氷点下の予報だったが0℃に留まる。
さほど寒さを感じないのはもう慣れてしまっているからだろう。
暖房器具さえあれば少しも苦にはならない。
道路凍結もなく無事に山里へ着いたが
やはり昨夜雪が降ったのだろう。
薄っすらと雪化粧をしていた。
そんな雪も朝陽を浴びれば直ぐに溶ける。
南国土佐の雪は何とも儚いものだ。
同僚が大腸ポリープ切除のため休んでおり
工場は開店休業であったが
支払いの来客が何人かありけっこう忙しかった。
散髪屋さんをしているお客さんは話し好きで一向に帰らない。
仕事の愚痴ばかりであったが嫌な顔も出来なかった。
「あんたはええねえ、座っているだけで給料が貰えて」と云う。
「わしらあなんぼ座っておってもお客は一人も来んぞ」と続く。
何だか耳が痛かったが笑い飛ばすしかなかった。
どんな商売であってもお客さんがあってこそ成り立つ。
そのお客さんが一人も来ない日が多いのだそうだ。
何とも気の毒でならないが同情してもどうしようも出来ない。
義父は常連さんであったがいつ行っても留守なのだそうだ。
予め電話で予約をしておきその時間に必ず行かねばならない。
おまけに3時前にはもう店を閉めて市内の温泉施設に行く。
それが日課で一番の楽しみなのだそうだ。
それでは商売も上がったりだろうと思うが
要らぬ口を叩けば気を悪くするばかりである。
「楽しみもないといかんよ」と云うと「そうじゃろう」と微笑んでいた。
もう60歳を超え家族もなくたった独りで暮らしているのだった。
午後、大変なトラブルが発生。代書事務所から電話があった。
昨日送った「中古新規登録」の車がリコール未対策とのこと。
義父が早急にディラーに頼み込み明後日修理をしてくれることになる。
お客さんも全く知らなかったそうで私も迂闊であった。
今後は二度とあってはならないことで気を引き絞めねばならない。
明日はナンバーが届き納車の予定であったが出来なくなった。
「休んだらええわや」と義父が云ってくれてそうすることに決める。
同僚も明日はまだ安静が必要で休みになっていた。
その同僚から夕方電話がありまだ完全に切除出来なかったらしい。
後日再び検査をして残りのポリープを切除するのだそうだ。
なるべく早い方が良いと思うが仕事の段取りもしなければならず
病院から指示があるのを待つことにした。
同僚も落ち着かない様子であったが既に俎板の上の鯉である。
今日は茶の間に新しいテレビが届いていた。
私はまだ買い替えるつもりはなかったが
先日から調子が悪く「壊れてからでは遅いぞ」と夫が云い張る。
息子のお下がりのテレビだったので相当古くもう寿命かもしれなかった。
夫の何と嬉しそうなことだろう。大相撲を食い入るように観ていた。
「人生最後のテレビやね」と二人で笑い合う。

今朝も私がこれまで出会ったお遍路さんの詩を書いた。
Mさんと同じく何度も会っているGさんである。
人懐っこくて愉快なお遍路さんであったが
若い頃に余程の辛いことがあったらしい。
それを話すことはなかったが何処か影のある人であった。
病魔に侵され亡くなったと聞いてから数年経つが
くりくりっとした大きな瞳が今も忘れられない。
※以下今朝の詩
職業遍路その2
わしはもう いつしんでもええんじゃ
巡礼の旅人は空を見上げ 遥か遠くを探ろうとする
歩くことが生きること 人生の大半をそうして来た
托鉢をしながら暮らす日々 それが叶わない日もあった 空腹でならない その日食べる物がない
身体が不調であっても 病院へ行けなかった 健康保険証もない もちろんお金もない
そのうち野垂れ死ぬだろう その日が来るのを待っている
溌溂としていた若き日を想う 愛する人も確かに存在していた しかし大きな喪失に勝てなかった
わしはもう いつしんでもええんじゃ
独りぼっちではなかった 同行二人の笠を深く被り その日の道を歩き続ける
死んだって幸せにはなれない 生きていたって幸せではない
巡礼の道は延々と続き それは終りのない旅であった
朝の気温は2℃、氷点下にはならなかったが
日中も気温が変わらず厳しい寒さとなった。
山里は朝から雪が降っており一向に止まない。
今夜も降り続けば明日は一面の雪景色となるだろう。
同じ高知県西部でも市内は全く降っていなかった。
青空が見えており陽射しも十分にあったようだ。
先日来の暖かさのせいが畑に菜の花が咲き始めている。
この寒波が過ぎれば一斉に咲くことだろう。
どれほどの寒さでも必ず春がやって来る。
今朝は餌を食べ終ったみい太が鳴きやまずみゃおみゃおと騒がしい。
餌は十分に食べており寒さを訴えているようだった。
事務所に招き入れてやることも出来ず憐れでならない。
鉄工所のKちゃんが段ボール箱に毛布を入れて持って来たが
入ろうともせずに事務所のドアの前から動こうとしない。
雪で散歩どころではなくどんなにか寒かったことだろう。
今日は義父が居てくれて随分と仕事が捗った。
車検が4台完了し車検証等の書類を代書事務所に郵送する。
同時に重量税の精算もしなければならずまたお金が飛んで行った。
立て替えるのは本当に厳しい。それだけ資金の余裕がないのである。
午後も車検があり定時では帰れず残業となった。
カーブスへ行きたかったがそれどころではない。
同僚も義父も寒さのなか一生懸命に頑張っていた。
工場には暖房設備がないのでどんなにか寒いことだろう。
私は事務所でぬくぬくとしており心苦しくてならなかった。
買い物を終えて4時過ぎに帰宅したが
夫は暖房も点けずに大相撲を観ていた。
炬燵があれば十分だと云うが部屋はしんしんと冷え込んでいる。
やはりもったいないと思うらしいが我慢は禁物だと云い聞かせた。
確かに光熱費は嵩み家計に響くが風邪を引いたら元も子もない。
夏も冬も快適に過ごすのが一番である。
いつものように夫と先に夕食を済ませたが
孫達はそれぞれの部屋で食べており娘は一人で食べていた。
娘婿は今夜も「しらすうなぎ漁」に行ったようだ。
深夜に帰宅することが多くまるで母子家庭である。
仕事は未だに休職中で復帰する気配もない。
お給料は支給されているらしいが気遣わずにはいられなかった。
「しらすうなぎ」は「海のダイヤ」と云われており
大漁の時には一晩で数十万円にもなるのだそうだ。
寒くて風が強いほど獲れるので今が稼ぎ時なのだろう。
けれども休職中の身でと思わずにいられなかった。
娘は何も云わない。もちろん娘婿も自由を謳歌している。

最近はお遍路さんを見かけなくなったが
今朝は職業遍路のMさんのことを思い出して詩を書いた。
ぷっつりと会えなくなってもう三年程だろうか。
これまで年に数回会っていたので気掛かりでならない。
おそらく何処かの土地で落ち着いて暮らしていると思うが
もしかしたら娘さんの住む山梨に帰ったのかもしれない。
それが一番に思うが消息を知ることは出来なかった。
お遍路に生涯を尽くしたような人生であったが
穏やかに幸せな老後を送っていて欲しいと願って止まない。
※以下今朝の詩
職業遍路
帰りたいけどさあ 帰れないんだよう
その人の職業は 「お遍路」であった 四国霊場をもう 百回も巡ったそうだ
地図は持っていない 携帯電話も持っていない ただ脚だけが頼りである
娘さんからの手紙は お寺宛に届き 初孫が生まれたのだそうだ
あいてえなあ かわいいだろうなあ
日に焼けた顔がほころぶ 陽だまりのような笑顔であった
奥様を亡くされ 供養のための旅である もう十分ではないのか いやまだ足らないと云う
帰りたいけどさあ 帰れないんだよう
春夏秋冬と季節は巡り どれほどの景色を胸に 刻み続けて来たことだろう
雨の日も風の日も雪の日も ひたすら歩き続けて来た
見上げればいつも空があり 旅の無事を祈り続けている
今朝は氷点下の冷え込みを覚悟していたが
2℃に留まり寒さも苦にならなかった。
日中は冬晴れとなり陽射しが暖かく感じる。
しかし山里の気温は低く10時に1℃しかなく驚く。
午後から冷たい北風が強く吹き始める。
明日から明後日にかけ寒波の底となり
高知県西部も雪が舞いそうであった。
今朝はみい太の姿が見えずいったい何処に行ったのだろう。
餌係のお客さんも諦めて帰ってしまった。
気の向くままに出掛ける風来坊のような猫である。
10時前にふらりと帰って来て私が餌を与えた。
がつがつとよく食べ丸々と太っている。

今日こそは「車検」をと思っていたが義父の姿も見えなかった。
早朝から出掛けたらしくもぬけの殻である。
同僚が云うにはどうやら「家建て」の手伝いに行ったらしい。
鉄工所のKちゃんと昨夕段取りをしていたそうだ。
それならそうとどうして連絡をしてくれなかったのだろう。
義父は「こう」と決めたらまっしぐらな性分であり
工場の仕事のことなどないがしろにしてしまうことが多い。
今に始まったことではないかと今日の「車検」は諦めることにした。
順調かと思えばそうでなくなる。何とかなるのだとしても
お客さんに迷惑を掛けることだけはあってはならない。
待てども待てども義父は帰らず明日にしようと帰路に就いた。
今日はカーブスではなく整形外科のリハビリである。
一週間の何と早いことだろう。あっという間にやって来る。
病院のエレベーターが故障していてU君に連れられ階段を上った。
杖を付かずに手摺を持った方が楽だろうと助言してくれ優しい。
リハビリを終え階段を下りる時も手を添えてくれて嬉しかった。
手が少し触れただけでどきどきする。まるで乙女の気持ちだった。
買い物を終えて4時半に帰宅。もう寛ぐ時間もない。
直ぐに5時になり娘と「ちゃんこ鍋」を作る。
あやちゃんが「鶏つくね」が好きだそうで今日まで知らなかった。
鶏肉を沢山買ったのでつくねは敢えて買わなかったのだ。
「仕方ないね」と娘が嘆くので残念でならない。
娘達と一緒に夕食を食べなくなってもう随分と経ったが
孫達の好みもどんどん変わっているようだった。
幼い頃に好きだった物も今は見向きもしないことが多い。
「ブームがあるけんね」と娘は笑い飛ばしているが
祖母として「知らない」ことは寂しいものである。
別所帯にすれば良いのかもしれないがそれも寂しいと思う。
献立も買い物も私に任せてくれるのが娘の優しさかもしれなかった。
もちろん気に入らない日もあるだろう。娘の機嫌が悪い時もあるが
角が立たないようにまあるく収めて来た日々であった。
早いもので今年は同居を始めて12年目となる。
孫達もすっかり成長し大きくなった。
娘は「いつまでもここにいないから」ともう云わなくなっている。
おそらくこのまま居続けるのではないだろうか。
私と夫が死んでしまったら家は娘夫婦の所有となるだろう。
それが最善に思えて前途を案じることもなくなってしまった。
財産など何も無いのだ。家を残せるだけでも良しと思いたい。
苦労をして建てた家である。全てのことが思い出になって行く。
※以下今朝の詩
綿毛
峠道の谷川沿いに 群生していた花があった
それは初冬のこと ちいさな向日葵のように咲き 薄暗い谷を照らしていたのだ
冬はどうしようもなく深まり 峠道にも小雪が舞う季節である
もう枯れてしまったのか もう散ってしまったのか
行く末を知ったところで かなしいだけかもしれない
けれども花たちは生きていた 折れることもなく朽ちもせず 谷川のせせらぎに身を寄せていた
綿毛はまるで真冬の帽子のように 愛らしく微笑んでいるように見える
すべてが種になるのだろう また咲く季節がきっと来る
谷に冬の陽が射しこみ まるで「いのち」を照らしているようだ
二十四節気の「大寒」一年で最も寒さが厳しい頃であるが
日が長くなるのでゆっくりと春に向かう頃でもある。
目の前には「立春」があるのが希望でもあった。
最高気温は13℃と昨日よりも大幅に下がったが
陽射しがたっぷりとあり過ごし易い一日となる。
しかし夕方から風が冷たくなり寒波は避けられないだろう。
明日の朝は氷点下の予報であった。
花屋さんの店先に可愛らしいパンジーがたくさん並んでいた。
パンジーは寒さに強く雪が降っても微笑んでいる花である。
買い求めたくてたまらなかったが今日も諦めてしまった。
店員さんが声を掛けてくれて「見るだけ」を許してくれる。
先日のジュリアンはもう枯れ始めていて憐れだった。
花屋さんは半額にしても売り尽くそうとしている。
捨てることをしないのだ。それもひとつの優しさなのだろう。

仕事は今日も順調に「車検整備」が完了する。
しかし義父が今日も慌ただしくしていて「車検」が出来なかった。
また中古の農機具を買い求め嬉しくてならないようだ。
去年の秋からいったいどれほどお金を使ったことだろうか。
あればあるだけ使ってしまうので何だかほらはらと心配になる。
今年もお米の価格が高値なら良いが安ければ忽ち困るだろう。
事務所には立て続けに来客があり賑やかだった。
なんとそれぞれに冬野菜をたくさん持って来てくれたのだ。
白菜、大根、蕪、ほうれん草、ブロッコリーもある。
しばらくは野菜を買わなくて済み何と有難いことだろう。
田舎の山里ならではのこと。心優しい人ばかりである。
今日も義父の様子を伺いながら定時で退社した。
帰り道に平田町のお客さんに忘れ物を届けに行ったら
「干し柿食べんかね」と自家製の干し柿を頂く。
子供の頃には祖父が干していて何とも懐かしい。
助手席に置いて食べながら帰る。甘くてとても美味しかった。
カーブスは今日もいつものメンバーで楽しくてならない。
すっかり顔なじみになり会話も弾んだ。
ふと自分はこんなに明るい性分だったのかと思う。
弾んでいる自分の声が何だか別人のように思えた。
帰宅して娘に聞いたのだがサニーマート内の「キャンドゥ」が
今週一杯で閉店になるのだそうだ。
今日は寄らなかったので全く知らずにいたが
いつも利用していただけに残念でならない。
「セリアがあるじゃん」と娘は簡単に云うが
例え同じ敷地内でもとても不便に思えた。
セリアの店内は広過ぎて私の足ではかなり辛いのだった。
今日から全品半額処分をしているそうだが
明日ではもう遅いだろうとがっくりと肩を落とす。
夫の靴下を2足買ったのがどうやら最後になりそうだ。
足が不自由なりに出来る事は頑張ろうと思う。
しかし杖を付いても50メートル程しか歩けなくなった。
カートを押しながら買い物をするのも背筋を伸ばして歩けない。
背を丸めカートに縋り付いて歩いているのが私である。
手術までは程遠くあと10年と思いつつ前途はそう明るくはない。
野垂れ死ねばそれまで。杖を付きながら三途の川を渡るのである。
「明日死ぬかもしれない」といつも思うが
その明日が来れば「今日は死にそうにない」と思う。
そうそう簡単に人は死なないのではないだろうか。
志半ばであれば尚更のことである。
まだまだ足らない。まだまだ「明日」が必要なのだ。
※以下今朝の詩
大寒
ぱっかぱっか 蹄の音が聞こえ 冬将軍が馬に乗ってやって来る 槍だろうか刀だろうか 鋭い光を放っている
野花たちは身を寄せ合い 互いを守ろうとしている
春の兆しにほっとして いち早く咲いた花であった 明日を信じることで どれほど安らいだことだろう
ぱっかぱっか それは容赦なく近づいて来る
戦などするつもりはない たとえ踏み荒らされても きっと生きて見せよう
冷たい風が吹き抜けていく おひさまはまるで母のように 優しく微笑んでいるのだった
最高気温が20℃にまで達し異常な程の暖かさとなる。
雲が広がっていたため陽射しは少なかったが
快晴ならば汗ばむ程の陽気となったことだろう。
しかしこの暖かさも今日までらしく
明日の「大寒」を境に厳しい寒波が襲って来るようだ。
急激な寒暖の差は老体に堪えることだろう。
高目の血圧も気になりまた不安がぶり返しそうである。
暖かさに誘われたのか白梅の花はあちらこちらに見られるようになった。
山里でも庭先に梅の木がある家が多くある。
職場にも紅梅の木があり小さな蕾が見られるようになった。
今は荒れ果てた庭となり母が手入れをしていた頃が懐かしい。

今週は毎日車検の予約が入っており忙しくスタートする。
義父は売約済みの中古車のエアコン修理をしていた。
それが思うように行かず苛立っている様に見える。
田んぼにも行きたいのだろう。あちらを立てればこちらが立たずだった。
その上にお昼には事故車が入庫する。
高齢のお客さんで自損事故だったが大掛かりな修理になりそうだ。
しかも車はプリウスの新車であった。
部品代だけでもかなりの金額になりそうである。
午後には車検整備が完了していたが義父の慌ただしいこと。
手が空くのを待っていたら何時になるやら分からず
定時で逃げるように帰路に就いた。
カーブスへ行きたくてならない。もう生活の一部になったらしい。
メンバーの顔触れも変わらずすっかり仲良しになった。
その上に身体を動かせば爽快で何とも心地よい。
今日は暖かさのせいもあり汗びっしょりになっていた。
買物を済ませ4時過ぎに帰宅。
今日も洗濯物が生乾きだったそうで娘が乾燥機で仕上げてくれていた。
明日から寒波となればもう外に干さない方が良いだろう。
夜明け前に干すのも辛いものである。
30分程自室で過ごしSNSで好きな詩人さんの詩を読んでいた。
決して自信満々ではないところが好きだなと思う。
私など足元にも及ばないが「こんな詩が書きたいな」と思った。
毎朝詩を書いていれば一年で365の詩が出来るが
書けばそのまま藻屑のように消えているのだろう。
何処にも辿り着けない儚い運命のように思う。
その上に死んでしまえばもう全てがお終いである。
それでも書かずにいられないのは「さが」のようなものだろうか。
命がけで書いていると云えば笑い飛ばされてしまうだろう。
でもそれは本当のことなのだ。
「一日一生」と云う言葉があるがいつも最後かもしれないと思っている。
※以下今朝の詩
ふつふつ
ふつふつとしたなにか それはこころのなかにあり わきたとうとしている
大寒から立春までは 一年で最も厳しい寒さ 何としても乗り越えよう 春の芽はじっと耐えている
霜が降りる雪が降る 強い北風が荒れ狂う
空に何の罪があろうか 流れる雲は逆らえはしない
陽は昇り光が満ちて来る 奇跡のような陽だまりだった
ふつふつと生きている 春の芽には希望しかない
湧きたつ想いは祈りとなり いちめんの空に広がっていく
晴れの予報だったが思いがけずに曇り空となる。
気温も高くなったが陽射しは殆ど届かなかった。
「洗濯物係」の夫が窓を開けて空ばかり見ている。
そうして生乾きの洗濯物を乾燥機に入れてくれた。
夫の毎日の役目なのだ。私が家に居る休日もそれは変わらない。
玄関に置いてあるシクラメンがぐんにゃりとなっていた。
急いで水を遣るとよほど喉が渇いていたのだろう。
一時間もしないうちにしゃきっと元気になる。
庭先の葉牡丹とスノーボールにも水遣りをした。
これも平日には出来ないことだった。
疎かにして枯らしてしまうわけにはいかない。
草花にとって水は命にも等しい。
掃除や部屋の片付けなどすることは沢山あったが
例の如くで朝からごろごろと寝てばかりであった。
10時になりやっと起き出し買い物に行く。
百円ショップで夫の靴下を2足買った。
そうとは知らない夫がとても喜ぶ。
しめしめと思った。破けたらまた買えば良い。
昼食にはまた大きなお好み焼きを焼き半部こにして食べる。
いつもは豚玉だが今日はイカ玉にしてみた。
夫は豚の方が良かったと云う。私はイカの方が好きだなと思う。
お腹がはち切れそうになりまた炬燵に潜り込む。
そのまま2時まで眠っていたようだ。
寝起きの身体の怠いこと。自室でアイスコーヒーを飲む。
SNSは特に変わり映えがしないが中学生の虐め動画が目に留まった。
何とも残虐で苛めと云うより「殺人未遂」に思える。
加害者の中学生の顔は晒されており警察がきっと動くだろう。
ただの苛めで済まされてはならない。これは犯罪だと思った。
SNSでは色んな情報が飛び込んで来るが
見て見ぬ振りが出来ないことも多い。
先日の「自死予告」をした人は思い留まってくれたようでほっとした。
俳句を詠んでいる人で今日も新しい俳句を投稿していたのだ。
あの夜「いのちの電話」に相談したのかは定かではないが
生きるきっかけになったかもしれず私は間違っていなかったと思う。
見ず知らずの人であってもこれからも心を尽くしたい。
それがお節介だとしても自分の使命のように思うのだ。
目に見えなくてもそれぞれが確かに存在していることを忘れてはならない。
私の詩を批判し続けていたK子さんも最近は「いいね」を届けてくれる。
私は決してK子さんに気に入られようとは思っていない。
ただ「これがわたし」だと信じて毎朝書き続けている。
※以下今朝の詩
いちりん
梅花いちりん咲きました それは人里離れた場所 山道の杉木立の傍らで ひっそりと静かに咲く
巡礼の旅人が鈴を鳴らし 一歩一歩と進む道である
立ち止まり仰ぐ空 その青に純白が映る
辛い旅ではあるまいと 旅人は大きく息をした
たくさんの蕾が見える やがてそれは希望のように咲く
梅花いちりん咲きました
旅人はすくっと前を向き 険しい山道をまた歩き始めた
最高気温が20℃にまで達し四月上旬の暖かさとなる。
この異常な程の暖かさもあと数日とのこと。
「大寒」になるとまた厳しい寒さになるのだそうだ。
そうして「立春」を迎えたらもう早春である。
過ぎ行く日々の何と早いことだろう。
まるで季節が鉢巻をして駆け抜けているようだ。
昨日よりも今日と白梅は花を増やし心が和む朝であった。
今朝も職場に着くなりみい太が鳴きながら駆け寄って来て
餌を与えたらまるで飢えていたかのようにがつがつと食べる。
猫係のお客さんは風邪をこじらしているとのこと。
義父とよく似た症状であった。
昨日張り切り過ぎたのだろう今朝は10時まで寝ていたようだ。
元気そうに見えてもげぞげぞと咳き込むことが多い。
2時までは工場で仕事をしていたがその後また田んぼに出掛ける。
刈った草を焼くのだそうだ。火が燃え広がれば大変なことになるが
軽トラックに大きなタンクを積み水をいっぱい溜めて行く。
風がある日には出来ないことで今日しか出来ないと思ったのだろう。
土曜日であったが来客もありけっこう忙しい。
やはり休んでいる場合ではなかったのだと改めて思う。
カーブスも平日に行けるようになったので
もう休む必要もなくなったのである。
何よりも日給があるので収入が増えるのが嬉しかった。
その分会社の資金に負担をかけてしまうが何とかなるだろう。
私が働いたところで売上が上がる訳ではないが
少しでも役に立ちたいと思う気持ちがあった。
買物を終えて4時前には帰宅していたが
肩凝りだろうか右の歯茎が腫れてずきずきと痛む。
我慢できなくなり痛み止めを服用ししばらく横になる。
そのまま眠っていたようで「おい5時だぞ」と夫の声がした。
薬が効いたのだろう痛みは薄れていて夕食も食べられ何よりである。
決して無理をしているつもりはないのだが
歳のせいか身体はとても正直なのだなと思う。
昨年の12月から入院していた弟が昨日退院したようだ。
しかしまだ後遺症が残りまともに歩くことが出来ないらしい。
病院でリハビリを続けるのが一番に思えたが
入院費が嵩むのが気になってならない様子である。
姉として助けてやることも出来ず何とも憐れであった。
今朝はそんな弟のことを想いながら詩を書く。
キャッチボールをした庭は更地になってしまったが
南天の紅い実だけは今もちゃんと残っているのだった。
※以下今朝の詩
キャッチボール
弟とキャッチボールをした グローブにずしんと 力強い球を投げて来る
冬の庭には南天の紅い実 少し俯いて咲く水仙の花
弟は野球選手になりたいと 大きな夢を抱いていた それが叶うような気がする 陽だまりがきらりと眩しい
あの日も弟は泣かなかった 私の手をぎゅっと握り絞め 歯を食いしばっていたのだ
母さんは何処に行ったのだろう 運命なんてどうして信じられようか
何度も何度も球を投げて来る しっかりと受け止めねばならない
落としてしまえば全てが終る 未来とか希望とか「明日」も
弟はずいぶんと逞しくなった 冬の陽が傾き始めた空に向かい まるで立ち向かうように 球を投げ続けていた
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