ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年03月13日(金) のらくら二等兵

春は名のみの風の寒さや。

陽射しはたっぷりとあったが風が強く吹き寒さを感じた。

明日も風が強くなるそうで花粉の飛散も多いとのこと。

私は幸い花粉症ではないが夫は毎日薬を飲み続けている。


どれ程の風であっても春には違いなく

今朝も白木蓮の花を仰ぎつつ職場に向かった。

山道の集落にある良心市には先日から何も置いていないが

そろそろ新玉葱やタラの芽が並ぶ頃である。

タラの芽が出始めると道路沿いに大きな看板が出るのだが

まだかまだかと待ち侘びるばかりであった。


峠道は冬枯れた景色が続き何とも寂しい。

セイタカアワダチソウがまるで老婆のように立っている。

新緑の季節にはまだ遠く山の樹々もひっそりと佇む。


峠道を越え山里の集落が見え始めると畑には菜の花が咲き

大根の白い花も咲いており心がほっと和む。

しばらく走っていると民家の畑に大きなミモザの木があり

もう花の盛りは終わりかけているが鮮やかな黄色が見事であった。

もう少し走ると道端に遅咲きの白木蓮の木があり

昨日まで蕾だったのが今朝は咲き始めており何とも可愛らしい。

これが春でなくて何だろうと思う。山里はいちめんの春であった。


寒緋桜がまだ咲いているのを確かめ桃の花が増えているのを確かめる。

そうしてトンネルを抜けると一面の田園地帯が広がっている。

義父の作っている田んぼも見え田植えの光景が目に浮かぶのだった。



義父は今日も高知市で会議があり朝から出掛けて行った。

整備振興会の委員長や理事を任されており年に数回会議がある。

もう高齢だからと退くことをしないのは責任感の強さだろうか。

根っからの「仕切り屋」さんなので一目置かれているようである。


工場は午前中に車検整備と一般修理を完了し

午後は同僚も「のらくら二等兵」であった。

三時過ぎにタイヤ交換の予約が入っていたのでひたすら待機である。

事務仕事もそこそこで午後は欠伸が出るほど暇であった。

同僚と肩を並べて煙草ばかり吸ってしまう有り様である。


そんな暇をこれ幸いとさっさとカーブスへ向かう。

昨日は出来なかったので今日は張り切っていた。

足も軽快に動く。薄っすらと汗をかき何とも心地よい。

「カーブスエッセイ大賞」の募集があるのだそうだ。

全国の応募なので狭い門だが書いてみようかなと思う。

何事も挑戦である。書かなければ何も始められない。


買い物を終え4時に帰宅したら夫が「おやつがあるぞ」と云う。

お昼に娘がお好み焼きを買って来てくれたのだそうだ。

夫は早目に昼食を終えていたので食べ切れなかったらしい。

私は空腹でならなかったので大喜びでがつがつと平らげる。

当然のようにお腹がいっぱいになり夕食どころではなかった。


私にとって食べる事と寝る事は「生きる」ことに等しい。

一番は書く事だがお腹が空いたら力も出ないだろう。

食べて寝て書く。私の身体はそんなシステムで出来ている。


夜明け前に詩を書くのが日課だが

珈琲と煙草は欠かせない。時たま途中で便意をもようしトイレに走る。

「ああすっきりした」とまた詩の続きを書き始めるのだった。

それが不思議と違和感がない。我ながら見事な集中力である。

いったい誰が途中で「うんこ」をしたと思うだろうか。


とんとんとんと日常の事を織るように過ごしている。

糸が切れたりほつれる事もあるが気にしないことだ。


織姫は一年に一度しか愛しい人に会えないが

私は毎日愛しい人に会うことが出来る。


※以下今朝の詩


  シクラメン

耳を澄ましている
それは微かな音だった

冬の花でありながら
たくさんの蕾をつけ
日々を咲かせている

きょうの花あすの花
紙縒りのような蕾が
次々に開いていく

首をもたげている蕾もある
いったい何が哀しいのだろう
寄り添えばきっと
打ち明けてくれるだろう

きょうの花あすの花
いのちの音が聴こえている





2026年03月12日(木) 永遠の記憶

晴れたり曇ったり。日が暮れてから雨が降り始める。

この雨で寒の戻りも収まるかもしれない。

一雨ごとに春が深まるのを待ち望むばかりである。


梅の花はすっかり散ってしまい河津桜も葉桜となった。

後一週間もすれば染井吉野が咲き始めることだろう。

高知よりも東京の開花が早いとのこと何だか不思議でもある。


庭先の葉牡丹がすっかり伸びて小さな花芽が見え始めた。

菜の花とよく似た花が咲くのも楽しみである。


花屋さんでは売れ残った雪柳が何とも憐れだった。

値下げもせずに隅の方に押しやられているが

もう買い求める人も居ないことだろう。

新しい花がたくさん並んでいるので余計に憐れに見える。

老いも若きもと云うべきだろうかどんな姿でも花に違いない。



今日は義父の友人夫婦が2組も来てくれてハウスへ苗を運んでいた。

育苗機の中の早苗はもう5センチ程に伸びていて驚く。

軽トラック2台でひっきりなしに苗を運んでいた。

人手は多いほど助かりお昼前には全ての苗を運び込む。

義父は休む間もなくまた次の種籾の準備を始めていた。

その傍らで車検完了の車を愛媛の愛南町まで納車に行ってくれる。

あれもこれもと一つの身体では足りない忙しさであった。


午後も新たな車検の車が入庫し同僚も休む暇もない。

私もカーブスどころではなくなり一時間の残業となった。

諦めたくはなかったが何を優先するかである。

もし仕事を放り出して行ったとしても楽しめるはずはない。

これは大切なことでこれからも教訓にしようと思う。


買い物を終えて4時半に帰宅。夫と少しだけ大相撲を観ていた。

5時前に自室に行きSNSを見ていたら通知があり

真っ先に「笠原メイ」さんの日記へ飛んで行く。

今日は一番だった。子供みたいに嬉しくてならない。

淡々とした日記であったが感動せずにはいられなかった。

最後の詩には不思議なリズムがある。

何だか言葉が踊っているような軽快さがあった。

おそらく何か音楽を聴きながら書いているのだろう。

スマホではなくパソコンでその動く指先が目に見えるようだ。


私の詩を「オン書き」だと教えてくれたのは詩人の白井明大さんだが

ずっと「めいさん」と呼ばせてもらっていて「メイさん」と重なる。

これはあくまでも偶然であるが不思議な縁を感じた。

おまけに我が家にも「めいちゃん」が居るのである。

たった一度きりの人生に三人の「めい」に恵まれたのだろう。


そんな人生も残り少なくなったが魂は何度でも巡り会うのだそうだ。

たとえ死んでしまっても来世できっとまた会えるのである。

「いま」がその来世だとしたらいったいいつ出会っていたのだろう。

そう思うとこの記憶を永遠に保ち続けたいものだ。


※以下今朝の詩


    仕舞い

浮んでは沈むようなこと
冬であったり春であったり

早春を知らせた花が散り急ぎ
葉を残せばそれも春であった

裸木となる仕舞もある
もう何も身に着けずに
枝を空に伸ばすばかり

陽射しは隔てなく降り注ぐ
風の声も優しくなったようだ

季節の栞がはらりと落ちる
ここまでではない
ここからなのだ

向かうべき道が見える
苦にするようなことは
何ひとつないのである





2026年03月11日(水) 花は咲く

朝は冬の寒さが続いているが日中は少し暖かくなる。

風があるのとないのとでは随分と違うものだ。

あの日も確か晴れていた。15年前のことを思い出す。

津波に呑み込まれた多くの尊い命であった。

忘れないことが供養だと云う。

いったい誰が忘れるだろうかと思う。

どれ程歳月が流れても決して忘れることはないだろう。




同僚が通院のため午前中はまるで寝ているような工場であった。

義父が待機してくれていたが今日は種籾を干すとのこと。

庭に筵を何枚も広げ手で撫でながら干すのである。

11トンもの土が要るのだからまだまだこれからだろう。

無事に田植えに漕ぎ着けるように祈るばかりであった。


午後には同僚が来てくれて工場も目を覚ます。

昨日入庫していた車の車検整備が完了する。

今日は新たな車検予約を受け入れていなかったが

明日からまた忙しくなりそうだ。


経理は思った通りとなり自賠責保険を精算すると残り僅かとなる。

何と逃げ足の早いことだろう。追い駆けることも出来なかった。

例の大型車の請求書さえ出来ればと思うが

忙しそうにしている義父の手を止める訳にはいかない。

焦ってもどうしようもなくまた明日の風に吹かれるしかないだろう。


整形外科のリハビリと診察があり3時過ぎに病院へ着く。

予約時間より早かったが直ぐに名前を呼ばれた。

昨日の足の痛みはもう薄れており今日はとても楽であった。

療法士のU君に話すと痛みにも波があるのだそうだ。

一喜一憂しながらであるが痛みと付き合って行かねばならない。


リハビリを終えてからの診察で医師と語り合う。

杖を必要としなくなっただけでも好転しているのだろう。

しかし無理は禁物で転倒だけは避けなければいけない。

医師はいつも親身になってくれてとても心強かった。


4時半過ぎに帰宅。何とめいちゃんがパジャマ姿であった。

今日は娘が休みだったので学校をおさぼりしたようだ。

お姉ちゃんは学校へ行かない。お父さんも仕事に行かない。

その上にお母さんも休みとなれば自分も休みたかったのだろう。

家族みんなから期待されていれば疲れても当然である。

誰一人咎める者もいない。むしろ微笑ましく思ったくらいだ。


「ばあちゃん餃子を作るよ」娘の声から50個の餃子が出来た。

今日は遅くなると思い娘に買い物を頼んであったのだ。

手作り餃子は手間が掛かるので滅多に作らないのだが

久しぶりに食べたせいか顎が落ちる程に美味しかった。

我が家の餃子は「天下一品」だと誇らしく思う。


夕食後、SNSで山上秋恵さんがエレクトーンで弾く「花が咲く」を聴く。

なんと優しい音色だろう。リポストせずにはいられなかった。

被災地の人はもちろんのこと多くの人に聴いて欲しかった。

山上さんもきっとそう願って演奏したことだろう。


津波に呑み込まれても残った桜の木があるのだそうだ。

それが希望になりどんなにか人々の心を癒したことだろうか。

未だ遺骨さえも見つからない行方不明者が居て心が痛むが

春は何度も巡って来て花を咲かせ続けることだろう。


※以下今朝の詩


    未来

忘れられないこと
そうして春が巡って来る
もう随分と歳月が流れた

失った命は二度と還らず
深い悲しみに苛まれていた

あの子は生まれたばかり
生きていれば15歳になる
中学を卒業して未来へ羽ばたく
その未来を奪われてしまった

けれども花は咲く
種を残し続けて
ずっと同じ場所に咲く
それが永遠でなくてなんだろう

一輪だった花が一面に咲き
未来を約束しているようだ




2026年03月10日(火) 頑張り屋さん

すっかり寒の戻りとなり今日も冷たい風が吹く。

しばらくは朝の寒さが続きそうだが

日中は少しずつ気温が上がって来るとのこと。

暑さ寒さも彼岸まで。もう少しの辛抱である。


四万十川の土手には土筆やたんぽぽが見られ

蓬の緑も鮮やかに陽射しを浴びている。

川の水はまだ冷たいがさらさらと清らかに流れていた。


川仕事に励んでいた頃を懐かしく思い出す。

毎日の肉体同労であったが達成感で満ちていた。

子供達と遊んでやることも出来ず

幼子たちは土手に駆け上がり土筆を採って来てくれた。

雨が降っても休めずどんなにか寂しい思いをさせたことだろう。

夫も私も若かった。遠い昔の事でありながら記憶は鮮やかである。



白木蓮。寒緋桜。らっぱ水仙。桃の花。

田んぼに水が張られるようになり山里はすっかり春である。

育苗機に入れてある種籾も発芽を始めており

義父はハウスの片付けに行っていた。

農業公社のハウスであるが全く手入れをしておらず

毎年義父がその役目を引き受けている。

レンタル料はとても高く何とも理不尽な話に思う。


工場はまた新たな車検が入庫し大忙しであった。

同僚はまた明日通院とのことで思うように行かない。

身体が一番である。健康であってこその仕事であった。


事務仕事も忙しく今日は重量税の精算がある。

例の大型車の重量税を立て替えなければならず懐が痛んだ。

請求明細を送れば直ぐに売上になるのだが

義父に助けて貰わなければ私の独断では出来ない仕事であった。


当然のように昨日入った現金は駆け足で逃げて行く。

明日は自賠責保険の精算があり残り少なくなるだろう。

「なんのこれしき」と思うが前途は暗くなるばかりであった。


同僚に声を掛けて定時で退社した。

昨日から左足が痛んでいたがカーブスへ行く。

これくらいのことで諦めるもんかと思う。

動かしていれば少しでも痛みが薄れるだろう。

これは「運動療法」で医師も勧めてくれていた。

しかし夫は調子に乗り過ぎたのだと云う。

無理をしたつもりはなかったが頑張り過ぎたのかもしれない。


子供の頃から人一倍「頑張り屋さん」だったが

ずば抜けて優秀な子供ではなかった。

たまに一番になることがあっても「まぐれ」だったのだろう。

褒められたら嬉しくてならず何でも出来るような気がした。

そんな私が劣等感を感じるようになったのは少女時代だろうか。

自分の境遇が悲しくてならず「可哀想な少女」を演じて来た。

いっそ死のうと思った時もあったが死ぬ勇気もありはしない。

おとなになればその境遇を誰かれともなく話した。

同情して欲しかったのだろうか。一緒に泣いて欲しかったのだろうか。


夫は拳を握りしめて泣いた。「この人しかいない」と思う。

もう47年も遠い昔の事である。


※以下今朝の詩


   たんぽぽ

野の片隅でなければならない
誰にも見つからないように
そっと静かに咲くのがいい

犬を連れた老人が歩く道
大河のせせらぎの音がする
風は南から吹いているようだ
犬は草原でくんくんと鼻を鳴らす

見つかってしまうかもしれない
緊張で胸が高鳴るばかりだった
まさか踏まれることはあるまい
どうかどうかと手を合わす

老人が立ち止まった
その瞳の何と優しいことだろう
「おお咲いたのか」と声がする

本当は見つけて欲しかったのだ
まるでおひさまのような花である




2026年03月09日(月) 遠い目で見る

冬の名残をそのままに日中も冷たい風が吹く。

「もう何があっても」と思う。

確かな春の訪れに寒さが少しも辛くなかった。


白木蓮があっという間に満開になる。

花の命は短く直ぐに散ってしまうだろう。

同じ純白の花でも梔子とは違って

花が茶に染まることもなくそのまま散って行く。

確か花のまま椿のように落ちるのではなかったか。

儚い命であるが「いま」を精一杯に咲いている。



義父が高知市で会議があるため朝から出掛けて行った。

ブレザーを着ると若々しくとても82歳には見えない。

散髪にも行っていたようで白髪頭も整っていた。

「気をつけてね」と送り出すと「おう行って来るぞ」と機嫌も良い。


義父が留守だとついつい仕事の手を休めてしまうのだが

今日はそうは行かず朝からとても忙しかった。

支払いのお客さんが立て続けに来てくれて

がっぽがっぽと現金が増えて行く。

それも右から左だが手元にあるだけで何とほっとしたことだろう。

お金に足がなければ良いなと思いつつしっかりと抱きしめていた。


同僚は午前中に一般修理を完了し午後は車検整備である。

明日も車検の予約が入っており今週も忙しくなりそうだ。

今月は大腸ポリープの切除もあるがまだ日程が決まっていない。

その日程次第で仕事の段取りもしなければならない。

三月は「去る」らしいがあっという間に月末になりそうだ。


法務局へ用事があり少し早目に帰路に就いた。

少し遅れたがカーブスへも行くことが出来る。

今日は左足に痛みがあり無理が出来なかったが

薄っすらと汗をかきそれなりに心地よい。

どんな日もあるものだなと思う。

あまり調子に乗り過ぎてもいけないようだ。


サニーマートでいつも親切にしてくれる店員さんに会った。

名前を知らないので「お〜い、お〜い」と呼ぶ。

今日はセルフレジの担当ではなかったのに

私が清算をしているといつの間にか傍に来てくれていて

重い荷物をカートに載せてくれたのだった。

何と助かることだろう。有難くて目頭が熱くなる。

「よしむらさん」なのだそうだ。しっかりと名前を覚えた。

明日も会えたら良いなと思う。私の大好きな店員さんであった。


4時半に帰宅。少しだけ夫と大相撲を観る。

夕食には茹で卵の入っていない「ミニおでん」を作った。

短時間で出来るので最近よく作るのだが

娘達には不評で「手抜き料理」の定番である。

娘が大急ぎで「キムチスープ」を作っていた。

あやちゃんとめいちゃんの大好物である。


夕食後のSNSはもう日課となった「笠原メイ」さんの日記。

それから「笹色たま虫」さんもエッセイを投稿していた。

彼女のエッセイは最初から最後まで詩のようであり共感を覚える。

自分でも自信があるのだろう本を出版したいとのこと。

その自信はいったい何処から来るのだろうと思うが

私などとは掛け離れた偉大な才能があるのに違いない。

「遠い目で見る」私にはそうすることしか出来なかった。


若い頃夫から「何を書いても良いが金になるような物を書け」と

突き放されるように云われたことがある。

これも価値観の違いで夫は私を「書く人」とは思っていない。

もちろん私の書いたものを読むこともなければ

応援するようなことも一切ないのである。


「負けるもんか」そう思いつつ随分と歳月が流れた。

70歳を目前にし何かが変わるとも思えず

私は「わたしの道」を俯きながら歩き続けているようだ。


※以下今朝の詩


     桜

もうすぐかもしれない
なんだかくすぐったいのだもの

寒さなければ花は咲かず
厳しい冬を乗り越えて来た

北風に煽られながら
唇を噛みしめた日も
雪の重みに耐えながら
手のひらを握りしめた日も

老いも若きもそれぞれに
季節の掟を受け止めて来た

日向には優しさが宿り
日陰には厳しさが宿る

たくさんの蕾が生まれた日
花の未来が光り輝くのだった

もうすぐかもしれない
むくむくとした枝先を
陽射しに透かして見ると
指折り数えた日々がある

寒さなければ花は咲かず

もう十分に耐えたのだと思う
薄桃色の花びらが目に浮かぶ



2026年03月08日(日) いちめんの春

朝の寒さがそのまま日中もあまり気温が上がらず冬の名残を感じる。

そうかと思えばやはり春で優しい陽射しが降り注いでいた。


今朝は玄関のシクラメンに10個の蕾が見えており驚く。

まるで奇跡のような花である。

蕾は明日には開き凄い生命力であった。

庭先の雪柳は少しずつ散り始めておりせつない。

4月になれば花期が終り剪定が必要らしい。

ただ枝を落とせば良いのだろうか。よく分からない。

ネットで検索すれば画像があり見よう見まねでやってみようと思う。

そうすればまた来年の早春にたくさんの花が咲くことだろう。



朝食時に夫が「久しぶりに一風に行くか」と云ってくれ嬉しかった。

すっかり出不精になり却下されてばかりだったので

しばらくは行くこともないだろうと諦めていたのだった。


11時の開店に合わせて西へと車を走らず。

わずか20分程だがプチドライブも楽しくてならない。

あちらこちらに白木蓮の花が咲いており心が和む。

辺りはもういちめんの春であった。


いつもの「ラーメンセット」を注文したが

おしゃべりをすると夫に叱られるので静かに待つ。

「わあ美味しそう」それさえも禁句であった。

写真を撮るのもNGで「みっともないことをするな」と叱られる。

それも価値観の違いであろうがもうすっかり慣れてしまった。


最近小食になっている夫には量が多過ぎたようで

ふうふう云いながら食べている姿は愉快でもある。

大食漢の私でもさすがにお腹がいっぱいになった。

しかし美味しい物を食べると何とも幸せである。


帰宅するなり炬燵に潜り込みお昼寝体制に入った。

何とそのまま4時まで寝てしまい我ながら呆れるばかり。

半日を無駄にしてしまったが不思議と充実感があった。

まるで寝ることが生きることのように思えてならない。

赤子なら「寝る子は育つ」が私も育っているようだった。


寝ている間に愉快な夢を見ていた。

内容は直ぐに忘れてしまったが喜劇のような夢だったのだろう。

目覚めは爽快で心が浮き立つように清々しくてならない。


大相撲の春場所が始まり夫はテレビに釘付けであった。

何の趣味も楽しみもない人である。

生きている事だけが「仕事」だと口癖のように云う。

そんな夫にとって大相撲は最大の楽しみなのだった。

お風呂もカラスの行水となり時間を惜しむ程である。


夕食時、珍しくあやちゃんとめいちゃんが台所に居て

玉子焼きや炒飯を作っていた。

姉妹が肩を並べる姿を見ることは滅多になく微笑ましくてならない。

娘も気づいているようだがあやちゃんが随分と明るくなった。

私達祖父母との会話も増えて来てほっと嬉しく思っている。

この春には中学2年生となるが学校に拘らないことだ。

好きなように自由に日々を送れたらそれが一番に思う。


出口のないトンネルなど在りはしない。

終わらない冬もないのと同じである。

トンネルを出ると「いちめんの春」が待っているだろう。


※以下今朝の詩


   老木

お花をあげましょ桃の花

その木は神社の片隅で
もう随分とながいこと
春を告げて来たのだが

病だろうか
枝は朽ち折れ
まるで老婆のようである

しがみついても咲かねばならぬ

やわらかな陽射しが降り注ぎ
春を匂わすそよ風が吹き始める

もう蕾を生むことは出来まい
諦めかけたその時であった
枝先にむくむくと命が宿る

最後の春かもしれない
その蕾のなんと健気なことか

しがみついても咲かねばならぬ

桃色のいのちであるならば
空色の未来だってあるだろう

老木は空を仰いでいた
里はもういちめんの春である




2026年03月07日(土) 居直ってみれば

陽射しはたっぷりとあったが強い北風が吹く。

気温も11℃までしか上がらず寒い一日だった。

春彼岸まであと10日ほどだが寒の戻りとなり

明日の朝は真冬並みの冷え込みとなりそうである。

春らしい花があちらこちらに咲き

気分はすっかり春だが季節は行きつ戻りつしているようだ。


朝の道で白木蓮を仰ぎ見て寒緋桜を愛でる日々。

今朝はもう咲くことはないだろうと諦めていた桃の花が咲いていた。

老木らしく枝ぶりは悪いがまるでしがみつくように咲いている。

病ではなかったのだ。なんとほっとしたことだろう。

ひとつまたひとつと朝の楽しみが増えて行く。



同僚が通院のため午前中は静まり返っていた。

義父はいよいよ種蒔きをするらしく忙しない。

一人では無理な仕事で彼女さんが手伝いに来ていた。

事務所は素通りで作業場に向かい挨拶も出来ない。

義父にとってはもはや家族のような人だった。


午後には同僚が来てくれて工場に活気が戻る。

車検整備が完了しその後はオイル交換があった。

それが終わるとまた新たな車検整備である。

同僚一人を忙しい目にあわせて申し訳なく思う。


来客もあったりで定時では終われず3時に帰路に就く。

土曜日は「FMはたらんど」が楽しみでならない。

市内で居酒屋を経営している「たかちゃん」がレギュラーなのだ。

もう何年も会ったことはないが声は昔と変わらなかった。

話しの語尾に「にゃあ」を付けるのが癖であったが

たとえば「そうじゃにゃあ」とか「ちがうにゃあ」とか愉快である。

猫が好きで居酒屋の壁には猫の写真がいっぱい貼ってあった。

昔はよく飲みに行ったがもう忘れられているかもしれない。

何処かで偶然に会ったとしても私だとは分からないと思う。

足の悪い太ったおばあちゃんになってしまった。


先日中学時代の友人から「古希同窓会」の案内が届いたが

迷うことなく欠席の返事を出した。

友人は私の事情をよく知っているので何も云っては来なかったが

それも寂しいような複雑な気持ちである。

しかし本音を云えばもう誰にも会いたいと思わなくなった。

同時に変わり果てた私の姿を誰が見たいだろうと思う。


生き生きと老いたいとここに記したこともあったが

心と身体は決して一対ではないのである。

残り少ない人生である。もっと居直ることも大切だろう。

そうして愉しみながら生きるのが一番だと思う。

特別な事はなるべく避けたい。ただただ穏やかな日常を願って止まない。


※以下今朝の詩


  白木蓮

手のひらを合わせて
「もったい」をする
それは土地の言葉で
祈りと願いを表す

白木蓮が咲いた朝のこと
幼子の手のひらのように
花びらはふっくらと対になり
空に願いを放っているのだった

純白の澄んだこころである
あどけない願いは空の一部となり
そよ吹く風に揺らぎ続けている

いったい何を願うのだろう
誰も知らないことであった

「もったい」の声がこだまする
何処までも広い空だからこそ
仰ぎ見ることが叶うのだった

合わさった花びらには
天使が宿っているようである





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