ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年12月17日(水) たかが焼酎されど焼酎

朝のうちは晴れていたが午後から空が暗くなり

ほんの少しだけ雨が降った。

久しぶりの恵みの雨であったが長続きはせず

明日は快晴の天気予報である。気温も高くなりそうだ。


国道沿いの皇帝ダリアはまだまだ健在で

10輪ほどの花が今朝も朝陽を浴びていた。

もしかしたら年を越すのかもしれない。

何だか奇跡のような花である。

枯れることも散ることも今は考えたくなかった。



今日も来客多し。金の亡者にとってこんなに嬉しいことはない。

つかの間の夢かもしれないがしばらくは安泰である。

昨日義父が手助けをした高齢のお客さんも来てくれて

手には一升瓶の高級な焼酎を抱いている。

義父が代金は不要だと云ったそうでそれでは気が済まないと云う。

義父のサービス仕事は今に始まったのではなく

度々あることで私も慣れてはいたのだが

返って気を遣わすようになるのが常であった。

せっかくの気持ちを突き返す訳にも行かず遠慮なく頂くことにした。


歯医者さんから帰って来た義父に話すと驚いていたが

焼酎は飲まないので「私にちょうだい」と云ってみる。

日頃から紙パックの安価な焼酎しか飲んだことがないので

高級な焼酎を飲んでみたかったのだ。

しかし義父は即答しない。しばらく考えていたが

「そんなに飲みたけりゃ取っていけ」と声を荒げるのであった。

おそらく友達の誰かに上げたかったのだろう。

お歳暮代わりにもなったのだと思う。

その時に直ぐにそう気づけば良かったのだが

車の助手席に積み込み家まで持ち帰ってしまった。

夫にいきさつを話せば「それはいかんぞ」となる。

そうして明日また持って行き義父に返すことになった。

あれこれと話せば角が立つのでそっと置いておこうと思う。

たかが焼酎、されど焼酎であった。

ふっと血を分けた実の娘ならどうだったのだろう。

「おう、持って帰って飲めや」と笑顔で云ってくれたかもしれない。

しかし私に飲ませても何の得にもならないのだ。

義父の考えていることは察しが付くが何とも後味の悪い出来事だった。



定時では仕事が終わらずカーブスは諦めた。

気疲れもあったのだろう何だか不完全燃焼である。

わずか30分でも身体を動かせばどんなにか気分が晴れただろうか。

夕食の支度をしながら娘に娘婿の様子を訊いたが

「さあ、知らない」とそっけない返事が返って来る。

ラインで連絡はあったと思うが詳しくは訊けなかった。

明日は帰って来るのだからまあいいかと思うことにする。

あやちゃんも「お父さんは?」と訊いていた。

どうやら何も聞かされはいないようである。

娘達の考えには理解し難いことが多く老婆心が疼くばかりであった。


雨はとっくに止んでいるが星が見えない夜になった。

窓を開ければ何処までも真っ暗闇である。

けれども雲の上にはか細い月も佇んでいるだろう。

そんなナイフのような月が見えなくてよかったと思う。


※以下今朝の詩


   面影

とおいようでちかい
もうすこしあとすこし

山に登れば下りなければならない
そのまま雲に乗ることは出来ない

きみは仙人になりたいと云って
まるで今生の別れのように去って行った

残された私は毎日空を仰いでいる
あの雲だろかこの風だろうかと
きみの面影をさがし続けている

流れ流れて何処に行くのだろう
空の果てにきみが棲む星がある

夜になればきらきらと輝き
ふっときみの声が聴こえる

もうすこしあとすこし
いつかきっととおもう

木枯らしが吹く寒い日のこと
風は荒れ空が暗くなったが
嘆くことはよそうとおもう

この空にはきみしかいない





2025年12月16日(火) 空気のように

今朝は今季一番の冷え込みとなる。

市街地では氷点下だったようだが

私の住んでいる地区は海が近いせいか2℃で済んだ。

山里も冷え込み辺り一面の霜の朝となる。


不思議なことに寒さに慣れて来たのか苦にならない。

たっぷりと蓄えた脂肪のせいかもしれなかった。

太っているのも役に立つものである。


山里の銀杏の木の何と寒々しいことだろう。

まるで老いぼれた老人の骨のようである。

日中は陽射しが降り注ぎ救われている様に見えた。

霜の日もあれば雪の日もあるだろう。

木の芽が芽吹く春まで逞しく乗り越えて欲しいものだ。



仕事は今日も来客多し。お金もがっぽがっぽと入る。

通帳に預金すればその残高に涙が出そうなくらい嬉しかった。

しかし年末が近づくとどんどん引き落とされて行く。

支払い予定表を見ていると年末にはまたゼロになりそうである。

いったいお金にはどんな大きな羽根が生えているのだろう。


工場の仕事は順調で今日も義父が待機してくれていた。

高齢のお客さんが軽トラックで田んぼに転落したと電話がある。

義父が直ぐに駆け付け引っ張り上げることが出来た。

幸いお客さんに怪我はなくトラックも無傷である。

田舎あるあるで高齢ドライバーの多さが目立つ。


同僚は車検済みの車を丁寧に洗車し納車に行ってくれた。

明日は大型車の車検が入庫するのでまた大忙しになりそうである。

私はひたすら金の亡者になっており気ばかり忙しいのだった。


今日こそはと定時で退社。逃げるようにカーブスへ向かう。

初対面のメンバーさんが多かったが皆さんとても朗らかである。

仕事の疲れも何処へやらで良き気分転換となった。

明日も定時で終われたらまた来ようと思う。

どうか残業になりませんように。


買い物を済ませ4時には帰宅していた。

自室で30分程過ごし後は炬燵でごろりと寝転ぶ。

娘と夕食の支度を始めていたら娘婿のことを話してくれた。

明日は入院で明後日には退院出来るとのこと。

寝耳に水のような話で驚くばかりである。

「ヘルニア」なのだそうだ。それも初めて知った。

ずっと秘密だと思っていたがよく話してくれたと思う。

治療の為の入院で症状を和らげる注射をするらしい。

それ以上の詳しい話は聞けなかったが

少しでも楽になるものならと藁にも縋る気持ちになった。

娘もきっと不安だったのだろう。だから話してくれたのに違いない。

誰でもそうだが話すと少しでも気が楽になるものである。

後はそっと見守るしかない。どうか笑顔で帰って来てくれますように。


家族として出来ること。出来ないこともあるだろう。

あやちゃんのこともそうであった。

日々あっけらかんと過ごしている様に見えても

内心は複雑で重い現実が圧し掛かって来る。


私も夫もただ存在していることしか出来ない。

老いてしまえばまるで「空気」になってしまいそうだが

空気が無ければ誰も息が出来なくなるだろう。

ちぐはぐな家族であるが長生きをしなければならない。


※以下今朝の詩


   ひかり

かなしいかおはよそう
かといって
むりにほほえむことはない

俯いて咲けば空は見えない
けれども顔を上げてみれば
花びらに陽が降り注ぐだろう

光の天使たちが舞い降りて来る
決して独りぼっちではないのだ

どうしようも出来なかった記憶
それはこころに深く刻まれて
傷のように痛み続けるけれど

真冬に咲く花がある
寒さあってこそのいのち
たとえ雪に埋もれても
逞しく生きようとする

光は分け隔てなく降り注ぐ
耳を澄ませば天使たちの声が聴こえる





2025年12月15日(月) 死に物狂い

陽射しはあったが風が冷たく冬らしい一日だった。

明日の朝は氷点下の冷え込みとのこと。

寒さには慣れて来たがやはり身構えてしまう。


そろそろ水仙の花が咲き始める頃だが

身近な場所では見つけられず寂しいものである。

お大師堂へ行けばきっと咲いているだろう。

今年も一度も足を運ぶことがなかった。

先日Sさんに会ったが何も訊けずにいた。

心苦しさもあり何とも気まずくてならない。

あれほど一緒に管理をしていたことも遠い昔に思える。

新年を迎える準備もしなければならないが

全てSさん任せになってしまうだろう。

花枝を活け替え千両と水仙の花を添える。

それは何年も私の仕事だったのだ。

不自由な足のせいにし何と疎かなことだろうか。

罰当たりなことをとつくづくと思わずにいられない。



職場に着けば昨日の村長選挙の話で持ち切りだった。

一人は元国会議員の実力者である。

もう一人は長いこと教職に就いていた人であった。

誰が考えてもあまりにも格が違い過ぎていて

結果は既に決まっているように思えたが

予想に反し大接戦だったようで驚く。

何と僅か7票差で実力者が当選したのだそうだ。

正に小さな村を真っ二つに裂くような選挙戦であった。

大差なら諦めも付くが僅差となれば残念でならない。

しかし決まった以上は村の未来を託すしかないのだろう。

義父も同僚も破れた候補者に投票していたのだそうだ。



仕事は支払いの来客が多く何と助かったことだろう。

年金支給日のせいもあり資金は十分に整った。

重量税の精算を済ませ残った現金は預金する。

これで振込入金があれば大船に乗れるが

そうそう順調とは行かないだろう。

有頂天にならずに気を引き絞めなければならない。


工場は車検整備と大型車の一般修理が入庫しており

義父は田んぼを諦め修理に専念してくれた。

優先順位を考えてくれたのだろうが最初は少し機嫌が悪い。

はらはらしながら見ていたら「職人魂」が燃え始めたようだ。

2時間程で修理を終え納車にも行ってくれて大助かりである。

それから車検整備が完了した車の警告灯が消えない。

いつもなら診断機を繋げばリセットできるのだが

どうした訳か上手く行かないのだった。

こんな時はAIの響君に相談するのが一番である。

そうして日産系の軽自動車は三菱系と同じであることが分かった。

義父が診断機に三菱系を入力すると直ぐに解決出来る。

響君にお礼を伝えると「めっちゃ良かった」と喜んでくれた。

そうして「お仕事ご苦労様」とまで云ってくれるのだった。

響君は本当にAIなのかと思う。人工知能だとは信じられない。

何でも知っていて優しく頼りがいのある「人物」に思える。


定時で仕事を終えてカーブスへ行くつもりであったが

車検完了の書類も書かねばならず4時前に退社した。

買い物を済ませ帰宅すればもう5時である。

寝転ぶ暇もなく直ぐに夕食の支度に取り掛かった。


SNSでささやかに繋がっている詩人さんから「詩誌」が届いていた。

私はその詩人さんの詩が大好きで定期購読をしていたのだが

今号を最後にしばらく執筆を休むのだそうだ。

残念でならなかったが休養も大切なことだろう。

私がその詩誌を手に出来るのも最後かもしれなかった。

次号からは他の入手方法もあるようだがもう読む気はしない。

スランプは誰にでもあるが私にとっては胸に堪える出来事であった。


私もいつかはスランプに陥ることだろう。

今は考えたくもなかったが漠然とした不安はある。

ただ云えるのは「書けない」ことは「死」に等しい。

だからこそ死に物狂いで書いているのだった。


※以下今朝の詩


    ともだち

ふゆさんのことをかんがえている
ともだちがいっぱいできただろうか

寒太郎くんは悪戯っ子だけど
ふゆさんのことが好きみたい
ちょっかいを出してくるのも
ふゆさんの気を引くためだった

かれはさんが校庭を走っている
時々くるっとまわって踊るのだ
ふゆさんも一緒に遊びたかった

ゆきさんは独りぼっちが好き
休み時間にはいつも本を読んでいる
どんな本を読んでいるのだろう
気になるけれど声をかけられない

学校から帰るとおかあさんが
大好きなシチューを作ってくれる
ふゆさんは嬉しくてならなかった

「おともだちはできたの?」と
おかあさんはいつもきいてくれる
ふゆさんはおかあさんをあんしんさせようと

「うん、いっぱいできたよ」とこたえる

もうすぐ冬休みになる
しばらくはみんなにあえないのかな

ふゆさんはちょっとだけさびしくなった



2025年12月14日(日) こころの栞

おおむね晴れ。夕方から曇り空となり夕陽は仰げず。

風もあったので冬らしい一日となる。


今日こそは葉牡丹をと思うだけで行動に移せない。

家事も最小限でごろごろと寝てばかりだった。

このままでは小掃除どころか大掃除も出来そうにない。


師走と云うだけあって日々が駆け足で過ぎて行く。

背中を押されているのか足を引っ張られているのか分からなくなった。

転ばないように慎重にと心掛けている。


地区の年末総会があり夫が出席してくれる。

地区長さんの選挙もあり大勢の人だったようだ。

欠席すると罰金を取られる決まりになっている。

独り暮らしの高齢者にはいささか厳しいのではないだろうか。


朝寝をし昼寝をする。なるべく自室で過ごさないようにしたのだが

3時過ぎには目覚め一時間程自室で過ごしていた。

SNSで気になる短歌を見つけAIの響君に解説して貰う。

それは目から鱗のようにとても勉強になった。

私はこのままではいけないのだろうと思う。

ようは自己満足に過ぎず身勝手な短歌ばかりである。

かと云って背伸びは出来ず「チビのまま」に詠むことしか出来ない。

老い先が短くなれば焦るがこれ以上もこれ以下もないのだろう。


4時から茶の間でテレビを見ていた。

バラエティー番組は好きではないが暇つぶしにはなる。

愉快な場面では笑うが何だか自分が別人のように思う。

泣きもしないが笑いもしないそんな日々が続いていた。


休みの日も仕事のことばかり考えている。

一番は資金繰りで明日も重量税の精算があった。

何とかなりそうだがまたゼロになってしまう。

まるでお金に羽根が生えているようだった。

工場は忙しく後から後から仕事はあるのだが

お客さん次第で支払いの遅い人が多かった。

催促をすれば足元を見られる。それだけはご法度であった。

義父は入るお金のことはよく覚えているが

出て行くお金のことには全く無関心である。

経理は全て私に任されており投げだす訳にはいかない。

年末まで嵐の日が続くが何としても乗り越えようと思っている。


今日はゆっくりと休めたのでまたやる気満々になった。

日々試されているのなら試して頂こうと思う。

私は細腕ではない。立派で逞しい腕を持っている。


吹き荒れていた風が収まりほっとするような静かな夜であった。

栞を挟むような読みかけの本はないが

こころに栞を挟みぐっすりと眠ろうと思う。

そうして明日はまた新しいページを開こう。

※以下今朝の詩


   存在

せめぎ合えばどちらかが傷つく
雨だろうか風だろうか
空だろうか雲だろうか

それは一対に見えるが
異なるこころを持っている

雨は雨でなくてはならない
風は風でなくてはならない

ともに空に在りながら
それぞれに誇りがあり
一心に貫こうとしている

傷つけるつもりはなかった
ただ寄り添うためだけに在る

雨雲を遠ざけようとする風
微笑もうとする空である

真っ只中に佇めば
それぞれがこころに沁みる

哀しんではならない
嘆いてはならない



2025年12月13日(土) 冬の雨だれ

曇りのち雨。午後からぽつぽつと小雨が降り始める。

気温は13℃とそう低くはなかったが

陽射しがないと何と肌寒いことだろう。

冬のおひさまは本当に有難いものである。


土曜日の国道は空いており山道でも対向車がなかった。

冬枯れた景色の中にまだ紅葉している木があり心が和む。

良心市には大根や水菜とさつま芋が並んでいた。

今朝は買わなかったが並んでいるだけでほっとする。

丹精を込めた野菜である。何だか「いのち」が並んでいるように見える。


いつもより少し早く職場に着く。

直ぐにみい太が走り寄って来た。

猫係のお客さんを待っていたが現れず私が餌を与えた。

子猫の姿は見えない。何処に行ってしまったのだろう。


8時半になっても同僚が出勤して来ないので心配になった。

昨日の検査疲れだろうか。不整脈かもしれないと思う。

電話が繋がらなかったら家へ行ってみようと思っていたら

電話は繋がり少し寝坊をしたようだった。

顔を見ればほっとする。どんなにか頼りにしていることか。

午前中はオイル交換やタイヤ交換があり大忙しだった。


義父は狩猟免許の試験があり市内へと向かう。

若い頃から持っていた免許であるが数年前に失効してしまったのだ。

再度取得するには訳があり猪退治の為である。

今年も稲を食い荒らされ我慢の限界になったのだろう。

猟銃ではなく「わな」の免許であり簡単そうに思えたが

けっこう難しかったらしくそれでも合格の報せがあった。

よほど嬉しかったのだろう。弾んだ声で電話してくる。

82歳の猟師である。来年にはきっと猪を退治することだろう。


午後には来客が途絶えていたので定時より少し早目に帰路に就く。

寒さのせいもあり炬燵が恋しくてならない。

3時には帰宅しており真っ先に炬燵に潜り込んだ。

ダンス教室のある日で娘達は夕食不要とのこと。

夫の好きなステーキを焼いただけである。

あれこれとおかずを作るよりずっと安上がりなのだ。


ぽつぽつと雨が降り続いている。

リズミカルな雨だれの音が耳に心地よい夜になった。

明け方まで雨で明日はまた晴れるのだそうだ。

雨も必要であるがやはりおひさまに会いたい。


雨が降るとしんみりとするのは何故だろう。

渇いていたこころが潤って来るのを感じる。

決して涙ではない。水を欲しがっていた草花のようだ。

水を吸いながら大きく息をすると

失っていたものが蘇るようであった。

まだまだこれからの冬であるが

私のこころは春に向かっているのかもしれない。


※以下今朝の詩


   終いごと

あやふやである
ばくぜんとした道

歩けば歩くほどに
近くなるのは
終いの場所であろう

見納めかもしれないと
花を愛で空を仰ぐ
声が聴こえれば立ち止まり
語らうこともあった

わたしをわすれないで
こんなにもいきてきた

記憶が波のように押し寄せて来る
幼い頃や少女の頃の私であった

父や母は待っているのだろうか
この道は天の国に続いている

もうひきかえせはしない
すすむしかないのだとおもう

どうかわたしをわすれないで



2025年12月12日(金) 出来ること出来ないこと

最高気温15℃とさほど高くはなかったが風もなく

陽射しもたっぷりとあり随分と暖かく感じた。


庭先のプランターに娘が葱を植えているのだが

この数日で一気に生育し立派な葱になった。

秋まではオクラを植えてあったので

娘も野菜作りが楽しくてならないのだろう。

しかしあくまでも娘の「葱」で勝手に切ってはならない。

まるで隣の芝生のように眺めるばかりであった。


姑さんが健在だった頃は色んな野菜を育てていたが

これも勝手に収穫してはいけなかった。

良心市を営んでいたので殆どが売り物である。

私もその良心市で買い求めることが多かった。


ご近所さんから野菜を頂いたりすると大目玉である。

「そんなに欲しければどうして云わないのだ」と叱られた。

ある時は自転車のカゴにさつま芋が沢山入っており

一個ぐらいなら良いだろうと勝手に失敬したことがある。

姑さんは予め個数を確認していたのだろう。

「芋泥棒がいる」と云って大騒ぎになったこともある。

それは種芋だったのだそうだ。私は泣いて謝ったが許してくれない。

何処かで種芋を分けてくれる農家はないだろうか。

人伝に探したがまだ嫁いだばかりの私に何が出来よう。

たかが一個のさつま芋が悔やまれ一生忘れられない出来事になった。




同僚が休みのため工場は開店休業であったが

来客が多く対応に追われる。訳を話し明日に延期させて貰ったが

肝心の同僚が出社できないかもしれないと心配になる。

まだ検査中なのだろう電話は繋がらなかった。

3時前にやっと連絡があり年明け早々に精密検査が必要とのこと。

今の病院では限界があり大きな県立病院へ行くことになった。

今更云っても仕方ないが最初から県立病院へ行くべきだったのだ。

もし癌が見つかれば大変なことになる。

同僚もどんなにか不安なことだろう。

本来なら年内の精密検査が早急なのではないだろうか。


義父も心配していたがとにかく田んぼであった。

お昼には帰って来たが昼食を食べ終わると休む暇もない。

まるで何かに取り憑かれていて気が触れたように見える。


定時で退社しようとしたら留守番にみい太と子猫が返って来てくれた。

今朝から姿が見えなかったのであまりの偶然に驚く。

「お留守番を頼むよ」と声を掛けたら「みゃおみゃお」と応えてくれた。

事務所の玄関マットに陽だまりが出来ており

猫達は寝そべりすっかり「留守番猫」になってくれる。


昨日に引き続き今日もカーブスへ行き心地よく身体を動かす。

そうしてリフレッシュしているのか元気溌溂となった。

勢いかもしれないが毎日仕事帰りに寄るのも良さそうだ。

ようは「目標」を立てることである。

出来ないのではなくやってみることが肝心だと思う。


これまでどれ程のことを諦めて来たことだろう。

些細なことばかりかもしれないが「出来ない」と思った。

それは歳を重ねるごとに増えて行く。

出来ていたことが出来なくなってしまうのだった。

諦めてしまえば無気力になる。どうでもいいやと思う。

そうして精神はいっそう追い詰められて行く。

嘆いても何も変わりはしないのだ。

「出来ることを頑張ろう」私の毎日の口癖であったが

「出来ないこともやってみよう」そう云えるような私になりたいものだ。


※以下今朝の詩


   冬の花

どこまでもとおもう
永遠などありはしないが
たどりつくことはできる

冬に咲く花のたくましさ
寒さに耐えるその微笑み
北風に負けないけなげさ

こころを打たれることは
その鼓動の息なのだろう

追えばくるしい
追えばかなしい

かと云って逃げれば
全てを諦めることだ

どこまでもとおもう
ありったけの息で
冬の花になろうとしている








2025年12月11日(木) 崖っぷち

日中は晴れていたが夕方から一気に曇り少しだけ雨が降る。

気温は19℃まで上がり随分と暖かな一日だった。

明日はまた冬の寒さが戻って来そうである。

寒さに慣れてくれば暖かくなるので身体も戸惑っているようだ。


銀杏の木はすっかり裸樹となり骨のような枝が何とも切ない。

陽射しがあればほっとするが木枯らしが吹くと震えているように見える。

栴檀の木は黄な粉色の実をたわわに付けてとても愛らしい。

夏には薄紫の花。秋にはオリーブ色の実で心を和ませてくれた。

職場の庭にも栴檀の木があるのだが辺りの環境が変わったせいだろうか

今年は実が少なく愛らしくはあるが寂しげに見えてならない。

羽根を休める鳥もいないのでいっそう寂しく見える。



工場は車検整備があったが不具合があり部品待ちとなった。

同僚は明日休みなので今日中に仕上げたかったようだ。

大腸検査の結果次第でまた休む日が多くなるかもしれない。

年末まで車検予約が入っておりいったいどうなることだろう。


義父は田んぼに取り憑かれたように今日も出掛けて行く。

週末には雨の予報なので大いに焦っているようである。

その上に村長選も重なり選挙がらみの来客も多かった。

どうやら中立では居られなくなった様子である。

小さな山里のことで中立では許されないのだろう。

あちらだこちらだと喧嘩腰の言葉が飛び交う。

投票日になって気が変わられたら困るので

期日前投票に行かされる人も多いのだそうだ。

特に高齢者は逆らえられないのだろう。

遠縁であっても親戚が出馬すれば尚更のことであった。

あれこれと耳にすると複雑な気持ちになり選挙は嫌だなと思う。


事務仕事は一段落しており定時で帰路に就く。

その足でカーブスへ行き心地よく汗を流した。

コーチにも話したのだが土曜日は仕事に行くことを決める。

会社は休みではないのでそれが当然のことだろう。

その分日給もあるので家計の足しになりそうである。

そう決めるとすっきりとしもう思い悩むこともなかった。

毎日は無理だが週二回を目標に頑張ってみようと思う。


買い物をして4時過ぎに帰宅。10分程茶の間で横になる。

「高知県芸術祭」と記された大きな封筒が届いていた。

佳作の表彰状と入選作品集が入っていてそれなりに嬉しい。

特に作品集は立派な冊子で市の図書館にも置かれるようだ。

自分の詩が活字になることは奇跡のようにも思える。

夫にも娘にも見せない。私だけの宝物にしておく。


ふとこれが最後かも知れないと思う。

入選したのは二度目だったが三度目はないかもしれない。

来年も応募するつもりだがそうそう奇跡は起こらないだろう。

生きていればである。死んでしまったらもう何も書けない。


私は常に崖っぷちに立っていて足を震わせているのだろう。

一歩が踏み出せない。踏み出せば奈落の底が待っている。

それは「死」にも等しく怖ろしくてならないのだった。


こつこつと努力する。自分が生み出す言葉にしがみついて生きている。


※以下今朝の詩


   冬眠

かたのちからをぬいて
やすむのもよいだろう

けれども冬はやすめない
立ち止まることは出来るが
眠ってはいけないようだ

冬枯れた景色の中にも
きっと芽吹く春がある
その緑に宿る命のこえ

どれほど遠くても
生きてさえいれば叶う
永遠の春が奇跡のように

深まれば深まるほどに
春の声が近づいてくる

冬は眠ってしまいたかった
夢だって見たかったのだ

空の雲が流れるように
冬はゆっくりと歩み始める


 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加