終日雨。断続的にまとまった雨となる。
もう水不足を嘆く人もいないだろう。
気温は18℃まで上がったが少し肌寒く感じた。
北海道では雪とのこと。まだまだ遠い春である。
玄関のシクラメンにまた新たな蕾が出来た。
数えてみると五つもあり明日が楽しみである。
「ふきのとう」や「福寿草」のニュースも聞かれ
南国土佐はもう春と云っても良いだろう。
弥生三月も目前である。春彼岸ともなればもう
寒の戻りも在りはしないと思う。
暑さ寒さも彼岸までとはよく云ったものだ。

同僚のいない職場であったが来客が多く忙しくなる。
車検予約の車も入庫し義父が引き受けてくれた。
オイル交換もタイヤ交換も義父のおかげで順調に済む。
昨日とは打って変わって責任感で満ちている。
「俺がやらんで誰がやる」と思ってくれたのだろう。
月末の資金繰りも何とか整い取引先への支払いも済む。
これ程の安堵があるだろうか。肩の荷が一気に下りた。
またゼロからの出発となるが「かかってこいや」と思う。
笑う門には福来るである。ど〜んと構えて笑っていよう。
義父の許しを得て定時で帰路に就く。
カーブスが楽しみでならず浮き立つような気分であった。
私の顔を見るなり手を挙げてくれるお仲間さんも多く
和気あいあいとした雰囲気が楽しくてならない。
今日はコーチが杖を卒業したことを褒めてくれて
お仲間さん達が拍手をしてくれ嬉しさが込み上げて来た。
これ以上の成果はもうないのかもしれないが
よくここまで漕ぎつけたものだと自分を褒めてやりたかった。
不思議なことにあれもこれもしたいと意欲が湧いて来る。
今日はセリアでブックケースを買い求めた。
パソコンデスクの上に散乱している本を整理したい。
詩集や歌集が多いがもう開くこともないだろう。
お気に入りの本だけを並べて置きたかった。
そうしてその帯を眺めながら過ごしたいと思う。
まだまだ出来ない事がたくさんあるが
少しずつ出来る事を増やして行きたいと思う。
残り少ない人生である。ひとつでも遣り遂げてみたい。
そうして少しでも悔いを残さない生き方をしたかった。
そのうちにもう十分に生きたと思える日が来るだろう。
もういつ死んでも良いと思える日が来るのに違いない。
※以下今朝の詩
土筆(つくし)
坊やのお名前は? わからないと応える 知らないと首を振る
雀色の土手に若草が萌える頃 その子は土の中から頭を出す 霞みがかった春の空であった
そよそよと吹く風は母さん 冬の間会えなかった母さん
甘えたくてならないけれど 甘え方を忘れてしまった ただ母さんと呼ぶばかり
ぐんぐんと背が伸びる くすぐったくてならない やがては緑の服を着るのだ
おとなにはなりたくないけれど 真っ青に澄んだ空に会いたかった
母さんの歌声が聞こえる あったかくて優しい声だ
晴れの予報だったが青空は見えず
朝の内に小雨が降り午後は曇り空であった。
明日もまとまった雨になるとのこと。
もう水不足の心配はなさそうだ。
ご近所さんの「寒桜」が見事に満開となった。
種類が違うかもしれないが「雪割桜」とも云うそうだ。
「河津桜」とも云うが総じて「寒桜」と呼ぶのかもしれない。
染井吉野とは全く違う色で鮮やかなピンク色をしている。
ご近所さんの桜は畑の隅にあって近づけないのが残念であった。
毎年咲いているのだがまだ一度も写真を撮ったことがない。
山里も同じく民家の敷地内となると遠くから眺めるだけである。
呼び名は何であれ早春を彩る美しく可憐な桜であった。

仕事は順調だと思っていたが今朝は同僚が出勤して来なかった。
寝坊でもしたのかもしれないと電話をしてみたら
昨夜から発熱があり寝込んでいるとのこと。
仕事の疲れもあったのだろう気の毒でならない。
家族は誰もおらず独り暮らしであった。
インフルやコロナの心配もあり発熱外来に行くように指示し
連絡があるのを待っていたらやはりインフルエンザだったそうだ。
単なる風邪ならともかく忌引き扱いとなり仕事どころではない。
義父と相談し今日の車検予約は延期させてもらったが
明日も明後日も予約が入っており困ったことになった。
それに例の大型車の車検もしなければならず
義父一人ではどうしようも出来なかった。
明日は明日の風が吹くだろうが何としてもこの急場を凌がねばならない。
そんな大変な日に義父は行き先も告げずに何処かへ出掛けて行った。
お昼を過ぎても帰らず一切の連絡もない。
腹を立てても仕方がないが何と情けない事だろうと思う。
しかし焦っても何も変わりはしないのだ。
なるようにしかならないと腹を括るしかなかった。
事務所のカーテンを閉めて定時で帰路に就く。
カーブスに行けば気分も晴れやかになるだろう。
平田町の桜並木の県道を通り抜けていると
何とラッパ水仙が咲き始めていて思わず歓声を上げた。
水仙は真冬に咲くがラッパ水仙は早春の花であった。
同じ水仙の仲間でもそれぞれに咲く時を知っている。
桜木にはまだ蕾も見えず冬枯れた景色のように見えるが
その根元に咲くラッパ水仙の何と可愛らしいことだろう。
まるで天使が舞い降りて来てラッパを吹いているようである。
どんな音を奏でるのだろうか。踊る天使の姿も目に浮かぶ。
やはり終わらない冬などなかったのだ。
やがては桜の花も咲き一面の春がやって来る。
※以下今朝の詩
おとうと
幽霊が出ると云う 下宿屋であった
布団だけがある部屋で 弟は寒さに震えながら かっぱえびせんを食べていた
布団をすっぽりと被り まるで亀のようである
夕べ出たという 金縛りにあって 眠れなかったと
せめておにぎりをと思う 水筒に熱いお茶を入れて 温めてやりたかった
「姉ちゃん仕方ないよね」 もう帰る家はないのだ
運命の歯車が軋んでいる 止まってはならない 何があっても動き続けた
16歳の弟がおとなに見える 終わらない冬はありはしない
海が鳴っている 波もやがて穏やかになり 陽を浴びて輝く春が来る
真夜中から今朝にかけてまとまった雨が降る。
午後には止んでしまったが慈雨となったようだ。
山里の川も一気に水量が増えたようで
田んぼに水を引くことも出来そうである。
四国の水瓶「早明浦ダム」の辺りもかなりの雨量で
一時的ではあるが取水制限が解除されたそうだ。
植物も畑の作物もどんなにか喜んだことだろう。
しかし雨は長続きせず明日はもう晴れの予報であった。
自然の営みには逆らえず空任せの日々が続くことであろう。

仕事は順調。例の大型車の整備がほぼ完了する。
明日は車検に漕ぎつけそうで一気に目の前が明るくなった。
今日は殆ど義父が修理を手掛けていた。
もちろん同僚も手伝っていたが技術的な違いも見える。
同僚にとっては良き学びの機会となったことだろう。
車検が完了すれば大きな売上となるので
月末の資金もなんとか整いそうである。
それもお客さん次第だが即金を期待するばかりであった。
工場が一段落したのを見届け整形外科のリハビリに向かう。
杖を付かずに駐車場から歩くことも出来て嬉しくてならない。
医師との面談で「もう治ったかもしれん」と告げると
「それは在り得んぞ」と云いつつ笑顔を見せてくれる。
療法士のU君は少し心配顔ではらはらしているように見えた。
やはり転ばぬ先の杖なのだ。その方が安心だと云う。
どうしようかと迷う。このまま杖を手放して良いのだろうか。
無理をし過ぎないように臨機応変が一番なのかもしれない。
買い物を終えて4時半に帰宅。
玄関のシクラメンが見事に咲き花が12本になっていた。
そうしてまだ小さな蕾が3つも見えている。
なんだか奇跡のようなシクラメンであった。
雪柳は雨に打たれないように軒下に置いてあったので
純白の可憐な花が溢れんばかりに咲いている。
今日は花屋さんで売れ残っている雪柳を見たのだが
大きな鉢に植え替えたのが良かったのだろう。
とても同じ雪柳には見えず一段と誇らしく思う。
日々の暮らしに花は欠かせず心が癒されるばかりである。
本格的な春になったらまた新たな花を植えようと思う。
去年の今頃は「桜草」が見事であったが
今年は冬の間に枯らしてしまい残念であった。
右隣の奥さんが毎年苗を分けてくれていたのだが
昨年から難病となり入退院を繰り返している。
ご近所でも有名な「花屋敷」だったが今はもうその面影もなかった。
花の世話も出来ずにどんなにか辛いことだろう。
これまで元気そのものだっただけに何とも憐れでならなかった。
いつ何があるやら分からない。それは誰しも同じであろう。
「まさか自分が」と思うような病気になることもある。
そうして日常を奪われ出来ない事が増えて行くのだった。
一年草もあれば毎年咲く花もある。
しかしこの世には決して永遠の命など在りはしないのだ。
※以下今朝の詩
洗濯
ざぶざぶと音がする 久方に聴く雨音であった
いのちを洗っているようだ 汚れを落とし染みを擦る どうだろうかと広げてみると しわくちゃのいのちである
ずいぶんと生きて来たから それは仕方ないことだろう 一度出来てしまった皴は 何と頑固なことだろうか
手のひらでぱんぱんと叩く その痛みに耐えねばならない
ささらとしていた若き日を思う 何度洗ってもそれは真っ新であった 辛いことや哀しいことがあっても 水に任せば息を吹き返したのだ
雨音が耳に心地よい どれほどの汚れであっても 洗い続けなければならない
| 2026年02月24日(火) |
「歩く」ことは生きること |
曇り日。夕方から小雨が降り始めている。
明日はまとまった雨になる予報だが
深刻な水不足が解消されるだろうか。
どうか恵みの雨になって欲しいものだ。
今朝もシクラメンに新しい蕾が五つも見えていた。
紙縒りのようなカタチをしていてとても可愛らしい。
どんなふうに花開くのだろう。その瞬間を見たいものである。
花屋さんのシクラメンはもう枯れ始めており
8800円で売っていたのが半額になっている。
おそらく買い求める人はいないだろう。
そう思うと何とも憐れでならない。

仕事はまずまず順調。例の大型車は最後の部品待ちとなる。
その間に予約で入庫していた乗用車の車検が完了した。
大型車の車検も目前となりほっと肩の荷を下ろす。
預かってからもう9日目であった。お客さんも待ち兼ねていることだろう。
これまで他社で車検を受けていたが整備不完全になっていたようだ。
お客さんはいくら修理代が要っても構わないので
完全に直して欲しいと願い出ている。。
大きな手間と苦労になったが多額の売上を思うと大助かりであった。
経営難は相変わらずで今日は重量税の精算があり
資金を絞り出して立て替えたがお先は真っ暗になった。
明日は自賠責保険の精算でありまたゼロになりそうである。
けれども「何とかなるだろう」と深刻には考えていない。
危機感を感じてじたばたしても何も変わりはしないのだ。
定時で仕事を終え浮き立つような気分でカーブスへ行く。
今日は朝からずっと杖なしで過ごしていたので
「いちかばちか」試してみようと思う。
結果は大成功で杖に頼らずに筋トレが出来た。
コーチやお仲間さんが褒めてくれるのですっかり有頂天になる。
「私は凄いんだ、やれば出来るんだ」と嬉しくてならない。
しかし帰宅して真っ先に夫に報告したら
「過信は禁物じゃ」と忠告されてしまった。
調子に乗れば怪我の元なのだろう。転ばぬ先の杖でなければならない。
けれども臆病になっていては先に進めないのではないだろうか。
これも努力だと思いたい。努力次第で目の前が明るくなるものだ。
「歩く」ことは生きることに似ている。
一日が一歩だとするともう随分と歩いて来た。
初めて歩いた日の記憶はないが
父や母は手を叩いて喜んでくれたことだろう。
歩けば転ぶ。転べば泣いたであろう幼い日。
抱き起こされることもあったに違いないが
その一歩が掛け替えのない成長に繋がったのだ。
今は誰も助けてはくれない。
脆くなった骨が粉々になるかもしれない。
そうして少しずつ「死」が近づいて来る。
だからと云ってどうして歩くことを止められようか。
※以下今朝の詩
陽だまり
長閑な風景である 霞みがかった空から 柔らかな陽が降り注ぎ もう一面の春であった
家出をしていた猫が 思い出したかのように 帰って来た午後のこと 餌を欲しがって鳴く
もう何処にも行かない そんな約束も出来ずに 背を撫でると甘えて 逆らうこともしない
恋の行方も訊けずにいる それはきっと遠い場所で 歩き疲れていたのだろう
紅白の梅が咲き誇る道 菜の花も風に揺れている
猫はおおきな欠伸をして 陽だまりを探しもとめる
明日のことはわからない 生きてさえいればと思う
春があふれて満ちてきた 何と優しい陽だまりだろう
朝から気温が高目だったが日中も20℃を超え
2月とは思えないほどの春の陽気となった。
紅白の梅は満開となり山里の風景に溶け込んでいる。
畑の冬野菜もすっかり伸びて菜の花が咲き始めていた。
今日は祭日でもあり人の姿も車もあまり見かけず
山里はひっそりとした長閑さであった。
ふっと誰も居なくなったような気がして心細くもある。
職場に着くと猫の鳴き声がしていた。
もう幾日も姿を消していたみい太が戻って来ていたのだ。
そうしてまるで毎朝のことのように餌をねだる。
もう餌係のお客さんは来なくなっていたので
私が餌を与えるとがつがつと食べてまた何処かへ出掛けて行った。
明日のことなど分からない。猫と約束などどうして出来よう。

同僚は渋々であったが大型車の整備に取り掛かっていた。
「頑張れ」とは云えずお尻を叩くことも出来ない。
「お尻を撫でろうかね」と云うとドライバーを私に向けて
「突くぞ!」と云い放ち二人で大笑いになった。
しんどいことは重々に承知している。
しかし少しでも前へ進んで欲しかった。
やがて鉄工所のKちゃんが助っ人に来てくれた。
シャーシの溶接をしてくれるのだそうだ。
同僚も心強くなったのだろう一生懸命に手を動かしていた。
だらしないのは義父でどうやらまた二日酔いらしい。
従業員に仕事をさせて自分は寝るなんてあんまりことである。
すると私の心の声が聞こえたのかふらりと姿を現した。
同僚に手順を教えていてまるで「現場監督」のようである。
やれやれとほっとする。このまま順調にと願わずにいられない。
事務仕事は義父の農業所得の申告書を作成していた。
とにかく莫大な経費で驚くばかりである。
昨年はお米の価格が高かったので助かったが
今年安くなってしまえば大赤字になるだろう。
お国は消費者の味方ばかりで生産者は蚊帳の外であった。
義父の協力もあり申告書が完成したので明日は提出出来そうだ。
カーブスはお休みだが定時で帰路に就く。
サニーマートの店内に入ったら行列が出来ていて何事かと驚く。
暖かさのせいだろう「サーティワン」に家族連れが押し寄せていた。
祭日だけあって店内は大勢の買い物客である。
半額の海老を3パック買って帰る。
「海老フライ」にすればあやちゃんがきっと喜ぶだろう。
最近はずっと「今夜は何?」と台所まで訊きに来る。
それが私とあやちゃんの唯一の会話であった。
夫はお風呂から出ると直ぐに晩酌を始める。
何とも気忙しいが「待ったなし」であった。
大急ぎで「丸干し鰯」を焼いて与えると
「お頭付きだ」と喜ぶので単純な人である。
娘は大量の海老フライを揚げ続けており
少しずつテーブルに運んでくれるのだが
夫は待ってましたとばかりに食べ始めるのだった。
忙しなく揚げている娘の気持ちなど全く考えていない。
そんな光景にもすっかり慣れた。
夫は飲んで食べることが一番の楽しみなのだ。
夕食後には「笠原メイ」さんの日記を読む。
何と昨日は200越えだった閲覧者数が300を越えたそうだ。
日記ではそのことに触れてはいなかったが
驚異的な数字で本人も驚いている様子である。
今日の日記は最初から詩のようでとても読みごたえがあった。
もはや天才だと思う。明日の日記も楽しみでならない。
私はと云えば過去最低の閲覧数で身の程を思い知らされる。
興味が無いと云えばそれまでだが心細くてならなかった。
今に見放されるのではないだろうか。
誰も読んでくれなくなるかもしれない。
それほどまでにつまらない日記なのだろう。
けれどもこれは日々の記録なのだと思えば
この場所がある限り書き続けたくてならない。
やがて季節は移り変わりそうしてまた巡って来る。
同じ冬がないように同じ春もありはしないのだ。
※以下今朝の詩
狐
真夜中にこんこん狐がやって来て 枕をうばわれてしまった
夢の途中でとても大切な場面 ぷっつりと切れてしまい どうしてくれるのだと云うと
夢なんか見るからだよと 狐は鼻を尖らして笑うのだ
こんこんが止まらない くるしくて胸が痛くなる
憐れに思ったのか 狐が背中をさすってくれた ふうっと大きく息をすると すうっとまた眠くなっていく
狐が枕を返してくれた ごめんねと云って 夜の闇の中に消えていく
夢の続きが見れますように 枕はほんわかとあたたかい
雨の予報だったが殆ど降らず。
ほんのお湿り程度の小雨が少し降っただけだった。
恵みの雨とは云い難く残念でならない。
気温は20℃近くまで上がりほんわかとした暖かさであった。
今朝は玄関のシクラメンの蕾が一斉に咲いており嬉しい。
水遣りさえ怠らなかったらまだしばらく咲いてくれるだろう。
毎年買い求めるがこんなに長いこと咲くのは初めてに思う。
花屋さんの高価なシクラメンではない。
ホームセンターで買った安価なシクラメンである。
朝からごろごろと寝てばかり。
買い物には行っていたが昼食後もまた寝てばかりだった。
「糖化」と云う身体の症状があるらしい。
調べてみたら吸収した糖分がたんぱく質と化学反応を起こすのだそうだ。
とにかく眠いのが特徴らしく私の症状とよく似ている。
しかし気にしていたらきりがないのでただの「怠け者」だと思いたい。
3時には起きてしばらく自室で過ごしていた。
冷たいコーヒーとひっきりなしの煙草である。
寝起きの気怠さは解消されるが咳き込むことが多い。
SNSでふっと気になる人がいて検索してみたら
もうアカウントが消滅しており残念に思う。
認知症のご主人と暮らす70代の女性であった。
毎朝必ずポストしていたのがここしばらく見えず心配していたが
まさかアカウントが消滅しているとは思ってもいなかった。
いったい何があったのだろう。もう知る由もない。
「笠原メイ」さんは日記の閲覧数がまた一気に増えて
今日は200を越えていたのだそうだ。
一過性のものだろうと本人はあまり大げさには思っていないようだが
それだけ多くの人を惹き付けているのだと思う。
素晴らしい才能の持ち主である。これからも応援せずにはいられない。
私の日記は相変わらずしょぼくて細々と「ひっそり」であった。
「日刊実話」であるからにはそれが一番の理想である。
日々の記録で在ると同時に「内訳話」でもあった。
決まった読者にしか話せないことも多い。
それだけ読者を信頼しているからこそ書けるのだと思う。
決して裏切るようなことがあってはならない。
かと云って媚びてもならないのだと思う。
夜になっても気温が下がらず随分と暖かい。
明日は朝から晴れて春の陽気になりそうである。
それなのに何となくしんみりとするのは何故だろう。
誰かと話したくてならないが今は独りぼっちだった。
今朝は思うように詩が書けなかったが
その書けないことを詩にしてみたのだった。
いつだって「そこそこ」でありたい。
これ以上もこれ以下もない処に私は佇んでいる。
※以下今朝の詩
息
むくむくと動き出す もう少しあと少しだ
息ばかりの朝である おおきくなったり ちいさくなったり
時計の秒針は休まない ちくたくと時をきざみ 規則正しく息をしている
何を書こうとしているのか 誰もおしえてはくれない
ただ指先がむくむくと動く エンターを繰り返せば カーソルがくっついて来る
ただ書きたくてならない 一心に息を文字にするばかり
私だけの息なのだろう 私だけの言葉なのだろう
穏やかな晴天。気温も高くなりすっかり春の陽気となる。
冬枯れた辺りの風景も輝いているように見えた。
やがては若草が萌える頃。きっと本物の春がやって来る。
今朝も山道を歩いているお遍路さんを見かけ
車のスピードを落とし窓から「おはとうございます」と声を掛けたが
にこっと微笑むこともなく完全に無視されてしまった。
先日のこともありいささかショックであったが
不意打ちのように声を掛けた私も悪かったのだろう。
タイミングが悪い時はそんなもんである。
「めげない、めげない」と自分に云い聞かせながら職場に向かった。
二度あることは三度あると云うが諦めずにいようと思う。

仕事はまずまず順調。昨夜のうちに義父が大型車の整備をしてくれていた。
まだ完了ではないが後は同僚でも出来る作業らしい。
出来れば最後まで義父に任せたかったが
今日こそは種籾の準備をしたかったようだ。
苛立っている様子は見えず機嫌が良いのが何よりに思う。
昨日の車検が完了しており同僚が宿毛市まで納車に行く。
お昼前だったので少し機嫌が悪かったが
少しでも早く届けてやりたいと思った。
本来なら社長の義父が指図をするべきだが
私が指図するとやはり角が立つのだろう。
午後からは大型車の整備に取り掛かったが
やはりマイペースなので一向に捗らないようだ。
世間は三連休だが月曜日には祭日返上をしてもらうことにした。
それも機嫌が悪かったが強制するしかなかった。
もちろん私も出社する。少しでも励ましてやりたい。
義父は作業場で一生懸命に種籾の準備をしていた。
先ずは水に浸けて消毒をしなければいけないのだそうだ。
手間の掛かる作業で米作りの苦労を垣間見る。
3時に退社し4時には帰宅したが
何とめいちゃんとまあちゃんが水遊びをしていた。
傘を差してホースで水を掛け合っているではないか。
濡れたら風邪を引いてしまいそうで急いで止める。
「何で、もっとやりたい」と不服顔の二人であった。
5時前まで自室でSNSを見ながら過ごす。
笠原メイさんの日記の閲覧者が百人を越えたそうだ。
とても喜んでいる様子に私も嬉しくてならない。
リポストの成果だとしたら私も少しは役に立っているのだろうか。
ファンとしてこれからも応援し続けたいと強く思う。
歌人の「山上秋恵」さんは短歌ではなくいつも俳句を投稿していて
その優れた才能には頭が下がる。
今日の季語は「獺魚」でググらなければ分からない言葉であった。
「だったいぎょ」と読むのだそうだ。
獺(カワウソ)が獲った魚を河原に並べることを「供える」とし
「獺魚祭り」とも云うのだそうだ。まさに目から鱗である。
2月中旬から下旬に掛けての季語だそうで初めて知った。
山上秋恵さんがどうして短歌から離れてしまったのか知る由もないが
私にとっては「師」のような存在で尊敬せずにはいられない。
SNSから学ぶことは多く私のような者には刺激が強いが
「古希の手習い」だと思って積極的に学びたいと思う。
まだまだなのだ。いくら半世紀以上書いて来ても
私ほどの未熟者が他に居るだろうかと思う。
時間はたっぷりとあるようで残り少ないのだろう。
その限られた時間の中で少しでも成長出来たら本望である。
※以下今朝の詩
黒子(ほくろ)
ここだろうか きっとそうにちがいない
冬の背中には黒子がある 誰も知りはしないのだ 私だけが知っていること
そっと触れると くすぐったいのだろう 冬はくすくすと笑いだす
いつも厳しい顔をして きりりっとした風が吹く そうでなければ全う出来ない それが冬の使命なのだろう
後ろから抱きついて 黒子に口づけをした 甘い匂いが満ちて来て 恋に落ちることもある
別れは切なくて哀しい その背が遠ざかるのを見た
ここだろうか きっとそうにちがいない
黒子に告げる約束は 何度も巡って来るだろう
|