陽射しがたっぷりと降り注ぎぽかぽかと暖かだった。
週末には久しぶりの雨とのこと、その後また寒波が襲って来るらしい。
今はまだ暖冬にも思えるが厳しい寒さが続く日もあるだろう。
あたりは冬枯れた景色であるが山茶花が彩を添えている。
南天と同じように庭先に植えている家が多い。
隣家には八重のピンク色の山茶花が咲いている。
数年前にご主人を亡くされた奥さんが住んでいるのだが
隣だと云うのに滅多に顔を見ることはなかった。
高齢であり足も不自由なので出歩くこともない。
昼間はデイサービスに行っているようで送迎の車をよく見かける。
買い物には福祉タクシーを利用しているようだった。
山茶花は私が嫁いだ頃から既にあり毎年咲くのを楽しみにしている。
奥さんも気づかないはずはないのだが庭に居る姿を見たことがなかった。
老いることは切なく何とも寂しいものである。

朝のうちに車検を済ませ義父はまた田んぼへ出掛けた。
「もう用事はないな」と念を押して嬉しそうに出掛けて行くのだった。
工場はまた新たな車検が入庫しており同僚も忙しい。
そうこうしていれば予約なしでタイヤとオイル交換が入って来る。
公用車だったが定期点検を怠っておりタイヤは擦り切れていた。
おまけにオイル交換もしばらくしておらず困ったものである。
飛び込みだからと断ることも出来ず同僚は余計に忙しくなった。
2時には義父が帰って来て「腹が減って力が出んぞ」と
居室に駆け上がり大急ぎで昼食を食べたようだ。
その後も一休みもせずまた急いで田んぼに赴く。
とても82歳の高齢者には思えないパワフル過ぎる義父である。
義父を送り出してから整形外科へと向かう。
今日はリハビリだけだったが予約時間まで30分程待つ。
その間に血圧を測ったら135と珍しく正常であった。
U君に話したら滅多に無いことなので驚いていた。
腰上げも腹筋もして足の裏まで揉み解してくれる。
痛む左足よりも庇っている右足がかなり疲弊しているそうだ。
極端な話、右足だけで歩いているのと同じなのだろう。
何としても現状を維持しなければならない。
全く歩けなくなったらもうお終いである。
帰宅したらめいちゃんの友達が遊びに来ていて
娘の姿が見えなかったので何処に居るのだろうと心配になった。
娘の車はあるので家の中に居ることは間違いない。
5時になると物置状態になっている和室から出て来た。
茶の間には炬燵もあるのにどうしてだろうと思う。
「炬燵に入って居れば良いのに」と云うと
それは絶対に嫌なのだそうだ。
「どうして?子供の頃には炬燵が好きだったじゃない」そう云うと
「もうこどもじゃない」と半分笑いながら応えるのだった。
確かに茶の間は夫の部屋と化しているが
茶の間である限り家族の憩いの場所であるべきだと思う。
遠慮でも何でもない。ただ「嫌」と云う理由なのが納得出来ない。
そこまで隔てなければいけないのだろうか。
それほどまでに父親を避けたいのだろうか。
娘に問い詰めることも出来なかったが何とも哀しい現実であった。
これが同じひとつ屋根の下に暮らす「ふたつの家族」である。
※以下今朝の詩
温度
そっとふれてみる つめたいのかあたたかいのか
ひとにはそれぞれ温度があり 血が流れこころを持っている
いつもほがらかであかるいひと 独りぼっちが好きだけれど さびしがりやのひともいる
手をつなごうとするひと 手をぎゅっとにぎりしめるひと
声をかければほほえむひと 声をかければ耳をふさぐひと
見つけてほしくて目立つひと 窓を閉めて閉じこもるひと
それぞれの温度が生きている 誰の血もきっと温かいのに違いない
気温は16℃とそう高くはなかったが
風もなく穏やかな晴天となる。
朝の峠道を越え山里の民家が見え始めると
南天の紅い実がとても鮮やかに見える。
縁起物だけあって庭先に植えている家が多い。
山里にはかつて私達家族が住んでいた官舎があったのだが
今は取り壊され砂利を敷いた更地になっている。
ブロック塀は残っておりその傍らで犬を飼っていた。
父が狩猟を趣味にしていたため買い求めた洋犬であった。
しかし短命だったのか飼ったのは3年程である。
とても大きな犬で「ゆう」と云う名だったことを憶えている。
職場の直ぐ近くなので度々更地の前を通るのだが
当時にも確かにあった南天がたわわに実を付けている。
官舎は取り壊しても植木はそのまま残してくれたのだろう。
それが計らいだったのかは知る由もない。
今はもう母に訊くことも出来ないがきっと憶えていたのに違いない。
「赤い鳥小鳥なぜなぜ赤い。赤い実を食べた」母の歌声が聴こえるようだ。

朝のうちに車検を済ませ義父は歯医者さんへ行った。
同僚は次の車検整備に取り掛かっており工場は活気に溢れている。
来客もあり私もあれこれと対応に追われる。
支払いに来てくれたお客さんは神様のように思えた。
明日は自賠責保険と重量税の精算があり全てが立替である。
資金繰りは思うように行かず頭を悩ませていたところだった。
午後から運転免許証を受け取りに市内の警察署へ赴く。
「優良講習」なので30分程で終ったが
もう職場へは戻らずそのまま休ませて貰った。
更新された免許証の写真を見て我ながらぞっとする。
何と醜いことだろう。とても遺影には出来そうにない。
今までは古い免許証も持っていられたのだが
今回は回収され手元には戻って来なかった。
気に入っていた写真だけに残念でならない。
カーブスへ行くつもりだったがまだ時間がたっぷりとあり
買い物を済ませ一度帰宅してから市内へ向かう。
カーブスは昨日臨時休業だったそうで大勢のメンバーだった。
もちろん知らない顔の人ばかり。それも新鮮に思える。
やはり平日に身体を動かすと元気溌溂となるようだ。
また木曜日か金曜日に来ようと思う。
土曜日に仕事を休むのはもう止めた方が良さそうだ。
帰宅して茶の間で情報番組を見ていたが
昨夜の青森の地震はどんなにか怖ろしかったことだろう。
幸い大きな被害はなかったようだが「被災」には違いない。
深夜のことで眠れぬ夜を過ごした人も多いと思う。
その上に「北海道、三陸沖後発地震情報」が発表された。
また近いうちに大きな地震が襲って来るかもしれないのだ。
どんなにか不安で心細いことだろう。
明日は我が身と思いながらとても他人事ではなかった。
平穏無事は決して当たり前のことではない。
「おはよう」の笑顔も温かな食事もお風呂も
お布団に潜り込んで朝までぐっすりと眠ることも。
忽ちのうちに叶わなくなる日がきっと来るのだと思う。
命だけは何としても守らなければいけない。
何があっても生き抜くことを一番に考えようと思う。
※以下今朝の詩
おむすび
おむすびころりん どこまでもころりん
坂道を下っている つんのめりそうな道 足を踏ん張って歩く 一歩一歩ゆっくりと
いっそ転んでしまえば 早く着くだろうと思う 待っている人が居るなら 尚更急がねばならない
冬枯れた景色をあおぐ それは灰色に見えるが 空に包まれているよう
おむすびころりん どこまでもころりん
どれ程の距離だろうか 遠ければ遠いほどに 希望の陽射しが降り注ぐ
今日もたっぷりの陽射し。気温も20℃近くなり暖かな一日となる。
国道沿いの皇帝ダリヤはまだ咲いてくれていて
大型車が通ると大きく揺れて折れてしまいそうだった。
おそらく排気ガスもまともに浴びていることだろう。
しかし大型車が通り過ぎると何事もなかったかのように
すくっと顔を上げ朝陽を浴びている姿にほっとする。
何と健気な花だろう。枯れてしまう姿が想像出来ない。
もしかしたら年を越すのではないだろうか。
何だかそれも奇跡のように思える。

同僚が眼科に通院のため午前中は独りきりで過ごす。
義父も勇ましく田んぼに出掛け会話をする暇もなかった。
来客は多く早くも来年の車検を予約してくれる。
予約制を心得てくれているお客さんはとても助かるものだ。
しばらく世間話をし「不景気」の話に花が咲く。
商売はどこも同じで苦しいのは我が社だけではなさそうだ。
慰め合ったり励まし合ったり心が通うのも嬉しいものである。
車検の入庫もあり訳を話し代車で帰って貰った。
不具合がなければ明日は済みそうだが
20年も経過している古い軽トラックなのでどうなることだろう。
古ければ古いほど重量税が高いので気の毒でならない。
お昼には義父が帰って来たが来客があり昼食は後回しとなる。
明日は村長選の告示があり選挙がらみの話であった。
小さな山里が真っ二つに分かれる。何だか喧嘩腰である。
出陣式には私も顔を出して欲しいと頼まれたが
了解したものの行くつもりはなかった。
村民ではないので一票にもならない。ただの「サクラ」である。
数年前に義父が村長選に出馬したことがあったが
僅差で敗れてしまい何と憐れだったことだろう。
それでも義父は諦めず二度も出馬したのだった。
もう選挙は嫌だと思った。どれ程の人徳も叶わないことが多い。
明日からは選挙カーが村中を走り回ることだろう。
義父はあくまでも中立の立場を貫こうとしている。
午後には同僚も来てくれて工場も活気を取り戻す。
順調なのを確かめて定時で帰路に就いた。
サニーマートで海老が半額になっていたので迷わず買う。
帰宅して茶の間で横になっていたらあやちゃんがやって来て
「おばあちゃん今夜は何?」と訊いてくれて嬉しかった。
海老フライはこの前も作ったので海老天にしようかと告げると
また海老フライが食べたいのだそうだ。
「お母さんに作って貰おうかね」と云うと嬉しそうに「やったあ」の声。
一日中部屋に閉じ籠っているあやちゃんにとって
食べることが一番の楽しみなのであろう。
そう思うと昨夜の「鶏そぼろ」も娘の愛情だと分かる。
私も誰よりも一番にあやちゃんの好物を買って来ようと思う。
そうして少しでもあやちゃんを笑顔にしてやりたかった。
夕食後は一番星を探したが雲に覆われているようだった。
暗闇は不安で心細くなるが星のない空など在り得ない。
地球も星なのだ。月も星なのだと思う。
見えないことに拘ってはいけない。
たとえば母の魂も確かに存在しているのである。
ただ見えないだけでどうして消えたと云えるだろうか。
魂の声が聴こえる。「大丈夫よ」と母の声が聴こえる。
※以下今朝の詩
杖
ぬきあしさしあししのびあし 決して音を立ててはいけない
杖にクッションを付けた 靴下みたいにかわいいの
スリッパも履いてはならない 足を引き摺る時音がするから
そっと静かに階段をのぼる 息をころして一歩いっぽと
やっと椅子に座るとほっとする そうして詩のようなものを書く
杖がなければ歩けない 杖だけがたよりなのだ
それは私の一部であろう 腕になり足になり生きる
時にはこころをささえて 励ましてくれるのだった
書いた書けた 詩のようなものがここに居る
二十四節気の「大雪」本格的に雪が降り出す頃であるが
日中は陽射しに恵まれ穏やかな小春日和となった。
しばらくは暖かい日が続きそうだがまた寒波が襲って来るだろう。
「今のうちに」と思う。こころの日向ぼっこである。
玄関先に娘が植えてくれたのか名も知らぬ花が咲いていた。
白と薄紅色でとても小さな花である。
多肉植物には詳しくないが、冬を越す種類もあるようだ。
娘は冬囲いをするでもなくそのままに置いてある。
今日は行けなかったが年末までに葉牡丹を買って来よう。
そうすれば玄関先の彩となり晴れ晴れと新年を迎えられそうだ。

今日は久しぶりに「一風」に行こうかと話していたが
地区の中割金を納めなければならずお財布が寂しくなる。
「節約せんといかんぞ」夫の一言で外食は却下となった。
北風がおさまっていても貧乏風の何と冷たいことだろう。
お昼にはまたお好み焼きを作って食べる。
それだと二人分で5百円も掛からない。
夫はビールを飲んでいたが贅沢とは云えないのだろう。
何の楽しみもない夫にとって唯一の楽しみであった。
お腹が一杯になり午後は例の如くでお昼寝だった。
通電はしていないが炬燵布団の何と有難いことだろう。
夢も見ずにぐっすりと眠る。
3時前に目覚めよっこらしょと「おでん」の支度を始めた。
この二日まともな夕食を作っていなかったので
今夜こそはと思う。夫も楽しみにしているようだ。
弱火でことことと煮る。2階にまでおでんの匂いが漂う。
5時が近くなり買い忘れた物があるのを思い出し
近くのセイムスまで行く。おでんの火はそのままであった。
買い忘れていた柔軟剤を抱え店内をよろよろと歩いていたら
目移りがするくらい色んなものがとても安いのだ。
最近はアマゾンで買うことが多く目から鱗であった。
アマゾンはとても便利だが程々にしなければと思う。
レジに向かうと何とポイントが20倍で夢に餅である。
帰宅するとおでんはよく染み食べ頃になっていた。
夫の入浴が済むと直ぐに食べ始める。
娘が何となくつんつんとしていて気になった。
「おでん」は孫達が食べないからと「鶏そぼろ」を作り始める。
おでんにはあやちゃんの好きな鶏の手羽元も入れてあった。
「まあいいか」いちいち気にしていたら身が持たない。
好きなようにすればいい。家族のようで家族ではないのだと思う。
ゆっくりと休めた日曜日であったが
明日からの仕事のことを思うと身が引き締まるようである。
連日車検の予約が入っているので忙しくなるだろう。
しかし忙しいばかりで資金繰りはとても厳しかった。
何としても年末を乗り越えなければならない。
ずっと順調だったのが今年ほど苦しかった年はなかった。
苦もあれば楽もある。毎日が小春日和だとは限らない。
雨が雪に変わる日もきっとあるだろう。
けれども終わらない冬はない。そう思って耐え忍んで行きたい。
いったい私はいつまで試されるのだろうか。
もしかしたら生きている限り続くのかもしれない。
※以下今朝の詩
屑
ぐしゃぐしゃにして まるめたの びりびりとちぎって かけらにしたの
そうしてごみにすれば さっぱりときもちいい
憂鬱には種がある 鬱憤には根がある
だから育ててはいけない 水遣りもしてはならない
かと云って無視出来ないから 運命みたいに囚われてしまう
いっそ火をつけて 燃やしてしまおうか
むしゃくしゃが灰になる もう思い煩うことはない
今朝は氷点下にこそならなかったが今季一番の冷え込みとなる。
放射冷却だろうか日中はずいぶんと暖かくなった。
山里は一面の霜でまるで粉雪が降ったようだ。
気温も平野部より低く冷たい朝であった。
今朝は猫係のお客さんの姿が見えず
私がみい太に餌を与えたのだが
離れた処から見ていた子猫がゆっくりと近づいて来た。
同僚が居ればまた蹴り飛ばしたかもしれないが
今日は通院のため午前中は休みを取っていた。
子猫はみい太に頭をぶつけながら餌を食べようとする。
そんな姿を見てどうして心を鬼に出来ようか。
「今日は特別」と自分に云い聞かせ子猫が食べ終わるのを見ていた。
義父に知れたらまた怒鳴られてしまうだろう。
しかし情けをかけずにはいられなかったのだ。
里親の話はボツになった。「もういらない」と云われたそうだ。
どうやら家出をしていた飼い猫が戻って来たらしい。
何とひと月近くも行方を暗ましていたそうで諦めるのも無理はない。
けれども2匹は飼えない。子猫はまた野良猫になってしまった。
義父さえ許してくれればと思うが断固として聞く耳を持たない。
いつまでも可愛い子猫ではいられないのは私も重々に承知している。
憐れでならないがこのままそっと見守るしかないのだろう。

朝のうちに車検を3台完了させ義父は逃げるように田んぼに行く。
新たな車検も入庫していたが同僚が来てくれるまで手を付けられない。
今日は整形外科で月曜日には眼科なのだそうだ。
金曜日には大腸検査で一日中の休みとなっている。
仕事も大事だが身体のことを一番に優先しなければならない。
同僚に休まれると開店休業となるが仕方ないことであった。
今日も定時で終われたが娘達が今夜も夕食不要とのこと。
サニーマートへは寄らずに朝の山道を帰った。
料理をする気力はゼロで近所のローソンで適当に買う。
娘達はダンス教室があり5時半には出掛けて行った。
夕食後自室で一服していたら中高時代の友人からメールが届く。
誕生日を祝ってくれたがそれが鬱陶しくてならなかった。
来春には中学の同窓会もあるようだが
私はもう出席しないことを決めている。
友人は「久しぶりに会いたい」と記していたが
私はもう会いたくもなかった。
そう返信するわけにも行かず既読のままそのままにしておく。
私の詩を読んだこともないくせに詩のことにも触れていた。
何と無神経な奴だろうと思う。そんな奴はもう友達とは思えない。
私らしくもないかもしれないがむしゃくしゃしてならなかった。
同窓会が近くなればまたあれこれと云ってくるだろう。
電話には一切出ない。メールの返信もするつもりはなかった。
とにかく私に触れないで欲しい。そっとしておいてくれまいか。
苛立ちを引き摺ったまま書いてしまったが
むしゃくしゃとした気持ちはゆっくりと薄れている。
仕事の疲れも感じず程よい達成感があった。
明日はゆっくりと休んでまた来週から頑張ろうと思う。
母の遺影に手を合わせ「おつかれさま」と声を掛けた。
※以下今朝の詩
冬の朝
しんしんとないている空 さむかろうつめたかろう
風は風邪をひいたらしく こんこんと咳をしている お薬を届けてあげようか
あったかいスープを作ろう ミルクをたっぷりと入れて
夜が明けたらおひさまに おはようって云うんだよ
きらきらの朝陽を浴びて すくっと胸を張るんだよ
どんな一日が待っているのだろう
空と風とおひさまの一日が始まる
晴れたり曇ったり。気温は12℃で昨日よりも少し暖かい。
最強寒波は和らいだようでまた小春日和もあるだろう。
テレビからは雪のニュースが流れすっかり真冬であった。
粉雪ではなく重く湿った雪なのだそうだ。
「雪はね」の苦労は並大抵ではないだろう。
そうして積もった雪は根雪になって行くのだそうだ。
義父は高知市へ出掛け「鬼の居ない日」であったが
工場は怒涛の忙しさで気を抜くことも出来ない。
車検整備だけで手が一杯なのに予約なしのタイヤ交換もあった。
仕方なく延期させてもらったが機嫌を損ねたようで申し訳ない。
田舎ならではで「予約制」には慣れていないのだろう。
来週の火曜日に予約を入れたが機嫌良く来てくれるだろうか。
宿毛市で走行不能になったお客さんも居たのだが
義父が留守なので段取りが付かない。
同僚に運搬して貰うことを考えたがそれでは車検整備が止まってしまう。
お客さんの息子さんに連絡してロードサービスを利用することにした。
お昼前に義父から電話があったのでそのことを伝えたら
「運搬が儲けぞ」と怒鳴り散らすのであった。
その為に新しい運搬車を買ったのだが運転手の義父が不在である。
どうしようも出来なかったのだ。どうして怒鳴るのかと思った。
長距離運転で疲れていたのかもしれないが怒鳴っても仕方ないことだ。
定時で仕事を終えられたので気分転換を兼ねてカーブスへ行く。
身体を動かすと心も動く。もやもやした気分がすっきりとした。
明日は仕事で来られないのでまた来週の火曜日に来ようと思う。
帰宅したら洗濯物の山が待っていた。
娘夫婦はまた窪川の病院へ行ったらしく帰宅が遅くなるとのこと。
どうやら定期的に通院しなければいけないようだが
詳細は全く話してくれず心配ばかりが募る一方である。
娘婿はあれ程好きだった魚釣りも素潜り漁も止めてしまったようだ。
休日は寝ていることが多く体調が思わしくないのだろう。
仕事には何とか行っているが今日は休みを取っていたようだ。
「内緒と秘密」である。どうして娘は話してくれないのだろう。
夕食不要とのことで夫と出来合いの物で簡単に済ます。
6時になっても娘達は食事もせずにいて気になってならない。
あれこれと詮索してはならないと思うが老婆心が疼くのであった。
台所は一つしかないがもはや二世帯住宅となっている。
私と夫はすっかり居候となりひっそりと暮らすしかなかった。
「何も訊くな、干渉するな」それが夫の口癖となる。
気が付けば「ばけばけ」の主題歌を口ずさんでいるこの頃だった。
「毎日難儀なことばかり」それも生きている証ではあろう。
毎日嬉しくて毎日笑顔で居られたらどんなに良いだろうかと思う。
今日は大分の友からメールが届いていて
昨日の朝の高知放送のラジオを聴いてくれたのだそうだ。
ラジコのタイムフリーだと全国のラジオが聴けるのだそうだ。
タイムフリーなので昨日の放送も聴くことが出来る。
そうしてわざわざ聴いてくれたのがとても嬉しかった。
嬉しいこともあればへこむこともある。
それが人生でなくて何だろうと思う。
決して明るく朗らかな私ではないが笑顔の日もきっとあるだろう。
無理に微笑むことはしない。かと云って泣きべそはかかない。
ありのままの自分をぎゅっと抱きしめたい時がある。
※以下今朝の詩
スイッチ
あったかくなるすいっち いまいれるねまっていて
裸ん坊の樹にだって 降り注ぐ陽射しがある
冬に蒔く種はないけれど そっと眠らせてあげよう
寂しい時は胸に手を当て 大好きなひとを想うんだ
叶えたいことがあるなら 手のひらを合わせてみる
どれほど伝えたいことか 神様はきっと知っている
北風の背に毛布を掛ける そうすればきっと 小春日和になるだろう
ほっこりとあったかい ぬくぬくのひだまりで ねこのようにねむるんだ
小春日和でないのなら「冬晴れ」なのだろう。
青空であったが気温は10℃に届かず冬の寒さであった。
国道沿いの皇帝ダリアは10輪ほど咲いておりほっこりと見える。
この先雪のチラつく日もあるだろう。逞しく咲いて欲しいものだ。
峠道を越えたところだった。ラジオからメッセージが流れる。
昨夜送信していたのだが誕生日のメッセージであった。
ラジオネームは「四万十川のみかりん」である。
アナウンサーの二人が「おめでとう」を連呼してくれて
とても嬉しくうきうきしながら職場に向かう。
これまでずっと封印していたのだ。私にとっては特別な日で
誰かから祝ってもらおうなどと考えたこともなかった。
そんな私が「誕生日です」と自分からよく云ったものだと思う。
60代最後の歳である。お祝いの言葉がとても心に沁みた。

仕事は車検の予約があったが待てども待てどもお客さんが来ない。
同僚は待ちくたびれてスマホで遊んでしまう有り様である。
お昼前にやっと来てくれて午後は順調に忙しくなった。
義父は明日また高知市で会議があるため焦っており
今日はどうしても田んぼに行きたいと子供のように云う。
一般修理は完了していたので機嫌よく田んぼへ送り出す。
何と嬉しそうなことだろう。まるで子供の遠足のようである。
明日も明後日も車検の予約が入っているので
私もカーブスどころではなく土曜日に出勤することにした。
忙しいのは本当に有難いことで嬉しい悲鳴を上げるばかりである。
定時で退社しサニーマートで「サイコロステーキ」を買って帰る。
娘達がご馳走を楽しみにしているかもしれないと思ったのだ。
一緒に食卓を囲むことはないが家族の誕生日には恒例のことである。
めいちゃんが学校から帰って来て娘と何処かに出掛けて行った。
まさか私の誕生日を覚えているとは夢にも思っていなかったが
帰宅しためいちゃんが「ポインセチア」の鉢を抱えている。
「おばあちゃんお誕生日おめでとう」と感激の一瞬であった。
覚えていてくれただけで嬉しい。それなのにプレゼントまで。
何と思いがけなかったことだろう。嬉し涙が出そうだった。
今朝は母の遺影に手を合わせ「何処にも行かんといてね」と声を掛けた。
あの日からもう56年の際月が流れてしまったのだ。
どれほど忘れようとしたことだろう。
けれども誕生日が来る度に思い出す悲しい記憶であった。
母が生んでくれたかけがえのない「いのち」である。
波乱万丈な人生であったがそれもきっと「運命」だと思う。
母は亡くなってから母になりずっと私を守ってくれている。
そんな母をどうして今更恨めようか。
心から赦すためにこの先の人生があるのだと思う。
お母さん生んでくれてありがとう。私はしっかりと生きています。
※以下今朝の詩
ひよこ
うまれたとき あかいひよこだった
確かに母がいたようだ 直ぐに抱かれただろう
ぴよぴよとないた よちよちとあるいた
おとなになんか なりたくはなかった
かなしいことがいっぱい つらいことがいっぱい
母は私を捨てる時 涙を浮かべていただろうか ごめんねの一言が聞きたい
あかいはねがあったけれど そらをとぶことができない
もうぴよぴよとなけなくなった ははをうらんではいけないとおもう
うんでくれてありがとう 母の魂に手を合わす朝のこと
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