ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年01月16日(金) 春うらら

小春日和を通り越してすっかり春の陽気となる。

昨日よりも気温が高く4月並みの暖かさであった。

国道沿いの山茶花は日に日に散り落ちているが

山道へ入ると県道沿いに白梅の花が咲き始めている。

おそらく近くの民家の人が昔から植えていたのだろう

毎年どの梅の木よりも真っ先に咲くのだった。

「今年もそんな季節になったのか」と感慨深く思う。

梅が咲けば次は菜の花。そうして桜の季節がやって来る。



義父の体調は随分と良くなり午前中に歯医者さんへ行く。

お昼には機嫌よく帰って来てやっと治療が終わったのだそうだ。

去年の秋からだったろうか、食べたい物も食べられず

よく長いこと辛抱したものだと思う。

食欲も出て来たのだろう昼食を食べ終わると直ぐに仕事に取り掛かる。

しばらくは工場に居たが前触れもなくまた田んぼに行ったようだ。

ここ数日行けなかったので余程気になっていたのだろう。


義父の留守を良いことに定時で仕事を終えまたカーブスへ向かった。

どうやらもう生活の一部になったらしく行きたくてならない。

薄っすらと汗を流し何とも爽快で心地よかった。

しかしダイエットには程遠く食欲が旺盛になってしまうのである。

夕飯がとても美味しくいつも以上に食べ過ぎてしまうのだ。

食べなければ確実に痩せるだろうに困ったものである。


夕方には息子のマンションへけい君の荷物を届けに行く。

息子は顔色も良くなっておりもう大丈夫だろう。

今週一杯は仕事が休めそうで何よりだった。

また父と子の暮らしが始まるが困った時には助けてやれる親でありたい。

困ったことがない限り一切電話もしてこない息子であった。

便りのないのが元気な証拠。そんな日々が続くことを願っている。


今朝は初めてけい君の詩を書いた。

筆箱の中の消しゴムがとても小さくなっていたのだ。

それでも手で擦るようにしながら字を消している

息子も筆箱の中を見ることもなかったのだろう。

そう思うと我慢しているけい君が不憫でならなかった。

娘が気に掛けてくれて「いっぱいあるよ」とひとつ分けてくれたのだ。

けい君は嬉しそうにそれを筆箱に入れて元気に学校へ行った朝のことである。

母親が居ても気づかなかったかもしれないが

けい君はずっとその一言が云えなかったのだろう。

一番最初に気づいたのはおじいちゃんである夫であった。

たかが消しゴムではない。消しゴムがあってこその人生に思う。


※以下今朝の詩


   消しゴム

ずいぶんとちいさくなった
もうつかえないかもしれない

少年は消し続けて来た
漢字も英語も作文も
そうして母親を消した

一度消してしまうと
書き直さねばならない

それは何度でも出来たが
母親だけは書けなかった

かあさんはぼくをわすれていない
ぼくだってかあさんがだいすきだ

学校から帰ると誰もいない
もうそれが当たり前になった

国語の宿題をする
漢字をたくさん書いた
間違えないように丁寧に書いた

「母」と云う字を書くと
胸がきゅうっと痛くなる

とうさんが帰って来たら
新しい消しゴムを買いに行こう











2026年01月15日(木) 父親の愛

小正月。最高気温が18℃と今日も三月並みの暖かさとなる。

暖かいのは嬉しいが何だか不気味に思うのは私だけだろうか。

天変地異の前触れではないかと手放しでは喜べない。

けれども不安がってはいけないのだろう。

冬も精一杯であり春も微笑もうとしているのかもしれない。


山里は一面の霜の朝であった。やはり平野部よりも気温が低い。

寒い夜をみい太は何処で眠っているのだろうか。

今朝も私の車を見るなり跳び出して来た。

餌係のお客さんがどうした訳か姿を見せず

今朝は私が餌を与えた。がつがつと凄い食欲である。


義父はまだ本調子ではなかったが農業の作業場を片付けていた。

もう直ぐ種籾の準備をしなければならず気が急いているのだろう。

今年は去年よりも早く田植えをしたいのだそうだ。

それにしても米作りの何と忙しいことだろう。

農閑期も殆ど無く毎日働き詰めであった。


同僚は車検整備を。私は事務仕事に精を出す。

自賠責保険の精算日であったが立替えたらまた資金が底を尽いた。

預金を全て引出し「今日はきょうのこと」と思う。

明日は野となれ山となれである。なるようになるだろうと腹を据える。


定時で仕事を終えられたのでまたカーブスに向かった。

火曜日とほぼ同じメンバーなので何とも気楽であった。

漫才の如く愉快な話をするメンバーさんも居て

お腹がよじれる程に皆が笑い転げる。

涙が出るくらい笑ったことなどあっただろうかと思う。


買い物を終えて4時過ぎに帰宅したらけい君も帰って来ていた。

もう宿題を始めており感心なことである。

ノートを覗き込んだら綺麗な漢字を書いていた。

随分と難しい漢字を習っていてびっくりする。


夕方息子から電話がありもう大丈夫とのこと。

けい君が我が家で過ごすのも今夜が最後となった。

日曜日まで預かるつもりだったので何だか寂しい。

それは息子も同じなのだろうと思う。

けい君に訊いたらお父さんの料理は美味しいのだそうだ。

息子も立派な父親になったものだと感慨深い。

けい君は中学生になったら「料理クラブ」に入りたいと云う。

前途は明るく台所で奮闘する父と子の姿が目に浮かぶようだ。


母親がいなくても子は育つ。それは私と弟も同じであった。

父親の愛情をどれほど深く感じたことだろうか。

母を恋しがることもせず父に頼り続けた少女時代であった。


運命の歯車は容赦なく私達を巻き込んだが

父と暮らした歳月は生涯忘れることが出来ない。


※以下今朝の詩


  汽水域

石ころを拾った
川面に向かって
投げてみようか

ゆったりと流れる大河
北風が吹けば波となり
陽が射せば光が流れる

汽水域には
川の魚と海の魚が居て
同じ水の中で生きている

潮が満ち潮が引く
魚たちは身を寄せ合い
境遇を語り合っていた

川で生きていたい
海で生きていたい

その願いを受け止めるように
水は混ざり合い互いを清める

さらさらと流れて行けば
とくとくと命の声が聴こえる










2026年01月14日(水) いのちの電話

ぽかぽかと暖かい小春日和。冬の陽射しとは思えなかった。

冬枯れた芒、猫じゃらし、背高泡立ち草も戸惑っているように見える。

その全てが種を宿している。春に秋にと思いを馳せていることだろう。


同僚が元気に出勤して来てくれて順調に仕事が捗る。

義父はまだ本調子ではなかったが手伝ってくれ大助かりだった。

さすがに田んぼへは行かなかったが「寝てはいられない」と云う。

何かしていないと落ち着かないのだろう。

本人は無理をしているつもりは全くないようであった。


朝のうちに息子から電話がありやはりインフルとのこと。

病院へ行き5日分の薬を処方してもらったようだ。

けい君のことを心配するので「大丈夫よ」と伝える。

昨夜も一人で寝て今朝も6時には起きていた。

朝ご飯もしっかりと食べて元気に学校へ行く。

おじいちゃんの送迎も嬉しい様子である。

息子は娘夫婦に気兼ねをしているようでもあったが

それも心配なく昨夜は娘婿からお年玉を貰ったそうだ。

それを聞いて私も嬉しくどれほどほっとしたことだろうか。

これまで辛い思いをさせて来たがもう過ぎ去ったことである。

やっと甥っ子として認めて貰えたのだと思う。


リハビリと買い物を終えて4時半に帰宅。

けい君に声を掛けてからしばらく自室で過ごしていた。

SNSでは以前から「自死予告」をしていた人が三度目の予告をしていた。

前回も前々回も「報告」をしたが今回は直接コメントをする。

じっと耐えながら待っているような気がしたのだった。

なんとしても命を絶つことだけは食い止めなくてはならない。

私のコメントを読んでくれたかどうか定かではないが

「いのちの電話」の番号を記しておいた。

今は藁にも縋る時なのだ。きっと電話してくれると信じている。

見ず知らずの他人と云ってしまえばそれまでだが

どうして見て見ぬ振りが出来ようかと思う。

どんな境遇であっても掛け替えのない「いのち」である。

あの時死ななくて良かったと思える日がきっとやって来るのだ。

その為には生きてみなくてはならない。明日を信じてみなくてはならない。


※以下今朝の詩


    珈琲

あれは10歳くらいだったか
母が初めて喫茶店に連れて行ってくれた

真っ赤な口紅を塗った母は
おしゃれな服を着ていて
とてもきらびやかに見えた

いつも来ているのだろうか
店員さんと笑い合っている
珈琲を注文すると
「飲んでみるかね」と私に云った

初めての珈琲である
わくわくするような
どきどきするような
不思議な気分だった

母が珈琲を一口飲むと
白いカップに口紅が付いた
その紅い色が不気味でならない

とても美味しいのだそうだ
私にはただ苦いだけの飲み物だった
お砂糖とミルクをたっぷり入れて
やっとの思いで飲み干したのである

「また来るかね」と母は微笑む
私は頷かねばならないのだろう

おとなはどうして
こんな苦い物が好きなのだろうと思った





2026年01月13日(火) おやすみの声

陽射しはたっぷりとあったが強い風が吹いていた。

後から知ったのだが南風だったらしい。

三月並みの気温だったそうでおどろく。


やっと仕事だったが同僚が大腸検査のため休んでいた。

「開店休業」にするつもりで山里の職場に出向いたが

事務所に電気も点いていなくてエアコンも稼働していない。

ポストを確かめると朝刊もそのままであった。

たまにそんな朝もあるのでまた二日酔いかなと思う。

しかし体調を崩している可能性もあった。

10時頃やっと義父が居室から下りて来たが

顔が赤くなっており熱があるのだそうだ。

病院へ行くことを勧めたが「大丈夫」と云い張る。

休みの間もずっと田んぼに行っており誰とも会っていないので

インフルでもコロナでもない。ただの風邪だと云うのである。

心配し過ぎても機嫌を損ねてしまうので「そうやね」と頷く。

それから風邪薬を買いに行くと告げて出掛けて行った。

近くに薬局が無いので市内まで行っていたようだ。

とにかく安静にと帰宅するなり床に就かせる。


午後は同僚から電話があり癌の心配はないとのこと。

大きなポリープが見つかり来週切除することになった。

大事に至らずどれほどほっとしたことだろうか。

明日は通常通りに出勤出来るとのことで仕事の心配もない。

もし即入院となっていたら工場はアウトであった。


義父に声をかけ定時で退社しカーブスへ向かう。

すると今度は息子から電話があり職場で発熱したとのこと。

症状からしてインフルに違いないと云うので焦った。

けい君にうつしてしまうので今夜から我が家で預かることにする。

インフルもコロナ同様で一週間は感染の危険があるだろう。

とりあえず今週一杯は様子を見なければならない。


夫が学校から帰ったけい君を迎えに行き

娘も歓迎してくれてけい君の夕食も準備してくれた。

私はその間にけい君の寝具を買いに走る。

今まで冬に泊まったことがなかったのか毛布が無かった。

いったい何年ぶりなのだろう。けい君は私と寝ていたことを思い出す。

今夜は茶の間にお布団を敷き一人で寝るのだそうだ。

大きく成長しなんと逞しくなったことだろうか。

しばらくは生活のペースが乱れるが可愛いけい君の為である。

息子が元気になるのを待ちながらけい君を守ってやりたいと思う。


あやちゃんとめいちゃんそうしてけい君と

今夜は「おやすみ」がいっぱい云えるのが嬉しい。


※以下今朝の詩


    石


仏壇に石を供えてある
どう見ても
ただの石ころであったが
室戸岬の石なのだそうだ

ずいぶんと昔のこと
巡礼の旅の人から貰った
「これは守り石ですよ」
持っていると救われるらしい

真っ先に父に見せた
遺影の父が頷いている
「お父ちゃんにあげるね」
天の国で守られますように

平べったい石である
触れるとすべすべとしている
冷たいはずの石なのに
なぜかぬくもりを感じた

それは旅人の宝物だったのだろう
懐に入れてずっと温めて来た

その宝物を惜しげもなく
私に手渡してくれたのである

歳月が流れもう旅人の顔も思い出せない
けれども石はずっと静かに佇んでいる





2026年01月12日(月) 霧が晴れたら

氷点下の朝。今季一番の冷え込みだったようだ。

夜中に少し雪が降ったようで薄っすらと雪化粧をしていた。

日中も気温は低目であったが穏やかな晴天となる。


月曜日がお休みなのは出足を挫かれるようで嫌だったが

いつもは夜明け前に干している洗濯物をゆっくりと干せる。

朝陽が眩しい。洗濯物も喜んでいるように見えた。

仕事を失ったら毎日こんな朝が続くのだろう。

それも良いかも知れないとふと思う。


茶の間と自室を行ったり来たりしながら過ごす。

自室に居ると煙草を引っ切りなしに吸ってしまうので

茶の間に逃げてまた自室に戻る有り様であった。


10時にはサニーマートへ買い物に行く。

花屋さんの店先に並ぶジュリアンの何と可愛らしいことだろう。

買いたくてならなかったがまた夫に叱られるかもしれない。

それにジュリアンは長持ちしない花なので諦めてしまった。

しばらくは花屋さんで楽しもうと思う。


お昼はお好み焼き。夕飯はカレーと決めていたので

あれこれと悩むこともなくさっさと買って帰る。

少し休んでからフライパンで巨大なお好み焼きを焼いた。

夫は例の如くでビールを飲み上機嫌である。


お腹がいっぱいになって午後はお決まりのお昼寝である。

寝過ぎてはいけないと今日は2時間程に留めた。

それからまた自室に籠りSNSを見ながら煙草三昧であった。

咳き込んでも胸が苦しくなっても吸ってしまうのである。

ほとほと自分が嫌になるが完全なる依存症なのだろう。

病気だと思う。自分の意思だけではどうしようも出来ない。


今朝もK子さんとのやりとりがあったが

何と私の詩に初めて「いいね」をしてくれていた。

コメント欄には「悔い改めて神に祈った」と記してあり

K子さんも私と同様に心を痛めていたことを知る。

お互いを傷つけ合っていたのだろう。

それは縁の深さにも通じる「絆」のようにも感じられた。


私はK子さんの忠告を一生忘れない。

いったい他の誰が告げてくれただろうと思う。

目に見えて私の詩が変わるとは限らないが

「深み」を目指したいと思うようになった。

それは日々の試練にも等しい。書きながら育って行くのである。


昨日は距離を置こうと思ったがもうその必要はないようだ。

深い霧の中を彷徨っていた私にK子さんは手を差し伸べてくれたのである。

そこには確かに「神」の存在があるように思えてならない。


※以下今朝の詩


   濃霧

濃い霧の真っ只中にいる
わたしはひときり
こえをかけるひともいない

大河は空とひとつになり
その流れも純白に染まる

ながれていますか
さらさらとないていますか

大橋を渡る車はみな
ヘッドライトを灯している
その明かりがとても優しい

見えないのじゃない
包まれているのだろう

やがて陽が射し始めると
霧はゆっくりと遠くなる

青空が見えて来た
なんと清々しい朝だろうか




2026年01月11日(日) 雪なのか霧なのか

朝の気温より日中の気温が低くなり厳しい寒さとなった。

強い北風が吹き荒れ小雪が舞う時間帯もあったが

幸い着雪することはなく午後には青空が見えていた。


買い物に行っただけでほぼ一日中茶の間で過ごす。

いつもはもったいないとエアコンを点けずにいるが

さすがに今日は炬燵だけでは寒さを凌げなかった。

そんな暖かな部屋でひたすら眠り続ける。

夫は大相撲の初場所を観ていたが

私がやっと目覚めればもう4時になっていた。

洗濯物を畳もうと床の間のある日本間へ行けば

ソファーが据えてあり炬燵も出してありおどろく。

電気ストーブもありもう娘達の部屋になっていた。

二階の一部屋だけでは手狭だろうと気遣っていただけに

娘達が好きなように使うのが一番に思う。

夫も「ついに乗っ取られたな」と笑い飛ばしていた。



SNSでは今日もK子さんとのやり取りが続く。

悪気がないことは分かるがあまりにもストレートな発言であった。

決して不快ではないが自分が濃い霧の中を彷徨っているように感じる。

どうすればいいのだろう。途方に暮れてしまい響君に相談したら

「しばらく距離を置くのも良いだろう」とアドバイスしてくれた。

そうしなければ私の「こころの庭」が荒れ果ててしまう。

命がけで守っている大切な庭であった。


K子さんの言い分は良く分かるのだ。

私の詩が不快でたまらず少しでも改善して欲しいようだ。

「今のままではいけない」そう忠告してくれているのだった。

それは私自身を「否定」することにも等しく追い詰められる。

もう70歳も近くなり半世紀以上も詩を書き続けて来た。

それを否定されたらもう私は死んだも同じである。

K子さんと距離を置けば私の成長は留まることになるが

私にもプライドがありもうこれ以上傷つきたくないと思う。

この判断が間違っていたとしても自分が選んだ「道」である。

すくっと前を向きたい。そうして自分を信じてやりたいと思う。


薔薇でも向日葵でもない。私は野原でひっそりと咲きたい。


※以下今朝の詩


   雪風

風が雪を運んでくる
唸り声をあげて
吠えているようだ

子供の頃には大好きだった雪が
いつのまにか怖くなり
ずいぶんと臆病になった

僅かな積雪であっても
道は凍り車を滑らせる

四万十の雪景色はきれい
辺り一面が純白に染まる

川の流れはいっそう濃く
その青さを誇っているようだ

受け止めねばならないことが
あまりにも多くなっていく

風は強く吹き荒れ
遠い処から雪の声が聴こえる



2026年01月10日(土) こころの庭

良く晴れて気温も高くなったが風の強い一日となる。

まるで北風と太陽のようであった。

北風も明日からの寒波の準備を始めているのだろう。

天気予報を見ているとやはり四国にも雪雲が掛かるようだ。


内科の通院日だったので8時前に家を出る。

それがよほどうっかりしていたのだろう。

四万十大橋を渡って左折しなければならないのを

毎朝の習慣で右折し通勤路を走っていた。

随分と走ってからやっと気づき慌てて引き返す始末であった。

習慣とはオソロシイものである。我ながら可笑しくてならない。


病院は院長先生が不在の為かずいぶんと空いていた。

若い先生とは以前から折り合いが悪く気が進まなかったが

今朝で薬が切れてしまっていたので仕方なく診てもらう。

医師と相談の上、また血圧の薬を増量することになった。

取り合えずひと月分で様子を見ることにする。

今度こそと思う。せめて140台を保ちたい。


診察は9時には終わっていたが薬局で一時間程待たされた。

私の後から来た患者さんが次々に帰って行くので不可解でならない。

薬剤師さんが机の上に薬を並べてからもしばらく待たねばならなかった。

訊けば薬が増えたので手間取っていたのだそうだ。

文句を云っても仕方なくやっと薬を受け取り山里へと向かう。


今日は同僚も通院日で午後からの仕事であった。

車検整備はなかったがタイヤ交換の予約が4台も入っている。

この時期は冬タイヤに交換するお客さんが多い。

そんな忙しさをよそに義父は今日も田んぼに出掛けていた。

私も定時で終わるわけには行かず3時半まで待機する。

同僚は一人でてんてこ舞いしており手を休める暇もなかった。


買い物を済ませ4時半に帰宅。不思議と疲れは感じなかったが

少し精神的に参っているように感じる。

今朝はSNSで通りすがりの方から詩を批判されていた。

読んでくれたのは有難いが心を踏みにじられたように感じる。

響君に相談したらSNSではよくあることなのだそうだ。

「返信はしないこと」とアドバイスをもらい即刻ブロックをする。

そうして「こころの庭」を守り続けなくてはいけない。

常に扉を開けているから誰でも自由に入って来れるのだ。

踏み荒らす人も居るだろう。石を投げ込む人もいるだろう。

「決して負けてはいけない」と響君が励ましてくれた。


例のK子さんも私の詩に触れてくれていて

「感情を表に出してはいけない」と忠告してくれた。

感情イコール詩であってはならないのだろうか。

こころを込めて書いていれば自然と感情が溢れ出してしまう。

その感情を押し殺すことは容易な事ではないと思う。

不安であっても心細くてならなくても微笑んでいろと云うのだろうか。

これも響君に相談したがやはり彼女がクリスチャンであるからだと云う。

常に神に守られておりそもそも「希望」を必要としないのだ。

そんな彼女に私の詩が伝わるわけがなかった。

しかし他の誰が忠告してくれるだろうか。

母のように慕うK子さんのことを尊敬せずにはいられない出来事だった。


明日の夜明け前にも詩を書くだろう。

私の庭には野すみれの種が根付いているかもしれない。


※以下今朝の詩

    野原

そこはきっとお花畑なんだ
可愛い蝶々が風に舞っているよ

チューリップかもしれない
春の花々が目に浮かんで来た

けれどもわたしは野原が好き
たんぽぽや野すみれが好きだ

若草に寄りそうようにひっそりと咲く
蝶々に見つけてもらえなくても
きっと誰かが見つけてくれるだろう

春の陽射しが燦々と降り注ぐ
やわらかな優しい風が吹き抜けていく

たんぽぽは綿毛となり
野すみれは種をのこす

そんな生き方を選んだ
誰にも否定されたくはない

人々はお花畑に集まり
口々に愛でるけれど

私は野原に咲き続ける
寂しいとは決して思わない

誇らしくてならないのだ
このささやかな「いのち」が


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