ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年03月17日(火) 人生の歯車

彼岸の入り。あの世とこの世を真っ二つにするようなイメージがある。

季節も同じく冬と春を引き裂くのではないだろうか。


風もなく穏やかな晴天となりすっかり春の陽気であった。

朝の道の春遍路さんも多くなり今朝も三人見かける。

真っ先に背中の荷物を見るのが常になっており

一人は背中がすっぽり隠れるくらい大きな荷物だった。

おそらくテントが入っているのだろう。

昨夜は何処で夜を明かしたのだろうと気になる。

昼間は暖かくなったが朝晩はまだ冷え込むことが多い。

そうして朝食は食べただろうかと気になる。

国道沿いにコンビニはあるが随分と離れた場所であった。

以前に会ったお遍路さんは携行燃料とお鍋を持っていた。

お接待で大根を頂いたが調味料を切らして困っていたのである。

お醤油とお砂糖を届けたのは「お大師堂」での出来事であった。

思い起こせばどれ程のお遍路さんと縁があったことだろう。

今はお大師堂へ出向くこともなくなり情けないことである。



仕事は昨日に引き続き朝から義父が大荒れである。

散々怒鳴り散らしてからまた田んぼの草刈りに行く。

慣れているつもりでもさすがに精神的に辛いものである。

お昼には帰って来てくれて何とか急ぎの仕事だけは済ます。

ただ書類にサインするだけだったがその寸分を惜しむのである。

午前中の作業が捗ったのか機嫌はまずまず良くなっていた。

「お昼もちゃんと食べんといかんよ」と云うと「おう」と素直に頷く。


取引先の中古部品屋さんに届け物があり2時前に退社した。

早目に行動したのが幸いし今日もカーブスへ行けて何よりである。

足の痛みは殆ど無く今日も絶好調であった。


サニーマートでステーキ肉を奮発する。

今日は夫の74歳の誕生日でお肉を食べたがっていた。

いつも遠慮を強いるので今夜は食べたいだけ食べさせてやりたい。

夫の何と嬉しそうな顔。うはうはと美味しそうに食べていた。

ビールだけではなく濁り酒も飲んでいかにも誕生日らしい夜である。


出会った頃には27歳だった夫がもう74歳である。

若い頃の苦労は買ってでもしろと二人で乗り越えて来た歳月だった。

父となりそうして今は祖父となり穏やかな老人である。

「俺はもういつ死んでもええぞ」と聞くたびに悲しくなる。

かと云って夫を残してどうして先に死ねようか。

人生の歯車は規則正しく回り続けていてまだ止まりそうにはない。

もし止まりそうになったら何としても支えようと思う。

夫のいない暮らしなど考えられなかった。

直ぐ後を追って死んでも良いとさえ思う。


「おじいさん」と夫を呼ぶ日々。夫は「ばあちゃん」と私を呼ぶ。

春の真っ只中で生まれた夫が誇らしく愛しくてならない。


※以下今朝の詩


   桜便り

桜ちゃんから手紙が届いた
もうすぐ春休みだから
家族旅行をするのだそうだ

私の町にも来てくれるって
学校の校庭で会う約束をした
お友達にも知らせなくては

ポニーテールが目に浮かぶ
髪も長くなっただろうな
背も高くなっただろうな

どんな話をしようかしら
わくわくと胸がたかなる

春が来る度に思い出していた
桜ちゃんが笑うとえくぼが出来て
とても可愛らしかったこと

お別れした時には悲しくて
涙がほろほろと流れたっけ

「またきっと会えるから」
指切りをした日がなつかしい

桜ちゃんに会える
春休みが楽しみでならない



2026年03月16日(月) はっけよいのこった

朝のうちはやはりまだ寒くお昼頃から暖かくなる。

明日から次第に下り坂の天気だそうで

催花雨だろうか二日ほど雨が降りそうである。

今日は高知城下の桜が開花したとのこと。

東京より早く岐阜と並んで全国トップだそうだ。

隣町の宿毛市でも独自の開花宣言があり

もう直ぐ四万十市も桜の季節になることだろう。

早咲きの桜は多く見られたがやはり染井吉野でなくてはならない。

人々の心を和ます優しい花であった。



さあ月曜日と勇ましく出勤したが既に義父の姿はなかった。

草刈り機を積んだドラックがなかったので田んぼに行ったようである。

急ぎの仕事があったがどうしようもなく諦めるしかなかった。

義父次第の事で思うように行かないのが歯がゆくてならない。


午後から市内でまた会議があったので忘れてはいないかと気になり

電話をしたら「忘れる訳がない」と荒い声で怒鳴られてしまった。

良かれと思ってしたことが裏目に出ると何とも辛いものだ。

もう何もかも嫌になる。ふと仕事を辞めたくなってしまった。

しかし冷静になって考えると義父も必死なのである。

雨になるまでに何とかしようと焦っているのだろう。

お昼には帰って来たが話す暇もなかった。

急いで昼食を食べたらしく市内へと車を飛ばして行く。

おそらく明日も田んぼだろう。もう手の付けようがない。


法務局へ行く用事があり2時過ぎに退社した。

カーブスは3時からなので余裕を持って行かねばならない。

幸い法務局はカーブスのすぐ近くなので助かる。


カーブスのコーチが今日も声を掛けてくれて

私が杖を必要としなくなったことが評判になっているのだそうだ。

気恥ずかしい話であったが素直に嬉しいと思う。

メンバーさんの中にも身体に痛みを抱えている人がいるだろう。

そんな人達の励みになればこの上ないことである。

「継続は力なり」これからも筋トレに励もうと心に誓う。


買い物を終えて4時過ぎに帰宅。

つかの間であったが夫と大相撲を観ていた。

今場所は誰が優勝するやら予測が付かず「面白いぞ」と喜ぶ夫であった。

毎日上機嫌でよろしい。明日は74歳の誕生日である。


夕食に「きんぴらごぼう」を作ったら無性に白いご飯を食べたくなった

いつもはご飯を抜いているのだが今夜は特別である。

お茶碗ではなくお皿で食べた。ほんの一口のつもりだったが

もっと食べたくなりお皿に三杯も食べてしまった。

ご飯を食べるとどうして太るのだろう。主食なのにと思う。

体重は年齢と比例しておりこのまま70歳になりそうだ。


ウエストが58センチだった頃がある。

バストは確か78センチだったと記憶している。

今はお腹周りが100センチになっているようだ。

何と恐るべし体型だろうか。まるでお相撲さんであった。


「はっけいよいのこった」毎日土俵に上がっており千秋楽もない。

これでもかこれでもかとぶつかっている相手は誰なのだろう。

怪我をしても休場は許されない。這ってでも闘わねばならない。

引退する日が来るのだろうか。それも定かではなかった。

ふう、もう疲れちまったな。呟く夜も多くなったこの頃である。


※以下今朝の詩


    悪夢

くるしい夢から目覚める
やっと逃れられたようだ

むかし三月に雪が降った
菜の花も桜草も雪に埋もれ
寒かろう辛かろうと思った

川辺も一面の雪景色である
川漁師の船が上流へと向かう
水しぶきを浴び凍えそうだった

そろそろ野すみれの咲くころ
緑の蓬もすっぽりと雪に埋まり
真っ白な夢を見ているようだ
怖ろしくはないか哀しくはないか

やがて春の陽射しが降り注ぎ
雪は跡形もなく消えて行った

夢の続きなどもう見たくはない



2026年03月15日(日) 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる

最高気温が18℃まで達し風もなく穏やかな晴天。

日曜の朝はゆっくりと洗濯物を干せるのでそれもよし。

庭先の花にも水遣りをしほっこりと眺める。


雪柳はまだ少し花が残っているが

もう緑の新芽が見え始めていておどろく。

5月まで置けば剪定の必要がないのかもしれない。

春を越し夏を越すのだろうか興味深い花であった。


娘が育てている多肉植物も寒さを乗り越え

ふっくらと膨らんで来ており楽しみである。

小さな鉢ばかりであるが可愛らしく並んでいる。



スローライフも良いものでふと仕事を退いた時を思い浮かべる。

家庭菜園に憧れているがもう荒れた畑を耕すのは無理だろう。

庭に大きなプランターを据えて野菜を育てるのも良さそうだ。

出来る事が少しずつ増えて行く。それもささやかな夢であった。


夢とは裏腹に朝からごろごろと寝てばかり。

せめて本でも読めば良いのにそれすらも出来ない。

読みかけの本もあったがもう開く気にもならないのだった。

日曜日は高知新聞の歌壇を楽しみにしているのだが

今朝は夫が先に確かめてくれて「おまえの名前はないぞ」と

少しも残念そうな顔をせずに教えてくれたのだった。

「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」なんて嘘っぱちだと思う。

もう投稿を止めてしまおうかと思いつつ諦められずにいる。


お昼にはまた握り寿司を食べた。それからインスタントラーメン。

握り寿司は高いが外食するより安上がりだと夫は云う。

出不精の夫に回転寿司をせがんでも無理な話であった。

私は炙りサーモンが食べたい。ポテサラの載ったお寿司も食べたい。


午後はまたお決まりのお昼寝であったが

夫が東日本大震災の実話ドラマを見ていたので一緒に見る。

医療従事者や自衛隊員が主人公だったが

実話となれば胸に迫るものがあり心が痛む。

そうしてそれが南海トラフ地震と繋がれば大きな不安しかなかった。

明日は我が身である。どうして避けられようかと思う。


その後一時間程うたた寝をしただけでもう眠れなかった。

しばらく自室で過ごしていたがまた煙草ばかり吸ってしまう。

もううんざりなのに止められない。私はいかれているようだ。


それから大量の洗濯物を畳んだがあやちゃんの衣類が一枚もない。

どうやら昨夜もお風呂をサボってしまったようだ。

娘は何も云わないので私もそっとしておくしかなかった。

あやちゃんにはちゃんとした日課があるのだと思う。

自由気ままに過ごすことが大切なのではないだろうか。

老婆心は痛むばかりだがこれからも見守ってやりたい。


夕食後ひと休みしてお風呂に入ったが

暖かいと思い浴室暖房を点けなかったら思いがけずに寒かった。

まさか死にはしないだろうが不安でいっぱいになる。

やっと乗り越えた冬である。今更どうして死ねようか。


もうすぐ桜の蕾も膨らむことだろう。

待ちに待った本物の春がやって来る。

私は未完成かもしれないがそのうちきっと完成するに違いない。

蕾を千切る人など誰一人いないのだ。


※以下今朝の詩


   完成


ちまちまと縫っている
もう少しで完成だ

時々息が足らなくなって
大きく吸いこむ時がある

うっかり珈琲をこぼして
汚してしまう時もある
切り抜いて捨てればいいが
滲みになるのを待ってしまう

針に糸が通らない
目を細めて何度も繰り返す
何とちいさな穴だろうか

糸が縺れてしまっても
諦めるわけにはいかない

いちまいの布であった
いったい何を縫っているのか
自分でもわからないけれど

完成はちかい
こころにすうっと布が広がる



2026年03月14日(土) 海は広いな大きいな

朝の寒さを打ち消すように日中はぽかぽか陽気となった。

降り注ぐ陽射しにはまるで天使が宿っているようである。

週間予報を見るとしばらくは暖かい日が続くようで

彼岸の入りとなれば本格的な春となるだろう。

しかし今年は夏の訪れが早いとのこと。

5月になればもう初夏の風が吹き始めそうである。

日々が背中を押されるように過ぎて行く。

3月も早中旬になろうとしている。


今朝は国道沿いの白木蓮が散り始めていた。

白い花びらが道路に落ちているのを容赦なく車が轢いていく。

無残で憐れであるが「花の定め」だと思うしかない。

花の見納めも近くなり切なさが込み上げて来る。



今朝は仕事で失態があり義父にこっぴどく叱られてしまった。

「経営者として失格」なのだそうだ。

後先の事を考えずに行動してしまうのは私の欠点であるが

これ程までに叱られたのは初めてであった。

義父が諄いのは今に始まった事ではないが

ねちねちと責める口調には流石に参ってしまった。

思わず「もう辞めろうかね」と告げると義父の顔色が変わる。

自分でも云い過ぎたと思ったのだろうやっと静かになった。

責められるのは辛かったが悪いのは私である。

もう二度とあってはならない事だと大いに反省した。


午後からは種籾を撒く作業である。

今日も彼女さんと友人夫婦が手伝いに来てくれていた。

人手は多いほど捗るのだが段取りが忙しかったようだ。

友人夫婦には知らせていなかったのにどうしてだろうと云う。

義父は何だか有難迷惑のような顔をしていた。


同僚が車検整備を完了したのを見届けて帰路に就く。

「FMはたらんど」のたかちゃんの笑い声が愉快でならない。

まるでお腹を抱えて笑っているような大きな声だった。

友人ではなくただの知り合いであるのが少し残念に思う。

「私の友達よ」と自慢をしたいのだろう。


買い物を終えて4時に帰宅。娘婿はまた釣りに行っていたらしい。

その釣果の殆どをご近所さんに配ってしまうので

新玉葱や原木椎茸が届くのが常であった。

もちろん釣った魚は私達の口には入らないのである。


今夜はカレー。娘と肩を並べて大急ぎで作る。

5時半にはめいちゃんをダンス教室に連れて行かねばならない。

大急ぎで作った割にはとても美味しいカレーだった。

カレー好きのあやちゃんもにっこりと微笑む。


夕食後は15分程自室で寛ぐのが日課だが

北海道のフォロワーさんが大手術を控えているとのこと。

「きっと生きて帰る」とポストしていたので心配でならない。

励まして良いものか迷ったがどうして無視が出来ようか。

「きっと帰って来て下さい。待っています」とコメントを送る。

しかしそれが届いたのか分からず夜になってしまった。


昨年まではとても元気で運送業の仕事をしていた。

春の山菜が好きでよく手料理の写真を見せてくれていたのだった。

今年の山菜採りはもう無理なのだろうか。

厳しい冬を乗り越えこその春の幸である。


Rなら「どこの馬の骨やら」と笑い飛ばすことだろう。

そのRさえも消えてしまったネットの海であった。

魚は群れをなすがたった独りきりの魚もいる。

海は果てしなく広く何処までも泳いで行けるが

生き抜くためにどれほどの試練を受け止めていることだろう。


※以下今朝の詩


   母子草

母さんあったかいね
寄り添えばなおさら
触れる肩がぬくもる

少女の頃の記憶は
辛く哀しかったけれど
恨んでも何も変わらない

母から手紙が届いたが
一度も返事を書かなかった
ゆるしてはならないと
唇を噛みしめていた日々

愛しさが花になる
それは野の片隅に
ひっそりと咲いた

そよそよと風は春
けれども
「あいたい」の一言が云えない

空はどこまでも続き
母も同じ空を見上げているだろう

母さんさびしいね
ゆるしてね母さん

何度目の春だろうか
歳月は流れ続け
私も母になった



2026年03月13日(金) のらくら二等兵

春は名のみの風の寒さや。

陽射しはたっぷりとあったが風が強く吹き寒さを感じた。

明日も風が強くなるそうで花粉の飛散も多いとのこと。

私は幸い花粉症ではないが夫は毎日薬を飲み続けている。


どれ程の風であっても春には違いなく

今朝も白木蓮の花を仰ぎつつ職場に向かった。

山道の集落にある良心市には先日から何も置いていないが

そろそろ新玉葱やタラの芽が並ぶ頃である。

タラの芽が出始めると道路沿いに大きな看板が出るのだが

まだかまだかと待ち侘びるばかりであった。


峠道は冬枯れた景色が続き何とも寂しい。

セイタカアワダチソウがまるで老婆のように立っている。

新緑の季節にはまだ遠く山の樹々もひっそりと佇む。


峠道を越え山里の集落が見え始めると畑には菜の花が咲き

大根の白い花も咲いており心がほっと和む。

しばらく走っていると民家の畑に大きなミモザの木があり

もう花の盛りは終わりかけているが鮮やかな黄色が見事であった。

もう少し走ると道端に遅咲きの白木蓮の木があり

昨日まで蕾だったのが今朝は咲き始めており何とも可愛らしい。

これが春でなくて何だろうと思う。山里はいちめんの春であった。


寒緋桜がまだ咲いているのを確かめ桃の花が増えているのを確かめる。

そうしてトンネルを抜けると一面の田園地帯が広がっている。

義父の作っている田んぼも見え田植えの光景が目に浮かぶのだった。



義父は今日も高知市で会議があり朝から出掛けて行った。

整備振興会の委員長や理事を任されており年に数回会議がある。

もう高齢だからと退くことをしないのは責任感の強さだろうか。

根っからの「仕切り屋」さんなので一目置かれているようである。


工場は午前中に車検整備と一般修理を完了し

午後は同僚も「のらくら二等兵」であった。

三時過ぎにタイヤ交換の予約が入っていたのでひたすら待機である。

事務仕事もそこそこで午後は欠伸が出るほど暇であった。

同僚と肩を並べて煙草ばかり吸ってしまう有り様である。


そんな暇をこれ幸いとさっさとカーブスへ向かう。

昨日は出来なかったので今日は張り切っていた。

足も軽快に動く。薄っすらと汗をかき何とも心地よい。

「カーブスエッセイ大賞」の募集があるのだそうだ。

全国の応募なので狭い門だが書いてみようかなと思う。

何事も挑戦である。書かなければ何も始められない。


買い物を終え4時に帰宅したら夫が「おやつがあるぞ」と云う。

お昼に娘がお好み焼きを買って来てくれたのだそうだ。

夫は早目に昼食を終えていたので食べ切れなかったらしい。

私は空腹でならなかったので大喜びでがつがつと平らげる。

当然のようにお腹がいっぱいになり夕食どころではなかった。


私にとって食べる事と寝る事は「生きる」ことに等しい。

一番は書く事だがお腹が空いたら力も出ないだろう。

食べて寝て書く。私の身体はそんなシステムで出来ている。


夜明け前に詩を書くのが日課だが

珈琲と煙草は欠かせない。時たま途中で便意をもようしトイレに走る。

「ああすっきりした」とまた詩の続きを書き始めるのだった。

それが不思議と違和感がない。我ながら見事な集中力である。

いったい誰が途中で「うんこ」をしたと思うだろうか。


とんとんとんと日常の事を織るように過ごしている。

糸が切れたりほつれる事もあるが気にしないことだ。


織姫は一年に一度しか愛しい人に会えないが

私は毎日愛しい人に会うことが出来る。


※以下今朝の詩


  シクラメン

耳を澄ましている
それは微かな音だった

冬の花でありながら
たくさんの蕾をつけ
日々を咲かせている

きょうの花あすの花
紙縒りのような蕾が
次々に開いていく

首をもたげている蕾もある
いったい何が哀しいのだろう
寄り添えばきっと
打ち明けてくれるだろう

きょうの花あすの花
いのちの音が聴こえている





2026年03月12日(木) 永遠の記憶

晴れたり曇ったり。日が暮れてから雨が降り始める。

この雨で寒の戻りも収まるかもしれない。

一雨ごとに春が深まるのを待ち望むばかりである。


梅の花はすっかり散ってしまい河津桜も葉桜となった。

後一週間もすれば染井吉野が咲き始めることだろう。

高知よりも東京の開花が早いとのこと何だか不思議でもある。


庭先の葉牡丹がすっかり伸びて小さな花芽が見え始めた。

菜の花とよく似た花が咲くのも楽しみである。


花屋さんでは売れ残った雪柳が何とも憐れだった。

値下げもせずに隅の方に押しやられているが

もう買い求める人も居ないことだろう。

新しい花がたくさん並んでいるので余計に憐れに見える。

老いも若きもと云うべきだろうかどんな姿でも花に違いない。



今日は義父の友人夫婦が2組も来てくれてハウスへ苗を運んでいた。

育苗機の中の早苗はもう5センチ程に伸びていて驚く。

軽トラック2台でひっきりなしに苗を運んでいた。

人手は多いほど助かりお昼前には全ての苗を運び込む。

義父は休む間もなくまた次の種籾の準備を始めていた。

その傍らで車検完了の車を愛媛の愛南町まで納車に行ってくれる。

あれもこれもと一つの身体では足りない忙しさであった。


午後も新たな車検の車が入庫し同僚も休む暇もない。

私もカーブスどころではなくなり一時間の残業となった。

諦めたくはなかったが何を優先するかである。

もし仕事を放り出して行ったとしても楽しめるはずはない。

これは大切なことでこれからも教訓にしようと思う。


買い物を終えて4時半に帰宅。夫と少しだけ大相撲を観ていた。

5時前に自室に行きSNSを見ていたら通知があり

真っ先に「笠原メイ」さんの日記へ飛んで行く。

今日は一番だった。子供みたいに嬉しくてならない。

淡々とした日記であったが感動せずにはいられなかった。

最後の詩には不思議なリズムがある。

何だか言葉が踊っているような軽快さがあった。

おそらく何か音楽を聴きながら書いているのだろう。

スマホではなくパソコンでその動く指先が目に見えるようだ。


私の詩を「オン書き」だと教えてくれたのは詩人の白井明大さんだが

ずっと「めいさん」と呼ばせてもらっていて「メイさん」と重なる。

これはあくまでも偶然であるが不思議な縁を感じた。

おまけに我が家にも「めいちゃん」が居るのである。

たった一度きりの人生に三人の「めい」に恵まれたのだろう。


そんな人生も残り少なくなったが魂は何度でも巡り会うのだそうだ。

たとえ死んでしまっても来世できっとまた会えるのである。

「いま」がその来世だとしたらいったいいつ出会っていたのだろう。

そう思うとこの記憶を永遠に保ち続けたいものだ。


※以下今朝の詩


    仕舞い

浮んでは沈むようなこと
冬であったり春であったり

早春を知らせた花が散り急ぎ
葉を残せばそれも春であった

裸木となる仕舞もある
もう何も身に着けずに
枝を空に伸ばすばかり

陽射しは隔てなく降り注ぐ
風の声も優しくなったようだ

季節の栞がはらりと落ちる
ここまでではない
ここからなのだ

向かうべき道が見える
苦にするようなことは
何ひとつないのである





2026年03月11日(水) 花は咲く

朝は冬の寒さが続いているが日中は少し暖かくなる。

風があるのとないのとでは随分と違うものだ。

あの日も確か晴れていた。15年前のことを思い出す。

津波に呑み込まれた多くの尊い命であった。

忘れないことが供養だと云う。

いったい誰が忘れるだろうかと思う。

どれ程歳月が流れても決して忘れることはないだろう。




同僚が通院のため午前中はまるで寝ているような工場であった。

義父が待機してくれていたが今日は種籾を干すとのこと。

庭に筵を何枚も広げ手で撫でながら干すのである。

11トンもの土が要るのだからまだまだこれからだろう。

無事に田植えに漕ぎ着けるように祈るばかりであった。


午後には同僚が来てくれて工場も目を覚ます。

昨日入庫していた車の車検整備が完了する。

今日は新たな車検予約を受け入れていなかったが

明日からまた忙しくなりそうだ。


経理は思った通りとなり自賠責保険を精算すると残り僅かとなる。

何と逃げ足の早いことだろう。追い駆けることも出来なかった。

例の大型車の請求書さえ出来ればと思うが

忙しそうにしている義父の手を止める訳にはいかない。

焦ってもどうしようもなくまた明日の風に吹かれるしかないだろう。


整形外科のリハビリと診察があり3時過ぎに病院へ着く。

予約時間より早かったが直ぐに名前を呼ばれた。

昨日の足の痛みはもう薄れており今日はとても楽であった。

療法士のU君に話すと痛みにも波があるのだそうだ。

一喜一憂しながらであるが痛みと付き合って行かねばならない。


リハビリを終えてからの診察で医師と語り合う。

杖を必要としなくなっただけでも好転しているのだろう。

しかし無理は禁物で転倒だけは避けなければいけない。

医師はいつも親身になってくれてとても心強かった。


4時半過ぎに帰宅。何とめいちゃんがパジャマ姿であった。

今日は娘が休みだったので学校をおさぼりしたようだ。

お姉ちゃんは学校へ行かない。お父さんも仕事に行かない。

その上にお母さんも休みとなれば自分も休みたかったのだろう。

家族みんなから期待されていれば疲れても当然である。

誰一人咎める者もいない。むしろ微笑ましく思ったくらいだ。


「ばあちゃん餃子を作るよ」娘の声から50個の餃子が出来た。

今日は遅くなると思い娘に買い物を頼んであったのだ。

手作り餃子は手間が掛かるので滅多に作らないのだが

久しぶりに食べたせいか顎が落ちる程に美味しかった。

我が家の餃子は「天下一品」だと誇らしく思う。


夕食後、SNSで山上秋恵さんがエレクトーンで弾く「花が咲く」を聴く。

なんと優しい音色だろう。リポストせずにはいられなかった。

被災地の人はもちろんのこと多くの人に聴いて欲しかった。

山上さんもきっとそう願って演奏したことだろう。


津波に呑み込まれても残った桜の木があるのだそうだ。

それが希望になりどんなにか人々の心を癒したことだろうか。

未だ遺骨さえも見つからない行方不明者が居て心が痛むが

春は何度も巡って来て花を咲かせ続けることだろう。


※以下今朝の詩


    未来

忘れられないこと
そうして春が巡って来る
もう随分と歳月が流れた

失った命は二度と還らず
深い悲しみに苛まれていた

あの子は生まれたばかり
生きていれば15歳になる
中学を卒業して未来へ羽ばたく
その未来を奪われてしまった

けれども花は咲く
種を残し続けて
ずっと同じ場所に咲く
それが永遠でなくてなんだろう

一輪だった花が一面に咲き
未来を約束しているようだ



 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加