まるで初夏のような晴天。気温も25℃の夏日となる。
黄砂の影響があると聞いていたが空は何処までも青かった。
朝の峠道に咲いている黄色い花は「ウマノアシガタ」のようだ。
今朝は対向車もなかったのでゆっくりと眺める。
以前に「ウマノアシガタ」の写真をアップで撮ったことがあり
ようく見るととても似ている。これは間違いないと今朝は確信した。
峠道を越えると「オオデマリ」の花が迎えてくれる。
つい先日まで黄緑の花だったが今朝は真っ白になっていた。
大きさは子供が遊ぶ毬に似て今にも転げ落ちてしまいそうだ。
紫陽花にも似ているが丸みを帯びているのが特徴である。
もう少し先に進むと道端に座り込んでいる五人のお遍路さんを見かけた。
休憩を兼ねて皆で朝食を食べているようだった。
大きく口を開いておにぎりを食べている姿の微笑ましいこと。
そのお遍路さんと目が合って会釈をしたら笑顔が返って来た。
二人連れのお遍路さんはよく見かけるが五人連れは珍しい。
仲間同士の旅だろうか。途中で出会った仲間なのかもしれない

山里の最初のトンネルを抜けると右手の田んぼに義父の姿が見える。
また早朝からトラクターで代掻きを始めたのだろう。
窓から手を振ったが気づかず無我夢中のようであった。
工場は昨日延期していた消防車の車検整備である。
火事など滅多にない長閑な山里だけあって消防車は殆ど走っていない。
同僚が臨機応変に対処してくれたおかげで二台の整備が完了した。
義父も帰って来ていたがまたトラクターの故障とのこと。
まるで気が狂ったように修理をしていた。
その時また愛子ちゃんから電話があり今度は「てっせん」が咲いたとのこと。
例の如くで「直ぐにお出で」と云ってくれたが
義父が居たのでさすがにサボる訳には行かなかった。
「まだ蕾がいっぱいあるけん」と云うので後日見に行くことにする。
二時を過ぎてから来客があり定時では帰れなくなった。
それでもカーブスが諦められず三時前に急いで退社する。
今日も扇風機が回っていたが汗びっしょりになった。
友人のトモちゃんにも久しぶりに会えて嬉しい。
4時半に帰宅し二階の自室へ駆け上がる。
もうすっかり日課になった笠原メイさんの日記と詩を読んだ。
「百点満点の詩は書けない」その言葉に大いに共感する。
「千編くらい書いたら一つくらいは良いのが残るだろう」
私の場合は一日一編が精一杯であるが
彼は四編も書いておりその意欲に驚くばかりであった。
私はいつも40点位かなと思う。
かつてこっぴどく貶された割にはけっこう頑張っている。
もう二度とあのような屈辱は味わいたくなかった。
報われなくても認められなくても私は書き続けたいと思う。
窓から対岸の山を眺めたら
山桜が咲いていた辺りに椎の木の花が見えていた。
どちらも同じ花である。「美しい」だけが花と決めつけてはいけない。
※以下今朝の詩
花占い
近く遠く 見える見えない
花占いの花びらが 最後の一枚になる
げんじつはざんこく げんじつはかなしい
夢はゆめでしかなく 明日はあすでしかない
近ければ駆け付けよう 遠ければ呆然と立ち尽くす
見えたならば微笑もう 見えなければ諦めよう
泣いてなんかいないのに どうして胸が痛むのだろう
少女は最後の花びらを千切った
二十四節気の「穀雨」穀物を潤す春の雨が降る頃。
梅雨時のような曇り空であったが雨は降らず
午後三時頃には青空が見え暑い程の陽射しが降り注ぐ。
夕方5時前には三陸沖で大きな地震があり
北海道や青森、岩手の沿岸部に津波警報が出された。
今のところ大きな津波は観測されていないようだが
警報が解除されるまではどんなにか不安なことだろう。
また一部の地域では停電も発生しているとのこと。
夜を迎え何とも気の毒でならない。
もし南海トラフ地震だったらと思うと一気に不安が襲って来た。
決して他人事ではない。明日は我が身だと思う。

月曜日であったが仕事は今日も順調とは行かず
今日の予定だった消防車の車検を明日に延期してもらった。
例の警告灯が点いていた車を義父が正常に直したとのこと。
もうディーラーに持ち込む必要がなくなったので
同僚が早速車検整備に取り掛かっていた。
義父は早朝から田んぼの代掻きに行っていたようだが
トラクターが故障したらしく必死になって修理をしていた。
話し掛けただけで機嫌が悪く今にも雷が落ちそうである。
荒い口調で怒鳴り散らす。仕事が捗らず腹を立てていたのだろう。
例の雀の被害は苗をネットで覆い何とか凌いでいるようだ。
それだけは話してくれてほっとしたことだった。
事務仕事は午前中に片付き午後から帯状疱疹のワクチンを打つ予定だったが
病院で貰った説明書を読んでいるとやはり副反応があるらしく
頭痛、倦怠感、発熱等と記してあり不安がどんどん大きくなった。
以前にコロナワクチンを打った後もとても辛かったことを思い出す。
同僚にも相談したが最終的には自分で決めなくてはならない。
しばらく迷ったが思い切ってキャンセルすることにした。
帯状疱疹に罹ればとても辛く後遺症も残ると聞き怖ろしかったが
早目に受診すると軽い症状で済む場合もあるのだそうだ。
運試しではないが「いちかばちか」である。
もし罹ったらその時のことと思うことにした。
とにかく免疫力を高める生活を心掛けなければならない。
予定は変更になったがいつもより早めに退社した。
朝の峠道を下りそのまま家へ帰る。
驚いたのは朝とは違う風景であった。
真っ白いツツジを見つけたりアマリリスの花も咲いている。
四万十大橋が見え始めるとその雄大さに感動した。
同じ道でも行きと帰りではこんなにも違うのである。
家で少し休んでからカーブスへ行った。
病気療養を理由に辞めていたかつてのコーチが筋トレに来ていて
久しぶりの会い語らうことが出来て嬉しかった。
元気そうに見えたがまだ療養中とのことで気掛かりが残る。
もうコーチとして復帰することはおそらくないだろう。
サニーマートでまた「よしむらさん」に助けてもらった。
今日は沢山買物をしていたので有難くてならない。
別れ際に「暑うなったけん熱中症に気をつけてよ」と言ってくれた。
ほんのささやかな一言に胸がほんわかと温かくなる。
私もお客さん相手の仕事なので彼女を見習わなければと思う。
ひとは誰しも「ひとこと」で傷つき「ひとこと」で救われる。
誤解が生じることもありいつだって慎重でなければならない。
「ごめんなさい」の一言。「ありがとう」の一言。
「また明日ね」の一言でよしむらさんと別れた。
※以下今朝の詩
雀
雀が稲苗を食い荒らしているのだそうだ 田植えを目前にして農夫は怒り狂っていた 何としても守らんといかん 雀に負けよったらいかんぞ
籾種をたくさん蒔いた日 育苗機に入れるとそれは 三日もしないうちに芽を出す その成長は凄まじくて驚く
農夫は早く植えようと躍起になる 水を張った田の代掻きに精を出す 右往左往するトラクターの音が響く しんどいけんどやらんといかん 農夫は少しも休むことをしなかった
雀たちは嬉しくてならない 苗に顔を埋めると籾種があり 水を含んだそれは柔らかく美味しい 一羽が十羽となり競い合うように啄む それは生きるために必然なことだった
農夫は嘆き続けている 退治するのだと意気込む もはや雀は敵なのだろう
年老いた八十路の農夫の 白髪が激しく乱れるのを 春の風がそっと宥めていた
| 2026年04月19日(日) |
「これから」のために |
連日の曇り日。雨が降りそうで降らず。
気温は20℃を超えていたが蒸し暑さは感じなかった。
日曜日で朝の道にも縁がなく明日が待ち遠しくてならない。
玄関先の葉牡丹に可愛らしい花が咲く。
葉も枯れることなく生き生きとしている。
毎年種を採ろうと思うのだが実行に移せず
今年こそはと思いつつ時が流れてしまいそうだ。
朝のうちに衣替えを兼ねて衣類の整理をしていた。
もう何年も着たことのない衣類がいっぱいあり
思い切って捨てることにする。
バドミントンをしていた頃のユニホームは懐かしくてならず
胸に当ててみるとまるで子供服のように小さい。
こんなに痩せていたのかと信じられない程だった。
川仕事に励んでいた頃の仕事着も多くありこれも懐かしくてならない。
新しく買い求めることもなかったのでかなりの年季物であった。
冬用と春用があり季節ごとの苦労が昨日のように思い出される。
母が残してくれた衣類もあったがこれも惜しみなく捨てることにした。
母は小柄だったので今の私には到底着られそうにない。
母が来ていた頃の姿が目に浮かんだが「断捨離」だと思った。
全部で10キロ程だろうかビニール袋はずっしりと重い。
やっとの思いで車に積み込み市の資源ごみ収集所に持って行く。
市営の体育館の片隅にありいつでも自由に持ち込めるのだが
今日はちょうど市の「バドミントン大会」が行われていた。
ユニホームを捨てる日に大会とはその偶然に驚く。
さすがにアリーナには踏み込めず窓からそっと中を覗いてみた。
てっきりかつてのお仲間さんが参加していると思っていたのだが
一人も見えず見知らぬ若者ばかりであった。
おそらくバドミントンは続けているがもう大会には出ないのだろう。
それだけ歳月が流れ時代が変わったのだと思うと胸が痛んだ。
「寂しさ」は「切なさ」に似て胸に風が吹き抜けるのを感じる。
「終わったのだな」と思う。もう二度と取り戻すことは出来ない。
午後は食べて寝るのが仕事であった。
満腹のお腹を抱えて横になると直ぐに眠くなる。
しかし長続きはせず一時間ごとに目が覚めるのだった。
2時に目覚めればもう寝るのにも飽きてしまい
アイスコーヒーを片手に自室で過ごすことにした。
ひっきりなしに煙草に火を点けてしまい自己嫌悪に陥る。
その上に退屈でならず22年前の4月の日記を読み返す。
そこには47歳の私がいて何だか乙女ぶっていた。
泥酔状態で書いている日記もあり恥ずかしくてならない。
しかし書くことに拘っておりそれは今の私と変わらなかった。
そうして歳月を費やしてきたことは誇りでもあるが
何ひとつ成長していないことに衝撃を受ける。
何をしても何を書いても「そこそこ」でしかなかったのだろう。
バドミントンのことや川仕事のことも書いてあったが
それも今となってはもう無縁の日々でしかない。
いくら懐かしく思えても過ぎ去った「過去」であった。
「これまで」ではなく「これから」をと思う。
もう70歳になろうとしている私にいったい何が書けるだろうか。
生きてこその日常もいつ最期を迎えるか分からなかった。
「そこそこ」であることは今後も変わることはないだろう。
いくら年季を重ねても今以上にはなれないと思う。
ただ胸を張って生きる。書いてこそが私の人生ではないだろうか。
※以下今朝の詩
野花
野をいちめんにして咲く 名も知らぬ花であった
ひまわり色であったが 大輪の花ではなく ちいさな欠片のようである
金剛杖の鈴の音が響き 旅人がふと足を止める りんりんと咲く花は 真っ直ぐに背を伸ばした
「花」と呼ばれることは 当たり前のことだろうか 「草」であっても構わない
その場所に咲き続けることが 永遠の定めのようにおもう
旅人の微笑みに励まされ 生きて在ることが誇りであった
陽射しを浴びればその眩しさに 果てしない空の青さが寄り添う
曇り日。午後には少し薄日が射していたが青空は見えず。
蒸し暑さはなかったが梅雨時の空のようであった。
玄関のシクラメンが花だけ残し葉がすっかり枯れてしまう。
残った花を数えれば10本もあり何と健気なことだろう。
花だけを切りちいさな花瓶に活けたらブーケのようになった。
もうしばらくは我が家の玄関を彩ってくれるだろう。
今朝は「どんど晴れ」の最終回を見終わってから
そのままうたた寝をしてしまい夫に起こされる。
8時には家を出なくてはならず大急ぎで職場に向かう。
峠道を越えるとオオデマリの花が迎えてくれほっとする朝であった。
民家の畑の隅々には芝桜が植えられており鮮やかな光景である。
畑にはエンドウの花が咲きサニーレタスも萌えている。
昨年は猿に玉葱を食べられたそうだが今年は大丈夫だったろうか。
母の友人の家であったが姿は見えなかった。
5分の遅刻で職場に着けばもう来客があり同僚がオイル交換をしていた。
常連のお客さんであったが少し気難しい人で緊張せずにはいられない。
急いでコーヒーを淹れようとしたが「要らんぞ」と断られてしまう。
愛想が肝心とあれこれ世間話をしてその場を凌ぐ。
ちょうどその時、田んぼから義父が帰って来てくれてほっとする。
米農家仲間なので義父と話したかったようだ。
オイル交換が終わり同僚は新たな車検整備に取り掛かろうとしたが
エアバックの警告灯が点灯しており先に進めなくなる。
朝食を終えた義父が診断機で調べてくれたが複雑な箇所なので
ディーラーに相談したが今月中はもう予約でいっぱいなのだそうだ。
大型連休前は何処の工場もてんてこ舞いである。
車の持ち主も様子を見に来ていたが整備士の資格も持っているとのこと。
同僚は蚊帳の外になり義父と一緒にあれこれ手を施していた。
そのおかげで警告灯は一度切れたがまた直ぐに点灯する有り様である。
やはりディーラーに持ち込むしかないだろう。
持ち主のお客さんも諦め顔で帰って行った。
義父はハウスの苗が雀の被害に遭っているそうで頭を悩ませている。
ハウスなのに何処から雀が入り込むのだろうと不思議でならなかったが
ハウスには換気の為の天窓があるのだそうだ。
一羽が入り込めば十羽にもなり雀も生きるために必死なのである。
苗自体を食い荒らすのではなくも籾種が目当てらしい。
その籾種から発芽したのだから当然のことだろう。
苦心して種から育てた苗を何としても守らねばならない。
午後には予約なしで大型車のタイヤ交換がありけっこう忙しかった。
明日は日曜日なので同僚と納車を済ます。
今週の仕事はこれでお終いであったが順調とは行かず
車検完了の書類は来週に持ち込さねばならなかった。
義父次第であったが今日は雀と闘わねばならないのだ。
それよりも少しでも工場を助けてくれたことに感謝せねばと思う。
定時で退社したが何だか目の前の海が荒れているようである。
難破船が岩にぶつかり粉々になりそうだった。
しかしオールを漕ぎ続けなければならない。
手を緩めれば忽ち海の藻屑になるだろう。
弱音を吐いても嘆いても何も変わらないのなら
「なんのこれしき」と立ち向かって行こうと思う。
※以下今朝の詩
若葉
一本の樹であることは尊い 花のように美しくはないが 凛と立つその姿に胸を打たれる
見えないところで花が咲く 桜にはなれないことを知り それでも精一杯に咲くのだった
花粉はひとから忌み嫌われ 害にもなるが嘆きはしない それは生きている証であった
やがて若葉の季節が訪れる 寒々とした裸樹だったころ 冷たい風にじっと耐えて来た
やわらかな若い緑となれば まるで子のように愛しい 母さんと呼ぶ声が聴こえる
今こそ胸を張らねばならない 命がけで守ろうとしている 艶やかなその若い緑のために
曇り日。気温は20℃程で随分と過ごし易い一日だった。
若葉の季節らしく柿や枇杷、銀杏の木も緑に包まれている。
はっと驚くのは紫陽花で冬の間の枯れた姿が嘘のようであった。
あの化石のような花はいったい何処に消えたのだろうと思う。
あとひと月もすれば花の新芽も見えてくることだろう。
そうしてまた紫陽花の季節がやって来る。
今朝は職場に着くなり愛子ちゃんの家を向かった。
しかし曇り空でも逆光となり写真を撮ることが出来ない。
またお昼頃に来て見ようと大急ぎで職場へ帰る。
工場では義父が例の困難な作業をしてくれていた。
同僚にはやはり無理で根負けしたようだった。
同じ熟練工でも義父と同僚では20年の差がある。
いざ義父が作業を始めると一時間も掛からなかった。
さすが義父だなと思う。おかげでどれ程助かったことだろう。
お昼前には車検整備が完了し今日の納車に漕ぎ付ける。
やはり工場には義父の助けが必要なことを想い知らされた。
一段落すると義父は長靴を履きまた田んぼへと急ぐ。
田んぼに水を張ってトラクターで代掻きをするのだそうだ。
また直ぐに次の田植えに取り掛かることだろう。
同僚は次の車検整備に取り掛かっていたが声を掛けて定時で退社した。
カーブスでは扇風機がフル回転しており心地よく汗を流す。
サニーマートで買物を終えたら「よしむらさん」が来てくれたが
甘えるのも気の毒な程、今日の荷物は軽かった。
それでも彼女は笑顔で手を貸してくれ有難くてならない。
車椅子のお客さんも居ることを話したら区別はしないとのこと。
高齢者や私のような軽度の障害者でも親切を心掛けているのである。
よしむらさんに会えた日はこころがほんわかと温かくなった。
4時過ぎに帰宅しいつものように自室に行ったが
SNSにダイレクトメールが届いており誰かな?と開くと
岩手盛岡在住のフォロワーさんが写真を送ってくれていた。
私が「岩手山と一本桜の景色を見たい」と云ったのを覚えていてくれたのだ。
なんと美しい景色だろう。岩手山にはまだ残雪があり
一本桜はほぼ満開で微笑んでいるように見えた。
真っ先に私に見せたかったと云う。その優しさが嬉しくてならない。
トモ君と出会ったのは私がSNSを始めたばかりの頃だった。
かれこれ10年だろうか。毎月の始めに必ずコメントを届けてくれる。
優しい人柄をそのままに「縁」をとても重んじる人であった。
消えようと思えば直ぐに消えることの出来るネットの世界で
繋がっていられることは奇跡のようにも思える。
先日のRもそうであったが「記憶」として私が存在していた。
あの一通のメールが私にとっては冥途の土産となるだろう。
会えば別れが世の定めと云うが
私は存在することで生き永らえているのだと思う。
もし死んでしまっても「忘れられない人」になりたい。
※以下今朝の詩
消しゴム
鉛筆に付いている消しゴムである 直ぐに擦り減ってしまうが そこそこに消して来たようだ
あまり強く擦るとこぼれ落ちる 小指の先ほどの塊りであった
あれもこれもと間違いだらけの 人生だったのかもしれない しかし書き直すことが出来た そうして「いま」があるのだろう
黒みを帯びたカスである 消されたことを恨みもせず 在りのままを認めて来た 息を吹き掛ければ飛ぶことも出来る
書き続けて来た日々に 季節の風が舞い込むのを 静かに見守っているようだ
鉛筆は削れば生き生きとするが 消しゴムは何処に消えたのだろう
朝の爽やかさもつかの間、日中は快晴の夏日となる。
日向に居ると眩暈がするような暑さであった。
おそらく5月初旬の気温なのだろう。
まだ4月の中旬だと云うのに異常だとしか思えない。
今年の夏は早く訪れるらしくその前兆らしかった。
八重桜が少しずつ散り始めたが今度はツツジが満開となる。
峠道を越えて最初の民家にはオオデマリの花が咲き始めていた。
先に咲いたコデマリを追い駆けているようだ。
オオデマリはその名の通り紫陽花に似た大きな花である。
そうしてまた朝の楽しみが増えるのが嬉しくてならない。

今朝は出勤すると義父が事務所に待機してくれていた。
既に車検完了の書類を書き始めており私も大急ぎである。
自賠責保険の印刷をし「適合証」の記入をした。
義父が居ないと出来ない仕事で「ようし、今だ」と思う。
一時間程で終り義父はまた田んぼへ出掛けて行く。
とても上機嫌で張り切っているようだった。
工場にはまた厄介な車検整備があり同僚が苦心していた。
訊けば交換部品の脱着が出来ないらしい。
いくら熟練工でも余程難しい作業なのだろう。
また糞詰まり状態となりにっちもさっちも行かなくなる。
取り合えず簡単な作業からするように同僚に指示し
困難な作業は義父に任せるように伝えた。
しかしそれも今日の事にはならず頭を抱えるばかりである。
そんな時にまた愛子ちゃんから電話があり
庭のツツジが満開になっているとのこと。
例の如くで「早くお出でよ」と云うのである。
気忙しさもあったが気分転換を兼ねてまた駆け付けて行った。
ツツジの種類は定かではないが淡いオレンジ色の花である。
それは可愛らしく見事に咲いていたが写真は撮れなかった。
強い陽射しが花に当たっており鮮やかには写らないだろう。
愛子ちゃんも残念がっていたが明日の午前中にと約束する。
それからまた珍しい花がメダカの鉢の中に咲いていると云う。
玄関先には大きなメダカ鉢が3個もあった。
水草の一種らしく「あさざ」と云う花なのだそうだ。
漢字で書くと「浅沙」のようである。
とても小さな黄色い花で野の花のようにも見えたが
水草には間違いなく絶滅危惧種なのだそうだ。
愛子ちゃんが影になってくれて写真を撮る。
立派なカメラならマクロ撮影も出来るが私はガラケーであった。
当然画質は悪く世界に発信するにはいささか難があるだろう。
しかし愛子ちゃんはとても喜んでくれて私も嬉しかった。
「また明日の朝ね」手を振って別れたからには約束を守らねばならない。
愛子ちゃん自慢のツツジを世界に発信しなければと思う。
頑張っている同僚に声を掛けて定時で退社した。
カーブス、サニーマートと日課を果たせば心地よい達成感がある。
4時過ぎに帰宅し自室に駆け上がるとノートパソコンを開き
アイスコーヒーを飲みながら笠原メイさんの日記を読んだ。
彼はただの闘病日記のようなものだと云うが
病んでいるとは少しも感じない意欲が感じられる。
「生き方」にルールなどないのだと思う。
どのような境遇であっても貫こうとする意志さえあれば
自分の息を言葉にして「書く」ことが出来るのだ。
ふっと私と彼は似ているように感じた。
※以下今朝の詩
札幌
泣きなさい笑いなさい きみが歌ってくれた日
札幌にも春の兆しがあり 桜の蕾もふくらんだころ
終わらない冬はなかった 冷たい雪ばかりの日々も 耐え続けて来たのだった
夜勤の仕事を終えて帰り道 朝陽が街を照らすのを見た どんな日もあるものだと思う 疲れていても朝はやって来る
歳月は流れきみは父になった もう半世紀も生きて来たのだ 娘の成長が楽しみでならない
札幌の街に南風が吹く頃 きみは顔を上げて歩いている どんな未来が待っているのか その目で確かめようとしている
朝のうちは小雨だったが次第に土砂降りの雨になる。
バケツの水をひっくり返したような雨であった。
今朝は家を出るなりショートメールの着信があり
朝早くから誰だろうと気になり路肩に車を停め確かめた。
最初はいつもの迷惑メールだと思ったのだが
差出人の名を見て「まさか」と思わず声が出ていた。
それはもう10年以上も音信不通になってるRからだった。
私のことを覚えていてくれたなんてまるで夢のようである。
何と懐かしく嬉しかったことだろう。
歳月は流れRは結婚し10歳の娘さんが居るのだそうだ。
確かもう50歳を過ぎているはずである。
私と出会った頃はまだ30代の若者であった。
「昭和48年生」と云うホームページの管理人であったが
ネットサーフィン中に偶然見つけ
「あの子」と同じ年だなと思ったのだった。
妄想は膨らみそのうちあの子かもしれないと思い始める。
最初は掲示板でのやり取りであったがとても好感を持てた。
そのうち互いの電話番号を交換し声も聴くことが出来るようになる。
何か悩みがあると私を頼ってくれて相談相手になった。
私もネットのトラブルに巻き込まれていていつもRに助けて貰う。
「どこの馬の骨やら分からんぞ」と云ってくれたのもRである。
東日本大震災の時は思うように日記が書けなくなってしまった私に
「普通にしていようよ」と助け船を出してくれたのだった。
「あの子」が「親友」になる。どれほど信頼していたことだろう。
しかしそのあくる年だっただろうか酷く不機嫌な声を聞いた。
もう迷惑なのかもしれないと思う。頼り過ぎてしまったのかもしれない。
それがRの声を聞いた最後となったのだった。
十年一昔と云うが私の記憶は色褪せることはなかった。
顔の見えないネットの世界でこれ程の縁を感じたことはない。
私にとってRは永遠の親友だと云えよう。
そんなRが結婚し父親になった姿を見ることは叶わないが
ウルフルズの「ええねん」を聴いて私を思い出したのだそうだ。
何も言わんでもええねん
何もせんでもええねん
笑いとばせばええねん
好きにするのがええねん
感じるだけでええねん
気持ちよければええねん
それでええねん それでええねん
後悔してもええねん
また始めたらええねん
失敗してもええねん
この歌が私とRの全てだったのかもしれない。
※今夜は詩の掲載をお休みします。
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