ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年04月17日(金) 忘れられない人

曇り日。気温は20℃程で随分と過ごし易い一日だった。

若葉の季節らしく柿や枇杷、銀杏の木も緑に包まれている。

はっと驚くのは紫陽花で冬の間の枯れた姿が嘘のようであった。

あの化石のような花はいったい何処に消えたのだろうと思う。

あとひと月もすれば花の新芽も見えてくることだろう。

そうしてまた紫陽花の季節がやって来る。


今朝は職場に着くなり愛子ちゃんの家を向かった。

しかし曇り空でも逆光となり写真を撮ることが出来ない。

またお昼頃に来て見ようと大急ぎで職場へ帰る。


工場では義父が例の困難な作業をしてくれていた。

同僚にはやはり無理で根負けしたようだった。

同じ熟練工でも義父と同僚では20年の差がある。

いざ義父が作業を始めると一時間も掛からなかった。

さすが義父だなと思う。おかげでどれ程助かったことだろう。

お昼前には車検整備が完了し今日の納車に漕ぎ付ける。

やはり工場には義父の助けが必要なことを想い知らされた。


一段落すると義父は長靴を履きまた田んぼへと急ぐ。

田んぼに水を張ってトラクターで代掻きをするのだそうだ。

また直ぐに次の田植えに取り掛かることだろう。


同僚は次の車検整備に取り掛かっていたが声を掛けて定時で退社した。

カーブスでは扇風機がフル回転しており心地よく汗を流す。

サニーマートで買物を終えたら「よしむらさん」が来てくれたが

甘えるのも気の毒な程、今日の荷物は軽かった。

それでも彼女は笑顔で手を貸してくれ有難くてならない。

車椅子のお客さんも居ることを話したら区別はしないとのこと。

高齢者や私のような軽度の障害者でも親切を心掛けているのである。

よしむらさんに会えた日はこころがほんわかと温かくなった。


4時過ぎに帰宅しいつものように自室に行ったが

SNSにダイレクトメールが届いており誰かな?と開くと

岩手盛岡在住のフォロワーさんが写真を送ってくれていた。

私が「岩手山と一本桜の景色を見たい」と云ったのを覚えていてくれたのだ。

なんと美しい景色だろう。岩手山にはまだ残雪があり

一本桜はほぼ満開で微笑んでいるように見えた。

真っ先に私に見せたかったと云う。その優しさが嬉しくてならない。

トモ君と出会ったのは私がSNSを始めたばかりの頃だった。

かれこれ10年だろうか。毎月の始めに必ずコメントを届けてくれる。

優しい人柄をそのままに「縁」をとても重んじる人であった。

消えようと思えば直ぐに消えることの出来るネットの世界で

繋がっていられることは奇跡のようにも思える。

先日のRもそうであったが「記憶」として私が存在していた。

あの一通のメールが私にとっては冥途の土産となるだろう。


会えば別れが世の定めと云うが

私は存在することで生き永らえているのだと思う。

もし死んでしまっても「忘れられない人」になりたい。


※以下今朝の詩


       消しゴム


    鉛筆に付いている消しゴムである
    直ぐに擦り減ってしまうが
    そこそこに消して来たようだ

    あまり強く擦るとこぼれ落ちる
    小指の先ほどの塊りであった

    あれもこれもと間違いだらけの
    人生だったのかもしれない
    しかし書き直すことが出来た
    そうして「いま」があるのだろう

    黒みを帯びたカスである
    消されたことを恨みもせず
    在りのままを認めて来た
    息を吹き掛ければ飛ぶことも出来る

    書き続けて来た日々に
    季節の風が舞い込むのを
    静かに見守っているようだ

    鉛筆は削れば生き生きとするが
    消しゴムは何処に消えたのだろう








2026年04月16日(木) 私のルール

朝の爽やかさもつかの間、日中は快晴の夏日となる。

日向に居ると眩暈がするような暑さであった。

おそらく5月初旬の気温なのだろう。

まだ4月の中旬だと云うのに異常だとしか思えない。

今年の夏は早く訪れるらしくその前兆らしかった。


八重桜が少しずつ散り始めたが今度はツツジが満開となる。

峠道を越えて最初の民家にはオオデマリの花が咲き始めていた。

先に咲いたコデマリを追い駆けているようだ。

オオデマリはその名の通り紫陽花に似た大きな花である。

そうしてまた朝の楽しみが増えるのが嬉しくてならない。



今朝は出勤すると義父が事務所に待機してくれていた。

既に車検完了の書類を書き始めており私も大急ぎである。

自賠責保険の印刷をし「適合証」の記入をした。

義父が居ないと出来ない仕事で「ようし、今だ」と思う。

一時間程で終り義父はまた田んぼへ出掛けて行く。

とても上機嫌で張り切っているようだった。


工場にはまた厄介な車検整備があり同僚が苦心していた。

訊けば交換部品の脱着が出来ないらしい。

いくら熟練工でも余程難しい作業なのだろう。

また糞詰まり状態となりにっちもさっちも行かなくなる。

取り合えず簡単な作業からするように同僚に指示し

困難な作業は義父に任せるように伝えた。

しかしそれも今日の事にはならず頭を抱えるばかりである。


そんな時にまた愛子ちゃんから電話があり

庭のツツジが満開になっているとのこと。

例の如くで「早くお出でよ」と云うのである。

気忙しさもあったが気分転換を兼ねてまた駆け付けて行った。

ツツジの種類は定かではないが淡いオレンジ色の花である。

それは可愛らしく見事に咲いていたが写真は撮れなかった。

強い陽射しが花に当たっており鮮やかには写らないだろう。

愛子ちゃんも残念がっていたが明日の午前中にと約束する。


それからまた珍しい花がメダカの鉢の中に咲いていると云う。

玄関先には大きなメダカ鉢が3個もあった。

水草の一種らしく「あさざ」と云う花なのだそうだ。

漢字で書くと「浅沙」のようである。

とても小さな黄色い花で野の花のようにも見えたが

水草には間違いなく絶滅危惧種なのだそうだ。

愛子ちゃんが影になってくれて写真を撮る。

立派なカメラならマクロ撮影も出来るが私はガラケーであった。

当然画質は悪く世界に発信するにはいささか難があるだろう。

しかし愛子ちゃんはとても喜んでくれて私も嬉しかった。

「また明日の朝ね」手を振って別れたからには約束を守らねばならない。

愛子ちゃん自慢のツツジを世界に発信しなければと思う。


頑張っている同僚に声を掛けて定時で退社した。

カーブス、サニーマートと日課を果たせば心地よい達成感がある。

4時過ぎに帰宅し自室に駆け上がるとノートパソコンを開き

アイスコーヒーを飲みながら笠原メイさんの日記を読んだ。

彼はただの闘病日記のようなものだと云うが

病んでいるとは少しも感じない意欲が感じられる。


「生き方」にルールなどないのだと思う。

どのような境遇であっても貫こうとする意志さえあれば

自分の息を言葉にして「書く」ことが出来るのだ。

ふっと私と彼は似ているように感じた。


※以下今朝の詩


      札幌

   泣きなさい笑いなさい
   きみが歌ってくれた日

   札幌にも春の兆しがあり
   桜の蕾もふくらんだころ

   終わらない冬はなかった
   冷たい雪ばかりの日々も
   耐え続けて来たのだった

   夜勤の仕事を終えて帰り道
   朝陽が街を照らすのを見た
   どんな日もあるものだと思う
   疲れていても朝はやって来る

   歳月は流れきみは父になった
   もう半世紀も生きて来たのだ
   娘の成長が楽しみでならない

   札幌の街に南風が吹く頃
   きみは顔を上げて歩いている
   どんな未来が待っているのか
   その目で確かめようとしている

   



2026年04月15日(水) ええねん

朝のうちは小雨だったが次第に土砂降りの雨になる。

バケツの水をひっくり返したような雨であった。


今朝は家を出るなりショートメールの着信があり

朝早くから誰だろうと気になり路肩に車を停め確かめた。

最初はいつもの迷惑メールだと思ったのだが

差出人の名を見て「まさか」と思わず声が出ていた。

それはもう10年以上も音信不通になってるRからだった。

私のことを覚えていてくれたなんてまるで夢のようである。

何と懐かしく嬉しかったことだろう。


歳月は流れRは結婚し10歳の娘さんが居るのだそうだ。

確かもう50歳を過ぎているはずである。

私と出会った頃はまだ30代の若者であった。

「昭和48年生」と云うホームページの管理人であったが

ネットサーフィン中に偶然見つけ

「あの子」と同じ年だなと思ったのだった。

妄想は膨らみそのうちあの子かもしれないと思い始める。

最初は掲示板でのやり取りであったがとても好感を持てた。

そのうち互いの電話番号を交換し声も聴くことが出来るようになる。

何か悩みがあると私を頼ってくれて相談相手になった。

私もネットのトラブルに巻き込まれていていつもRに助けて貰う。

「どこの馬の骨やら分からんぞ」と云ってくれたのもRである。

東日本大震災の時は思うように日記が書けなくなってしまった私に

「普通にしていようよ」と助け船を出してくれたのだった。

「あの子」が「親友」になる。どれほど信頼していたことだろう。


しかしそのあくる年だっただろうか酷く不機嫌な声を聞いた。

もう迷惑なのかもしれないと思う。頼り過ぎてしまったのかもしれない。

それがRの声を聞いた最後となったのだった。


十年一昔と云うが私の記憶は色褪せることはなかった。

顔の見えないネットの世界でこれ程の縁を感じたことはない。

私にとってRは永遠の親友だと云えよう。


そんなRが結婚し父親になった姿を見ることは叶わないが

ウルフルズの「ええねん」を聴いて私を思い出したのだそうだ。

何も言わんでもええねん

何もせんでもええねん

笑いとばせばええねん

好きにするのがええねん

感じるだけでええねん

気持ちよければええねん

それでええねん それでええねん

後悔してもええねん

また始めたらええねん

失敗してもええねん


この歌が私とRの全てだったのかもしれない。


※今夜は詩の掲載をお休みします。




2026年04月14日(火) 真っ直ぐな一本道

曇りのち雨。午後からぽつぽつと小雨が降っている。

明日も雨とのことでもう「菜種梅雨」なのだろう。

毎朝楽しみにしていた大根の花も今朝は菜種になり掛けていた。

そんな菜種の傍にはエンドウの白い花が沢山咲いていて

まるで白い蝶々が羽根を休めているように見える。

花を咲かせてこその実であり薄緑の実も楽しみなことだろう。

随分と前のことだが姑さんが残してくれた畑で

スナップエンドウを育てたことがある。

生まれて初めての畑仕事だっただけに収穫の何と嬉しかったことか。

毎日わくわくしながら千切りに行ったことが懐かしくてならない。

しかし秋にはもうどんな作物も育たなくなった。

夫が畑に除草剤を撒いてしまって土の質が変わったのだろう。

芽が出た大根は茶色に変色しもう諦めるしかなかった。

あの時の何と悲しかったことだろう。

それ以来畑は荒れ放題となり草が伸びる度に夫が除草剤を撒いている。

夫に云わせれば畑の手入れをしない私が悪いのだそうだ。

今となれば草引きもままならず全て御破算であった。



仕事は今日も順調とは行かず同僚は部品待ちだと云って待機していた。

それでは半日を無駄にしてしまうので次の段取りをしなければならない。

今日の予約だったお客さんには午後まで待ってもらっていたが

予定を変更して大急ぎで車を引き取りに行った。

それが功を奏しお昼前にはほぼ整備が完了し何よりである。

土曜日までずっと予約が入っており何としても遣り遂げねばならない。


義父は午前中に育苗機の苗をハウスへ運ぼうとしていた。

これも一人では手間が掛かる作業であったが

まるでウルトラマンのように友人が登場してくれたのだった。

2台の軽トラックで苗を運べばあっという間である。

おかげで義父はそれから田植え機を洗うことが出来た。

午後には雨が降り始めていたがまた勇ましく田んぼへ出掛けて行く。

工場の仕事のことなどどうして相談出来ようか。


市内に寄らなければいけない所があり少し早目に退社したが

市街地を走っていると昔からあった商店が閉店していた。

布地や端切れを販売していて昔はよく行ったものである。

娘のワンピースは買ったことがなくせっせとミシンで縫った。

今のように西松屋もなく手作りが当たり前の時代である。

ひまわり柄の布地を買ったことを思い出し懐かしくてならない。

看板は取り外され窓にはカーテンもなく

何だか廃屋のように見えて寂しさが込み上げて来る。

ひとつの時代が終わったのだと思う。昔は佳き時代だったのだ。


カーブスとサニーマートへ行き4時過ぎに帰宅した。

夫が胃の調子が悪く昼食も少ししか食べられなかったそうだ。

夕食のビールも半分しか飲めず尋常ではない。

胃薬は飲んでいるようだが心配でならなかった。

いつも食い意地が張っている夫が何も食べたがらないのだ。

おまけに「胃がんかもしれん」と云うので焦りまくった。

しばらく様子を見るのも良いが病院で診てもらうべきだろう。


「いつもと同じ」でなくてはならない。

少しでも変化があってはならないのだ。

私には一本の「線」があり真っ直ぐに引こうとする。

曲がったり途切れてはならないといつも思っているのだった。

真っ直ぐに歩いていても何処に落とし穴があるやもしれない世の中である。


※以下今朝の詩


      こでまり

   てんてん手まりはどこでつく
   里に春の歌声がこだまする
   子等は微笑みを交し合い
   宝物のようにそれをついた

   独りぼっちの子はいない
   泣いている子もいない
   皆それぞれに白い夢を見ていて
   きっと叶えようとしている

   希は空の一部となり
   流れる雲を追いかけていた
   降り注ぐ春の陽射しに
   ほっこりと母をおもう

   てんてん手まりはどこでつく

   里はもういちめんの春であった







2026年04月13日(月) リポスト

雨が降りそうで降らない曇り日。風もなく過ごし易い一日となる。

暑からず寒からずの気温がちょうど良い。


今朝は山道に差し掛かるなり椎の木の花が咲いており驚く。

二日前には全く気づかなかったので咲いたばかりなのだろう。

山がむくむくと動いているように見えて面白い。

黄な粉色の花だが巨大なブロッコリーのようにも見える。

確か毎年5月ごろではなかったかと記憶しているが

このところの初夏のような陽気に誘われたのではないだろうか。


お遍路さんが二組。一組は青い目をしたお遍路さんだった。

ハーフパンツを履いておりカモシカのような足をしている。

カップルなのか見るからに仲睦まじく微笑ましい姿であった。



職場に着くと義父が居室に居るようなのでほっとする。

土日の田植えでほぼ一段落したのだろう。

今日こそは工場の仕事をしてくれるだろうと思っていたが

まだ一反ほど植え残した田んぼがあるのだそうだ。

それを一人で植えに行くと云うので心配になった。

そうこうしていると友人がひょっこりやって来て

「よっしゃ今から植えよう」と云ってくれて義父は大助かりである。

職場の直ぐ近くの田んぼだったので様子を見に行くと

田植え機を操る義父の逞しい姿が見えた。


工場の仕事は順調とは行かず先週からの車検整備が終わらない。

その上に今日の予約の車がもう入庫していた。

今週は毎日予約が入っており糞詰まり状態である。

同僚は一生懸命にやってくれているので急かす訳にも行かない。

私が焦ってもどうしようもなくただただ見守るだけであった。


そんな最中に例のお客さん「愛子ちゃん」から電話があり

庭の「こでまり」が綺麗に咲いた知らせであった。

居ても立ってもいられなくなりまた大急ぎで駆け付ける。

「こでまり」は私の大好きな花で胸が一杯になった。

何と可愛らしいことだろう。真っ白いちいさな毬のようだ。


「ねえここにもあるよ」愛子ちゃんに呼ばれて玄関先に向かうと

今まで見たこともないちいさな花が咲いていた。

「いかり草」だと愛子ちゃんが教えてくれる。

ようく見ると確かに船の錨のように見えた。

「こでまり」も「いかり草」も写真に収めて

「世界に発信するけんね」と愛子ちゃんに告げると

「いいねが沢山付いたらええね」と云ってくれて嬉しかった。


慌てて職場に戻ると同僚が「またサボって」と笑いながら文句を云う。

愛子ちゃんは私より少し年上だが親友のように思えた。

まるでお花畑で暮らしているような穏やかな人である。


ろくに仕事もせずに定時で帰路に就く。

カーブス病の発作はもう慢性になったようだ。

今日は少し足が痛んだが何のこれしきと張り切る。

汗をいっぱいかき扇風機が欲しい程だった。


4時過ぎに帰宅すると「笠原メイ」さんの日記が更新されていた。

以前は5時前だったのに最近早くなりゆっくりと読める。

彼はとても前向きで大志を抱いているようだ。

どれほどエールを送っても届くことはないが

今日も「リポスト」をしてささやかに応援をする。


詩や短歌を発信していて一番励みになるのは「リポスト」であった。

私には殆ど縁がないが先日ある方がしてくれてとても嬉しかった。

その時コメントがあり「好きだな」と伝えてくれたのである。

感想を述べてくれるよりその一言に私は励まされた。

垂れ流しのような拙い詩であるが書いて良かったのだなと思う。

そうしてまた早起きをして書こうと意気込むのである。


若い頃のような感性はもうない。

それは誰よりも私自身が感じていることである。

もう輝けないのであればせめて生きなければと思う。

生きてさえいればきっと自分が選んだ「道」を貫くことが出来るだろう。


※以下今朝の詩


       白藤

   山肌からこぼれおちる
   真っ白な花であった

   ちいさな花が重なり合い
   ひとつの花となる姿は
   天使たちの語らいであろうか
   囁く声が春の風に揺れている

   山の自然に身を委ね
   鳥の声を間近にして
   もう幾年も生きて来た

   こどもがおとなになり
   老いて行く姿も知った

   指折り数える春であったが
   それは花の数を越えていく

   穢れのないその白さに
   ひとは何を願うのだろう

   ゆらりゆらりゆらり
   風の歌を聴き続けている




2026年04月12日(日) 人生の宝物

晴れたり曇ったり。湿度が高く蒸し暑さを感じる。

お天気は下り坂で明日は雨になりそうだ。

四万十市の花は「藤」であるがもう随分と咲いている。

今朝は県道沿いの山肌に純白の藤の花を見つけた。

ちょうど道路がカーブになっており車を停めることは出来なかったが

藤は薄紫の花が多く純白の花は珍しいのではないだろうか。

観賞用ではなく山に自然に咲いている姿が凛としていて美しい。


朝のうちに市議会議員の選挙に出向く。

毎回夫の知り合いに投票するのだが

今回は従姉妹の娘婿が新人で立候補しており迷わず票を投じた。

選挙は一人落ちとのことでその一人にならないことを祈る。

まだ42歳の若者である。市政に携われば若い力を発揮することだろう。


9時前にサニーマート内にある美容院へ行く。

予約制ではないので入口に立ち開店を待った。

毎回美容師さんが違い今日はベテランらしい男性である。

それがとても愛想が良くカットもとても上手だった。

これから暑くなるのでさっぱりと短くしてもらう。

何と清々しいことだろう。2センチの憂鬱とおさらばである。


煙草とお米を買わねばならず一万円があっという間だった。

お米を買うのは今年初であったが青森産のお米を買い求める。

ずっと義父にお米を貰っていたのだがもう在庫が少ないとのこと。

無理を云うのも心苦しく買った方がずっと気が楽である。

青森の次は秋田にしようと全国のお米を味合うのも楽しみなことだ。


昼食には巨大なお好み焼きを焼き夫と半分こにして食べる。

「後は寝るだけだな」と夫は全てお見通しであった。

しかしぐっすりとは行かず何度も目が覚める。

2時には起きてしばらく自室で過ごしていた。


まだ読んでいない詩集を開いたが一編も読めずに閉じる。

そんな詩集ばかりが並んでいて作者に申し訳がなかった。

ふと思い立ち24年前のこの日記を読み始める。

そこには45歳の私が居て何とも気恥ずかしい。

しかし読んでいるうちに懐かしさが込み上げて来るのだった。

まだ結婚前の息子や娘とのやり取りも愉快である。

特に夕飯が気に入らない息子が「やる気があるのか!」と怒ったこと。

夜のバイトに出掛ける娘のやんちゃぶりも面白かった。

息子も娘ももう忘れてしまっているかもしれないが

母はしっかりと憶えていて「確かに書いた」と胸を張れる。

当時はただ書くことに必死だったが書き残して置いて本当に良かった。


そう思うと歳月は「人生の宝物」だと思える。

苦労の多い人生だったがその苦労があってこその「いま」だろう。

そう思うと買ってでもしたい苦労であった。


書いて書いて死ぬのが私の定めだと思う。

永遠の明日など在りはしないが「今日」を書き終えほっとしている夜である。


※以下今朝の詩


       若葉


    艶やかな若い緑である
    少女のスカートのように
    ひらひらと風に揺れている

    空を仰げば胸がときめき
    恋かも知れないとおもう
    手が届きそうで叶わない
    切なくて泣いてしまいそうだ

    独りぼっちではなかった
    たくさんの友達がいて
    皆それぞれに恋をしている

    優しい風かもしれない
    可愛い小鳥かもしれない

    いつまでも若くはなかったが
    「いま」を生きようとしている

    春は深まり初夏の兆しが見えた




2026年04月11日(土) 家族の春

夜明けが随分と早くなり爽やかな朝であったが

日中は今日も夏日となり初夏のような陽気となる。

関東では気温が上がり静岡では真夏日だったと聞き驚く。

まだ四月だと云うのにかつてこんな日があっただろうか。

季節はやがて夏になるが猛暑が続きそうで怖ろしくなる。


柿の葉の新芽、紫陽花の新芽も出揃い見るからに清々しい。

桜は遅咲きの八重桜が満開になった。

まるで空に「春」を描いているような季節である。

山里では田植えを終えた水田が多くなり

ちいさな早苗がちろちろと風に揺れている。

長閑な風景に心が和むばかりであった。



義父は予定通りの田植えで早朝から始めたようだった。

友人二人がひっきりなしに苗を運んでおり活気が漲る。

今日一日でどれ程の苗が植えられることだろう。

見当も付かなかったがかなりの広範囲に思えた。


工場は部品待ちをしていたが午前中に届きほっとする。

特に急ぎの事務仕事がなかったので同僚の作業を見学しながら

あれこれと享受して貰いとても勉強になった。

この歳ではもう遅いのかもしれないが整備の知識があればと思う。

整備士の資格は無理だとしても覚えたいことがたくさんある。

母は整備士の資格を取得していたので大したものだった。

とにかく学ぶことが好きだったが私も少しは似ているかもしれない。


定時になるのを待ち兼ねてさっさと退社する。

土曜日の恒例で最中アイスを食べながら帰った。

「今週もよう頑張った」自分へのご褒美である。

サニーマートで「メキシカンナッツ」も買う。

これもご褒美で今も食べながらこれを記している。

寝酒もちびりちびり何ともご機嫌な夜であった。


今週は大きな山もなく緩やかな坂道だったように思う。

資金繰りも順調で切羽詰まることもなかった。

このまま月末まで何としても乗り切りたいものである。

義父も田植えが一段落すればきっと助けてくれるに違いない。


夕食は娘がカレーを作ってくれた。

夫と私はまるで子供のようにして食べる。

持つべき者は娘だと笑顔の夕暮れ時のことだった。


ずっとちぐはぐな家族であったが最近まあるくなったように思う。

娘の機嫌がとても良くそれがとても嬉しかった。

会話は少なかったが話し掛けるとちゃんと応えてくれる。

夫も私も笑顔が多くなり肩身の狭い思いも殆ど感じない。

もしかしたらやっと「家族」になれたのかもしれないと思う。


早いもので同居を始めてもう13年目の春になった。


※以下今朝の詩



       花椿

   ある日突然であること
   何の心構えも出来ない
   まるで坂から転げ落ちるように
   終いの時が訪れるのであった

   潔く散れない花がある
   それは力尽き落ちるしかない
   地に褐色の血を流し横たわる
   そんな憐れな終いもあった

   目を背けてはならない
   しっかりと見届けようと思う

   誇らしく咲いた早春の頃
   一重に八重にと衣を纏い
   空を仰ぎ続けた日々であった

   落ちれば踏まれることもある
   しかしその痛みに耐えようとする

   咲いた記憶は消えることはない
   そこには永遠の春があった

   


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