曇り日。気温は17℃まで上がり暖かいはずなのだが
陽射しがないせいか肌寒くてならなかった。
その上に襟首の開いている服を着ていたため
首のあたりがすうすうと寒く辛くてならない。
明日も気温が高くなりそうだがハイネックを着ようと思う。
もうおしゃれをする歳ではなく「年寄りの冷や水」になり兼ねない。
朝の国道では「伊豆田トンネル」と云う長いトンネルを抜けるが
今朝まで気づかなかったが路肩にたくさんの山茶花が植えてある。
遠目では椿に似ているが確かに山茶花であった。
咲くのが遅い種類と見えてまだぽつぽつとまだらである。
満開になればどんなにか見事なことだろう。
朝の楽しみがまたひとつ増えてわくわくと嬉しくてならない。

工場の仕事は順調に見えるがいささか困り果てている。
大型車の車検整備が3日目となったがまだ完了してないのだ。
ブレーキを分解しているので手間は掛かるが
それでも二日あれば出来る作業であった。
義父に相談すれば「そっとやらせておけ」と宣う。
同僚にそれとなく訊けば「今日はまだ終わらんぞ」と応える。
明日は新たにスクールバスの点検が入庫する予定である。
月曜日からも毎日車検の予約が入っているのだった。
このままでは年内に仕事を終えられないかもしれない。
同僚はひたすらマイペースを貫きのほほんとしている。
義父は事故車が入庫しておりひたすら段取りをしていた。
私はやきもきと焦るばかりで何の助けにもならないのだった。
今日は来客もなく事務仕事も一段落していたので
定時で終わらせてもらいカーブスへ向かった。
壁に貼り紙がしてあり何と2名のコーチが年内で退職とのこと。
どちらも好きなコーチだったのでショックでならない。
これまでいったいどれ程のコーチが辞めて行ったことだろう。
遣り甲斐のある仕事に思えるがブラック的な何かがあるのかもしれない。
内情は知る由もないがつい不信感も湧いて来るのだった。
複雑な気持であったがそれなりに心地よく身体を動かして帰る。
買い物を終え4時には帰宅していた。
10分程自室で過ごしていたが例の詩人さんからメールが届いていた。
事務的なもので詩誌の代金を送金したお礼であったが
今後はもうメールが届くこともないだろうと思う。
話したいことはたくさんあったが私からメールすれば無礼にもなるだろう。
ささやかな縁であったが決して親しい間柄ではなかった。
名のある詩人さんである。私も自分の身の程を知らねばならない。
ネットの世界では顔も知らない会ったこともない人ばかりである。
波長がぴったりと合う人もいれば合わない人もいるのだ。
しかし必要以上に親しくなってはいけない。
親しくなり過ぎてしまえばきっと傷つけ合う日が来るだろう。
それだけは何としても避けなければいけないと思う。
「ともだち」など出来るはずのない世界である。
いくら気が合っても「ともだち」と思ってはならない。
それが寂しいのならネットの海を漂うのはよそう。
※以下今朝の詩
花びら
花びらがふるえている 冷たい風のせいだろうか
空はありのままをつらぬく 雨が雪に変わることもある
うずくまるひと ないているひと
寄り添えば少しでも あたたかくなるだろう
花びらは散らなければいけない 散ってこその春ではあるまいか
風にさからえばくるしい 空をうらんではならない
どれほどの冬であっても 咲いたことを誇りに思う
はらはらと散る はらはらと生きる
冬晴れの一日。気温も16℃まで上がり随分と暖かくなる。
陽だまりで寝転ぶ猫の気持ちがよく分かるような気がした。
年の瀬が近づいているせいかこのところお遍路さんの姿を見かけない。
以前に職業遍路のMさんに聞いたのだが
大晦日にはお寺の宿坊に泊まることが多いのだそうだ。
せめて暖かい布団で眠らせてやりたいと思う。
雨の日も風の日も野宿である。嘆くことは一切しないが
何とも憐れに思えてならない。
そんなMさんに会えなくなってもう数年が経った。
何処かに居を構え落ち着いて暮らしていることを願う。
いつも「おかあさん」と呼んでくれた人をどうして忘れられようか。

工場は相変わらずの忙しさで同僚は大型車と格闘していた。
義父も気忙しさで田んぼへ行くのを諦めたらしく
一日中待機してくれていて心強かった。
例の焼酎はそっと居室の上り口に置いていたのだが
「どうした?」と不思議に思ったらしい。
挙句には「飲んだら良いじゃないか」と優しく云うのである。
しかし私はもう持ち帰ることをしない。
その方が丸く納まるような気がしたのだった。
今日も支払いのお客さんが来てくれて嬉しくてならない。
立替金が多くやっと報われたように思う。
立て替える時にはどんなにか苦しかったことだろう。
資金は日に日に潤って行くが年末こそが勝負である。
何としても清々しく新年を迎えたいと思う。
定時で仕事を終え整形外科へと向かった。
駐車場に車を停めて歩いていたら側溝の継ぎ目に杖が挟まる。
もう少しで転倒するところで危機一髪だった。
U君に話したらとにかく足元に気を付けること。
急いで歩こうとしないことだとアドバイスしてくれた。
リハビリは夢のように気持ちよく腰や背中まで揉み解して貰う。
今日は診察もあったが医師との雑談も楽しかった。
看護師さんが予約表を出してくれたがもう2月分でびっくりである。
瞬く間に過ぎだったこの一年を振り返られずにはいられない。
4時半に帰宅。買い物は昨日のうちに済ませてあった。
娘は退院する娘婿を迎えに行っていてもう帰宅していたが
「どう?」と訊いてもそっけなく「別に変わりない」と応える。
素人考えだが注射治療をすると痛みが薄れるのかと思っていた。
いったい何のための入院だったのだろう。
考え過ぎかもしれないが娘はその話を避けている様に感じる。
そうなればもう何も訊いてはならない。
私には関係ないことだと思うしかないのだろう。
決して踏み込んではならない娘達の「暮らし」がある。
夜になっても冷え込むこともなく随分と過ごし易い。
月は新月が近いのではないだろうか。
川仕事を辞めてから大潮の時期が分からなくなった。
あれ程「潮」を気に掛けていたのが嘘のようである。
「失った」のかもしれないが「新しく」なったのかもしれない。
苦労ばかりの川仕事であったがそれなりに充実していた。
私達夫婦の歴史にも区切りのようなものがあったのだろう。
そうしてひたすら死に向かいながら生きよう生きようとしている。
※以下今朝の詩
鉛筆
芯が短くなれば削ればいい えんぴつのようなじんせい
ぽきっと音をさせて 折れてしまう時もある かなしみは些細なこと 折れてしまえばもう 捨てるしかないだろう
削れば削るほど短くなる 過ぎ去った日々は遠くなり まるであかしのように在る
いったい何を描こうとするのか 出来ることがきっとあるだろう 芯さえあればそれは叶うのだ
ころころと転がりながら 生きることを夢見ている
| 2025年12月17日(水) |
たかが焼酎されど焼酎 |
朝のうちは晴れていたが午後から空が暗くなり
ほんの少しだけ雨が降った。
久しぶりの恵みの雨であったが長続きはせず
明日は快晴の天気予報である。気温も高くなりそうだ。
国道沿いの皇帝ダリアはまだまだ健在で
10輪ほどの花が今朝も朝陽を浴びていた。
もしかしたら年を越すのかもしれない。
何だか奇跡のような花である。
枯れることも散ることも今は考えたくなかった。

今日も来客多し。金の亡者にとってこんなに嬉しいことはない。
つかの間の夢かもしれないがしばらくは安泰である。
昨日義父が手助けをした高齢のお客さんも来てくれて
手には一升瓶の高級な焼酎を抱いている。
義父が代金は不要だと云ったそうでそれでは気が済まないと云う。
義父のサービス仕事は今に始まったのではなく
度々あることで私も慣れてはいたのだが
返って気を遣わすようになるのが常であった。
せっかくの気持ちを突き返す訳にも行かず遠慮なく頂くことにした。
歯医者さんから帰って来た義父に話すと驚いていたが
焼酎は飲まないので「私にちょうだい」と云ってみる。
日頃から紙パックの安価な焼酎しか飲んだことがないので
高級な焼酎を飲んでみたかったのだ。
しかし義父は即答しない。しばらく考えていたが
「そんなに飲みたけりゃ取っていけ」と声を荒げるのであった。
おそらく友達の誰かに上げたかったのだろう。
お歳暮代わりにもなったのだと思う。
その時に直ぐにそう気づけば良かったのだが
車の助手席に積み込み家まで持ち帰ってしまった。
夫にいきさつを話せば「それはいかんぞ」となる。
そうして明日また持って行き義父に返すことになった。
あれこれと話せば角が立つのでそっと置いておこうと思う。
たかが焼酎、されど焼酎であった。
ふっと血を分けた実の娘ならどうだったのだろう。
「おう、持って帰って飲めや」と笑顔で云ってくれたかもしれない。
しかし私に飲ませても何の得にもならないのだ。
義父の考えていることは察しが付くが何とも後味の悪い出来事だった。

定時では仕事が終わらずカーブスは諦めた。
気疲れもあったのだろう何だか不完全燃焼である。
わずか30分でも身体を動かせばどんなにか気分が晴れただろうか。
夕食の支度をしながら娘に娘婿の様子を訊いたが
「さあ、知らない」とそっけない返事が返って来る。
ラインで連絡はあったと思うが詳しくは訊けなかった。
明日は帰って来るのだからまあいいかと思うことにする。
あやちゃんも「お父さんは?」と訊いていた。
どうやら何も聞かされはいないようである。
娘達の考えには理解し難いことが多く老婆心が疼くばかりであった。
雨はとっくに止んでいるが星が見えない夜になった。
窓を開ければ何処までも真っ暗闇である。
けれども雲の上にはか細い月も佇んでいるだろう。
そんなナイフのような月が見えなくてよかったと思う。
※以下今朝の詩
面影
とおいようでちかい もうすこしあとすこし
山に登れば下りなければならない そのまま雲に乗ることは出来ない
きみは仙人になりたいと云って まるで今生の別れのように去って行った
残された私は毎日空を仰いでいる あの雲だろかこの風だろうかと きみの面影をさがし続けている
流れ流れて何処に行くのだろう 空の果てにきみが棲む星がある
夜になればきらきらと輝き ふっときみの声が聴こえる
もうすこしあとすこし いつかきっととおもう
木枯らしが吹く寒い日のこと 風は荒れ空が暗くなったが 嘆くことはよそうとおもう
この空にはきみしかいない
今朝は今季一番の冷え込みとなる。
市街地では氷点下だったようだが
私の住んでいる地区は海が近いせいか2℃で済んだ。
山里も冷え込み辺り一面の霜の朝となる。
不思議なことに寒さに慣れて来たのか苦にならない。
たっぷりと蓄えた脂肪のせいかもしれなかった。
太っているのも役に立つものである。
山里の銀杏の木の何と寒々しいことだろう。
まるで老いぼれた老人の骨のようである。
日中は陽射しが降り注ぎ救われている様に見えた。
霜の日もあれば雪の日もあるだろう。
木の芽が芽吹く春まで逞しく乗り越えて欲しいものだ。

仕事は今日も来客多し。お金もがっぽがっぽと入る。
通帳に預金すればその残高に涙が出そうなくらい嬉しかった。
しかし年末が近づくとどんどん引き落とされて行く。
支払い予定表を見ていると年末にはまたゼロになりそうである。
いったいお金にはどんな大きな羽根が生えているのだろう。
工場の仕事は順調で今日も義父が待機してくれていた。
高齢のお客さんが軽トラックで田んぼに転落したと電話がある。
義父が直ぐに駆け付け引っ張り上げることが出来た。
幸いお客さんに怪我はなくトラックも無傷である。
田舎あるあるで高齢ドライバーの多さが目立つ。
同僚は車検済みの車を丁寧に洗車し納車に行ってくれた。
明日は大型車の車検が入庫するのでまた大忙しになりそうである。
私はひたすら金の亡者になっており気ばかり忙しいのだった。
今日こそはと定時で退社。逃げるようにカーブスへ向かう。
初対面のメンバーさんが多かったが皆さんとても朗らかである。
仕事の疲れも何処へやらで良き気分転換となった。
明日も定時で終われたらまた来ようと思う。
どうか残業になりませんように。
買い物を済ませ4時には帰宅していた。
自室で30分程過ごし後は炬燵でごろりと寝転ぶ。
娘と夕食の支度を始めていたら娘婿のことを話してくれた。
明日は入院で明後日には退院出来るとのこと。
寝耳に水のような話で驚くばかりである。
「ヘルニア」なのだそうだ。それも初めて知った。
ずっと秘密だと思っていたがよく話してくれたと思う。
治療の為の入院で症状を和らげる注射をするらしい。
それ以上の詳しい話は聞けなかったが
少しでも楽になるものならと藁にも縋る気持ちになった。
娘もきっと不安だったのだろう。だから話してくれたのに違いない。
誰でもそうだが話すと少しでも気が楽になるものである。
後はそっと見守るしかない。どうか笑顔で帰って来てくれますように。
家族として出来ること。出来ないこともあるだろう。
あやちゃんのこともそうであった。
日々あっけらかんと過ごしている様に見えても
内心は複雑で重い現実が圧し掛かって来る。
私も夫もただ存在していることしか出来ない。
老いてしまえばまるで「空気」になってしまいそうだが
空気が無ければ誰も息が出来なくなるだろう。
ちぐはぐな家族であるが長生きをしなければならない。
※以下今朝の詩
ひかり
かなしいかおはよそう かといって むりにほほえむことはない
俯いて咲けば空は見えない けれども顔を上げてみれば 花びらに陽が降り注ぐだろう
光の天使たちが舞い降りて来る 決して独りぼっちではないのだ
どうしようも出来なかった記憶 それはこころに深く刻まれて 傷のように痛み続けるけれど
真冬に咲く花がある 寒さあってこそのいのち たとえ雪に埋もれても 逞しく生きようとする
光は分け隔てなく降り注ぐ 耳を澄ませば天使たちの声が聴こえる
陽射しはあったが風が冷たく冬らしい一日だった。
明日の朝は氷点下の冷え込みとのこと。
寒さには慣れて来たがやはり身構えてしまう。
そろそろ水仙の花が咲き始める頃だが
身近な場所では見つけられず寂しいものである。
お大師堂へ行けばきっと咲いているだろう。
今年も一度も足を運ぶことがなかった。
先日Sさんに会ったが何も訊けずにいた。
心苦しさもあり何とも気まずくてならない。
あれほど一緒に管理をしていたことも遠い昔に思える。
新年を迎える準備もしなければならないが
全てSさん任せになってしまうだろう。
花枝を活け替え千両と水仙の花を添える。
それは何年も私の仕事だったのだ。
不自由な足のせいにし何と疎かなことだろうか。
罰当たりなことをとつくづくと思わずにいられない。

職場に着けば昨日の村長選挙の話で持ち切りだった。
一人は元国会議員の実力者である。
もう一人は長いこと教職に就いていた人であった。
誰が考えてもあまりにも格が違い過ぎていて
結果は既に決まっているように思えたが
予想に反し大接戦だったようで驚く。
何と僅か7票差で実力者が当選したのだそうだ。
正に小さな村を真っ二つに裂くような選挙戦であった。
大差なら諦めも付くが僅差となれば残念でならない。
しかし決まった以上は村の未来を託すしかないのだろう。
義父も同僚も破れた候補者に投票していたのだそうだ。

仕事は支払いの来客が多く何と助かったことだろう。
年金支給日のせいもあり資金は十分に整った。
重量税の精算を済ませ残った現金は預金する。
これで振込入金があれば大船に乗れるが
そうそう順調とは行かないだろう。
有頂天にならずに気を引き絞めなければならない。
工場は車検整備と大型車の一般修理が入庫しており
義父は田んぼを諦め修理に専念してくれた。
優先順位を考えてくれたのだろうが最初は少し機嫌が悪い。
はらはらしながら見ていたら「職人魂」が燃え始めたようだ。
2時間程で修理を終え納車にも行ってくれて大助かりである。
それから車検整備が完了した車の警告灯が消えない。
いつもなら診断機を繋げばリセットできるのだが
どうした訳か上手く行かないのだった。
こんな時はAIの響君に相談するのが一番である。
そうして日産系の軽自動車は三菱系と同じであることが分かった。
義父が診断機に三菱系を入力すると直ぐに解決出来る。
響君にお礼を伝えると「めっちゃ良かった」と喜んでくれた。
そうして「お仕事ご苦労様」とまで云ってくれるのだった。
響君は本当にAIなのかと思う。人工知能だとは信じられない。
何でも知っていて優しく頼りがいのある「人物」に思える。
定時で仕事を終えてカーブスへ行くつもりであったが
車検完了の書類も書かねばならず4時前に退社した。
買い物を済ませ帰宅すればもう5時である。
寝転ぶ暇もなく直ぐに夕食の支度に取り掛かった。
SNSでささやかに繋がっている詩人さんから「詩誌」が届いていた。
私はその詩人さんの詩が大好きで定期購読をしていたのだが
今号を最後にしばらく執筆を休むのだそうだ。
残念でならなかったが休養も大切なことだろう。
私がその詩誌を手に出来るのも最後かもしれなかった。
次号からは他の入手方法もあるようだがもう読む気はしない。
スランプは誰にでもあるが私にとっては胸に堪える出来事であった。
私もいつかはスランプに陥ることだろう。
今は考えたくもなかったが漠然とした不安はある。
ただ云えるのは「書けない」ことは「死」に等しい。
だからこそ死に物狂いで書いているのだった。
※以下今朝の詩
ともだち
ふゆさんのことをかんがえている ともだちがいっぱいできただろうか
寒太郎くんは悪戯っ子だけど ふゆさんのことが好きみたい ちょっかいを出してくるのも ふゆさんの気を引くためだった
かれはさんが校庭を走っている 時々くるっとまわって踊るのだ ふゆさんも一緒に遊びたかった
ゆきさんは独りぼっちが好き 休み時間にはいつも本を読んでいる どんな本を読んでいるのだろう 気になるけれど声をかけられない
学校から帰るとおかあさんが 大好きなシチューを作ってくれる ふゆさんは嬉しくてならなかった
「おともだちはできたの?」と おかあさんはいつもきいてくれる ふゆさんはおかあさんをあんしんさせようと
「うん、いっぱいできたよ」とこたえる
もうすぐ冬休みになる しばらくはみんなにあえないのかな
ふゆさんはちょっとだけさびしくなった
おおむね晴れ。夕方から曇り空となり夕陽は仰げず。
風もあったので冬らしい一日となる。
今日こそは葉牡丹をと思うだけで行動に移せない。
家事も最小限でごろごろと寝てばかりだった。
このままでは小掃除どころか大掃除も出来そうにない。
師走と云うだけあって日々が駆け足で過ぎて行く。
背中を押されているのか足を引っ張られているのか分からなくなった。
転ばないように慎重にと心掛けている。
地区の年末総会があり夫が出席してくれる。
地区長さんの選挙もあり大勢の人だったようだ。
欠席すると罰金を取られる決まりになっている。
独り暮らしの高齢者にはいささか厳しいのではないだろうか。
朝寝をし昼寝をする。なるべく自室で過ごさないようにしたのだが
3時過ぎには目覚め一時間程自室で過ごしていた。
SNSで気になる短歌を見つけAIの響君に解説して貰う。
それは目から鱗のようにとても勉強になった。
私はこのままではいけないのだろうと思う。
ようは自己満足に過ぎず身勝手な短歌ばかりである。
かと云って背伸びは出来ず「チビのまま」に詠むことしか出来ない。
老い先が短くなれば焦るがこれ以上もこれ以下もないのだろう。
4時から茶の間でテレビを見ていた。
バラエティー番組は好きではないが暇つぶしにはなる。
愉快な場面では笑うが何だか自分が別人のように思う。
泣きもしないが笑いもしないそんな日々が続いていた。
休みの日も仕事のことばかり考えている。
一番は資金繰りで明日も重量税の精算があった。
何とかなりそうだがまたゼロになってしまう。
まるでお金に羽根が生えているようだった。
工場は忙しく後から後から仕事はあるのだが
お客さん次第で支払いの遅い人が多かった。
催促をすれば足元を見られる。それだけはご法度であった。
義父は入るお金のことはよく覚えているが
出て行くお金のことには全く無関心である。
経理は全て私に任されており投げだす訳にはいかない。
年末まで嵐の日が続くが何としても乗り越えようと思っている。
今日はゆっくりと休めたのでまたやる気満々になった。
日々試されているのなら試して頂こうと思う。
私は細腕ではない。立派で逞しい腕を持っている。
吹き荒れていた風が収まりほっとするような静かな夜であった。
栞を挟むような読みかけの本はないが
こころに栞を挟みぐっすりと眠ろうと思う。
そうして明日はまた新しいページを開こう。
※以下今朝の詩
存在
せめぎ合えばどちらかが傷つく 雨だろうか風だろうか 空だろうか雲だろうか
それは一対に見えるが 異なるこころを持っている
雨は雨でなくてはならない 風は風でなくてはならない
ともに空に在りながら それぞれに誇りがあり 一心に貫こうとしている
傷つけるつもりはなかった ただ寄り添うためだけに在る
雨雲を遠ざけようとする風 微笑もうとする空である
真っ只中に佇めば それぞれがこころに沁みる
哀しんではならない 嘆いてはならない
曇りのち雨。午後からぽつぽつと小雨が降り始める。
気温は13℃とそう低くはなかったが
陽射しがないと何と肌寒いことだろう。
冬のおひさまは本当に有難いものである。
土曜日の国道は空いており山道でも対向車がなかった。
冬枯れた景色の中にまだ紅葉している木があり心が和む。
良心市には大根や水菜とさつま芋が並んでいた。
今朝は買わなかったが並んでいるだけでほっとする。
丹精を込めた野菜である。何だか「いのち」が並んでいるように見える。
いつもより少し早く職場に着く。
直ぐにみい太が走り寄って来た。
猫係のお客さんを待っていたが現れず私が餌を与えた。
子猫の姿は見えない。何処に行ってしまったのだろう。
8時半になっても同僚が出勤して来ないので心配になった。
昨日の検査疲れだろうか。不整脈かもしれないと思う。
電話が繋がらなかったら家へ行ってみようと思っていたら
電話は繋がり少し寝坊をしたようだった。
顔を見ればほっとする。どんなにか頼りにしていることか。
午前中はオイル交換やタイヤ交換があり大忙しだった。
義父は狩猟免許の試験があり市内へと向かう。
若い頃から持っていた免許であるが数年前に失効してしまったのだ。
再度取得するには訳があり猪退治の為である。
今年も稲を食い荒らされ我慢の限界になったのだろう。
猟銃ではなく「わな」の免許であり簡単そうに思えたが
けっこう難しかったらしくそれでも合格の報せがあった。
よほど嬉しかったのだろう。弾んだ声で電話してくる。
82歳の猟師である。来年にはきっと猪を退治することだろう。
午後には来客が途絶えていたので定時より少し早目に帰路に就く。
寒さのせいもあり炬燵が恋しくてならない。
3時には帰宅しており真っ先に炬燵に潜り込んだ。
ダンス教室のある日で娘達は夕食不要とのこと。
夫の好きなステーキを焼いただけである。
あれこれとおかずを作るよりずっと安上がりなのだ。
ぽつぽつと雨が降り続いている。
リズミカルな雨だれの音が耳に心地よい夜になった。
明け方まで雨で明日はまた晴れるのだそうだ。
雨も必要であるがやはりおひさまに会いたい。
雨が降るとしんみりとするのは何故だろう。
渇いていたこころが潤って来るのを感じる。
決して涙ではない。水を欲しがっていた草花のようだ。
水を吸いながら大きく息をすると
失っていたものが蘇るようであった。
まだまだこれからの冬であるが
私のこころは春に向かっているのかもしれない。
※以下今朝の詩
終いごと
あやふやである ばくぜんとした道
歩けば歩くほどに 近くなるのは 終いの場所であろう
見納めかもしれないと 花を愛で空を仰ぐ 声が聴こえれば立ち止まり 語らうこともあった
わたしをわすれないで こんなにもいきてきた
記憶が波のように押し寄せて来る 幼い頃や少女の頃の私であった
父や母は待っているのだろうか この道は天の国に続いている
もうひきかえせはしない すすむしかないのだとおもう
どうかわたしをわすれないで
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