今日も雲一つない晴天。昨日のような雷雨もなく
気温は27℃まで上がり流石に暑さを感じた。
朝の峠道を行けば先日まで沢山咲いていたウマノアシガタが姿を消す。
枯れた風には見えないのでおそらく散り落ちてしまったのだろう。
道端には夏草が生い茂っており猫じゃらしも見える。
日に日に景色が変わるのを見届けるように職場に向かった。
職場の近くには銀杏の木があるが今まさに青葉の季節である。
なんだか夏の間にエネルギーを蓄えているように見えた。
職場に着けば義父の姿があったが今日も種蒔きとのこと。
訊けば昨日は思うように出来なかったらしい。
彼女さんも来てくれており鉄工所のKちゃんの姿もあった。
鉄工所の仕事が暇な時にはよく手伝ってくれるのだ。
お昼に来客あり。例の中古車を購入してくれたお客さんだった。
車代を即金で支払ってくれとても助かった。
新車よりも中古車の方が利益が大きい。
在庫の中古車が完売したらと夢のように思う。
午後は来客もなく退屈でならなかった。
休業が続いており事務仕事も特に在りはしない。
義父に許しを請うこともせず「つれづれノート」を読み始めた。
昨年の8月から今年1月までの日記であったが
全く興味のない内容の日記が続いており8月20日までが限界である。
読み始めからには最後までと思うが途中で挫けてしまいそうだ。
何の変哲もない平凡な日常のことである。
近場の温泉に行ったり畑の胡瓜を千切ったりしていた。
作家でなければただの60代の女性の日記である。
しかし毎日書いていれば本になり出版されるのだった。
既にベストセラーになっているので買い求める読者も多い。
本が売れたらお金になる。暮らしに困ることなど在りはしないのだ。
何と恵まれた境遇だろうと羨望せずにはいられなかった。
それも培って来た実績があってのことである。
若い頃からの努力が実を結んだ結果だろう。
そう云う意味では銀色夏生を尊敬せずにはいられなかった。
共に老いて行くのだろう。やがては最後の日記となる。
その時彼女が何を書き残すのか知りたくてならない。
しかしおそらく私の方が先に死んでしまうだろう。
ネットの海に書き残した日記は遺品になれるのだろうか。
もし消失してしまったら私の存在も「無」になってしまう。
儚いものだなと思う。こんなにも生きているのに何も残らないのだ。
※以下今朝の詩
プリン
粗末に見えても そこそこに美味しい 出来損ないのプリンであった
ぷるんぷるんと立っている けれどもすこうし崩れていて その傷口にカラメルが浸みる 決して痛くはないけれど なんだか泣いているようだ
もし叶うならば綺麗になりたい そこそこではなく上等になりたい
繰り返して来た過ちを スプーンで掬うと とろとろと溶けて行く その舌触りが愛しい
間違いは誰にだってある 後悔ならいくらでもしよう
ぷるんぷるんと息をしながら 「いのち」を確かめている
もうひとくちで終る そんな生き方もあるのだろう
午前中は雲一つない青空であったが
午後から一気に雲が広がり雷雨になった。
一時的ではあったが土砂降りの雨になる。
これが噂のゲリラ豪雨なのかと思う。
田んぼには良き恵みの雨になったようだ。
今朝も義父の姿が見えなかったが
10時過ぎには帰って来てくれてほっとする。
11時から新車購入の商談を控えていた。
気難しいお客さんなので詳しい説明を要し
市内のダイハツから担当の営業マンも来てくれていた。
やはり義父が立ち会ってくれないとお客さんも不安だろう。
商談は進んだが一時間以上も時間を費やす。
お昼になってもお客さんは帰る様子を見せない。
おそらく少しでも値切りたかったのだろう。
営業マンと義父が頭を悩ましてやっと価格が決まった。
お客さんは上機嫌で帰って行き何とほっとしたことだろうか。
新車の場合は会社で仕入れてから売値を決めることになっている。
そこで値引きをし差し引いた金額が売上になるのだった。
僅かの金額であるが実績も作らなければならない。
販売店同士で成績を競い合うこともあった。
午後は彼女さんが来てくれて中手の稲の種蒔きが始まる。
今度こそ最後の種蒔きであった。
商談が長引いたので義父は昼食を食べ損ねていた。
お茶ばかり飲んでいるので何とも憐れでならない。
もう2時近くになっていたが地場産店へ行ったらお稲荷さんがあった。
明らかに売れ残りであるが義父の好物である。
嬉しそうに笑顔を見せてくれてとてもほっとした。
作業場に居る義父に声を掛けて定時で帰路に就く。
カーブスではいつものメンバーが揃い和気あいあいと楽しかった。
雨で気温は下がっていたが今日も汗びっしょりとなる。
サニーマートで買物を済ませ4時に帰宅。
直ぐに自室へ行き笠原メイさんの日記を読んだ。
題名が「元気が痛い」とあり体調を気遣わずにいられない。
けれども日課の詩を4編も書いたのだそうだ。
気力だけで書く。それは並大抵の努力ではないのだと思う。
詩は相変わらず素晴らしかった。彼ほどの天才が他にいるだろうか。
SNSで昨日から気になる事がありAIの響君に相談したら
高齢者を狙った悪質な勧誘ではないかと結論が出る。
私の短歌や俳句を絶賛してくれるのがとても気味が悪い。
そもそもそれほど立派な短歌や俳句を詠んではいないのだ。
その方は「俳句アプリ」の主催者らしかった。
私をカモにしようと目論んでいるとしか思えない。
響君からのアドバイスもありなるべく距離を置くことにした。
もし何かトラブルがあれば響君が助けてくれるそうだ。
そんなアプリなど全く興味がない。
私はあくまでもひっそりと静かに詠み続けて行きたかった。
詩も短歌も俳句も「そこそこ」を目指している。
それが私に一番ふさわしい生き方ではないだろうか。
※以下今朝の詩
ミシン
若い頃縫製工場で働いていた ミシンはカタカタではなく ずうずうと勢いよくうごく
最初は怖くてならず 指先を縫ってしまいそうだった 真っ直ぐでなければならない 曲がったらやり直しである
ボタンを付けるミシンもあった それは慣れるととても面白い ボタンの穴に糸がぐさぐさと刺さる 色とりどりのボタンが大好きになった
厳しいノルマもあり辛かったが 昨日よりも今日とミシンを動かす トイレに行く時間も惜しまねばならない
最後の仕上げまで辿り着くと 心地良い達成感が込み上げて来る 店頭に並べられる姿が目に浮かんだ
作ること縫うこと一枚にすること
もう二度と経験出来ない尊い記憶である
晴れたり曇ったりであったが気温は27℃と高くなる。
週間予報を見ていたらしばらくは夏日が続きそうだ。
東海地方では午後突然の雷雨に見舞われたとのこと
梅雨入りを前にして大気が不安定になっているようだ。
今日こそは例の花の写真を撮ろうと山里の県道沿いに車を停める。
反対車線だったが対向車も見えなかったので幸いだった。
直ぐ近くに民家があり人目も気になったが大急ぎで写真を撮った。
スマホではなくガラケーだったがまずまずの写真が撮れる。
職場に着くなりネットで検索したら「昼咲月見草」のようだ。
花の名前が分ると余計に愛しさが込み上げて来る。

義父の姿は見えなかったが早朝から田んぼの見回りに行っていたそうで
9時過ぎには帰って来て遅い朝食を食べていた。
きっとまた直ぐに出掛けるだろうと諦めていたのだが
商談済みの中古車の手入れをしてくれて大助かりである。
洗車が済んだ車はまるで新車のように綺麗になっていた。
「大安」なので納車の段取りをしたがお客さんは急がないとのこと。
もうしばらく預かっていて欲しいと云われ義父と一緒に肩を落とす。
支払いは即金なのでお客さんにも都合があったのだろう。
早く渡したい気持ちが結局仇になってしまった。
義父はそのまましばらく待機してくれていたのだが
お昼にパンク修理のお客さんが来て対応に追われる。
事務所には支払いのお客さんが来てくれて思いがけなかった。
これも偶然なのか机には売上帳を開いてあったので驚く。
いつも支払いの遅いお客さんだったので年末まで待つつもりだった。
訊けば勤め先を解雇されたとのこと気の毒でならない。
ハローワークに通っているが未だ仕事が見つからないのだそうだ。
おそらく退職金の中から支払いを工面してくれたのだろう。
内金ではなく全額を支払ってくれたのだった。
会社にとっては大きな売上でとても助かったが
忽ち日々の暮らしが困窮するのではないかと気遣わすにいられなかった。
定時の2時半になり整形外科へと向かう。
義父は昼食を食べていたがまた田んぼに行くようだった。
もう来客もないだろう。後は野となれ山となれである。
整形外科ではいつものリハビリの後に診察があったが
足踏みをして見せたら医師も順調だと思ったようだ。
手術の話も一切なく目の前が明るくなった。
買い物は娘に頼んであったので夕飯が楽しみでならない。
4時40分に帰宅。すぐさま笠原メイさんの日記を読んだ。
日課になってしまえば読まないと落ち着かない。
それは書かないと落ち着かないのとよく似ている。
大げさかもしれないが書くことは生きることに等しい。
私は書けないのなら死んだ方がマシだと思う。
今朝は詩が書けそうになくて途方に暮れていたら
ふっと母の声が聴こえて来て「書けるよ」と云ってくれた。
※以下今朝の詩
結び目
夜がほどけていく 結び目の端から するっと抜けて まるで糸だったかのように
母の夢を見ていた 夜だからこそ逢える 語り合うことが出来る 手を握ればあたたかい 母は死んでなどいないのだ
薄っすらと空が明るみ 川向の山並みが浮かび始める せせらぎの音が微かに届く 鳥たちが目覚めちちちちと鳴く
私は結び目を握りしめている ほどけてしまえばそれは儚い 引き寄せることが出来るだろうか
そうしてまた新しい朝がやって来る
薄雲が広がっていたが概ね晴れ。
気温も高く夏日になっていたが蒸し暑さはなかった。
地球上には「常春」の国があるらしいが
いったいどんな暮らしをしているのだろう。
おそらく桜の木を植えても育たないのかもしれない。
やはり日本のように四季があるのが望ましい。
朝の国道沿いにピンク色の昼顔に似た花が咲いていて
先日から気になってならないのだが
車を停めることが出来ず残念であった。
写真に撮ればきっと花の名が分かるに違いない。
同じ花が山里の道端にも咲いていてそれも気になっている。
車を停めることが出来れば写真に収めることが出来るだろう。
愛子ちゃんに訊けばきっと知っているような気がする。

今朝は昨日電話があったお客さんが来てくれて
義父が直ぐに不調の原因を突き止めてくれて助かった。
市内の中古部品屋さんに在庫があるとのことで
大急ぎで車を走らせ取りに行っていた。
往復一時間であったが間に合って本当に良かった。
お客さんも大喜びで支払いを済ますと上機嫌で帰って行く。
義父は役目終了とばかりにまた田んぼへと逃げて行った。
幸いと云うべきかその後は急な来客もなくほっとする。
事務仕事はけっこう忙しく自賠責保険の精算や事故車の見積書等。
保険会社のO君もやって来て煙草を吸ってから帰って行った。
彼は時々ふらっと息抜きにやって来る。ストレスばかりの日々らしい。
珈琲でも淹れてやれば良かったと後から悔やまれた。
2時半になっても義父は帰らなかったが休業の貼り紙をせずに帰る。
その代わりに事務所のカーテンを閉めて電気も消して置く。
田舎あるあるでそうして置けばお客さんも察してくれるだろう。
カーブスへ行けばいつものメンバーが揃っておりとても楽しかった。
私がしんどそうに筋トレをしていたら「頑張れ、頑張れ」と励ましてくれる。
筋トレ後にストレッチをするともう汗びっしょりになっていた。
何とも爽快で気分がとても明るくなる。
4時過ぎに帰宅。直ぐに自室に行きSNSをチェックしたが
笠原メイさんの通知がなくまだ更新されていないようだった。
もしやと思いダイレクトでアクセスしてみたらちゃんと更新されている。
アクセス数がとうとう800人を越えたとのこと。
それがもう限界だと記してあった。
それ以上もそれ以下もないと思っているのだろう。
慢心は全く感じられず何と控え目な人だろうと思う。
だからこそ応援したい。見守り続けたい人であった。
それから私の日記のアクセス数を確認したが
いつもと変わらず13人であった。
毎日欠かさずに読んでくれている人がいる。
それが大きな励みであり書く意欲に繋がっているのだった。
「今日はねこんなことがあったよ」と
一方通行かもしれないが報告したかった。
「また明日ね」二十六の瞳がきらきらと輝いている。
※以下今朝の詩
薊
花も棘であるかのように 誰一人手折る人はいない
蝶だけは知っていて その羽根をやすめる
四万十の川辺に 初夏の陽射しが降り注ぎ 沖からの南風が吹く頃
辺りの緑を見下ろすように 凛と立つ花の姿があった
棘だらけの葉は身を守るため 花はやがて綿毛となり 種として空を舞う日が来る
もう何度目の夏だろう それは記憶でしかなく 過ぎ去った日々を想う
何も変わりはしないこと 生きて在ればきっと叶う 空との約束が咲き続けている
爽やかな晴天。たっぷりの陽射しであったが
蒸し暑さもなく過ごし易い一日だった。
朝の道を走っている時が一番心地良い。
車の窓を開ければ森林浴をしている気分であった。
山里の田んぼでは早苗が朝風に揺れている。
少しずつ伸びているようで楽しみでならない。
月曜日であったが今日も臨時休業である。
今朝は義父がその貼り紙を剥がしていたので
てっきり工場の仕事をしてくれるものだと思ったが
そうは問屋が卸さずまた田んぼに逃げられてしまった。
しかし昨日は一日中工場の仕事をしてくれていたようだ。
得意げに話すので「今日も」とはとても云えなかった。
同僚は明日退院とのこと。経過は順調のようだが
まだ術後の痛みがあり力仕事は無理のようである。
義父と相談し今週一杯は静養させることにした。
明後日から車検の予約を受け入れていたので
延期を余儀なくされるがもう月末まで予約で埋まっている。
なんとかなるだろうと義父は云うが同僚に苦労を掛けざるを得ない。
今更ながら同僚のおかげで会社が成り立っていたことを思い知らされる。
半月の休業は痛く経営にも大きく響くことだろう。
2時半になっても義父は帰らずまた臨時休業の貼り紙をして帰る。
カーブスを諦める気は全くなかった。
心地良く汗を流せばもやもやした気分もすっかり晴れる。
4時過ぎに帰宅。何気なく庭の隅を除いたら
娘が育てている多肉植物の鉢に濃いピンクの撫子が咲いていた。
確か以前に植えていた記憶があったが根が残っていたのだろう。
昨年は咲いていなかったのでとても思いがけなかった。
娘は気づいていたのだろう。その鉢には風車が立ててある。
風に吹かれてくるくると回っており何とも可愛らしい。
土のない猫の額ほどの庭だが我が家の庭も自慢出来そうだ。
大相撲夏場所が始まっており夫は上機嫌である。
5時前にはもう入浴を済ませ後半戦を楽しみにしていた。
大急ぎで丸干鰯を焼いて与えればビールを美味しそうに飲む。
平和を絵に描いたような光景に心がほっこりと和んだ。
ずいぶんと日が長くなり外はまだ薄っすらと明るい。
明日も晴れるのだろう夕焼け空が綺麗だった。
お客さんから電話があり車が不調とのこと
義父に電話したら明日の午前中なら待機出来るそうだ。
私は明けても暮れても仕事のことで頭がいっぱいである。
時々ふっと何もかも忘れてしまいたくなるのだった。
※以下今朝の詩
春海苔
ゆっさゆっさと川底で揺れる それは緑の髪のようであった 岩に石にしがみつくように 育ち生きているのである
川漁師たちは競い合い 船の底を満たそうとする 緑の海苔はくねくねと積もり あまりの長さに鎌を使うのだ
そうして洗い始めるのだが 何と艶やかな緑だろうか 手で掬っては筋を立てて行く もう握れないほどになると 絞り上げ干す準備を始める
沖からの南風であった 海苔は緑のままではいられず 白髪交じりの老婆のようになる 不思議なことであったが 冷たい西風を好むのであった
川漁師たちは右往左往しながら せっかく干した海苔を千切る そうして土手の堰堤に並べて 陽射しだけを頼りに干し続ける 表が乾くと次は裏側であった
やっと干し上がった海苔は 芳香を放ち愛しさが込み上げて来る
ずいぶんと昔のことだ 四万十川にはそんな風物詩があった
今朝は気温が低く肌寒さを感じたが
日中は爽やかな晴天となり過ごし易い一日だった。
河川敷に大きな栴檀の木があるのだが薄紫の花が咲いている。
さわさわと風に揺れておりいかにも初夏らしい風景であった。
山里の庭にも栴檀の木があるのだが金曜日には気づかなかった。
そう云えば冬の間の実も以前より少なかったように思う。
一昨年の伐採騒動の影響かもしれない。可哀想なことをしたものだ。
今日こそは有意義に過ごそうと意気込んでいたのだが
読書のスイッチが入ったものの直ぐに動かなくなる。
わくわくしながら読み始めた「つれづれノート」であったが
昨年の8月の日記はちょうど関西万博の頃であり
全く興味がないせいもあり読み進むことが出来なかった。
決して期待外れではないのだが銀色さんに申し訳なくてならない。
その上にもっと申し訳ないのは自分の日記を読み始めてしまう。
一年前の日記を読み終えると今度は二年前の日記であった。
あんなこともあったこんなこともあったとすっかり夢中になる。
ささやかな日常のことであっても愛しくてならないのだ。
二時間程読んだろうか。もう「つれづれノート」を開こうともしない。
しかしまたそのうちにきっと読み始める日が来るだろう。
それからサニーマートへ買い物に行ったら文芸仲間の友人に会った。
今朝の高新文芸は二人とも落選だったのでお互いを慰め合う。
そうして「また頑張ろうね」と励まし合うのだった。
友人は私の短歌がとても好きなのだそうだ。
他の誰がそう云ってくれるだろう。こんなに嬉しいことはない。
白髪が目立ち始めていたので美容院へ寄ろうかと思ったが
節約を兼ねて自分で染めようと「白髪染め」を買った。
午後一時間程お昼寝をしてから洗面台の前に立ったのだが
染めるのは簡単でも洗い流すのに一苦労する。
シャワーヘッドなど付いていない洗面台なので
洗面器にお湯を溜めながら洗い流したのだが
七分袖の服はびしょ濡れになり首のタオルも真っ黒になった。
そうなればもう泣きべそである。一刻も早く乾かしたくてならない。
やっとドライヤーで乾かせば見違えるようになるはずだった。
しかし「やや明るい栗色」のはずが以前より暗くなっていたのである。
ここ数年ずっと美容院で染めて貰っていたので色違いだったのだろう。
まさか以前より暗くなるとは思ってもいなかった。
「やや明るい栗色」ではなく「明るい栗色」を選ぶべきだったのだ。
「やや」とは何と曲者だろう。「やや」に騙されてしまった。
染めてしまったからにはもう取り返しがつかず
自業自得でしばらくは我慢しなければならない。
もう後の祭りだが節約などしなければ良かったと後悔するばかりだった。
作家の椎名誠は「白髪のままが良い」と書いていたが
真っ白な銀髪ならまだしもチラチラ白髪はみっともないと思う。
人それぞれであるが髪は昔から女の命であるらしい。
その命を明るくするか暗くするかのモンダイではないだろうか。
誰だって老いには勝てない。顔は皺くちゃになり腰は屈む。
心だって若さを保つのは困難であろう。
どれほど気が若くても「死」が身近になって行くのである。
永遠の命などないのだから与えられた人生を全うしようとしているのだろう。
若い頃の黒髪をばっさり切ったことがあり宝物のように保存していたが
ある日それを見つけた私は燃えるゴミと一緒に捨ててしまった。
※以下今朝の詩
希望
思うようにいかない しかし思いながら 生きているのだろう
種を蒔けば芽が出ると 誰もが願っている 芽が出れば緑が育つ やがて収穫の時が来る
花が咲けば種を残す たとえ一粒であっても 未来を信じようとする
当たり前のことであっても 自然の猛威は厳しく どんな災難が襲って来るか その時になってみないと 分からないのが世の常であった
思うようにいかなくても 嘆くことはするまい
思うことが希望であり その希望を叶えるために 明日に向かって生きようとする
雲が多かったが概ね晴れ。気温も23℃程で
蒸し暑さもなく過ごし易い一日だった。
そんな適温も今週までで来週から夏日が続きそうだ。
今年の夏も酷暑になりそうである。
土手の茅の穂がふっくらと膨らみ風に揺れている。
その傍らでは薊の花が咲き初夏らしい風景となった。
今はもう散歩に行くことも出来なくなったが
愛犬あんずが生きていた頃を懐かしく思い出す。
草に顔を埋め匂いを嗅ぐのが好きな犬だった。
今ならば蓬だろうか。きっと芳香を放っていることだろう。

午前中にカーブスへ行っていたが土曜日は久しぶりである。
覚悟はしていたがメンバーさんが多く混雑していた。
見知った顔のお仲間さんも居たが声も掛けられなかった。
コーチも忙しく会話もない有り様である。
それも寂しく何だか気分が沈むようであった。
やはり平日の午後の方が私に合っているようだ。
昼食に「ところてん」を買って帰れば夫が大喜びである。
「初もんじゃ」と云ってあっという間に平らげていた。
高知のところてんは出汁つゆで食べるのが習いで
薬味の葱とおろし生姜は欠かせない。
喉越しがとても良く美味しいので夏の定番であった。
午後はまたお昼寝体制に入り何と4時間も寝てしまう。
鼾をかいていたそうで夫はすっかり呆れていた。
何と云う時間の無駄遣いだろうと自分でも情けない。
ポストに昨夜寝る前に注文した銀色夏生の本が届いていた。
「つれづれノート」の最新作である。
それにしても何と便利な世の中になったことだろう。
市内では大型書店が閉店し本を買い求めるのにも一苦労である。
ネットで検索すれば直ぐに見つかり送料無料で家まで届く。
あまりの早さに驚くばかりであった。
久しぶりの「つれづれノート」であった。
最後に読んだのは10年以上も昔ではなかっただろうか。
銀色さんも66歳になっていて歳月が流れていた。
何よりもずっと書き続けてくれていたことが嬉しくてならない。
70歳になっても80歳になってもきっと書き続けてくれるだろう。
今日は読む時間がなかったが明日から読み始めようと思う。
しばらく読書から遠ざかっていたがスイッチが入ったようだ。
そのスイッチを自ら切らないように努めなければならない。
長いようで短い一日だった。
ほぼ半日寝ていたので当然のことだろう。
残り少ない人生である。もっと有意義に過ごしたいものだ。
書くことばかりに拘っているが読むことも大切に思う。
私は影響を受け易い性分なのでそれが「カタチ」にもなり得るだろう。
どんなふうに変わって行くのかそれも楽しみであった。
これを書き始めた時には茜色の空であったが
もうすっかり夜の帳が下りている。
今日は今日のスイッチを切らねばならない。
※以下今朝の詩
対岸
ゆったりと流れること 手足を伸ばして 真っ直ぐに空を仰ぐこと
降り続いた雨が止めば 大河には濁流が流れる 水は沈下橋を越え 対岸への道を塞ぐ
しかし二日もすれば 水は澄み清らかになる 上流の湧水が溢れ出て 浄化して行くのだった
対岸に棲む人が待っている 話したいことがあったのだ 決して苦労話ではあるまい 日常のささやかなことである
ゆったりと流れる 身も心も捧げるかのように 初夏の空を仰ぎ続けていた
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