ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年12月12日(金) 出来ること出来ないこと

最高気温15℃とさほど高くはなかったが風もなく

陽射しもたっぷりとあり随分と暖かく感じた。


庭先のプランターに娘が葱を植えているのだが

この数日で一気に生育し立派な葱になった。

秋まではオクラを植えてあったので

娘も野菜作りが楽しくてならないのだろう。

しかしあくまでも娘の「葱」で勝手に切ってはならない。

まるで隣の芝生のように眺めるばかりであった。


姑さんが健在だった頃は色んな野菜を育てていたが

これも勝手に収穫してはいけなかった。

良心市を営んでいたので殆どが売り物である。

私もその良心市で買い求めることが多かった。


ご近所さんから野菜を頂いたりすると大目玉である。

「そんなに欲しければどうして云わないのだ」と叱られた。

ある時は自転車のカゴにさつま芋が沢山入っており

一個ぐらいなら良いだろうと勝手に失敬したことがある。

姑さんは予め個数を確認していたのだろう。

「芋泥棒がいる」と云って大騒ぎになったこともある。

それは種芋だったのだそうだ。私は泣いて謝ったが許してくれない。

何処かで種芋を分けてくれる農家はないだろうか。

人伝に探したがまだ嫁いだばかりの私に何が出来よう。

たかが一個のさつま芋が悔やまれ一生忘れられない出来事になった。




同僚が休みのため工場は開店休業であったが

来客が多く対応に追われる。訳を話し明日に延期させて貰ったが

肝心の同僚が出社できないかもしれないと心配になる。

まだ検査中なのだろう電話は繋がらなかった。

3時前にやっと連絡があり年明け早々に精密検査が必要とのこと。

今の病院では限界があり大きな県立病院へ行くことになった。

今更云っても仕方ないが最初から県立病院へ行くべきだったのだ。

もし癌が見つかれば大変なことになる。

同僚もどんなにか不安なことだろう。

本来なら年内の精密検査が早急なのではないだろうか。


義父も心配していたがとにかく田んぼであった。

お昼には帰って来たが昼食を食べ終わると休む暇もない。

まるで何かに取り憑かれていて気が触れたように見える。


定時で退社しようとしたら留守番にみい太と子猫が返って来てくれた。

今朝から姿が見えなかったのであまりの偶然に驚く。

「お留守番を頼むよ」と声を掛けたら「みゃおみゃお」と応えてくれた。

事務所の玄関マットに陽だまりが出来ており

猫達は寝そべりすっかり「留守番猫」になってくれる。


昨日に引き続き今日もカーブスへ行き心地よく身体を動かす。

そうしてリフレッシュしているのか元気溌溂となった。

勢いかもしれないが毎日仕事帰りに寄るのも良さそうだ。

ようは「目標」を立てることである。

出来ないのではなくやってみることが肝心だと思う。


これまでどれ程のことを諦めて来たことだろう。

些細なことばかりかもしれないが「出来ない」と思った。

それは歳を重ねるごとに増えて行く。

出来ていたことが出来なくなってしまうのだった。

諦めてしまえば無気力になる。どうでもいいやと思う。

そうして精神はいっそう追い詰められて行く。

嘆いても何も変わりはしないのだ。

「出来ることを頑張ろう」私の毎日の口癖であったが

「出来ないこともやってみよう」そう云えるような私になりたいものだ。


※以下今朝の詩


   冬の花

どこまでもとおもう
永遠などありはしないが
たどりつくことはできる

冬に咲く花のたくましさ
寒さに耐えるその微笑み
北風に負けないけなげさ

こころを打たれることは
その鼓動の息なのだろう

追えばくるしい
追えばかなしい

かと云って逃げれば
全てを諦めることだ

どこまでもとおもう
ありったけの息で
冬の花になろうとしている








2025年12月11日(木) 崖っぷち

日中は晴れていたが夕方から一気に曇り少しだけ雨が降る。

気温は19℃まで上がり随分と暖かな一日だった。

明日はまた冬の寒さが戻って来そうである。

寒さに慣れてくれば暖かくなるので身体も戸惑っているようだ。


銀杏の木はすっかり裸樹となり骨のような枝が何とも切ない。

陽射しがあればほっとするが木枯らしが吹くと震えているように見える。

栴檀の木は黄な粉色の実をたわわに付けてとても愛らしい。

夏には薄紫の花。秋にはオリーブ色の実で心を和ませてくれた。

職場の庭にも栴檀の木があるのだが辺りの環境が変わったせいだろうか

今年は実が少なく愛らしくはあるが寂しげに見えてならない。

羽根を休める鳥もいないのでいっそう寂しく見える。



工場は車検整備があったが不具合があり部品待ちとなった。

同僚は明日休みなので今日中に仕上げたかったようだ。

大腸検査の結果次第でまた休む日が多くなるかもしれない。

年末まで車検予約が入っておりいったいどうなることだろう。


義父は田んぼに取り憑かれたように今日も出掛けて行く。

週末には雨の予報なので大いに焦っているようである。

その上に村長選も重なり選挙がらみの来客も多かった。

どうやら中立では居られなくなった様子である。

小さな山里のことで中立では許されないのだろう。

あちらだこちらだと喧嘩腰の言葉が飛び交う。

投票日になって気が変わられたら困るので

期日前投票に行かされる人も多いのだそうだ。

特に高齢者は逆らえられないのだろう。

遠縁であっても親戚が出馬すれば尚更のことであった。

あれこれと耳にすると複雑な気持ちになり選挙は嫌だなと思う。


事務仕事は一段落しており定時で帰路に就く。

その足でカーブスへ行き心地よく汗を流した。

コーチにも話したのだが土曜日は仕事に行くことを決める。

会社は休みではないのでそれが当然のことだろう。

その分日給もあるので家計の足しになりそうである。

そう決めるとすっきりとしもう思い悩むこともなかった。

毎日は無理だが週二回を目標に頑張ってみようと思う。


買い物をして4時過ぎに帰宅。10分程茶の間で横になる。

「高知県芸術祭」と記された大きな封筒が届いていた。

佳作の表彰状と入選作品集が入っていてそれなりに嬉しい。

特に作品集は立派な冊子で市の図書館にも置かれるようだ。

自分の詩が活字になることは奇跡のようにも思える。

夫にも娘にも見せない。私だけの宝物にしておく。


ふとこれが最後かも知れないと思う。

入選したのは二度目だったが三度目はないかもしれない。

来年も応募するつもりだがそうそう奇跡は起こらないだろう。

生きていればである。死んでしまったらもう何も書けない。


私は常に崖っぷちに立っていて足を震わせているのだろう。

一歩が踏み出せない。踏み出せば奈落の底が待っている。

それは「死」にも等しく怖ろしくてならないのだった。


こつこつと努力する。自分が生み出す言葉にしがみついて生きている。


※以下今朝の詩


   冬眠

かたのちからをぬいて
やすむのもよいだろう

けれども冬はやすめない
立ち止まることは出来るが
眠ってはいけないようだ

冬枯れた景色の中にも
きっと芽吹く春がある
その緑に宿る命のこえ

どれほど遠くても
生きてさえいれば叶う
永遠の春が奇跡のように

深まれば深まるほどに
春の声が近づいてくる

冬は眠ってしまいたかった
夢だって見たかったのだ

空の雲が流れるように
冬はゆっくりと歩み始める



2025年12月10日(水) 家族の温度差

陽射しがたっぷりと降り注ぎぽかぽかと暖かだった。

週末には久しぶりの雨とのこと、その後また寒波が襲って来るらしい。

今はまだ暖冬にも思えるが厳しい寒さが続く日もあるだろう。


あたりは冬枯れた景色であるが山茶花が彩を添えている。

南天と同じように庭先に植えている家が多い。

隣家には八重のピンク色の山茶花が咲いている。

数年前にご主人を亡くされた奥さんが住んでいるのだが

隣だと云うのに滅多に顔を見ることはなかった。

高齢であり足も不自由なので出歩くこともない。

昼間はデイサービスに行っているようで送迎の車をよく見かける。

買い物には福祉タクシーを利用しているようだった。


山茶花は私が嫁いだ頃から既にあり毎年咲くのを楽しみにしている。

奥さんも気づかないはずはないのだが庭に居る姿を見たことがなかった。

老いることは切なく何とも寂しいものである。



朝のうちに車検を済ませ義父はまた田んぼへ出掛けた。

「もう用事はないな」と念を押して嬉しそうに出掛けて行くのだった。

工場はまた新たな車検が入庫しており同僚も忙しい。

そうこうしていれば予約なしでタイヤとオイル交換が入って来る。

公用車だったが定期点検を怠っておりタイヤは擦り切れていた。

おまけにオイル交換もしばらくしておらず困ったものである。

飛び込みだからと断ることも出来ず同僚は余計に忙しくなった。


2時には義父が帰って来て「腹が減って力が出んぞ」と

居室に駆け上がり大急ぎで昼食を食べたようだ。

その後も一休みもせずまた急いで田んぼに赴く。

とても82歳の高齢者には思えないパワフル過ぎる義父である。


義父を送り出してから整形外科へと向かう。

今日はリハビリだけだったが予約時間まで30分程待つ。

その間に血圧を測ったら135と珍しく正常であった。

U君に話したら滅多に無いことなので驚いていた。

腰上げも腹筋もして足の裏まで揉み解してくれる。

痛む左足よりも庇っている右足がかなり疲弊しているそうだ。

極端な話、右足だけで歩いているのと同じなのだろう。

何としても現状を維持しなければならない。

全く歩けなくなったらもうお終いである。


帰宅したらめいちゃんの友達が遊びに来ていて

娘の姿が見えなかったので何処に居るのだろうと心配になった。

娘の車はあるので家の中に居ることは間違いない。

5時になると物置状態になっている和室から出て来た。

茶の間には炬燵もあるのにどうしてだろうと思う。

「炬燵に入って居れば良いのに」と云うと

それは絶対に嫌なのだそうだ。

「どうして?子供の頃には炬燵が好きだったじゃない」そう云うと

「もうこどもじゃない」と半分笑いながら応えるのだった。

確かに茶の間は夫の部屋と化しているが

茶の間である限り家族の憩いの場所であるべきだと思う。

遠慮でも何でもない。ただ「嫌」と云う理由なのが納得出来ない。

そこまで隔てなければいけないのだろうか。

それほどまでに父親を避けたいのだろうか。

娘に問い詰めることも出来なかったが何とも哀しい現実であった。

これが同じひとつ屋根の下に暮らす「ふたつの家族」である。


※以下今朝の詩


    温度

そっとふれてみる
つめたいのかあたたかいのか

ひとにはそれぞれ温度があり
血が流れこころを持っている

いつもほがらかであかるいひと
独りぼっちが好きだけれど
さびしがりやのひともいる

手をつなごうとするひと
手をぎゅっとにぎりしめるひと

声をかければほほえむひと
声をかければ耳をふさぐひと

見つけてほしくて目立つひと
窓を閉めて閉じこもるひと

それぞれの温度が生きている
誰の血もきっと温かいのに違いない



2025年12月09日(火) 南天の紅い実

気温は16℃とそう高くはなかったが

風もなく穏やかな晴天となる。

朝の峠道を越え山里の民家が見え始めると

南天の紅い実がとても鮮やかに見える。

縁起物だけあって庭先に植えている家が多い。


山里にはかつて私達家族が住んでいた官舎があったのだが

今は取り壊され砂利を敷いた更地になっている。

ブロック塀は残っておりその傍らで犬を飼っていた。

父が狩猟を趣味にしていたため買い求めた洋犬であった。

しかし短命だったのか飼ったのは3年程である。

とても大きな犬で「ゆう」と云う名だったことを憶えている。


職場の直ぐ近くなので度々更地の前を通るのだが

当時にも確かにあった南天がたわわに実を付けている。

官舎は取り壊しても植木はそのまま残してくれたのだろう。

それが計らいだったのかは知る由もない。

今はもう母に訊くことも出来ないがきっと憶えていたのに違いない。

「赤い鳥小鳥なぜなぜ赤い。赤い実を食べた」母の歌声が聴こえるようだ。



朝のうちに車検を済ませ義父は歯医者さんへ行った。

同僚は次の車検整備に取り掛かっており工場は活気に溢れている。

来客もあり私もあれこれと対応に追われる。

支払いに来てくれたお客さんは神様のように思えた。

明日は自賠責保険と重量税の精算があり全てが立替である。

資金繰りは思うように行かず頭を悩ませていたところだった。


午後から運転免許証を受け取りに市内の警察署へ赴く。

「優良講習」なので30分程で終ったが

もう職場へは戻らずそのまま休ませて貰った。

更新された免許証の写真を見て我ながらぞっとする。

何と醜いことだろう。とても遺影には出来そうにない。

今までは古い免許証も持っていられたのだが

今回は回収され手元には戻って来なかった。

気に入っていた写真だけに残念でならない。


カーブスへ行くつもりだったがまだ時間がたっぷりとあり

買い物を済ませ一度帰宅してから市内へ向かう。

カーブスは昨日臨時休業だったそうで大勢のメンバーだった。

もちろん知らない顔の人ばかり。それも新鮮に思える。

やはり平日に身体を動かすと元気溌溂となるようだ。

また木曜日か金曜日に来ようと思う。

土曜日に仕事を休むのはもう止めた方が良さそうだ。


帰宅して茶の間で情報番組を見ていたが

昨夜の青森の地震はどんなにか怖ろしかったことだろう。

幸い大きな被害はなかったようだが「被災」には違いない。

深夜のことで眠れぬ夜を過ごした人も多いと思う。

その上に「北海道、三陸沖後発地震情報」が発表された。

また近いうちに大きな地震が襲って来るかもしれないのだ。

どんなにか不安で心細いことだろう。

明日は我が身と思いながらとても他人事ではなかった。


平穏無事は決して当たり前のことではない。

「おはよう」の笑顔も温かな食事もお風呂も

お布団に潜り込んで朝までぐっすりと眠ることも。

忽ちのうちに叶わなくなる日がきっと来るのだと思う。

命だけは何としても守らなければいけない。

何があっても生き抜くことを一番に考えようと思う。


※以下今朝の詩


  おむすび

おむすびころりん
どこまでもころりん

坂道を下っている
つんのめりそうな道
足を踏ん張って歩く
一歩一歩ゆっくりと

いっそ転んでしまえば
早く着くだろうと思う
待っている人が居るなら
尚更急がねばならない

冬枯れた景色をあおぐ
それは灰色に見えるが
空に包まれているよう

おむすびころりん
どこまでもころりん

どれ程の距離だろうか
遠ければ遠いほどに
希望の陽射しが降り注ぐ




2025年12月08日(月) 魂の声

今日もたっぷりの陽射し。気温も20℃近くなり暖かな一日となる。

国道沿いの皇帝ダリヤはまだ咲いてくれていて

大型車が通ると大きく揺れて折れてしまいそうだった。

おそらく排気ガスもまともに浴びていることだろう。

しかし大型車が通り過ぎると何事もなかったかのように

すくっと顔を上げ朝陽を浴びている姿にほっとする。

何と健気な花だろう。枯れてしまう姿が想像出来ない。

もしかしたら年を越すのではないだろうか。

何だかそれも奇跡のように思える。



同僚が眼科に通院のため午前中は独りきりで過ごす。

義父も勇ましく田んぼに出掛け会話をする暇もなかった。

来客は多く早くも来年の車検を予約してくれる。

予約制を心得てくれているお客さんはとても助かるものだ。

しばらく世間話をし「不景気」の話に花が咲く。

商売はどこも同じで苦しいのは我が社だけではなさそうだ。

慰め合ったり励まし合ったり心が通うのも嬉しいものである。


車検の入庫もあり訳を話し代車で帰って貰った。

不具合がなければ明日は済みそうだが

20年も経過している古い軽トラックなのでどうなることだろう。

古ければ古いほど重量税が高いので気の毒でならない。


お昼には義父が帰って来たが来客があり昼食は後回しとなる。

明日は村長選の告示があり選挙がらみの話であった。

小さな山里が真っ二つに分かれる。何だか喧嘩腰である。

出陣式には私も顔を出して欲しいと頼まれたが

了解したものの行くつもりはなかった。

村民ではないので一票にもならない。ただの「サクラ」である。

数年前に義父が村長選に出馬したことがあったが

僅差で敗れてしまい何と憐れだったことだろう。

それでも義父は諦めず二度も出馬したのだった。

もう選挙は嫌だと思った。どれ程の人徳も叶わないことが多い。

明日からは選挙カーが村中を走り回ることだろう。

義父はあくまでも中立の立場を貫こうとしている。


午後には同僚も来てくれて工場も活気を取り戻す。

順調なのを確かめて定時で帰路に就いた。

サニーマートで海老が半額になっていたので迷わず買う。

帰宅して茶の間で横になっていたらあやちゃんがやって来て

「おばあちゃん今夜は何?」と訊いてくれて嬉しかった。

海老フライはこの前も作ったので海老天にしようかと告げると

また海老フライが食べたいのだそうだ。

「お母さんに作って貰おうかね」と云うと嬉しそうに「やったあ」の声。

一日中部屋に閉じ籠っているあやちゃんにとって

食べることが一番の楽しみなのであろう。

そう思うと昨夜の「鶏そぼろ」も娘の愛情だと分かる。

私も誰よりも一番にあやちゃんの好物を買って来ようと思う。

そうして少しでもあやちゃんを笑顔にしてやりたかった。


夕食後は一番星を探したが雲に覆われているようだった。

暗闇は不安で心細くなるが星のない空など在り得ない。

地球も星なのだ。月も星なのだと思う。

見えないことに拘ってはいけない。

たとえば母の魂も確かに存在しているのである。

ただ見えないだけでどうして消えたと云えるだろうか。

魂の声が聴こえる。「大丈夫よ」と母の声が聴こえる。


※以下今朝の詩

 
     杖

ぬきあしさしあししのびあし
決して音を立ててはいけない

杖にクッションを付けた
靴下みたいにかわいいの

スリッパも履いてはならない
足を引き摺る時音がするから

そっと静かに階段をのぼる
息をころして一歩いっぽと

やっと椅子に座るとほっとする
そうして詩のようなものを書く

杖がなければ歩けない
杖だけがたよりなのだ

それは私の一部であろう
腕になり足になり生きる

時にはこころをささえて
励ましてくれるのだった

書いた書けた
詩のようなものがここに居る






2025年12月07日(日) 苦もあれば楽もある

二十四節気の「大雪」本格的に雪が降り出す頃であるが

日中は陽射しに恵まれ穏やかな小春日和となった。

しばらくは暖かい日が続きそうだがまた寒波が襲って来るだろう。

「今のうちに」と思う。こころの日向ぼっこである。


玄関先に娘が植えてくれたのか名も知らぬ花が咲いていた。

白と薄紅色でとても小さな花である。

多肉植物には詳しくないが、冬を越す種類もあるようだ。

娘は冬囲いをするでもなくそのままに置いてある。

今日は行けなかったが年末までに葉牡丹を買って来よう。

そうすれば玄関先の彩となり晴れ晴れと新年を迎えられそうだ。



今日は久しぶりに「一風」に行こうかと話していたが

地区の中割金を納めなければならずお財布が寂しくなる。

「節約せんといかんぞ」夫の一言で外食は却下となった。

北風がおさまっていても貧乏風の何と冷たいことだろう。


お昼にはまたお好み焼きを作って食べる。

それだと二人分で5百円も掛からない。

夫はビールを飲んでいたが贅沢とは云えないのだろう。

何の楽しみもない夫にとって唯一の楽しみであった。


お腹が一杯になり午後は例の如くでお昼寝だった。

通電はしていないが炬燵布団の何と有難いことだろう。

夢も見ずにぐっすりと眠る。

3時前に目覚めよっこらしょと「おでん」の支度を始めた。

この二日まともな夕食を作っていなかったので

今夜こそはと思う。夫も楽しみにしているようだ。

弱火でことことと煮る。2階にまでおでんの匂いが漂う。


5時が近くなり買い忘れた物があるのを思い出し

近くのセイムスまで行く。おでんの火はそのままであった。

買い忘れていた柔軟剤を抱え店内をよろよろと歩いていたら

目移りがするくらい色んなものがとても安いのだ。

最近はアマゾンで買うことが多く目から鱗であった。

アマゾンはとても便利だが程々にしなければと思う。

レジに向かうと何とポイントが20倍で夢に餅である。


帰宅するとおでんはよく染み食べ頃になっていた。

夫の入浴が済むと直ぐに食べ始める。

娘が何となくつんつんとしていて気になった。

「おでん」は孫達が食べないからと「鶏そぼろ」を作り始める。

おでんにはあやちゃんの好きな鶏の手羽元も入れてあった。


「まあいいか」いちいち気にしていたら身が持たない。

好きなようにすればいい。家族のようで家族ではないのだと思う。


ゆっくりと休めた日曜日であったが

明日からの仕事のことを思うと身が引き締まるようである。

連日車検の予約が入っているので忙しくなるだろう。

しかし忙しいばかりで資金繰りはとても厳しかった。

何としても年末を乗り越えなければならない。

ずっと順調だったのが今年ほど苦しかった年はなかった。


苦もあれば楽もある。毎日が小春日和だとは限らない。

雨が雪に変わる日もきっとあるだろう。

けれども終わらない冬はない。そう思って耐え忍んで行きたい。

いったい私はいつまで試されるのだろうか。

もしかしたら生きている限り続くのかもしれない。


※以下今朝の詩


   屑

ぐしゃぐしゃにして
まるめたの
びりびりとちぎって
かけらにしたの

そうしてごみにすれば
さっぱりときもちいい

憂鬱には種がある
鬱憤には根がある

だから育ててはいけない
水遣りもしてはならない

かと云って無視出来ないから
運命みたいに囚われてしまう

いっそ火をつけて
燃やしてしまおうか

むしゃくしゃが灰になる
もう思い煩うことはない





2025年12月06日(土) むしゃくしゃ

今朝は氷点下にこそならなかったが今季一番の冷え込みとなる。

放射冷却だろうか日中はずいぶんと暖かくなった。

山里は一面の霜でまるで粉雪が降ったようだ。

気温も平野部より低く冷たい朝であった。


今朝は猫係のお客さんの姿が見えず

私がみい太に餌を与えたのだが

離れた処から見ていた子猫がゆっくりと近づいて来た。

同僚が居ればまた蹴り飛ばしたかもしれないが

今日は通院のため午前中は休みを取っていた。

子猫はみい太に頭をぶつけながら餌を食べようとする。

そんな姿を見てどうして心を鬼に出来ようか。

「今日は特別」と自分に云い聞かせ子猫が食べ終わるのを見ていた。

義父に知れたらまた怒鳴られてしまうだろう。

しかし情けをかけずにはいられなかったのだ。


里親の話はボツになった。「もういらない」と云われたそうだ。

どうやら家出をしていた飼い猫が戻って来たらしい。

何とひと月近くも行方を暗ましていたそうで諦めるのも無理はない。

けれども2匹は飼えない。子猫はまた野良猫になってしまった。

義父さえ許してくれればと思うが断固として聞く耳を持たない。

いつまでも可愛い子猫ではいられないのは私も重々に承知している。

憐れでならないがこのままそっと見守るしかないのだろう。



朝のうちに車検を3台完了させ義父は逃げるように田んぼに行く。

新たな車検も入庫していたが同僚が来てくれるまで手を付けられない。

今日は整形外科で月曜日には眼科なのだそうだ。

金曜日には大腸検査で一日中の休みとなっている。

仕事も大事だが身体のことを一番に優先しなければならない。

同僚に休まれると開店休業となるが仕方ないことであった。


今日も定時で終われたが娘達が今夜も夕食不要とのこと。

サニーマートへは寄らずに朝の山道を帰った。

料理をする気力はゼロで近所のローソンで適当に買う。

娘達はダンス教室があり5時半には出掛けて行った。


夕食後自室で一服していたら中高時代の友人からメールが届く。

誕生日を祝ってくれたがそれが鬱陶しくてならなかった。

来春には中学の同窓会もあるようだが

私はもう出席しないことを決めている。

友人は「久しぶりに会いたい」と記していたが

私はもう会いたくもなかった。

そう返信するわけにも行かず既読のままそのままにしておく。

私の詩を読んだこともないくせに詩のことにも触れていた。

何と無神経な奴だろうと思う。そんな奴はもう友達とは思えない。

私らしくもないかもしれないがむしゃくしゃしてならなかった。

同窓会が近くなればまたあれこれと云ってくるだろう。

電話には一切出ない。メールの返信もするつもりはなかった。

とにかく私に触れないで欲しい。そっとしておいてくれまいか。


苛立ちを引き摺ったまま書いてしまったが

むしゃくしゃとした気持ちはゆっくりと薄れている。

仕事の疲れも感じず程よい達成感があった。

明日はゆっくりと休んでまた来週から頑張ろうと思う。

母の遺影に手を合わせ「おつかれさま」と声を掛けた。


※以下今朝の詩


    冬の朝

しんしんとないている空
さむかろうつめたかろう

風は風邪をひいたらしく
こんこんと咳をしている
お薬を届けてあげようか

あったかいスープを作ろう
ミルクをたっぷりと入れて

夜が明けたらおひさまに
おはようって云うんだよ

きらきらの朝陽を浴びて
すくっと胸を張るんだよ

どんな一日が待っているのだろう

空と風とおひさまの一日が始まる


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