ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年01月30日(金) 虫の居所

気温は低目であったが穏やかな晴天となる。

明日には強風注意報が解除されるかもしれないが

引き続き強い寒波が居座っているようだ。


雪国からのニュースが流れる度に気の毒でならず

特に青森や新潟、金沢も記録的な大雪とのこと。

除雪作業に追われている人が「白い悪魔」だと嘆いていた。

そうかと思えばSNSでは雪に憧れると発言している人がいて

何と非常識な人だろうと情けなく思う。



工場は開店休業。同僚がCT検査のため休みを取っていた。

義父は解体作業が終わったそうで待機してくれていたが

虫の居所が悪いのか朝からとても機嫌が悪かった。

小言もあれば嫌味もあり私に文句ばかり云うのである。

ねちねちと諄い。一気に義父が嫌いになった。

どうやら二日間の作業が祟り農作業が遅れてしまったらしい。

あれもこれもと遣らねばならないことがあり苛立っていたのだろう。

とにかく口ごたえをしてはならない。じっと嵐が去るのを待っていた。


月末の資金はぎりぎりであったが取引先に迷惑を掛けずに済む。

月曜日には社会保険料の引き落としがあり預金は底を尽く。

また来月もゼロから始めなければならない。

しかし不思議なことに少しも苦に思わないのだった。

決して楽天家ではないはずなのに「面白いな」と思う。

どうやら私はぎりぎりの瀬戸際が好きなようだ。


午後には事務仕事も一段落しており

県の「短詩型文学賞」に応募する短歌をパソコンで仕上げた。

自分ではそこそこ気に入っている20首であったが

どうせ駄目だろうと最初から諦めている。

選者の中に高新文芸の選者をしている歌人さんの名前があった。

私の短歌を徹底的に嫌っているので読みもしないだろうと思う。

それも悔しくてならないが一か八かであった。

駄目で元々。けれども私は決して短歌を諦めはしない。


恐る恐る義父に声を掛けて定時で退社した。

「帰るよ」と告げれば「おう!」と機嫌は良くなっておりほっとする。

まっしぐらにカーブスに向かったのは云うまでもない。

カーブスには筋トレマシンの間にボードが置いてあり

足踏みをするのだが今日は駆け足に挑戦してみた。

杖に頼らなくてもそれが出来てとても嬉しかった。

このまま頑張っていたら杖要らずになるかもしれない。

前途は明るく増々やる気が湧いて来た。


サニーマートは半額祭りで目を輝かせながら買い物をする。

娘が大好きな「鰤子」もゲットした。

「わあ、やったあ」娘の喜ぶ顔を見ると嬉しくてならない。


夕食後は暮れなずむ空を仰ぎながら煙草とSNSであったが

冬の夕焼けを「冬茜」と云うのだそうだ。

冬の季語で今夜は一句唸って見ようと思う。


午後6時になると「笹原メイ」さんの日記であった。

彼も日課になっているのだろう。さりげない日常の事が輝いている。

そうして何よりも最後の「詩」がとても素晴らしい。

毎日読んでいるうちにすっかりファンになってしまったようだ。


私の詩は相変わらずだが今朝もK子さんが「いいね」をしてくれていた。

自分では変わったとは全く思っていないが

少なくてもK子さんに批判されることはなくなったのかもしれない。

これまで不愉快な思いをさせてしまい何だか罪滅ぼしのようだ。


6時半には入浴。湯船に浸かりながら「これから」を考えていた。

今日は何事も無く無事に過ごせたがいつ何があるやら分からない。

事故や病気。大地震が襲って来るかもしれない。

ある日突然であるならもっともっと生きなければと思った。

私はわたしを貫き通す。それが私の「これから」である。


※以下今朝の詩


   枇杷の花

薄茶色の花であった
あまりうつくしくはない
けれども健気で逞しい花

真冬だからこそ咲いた
冷たい風に晒されても
微笑むことを忘れない

鳥たちの止まり木になり
その囀りに心が癒される

春になれば散るのだろう
そうして花は実となり
初夏の風を待ち続ける

愛でられることに
慣れてはいない
ひっそりと静かに咲く

遍路道の片隅であった
旅人が通り過ぎる度に
花はまるで手を振るように
風に揺られ続けている





2026年01月29日(木) 似た者同士

今日も冬晴れであったが強い北風が吹く。

東北や北陸では大雪で難儀をしていて

毎朝雪掻きをしないと外に出られないのだそうだ。

若者ならともかく高齢者には過酷な作業であった。

雪解けにはまだ早く根雪の上にまた雪が積もるだろう。

南国高知では想像もつかない雪国の暮らしである。

寒波は待ったなしに後から後から襲って来ていた。


いつも通りに職場に着いたが今朝もみい太の姿が見えなかった。

今日でもう4日目である。いったい何処に行ったのだろう。

以前から時々行方を暗ますことはあったが

この寒空に餌も食べず何とも心配でならない。

鉄工所のKちゃんは「恋の季節」だと云う。

まだ早いように思うがそれも春の兆しなのだろう。


朝のうちは昨日と同じく閑古鳥が鳴いていたが

お昼前に車検の車が入庫しやっと活気を取り戻す。

義父は今日も家屋解体の手伝いに出掛けて行った。

面白くてたまらないのだろう。随分と張り切っている。


先日トラブルがあった中古新規の車のナンバーが届く。

今日はやっと納車が出来てお客さんも喜んでいた。

支払いは即金で何と有難いことだろうか。

今日は他にも支払いのお客さんが来てくれてとても助かった。

しかしお金は右から左で取引先に送金するとまた資金が底を尽く。

明日は明日の風が吹くだろうと嘆くことはしなかった。


定時で退社しようとしていたら急な来客があったが

同僚に対応を頼み逃げるように帰路に就く。

頭の中はもうカーブスのことしか考えていない。

まるで何かに取り憑かれたように身体を動かしたくてならなかった。

気分爽快となり溌溂と買い物を済ませ家路を急ぐ。


夕食後はまた自室でSNSを見ていた。

昨日の小樽の人は平然としており何だか狐につままれたよう。

何事も無かったように選挙がらみのポストを発信していた。

誰もが気遣い心配したことだろうと思うが

当人にとってはもうどうでも良いことだったのかもしれない。


フォロワーさんには詩や短歌や俳句を発信する人が多いが

日記やエッセイを発信している人もいて読むのが楽しみであった。

「笹いろ玉虫さん」は78歳の女性だが

文章力が素晴らしくまるでプロのエッセイストのようである。

私は毎回リポストをしていて多くの人に読んでもらいたい「作品」であった。


「笹原メイ」さんは年齢不詳の詩人さんで男性である。

彼はブログではなくあくまで「日記」を毎日書き続けていた。

まさに私と同じで心を惹かれずにはいられない。

淡々とした日記のようでコーラのような味がする。

炭酸がしゅわっと音を立てているような文章力があった。

日記の最後にその日書いた詩を載せるのも私と同じである。

私など足元にも及ばないが「似た者同士」なのかもしれなかった。

私は雑魚だが彼女と彼は鯛か平目かもしれない。

気易く声も掛けられず憧れるように眺めているだけの私であった。


ネットの海はとてつもなく広い。

岩もあれば渦潮だってあるだろう。

もがけばたとえ魚であっても命を落とすことも在り得る。

ゆらりゆらりと波間を漂う。雑魚にもそれなりの心意気があった。


※以下今朝の詩


    球根

もうすこしあとすこし
春が立つのを待っている

球根から芽が出て来た
柔らかな土につつまれ
冬の陽射しを浴びている

咲くことよりも
真っ直ぐに伸びること
誇らしい顔をせずに
健気に生きていくこと

誰もが待ち望む春である
季節が少しずつ移り変わり
冬枯れた野にも光が満ちる

かたい球根であった
寒さに負けそうな日もあり
空をうらんだ日もあった

もうすこしあとすこし
降り注ぐ陽射しの中から
春の声が聴こえてくる





2026年01月28日(水) 陽だまりを探して

北風と太陽の一日。陽射しはたっぷりとあったが

今日も強風注意報が出ていた。

日中はさほど気にならなくても夕方になると風が冷たい。

明日は今日よりも気温が下がり風がいっそう冷たくなりそうだ。

立春まであと7日。もう少しの辛抱である。


仕事は一気に閑古鳥の声がこだまし工場が暇になる。

朝一でオイル交換のお客さんが来てくれただけで

後はタイヤの空気圧調整のお客さんだけだった。

オイル交換のお客さんはとても愉快な人で

私と語り合えばまるで漫才のようで楽しかった。

私より3歳年上だが「尿漏れ」の話題で盛り上がる。

しかし滅多にないそうで私のことを話すと驚いていた。

「まだ若いに早過ぎる」と云うのである。

たまには同年代の人と話してみるものだなと思った。

私は異常なのかもしれないとふっと頭を過った。

オイル交換の代金は来月の給料日まで待って欲しいとのこと。

おかげで今日の売上はゼロとなる。


午後は同僚と待機で事務所でコーヒを飲んだりする。

忙しいのは義父だけで今日は建設会社の友人を手伝いに行っていた。

古い家屋の解体だそうでヘルメットを被り何とも勇ましい。

義父のヘルメット姿を初めて見たがとても82歳には見えなかった。


同僚に留守番を頼み定時で帰路に就く。

今日はいつものリハビリに加え診察もあり5時前まで病院に居た。

先日から右の太腿が痛むので医師に相談してあったのだが

悪い左足を庇うので右の腰骨に異常があるかもしれないと云う。

レントゲンの結果腰骨には異常がなかったが

あちらこちらに動脈硬化が見られ医師が心配していた。

以前にも内科で相談したが高齢になるとよくあることらしい。

「あまり気にしなくても良いですよ」と云われていた。

しかしまた気になり始め今度の通院日に相談して見ようと思う。

整形外科の医師が云うには血圧さえ落ち着いていれば大丈夫とのこと。

今は落ち着いているが先日まで異常に高かったのはそのせいだろうか。


帰宅が遅くなったが娘がカレーを作ってくれていた。

夢に餅の美味しさで何とも幸せな夕食である。

ふと毎晩こんな日が続けば良いなと思う。


夕食後はしばらく自室で過ごすのが日課であるが

ずいぶんと日が長くなり窓から茜色の空が見える。

まさに「黄昏時」でしんみりと一日を想う。


SNSでは北海道の小樽に住む人が切羽詰まったようなポストをしていた。

灯油を買うお金が無くしばらくストーブを焚けないのだそうだ。

社会福祉協議会でお金を借りることは出来るが

遠方のため交通費も無いそうで何とも憐れな有り様である。

「生き延びられるだろうか」と書いていたが

何だかとても投げ遣りになっているように感じる。

我慢すれば済むことかもしれないが凍死の心配もあった。

見て見ぬ振りがどうして出来ようかと思う。

余計なことかもしれないが社会福祉協議会に相談するように告げた。

行政が見捨てる訳はないと思う。きっと助けてくれると信じて止まない。

「いのち」に関わることである。どうして見捨てることが出来ようか。

ポストを発信することはイコール「ヘルプ」だと私は思う。

先日の自死予告をした人も今は毎日俳句を発信しているのだった。


顔も知らない会ったこともない人であっても

同じネットの海を漂う魚同士である。

縁がなければ出会うこともなかったのだ。


※以下今朝の詩


   縁

初めて会ったのに
なつかしいひとがいる

目が合ったその瞬間に
ぴぴっとこころがうごく

笑顔を交せば尚更のこと
もう知らない人ではない

前世からの縁なのだろう
やっと巡り会えたのだ

どれほどの糸だろうか
手繰り寄せてみれば
ゆらゆらと風に揺れる

その風さえも懐かしくてならない

一期一会の縁を結ぶ
信じてみようと思う

「行きましょうよ」
青年は旅人であったが
その一日を授けてくれた

真冬だと云うのに
ほっこりとあたたかくなった



2026年01月27日(火) 後ろの正面だあれ

冬晴れの一日であったが風の強い一日となる。

強風注意報が出ておりまた寒波の前兆ではないだろうか。

しかし長期予報では立春を境に少し暖かくなるのだそうだ。

そうして「三寒四温」となって行く。もう春の兆しである。


朝の山道にも集落があり今朝は枇杷の花が咲いているのを見つけた。

毎朝通る道なのに今まで一度も気づかなかった。

枇杷の花が真冬に咲くことさえ知らずにいたのである。

薄茶色の花で綺麗とは云い難いがとても健気に見えた。

花が散れば実になるのだろう。季節はそうして初夏を迎える。



来客は少なかったが緊急の電話がいくつかあった。

まだ開店前からばたばたと大忙しである。

バッテリー上りのお客さんは仕事に行けず困り果てていた。

同僚が充電機を用いて直ぐに始動したのだが

「有難うございました」の一言で出張料は貰えなかったのだそうだ。

常連のお客さんならサービスも出来るが初めてのお客さんである。

たとえ田舎であってもあまりにも非常識に思えた。

もう一件もバッテリー上りであったが平田町まで行かねばならない。

お得意さんの電器会社なのでこれも請求は出来なかった。

商売も面白いものだなと思う。損をして得をするのであろうか。


車検整備が順調に完了し義父が居てくれたので助かる。

午後は納車となり明日はもう支払いに来てくれるそうだ。

私は皮算用に忙しい。何としても月末の資金を集めなくてはならない。

今月も厳しくまるで綱渡りをしているようであった。


工場の仕事が一段落していたので今日も定時で帰路に就いた。

カーブスへ通い詰めるようになって気分が明るくなった気がする。

身体を動かすとこころも動いているのだろう。

週一の時よりも元気になり溌溂としているのを感じる。

帰宅しても倒れ込むように炬燵に潜り込むこともなくなった。

ただモンダイは食欲であり体重が少しずつ増えている。

運動をすればお腹が減るのは当然のことだが

気が付けば今までの倍も食べていることが多い。

しかし脂肪ではなく筋肉だと思えば少しは救われるのだろうか。



今朝は思うように詩が書けず四苦八苦していた。

何とか時間内に書けたが「こんなもん」と思う。

自分では全く満たされておらず不完全な詩であった。

それなのにあの厳しいK子さんが褒めてくれたのである。

読み手による受け止め方はそれぞれであるが

初めてK子さんに認めて貰えたのがとても嬉しかった。

決して気に入られようと思って書いた詩ではない。

ただ書けないことに苦しみながら絞り出したような詩であった。

明日の朝も書きたい。書きたくてたまらないのだが

書けるかどうかは朝になってみないと分らない。

誰にも認められなくても私は「私の詩」を書きたかった。


※以下今朝の詩


   背中

そう遠くはないだろう
野に若草が萌えるころ

もう少しで春が立つ
冬の背中が見えて来る

別れ道まで送って行こう
心残りがないように
言葉を交わそうと思う

「じゃあまた」
冬は旅人のように去って行く
それは永遠の別れではなく
巡る季節の掟のようなもの

冬の背中が震えているのは
泣いているのではなかった

冷たい北風が吹き抜けていく
やがてそれは優しい風に変わる

背中を押すのは誰だろう
決して振り返ってはならない



2026年01月26日(月) 豚もおだてりゃ木に登る

氷点下の朝。山里は平野部よりも気温が低く凍りつくような寒さであった。

放射冷却だったのだろう日中は嘘のように暖かくなる。

北国や日本海側は記録的な大雪とのこと。

屋根の雪下ろしをしていて亡くなった方もいる。

夏は猛暑。冬は大雪と自然の猛威は容赦なく襲って来るのだった。

幸い高知県西部はまだ積雪がないが数年前には3月に大雪が降ったことがある。

「ホワイトアウト」を初めて経験した時の恐怖が忘れられない。

大寒波は一時弱まるようだが直ぐにまた次の寒波が襲ってくるそうだ。

雪国の人達の暮らしを思うと何とも気の毒でならない。

もしいち早く春が訪れても手放しで喜ぶことが出来ようか。



仕事は朝から来客が多くあたふたと忙しい。

例の散髪屋さんもやって来たが世間話も出来なかった。

定休日で暇を弄んでいたようだが「忙しいけんごめんよ」と断る。

何だか追い返したようで心苦しかったが仕方あるまい。

その後も続々と来客があり対応に追われていた。


義父も事務所に待機していたが農業関係の事務仕事をしていた。

もう農薬や肥料を注文しなければならず頭を悩ませているようだった。

百万単位でお金が飛んで行く。米作りの経費は半端ではなかった。

これでお米の価格が下がればまた大赤字になってしまう。

お国は消費者のことばかりで生産者は蚊帳の外である。


午後にも来客があったが義父に任せて定時で帰路に就いた。

帰り道に平田町のお客さんに車検証を届けに行ったら

奥さんが「ちょっと待って」と畑から大根を引いて来てくれる。

大きくて立派な大根であった。助手席に積み込み上機嫌で帰った。


3時を少し過ぎていたがカーブスへ行きたくてならない。

すっかり顔なじみになったお仲間さんの顔が目に浮かぶ。

私の姿を見るなり笑顔で手を挙げてくれて嬉しかった。

おまけに「偉いねえ、頑張るねえ」と褒めてくれるのだった。

「豚もおだてりゃ木に登る」とは私のことであろう。

いつも以上に頑張り心地よく汗を流した。


買い物を済ませ4時過ぎに帰宅したが娘の姿が見えない。

夫が云うには今朝仕事に行ったきり帰って来ていないのだそうだ。

仕事が忙しく残業になったのかもしれないがそれにしても遅い。

洗濯物を畳みながら夕飯の支度のことを案じていた。


5時を少し過ぎてからやっと帰って来た。

娘婿の通院日で窪川の病院へ行っていたのだそうだ。

それならそうとどうして一言告げてくれなかったのだろう。

「またか」と思い娘に文句も云えなかった。

娘が付き添わなければいけないほど悪化しているのなら

どんな容態なのか少しでも教えて欲しいと思う。

しかしそれも「干渉」になるのなら口を噤むしかなかった。

娘婿は今夜も平然と「しらすうなぎ漁」に出掛けて行く。



今朝もこれまで出会ったお遍路さんの詩を書いた。

職業遍路ではなく修行僧のKさんのことである。

お大師堂で初めて会った日の姿が目に焼き付いていた。

あれほど孤独であれほど生気を失くした人がいただろうか。

初めての托鉢は我が家であった。

土手に真っ白く霜の降りた冷たい冬の朝のことである。

パーキンソン病を患っていた姑さんが杖を付きながら歩いて来た。

その姿を見て何があっても「歩く」ことを諦めてはいけないと

強く心に誓ったのだそうだ。


よほど縁が深かったのだろうその後も何度も再会をする。

最後に会った時には「おばあちゃんに会いたい」と

畑仕事をしていた姑さんに会いに行った。

「おばあちゃん元気に長生きしてね」それが最後の言葉になった。


その三日後、Kさんは足摺岬で自らの命を絶った。

火葬場でKさんの遺骨を拾う。

それは真っ白くて逞しい「いのち」の結晶に思えた。


※以下今朝の詩


   修行僧

旅人は薄暗いお堂の中で
膝を抱えて蹲っていた

どうしたらいいのか
わからなくなった

もう歩く気力もなく
絶望しかないと云う

僧になるための修行で
京都のお寺を出立した
僅かな金子を与えられ
托鉢をしろと云われた

しかし托鉢が出来ない
金子はとうとう底を尽き
何も食べることが出来ない

泣く事しか出来なかった
涙を呑んで生きるしかない

死んだほうがましだと
何度思ったことだろう

これが修行なのか
こんなものが修行なのか
いのちの息が掠れていく

お堂の傍らには大河が流れ
せせらぎの音が耳に優しい
身を投げるにはあまりにも
尊い流れに思えてならない

大河の流れは海に辿り着く
その海を見届けようと思う

立ち上がれば明日が見えた
そうして一歩を踏み出して行く



2026年01月25日(日) 縁あってこそ

陽射しはたっぷりとあったが

強風注意報が出ており強い北風が吹き荒れる。

夫が洗濯物を外まで運んでくれていたが

あまりの強風に干すのを諦めてしまった。

乾燥機に頼るばかりでもう幾日も外干しをしていない。


朝からゆったりと時間が流れる。

かと云って有意義には過ごせず怠けてばかりだった。

8時には炬燵に潜り込みひと眠りする。

夫は地区の初会があり出掛けて行った。


10時前には目覚めのろりのろりと買い物に行く。

昨夜のおでんが残っており最低限に留めた。

セルフレジに向かえば顔なじみの店員さんが居て

にっこりと笑顔を見せながら駆け寄って来てくれた。

いつも清算した荷物をカートに載せてくれるのだった。

今日は軽い荷物だったがついつい甘えてしまう。

「気を付けて帰ってね」その優しい一言が心に沁みる。

もう他の店では買い物が出来ないほど大好きな店員さんであった。


昼食後はまたお昼寝である。今日は3時には目覚めていた。

一時間ほど自室で過ごしていたがまた煙草ばかり吸ってしまう。

ああ嫌だ嫌だと思いながら火を点けてしまうので情けなくてならない。


SNSのタイムラインを追っていたが特に変わり映えしない。

お昼に「うどん」を食べた人が多く私と一緒だなと思った。

「わかめうどん」や「カレーうどん」がとても美味しそうである。

私は食べ物の写真を載せることは滅多にないが

ふと遊び心でそれも良いのかもしれないと思う。

詩や短歌ばかりでは堅苦しいばかりだろう。

しかし写真を撮る前に食べ終わることが多い。

おまけに外食の時には夫に叱られてしまうのだった。

「みっともないことをするな」といつも云われる。



今朝もこれまで出会ったお遍路さんの詩を書いた。

MさんやGさんと同じく職業遍路のWさんのことである。

最後に会ったのは5年程前だろうかその時にはとても元気そうであった。

しかしそれ以来会えない日が続いており気掛かりでならない。

若い頃には何処かのお寺の僧侶だったと聞いていたが

もしかしたらまた僧侶になっているかもしれなかった。

しかし栄養失調で飲まず食わずの旅である。

旅の途中で生き倒れる心配も大きかった

父の命日に2年続けて出会ったのは父の導きだと信じている。

父自身もお遍路の経験者で納経帳が遺品になっていた。

しかしお葬式は弟の都合で「神式」でせざるを得なかったのだ。

だからと云って父が浮かばれないとは思わなかったが

そのことがずっと気になっており歳月が流れ続けていた。


「お父さんはもう大丈夫」Wさんの言葉は一生忘れない。

父の魂はきっと安らかに成仏したことだろう。


父が亡くなってから毎朝「般若心経」を唱えている。

Wさんから頂いた「身代わり札」も父の遺影に供えてあった。


※以下今朝の詩


  職業遍路その3

朝から何も食べていない
旅人はそれを
誇らしそうに云うのだった

四国には「お接待」と云う
文化が根付いている

蜜柑だったりお米だったり
畑の大根だったりする

出会ったのは父の命日で
二年も続けて会ったのだ
「お父さんの導きやろう」と
旅人は大きくうなずき
供養のためにとお経を唱えてくれた

「お布施はいらんがな」と云う
しかし何もせずにはいられない

せめてもとバナナをお接待した
旅人は美味しそうに頬張る

「栄養失調」なのだそうだ
食べないと死んでしまうだろう

「それもええがな」と微笑む
まるで死に続く旅に思えた

空腹でも歩き続ける
もう何巡目だろうか
憶えてはいないらしい

陽に焼けた顔には
確かに「いのち」が宿っていた



2026年01月24日(土) 寒さを乗り越えてこそ

晴れたり曇ったり。気温は9℃まで上がりさほど寒さを感じなかった。

大寒波も峠を越えたようでまた暖かい日も訪れそうだ。

「立春」まであと幾日と指折り数えている。


玄関のシクラメンがまたぐんにゃり。

寒いので水遣りを控えていたせいだろう。

どれほど寒くても水を求めていることを知る。


NHKの朝ドラ「どんど晴れ」を見てから「秀吉兄弟」を見る。

新しいテレビは大画面で見応えがあった。

どんど晴れの舞台である盛岡は雪の季節であったが

一本桜が咲く頃が待ち遠しくてならない。

一度行ってみたいと思うが今生ではもう無理だろう。

来世があるかどうか定かではないが

魂の記憶として残して置きたいものだ。


土曜日のお休みは久しぶりで喜び勇んでカーブスへ行く。

しばらく会えなかったお仲間さんにも会えて嬉しかった。

ささやかな挨拶であっても声と声が触れ合う。

笑顔も嬉しく何だかとても元気になったような気がした。


昼食後はお決まりのお昼寝で炬燵に潜り込み猫のように眠る。

3時には起きて「おでん」を仕込むつもりであったが

寝過ぎてしまい目覚めればもう4時である。

大急ぎでおでんを作ったが浸みる間がなかったようだ。

大相撲を観ながら夫と向かい合って食べた。

煮込みが足らなかったがけっこう美味しい。

明日の朝にはもっと美味しくなっているだろう。


娘達は夕食を食べずにダンス教室へ行く。

めいちゃんはダンスが好きでたまらない様子であった。

元気な大きな声で「行って来ます」と出掛けて行った。

春には発表会があるのだそうだ。めいちゃんが教えてくれる。


あれ程怖くてならなかったお風呂が今は楽しみでならない。

動悸がすることもなく肩までゆったりと湯船に浸かる。

SNSのフォロワーさんから教えてもらった「ぐうぱあ体操」をした。

高血圧に効果があるそうでもう毎晩の日課になっている。

そのおかげか新しい薬のおかげか定かではないが血圧は落ち着いていた。



今朝は「みい太」の詩を書いた。

今日は会えなかったがどうしているだろうかと思う。

昨年暮れから里親が見つかった子猫はそれっきり姿を見せなくなった。

おそらく暖かな家の中で幸せに暮らしているのだろう。

みい太にとっては我が子であり寂しさもあるのに違いない。

しかし子の幸せを願う気持ちは人間と同じなのではないだろうか。

暖かな春になれば再会も叶うかもしれなかった。


義父は決して冷酷な人ではなかったが

みい太にはとても厳しかった。

私が懇願しても事務所に入れてはならないと云う。

雪が降りしきる日に事務所の扉に縋り付くように鳴いていたみい太であった。


※以下今朝の詩


   みい太

山里に雪が降った日
しきりに猫が鳴いていた

寒いよう冷たいよう

野良だった子猫に
餌をやり始めたのは
何年前だったか
はっきりと憶えてはいない

「みい太」と名付けた
呼ぶとからだを摺り寄せて来て
撫でて欲しいと甘えるのである

雪が降り続いている
遊びに行くことも出来ない
暖かな部屋に入りたかった

寒いよう冷たいよう

どんなに鳴いても
扉を開けてはならない
心を鬼にして耐え続ける

もう野良ではないはずだった
しかし家族にはなれない
ただ飢えを満たしてやる
それだけの縁なのだろう

かなしい雪であった
父も母も何処に行ったのか

陽だまりの中を駆けて行く
そんな「あした」を願う


 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加