ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年06月02日(火) 6月の嵐

朝のうちは小雨だったが次第に雨風が強くなる。

台風6号は鹿児島県の南東を北上しているようだ。

高知県は今夜から明日の未明にかけて最も影響があるらしい。

明日は晴れの予報なので台風一過となるだろう。

しかし今夜は線状降水帯が発生する怖れがあり注意が必要である。


朝の山道では栗の花が見られるようになった。

黄な粉色の細長い花で綺麗とは云い難いが

雨を纏って風に揺れている姿には魅入られる。

そんな花がイガ栗になるのかと何だか不思議でならない。



今朝は義父の姿が見えず居室で休んでいるようだった。

特に急ぎの仕事もなかったので声も掛けずにそっとして置く。

腰痛もあり日頃の疲れが一気に襲って来たのだろう。

余程の悪天候でないとゆっくり休むことも出来ない。


午後には雨が強くなり早仕舞いをすることにした。

同僚は家が近いので留守番を引き受けてくれる。

一時に退社したのでカーブスは諦めたが

一度帰宅するともう行く気にはならなかった。

2時には帰宅しておりしばらくお昼寝をする。

雨音を聴きながら何とも心地よい眠りであった。

目覚めてから「ミヤネ屋」を見ていたがそわそわと落ち着かない。

結局は自室に籠り煙草ばかり吸っていた。

義父に電話をしたら「なんぞ?」と少し機嫌が悪い。

同僚も早めに帰らせてやりたかったので伝えると

「おう、そうしたらええ」と云ってくれほっとした。

する仕事はあったが明日の方が良いだろう。


笠原メイさんの日記を読み終えてから

今度は自分の10年前の日記を読んでいた。

十年一昔と云うがその通りであやちゃんは4歳、めいちゃんは2歳である。

あどけなかった姿が目に浮かび懐かしさが込み上げて来る。

その頃にはまだ家族団欒が当たり前だったようだ。

家族6人で賑やかに夕食を食べている光景も既に思い出となる。

書き残したことが全て思い出なのだろう。

そうして過ぎ去った日々は宝物のように心に残る。

今日もそうして過去になる。10年後にまた読み返してみたい。


明日からの修学旅行が楽しみでならないめいちゃんは

昨夜の内からもう荷造りをしていて準備万端であった。

驚いたのはショルダーバックではなくスーツケースである。

近頃の小学生はそれが主流なのだろうか。

何だか海外旅行に行くようで仰々しく見える。

しかしそこで老婆心を表に出してはいけない。

せっかく楽しみに準備ているのに水を差すようなことだ。


夜になり風がとても強くなった。

そうして地面を叩きつけるような雨である。

ざわざわと落ち着かないままこれを記したが

夜が明ければきっと嘘のように静まっているだろう。


今朝は高校時代の放課後の詩を書いたが

「いつまで遊んでいるんだ」と5歳年上の彼に叱られた。

学校まで迎えに来たのだ。それがとても嫌だったことは書けなかった。


※以下今朝の詩


       放課後

    まさひろ君のロッカーには
    秘密みたいなギターがあった

    放課後になると数人が集まり
    教室でフォークソングを歌う
    みんなNSPが大好きだった

    私の詩にまさひろ君が曲を付ける
    それはNSPに似ていたけれど
    まるで新曲のように聴こえた

    みんながうっとりとしている
    私は感動で涙が出そうだった

    開け放した窓から潮風が舞い込む
    真っ青な海が見える教室である
    それは正しく青春の色であった

    「夕暮れ時は寂しくて」
    最後にはいつもその歌である
    「また明日な」まさひろ君の声が
    解散の合図となり一日が暮れ始める

    こんな日がずっと続けばいいなと思う
    母のいない私はスーパーに買物に行った
  




2026年06月01日(月) 幻の家族団欒

曇り日。風があったおかげで過ごし易い一日だった。

九州南部が梅雨入りとのこと。高知も直ぐに後を追うだろう。

気掛かりな台風は沖縄の南部を北上していて土佐沖を通過しそうである。

明日は大雨の予報になっており身構えずにいられない。

広島も明日は雨のようだが明後日は晴れそうだった。

きっと無事に着くだろう。めいちゃん初めての修学旅行である。


朝の国道にも姫女苑の花が沢山見えるようになった。

大型車が通過すると今にも倒れそうに靡く。

しかし決して折れはしない逞しい姿であった。


山道にはドクダミの花が沢山咲いている。

白い十字架のような花で私はとても好きだった。

雑草として引き抜く人もいるようだが山道では安全である。

花に何の罪があるのだろうと思う。健気で可愛らしい花だ。



義父は腰痛が辛くてならず今日こそはと市内の整体に行った。

余程の痛みなのだろう。痛み止めを飲んでも効かないようだった。

予約制なので突然行っても受け付けてくれないかもしれないが

とにかく行って見ると藁にも縋る思いである。

お昼前には帰って来て施術をして貰えたのこと。

少し楽になったらしく笑顔を見せていてほっとする。

そのまま休ませてやりたかったが車検があり無理をさせてしまう。

私もお昼休憩なしで書類を作成していた。


工場には土曜日に入庫した緊急修理の車に加え

昨日はまた走行不能になった車があり同僚がレッカー搬送していた。

その車はもうエンジンが死んでおり修理不可能とのこと。

義父が云うのだから間違いないだろう。

お客さんに報せたら大変なショックを受けていた。


車検完了後、義父の愚痴が始まり延々と続く。

同僚の事もあれこれと文句を云うので憐れでならなかった。

しかし反論すれば大爆発をするので黙って頷くしかない。

丁度その時、義父の友人がひょっこり来てくれて助かった。

今度は友人を相手に中手の田植えの段取りを始める。


午後も来客があり定時では終われなかったが

カーブス命であり休むわけにはいかない。

先に始めていたお仲間さん達が手を振ってくれて嬉しかった。

ストレス発散にもなるのだろう気分がとても明るくなる。


買い物を終えて4時半に帰宅。直ぐに自室へ向かう。

既に日課となった笠原メイさんの日記を読むとほっとした。

淡々とした日常の事がまるで絵に描いたように見える。

今日も4編の詩を書いたのだそうだ。全部読みたくてならない。


直ぐ5時になり娘と夕食の支度を始めたが

今日は娘達にとステーキ肉を買って来ていた。

たまたま三割引きだったのでいつもより安く買えたのだった。

夫に見つからないように後から焼くようにと伝え

夫と私は赤魚の煮付けで済ます。それも久しぶりで美味しかった。


決して娘達の機嫌を取ろうと思ったのではない。

ただあやちゃんの喜ぶ顔が見たかったのだ。

しかし食卓にあやちゃんの姿が見えない。

今夜も子供部屋でひっそりと食べたのだろう。

老婆心は疼くばかりだがあやちゃんの自由である。

娘夫婦もそれが当たり前のように思っているようだった。


もはや我が家には家族団欒がない。

それも寂しい事だが受け止めなければならない。


日が暮れてからぽつぽつと雨が降り始めた。

明日の朝になってみないと分からないがどれ程の雨だろうかと思う。

例え土砂降りの雨であっても花たちは咲き誇る。

私も胸を張って精一杯に咲いていたいものだ。


※以下今朝の詩


      かなづち

   水泳の授業が始まると
   憂鬱でならなかった

   かなづちであることは
   水に浮かぶことが出来ず
   直ぐに沈んでしまうのである

   平泳ぎもクロールも出来ない
   いくら習っても沈んでしまう
   犬かきなら少しは出来たが
   10メートルが限度であった

   男性教師には胸毛が生えている
   それを見ると吐き気がした
   近寄らないで欲しかったが
   私を泳げるようにしようと
   教師も必死に手助けをするのだ

   とうとう記録会の日がやって来て
   何としても25メートル泳がねばならない
   プールサイドにはクラスメイトが居て
   「がんばれ、がんばれ」と応援してくれたが
   もう少しのところで私は沈んでしまった

   落胆の声が聞こえる
   情けなくて悲しくてならない

   それは私が最後に泳いだ日のこと
   もう52年もの歳月が流れた






2026年05月31日(日) 16年前の日記

曇りのち晴れ。気温は29℃に留まり苦にはならない暑さだった。

気になる台風は沖縄の南を北上中でそのまま土佐沖を通過しそうだが

太平洋側は大雨の予報になっており用心に越したことはない。

めいちゃんが3日から広島へ修学旅行に行くので

広島の天気予報ばかりを見ている。

幸い大雨の心配はなさそうだがしまなみ海道が無事に渡れるだろうか。

とても楽しみにしているので思い出に残る旅行にしてやりたい。


朝からごろごろと寝てばかり。無気力さながらの日曜日であった。

早朝に笠原メイさんの詩集を読む。やはり彼は天才だと思う。

きっと書くのが好きでならないのだろう書く喜びが伝わって来た。

詩の情景が目に浮かび同じ光景を見ているような気になった。

かつてこれほど魅了される詩に出会ったことがない。

まるで冥途の土産のように思わずにいられなかった。



サニーマートに買い物に行き隣接するセリアで夫のお茶碗を買う。

たかが百円、されど百円でありけっこう可愛らしいお茶碗である。

最近ご飯は小食になっており大きさも丁度良かった。


お昼にはまたフライパンで巨大なお好み焼きを焼き半分こにして食べる。

お腹がいっぱいになりそのまま3時前まで寝る。

その後は自室で過ごしていたがまた煙草を吸い過ぎてしまった。

やっと治っていた胃痛が始まり自分に腹が立ってならない。

自業自得と云う言葉は私のためにあるのだろう。


2010年、16年前の6月と7月の日記を読む。

今とはまったく掛け離れた暮らしがあり自分でも驚く。

愛犬あんずが居てまだ結婚前の息子と娘が居た。

母と一緒に仕事をしていたがその当時は無給だったようだ。

海苔養殖が不漁で忽ち生活が苦しくなり新しい仕事を探していた。

面接にも行き採用寸前であったが母からストップが掛る。

お給料を払うからずっと仕事を手伝って欲しいと云うのだった。

随分と昔の事のように思うがつい昨日の事のように思い出す。


16年の歳月が流れ環境も暮しも大きく変わった。

愛犬あんずの死、息子と娘の結婚、そうして母も死んでしまった。

今は3人の孫に恵まれ老いの坂道を上り続けている。


当時の日記は詩的な表現も多く我ながら好ましく思う。

おそらくそれだけの感性がまだあったのだろう。

今では仕事の事ばかりでつまらない日記になった。

義父の事を書かない日はなく以前には考えられなかったことだ。


義父も遅かれ早かれ死んでしまうのだろう。

何だかその日のために書き残しているようにも思うが

やがては書いて良かったと思う日が来るかもしれない。


眠ってしまえば当たり前のように朝が来る。

そうして生きてこその一日が始まるのであった。

10年後の私はいったいどんな暮らしをしているのだろう。

生きていたいと思う。胸が張り裂けそうなくらい「いま」を書きたい。


※以下今朝の詩


        いま

    「いま」なのか「むかし」なのか
    いつも迷ってしまう午前四時である

    老いてしまうと
    昔のことはよく憶えているらしい
    思い出話を始めたらきりがなかった

    哀しかったこと嬉しかったこと
    まるで絵に描いたように浮んで来る

    書けば懐かしい書けば愛しくなる
    私は子供になったり少女になったり
    「おんな」にもなれるのだった

    詩のようなものである
    生涯認められることはなかったが
    書くことに命を注いで来た

    それはネットの海を漂い
    やがては藻屑になるだろう

    書きたい一心で「いま」を書く
    どれほど愚かであっても
    生きてさえいればとおもう



2026年05月30日(土) リセット

晴れたり曇ったり。気温は29℃に留まり少し暑さが和らぐ。

全国的には真夏日の地域が多く群馬県等では32℃を超えていたようだ。

来週には台風接近となり荒れ模様になりそうである。


朝の山道で傘を差して歩いているお遍路さんに会った。

黒い雨傘であったが日傘代わりなのだろう。

何だかユーモラスな光景に見えてこころが和む。

夏遍路は暑さとの闘いである。熱中症の心配もあり用心が必要だった。

しかし怖れていては前へ進めない。勇気さながらの旅である。



土曜日であったが工場はてんてこ舞いで私も出勤していた。

車検切れの車が3台も入庫していて同僚はパニック状態である。

義父は育苗機の片付けをしており彼女さんも手伝いに来ていた。

昨夜から腰痛が辛いとのこと今朝は痛み止めを飲んだそうだ。

市内の整体に行きたがっていたが忙しくてそれどころではない。

憐れでならなかったがそっと見守るしかなかった。


お昼に近所のお客さんが走り込んで来る。

車が走行不能になり道端に乗り捨てて来たのだそうだ。

義父は彼女さんと出掛けており同僚もお昼休みである。

車のキーを預かり午後から対応することにした。

義父でなければいけないように思ったが午後からも忙しいとのこと。

仕方なく同僚に頼んだが彼も渋々と機嫌が悪かった。

車はエンジンが掛かり工場まで走行することが出来たが

直ぐには原因が分からず同僚も頭を悩ませている。

横目で義父を睨んでも車を見ようともしない。

私は困り果てて涙が出そうになった。

取り合えずお客さんに連絡し月曜日まで待ってもらうことにする。

お客さんは快諾してくれて何とほっとしたことだろう。

順調に歯車が回っていても突然に回らなくなる日もあるものだ。

その皴寄せが押し寄せてくるとどうしようも出来ない。


後ろ髪を引かれるように定時で退社したが

来週の仕事はどうなるのだろうと気掛かりでならなかった。


サニーマートで「メキシカンナッツ」を買う。

大好物の豆菓子は一週間のご褒美である。

これを書きながらパリポリともう食べ尽くしてしまった。

そうしてリセットされて行く。来週も頑張ろうと思えるようになる。


午後7時半。まだ外は明るく西の空がほんのりと紅い。

裏のお宅には曾孫さんが来ているらしく幼いはしゃぎ声が聞こえている。

平和を絵に描くとはきっとこんなことなのだろう。

壁に飾りずっと見ていたいような絵であった。


※以下今朝の詩


     電話ボックス

  十円玉を2個握りしめて
  電話ボックスへ走った
  確か雨の夜ではなかったか
  寂しくて死んでしまいそう

  アイタイスグキテ
  まるで電報のように叫んだ
  彼はイケナイと応える

  崩れ落ちるように座り込み
  電話ボックスの中で泣いた
  もう立ち上がれない
  目の前が真っ暗になった

  アパートの薄暗い電球
  夜がどんどんと深くなる
  心が千切れたように苦しい

  車が停まる音駆けて来る足音
  アノヒトニチガイナイ
  ドアを開ければ彼が立っていた
  その胸にしがみつき泣き崩れた

  ずっと一緒にいたい
  もう離れたくない

  48年も昔の記憶である
  彼は白髪の老人になり
  ずっと私の傍にいる



2026年05月29日(金) うなぎおいし蒲焼

すっかり夏空となり気温も32℃まで上がる。

まるで梅雨明けをしたかのような暑さに戸惑う。

まだ梅雨入りもしていないのに何と云うことだろう。


朝の紫陽花街道を行けば今度は桃色の紫陽花が見え始めた。

同じ環境に思えるが早咲きと遅咲きがあるのだろう。

その分長く咲いてくれるので有難いことだった。

やがては枯れる運命を受け止め何とも健気な花である。



仕事は今日も順調でまた支払いのお客さんが来てくれた。

よほど金運がアップしているのか何だか奇跡のように思える。

自動車税と固定資産税を払ってもまだ余裕があった。

苦しいのが当たり前だった月末が嘘のように楽になる。

明日は同僚にお給料を払い残りは預金しておこうと思う。


義父は早朝から田んぼに行っていて2時頃帰って来た。

暑さと空腹ですっかり参っている様子である。

とにかく休むことをしないので心配でならない。

そろそろ中手の田植えである。どうか順調にと願うばかりであった。


定時で仕事を終えカーブスへ向かう。

今日は筋トレ後に栄養相談があったのだが

思っていた通りプロテインを勧めるのが目的のようだった。

ノルマを掛けられているのだろうコーチが気の毒でならない。

以前は私も飲んでいたが体質に合わないようで止めてしまった。

髪の毛は硬くなり爪は異常な程に伸びる。

筋肉を作るのが目的らしいが少しも実感が湧かなかった。

コーチに「ごめんね」と謝る。もう二度と飲む気はない。


買い物を終えて4時半に帰宅。

ポストに笠原メイさんの詩集が届いていて嬉しかった。

スマートレターには住所も本名も電話番号も書いてある。

雲の上の人のように思っていたがそうではなかったようだ。

SNSだけの繋がりであるが「実在」にほっとする。

架空の物語ではない。そこには確かな「詩」があった。

日記を読めば今日は家族旅行に出掛けているようである。

ほのぼのとした光景が目に浮かびほっこりと心が和む。


今朝は久しぶりに母の詩を書いた。

AIの響君は絶賛であったが私は「そこそこ」に思う。

子供の頃の記憶は曖昧だが忘れられない鮮やかな記憶もある。

書けば母の供養にもなるだろうかと思いながら書いた。

書き終わって振り向けば遺影の母が嬉しそうに笑っている。

「お母ちゃん書けたよ」母はまたきっと書かせてくれるだろう。


※以下今朝の詩


      鰻

  学校から帰ると
  母が七輪で鰻を焼いていた
  四万十川の天然鰻である
  香ばしい匂いが鼻を突く

  地元の川漁師さんに
  「ころばし漁」を教えてもらい
  それが面白くてならない日々
  竹で編んだ筒に餌のミミズを入れる
  そのミミズを捕まえるのも好きだった

  一匹の時もあれば大漁の日もある
  くねくねと動き回る鰻の頭に
  ぐさっと錐を突き刺せば
  後はスルスルと包丁で捌く
  誰に教わったのか母は達人であった

  鰻ばかりの夕食が続く
  子供心にもう飽きたなと思う
  しかし母にそう言ってはならない
  母の得意顔が今でも目に浮かぶ

  四万十川の天然鰻は希少になったが
  母と鰻の光景はずっと心に残っている



2026年05月28日(木) 灯台下暗し

曇りのち晴れ。気温がぐんぐんと高くなり真夏日となる。

風がなかったせいか山里も蒸し暑くなりとうとうエアコンを点けた。

外で仕事をしている義父や同僚に申し訳なく思う。

毎年の事だが今年も猛暑の日がやって来るだろう。


朝の道では車を停めて紫陽花の写真を撮った。

水色はいっそう濃くなりすっかり青空の色である。

峠道には姫女苑の花。峠を越えると民家にサツキや小町草が咲いている。

小町草は別名「虫取りなでしこ」とも呼ばれるのだそうで

私はずっと「虫取り草」と呼び続けていた。

「小町草」とは何と風情のある呼び名だろう。

今年初めて知った花の名に感動さえ覚える。



仕事は朝から来客が多く支払いのお客さんばかりであった。

あらあらと云う間に一万円札が増えて嬉しい悲鳴を上げる。

またもやある時払いで取引先への送金を済ます。

後は自動車税と固定資産税のみであった。

それも明日には支払いが出来るだろう。

こんなに順調な月末は滅多にないことである。


午後には車検のお客さんが来てくれて代車の準備をしたが

何とエアコンが全く効かないアクシデントがある。

もう一台の代車も同じくで失態続きであった。

お客さんは笑い飛ばしてくれたが何と申し訳ないことだろう。

義父も田んぼに出掛けており対処することもままならなかった。

明日には他に貸し出してある代車が返って来るので

お客さんに待ってもらうことにした。

「灯台下暗し」だろうか。代車の整備を怠っていた結果である。


定時を少し過ぎてから退社。今日こそはリハビリである。

U君に昨日の事を話したら申し訳なさそうに笑っていた。

6月も水曜日に休む日があるかもしれないと云う。

恋するおばちゃんはU君の私生活が気になってならない。


足よりも腰を重点的に揉み解してくれるので随分と楽になった。

杖を使わずに歩くので腰に負担が掛かっているのだそうだ。

それに体重が掛かれば尚更の事である。

しかしもう杖に頼ることはしたくなかった。


サニーマートでベビーチーズを買い食べながら帰る。

空腹になるとやはり胃の痛みがあった。

胃薬は飲み続けているが思うように効かない。

来月には内科の通院があるので相談して見ようかとも思う。

胃痛は高校生の頃からありおそらく胃弱の体質なのだろう。

父方の祖父も父も胃弱だったので遺伝したのかも知れなかった。


入浴後、義父から電話があり代車にクーラーガスを補充したとのこと。

応急処置であるがひと夏は大丈夫だと思う。

義父もそれなりに会社の事を考えてくれているのだった。

真夏日の田んぼの作業は暑かったことだろう。

どんなに疲れていても責任を持って対処してくれる義父であった。


母の遺影に話し掛ける夜。母はいつも笑顔である。

「おとうさんがね」と一日の出来事を報告するのが日課であった。

ぶつかり合うこともなければ怒鳴り声も聞こえない。

母の魂は安らいでおり私を守り続けているようだ。


※以下今朝の詩


     宇和島


  子供の頃「町」と云えば
  宇和島であった

  お魚の匂いがする町で
  じゃこ天が美味しかった

  まやちゃんのお母さんの出里で
  一度だけ遊びに行ったことがある
  幼い頃の記憶なので朧気だが
  港の風景だけははっきりと憶えている

  たくさんの船があった
  漁を終えて帰って来たのか
  とても勇ましく見えた
  お魚の匂いがいっそう濃くなる

  まやちゃんと追いかけっこをした
  海に落ちてしまいそうで少し怖い
  走り回るまやちゃんはすばしっこくて
  まるで海の中のお魚のようだった

  港に夕暮れが迫る
  海も眠るのだろうかと思う
  「おなかがすいたね」
  お魚が食べたくてならなかった








2026年05月27日(水) 時間よ止まれ

梅雨入りを思わすような雨の一日。

気温も22℃と低く随分と涼しかった。

屋久島では大変な大雨だったとのこと

台風も近づいており今後も心配でならない。


車のワイパー全開の朝の道であったが

紫陽花の何と鮮やかなことだろう。

やはり額紫陽花が一番早く色づくようだ。

遍路道はまるで紫陽花街道のようになっている。

おそらく遠い昔から植えられていたのだろう。

地区民の優しい心遣いが伝わって来る。



仕事は午前中同僚が術後の診察に行っており休んでいた。

それでも開店休業とはならず義父がエアコン修理に精を出す。

電装屋さん顔負けの技術で腕の見せ所であった。

頑張った甲斐がありお昼前には修理が完了する。

早速にお客さんに報せ来店を待つ。

ディラーで見積りをしてもらったら高額だったらしく

義父はその半値で仕上げたのだった。

お客さんは大喜びで即金で支払ってくれる。

その評判は口コミで広がりまたお客さんが増えるが

義父は「困った、困った」とぼやきながら次々に直して行く。

「偉いねえ、凄いねえ」と褒めまくるのも私の仕事であった。

義父の右に出る整備士は他にはいないと思う。

日本一と云っても過言ではないだろう。

私はそんな義父が誇らしくてならなかった。


午後には同僚も出勤して来てくれて車検整備に取り掛かってくれる。

術後の経過は順調とのこと。医師からもう来なくても良いと告げられたそうだ。

最初にポリープが見つかってから手術まで随分と長かったが

同僚も肩の荷が下りたことだろう。私も義父もほっとした。


今日は定時で退社出来たがうっかりしていて

リハビリの日だとばかり思い込んでいた。

ぎりぎりになって思い出し明日だったことに気づく。

療法士のU君が休みを取っており延期になっていたのだった。

そうなればもうカーブスにまっしぐらである。

しかし今日は駐車場が満車状態で停めることが出来なかった。

10分程待機していたが一向に空く気配がない。

仕方なく第二駐車場に行きやっと停めることが出来た。

カーブスまで2百メートル位だろうか必死になって歩く。

杖を付けば楽だが今更杖に頼りたくはなかった。

途中で何度か立ち止まりやっとカーブスへ着く。

私の疲れ切った姿に驚いたお仲間さんが駆け寄って来てくれた。

すでに心拍数が高くなっており筋トレはぼちぼちである。

どんな日もあって良し。出来ることだけで十分に思う。


買い物を終えて4時半に帰宅。

今日はSNSで素晴らしい文章を書く人を見つけた。

詩人さんではないようだがとても詩的な文章だった。

私はすっかり脱帽状態となり自分の未熟さを思い知る。

24年もこの日記を書き続けて来たが穴があったら入りたい。

身の程知らずにも度が過ぎよくも胸を張っていたものだと思う。

笠原メイさんと同じく今日から私は「読者」になった。

雲の上の人ならば空を仰ぎ続けたいと思う。


それにしてもなんとちっぽけな私なのだろう。

背伸びも出来ず成長も出来ない。

死を怖れながら生きたくてならない「ありのまま」を貫いている。


※以下今朝の詩


        静止

   波の日もあれば渦の日もある
   ゆらゆらぐるぐる私は忙しい

   静止画像のようになれば
   時間も止まってしまうだろう
   見たいものを見て
   聞きたいことを聞く

   しかし夜が明けなければ
   途方に暮れてしまうだろう
   紺色の海に浮かぶ私は海月

   消えない星消えない月
   夜風も沈黙をつらぬく

   遠く空しいこともなく
   かなしい夢も見やしない

   やがて私は切り抜かれて
   壁に貼り付けられるだろう
   それが絵になれば息を呑み
   一枚となり生きるしかない

   波の日の生き方と
   渦の日の生き方が交差する

   永遠に海に浮かぶしかない







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