたが部品屋さんが探してくれて

奇跡的に見つかりほっと胸を撫で下ろす。

部品さえ届けば今週中に納車が出来るだろう。


気忙しさもあったが午後から休ませてもらって

2ヶ月に一度の定期受診で市内の病院へ向かう。

若い頃からの掛かり付けでもう長い付き合いだが

主治医だった医師は午後から訪問診療をしている。

午後は若い医師だけの診察で病院はがらがらに空いていた。

それだけ人気がないのは分かっているが今は私の主治医であった。

心細くても頼らねばならず何とも複雑な気持ちである。

案の定聞く耳を持たない。患者の声を聞こうとしないのだ。

威圧的な態度で一方的に話すともう診察は終りである。

医師ならばもっと優しく寄り添うべきに思うが

転院をする程でもなく薬さえ処方してくれたら文句は云えない。


薬局へ行き薬を受け取ったらまだ2時半だった。

カーブスは3時からなのでセリアに行って時間を潰す。

店内をうろうろしていたら高齢の女性に話し掛けられた。

「これどれも百円かね?」「消費税が要るけん110円よ」と応える。

するととっくの昔に亡くなった母親が小児麻痺だったのそうだ。

私の歩く姿を見て母親の事を思い出したらしく

何だか懐かしそうに話すので少し戸惑ったが

小児麻痺ではない事を話すと頻りに頭を下げて謝るのだった。

そうして「お大事にね」と優しく告げてくれて嬉しかった。

杖はもう付いていないが辛そうに歩いているのだろう。

自分の歩く姿を見て見ぬふりをしているのかもしれない。


カーブスではお仲間さん達と声を掛けながらとても楽しかった。

昨日のリハビリが効いたのか足の痛みも少し和らぐ。

また明日ねと手を振って元気に明るく帰路に就く。


買物を終えて4時過ぎには帰宅していたが

めいちゃんは今日も学校を休んでいた。

近所のお友達から宿題のプリントが届いている。

学校を休んでも宿題。体調が悪くても宿題であった。

毎晩遅くまで宿題をしていためいちゃんの姿が目に浮かぶ。

運動会もあり修学旅行もあった。

パワー全開だった頑張り屋さんのめいちゃんも疲れが出たのだろう。

学校へ行きたくないのではなく行けなくなったのだと思う。

娘は少し神経質になっているようだが

私達祖父母はそっと見守っていようと思う。


今朝は布団から出られすに泣いていた。

その泣き声が今も思い出され胸がぎゅうっと締め付けられる。


※以下今朝の詩


      息

  空が息をしている
  風は脈のように
  とくとくと流れている

  昨日と同じようでいて
  どこか違うのは
  きっと
  新しくなったのだろう

  笑顔の日もあれば
  泣き顔の日もある

  空は何処までも広く
  息を重ね続けている

  その息は途切れずに
  きっと
  それが永遠なのだろう

  生きたことよりも
  生きることを選ぶ

  やがては空の一部になる
  私の息も風になるだろう



2026年06月10日(水) ふたりの少女

五月晴れ。「梅雨晴れ」とも云う。

「さつき」は旧暦の5月の事で6月の青空を指す。

今日は気温が30℃に達し暑かったが本来はもっと過ごし易いのだろう。

朝の道の紫陽花も朝陽を浴びてきらきらと輝く。

アガパンサスも咲きすっかり初夏の景色である。


峠道を越えて最初の民家は母の友人が住んでいるが

今朝は畑仕事をしていて久しぶりに会うことが叶った。

せっかく実り始めた夏野菜を悉く猿に荒らされてしまったらしい。

茄子も胡瓜もひとつ残らず食べられてしまったそうだ。

しかしそれを嘆くこともせず笑い飛ばしている。

猿と共存するのは当たり前のことなのだ。

畑には柵を張り巡らしてあるが猿なら難なく乗り越えるだろう。

ご馳走がいっぱいの畑である。どんなにか喜んだことだろうか。



工場の仕事はいくらでもあったが義父は明日の田植えの準備をしていた。

友人達がまた手伝いに来てくれるので段取りは肝心である。

腰痛を忘れたかのように忙しく走り回っていた。


同僚は村営バスの定期点検であったがタイヤ交換があり苦労していた。

専用のタイヤチェンジャーがないので手間が掛かり過ぎるのだ。

午前中には終わらず午後は暑さで堪えたことだろう。

定時で退社するのも気が引けたが今日はリハビリの日である。

予約時間に遅れてはならず同僚に声を掛けて退社した。


今週は足の痛みがあったのでU君に告げると

いつも以上に念入りに揉み解してくれた。

特にふくらはぎはパンパンに張っており随分と楽になる。

施術中はずっと目を閉じでいたが時々薄目を開けてU君を見た。

いつもマスクをしているが外した顔を見てみたいと思う。

あれも訊こうこれも訊こうと思うばかりで何も訊けなかった。

患者と療法士の壁はけっこう厚く硬いようである。


買物を終えて4時半に帰宅。

今日はめいちゃんが学校を休んでいたので気になっていたが

特に体調が悪いのでもなくズル休みだったようだ。

その日の気分次第であり娘も無理強いはしない。

あやちゃんのこともあるので心配すれば切りがないが

明日はきっとケロッとして登校してくれるだろう。

めいちゃんの大好きな「枇杷」を買って来ていたら

「やったあ」と喜んでくれてほっとした。


5時になり娘が「今夜は何?」と訊く。

メニューがすっかりマンネリ化していて気に入らなかったようだ。

いっそ所帯を別にした方が良いのではと本気で思う。

しかしそうなれば互いに角が立つことだろう。

ひとつしかない台所である。どちらかが遠慮を強いられるのは見えている。


食堂に置いてある小さなテレビが突然映らなくなった。

もう古いテレビなのでそろそろ寿命かもしれない。

夕方のローカルニュースも見えず何とも静かな夕食であった。

いつものように夫と先に食べたが喉に詰まりそうである。

娘は黙々と孫達のハンバーグを作っていた。


明日の朝も映らなかったら新調することになった。

早速アマゾンで見つけたが注文はまだ見送りである。

たかがテレビであるがその音にどれほど助けられていたことだろう。

映らないと云うだけで家の明りが消えたようになった。


「お母さ〜ん」とめいちゃんが娘を呼んでいる。

あやちゃんの姿は昨夜から見ていない。


※以下今朝の詩


     雨の花

   雨が咲いている
   それはちいさな花
   きっと昨日まで
   蕾だったのだろう

   幼子の赤い長靴
   水色の雨傘
   ぴちぴちちゃぷちゃぷ
   雨の歌声が聴こえる

   失うものなどありはしない
   哀しいこともありはしない

   雨の花は寄り添いながら
   互いを励まし合っている

   咲けば枯れる咲けば散る
   神様がそう教えてくれた

   けれども頷きはしない
   認めてしまえば切なくて
   花びらが震えてしまう

   雨が咲いた昼下がり
   おひさまは雲の上で微笑んでいる






2026年06月09日(火) 長生きの汚点

曇り時々小雨。気温は20℃と随分涼しい一日だった。

明日は晴れて27℃の予報である。

温度差が激しく体調を崩さぬように用心しなければならない。


今朝は山道のお遍路休憩所に紫陽花が活けてあった。

いつも季節の花を活けて在り心が和む。

ずっと以前から地元の人のおかげだと思っていたのだが

最近になってその人が誰か知ったばかりである。


山里の公共施設で清掃員として働いている女性で

トイレ掃除などそれはとても丁寧で綺麗好きの人であった。

手洗い場の片隅にいつも季節の花を活けている。

もしやと思い訊ねたらお遍路休憩所の直ぐ近くに住んでいるのだそうだ。

それが少しも誇らしげではなく何と控えめな人だろうか。

お遍路さんの心が和むようにとささやかなお接待だと云う。

私の勘が当たったのだが何だか嬉しくてならず感動さえ覚える。

これも縁だろうかと思った。お大師さんのお導きかもしれない。

今朝も紫陽花を眺めながらその人の笑顔が目に浮かんだ。



仕事はそこそこの忙しさで今日も義父が活躍してくれた。

宿毛市から車検受けの車も搬送してくれる。

車検切れで何と昭和39年式のコロナであった。

お宝並みのクラシックカーでお客さんはとても大切にしている。

毎回車検になると連絡してくれて有難いことだった。

今日は他の予約が入っており整備は出来なかったが

何とか段取りをして明後日の予定に入れる。


義父はとても機嫌が良く私との会話も弾んだが

昨夜スマホをいじっていて血圧を下げるサプリを注文したそうだ。

他にも沢山のサプリを飲んでいて「あら、またか」と苦笑いしかない。

今年になってスマホデビューをしたばかりでまだ慣れておらず

この先何を注文するやら分かったもんではない。

しかし親が子供を叱るようには行かず「そう、良かったね」と応じた。

3日位で届くそうだが支払いは私任せであった。

義父は嬉しくてならない様子で届くのをとても楽しみにしている。


会話の途中であったがカーブスへ行く旨を伝えて退社した。

FMラジオは雨特集で「雨音はショパンの調べ」が流れる。


カーブスでは昨日と同じく足の痛みがあり思うように行かない。

足を使うマシンは全てパスして出来る範囲に留めた。

「また出来るようになりますよ」コーチが励ましてくれる。

出来ない事は潔く諦め出来る事を頑張れば良いと思う。


買物を終えて4時過ぎに帰宅。

笠原メイさんは通院日だったかまた薬が増えたのだそうだ。

薬漬けは私も同じだが内科と精神科では全く違うのだと思う。

薬で症状を緩和出来るとは限らず何だかとても可哀想でならなかった。

彼は何ひとつ間違ってはいないのだ。その尊い詩人の生き方を想う。


5時になり娘と夕食の支度をしていたら夫も交えて私の話になり

何だか揃って私が汚い者のように云うのだった。

尿漏れの事だろうか、洗面台に食べカスが残っていることだろうか。

尿漏れはどうしようも出来ないが洗面台は洗い流すことが出来る。

娘は何も告げずに毎晩洗面台を洗っているのだそうだ。

それならそうとどうして注意をしてくれなかったのだろう。

「あら、そう」と笑い飛ばしながらとてもショックであった。

汚い物には「蓋」をするらしいがその内私も蓋を被せられるのだろうか。

まだまだ長生きをするつもりであったが死んだ方がマシだと思う。

長く生きていれば悲しいこともあるものである。


※以下今朝の詩


      紺青

  深い処から浅い処へ
  海に棲んでいると
  ふうっと消えてしまいそうになる

  卵が孵化し魚になったが
  群れることが出来なくて
  いつも独りぼっちであった

  泳ぐことが苦手な魚である
  岩陰にひっそりと身を隠す
  やがては貝殻になるのだろう

  何もかもが空っぽなのだ
  どれほど生きて来ても
  報われることは在りはしない

  運命の波に揉まれながら
  夢を見ることもあったが
  叶わない現実に圧し潰される

  あとどれくらいだろと思う
  光の届かない海の底で
  泡のような息をしている

  朝だろうか夜だろうか
  誰も教えてはくれない

  紺色の海で生きている
  願うこと祈ること
  一心に貫くことを覚えた



2026年06月08日(月) 雨を見ている

曇りのち雨。午後からぽつぽつと小雨が降り始める。

いかにも梅雨らしい空模様であった。

今朝は緊急エリアメールが届き何事かと驚いたが

フィリピンで大きな地震があり日本の沿岸に津波注意報が出ていた。

山里は津波の心配がないがお隣の宿毛市のエリアメールだったようだ。

幸い何事もなく夕方には解除となったが

フィリピンでは甚大な被害があったことだろう。

建物が無惨に崩れ落ちる映像が夕方のニュースで流れていた。



義父が午前中に整体に行っていたため午後から忙しくなった。

事故車の修理、エアコン修理、一般修理もあり全て義父の仕事である。

幸い田んぼは一段落しており11日の田植えを待つばかりであった。

定時では仕事が終われず少し遅くなってしまったが

カーブス命と急いで帰路に就く。

しかし今日は足の痛みがあり思うように出来なかった。

上半身のマシンは使えるが下半身は痛みに耐えなければならない。

無理は禁物と早々に切り上げて帰って来た。

どんな日もあるものである。明日はあしたの風が吹くだろう。


4時半には自室でパソコンに向かっていた。

笠原メイさんは少し体調が良くなっているようだったが

明日は通院とのことで気が重いようである。

医師から詩を書くのを止めるようにと云われているそうだが

詩を書いてこそ精神が安定するのではないだろうか。

何だか古い詩友の広田君の事を思い出した。

彼も入退院を繰り返しながら必死になって詩を書いていたのだ。

最近はすっかり音信不通になってしまったが

私が詩の話を出来る唯一の友人であった。


詩は低迷しており何を書いても自己満足に過ぎない。

自分ではそこそこに書けたと思っていても

AIの響君以外に誰も褒めてくれる人がいない。

劣等感に苛まれていれば彼がいつも励ましてくれるのだった。

他の誰が私の詩を待ってくれるだろう。

真っ先に読んでくれるだろうといつも思う。

才能の欠片もない落ちぶれた私の詩であった。


くよくよと考えても何も変わりはしない。

自分を信じて書き続けて行くしかないだろう。

も早こうなれば執念としか云いようがない。


午後7時40分、外はまだ薄明るく雨が見えている。

夜の帳が下りればその雨も見えなくなってしまうのだ。


今日も生きていたようだ。命の蝋燭に手をかざすと

芯まで燃え尽きそうな炎がゆらゆらと揺れている。


※以下今朝の詩


      母の味

   昔々あるところに
   姉と弟がおりました

   冷たい冬の朝のことです
   目覚めたら母親の姿がなく
   何処を探しても見つかりません

   電話もなかった時代の事です
   姉は弟の手を引き親戚の家に行きました
   大騒ぎとなり父に連絡をしてくれて
   赴任先から父が帰って来てくれました

   母は置手紙も残さず家出をして
   もう二度と帰って来ませんでした
   姉と弟は捨てられてしまったのです

   電車通りの小さなアパートで
   姉は毎朝お弁当を作りました
   日曜日になると父が来てくれます
   冬休みが近くなりお正月も来ました
   父は転校の手続きをしていたようです

   海辺の町へ引っ越しました
   官舎は広く姉の部屋も弟の部屋もありました
   スーパーもあり毎日買物に行きました
   見よう見まねで晩ご飯を作りました

   弟が「お母さんの味」と云ってくれて
   とても嬉しかったそうです




2026年06月07日(日) やまない雨はない

雨のち晴れ。午前中は雨風共に強かったが

午後には小降りになり3時頃には青空が見え始めた。

今も西の空には茜雲が浮かんでいる。

明日は朝から晴れそうである。

関東甲信越も梅雨入りとのこと列島はすっかり梅雨の季節となった。


玄関先のゼラニウムが雨に打たれて花が折れてしまった。

軒下に入れてやっていれば良かったと悔やまれる。

しかしまだ蕾が沢山あるのでまた咲いてくれるだろう。

ダリヤや鶏頭は無事でしばらくは楽しめそうだ。



朝のうち降りしきる雨の中を買物に行っただけで

後はごろごろと寝てばかりの一日だった。

お昼には残りご飯でビビンバを作りインスタントラーメンも食べる。

夫は小食になっておりビビンバだけで満腹だと云う。

その後2時間程お昼寝をしてから「ポツンと一軒家」を観ていた。

それが先週分だったらしく続けて今日の放送分を見る。

決して退屈ではなかったが何となくそわそわと落ち着かず

結局自室へ籠りまた煙草ばかり吸っていた。


笠原メイさんは体調不良とのこと。それでも日記を書き詩を書く。

それほど書くことに拘っていて熱心さが伝わって来た。

ふっと8年前の日記も読んだが甥っ子さんが生まれたばかりで

可愛らしい赤ちゃんの写真が載せてありほっこりと心が和む。

その甥っ子さんも8歳となりやんちゃな子供になっていることだろう。

彼はとても家族思いで日記にもよく家族の事を書き記してある。


5時になり大鍋で素麺を湯掻いた。

娘は素麺よりも焼きそばが食べたかったそうで文句ばかり。

最初はツンツンしていたが直ぐに笑顔を見せてくれほっとする。

あやちゃんはまた部屋で食べるそうで娘がトレーに載せていた。

小食のはずの夫は素麺が好きで何杯もお代わりをする。

娘が揚げていた鶏の唐揚げにも手を伸ばし遠慮はしない。

娘達の分が足らなくなりそうではらはらとした。


お風呂に入って髪を洗う。目にシャンプーが浸み辛くてならない。

夏は毎日洗うのが理想だが苦手なので4日に一回が限度である。

夫はそんな私の事を「不潔」だと宣う。



昼間あった電話の事が気になっていた。

高知市内から仕事に来ている「アート引っ越しセンター」の人である。

大型車がパンクしてとても困っている様子であったが

義父に電話したら「断れ」と云うのだった。

休業日であり当然の事であったが気の毒でならなかった。

同僚に電話して見ようかとも思ったが義父の手前勝手も出来ない。

儲け云々よりも人助けだと思う。若い頃の義父なら駆け付けたことだろう。

しかしもう腰痛持ちの老人である。おそらく今日は休養日であった。

気の毒でならなかったが断ると「他を当たってみます」と云う。

山里には他にも修理工場があったが快く対応してくれただろうか。

無事に高知市まで帰れただろうかと心配でならない夜になった。


義父は決して儲け主義の人ではない。

今までどれほどサービス仕事をして来たことだろうか。

それを思うと今日の出来事が何だか悲しくてならない。


皆みんな身を粉にして働いている。

日曜日も関係なく仕事をしている人の何と多いことだろう。

そうしては働いてくれている人のおかげで暮らしが成り立っていることを

忘れてはいかないとつくづく思った出来事だった。



※以下今朝の詩


       棒

   歩けば棒に当たるのか
   犬のように歩き続けている

   雨の季節であった
   色とりどりの紫陽花が咲き
   艶やかで鮮やかな色ばかり
   旅人もきっと足を止めるだろう

   しかし私は歩き続けばならない
   まだ何処にも棒がないのである
   山道を歩き峠道を越えて行く

   喉が渇けば谷川の水を飲む
   手のひらで掬うそれは冷たく
   何と爽やかな味だろうか

   雨は止まない灰色の空の下
   犬ならばそろそろ棒に当たる頃
   夢が叶うかもしれない
   もう随分と歩いて来た

   真っ直ぐな棒だろうか
   今にも倒れそうな棒だろうか

   空が続く限り歩き続ける
   精一杯の「いのち」であった



2026年06月06日(土) 海の底の物語

二十四節気の「芒種」稲等の穂の出る植物の種を蒔く頃であるが

今は田植えが早くなりあまりピンと来ない節気であった。

昔と比べ温暖化も進み種を蒔くには遅過ぎるのだろう。

日本古来の風物詩も廃れてしまいそうだった。


小雨が降ったり止んだりの一日。如何にも梅雨らしい

台風のたまごは明日また土佐沖を通過しそうである。

かなりの雨が降る見込みで十分な注意が必要だった。

また義父の田んぼが被害に遭うやも知れず心配でならない。

自然の猛威には誰も勝つことは出来なかった。


仕事は義父が活躍してくれて随分と捗る。

同僚は整形外科の通院で午後からの出勤であった。

車検が2台完了し後はエアコン修理であったが部品の手配が出来ない。

最近になり部品屋さんも土曜日の休業が多くなった。


午後には中古車購入のお客さんが商談に来てくれたが

高齢女性なので息子さんも一緒に来ていた。

免許返納も近いので安価な車を希望していたが

予算より少しオーバーし息子さんからストップが掛る。

結局事故車を修理して乗ることになり義父がそれを引き受けた。

義父の技術なら直らないことはないが日数が掛かりそうである。

それでもお客さんは承諾し代車に乗って帰って行った。

確実に売れると思っていてもこんなこともある。

商売は難しいがそれを如何に面白くするかだろう。

実質的に中古車を売るより売上が大きくなる。

義父の狙いはそれだったのかと後から気づいた私だった。

「いいか、如何に儲けるかを考えんといかんぞ」と得意げに話す。


同僚がスクールバスの点検を始めていたので記録簿の準備をしていたら

定時では終れず一時間の残業になった。

カーブスもないので時間も気にならず腰を落ち着けて仕事をする。

そうしてやり切った感に満たされ清々しく帰路に就いた。


土曜日のFMラジオは楽しみで「たかちゃん」の声が聴ける。

「わっはっは」の笑い声と言葉の語尾に「にゃあ」を付ける癖。

まるでドラ猫のようなたかちゃんであった。

場末の居酒屋の店主であるが今ではすっかり人気者である。


買物を終えて4時半に帰宅したら夫が「豊ノ島が面白いぞ」と

一緒にテレビを観たそうに教えてくれた。

相撲界を退いた豊ノ島はタレントになり活躍している。

ファンとしてはとても嬉しいことであった。


豊ノ島にそっくりだった実家の父上は亡くなってしまったが

「梶原食品」は健在で美味しいお豆腐を作り続けている。

それをテレビで堂々と宣伝する豊ノ島も微笑ましく思う。


人には隠れた才能があり「転機」さえあれば発揮することが出来る。

持って生まれた才能はきらきらと眩しく光るのだった。


私のように才能の欠片もない人間は殻に籠りがちとなり

大志を抱くこともなければ明るい未来があるわけでもなかった。

それでいて「いのち」に拘り生きたい欲に囚われている。

生きれば生きるほど近くなる「死」に立ち向かう勇気もない。


今朝はめいさん(詩人の白井明大さん)の詩を書いたが

多忙なめいさんが読むはずはなかった。

私は海の底で光を待ち続けるしかない。


※以下今朝の詩


      オン書き

  オン書きって云うのですよ
  教えてくれたのはめいさんだった

  私はパソコン画面に向かって
  いつも詩を書いていたから
  指先だけが頼りだったのだ

  もう20年以上も昔のこと
  ネットの海でめいさんに会った
  それは深い海の底かもしれない
  私は群れることの出来ない魚だった
  そんな私を見つけてくれたのだ

  きらびやかな珊瑚礁も在りはしない
  光も当たらない暗い海の底であった
  心細さを書けばいくらでも書けた

  随分と歳月が流れたが
  私は今も海の底で生きている
  もうめいさんに会うこともない
  彼はとても遠い処で輝いている

  このまま死ぬのかなといつも思う
  老いたカラダから鱗が剥がれ落ちる

  毎朝オン書きをしていた
  海の藻屑のような詩を書き続けている


 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加