ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年03月20日(金) あちら側とこちら側

「春分の日」太陽が真東から昇り真西に沈む。

昼と夜の時間が同じで季節の節目でもあった。

「暑さ寒さも彼岸まで」と云い本格的な春が始まる。

風の強い一日であったが気温は20℃と暖かくなった。

何処かへ出掛ける事もなくほぼ一日中寝て過ごす。

朝のうちに2時間、午後は4時間も寝てしまった。

春眠を貪ると云えば聞こえは良いが

ただの怠け者だと云った方が相応しいだろう。


庭先の雪柳がすっかり散ってしまい若い緑の葉が萌え始めた。

花が散ればお終いだと思っていたが艶やかな緑も良いものだ。

そうして夏を越すのだろう。その逞しさに心が捉われる。

何としても来年また花を咲かせてやりたいものだ。



朝寝から目覚め気怠さを引き摺ったまま買い物に行く。

お昼はお好み焼きで夕飯は「鰹のひっつけ寿司」の予定だった。

新鮮でかつ安価な鰹を求めて鮮魚売り場へ行くと

土佐清水産の鰹が並んでおり「やったあ」と思う。

小ぶりであったが一節6百円と安く二節買い求めた。

他にもあれこれと買い求めセルフレジへ向かったら

「よしむらさん」が居てにっこりと手を挙げてくれる。

そうして直ぐに私の傍らに来てくれたのだが

うっかりしていてお好み焼きの粉を買い忘れていた。

「急がんでもええけん取って来たや」と云ってくれて

足を引き摺りながらまた売り場へと戻る。

しかしカートをレジに置いていたため思うように歩けず

途中でよろけてしまいレジまで辿り着けなくなった。

するとよしむさらんが駆け寄って来てくれて

私の手を握ると一歩一歩とレジまで連れて行ってくれたのだった。

なんと優しく親切な事だろう。胸が熱くなり涙が出そうになる。

レジでやっと精算を済ますとよしむらさんがカートに荷物を積んでくれた。

「いっつもすまんねえ」とお礼を云うと「なんちゃあじゃない」と微笑む。

おまけに「転ばんように気をつけて帰ったよ」と送り出してくれたのだった。


親切に慣れてはいけないと思うがついつい頼りにしてしまう。

甘える事が当然のように思って傲慢になっているのかもしれない。

けれどもそこに「笑顔」があることでどんなにか救われているだろうか。

大勢のお客さんがいて車椅子で買物をしている人も居る。

よしむらさんはいつもお客さんに気を掛けながら働いているのだった。

もちろん店員さんも大勢いるがそんな店員さんは彼女だけである。

ささやかなふれあいであってもその親切が身に沁みるのだった。

私は何も出来ないけれど少しでも誰かの役に立てるだろうか。

困っている人がいたら優しく声を掛けてやりたいものだ。


ほぼ寝ていた割に長い一日だった。

めいちゃんが高知市へプチ旅に行ったせいか我が家は静まり返っている。

窓の外はもう真っ暗闇でまだ少し風が吹いているようだ。

窓ガラスが微かに鳴っているのが唯一の音である。


目覚めれば春なのに違いない。

何だか新しい扉を開けるようでわくわくとしている。


※以下今朝の詩


    春彼岸

あちら側とこちら側が
真っ二つに裂けている

西風と南風がぶつかり
せめぎ合っているようだ

春でなければいけない理由を
認めようとしない冬であった

此岸には桜の花が咲き始め
こころが浮き立つ季節である
厳しい寒さを乗り越えてこそ
微笑むことが出来る花がある

彼岸には亡き人達の魂が棲み
此岸に残した愛しい者を守る
寂しくはないか辛くはないか
それはきっと永遠であろう

桜の花を手向けるには遠すぎるが
春を知らせることは出来るだろう

あちら側とこちら側で
想いは通じようとしている










2026年03月19日(木) 大きなお世話

雨上がりの晴天。気温は20℃に達し春の陽気となる。

昨夜は本降りの雨になるかと思っていたが

小雨のままで直ぐに止んでしまったようだ。

水不足の解消にはほど遠く残念なことである。

後は菜種梅雨を待つしかないだろう。


朝の国道では白木蓮が随分と散ってしまった。

その家の人が掃き掃除をしたらしく

道路から歩道に向けて花びらが寄せ集められていた。

それは白ばかりではなく朽ちた茶色の花びらもあり

胸が締め付けられるような悲哀を感じずにいられない。

咲けば散るのは当たり前のことだが

何だか花の死骸のように見えて心が痛む。



職場に着けば義父の友人がもう苗を運び始めていた。

そうしてまた別の友人も夫婦で来てくれる。

二台の軽トラックで運ぶので何と早いことだろう。

育苗機の中の苗はあらあらと云う間に運び出されて行った。

今度はまた種蒔きである。来週早々になりそうだ。

義父は足腰の痛みを訴えており辛そうであったが

老体にムチを打つように気力だけで頑張っているようである。


苗運びは午前中に終り午後にはトラクターで田起こしに行った。

工場の忙しさも気になるのだろう同僚に指示することを忘れない。

明日も祭日返上を考えていたが同僚が予定があるとのこと。

金曜日の休業は手痛く仕事は山積みであった。


事務仕事も忙しく朝からパソコンの前から離れられない。

難しい入力作業がありシステムサポートに助けてもらった。

リモート操作であるがサポートの女性も初体験とのこと。

二人でああでもないこうでもないと交互にマウスを動かす。

やっと出来た時には「良い勉強になったね」と笑い合った。


定時では終われず退社が遅くなってしまったが

カーブスを諦められずまっしぐらに向かった。

いつものメンバーさんには会えたが皆先に帰ってしまった。

すると時間帯が変わったせいで全く知らない人ばかりである。

それも新鮮に思えたが少し緊張感が走っていた。


サニーマートに行ったらカーブス主催の「血管年齢」の測定をやっていて

顔なじみのコーチに誘われ私も測定をしてみた。

すると実年齢よりもずっと若く62歳だったので驚く。

血管年齢と血圧との関係は定かではないが

少しぐらい血圧が高くても大丈夫のように思えた。

血管は62歳だと思えばまだまだこれからの人生である。


5時前に帰宅したが娘たちが出掛けており5時を過ぎても帰らない。

電話があり夕食の支度には間に合いそうにないとのこと。

海老フライの予定であったが後回しにして煮物とサラダだけ作る。

食い意地の張っている夫は海老フライが食べたかったのだそうだ。


6時前には娘たちが帰って来て海老フライを作り始めていた。

あやちゃんも手伝っており娘と肩を並べている。

背が高くなったなと思う。髪の毛も腰まで伸びていた。


娘に「そろそろ美容院へ行ったら」と告げると

凄い剣幕で怒り「ばあちゃんが決めることじゃない」と怒鳴る。

髪を切るのもあやちゃん自身が決めることなのだそうだ。

だから周りがとやかく口出ししてはいけないらしい。

娘に叱られると悲しい。老婆心もすっかりしゅんとなる。

夫は知らない事だったが知れば夫にも叱られたことだろう。

私の老婆心は半端なく「大きなお世話」で出来ているようだ。

けれどもどうして見て見ぬふりが出来ようかといつも思う。


※以下今朝の詩


   散歩道

いくらでも歩けた頃
川辺は私の庭であった

石段を上り詰めると
ながい土手の道が続き
大河の流れを見渡す

突き当りまで歩くと
神社の鳥居が見える
桜の木が植えられており
春が楽しみな道であった

川辺へと続く石段を
ひとつひとつ下りる
春ならば蓬や蒲公英
土筆も沢山咲いていた

ひっそりと佇む大師堂
蝋燭に火を灯し線香を立てる
そうして拙い般若心経を唱えた

上流へと続く道は「あかめ道」
赤い目をした大きな魚がいる
川底には古い墓石が沈んでおり
潮が引くのを待っているようだ

下流へと続く道は果てしなく
大橋の向こう側には河口が見える
南風が吹けばほんのりと潮が匂う
けれども海まで歩くことはなかった

春夏秋冬の景色が目に浮かぶ
もう二度と歩くことは出来ない

不自由な足をさすりながら
散歩道が恋しくてならなかった






2026年03月18日(水) 催花雨

ぽつぽつと小雨降る一日。

春雨のはずであったが気温が低く冷たい雨であった。

桜の蕾には催花雨となったことだろう。

雨不足でどんなにか水を求めて耐えて来たことか。

桜便りは届いたがまだ山里には一輪も咲いていない。

平田町の桜並木も同じく蕾があるのかさえも分からなかった。


山里では水を張られた田んぼが目に付くようになったが

やはり深刻な水不足とのこと。義父も頭を悩ましている。

先日蒔いた種籾はもう発芽し明日はハウスへ運ぶらしい。

苗ばかり増えても肝心の田んぼが心許ない有り様であった。

ハウスの苗にも毎日水を遣らねばならず大変な苦労である。



今日は雨のおかげで朝からずっと義父が居てくれて大助かりだった。

例の大型車の請求書もやっと仕上がり郵送を済ます。

月末までには入金となるだろう。高額なのでもう安堵しかない。

義父も決して会社を見捨てた訳ではなかった。

ただ高齢でもあり二足の草鞋が辛いだけなのだろう。

どちらも完璧に済ますほどもう若くはないのである。


午後も仕事が忙しくなり大急ぎで整形外科に向かった。

予約時間ぎりぎりであったがU君が笑顔で待ってくれていてほっとする。

施術中にあれこれと語り合うのが楽しみであるが

今日はU君が身体障害者であることを打ち明けてくれた。

いつも片足を引き摺っているので気にはなっていたが

どうやら子供の頃から障害を抱えていたらしい。

根掘り葉掘りと訊くことでもなくそれ以上は訊いてはならない。

しかし決して辛い子供時代ではなかったようである。

よく理学療法士の道を選んだと感心せずにはいられなかった。

自分の身体を二の次にして誰かの役に立ちたいと思ったのだろう。

そんなU君のことが増々好きになった。


買い物を終えて4時半に帰宅。

昼間あやちゃんが茶の間に下りて来ていたそうで

「遅くなったけどお誕生日おめでとう」と夫に告げてくれたのだそうだ。

本当は昨日伝えたかったのだろう。でもそれが出来なかった。

あやちゃんなにりそのことを悔やみ今日は勇気を出したのだと思う。

「こんなに嬉しいことはないぞ」と夫も感動したようだ。

「人並み」とは何だろうと改めて考える。

毎日学校へ行って勉強し部活をすることだろうか。

友達とラインを交し皆と仲良くすることだろうか。

恋だってするだろう。胸がドキドキすることも。

そんな全ての事を手放しているのである。

しかしそれを決して憐れだとは思はない。

閉じ籠っている殻にも春の風がきっと届くだろう。

桜が咲けば夢のように想像をふくらます事も出来る。

私達は一丸となってそんなあやちゃんを見守り続けたい。


※以下今朝の詩


   開花

あたりまえのことなど
ひとつもありはしない

花はどれ程の寒さを
乗り越えて来たことか
厳しければきびしいほど
根を張り続けて耐えた日々

枯木になることをおそれた
不安でならなかったけれど
空がある限りと枝を伸ばし
風を受け止めて来たのである

老木ならば尚更のこと
命にしがみつこうとする
いったい誰が守ってくれよう

花として咲けば歓喜の声がする
永遠の命など在りはしないが
凛々と空を仰ぐ真っ新な春であった






2026年03月17日(火) 人生の歯車

彼岸の入り。あの世とこの世を真っ二つにするようなイメージがある。

季節も同じく冬と春を引き裂くのではないだろうか。


風もなく穏やかな晴天となりすっかり春の陽気であった。

朝の道の春遍路さんも多くなり今朝も三人見かける。

真っ先に背中の荷物を見るのが常になっており

一人は背中がすっぽり隠れるくらい大きな荷物だった。

おそらくテントが入っているのだろう。

昨夜は何処で夜を明かしたのだろうと気になる。

昼間は暖かくなったが朝晩はまだ冷え込むことが多い。

そうして朝食は食べただろうかと気になる。

国道沿いにコンビニはあるが随分と離れた場所であった。

以前に会ったお遍路さんは携行燃料とお鍋を持っていた。

お接待で大根を頂いたが調味料を切らして困っていたのである。

お醤油とお砂糖を届けたのは「お大師堂」での出来事であった。

思い起こせばどれ程のお遍路さんと縁があったことだろう。

今はお大師堂へ出向くこともなくなり情けないことである。



仕事は昨日に引き続き朝から義父が大荒れである。

散々怒鳴り散らしてからまた田んぼの草刈りに行く。

慣れているつもりでもさすがに精神的に辛いものである。

お昼には帰って来てくれて何とか急ぎの仕事だけは済ます。

ただ書類にサインするだけだったがその寸分を惜しむのである。

午前中の作業が捗ったのか機嫌はまずまず良くなっていた。

「お昼もちゃんと食べんといかんよ」と云うと「おう」と素直に頷く。


取引先の中古部品屋さんに届け物があり2時前に退社した。

早目に行動したのが幸いし今日もカーブスへ行けて何よりである。

足の痛みは殆ど無く今日も絶好調であった。


サニーマートでステーキ肉を奮発する。

今日は夫の74歳の誕生日でお肉を食べたがっていた。

いつも遠慮を強いるので今夜は食べたいだけ食べさせてやりたい。

夫の何と嬉しそうな顔。うはうはと美味しそうに食べていた。

ビールだけではなく濁り酒も飲んでいかにも誕生日らしい夜である。


出会った頃には27歳だった夫がもう74歳である。

若い頃の苦労は買ってでもしろと二人で乗り越えて来た歳月だった。

父となりそうして今は祖父となり穏やかな老人である。

「俺はもういつ死んでもええぞ」と聞くたびに悲しくなる。

かと云って夫を残してどうして先に死ねようか。

人生の歯車は規則正しく回り続けていてまだ止まりそうにはない。

もし止まりそうになったら何としても支えようと思う。

夫のいない暮らしなど考えられなかった。

直ぐ後を追って死んでも良いとさえ思う。


「おじいさん」と夫を呼ぶ日々。夫は「ばあちゃん」と私を呼ぶ。

春の真っ只中で生まれた夫が誇らしく愛しくてならない。


※以下今朝の詩


   桜便り

桜ちゃんから手紙が届いた
もうすぐ春休みだから
家族旅行をするのだそうだ

私の町にも来てくれるって
学校の校庭で会う約束をした
お友達にも知らせなくては

ポニーテールが目に浮かぶ
髪も長くなっただろうな
背も高くなっただろうな

どんな話をしようかしら
わくわくと胸がたかなる

春が来る度に思い出していた
桜ちゃんが笑うとえくぼが出来て
とても可愛らしかったこと

お別れした時には悲しくて
涙がほろほろと流れたっけ

「またきっと会えるから」
指切りをした日がなつかしい

桜ちゃんに会える
春休みが楽しみでならない



2026年03月16日(月) はっけよいのこった

朝のうちはやはりまだ寒くお昼頃から暖かくなる。

明日から次第に下り坂の天気だそうで

催花雨だろうか二日ほど雨が降りそうである。

今日は高知城下の桜が開花したとのこと。

東京より早く岐阜と並んで全国トップだそうだ。

隣町の宿毛市でも独自の開花宣言があり

もう直ぐ四万十市も桜の季節になることだろう。

早咲きの桜は多く見られたがやはり染井吉野でなくてはならない。

人々の心を和ます優しい花であった。



さあ月曜日と勇ましく出勤したが既に義父の姿はなかった。

草刈り機を積んだドラックがなかったので田んぼに行ったようである。

急ぎの仕事があったがどうしようもなく諦めるしかなかった。

義父次第の事で思うように行かないのが歯がゆくてならない。


午後から市内でまた会議があったので忘れてはいないかと気になり

電話をしたら「忘れる訳がない」と荒い声で怒鳴られてしまった。

良かれと思ってしたことが裏目に出ると何とも辛いものだ。

もう何もかも嫌になる。ふと仕事を辞めたくなってしまった。

しかし冷静になって考えると義父も必死なのである。

雨になるまでに何とかしようと焦っているのだろう。

お昼には帰って来たが話す暇もなかった。

急いで昼食を食べたらしく市内へと車を飛ばして行く。

おそらく明日も田んぼだろう。もう手の付けようがない。


法務局へ行く用事があり2時過ぎに退社した。

カーブスは3時からなので余裕を持って行かねばならない。

幸い法務局はカーブスのすぐ近くなので助かる。


カーブスのコーチが今日も声を掛けてくれて

私が杖を必要としなくなったことが評判になっているのだそうだ。

気恥ずかしい話であったが素直に嬉しいと思う。

メンバーさんの中にも身体に痛みを抱えている人がいるだろう。

そんな人達の励みになればこの上ないことである。

「継続は力なり」これからも筋トレに励もうと心に誓う。


買い物を終えて4時過ぎに帰宅。

つかの間であったが夫と大相撲を観ていた。

今場所は誰が優勝するやら予測が付かず「面白いぞ」と喜ぶ夫であった。

毎日上機嫌でよろしい。明日は74歳の誕生日である。


夕食に「きんぴらごぼう」を作ったら無性に白いご飯を食べたくなった

いつもはご飯を抜いているのだが今夜は特別である。

お茶碗ではなくお皿で食べた。ほんの一口のつもりだったが

もっと食べたくなりお皿に三杯も食べてしまった。

ご飯を食べるとどうして太るのだろう。主食なのにと思う。

体重は年齢と比例しておりこのまま70歳になりそうだ。


ウエストが58センチだった頃がある。

バストは確か78センチだったと記憶している。

今はお腹周りが100センチになっているようだ。

何と恐るべし体型だろうか。まるでお相撲さんであった。


「はっけいよいのこった」毎日土俵に上がっており千秋楽もない。

これでもかこれでもかとぶつかっている相手は誰なのだろう。

怪我をしても休場は許されない。這ってでも闘わねばならない。

引退する日が来るのだろうか。それも定かではなかった。

ふう、もう疲れちまったな。呟く夜も多くなったこの頃である。


※以下今朝の詩


    悪夢

くるしい夢から目覚める
やっと逃れられたようだ

むかし三月に雪が降った
菜の花も桜草も雪に埋もれ
寒かろう辛かろうと思った

川辺も一面の雪景色である
川漁師の船が上流へと向かう
水しぶきを浴び凍えそうだった

そろそろ野すみれの咲くころ
緑の蓬もすっぽりと雪に埋まり
真っ白な夢を見ているようだ
怖ろしくはないか哀しくはないか

やがて春の陽射しが降り注ぎ
雪は跡形もなく消えて行った

夢の続きなどもう見たくはない



2026年03月15日(日) 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる

最高気温が18℃まで達し風もなく穏やかな晴天。

日曜の朝はゆっくりと洗濯物を干せるのでそれもよし。

庭先の花にも水遣りをしほっこりと眺める。


雪柳はまだ少し花が残っているが

もう緑の新芽が見え始めていておどろく。

5月まで置けば剪定の必要がないのかもしれない。

春を越し夏を越すのだろうか興味深い花であった。


娘が育てている多肉植物も寒さを乗り越え

ふっくらと膨らんで来ており楽しみである。

小さな鉢ばかりであるが可愛らしく並んでいる。



スローライフも良いものでふと仕事を退いた時を思い浮かべる。

家庭菜園に憧れているがもう荒れた畑を耕すのは無理だろう。

庭に大きなプランターを据えて野菜を育てるのも良さそうだ。

出来る事が少しずつ増えて行く。それもささやかな夢であった。


夢とは裏腹に朝からごろごろと寝てばかり。

せめて本でも読めば良いのにそれすらも出来ない。

読みかけの本もあったがもう開く気にもならないのだった。

日曜日は高知新聞の歌壇を楽しみにしているのだが

今朝は夫が先に確かめてくれて「おまえの名前はないぞ」と

少しも残念そうな顔をせずに教えてくれたのだった。

「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」なんて嘘っぱちだと思う。

もう投稿を止めてしまおうかと思いつつ諦められずにいる。


お昼にはまた握り寿司を食べた。それからインスタントラーメン。

握り寿司は高いが外食するより安上がりだと夫は云う。

出不精の夫に回転寿司をせがんでも無理な話であった。

私は炙りサーモンが食べたい。ポテサラの載ったお寿司も食べたい。


午後はまたお決まりのお昼寝であったが

夫が東日本大震災の実話ドラマを見ていたので一緒に見る。

医療従事者や自衛隊員が主人公だったが

実話となれば胸に迫るものがあり心が痛む。

そうしてそれが南海トラフ地震と繋がれば大きな不安しかなかった。

明日は我が身である。どうして避けられようかと思う。


その後一時間程うたた寝をしただけでもう眠れなかった。

しばらく自室で過ごしていたがまた煙草ばかり吸ってしまう。

もううんざりなのに止められない。私はいかれているようだ。


それから大量の洗濯物を畳んだがあやちゃんの衣類が一枚もない。

どうやら昨夜もお風呂をサボってしまったようだ。

娘は何も云わないので私もそっとしておくしかなかった。

あやちゃんにはちゃんとした日課があるのだと思う。

自由気ままに過ごすことが大切なのではないだろうか。

老婆心は痛むばかりだがこれからも見守ってやりたい。


夕食後ひと休みしてお風呂に入ったが

暖かいと思い浴室暖房を点けなかったら思いがけずに寒かった。

まさか死にはしないだろうが不安でいっぱいになる。

やっと乗り越えた冬である。今更どうして死ねようか。


もうすぐ桜の蕾も膨らむことだろう。

待ちに待った本物の春がやって来る。

私は未完成かもしれないがそのうちきっと完成するに違いない。

蕾を千切る人など誰一人いないのだ。


※以下今朝の詩


   完成


ちまちまと縫っている
もう少しで完成だ

時々息が足らなくなって
大きく吸いこむ時がある

うっかり珈琲をこぼして
汚してしまう時もある
切り抜いて捨てればいいが
滲みになるのを待ってしまう

針に糸が通らない
目を細めて何度も繰り返す
何とちいさな穴だろうか

糸が縺れてしまっても
諦めるわけにはいかない

いちまいの布であった
いったい何を縫っているのか
自分でもわからないけれど

完成はちかい
こころにすうっと布が広がる



2026年03月14日(土) 海は広いな大きいな

朝の寒さを打ち消すように日中はぽかぽか陽気となった。

降り注ぐ陽射しにはまるで天使が宿っているようである。

週間予報を見るとしばらくは暖かい日が続くようで

彼岸の入りとなれば本格的な春となるだろう。

しかし今年は夏の訪れが早いとのこと。

5月になればもう初夏の風が吹き始めそうである。

日々が背中を押されるように過ぎて行く。

3月も早中旬になろうとしている。


今朝は国道沿いの白木蓮が散り始めていた。

白い花びらが道路に落ちているのを容赦なく車が轢いていく。

無残で憐れであるが「花の定め」だと思うしかない。

花の見納めも近くなり切なさが込み上げて来る。



今朝は仕事で失態があり義父にこっぴどく叱られてしまった。

「経営者として失格」なのだそうだ。

後先の事を考えずに行動してしまうのは私の欠点であるが

これ程までに叱られたのは初めてであった。

義父が諄いのは今に始まった事ではないが

ねちねちと責める口調には流石に参ってしまった。

思わず「もう辞めろうかね」と告げると義父の顔色が変わる。

自分でも云い過ぎたと思ったのだろうやっと静かになった。

責められるのは辛かったが悪いのは私である。

もう二度とあってはならない事だと大いに反省した。


午後からは種籾を撒く作業である。

今日も彼女さんと友人夫婦が手伝いに来てくれていた。

人手は多いほど捗るのだが段取りが忙しかったようだ。

友人夫婦には知らせていなかったのにどうしてだろうと云う。

義父は何だか有難迷惑のような顔をしていた。


同僚が車検整備を完了したのを見届けて帰路に就く。

「FMはたらんど」のたかちゃんの笑い声が愉快でならない。

まるでお腹を抱えて笑っているような大きな声だった。

友人ではなくただの知り合いであるのが少し残念に思う。

「私の友達よ」と自慢をしたいのだろう。


買い物を終えて4時に帰宅。娘婿はまた釣りに行っていたらしい。

その釣果の殆どをご近所さんに配ってしまうので

新玉葱や原木椎茸が届くのが常であった。

もちろん釣った魚は私達の口には入らないのである。


今夜はカレー。娘と肩を並べて大急ぎで作る。

5時半にはめいちゃんをダンス教室に連れて行かねばならない。

大急ぎで作った割にはとても美味しいカレーだった。

カレー好きのあやちゃんもにっこりと微笑む。


夕食後は15分程自室で寛ぐのが日課だが

北海道のフォロワーさんが大手術を控えているとのこと。

「きっと生きて帰る」とポストしていたので心配でならない。

励まして良いものか迷ったがどうして無視が出来ようか。

「きっと帰って来て下さい。待っています」とコメントを送る。

しかしそれが届いたのか分からず夜になってしまった。


昨年まではとても元気で運送業の仕事をしていた。

春の山菜が好きでよく手料理の写真を見せてくれていたのだった。

今年の山菜採りはもう無理なのだろうか。

厳しい冬を乗り越えこその春の幸である。


Rなら「どこの馬の骨やら」と笑い飛ばすことだろう。

そのRさえも消えてしまったネットの海であった。

魚は群れをなすがたった独りきりの魚もいる。

海は果てしなく広く何処までも泳いで行けるが

生き抜くためにどれほどの試練を受け止めていることだろう。


※以下今朝の詩


   母子草

母さんあったかいね
寄り添えばなおさら
触れる肩がぬくもる

少女の頃の記憶は
辛く哀しかったけれど
恨んでも何も変わらない

母から手紙が届いたが
一度も返事を書かなかった
ゆるしてはならないと
唇を噛みしめていた日々

愛しさが花になる
それは野の片隅に
ひっそりと咲いた

そよそよと風は春
けれども
「あいたい」の一言が云えない

空はどこまでも続き
母も同じ空を見上げているだろう

母さんさびしいね
ゆるしてね母さん

何度目の春だろうか
歳月は流れ続け
私も母になった


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