ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年02月17日(火) ルーティン

朝のうちは曇っていたが次第に晴れて暖かくなる。

平年並みの気温でも陽射しはもう春であった。


朝の山道ではいち早く咲いた白梅の花がもう散ってしまい

辺りが山だけに何だか寂しくてならない。

しかし山里へ着けば紅梅が咲いておりこころが和む。

職場の近くの梅林も白と紅が競い合うように咲いていた。

仄かに春が匂う。くすぐったいような匂いである。


みい太の餌係のお客さんが今朝も来てくれていたが

もう幾日も帰って来ず気の毒でならない。

「明日からはもうえいよ」と告げたら寂しそうに帰って行った。

恋だとしたら何処かの家に棲みついてしまったのかもしれず

もう帰って来ることはないかもしれない。


昨日の今日で義父の様子が気になっていたが

今朝は元気溌溂としており農機具の手入れをしていた。

工場の仕事も忙しかったが自分で優先順位を決めているのだろう。

要らぬ口を挟んではならずしたいようにさせるのが一番に思う。


同僚は大型車の車検整備と格闘しておりまだ数日掛かりそうだった。

今週は金曜日まで他の車検予約を入れていないのだが

その日までに完了しなかったらまた大変なことになるだろう。

順調そうに見えても思うようにはいかないものである。


午後は義父の農家仲間さんがやって来て機嫌よく話し込んでいた。

早くも今年のお米の価格を詮議しており皮算用をしている。

愉快な人達だなと思う。まだ種も撒いていないのに気が早過ぎはしないか。


事務仕事は残っていたが無理矢理終わらせ定時でカーブスへ向かう。

毎日が楽しくてならない。気分も明るく朗らかになったようだ。

明日は整形外科だが医師にまた「駆け足」をして見せよう。

もしかしたら手術をしなくても治るような気がして来た。


毎日がとんとんと過ぎて行く。決して完璧主義ではないのだが

一日のルーティンを達成するのが心地よくてならない。

午前4時から一日が始まりひとつひとつこなして行く。

何ひとつ欠けてはならない。それが自分に課すと云うことだろう。

平穏な日常程ありがたいことはなかった。

もし何かがあってひとつでも欠けてしまったら悔いが残る。

不完全燃焼となりくすぼり続けるのに違いない。

そうして日々を織り続けることが私の「生き甲斐」にも思う。


だからこそ「ある日突然」が怖くてならない。

死んでしまったら私の「ルーティン」は何処に消えるのだろう。


※以下今朝の詩


    夢

思うようにはいかない
けれども思ってしまう

種を蒔けば芽が出る
芽が出れば水を与え
伸びていくのを待つ

荒らされることもある
踏まれて無残になれば
再び種を蒔こうとする

夢を見過ぎてはならない
けれども見てしまうのだ

叶うとは限らないのに
叶った気になってしまう

一粒の種を手のひらに載せ
未来を描こうとしている

永遠の明日など在りはしない
眠れば新しい朝が来ることを
まるで夢のように願っていた



2026年02月16日(月) 人間だもの

ずいぶんと暖かな朝。午前中はたっぷりの陽射しであったが

午後から曇り空となりだんだんと肌寒くなった。

明日は平年並みの気温とのこと。2月らしい寒さとなりそうだ。

季節も律儀なもので「三寒四温」を貫いている。


今朝は暖かさを過信してババシャツを着ずに出掛けた。

正しく「年寄りの冷や水」となってしまう。

やはり春彼岸が過ぎるまでは暖かく着込んだ方が良いだろう。


昨日植えた「雪柳」をうっとりと眺める。

目の錯覚かもしれないが昨日よりも花が増えている様に見えた。

まだまだ蕾が見えているので明日の朝も楽しみでならない。



仕事は朝一でオイル交換、その後予約があった大型車が2台も入庫する。

自賠責と重量税の精算もあったので何とも気忙しい朝だった。

例の散髪屋さんが遊びに来る。定休日で暇を持て余している様子。

おまけに直ぐ近くで電気工事をしていてお昼まで停電なのだそうだ。

テレビも見られないと嘆くのでそれも憐れに思う。

忙しくて話し相手になれないことを詫びたのだが

「気にせんでもええよ」と云うのでほったらかしにしてしまった。

しかし気になってならない。常連のお客さんでもある。

私はいつも早弁をするのだがそれも出来なかった。

空腹になると胃が痛むのでそっと事務所を抜け出し

車の中で大急ぎでお弁当を食べる始末であった。

ポーカーフェイスであったが内心では早く帰って欲しいと願う。

これも仕事の内だろうかと嘆きたくもなった。

散髪屋さんはほぼ3時間も事務所に居座りやっと帰って行く。

義父も気なっていたようで「やっと帰ったな」と苦笑いしていた。


その義父は腰痛が酷いらしくとても辛そうに仕事をしていたのだが

お昼に事務所のソファーに腰を掛けるなり

「何の為に生きちょうのか分からんようになった」と呟く。

「もう何もかも止めたい」と云い、「ぽっくり死にたい」とまで云う。

いつもパワフルな義父らしくない弱音であったが

どうして聞き流すことが出来ようか。

「そうやね、しんどいね」と私が頷くと少しほっとした顔を見せる。

おそらくずっと張り詰めていた糸が切れかかっているのだろう。

肉体的にも精神的にも限界なのかもしれなかった。

そんな義父が憐れでならないがどうすることも出来ない。

せめて「心の整備士」となり義父に寄り添ってやらねばと思う。

嘆きたい時にはとことん嘆く。義父はロボットではないのだ。

「人間だもの」弱音を吐かずにどうして生きて行けようか。


後ろ髪を引かれるような気持であったが定時で帰路に就く。

義父は来客があり話し込んでいたので声も掛けずに帰った。

明日の朝にはきっとケロッとしていることだろう。

そう信じなければ「未来」も在りはしない。


大波小波。義父は難破船の船長であった。


※以下今朝の詩


   子雀

ちゅんちゅんと春
椿の木をゆらして
子雀たちが戯れる

花は一輪咲いている
蕾はそれはたくさん
やがて満開になるだろう

やわらかな風が吹き
溢れんばかりの陽射し
子雀はまるで天使のよう

咲けばぽとんと落ちる
そんな哀しみを知った
どうしようも出来ない
それが定めなのだろう

ちゅんちゅんと春
子雀たちは一斉に
空へ飛び立っていく




2026年02月15日(日) 春さながら

朝のうちは霧雨が降っていたが次第に晴れて

気温も高くなり4月並みの陽気となる。

この暖かさは明日も続くそうだ。

「三寒四温」と云うからにはまた寒い日もあるだろう。

しかし一度春の兆しを感じてしまうと苦にはならない。

季節は確実に春に向かっているのである。


日曜日の朝刊には「高新文芸」があるのだが

今日も落選。何の励みにもならない。

文芸仲間の友人は「俳句」と「川柳」が入選しており

夫が「おまえとは格が違うんだ」と宣う。

自分でも分かっているが夫から云われると痛いものだ。


友人とはサニーマートでよく会うので

今朝は少し時間をずらして買い物に行った。

おかげで会わずに済みとてもほっとする。

会えば惨めになるだけだったろう。

悔しいのとは違う。ただ自分が情けなくてならない。


昼食後はまた3時間程お昼寝をする。

目覚めればちょうど宅配便が届いていて

さっそく昨日買った「雪柳」を植えることにした。

鉢の大きさもちょうど良く土の量も適量である。

暖かさのせいもあり足の痛みは殆ど感じない。

座り込むことも出来てあっという間に植えることが出来た。

「やれば出来る」諦めなくて本当に良かったと思う。


「雪柳」はあまり水を欲しがらないのだそうだ。

雨の日には軒下に置いた方が良さそうである。

花が終わるのは5月で剪定が必要とのこと

そうして手入れを怠らなければ来年また咲いてくれるだろう。

自分で植えられたのが嬉しくてならずしばらく眺め入る。


5時までは自室で過ごしていた。煙草とコーヒーは欠かせない。

「笹いろ玉虫」さんがエッセイを投稿していて嬉しい。

やはりプロ並みの文章力で感嘆せずにはいられなかった。

内容は78歳らしく感じたが穏やかな文章はとても女性らしく

柔らかで優しいイメージがすうっと胸に沁み入る。

こんな文章が書けるようになりたいなとつくづく思った。


5時前には「笠原メイ」の日記が更新されていて嬉しい。

もうすっかりファンになっており毎日の日記が楽しみでならない。

その才能は正しく「センス」であり詩人らしさが漲っている。

他の誰にも書けないと思う。彼は根っからの詩人なのだ。


それに比べて私の「しょぼい」こと。

20年以上も書き続けている割にまったく成長が見られない。

ただ与えられた日常を淡々と記しているだけなのだろう。

それでも書くことを諦めないのは「生きたい」だけの理由かもしれない。



今日はけい君の12歳の誕生日だった。

息子は仕事が休みでお昼に「焼き肉」をするのだと云っていた。

母親である別れたお嫁さんも来てくれるそうで何よりに思う。

離婚はしたが実質には別居と考えた方が良さそうだ。

けい君が寂しい思いをしないように息子達も精一杯なのだと思う。

決して憎み合って別れたのではない。息子の決断が正しかったのだろう。

行く末を案じることもなく平穏な日々が続くことを願って止まない。


午後6時、茜色の空を仰ぎつつ再び「雪柳」を見に行った。

薄暗くなった庭先でその純白の何と可憐なことだろう。


※以下今朝の詩


   雪柳

「毎年咲きますよ」
その言葉が嬉しくてならず
花屋さんで「雪柳」を買った

それはずっしりと重い苗で
赤い土に埋もれているのだった

純白の花の何と可憐なことか
枝先にはちいさな蕾が見える

もう春でなくてはならない
どれほどの哀しみであっても
光あふれる春でなくては

きっと永遠の春だろう
たとえ私が死んでしまっても
花は咲き続けるに違いない

未来を植える未来を育てる
純白の花に「いのち」を託す



2026年02月14日(土) 日向もあれば陰もある

晴れのち曇り。午前中は陽射しがたっぷりとあり随分と暖かくなる。

お天気は下り坂で今夜はこれから雨になりそうだ。

水不足が解消すれば良いが夜だけの雨では心許ない。

全国的にも水不足が深刻な問題になっており

入浴施設など水を多く使う場所では休業を余儀なくされているようだ。

経営も行き詰まるだろう何とも気の毒でならない。


同僚も出社して来てくれて仕事は順調に捗る。

来客も多く午前中にはオイル交換が三人も来てくれた。

大きな金額ではないが現金収入の何と有難いことだろう。

義父は復活しており地区の出役に出掛けていた。

お昼には帰って来たが急用で宿毛市へ行かねばならず

昼食を食べる暇もなくまっしぐらであった。


午後は車検終了のユニック車を納車する。

来週も大型車が二台入庫する予定になっており

また同僚ばかりが忙しくなりそうである。

忙しければ売上に繋がるはずだがそうは問屋が卸さない。

もし重量税を立て替えねばならなかったら会社はまた火の車となる。


午後は来客が途絶えていたので定時で帰路に就いた。

サニーマートの花屋さんでまた足を止め「雪柳」を見つめる。

やはりどうしても買い求めたくてならない。

店員さんに訊けば雪柳の苗が入ることは滅多にないとのこと。

それを聞くとどうして我慢が出来ようか。

「ようし買っちゃえ」もう悩んでいる場合ではない。

木が枯れない限り毎年咲くのだそうだ。

何と楽しみなことだろう。

帰宅するなりアマゾンで大きめの鉢と培養土を買い求める。

何と明日には届くとのこと。嬉しくてならなかった。


30分ほど炬燵に潜り込んでいたが

そわそわと落ち着かなくなり5時まで自室で過ごす。

今日は5時前に「笠原メイ」さんの日記と詩を読むことが出来た。

冬季鬱をしんぱいしていたが今日は元気そうでほっとする。

私と同じでどんな日もあるのだろう。

毎日明るく振舞っていたら疲れるばかりである。

日向もあれば陰もある。誰の日常もそうなのではないだろうか。


今朝は55年前の「バレンタインデー」の詩を書いた。

我ながら何と鮮やかな記憶だろうと思う。

私の行為はPTA総会で大きな問題となり

父が学校へ呼び出されて散々叱られたそうだ。

今では在り得ないことだが当時はよほど珍しかったのだろう。


三月になり越後君は岩手県の花巻に転校して行った。

しばらく文通を続けていたがそれもやがて途絶える。

最後の手紙には「高知大学を受験したけど落ちました」と書いてあった。

高知を忘れずにいてくれたこと。それがとても嬉しかった。

しかし私達は二度と再会することもなく半世紀の歳月が流れた。

風の便りも聴こえない。その風の行方さえ知らずにいる。


※以下今朝の詩


 チョコレート

水色の紙テープに
ながい手紙を書いた

くるくると巻き戻し
小さなリボンで止める

グリコのアーモンドチョコ
百恵ちゃんと友和君である

畦道を歩いて行く
近道なのだそうだ
少しでも早く渡したい

「ごめんください」
心臓が止まりそうなくらい
どきどきして声がふるえる

おかあさんが出て来て
不思議そうに私を見ていた
何だか一瞬で嫌われたみたい

勇気を出さなくちゃ
今日でなくてはだめ

越後君にチョコを渡すと
「ありがとう」と言って
とても照れくさそうな顔

私は逃げるように走った
振り向くことも出来ない

畦道の片隅にはひっそりと
名も知らぬ黄色い花が咲いていた




2026年02月13日(金) 私なりの「春」

朝は氷点下近くまで冷え込んだが

日中は18℃まで気温が上がり4月並みの暖かさとなる。

風がなければ汗ばむ程の陽気であった。

明日も暖かくなりそうだが雨が近づいているようだ。

一雨ごとの春を願わずにいられない。


今朝は出勤するなり事務所の中の異変に気づく。

車のカタログが散乱しており

テーブルの上のお茶菓子もひっくり返っていた。

おまけに鼠の死骸までありびっくりと驚く。

もしやと思ったらその通りで

泥酔状態の義父が転倒したことが分かる。

おそらくその時にテーブルにぶつかったのだろう。

解体工事を手伝えば夜は飲み会になることが多い。

限度もわきまえず調子に乗って飲み過ぎてしまったのだろう。

怪我は軽傷で額に擦りむいたような傷跡があった。

二日酔いでもあったらしく「今日は休養日にする」と云う。


同僚は県立病院で検査があるため休みを取っていた。

こんな日に限って来客が多く対応に追われる。

自損事故のお客さんが二人、一般修理のお客さんも二人。

その上に支払いのお客さんも二人来てくれた。

自損事故の一人は88歳の高齢者で

先月も自損事故を起こし昨日納車したばかりだった。

運転には自信があるようで免許を返納する気は全くない。

奥さんは泣き崩れていたが本人はケロッとしているのだ。

車は2年目のプリウスで自損事故はこれで4回目である。

仕方なくまた車を預かり外注先に引き取りに来て貰った。

保険会社のY君も来てくれたがもう車両保険が限界のようだ。

いくら裕福なお客さんでも痛い出費となることだろう。


定時となり義父に声も掛けずに退社する。

休養日と決めたからには仕事にはノータッチであった。

明日は解体作業もお休みとのこと。何としても仕事に励んで欲しい。


カーブスと買い物を終え4時過ぎに帰宅。

サニーマートの花屋さんに「雪柳」の苗を売っており

買い求めたくてならなかったがまた夫に叱られてしまうだろう。

その上に大きな鉢が必要である。無理だなと思うと哀しくなった。

花屋さんの雪柳はもう白い花をいっぱい咲かせており驚く。

山里の郵便局の雪柳を明日見に行ってみようと思う。

この目で確かめなければ気が済まない性分である。


夕食後はすでに日課となった「笠原メイ」さんの日記と詩である。

お母さんがバレンタインにとドーナツを買って来てくれたそうだ。

その上に今日は妹さんの誕生日でもあった。

ほのぼのとした日記であったが何となく荒んでいる。

彼は「冬季鬱」だと記してあった。


それならば「春」をと思う。

明日の朝は春を思わすような詩を書きたくてならない。


決して寄り添えるような立場ではないが

私なりの「春」を届けられたらどんなにか良いだろうか。



※以下今朝の詩


   出荷

今日は海苔のお嫁入り
箱詰めにした海苔を
漁協へと運び込む

トラックが傾くほど
それはずっしりと重い

晴れ晴れとした気持ちは
言葉では云い表せない
わくわくとするような
嬉しさが込み上げて来る

干し上がった海苔を
膝に抱え込んでは
丁寧に異物を取り除いた
そんな作業も苦にならず
海苔の香が愛しくてならない

何処へ嫁いで行くのか
どんな姿に変わるのだろう

「美味しいね」と言って欲しい
それが一番の幸せに思う

そうして明日も頑張ろう
川面には緑の海苔が
ゆうらゆうらと揺れている




2026年02月12日(木) 冥途の土産

晴れの予報だったが午前中は曇り空となり

気温も上がらず肌寒さを感じた。

明日は4月並みの暖かさになるとのこと。

寒暖差は老体に厳しいものである。

心配なのは雪国の雪崩や落雪であった。

いくら慣れているとは云え命に関わる事である。

もうこれ以上の被害が無いことを祈るばかりであった。


昨日のリベンジではないが今日も車検の予約が入っており

同僚が宿毛市まで引き取りに行った。

車は4トンのユニック車で建設会社が所有している。

それが思いがけないことにバッテリーが上がっていて

エンジンが掛からず同僚からヘルプ要請があった。

義父は今日も解体現場を手伝いに行っており留守である。

重機を操作しているのだろう電話も繋がらなかった。

とにかく充電機を持って行こうと直ぐに宿毛市へと向かう。

後は同僚に任せエンジンが掛かれば何とほっとしたことか。

やっと工場へ帰り着き同僚は車検整備を始める。

今日こそは順調にとそればかりを願っていた。


義父は解体現場で基礎を取り壊しているらしい。

そうなればもはや何が本職なのか分からなくなった。

農業だけでは済まなかったのかと嘆きたくもなる。

しかし恩のある友人である限りとことん尽くすことだろう。

とにかく完全に終わるまで待つしかないと思う。


整形外科のリハビリがあり定時で仕事を終え病院に向かった。

今日は足の調子がとても良く杖なしで歩けるようになっていた。

U君も驚いていたが医師も「おお!」と声を上げる。

施術中も全く痛みを感じず足も腰も撫でられている様に感じた。

一時的なものかもしれないがカーブスの成果だと思わずにいられない。

しかしそれではU君に申し訳なく複雑な気持ちになった。

医師もカーブスを推奨してくれていたがきっと「まさか」と思っていただろう。

手術をしない限り完治は在り得ない。私だってそう思っている。

しばらくは様子見となるが明日もカーブスへ行くつもりである。


買い物を終えて4時半に帰宅。もう炬燵時間はなかった。

自室で一服しながら5時までSNSを見る。

「笠原メイ」さんが日記を更新していたが

食後にゆっくりと読むことにした。

昼間AIの響君に教えてもらったのだが

彼は50歳前後で11月生まれなのだそうだ。

ペンネームの「笠原メイ」は村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」に

登場する少女の名前であった。

私も確かに読んでいたがすっかり失念していたようだ。

ハルキストとしてこんな感動があるだろうかと思う。

響君は彼の本名も教えてくれたがここに記す訳にはいかない。

彼の詩はあくまでも「笠原メイ」として輝いているのである。


「縁」と云うほどのものではないかもしれないが

果てしなく広いネットの海で彼の存在を知れたことは

私にとっては「冥途の土産」となることだろう。

生きている限り彼の日記と詩を読みたくてならない。


※以下今朝の詩


   大師堂

さらさらと流れている
水音が胸の奥まで響く

蝋燭に火を灯し
お線香を立てる
そうして般若心経を唱える

願ってはいけないのだそうだ
けれども願わずにいられない

どうかどうかどうか
縋り付くような願いであった

大河のほとりのお堂である
遠い昔に渡し舟が転覆して
多くの巡礼者が亡くなった
その御霊を祀り続けている

語り掛ければ声が聴こえる
どれ程の無念だったことか

夕陽が川面を染める頃
お堂にも茜色の陽が射す

ありがとうございました
手を合わすと清々しく
一日の苦労が癒されていく

生きてこそといつも思う
お堂はいつだってそこに在り
ひっそりと静かに待ってくれる





2026年02月11日(水) 雨が止んだら

小雨のち晴れ。ほんのお湿り程度の雨だった。

週末にはまた雨とのこと。どうか本降りであって欲しい。

大昔なら「雨乞い」をしたことだろう。


玄関先のシクラメンがまたぐんにゃり。

もうそろそろお終いかもしれないと思ったが

たっぷりと水を与えるとすっかり元気になった。

ポインセチアもまだ健在で玄関に彩を添えている。

これはあまり水を欲しがらず育てやすい。

どちらも春まで咲き続けてくれることだろう。


祭日返上の仕事であったが仕事にはならずに帰って来る。

予約のお客さんが車検期日を一年も早く間違えていたのだった。

初めての車検だったので会社にリストがなかったせいもあり

おまけに外国人さんで点検ステッカーを見たようだった。


コナンとキャット。オーストラリアから山里へ移住してきたご夫婦である。

昨年の春には愛娘のニーナちゃんが誕生し三人で暮らしている。

ニーナちゃんの何と可愛らしいことだろう。

無駄足ではあったがニーナちゃんに会えて良かったと思う。

そろそろ歩き始めるだろう。また会いたくてならなかった。


同僚と相談し10時で閉店とする。

待機していてもお客さんが来てくれるとは思えなかった。

義父は例の解体現場へ手伝いに行っており留守である。

私の一存であったが祭日らしく休むのも良いだろうと思う。


買い物を終えて11時には帰宅しており暇を弄ぶ。

仕事だと気合が入っていたのでぐんにゃりと折れていた。

例の如くで炬燵に潜り込みひたすら寝るばかりである。


4時には起きてしばらく自室で過ごしていた。

SNSでは「笹いろ玉虫」さんがエッセイを投稿していて読む。

やはりプロ並みの文章力で読みごたえがあった。

78歳の高齢であるが何だか少女のような趣がある。

「おんな」を捨てていないのだ。そこが私と違うのだと思う。

異質でありながら共感を覚えるのが不思議でならなかった。

老いを重ねてひしひしと最期の時が迫って来る。

その心細さと不安は私と同じなのかもしれなかった。


相互フォロワーであったが彼女は私の詩を読まない。

その方が気楽に思う。きっとささやかな抵抗があるのだろう。

蔑みられているのだとしても少しも口惜しさを感じなかった。


夕食後は「笠原メイ」さんの日記を読む。

今日も淡々と日常を綴っていたが素晴らしい感性である。

妹さんやおばあちゃんが出て来ると親近感でいっぱいになった。

私と同じく大した日常ではない。平凡で何でもないような一日が

彼の手に掛かると日記も詩となり成就しているように感じる。

根っからの詩人なのだ。何と素晴らしい才能の持ち主なのだろう。


私の詩は低迷していて「いいね」の数も少ないが

読んでくれる人がいてくれるだけでとても励みになっている。

笠原メイさんは毎朝読んでくれていて嬉しくてならない。


家業の「青さ海苔漁」が廃業となりもう川仕事に行くこともなくなったが

懐かしい思い出として書き残そうと思っている。

苦労を苦労とも思わなかった労働は人生の「宝物」であった。

他の誰に書けるだろうかと思う。私の精一杯の誇りである。


※以下今朝の詩


   収穫

薄っすらと夜が明ける頃
川船で漁場へと向かう
船外機のエンジン音が響き
魚たちに朝を知らせていた

川面は見渡す限りの緑で
ゆっさゆっさと波に揺れる
成長した海苔はとても逞しい

そっと手を添えて海苔を千切る
盥は見る見る間に緑に覆われ
やがててんこ盛りの山となる

盥が沈まないようにゆっくりと
川船に向かって歩いて行く
足元には魚たちが群れていた

やがて川船はずっしりと重くなり
収穫の歓びで胸がいっぱいになる
なんと愛しい海苔だろうとおもう

「いのうかのう」夫の声に頷き
川船の舳先に座り船着き場へ向かう

朝陽が射し始めきらきらと輝く漁場
緑の海苔がほんのりと紅く染まる

「ようやったな」顔を見合せば
疲れなどまったく感じないのだ



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