ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年12月09日(火) 南天の紅い実

気温は16℃とそう高くはなかったが

風もなく穏やかな晴天となる。

朝の峠道を越え山里の民家が見え始めると

南天の紅い実がとても鮮やかに見える。

縁起物だけあって庭先に植えている家が多い。


山里にはかつて私達家族が住んでいた官舎があったのだが

今は取り壊され砂利を敷いた更地になっている。

ブロック塀は残っておりその傍らで犬を飼っていた。

父が狩猟を趣味にしていたため買い求めた洋犬であった。

しかし短命だったのか飼ったのは3年程である。

とても大きな犬で「ゆう」と云う名だったことを憶えている。


職場の直ぐ近くなので度々更地の前を通るのだが

当時にも確かにあった南天がたわわに実を付けている。

官舎は取り壊しても植木はそのまま残してくれたのだろう。

それが計らいだったのかは知る由もない。

今はもう母に訊くことも出来ないがきっと憶えていたのに違いない。

「赤い鳥小鳥なぜなぜ赤い。赤い実を食べた」母の歌声が聴こえるようだ。



朝のうちに車検を済ませ義父は歯医者さんへ行った。

同僚は次の車検整備に取り掛かっており工場は活気に溢れている。

来客もあり私もあれこれと対応に追われる。

支払いに来てくれたお客さんは神様のように思えた。

明日は自賠責保険と重量税の精算があり全てが立替である。

資金繰りは思うように行かず頭を悩ませていたところだった。


午後から運転免許証を受け取りに市内の警察署へ赴く。

「優良講習」なので30分程で終ったが

もう職場へは戻らずそのまま休ませて貰った。

更新された免許証の写真を見て我ながらぞっとする。

何と醜いことだろう。とても遺影には出来そうにない。

今までは古い免許証も持っていられたのだが

今回は回収され手元には戻って来なかった。

気に入っていた写真だけに残念でならない。


カーブスへ行くつもりだったがまだ時間がたっぷりとあり

買い物を済ませ一度帰宅してから市内へ向かう。

カーブスは昨日臨時休業だったそうで大勢のメンバーだった。

もちろん知らない顔の人ばかり。それも新鮮に思える。

やはり平日に身体を動かすと元気溌溂となるようだ。

また木曜日か金曜日に来ようと思う。

土曜日に仕事を休むのはもう止めた方が良さそうだ。


帰宅して茶の間で情報番組を見ていたが

昨夜の青森の地震はどんなにか怖ろしかったことだろう。

幸い大きな被害はなかったようだが「被災」には違いない。

深夜のことで眠れぬ夜を過ごした人も多いと思う。

その上に「北海道、三陸沖後発地震情報」が発表された。

また近いうちに大きな地震が襲って来るかもしれないのだ。

どんなにか不安で心細いことだろう。

明日は我が身と思いながらとても他人事ではなかった。


平穏無事は決して当たり前のことではない。

「おはよう」の笑顔も温かな食事もお風呂も

お布団に潜り込んで朝までぐっすりと眠ることも。

忽ちのうちに叶わなくなる日がきっと来るのだと思う。

命だけは何としても守らなければいけない。

何があっても生き抜くことを一番に考えようと思う。


※以下今朝の詩


  おむすび

おむすびころりん
どこまでもころりん

坂道を下っている
つんのめりそうな道
足を踏ん張って歩く
一歩一歩ゆっくりと

いっそ転んでしまえば
早く着くだろうと思う
待っている人が居るなら
尚更急がねばならない

冬枯れた景色をあおぐ
それは灰色に見えるが
空に包まれているよう

おむすびころりん
どこまでもころりん

どれ程の距離だろうか
遠ければ遠いほどに
希望の陽射しが降り注ぐ




2025年12月08日(月) 魂の声

今日もたっぷりの陽射し。気温も20℃近くなり暖かな一日となる。

国道沿いの皇帝ダリヤはまだ咲いてくれていて

大型車が通ると大きく揺れて折れてしまいそうだった。

おそらく排気ガスもまともに浴びていることだろう。

しかし大型車が通り過ぎると何事もなかったかのように

すくっと顔を上げ朝陽を浴びている姿にほっとする。

何と健気な花だろう。枯れてしまう姿が想像出来ない。

もしかしたら年を越すのではないだろうか。

何だかそれも奇跡のように思える。



同僚が眼科に通院のため午前中は独りきりで過ごす。

義父も勇ましく田んぼに出掛け会話をする暇もなかった。

来客は多く早くも来年の車検を予約してくれる。

予約制を心得てくれているお客さんはとても助かるものだ。

しばらく世間話をし「不景気」の話に花が咲く。

商売はどこも同じで苦しいのは我が社だけではなさそうだ。

慰め合ったり励まし合ったり心が通うのも嬉しいものである。


車検の入庫もあり訳を話し代車で帰って貰った。

不具合がなければ明日は済みそうだが

20年も経過している古い軽トラックなのでどうなることだろう。

古ければ古いほど重量税が高いので気の毒でならない。


お昼には義父が帰って来たが来客があり昼食は後回しとなる。

明日は村長選の告示があり選挙がらみの話であった。

小さな山里が真っ二つに分かれる。何だか喧嘩腰である。

出陣式には私も顔を出して欲しいと頼まれたが

了解したものの行くつもりはなかった。

村民ではないので一票にもならない。ただの「サクラ」である。

数年前に義父が村長選に出馬したことがあったが

僅差で敗れてしまい何と憐れだったことだろう。

それでも義父は諦めず二度も出馬したのだった。

もう選挙は嫌だと思った。どれ程の人徳も叶わないことが多い。

明日からは選挙カーが村中を走り回ることだろう。

義父はあくまでも中立の立場を貫こうとしている。


午後には同僚も来てくれて工場も活気を取り戻す。

順調なのを確かめて定時で帰路に就いた。

サニーマートで海老が半額になっていたので迷わず買う。

帰宅して茶の間で横になっていたらあやちゃんがやって来て

「おばあちゃん今夜は何?」と訊いてくれて嬉しかった。

海老フライはこの前も作ったので海老天にしようかと告げると

また海老フライが食べたいのだそうだ。

「お母さんに作って貰おうかね」と云うと嬉しそうに「やったあ」の声。

一日中部屋に閉じ籠っているあやちゃんにとって

食べることが一番の楽しみなのであろう。

そう思うと昨夜の「鶏そぼろ」も娘の愛情だと分かる。

私も誰よりも一番にあやちゃんの好物を買って来ようと思う。

そうして少しでもあやちゃんを笑顔にしてやりたかった。


夕食後は一番星を探したが雲に覆われているようだった。

暗闇は不安で心細くなるが星のない空など在り得ない。

地球も星なのだ。月も星なのだと思う。

見えないことに拘ってはいけない。

たとえば母の魂も確かに存在しているのである。

ただ見えないだけでどうして消えたと云えるだろうか。

魂の声が聴こえる。「大丈夫よ」と母の声が聴こえる。


※以下今朝の詩

 
     杖

ぬきあしさしあししのびあし
決して音を立ててはいけない

杖にクッションを付けた
靴下みたいにかわいいの

スリッパも履いてはならない
足を引き摺る時音がするから

そっと静かに階段をのぼる
息をころして一歩いっぽと

やっと椅子に座るとほっとする
そうして詩のようなものを書く

杖がなければ歩けない
杖だけがたよりなのだ

それは私の一部であろう
腕になり足になり生きる

時にはこころをささえて
励ましてくれるのだった

書いた書けた
詩のようなものがここに居る






2025年12月07日(日) 苦もあれば楽もある

二十四節気の「大雪」本格的に雪が降り出す頃であるが

日中は陽射しに恵まれ穏やかな小春日和となった。

しばらくは暖かい日が続きそうだがまた寒波が襲って来るだろう。

「今のうちに」と思う。こころの日向ぼっこである。


玄関先に娘が植えてくれたのか名も知らぬ花が咲いていた。

白と薄紅色でとても小さな花である。

多肉植物には詳しくないが、冬を越す種類もあるようだ。

娘は冬囲いをするでもなくそのままに置いてある。

今日は行けなかったが年末までに葉牡丹を買って来よう。

そうすれば玄関先の彩となり晴れ晴れと新年を迎えられそうだ。



今日は久しぶりに「一風」に行こうかと話していたが

地区の中割金を納めなければならずお財布が寂しくなる。

「節約せんといかんぞ」夫の一言で外食は却下となった。

北風がおさまっていても貧乏風の何と冷たいことだろう。


お昼にはまたお好み焼きを作って食べる。

それだと二人分で5百円も掛からない。

夫はビールを飲んでいたが贅沢とは云えないのだろう。

何の楽しみもない夫にとって唯一の楽しみであった。


お腹が一杯になり午後は例の如くでお昼寝だった。

通電はしていないが炬燵布団の何と有難いことだろう。

夢も見ずにぐっすりと眠る。

3時前に目覚めよっこらしょと「おでん」の支度を始めた。

この二日まともな夕食を作っていなかったので

今夜こそはと思う。夫も楽しみにしているようだ。

弱火でことことと煮る。2階にまでおでんの匂いが漂う。


5時が近くなり買い忘れた物があるのを思い出し

近くのセイムスまで行く。おでんの火はそのままであった。

買い忘れていた柔軟剤を抱え店内をよろよろと歩いていたら

目移りがするくらい色んなものがとても安いのだ。

最近はアマゾンで買うことが多く目から鱗であった。

アマゾンはとても便利だが程々にしなければと思う。

レジに向かうと何とポイントが20倍で夢に餅である。


帰宅するとおでんはよく染み食べ頃になっていた。

夫の入浴が済むと直ぐに食べ始める。

娘が何となくつんつんとしていて気になった。

「おでん」は孫達が食べないからと「鶏そぼろ」を作り始める。

おでんにはあやちゃんの好きな鶏の手羽元も入れてあった。


「まあいいか」いちいち気にしていたら身が持たない。

好きなようにすればいい。家族のようで家族ではないのだと思う。


ゆっくりと休めた日曜日であったが

明日からの仕事のことを思うと身が引き締まるようである。

連日車検の予約が入っているので忙しくなるだろう。

しかし忙しいばかりで資金繰りはとても厳しかった。

何としても年末を乗り越えなければならない。

ずっと順調だったのが今年ほど苦しかった年はなかった。


苦もあれば楽もある。毎日が小春日和だとは限らない。

雨が雪に変わる日もきっとあるだろう。

けれども終わらない冬はない。そう思って耐え忍んで行きたい。

いったい私はいつまで試されるのだろうか。

もしかしたら生きている限り続くのかもしれない。


※以下今朝の詩


   屑

ぐしゃぐしゃにして
まるめたの
びりびりとちぎって
かけらにしたの

そうしてごみにすれば
さっぱりときもちいい

憂鬱には種がある
鬱憤には根がある

だから育ててはいけない
水遣りもしてはならない

かと云って無視出来ないから
運命みたいに囚われてしまう

いっそ火をつけて
燃やしてしまおうか

むしゃくしゃが灰になる
もう思い煩うことはない





2025年12月06日(土) むしゃくしゃ

今朝は氷点下にこそならなかったが今季一番の冷え込みとなる。

放射冷却だろうか日中はずいぶんと暖かくなった。

山里は一面の霜でまるで粉雪が降ったようだ。

気温も平野部より低く冷たい朝であった。


今朝は猫係のお客さんの姿が見えず

私がみい太に餌を与えたのだが

離れた処から見ていた子猫がゆっくりと近づいて来た。

同僚が居ればまた蹴り飛ばしたかもしれないが

今日は通院のため午前中は休みを取っていた。

子猫はみい太に頭をぶつけながら餌を食べようとする。

そんな姿を見てどうして心を鬼に出来ようか。

「今日は特別」と自分に云い聞かせ子猫が食べ終わるのを見ていた。

義父に知れたらまた怒鳴られてしまうだろう。

しかし情けをかけずにはいられなかったのだ。


里親の話はボツになった。「もういらない」と云われたそうだ。

どうやら家出をしていた飼い猫が戻って来たらしい。

何とひと月近くも行方を暗ましていたそうで諦めるのも無理はない。

けれども2匹は飼えない。子猫はまた野良猫になってしまった。

義父さえ許してくれればと思うが断固として聞く耳を持たない。

いつまでも可愛い子猫ではいられないのは私も重々に承知している。

憐れでならないがこのままそっと見守るしかないのだろう。



朝のうちに車検を3台完了させ義父は逃げるように田んぼに行く。

新たな車検も入庫していたが同僚が来てくれるまで手を付けられない。

今日は整形外科で月曜日には眼科なのだそうだ。

金曜日には大腸検査で一日中の休みとなっている。

仕事も大事だが身体のことを一番に優先しなければならない。

同僚に休まれると開店休業となるが仕方ないことであった。


今日も定時で終われたが娘達が今夜も夕食不要とのこと。

サニーマートへは寄らずに朝の山道を帰った。

料理をする気力はゼロで近所のローソンで適当に買う。

娘達はダンス教室があり5時半には出掛けて行った。


夕食後自室で一服していたら中高時代の友人からメールが届く。

誕生日を祝ってくれたがそれが鬱陶しくてならなかった。

来春には中学の同窓会もあるようだが

私はもう出席しないことを決めている。

友人は「久しぶりに会いたい」と記していたが

私はもう会いたくもなかった。

そう返信するわけにも行かず既読のままそのままにしておく。

私の詩を読んだこともないくせに詩のことにも触れていた。

何と無神経な奴だろうと思う。そんな奴はもう友達とは思えない。

私らしくもないかもしれないがむしゃくしゃしてならなかった。

同窓会が近くなればまたあれこれと云ってくるだろう。

電話には一切出ない。メールの返信もするつもりはなかった。

とにかく私に触れないで欲しい。そっとしておいてくれまいか。


苛立ちを引き摺ったまま書いてしまったが

むしゃくしゃとした気持ちはゆっくりと薄れている。

仕事の疲れも感じず程よい達成感があった。

明日はゆっくりと休んでまた来週から頑張ろうと思う。

母の遺影に手を合わせ「おつかれさま」と声を掛けた。


※以下今朝の詩


    冬の朝

しんしんとないている空
さむかろうつめたかろう

風は風邪をひいたらしく
こんこんと咳をしている
お薬を届けてあげようか

あったかいスープを作ろう
ミルクをたっぷりと入れて

夜が明けたらおひさまに
おはようって云うんだよ

きらきらの朝陽を浴びて
すくっと胸を張るんだよ

どんな一日が待っているのだろう

空と風とおひさまの一日が始まる



2025年12月05日(金) ありのままの自分

晴れたり曇ったり。気温は12℃で昨日よりも少し暖かい。

最強寒波は和らいだようでまた小春日和もあるだろう。

テレビからは雪のニュースが流れすっかり真冬であった。

粉雪ではなく重く湿った雪なのだそうだ。

「雪はね」の苦労は並大抵ではないだろう。

そうして積もった雪は根雪になって行くのだそうだ。


義父は高知市へ出掛け「鬼の居ない日」であったが

工場は怒涛の忙しさで気を抜くことも出来ない。

車検整備だけで手が一杯なのに予約なしのタイヤ交換もあった。

仕方なく延期させてもらったが機嫌を損ねたようで申し訳ない。

田舎ならではで「予約制」には慣れていないのだろう。

来週の火曜日に予約を入れたが機嫌良く来てくれるだろうか。


宿毛市で走行不能になったお客さんも居たのだが

義父が留守なので段取りが付かない。

同僚に運搬して貰うことを考えたがそれでは車検整備が止まってしまう。

お客さんの息子さんに連絡してロードサービスを利用することにした。

お昼前に義父から電話があったのでそのことを伝えたら

「運搬が儲けぞ」と怒鳴り散らすのであった。

その為に新しい運搬車を買ったのだが運転手の義父が不在である。

どうしようも出来なかったのだ。どうして怒鳴るのかと思った。

長距離運転で疲れていたのかもしれないが怒鳴っても仕方ないことだ。


定時で仕事を終えられたので気分転換を兼ねてカーブスへ行く。

身体を動かすと心も動く。もやもやした気分がすっきりとした。

明日は仕事で来られないのでまた来週の火曜日に来ようと思う。


帰宅したら洗濯物の山が待っていた。

娘夫婦はまた窪川の病院へ行ったらしく帰宅が遅くなるとのこと。

どうやら定期的に通院しなければいけないようだが

詳細は全く話してくれず心配ばかりが募る一方である。

娘婿はあれ程好きだった魚釣りも素潜り漁も止めてしまったようだ。

休日は寝ていることが多く体調が思わしくないのだろう。

仕事には何とか行っているが今日は休みを取っていたようだ。

「内緒と秘密」である。どうして娘は話してくれないのだろう。


夕食不要とのことで夫と出来合いの物で簡単に済ます。

6時になっても娘達は食事もせずにいて気になってならない。

あれこれと詮索してはならないと思うが老婆心が疼くのであった。

台所は一つしかないがもはや二世帯住宅となっている。

私と夫はすっかり居候となりひっそりと暮らすしかなかった。

「何も訊くな、干渉するな」それが夫の口癖となる。


気が付けば「ばけばけ」の主題歌を口ずさんでいるこの頃だった。

「毎日難儀なことばかり」それも生きている証ではあろう。

毎日嬉しくて毎日笑顔で居られたらどんなに良いだろうかと思う。


今日は大分の友からメールが届いていて

昨日の朝の高知放送のラジオを聴いてくれたのだそうだ。

ラジコのタイムフリーだと全国のラジオが聴けるのだそうだ。

タイムフリーなので昨日の放送も聴くことが出来る。

そうしてわざわざ聴いてくれたのがとても嬉しかった。

嬉しいこともあればへこむこともある。

それが人生でなくて何だろうと思う。


決して明るく朗らかな私ではないが笑顔の日もきっとあるだろう。

無理に微笑むことはしない。かと云って泣きべそはかかない。

ありのままの自分をぎゅっと抱きしめたい時がある。


※以下今朝の詩


   スイッチ

あったかくなるすいっち
いまいれるねまっていて

裸ん坊の樹にだって
降り注ぐ陽射しがある

冬に蒔く種はないけれど
そっと眠らせてあげよう

寂しい時は胸に手を当て
大好きなひとを想うんだ

叶えたいことがあるなら
手のひらを合わせてみる

どれほど伝えたいことか
神様はきっと知っている

北風の背に毛布を掛ける
そうすればきっと
小春日和になるだろう

ほっこりとあったかい
ぬくぬくのひだまりで
ねこのようにねむるんだ



2025年12月04日(木) 四万十川のみかりん

小春日和でないのなら「冬晴れ」なのだろう。

青空であったが気温は10℃に届かず冬の寒さであった。

国道沿いの皇帝ダリアは10輪ほど咲いておりほっこりと見える。

この先雪のチラつく日もあるだろう。逞しく咲いて欲しいものだ。


峠道を越えたところだった。ラジオからメッセージが流れる。

昨夜送信していたのだが誕生日のメッセージであった。

ラジオネームは「四万十川のみかりん」である。

アナウンサーの二人が「おめでとう」を連呼してくれて

とても嬉しくうきうきしながら職場に向かう。

これまでずっと封印していたのだ。私にとっては特別な日で

誰かから祝ってもらおうなどと考えたこともなかった。

そんな私が「誕生日です」と自分からよく云ったものだと思う。

60代最後の歳である。お祝いの言葉がとても心に沁みた。



仕事は車検の予約があったが待てども待てどもお客さんが来ない。

同僚は待ちくたびれてスマホで遊んでしまう有り様である。

お昼前にやっと来てくれて午後は順調に忙しくなった。

義父は明日また高知市で会議があるため焦っており

今日はどうしても田んぼに行きたいと子供のように云う。

一般修理は完了していたので機嫌よく田んぼへ送り出す。

何と嬉しそうなことだろう。まるで子供の遠足のようである。

明日も明後日も車検の予約が入っているので

私もカーブスどころではなく土曜日に出勤することにした。

忙しいのは本当に有難いことで嬉しい悲鳴を上げるばかりである。


定時で退社しサニーマートで「サイコロステーキ」を買って帰る。

娘達がご馳走を楽しみにしているかもしれないと思ったのだ。

一緒に食卓を囲むことはないが家族の誕生日には恒例のことである。

めいちゃんが学校から帰って来て娘と何処かに出掛けて行った。

まさか私の誕生日を覚えているとは夢にも思っていなかったが

帰宅しためいちゃんが「ポインセチア」の鉢を抱えている。

「おばあちゃんお誕生日おめでとう」と感激の一瞬であった。

覚えていてくれただけで嬉しい。それなのにプレゼントまで。

何と思いがけなかったことだろう。嬉し涙が出そうだった。


今朝は母の遺影に手を合わせ「何処にも行かんといてね」と声を掛けた。

あの日からもう56年の際月が流れてしまったのだ。

どれほど忘れようとしたことだろう。

けれども誕生日が来る度に思い出す悲しい記憶であった。

母が生んでくれたかけがえのない「いのち」である。

波乱万丈な人生であったがそれもきっと「運命」だと思う。

母は亡くなってから母になりずっと私を守ってくれている。

そんな母をどうして今更恨めようか。

心から赦すためにこの先の人生があるのだと思う。


お母さん生んでくれてありがとう。私はしっかりと生きています。


※以下今朝の詩


    ひよこ

うまれたとき
あかいひよこだった

確かに母がいたようだ
直ぐに抱かれただろう

ぴよぴよとないた
よちよちとあるいた

おとなになんか
なりたくはなかった

かなしいことがいっぱい
つらいことがいっぱい

母は私を捨てる時
涙を浮かべていただろうか
ごめんねの一言が聞きたい

あかいはねがあったけれど
そらをとぶことができない

もうぴよぴよとなけなくなった
ははをうらんではいけないとおもう

うんでくれてありがとう
母の魂に手を合わす朝のこと



2025年12月03日(水) 木枯らしと裸樹

ひゅるひゅると風が唸り声を上げ真冬並みの寒さとなる。

朝の冷え込みはなかったが日中の方が気温が低くなった。

暖かく着込んでいたが急な寒さが身に沁みるばかり。

最強寒波だけあって明日の朝はかなり冷え込みそうである。


今日の強い北風に煽られ銀杏の葉がすっかり散ってしまった。

今朝はまだ黄金色に輝いていたのだ。何と儚いことだろう。

地面にうず高く積もった亡骸を見ると切なくてならない。

それでもこの冬を乗り越えて行かねばならないのだ。

若葉の季節までひたすら耐えるその健気さが尊く思う。



仕事は車検と一般修理が入庫しており

今日も義父の腕の見せ所であった。

どんな不具合も確実に直すのである。

日本一高齢でしかも優秀な整備士だと思う。

私はそんな義父が誇らしくてならない。


事務仕事は一段落しており整形外科へと向かった。

リハビリ前には血圧を測る決まりになっているのだが

何と174もありあたふたと驚く。

U君の計らいで腹筋と腰上げ体操は取りやめとなる。

それだけ慎重に私の身体に向き合ってくれているのだろう。


4時半に帰宅。少しだけ炬燵に潜り込んでいた。

夕食の支度を始めると何となく身体がこわばって来る。

昨日もそうだったのだが入浴前の緊張ではあるまいか。

食後には抗不安薬を服用するのだが直ぐには効かない。

「何のこれしき負けるもんか」と思う。

脱衣所と浴室に暖房を点け準備万端にしておく。

「よっしこれで大丈夫」と入浴をするのだった。

血圧は154、さほど高くはなくほっと胸を撫で下ろす。

何とも臆病で大げさかもしれないが簡単に死ぬわけにはいかない。

寒い冬の間は毎晩こんな有り様であった。

とにかく少しでも不安を和らげねばならない。


今朝は急逝したお客さんの息子さんに会ったが

「少しも苦しまずにぽっくり死ねて良かった」と云っていた。

そんな一言で寂しさが癒されるはずはなかったが

故人にとっては幸せな最期だったのかもしれないと思う。


ようは「死」に拘らないことだ。

人は皆生まれた時からすでに定命が決まっているのだそうだ。

ただその定命が「いつ」なのか誰も知らずに生きている。

災害や事故に巻き込まれて命を落とす人。

闘病の末に養生敵わず命を落とす人。

自分で自らの命を絶つ人もいる。


どんな死に方をするのか私には分からない。

分からないから日々を精一杯に生きようとする。

裸樹にはきっと若葉の季節が巡ってくるが

人は死を持って全てが終りを告げるのだ。


「永遠」ならば魂だろう。何度でも生まれ変われるのだそうだ。

私の魂はいったい何度目の魂なのだろうか。


※以下今朝の詩


   折り紙

きちょうめんではない
だから歪んでしまう

正方形の折り紙を
さんかくにするとき
真っ直ぐにしようと
いきをととのえたが

隅っこがずれてしまう
また正方形に戻して
再度試みてみたのだが
どうしてもゆがむのだ

いつまでたっても
折り鶴が出来ない

折り紙はとうとう
ぐしゃぐしゃになって
どうしてくれるのだと
叫んでいるのだった

願いを込めて祈りつつ
ぶきようなじぶんがかなしい

真っ直ぐに貫くことは
なみたいていのことじゃない

新しい折り紙を用意する
こんどこそこんどこそとおもう





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