ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年01月27日(火) 後ろの正面だあれ

冬晴れの一日であったが風の強い一日となる。

強風注意報が出ておりまた寒波の前兆ではないだろうか。

しかし長期予報では立春を境に少し暖かくなるのだそうだ。

そうして「三寒四温」となって行く。もう春の兆しである。


朝の山道にも集落があり今朝は枇杷の花が咲いているのを見つけた。

毎朝通る道なのに今まで一度も気づかなかった。

枇杷の花が真冬に咲くことさえ知らずにいたのである。

薄茶色の花で綺麗とは云い難いがとても健気に見えた。

花が散れば実になるのだろう。季節はそうして初夏を迎える。



来客は少なかったが緊急の電話がいくつかあった。

まだ開店前からばたばたと大忙しである。

バッテリー上りのお客さんは仕事に行けず困り果てていた。

同僚が充電機を用いて直ぐに始動したのだが

「有難うございました」の一言で出張料は貰えなかったのだそうだ。

常連のお客さんならサービスも出来るが初めてのお客さんである。

たとえ田舎であってもあまりにも非常識に思えた。

もう一件もバッテリー上りであったが平田町まで行かねばならない。

お得意さんの電器会社なのでこれも請求は出来なかった。

商売も面白いものだなと思う。損をして得をするのであろうか。


車検整備が順調に完了し義父が居てくれたので助かる。

午後は納車となり明日はもう支払いに来てくれるそうだ。

私は皮算用に忙しい。何としても月末の資金を集めなくてはならない。

今月も厳しくまるで綱渡りをしているようであった。


工場の仕事が一段落していたので今日も定時で帰路に就いた。

カーブスへ通い詰めるようになって気分が明るくなった気がする。

身体を動かすとこころも動いているのだろう。

週一の時よりも元気になり溌溂としているのを感じる。

帰宅しても倒れ込むように炬燵に潜り込むこともなくなった。

ただモンダイは食欲であり体重が少しずつ増えている。

運動をすればお腹が減るのは当然のことだが

気が付けば今までの倍も食べていることが多い。

しかし脂肪ではなく筋肉だと思えば少しは救われるのだろうか。



今朝は思うように詩が書けず四苦八苦していた。

何とか時間内に書けたが「こんなもん」と思う。

自分では全く満たされておらず不完全な詩であった。

それなのにあの厳しいK子さんが褒めてくれたのである。

読み手による受け止め方はそれぞれであるが

初めてK子さんに認めて貰えたのがとても嬉しかった。

決して気に入られようと思って書いた詩ではない。

ただ書けないことに苦しみながら絞り出したような詩であった。

明日の朝も書きたい。書きたくてたまらないのだが

書けるかどうかは朝になってみないと分らない。

誰にも認められなくても私は「私の詩」を書きたかった。


※以下今朝の詩


   背中

そう遠くはないだろう
野に若草が萌えるころ

もう少しで春が立つ
冬の背中が見えて来る

別れ道まで送って行こう
心残りがないように
言葉を交わそうと思う

「じゃあまた」
冬は旅人のように去って行く
それは永遠の別れではなく
巡る季節の掟のようなもの

冬の背中が震えているのは
泣いているのではなかった

冷たい北風が吹き抜けていく
やがてそれは優しい風に変わる

背中を押すのは誰だろう
決して振り返ってはならない



2026年01月26日(月) 豚もおだてりゃ木に登る

氷点下の朝。山里は平野部よりも気温が低く凍りつくような寒さであった。

放射冷却だったのだろう日中は嘘のように暖かくなる。

北国や日本海側は記録的な大雪とのこと。

屋根の雪下ろしをしていて亡くなった方もいる。

夏は猛暑。冬は大雪と自然の猛威は容赦なく襲って来るのだった。

幸い高知県西部はまだ積雪がないが数年前には3月に大雪が降ったことがある。

「ホワイトアウト」を初めて経験した時の恐怖が忘れられない。

大寒波は一時弱まるようだが直ぐにまた次の寒波が襲ってくるそうだ。

雪国の人達の暮らしを思うと何とも気の毒でならない。

もしいち早く春が訪れても手放しで喜ぶことが出来ようか。



仕事は朝から来客が多くあたふたと忙しい。

例の散髪屋さんもやって来たが世間話も出来なかった。

定休日で暇を弄んでいたようだが「忙しいけんごめんよ」と断る。

何だか追い返したようで心苦しかったが仕方あるまい。

その後も続々と来客があり対応に追われていた。


義父も事務所に待機していたが農業関係の事務仕事をしていた。

もう農薬や肥料を注文しなければならず頭を悩ませているようだった。

百万単位でお金が飛んで行く。米作りの経費は半端ではなかった。

これでお米の価格が下がればまた大赤字になってしまう。

お国は消費者のことばかりで生産者は蚊帳の外である。


午後にも来客があったが義父に任せて定時で帰路に就いた。

帰り道に平田町のお客さんに車検証を届けに行ったら

奥さんが「ちょっと待って」と畑から大根を引いて来てくれる。

大きくて立派な大根であった。助手席に積み込み上機嫌で帰った。


3時を少し過ぎていたがカーブスへ行きたくてならない。

すっかり顔なじみになったお仲間さんの顔が目に浮かぶ。

私の姿を見るなり笑顔で手を挙げてくれて嬉しかった。

おまけに「偉いねえ、頑張るねえ」と褒めてくれるのだった。

「豚もおだてりゃ木に登る」とは私のことであろう。

いつも以上に頑張り心地よく汗を流した。


買い物を済ませ4時過ぎに帰宅したが娘の姿が見えない。

夫が云うには今朝仕事に行ったきり帰って来ていないのだそうだ。

仕事が忙しく残業になったのかもしれないがそれにしても遅い。

洗濯物を畳みながら夕飯の支度のことを案じていた。


5時を少し過ぎてからやっと帰って来た。

娘婿の通院日で窪川の病院へ行っていたのだそうだ。

それならそうとどうして一言告げてくれなかったのだろう。

「またか」と思い娘に文句も云えなかった。

娘が付き添わなければいけないほど悪化しているのなら

どんな容態なのか少しでも教えて欲しいと思う。

しかしそれも「干渉」になるのなら口を噤むしかなかった。

娘婿は今夜も平然と「しらすうなぎ漁」に出掛けて行く。



今朝もこれまで出会ったお遍路さんの詩を書いた。

職業遍路ではなく修行僧のKさんのことである。

お大師堂で初めて会った日の姿が目に焼き付いていた。

あれほど孤独であれほど生気を失くした人がいただろうか。

初めての托鉢は我が家であった。

土手に真っ白く霜の降りた冷たい冬の朝のことである。

パーキンソン病を患っていた姑さんが杖を付きながら歩いて来た。

その姿を見て何があっても「歩く」ことを諦めてはいけないと

強く心に誓ったのだそうだ。


よほど縁が深かったのだろうその後も何度も再会をする。

最後に会った時には「おばあちゃんに会いたい」と

畑仕事をしていた姑さんに会いに行った。

「おばあちゃん元気に長生きしてね」それが最後の言葉になった。


その三日後、Kさんは足摺岬で自らの命を絶った。

火葬場でKさんの遺骨を拾う。

それは真っ白くて逞しい「いのち」の結晶に思えた。


※以下今朝の詩


   修行僧

旅人は薄暗いお堂の中で
膝を抱えて蹲っていた

どうしたらいいのか
わからなくなった

もう歩く気力もなく
絶望しかないと云う

僧になるための修行で
京都のお寺を出立した
僅かな金子を与えられ
托鉢をしろと云われた

しかし托鉢が出来ない
金子はとうとう底を尽き
何も食べることが出来ない

泣く事しか出来なかった
涙を呑んで生きるしかない

死んだほうがましだと
何度思ったことだろう

これが修行なのか
こんなものが修行なのか
いのちの息が掠れていく

お堂の傍らには大河が流れ
せせらぎの音が耳に優しい
身を投げるにはあまりにも
尊い流れに思えてならない

大河の流れは海に辿り着く
その海を見届けようと思う

立ち上がれば明日が見えた
そうして一歩を踏み出して行く



2026年01月25日(日) 縁あってこそ

陽射しはたっぷりとあったが

強風注意報が出ており強い北風が吹き荒れる。

夫が洗濯物を外まで運んでくれていたが

あまりの強風に干すのを諦めてしまった。

乾燥機に頼るばかりでもう幾日も外干しをしていない。


朝からゆったりと時間が流れる。

かと云って有意義には過ごせず怠けてばかりだった。

8時には炬燵に潜り込みひと眠りする。

夫は地区の初会があり出掛けて行った。


10時前には目覚めのろりのろりと買い物に行く。

昨夜のおでんが残っており最低限に留めた。

セルフレジに向かえば顔なじみの店員さんが居て

にっこりと笑顔を見せながら駆け寄って来てくれた。

いつも清算した荷物をカートに載せてくれるのだった。

今日は軽い荷物だったがついつい甘えてしまう。

「気を付けて帰ってね」その優しい一言が心に沁みる。

もう他の店では買い物が出来ないほど大好きな店員さんであった。


昼食後はまたお昼寝である。今日は3時には目覚めていた。

一時間ほど自室で過ごしていたがまた煙草ばかり吸ってしまう。

ああ嫌だ嫌だと思いながら火を点けてしまうので情けなくてならない。


SNSのタイムラインを追っていたが特に変わり映えしない。

お昼に「うどん」を食べた人が多く私と一緒だなと思った。

「わかめうどん」や「カレーうどん」がとても美味しそうである。

私は食べ物の写真を載せることは滅多にないが

ふと遊び心でそれも良いのかもしれないと思う。

詩や短歌ばかりでは堅苦しいばかりだろう。

しかし写真を撮る前に食べ終わることが多い。

おまけに外食の時には夫に叱られてしまうのだった。

「みっともないことをするな」といつも云われる。



今朝もこれまで出会ったお遍路さんの詩を書いた。

MさんやGさんと同じく職業遍路のWさんのことである。

最後に会ったのは5年程前だろうかその時にはとても元気そうであった。

しかしそれ以来会えない日が続いており気掛かりでならない。

若い頃には何処かのお寺の僧侶だったと聞いていたが

もしかしたらまた僧侶になっているかもしれなかった。

しかし栄養失調で飲まず食わずの旅である。

旅の途中で生き倒れる心配も大きかった

父の命日に2年続けて出会ったのは父の導きだと信じている。

父自身もお遍路の経験者で納経帳が遺品になっていた。

しかしお葬式は弟の都合で「神式」でせざるを得なかったのだ。

だからと云って父が浮かばれないとは思わなかったが

そのことがずっと気になっており歳月が流れ続けていた。


「お父さんはもう大丈夫」Wさんの言葉は一生忘れない。

父の魂はきっと安らかに成仏したことだろう。


父が亡くなってから毎朝「般若心経」を唱えている。

Wさんから頂いた「身代わり札」も父の遺影に供えてあった。


※以下今朝の詩


  職業遍路その3

朝から何も食べていない
旅人はそれを
誇らしそうに云うのだった

四国には「お接待」と云う
文化が根付いている

蜜柑だったりお米だったり
畑の大根だったりする

出会ったのは父の命日で
二年も続けて会ったのだ
「お父さんの導きやろう」と
旅人は大きくうなずき
供養のためにとお経を唱えてくれた

「お布施はいらんがな」と云う
しかし何もせずにはいられない

せめてもとバナナをお接待した
旅人は美味しそうに頬張る

「栄養失調」なのだそうだ
食べないと死んでしまうだろう

「それもええがな」と微笑む
まるで死に続く旅に思えた

空腹でも歩き続ける
もう何巡目だろうか
憶えてはいないらしい

陽に焼けた顔には
確かに「いのち」が宿っていた



2026年01月24日(土) 寒さを乗り越えてこそ

晴れたり曇ったり。気温は9℃まで上がりさほど寒さを感じなかった。

大寒波も峠を越えたようでまた暖かい日も訪れそうだ。

「立春」まであと幾日と指折り数えている。


玄関のシクラメンがまたぐんにゃり。

寒いので水遣りを控えていたせいだろう。

どれほど寒くても水を求めていることを知る。


NHKの朝ドラ「どんど晴れ」を見てから「秀吉兄弟」を見る。

新しいテレビは大画面で見応えがあった。

どんど晴れの舞台である盛岡は雪の季節であったが

一本桜が咲く頃が待ち遠しくてならない。

一度行ってみたいと思うが今生ではもう無理だろう。

来世があるかどうか定かではないが

魂の記憶として残して置きたいものだ。


土曜日のお休みは久しぶりで喜び勇んでカーブスへ行く。

しばらく会えなかったお仲間さんにも会えて嬉しかった。

ささやかな挨拶であっても声と声が触れ合う。

笑顔も嬉しく何だかとても元気になったような気がした。


昼食後はお決まりのお昼寝で炬燵に潜り込み猫のように眠る。

3時には起きて「おでん」を仕込むつもりであったが

寝過ぎてしまい目覚めればもう4時である。

大急ぎでおでんを作ったが浸みる間がなかったようだ。

大相撲を観ながら夫と向かい合って食べた。

煮込みが足らなかったがけっこう美味しい。

明日の朝にはもっと美味しくなっているだろう。


娘達は夕食を食べずにダンス教室へ行く。

めいちゃんはダンスが好きでたまらない様子であった。

元気な大きな声で「行って来ます」と出掛けて行った。

春には発表会があるのだそうだ。めいちゃんが教えてくれる。


あれ程怖くてならなかったお風呂が今は楽しみでならない。

動悸がすることもなく肩までゆったりと湯船に浸かる。

SNSのフォロワーさんから教えてもらった「ぐうぱあ体操」をした。

高血圧に効果があるそうでもう毎晩の日課になっている。

そのおかげか新しい薬のおかげか定かではないが血圧は落ち着いていた。



今朝は「みい太」の詩を書いた。

今日は会えなかったがどうしているだろうかと思う。

昨年暮れから里親が見つかった子猫はそれっきり姿を見せなくなった。

おそらく暖かな家の中で幸せに暮らしているのだろう。

みい太にとっては我が子であり寂しさもあるのに違いない。

しかし子の幸せを願う気持ちは人間と同じなのではないだろうか。

暖かな春になれば再会も叶うかもしれなかった。


義父は決して冷酷な人ではなかったが

みい太にはとても厳しかった。

私が懇願しても事務所に入れてはならないと云う。

雪が降りしきる日に事務所の扉に縋り付くように鳴いていたみい太であった。


※以下今朝の詩


   みい太

山里に雪が降った日
しきりに猫が鳴いていた

寒いよう冷たいよう

野良だった子猫に
餌をやり始めたのは
何年前だったか
はっきりと憶えてはいない

「みい太」と名付けた
呼ぶとからだを摺り寄せて来て
撫でて欲しいと甘えるのである

雪が降り続いている
遊びに行くことも出来ない
暖かな部屋に入りたかった

寒いよう冷たいよう

どんなに鳴いても
扉を開けてはならない
心を鬼にして耐え続ける

もう野良ではないはずだった
しかし家族にはなれない
ただ飢えを満たしてやる
それだけの縁なのだろう

かなしい雪であった
父も母も何処に行ったのか

陽だまりの中を駆けて行く
そんな「あした」を願う



2026年01月23日(金) 終りのない旅

氷点下の予報だったが0℃に留まる。

さほど寒さを感じないのはもう慣れてしまっているからだろう。

暖房器具さえあれば少しも苦にはならない。


道路凍結もなく無事に山里へ着いたが

やはり昨夜雪が降ったのだろう。

薄っすらと雪化粧をしていた。

そんな雪も朝陽を浴びれば直ぐに溶ける。

南国土佐の雪は何とも儚いものだ。


同僚が大腸ポリープ切除のため休んでおり

工場は開店休業であったが

支払いの来客が何人かありけっこう忙しかった。

散髪屋さんをしているお客さんは話し好きで一向に帰らない。

仕事の愚痴ばかりであったが嫌な顔も出来なかった。

「あんたはええねえ、座っているだけで給料が貰えて」と云う。

「わしらあなんぼ座っておってもお客は一人も来んぞ」と続く。

何だか耳が痛かったが笑い飛ばすしかなかった。

どんな商売であってもお客さんがあってこそ成り立つ。

そのお客さんが一人も来ない日が多いのだそうだ。

何とも気の毒でならないが同情してもどうしようも出来ない。

義父は常連さんであったがいつ行っても留守なのだそうだ。

予め電話で予約をしておきその時間に必ず行かねばならない。

おまけに3時前にはもう店を閉めて市内の温泉施設に行く。

それが日課で一番の楽しみなのだそうだ。

それでは商売も上がったりだろうと思うが

要らぬ口を叩けば気を悪くするばかりである。

「楽しみもないといかんよ」と云うと「そうじゃろう」と微笑んでいた。

もう60歳を超え家族もなくたった独りで暮らしているのだった。


午後、大変なトラブルが発生。代書事務所から電話があった。

昨日送った「中古新規登録」の車がリコール未対策とのこと。

義父が早急にディラーに頼み込み明後日修理をしてくれることになる。

お客さんも全く知らなかったそうで私も迂闊であった。

今後は二度とあってはならないことで気を引き絞めねばならない。

明日はナンバーが届き納車の予定であったが出来なくなった。

「休んだらええわや」と義父が云ってくれてそうすることに決める。

同僚も明日はまだ安静が必要で休みになっていた。


その同僚から夕方電話がありまだ完全に切除出来なかったらしい。

後日再び検査をして残りのポリープを切除するのだそうだ。

なるべく早い方が良いと思うが仕事の段取りもしなければならず

病院から指示があるのを待つことにした。

同僚も落ち着かない様子であったが既に俎板の上の鯉である。



今日は茶の間に新しいテレビが届いていた。

私はまだ買い替えるつもりはなかったが

先日から調子が悪く「壊れてからでは遅いぞ」と夫が云い張る。

息子のお下がりのテレビだったので相当古くもう寿命かもしれなかった。

夫の何と嬉しそうなことだろう。大相撲を食い入るように観ていた。

「人生最後のテレビやね」と二人で笑い合う。



今朝も私がこれまで出会ったお遍路さんの詩を書いた。

Mさんと同じく何度も会っているGさんである。

人懐っこくて愉快なお遍路さんであったが

若い頃に余程の辛いことがあったらしい。

それを話すことはなかったが何処か影のある人であった。

病魔に侵され亡くなったと聞いてから数年経つが

くりくりっとした大きな瞳が今も忘れられない。


※以下今朝の詩


  職業遍路その2

わしはもう
いつしんでもええんじゃ

巡礼の旅人は空を見上げ
遥か遠くを探ろうとする

歩くことが生きること
人生の大半をそうして来た

托鉢をしながら暮らす日々
それが叶わない日もあった
空腹でならない
その日食べる物がない

身体が不調であっても
病院へ行けなかった
健康保険証もない
もちろんお金もない

そのうち野垂れ死ぬだろう
その日が来るのを待っている

溌溂としていた若き日を想う
愛する人も確かに存在していた
しかし大きな喪失に勝てなかった

わしはもう
いつしんでもええんじゃ

独りぼっちではなかった
同行二人の笠を深く被り
その日の道を歩き続ける

死んだって幸せにはなれない
生きていたって幸せではない

巡礼の道は延々と続き
それは終りのない旅であった



2026年01月22日(木) 雪の山里

朝の気温は2℃、氷点下にはならなかったが

日中も気温が変わらず厳しい寒さとなった。

山里は朝から雪が降っており一向に止まない。

今夜も降り続けば明日は一面の雪景色となるだろう。

同じ高知県西部でも市内は全く降っていなかった。

青空が見えており陽射しも十分にあったようだ。


先日来の暖かさのせいが畑に菜の花が咲き始めている。

この寒波が過ぎれば一斉に咲くことだろう。

どれほどの寒さでも必ず春がやって来る。


今朝は餌を食べ終ったみい太が鳴きやまずみゃおみゃおと騒がしい。

餌は十分に食べており寒さを訴えているようだった。

事務所に招き入れてやることも出来ず憐れでならない。

鉄工所のKちゃんが段ボール箱に毛布を入れて持って来たが

入ろうともせずに事務所のドアの前から動こうとしない。

雪で散歩どころではなくどんなにか寒かったことだろう。



今日は義父が居てくれて随分と仕事が捗った。

車検が4台完了し車検証等の書類を代書事務所に郵送する。

同時に重量税の精算もしなければならずまたお金が飛んで行った。

立て替えるのは本当に厳しい。それだけ資金の余裕がないのである。


午後も車検があり定時では帰れず残業となった。

カーブスへ行きたかったがそれどころではない。

同僚も義父も寒さのなか一生懸命に頑張っていた。

工場には暖房設備がないのでどんなにか寒いことだろう。

私は事務所でぬくぬくとしており心苦しくてならなかった。



買い物を終えて4時過ぎに帰宅したが

夫は暖房も点けずに大相撲を観ていた。

炬燵があれば十分だと云うが部屋はしんしんと冷え込んでいる。

やはりもったいないと思うらしいが我慢は禁物だと云い聞かせた。

確かに光熱費は嵩み家計に響くが風邪を引いたら元も子もない。

夏も冬も快適に過ごすのが一番である。


いつものように夫と先に夕食を済ませたが

孫達はそれぞれの部屋で食べており娘は一人で食べていた。

娘婿は今夜も「しらすうなぎ漁」に行ったようだ。

深夜に帰宅することが多くまるで母子家庭である。

仕事は未だに休職中で復帰する気配もない。

お給料は支給されているらしいが気遣わずにはいられなかった。


「しらすうなぎ」は「海のダイヤ」と云われており

大漁の時には一晩で数十万円にもなるのだそうだ。

寒くて風が強いほど獲れるので今が稼ぎ時なのだろう。

けれども休職中の身でと思わずにいられなかった。

娘は何も云わない。もちろん娘婿も自由を謳歌している。



最近はお遍路さんを見かけなくなったが

今朝は職業遍路のMさんのことを思い出して詩を書いた。

ぷっつりと会えなくなってもう三年程だろうか。

これまで年に数回会っていたので気掛かりでならない。

おそらく何処かの土地で落ち着いて暮らしていると思うが

もしかしたら娘さんの住む山梨に帰ったのかもしれない。

それが一番に思うが消息を知ることは出来なかった。

お遍路に生涯を尽くしたような人生であったが

穏やかに幸せな老後を送っていて欲しいと願って止まない。


※以下今朝の詩


  職業遍路

帰りたいけどさあ
帰れないんだよう

その人の職業は
「お遍路」であった
四国霊場をもう
百回も巡ったそうだ

地図は持っていない
携帯電話も持っていない
ただ脚だけが頼りである

娘さんからの手紙は
お寺宛に届き
初孫が生まれたのだそうだ

あいてえなあ
かわいいだろうなあ

日に焼けた顔がほころぶ
陽だまりのような笑顔であった

奥様を亡くされ
供養のための旅である
もう十分ではないのか
いやまだ足らないと云う

帰りたいけどさあ
帰れないんだよう

春夏秋冬と季節は巡り
どれほどの景色を胸に
刻み続けて来たことだろう

雨の日も風の日も雪の日も
ひたすら歩き続けて来た

見上げればいつも空があり
旅の無事を祈り続けている



2026年01月21日(水) 鶏つくね

今朝は氷点下の冷え込みを覚悟していたが

2℃に留まり寒さも苦にならなかった。

日中は冬晴れとなり陽射しが暖かく感じる。

しかし山里の気温は低く10時に1℃しかなく驚く。

午後から冷たい北風が強く吹き始める。

明日から明後日にかけ寒波の底となり

高知県西部も雪が舞いそうであった。


今朝はみい太の姿が見えずいったい何処に行ったのだろう。

餌係のお客さんも諦めて帰ってしまった。

気の向くままに出掛ける風来坊のような猫である。

10時前にふらりと帰って来て私が餌を与えた。

がつがつとよく食べ丸々と太っている。



今日こそは「車検」をと思っていたが義父の姿も見えなかった。

早朝から出掛けたらしくもぬけの殻である。

同僚が云うにはどうやら「家建て」の手伝いに行ったらしい。

鉄工所のKちゃんと昨夕段取りをしていたそうだ。

それならそうとどうして連絡をしてくれなかったのだろう。

義父は「こう」と決めたらまっしぐらな性分であり

工場の仕事のことなどないがしろにしてしまうことが多い。

今に始まったことではないかと今日の「車検」は諦めることにした。

順調かと思えばそうでなくなる。何とかなるのだとしても

お客さんに迷惑を掛けることだけはあってはならない。


待てども待てども義父は帰らず明日にしようと帰路に就いた。

今日はカーブスではなく整形外科のリハビリである。

一週間の何と早いことだろう。あっという間にやって来る。

病院のエレベーターが故障していてU君に連れられ階段を上った。

杖を付かずに手摺を持った方が楽だろうと助言してくれ優しい。

リハビリを終え階段を下りる時も手を添えてくれて嬉しかった。

手が少し触れただけでどきどきする。まるで乙女の気持ちだった。


買い物を終えて4時半に帰宅。もう寛ぐ時間もない。

直ぐに5時になり娘と「ちゃんこ鍋」を作る。

あやちゃんが「鶏つくね」が好きだそうで今日まで知らなかった。

鶏肉を沢山買ったのでつくねは敢えて買わなかったのだ。

「仕方ないね」と娘が嘆くので残念でならない。

娘達と一緒に夕食を食べなくなってもう随分と経ったが

孫達の好みもどんどん変わっているようだった。

幼い頃に好きだった物も今は見向きもしないことが多い。

「ブームがあるけんね」と娘は笑い飛ばしているが

祖母として「知らない」ことは寂しいものである。

別所帯にすれば良いのかもしれないがそれも寂しいと思う。

献立も買い物も私に任せてくれるのが娘の優しさかもしれなかった。

もちろん気に入らない日もあるだろう。娘の機嫌が悪い時もあるが

角が立たないようにまあるく収めて来た日々であった。


早いもので今年は同居を始めて12年目となる。

孫達もすっかり成長し大きくなった。

娘は「いつまでもここにいないから」ともう云わなくなっている。

おそらくこのまま居続けるのではないだろうか。

私と夫が死んでしまったら家は娘夫婦の所有となるだろう。

それが最善に思えて前途を案じることもなくなってしまった。

財産など何も無いのだ。家を残せるだけでも良しと思いたい。

苦労をして建てた家である。全てのことが思い出になって行く。


※以下今朝の詩


   綿毛

峠道の谷川沿いに
群生していた花があった

それは初冬のこと
ちいさな向日葵のように咲き
薄暗い谷を照らしていたのだ

冬はどうしようもなく深まり
峠道にも小雪が舞う季節である

もう枯れてしまったのか
もう散ってしまったのか

行く末を知ったところで
かなしいだけかもしれない

けれども花たちは生きていた
折れることもなく朽ちもせず
谷川のせせらぎに身を寄せていた

綿毛はまるで真冬の帽子のように
愛らしく微笑んでいるように見える

すべてが種になるのだろう
また咲く季節がきっと来る

谷に冬の陽が射しこみ
まるで「いのち」を照らしているようだ






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