ひゅるひゅると風が唸り声を上げ真冬並みの寒さとなる。
朝の冷え込みはなかったが日中の方が気温が低くなった。
暖かく着込んでいたが急な寒さが身に沁みるばかり。
最強寒波だけあって明日の朝はかなり冷え込みそうである。
今日の強い北風に煽られ銀杏の葉がすっかり散ってしまった。
今朝はまだ黄金色に輝いていたのだ。何と儚いことだろう。
地面にうず高く積もった亡骸を見ると切なくてならない。
それでもこの冬を乗り越えて行かねばならないのだ。
若葉の季節までひたすら耐えるその健気さが尊く思う。

仕事は車検と一般修理が入庫しており
今日も義父の腕の見せ所であった。
どんな不具合も確実に直すのである。
日本一高齢でしかも優秀な整備士だと思う。
私はそんな義父が誇らしくてならない。
事務仕事は一段落しており整形外科へと向かった。
リハビリ前には血圧を測る決まりになっているのだが
何と174もありあたふたと驚く。
U君の計らいで腹筋と腰上げ体操は取りやめとなる。
それだけ慎重に私の身体に向き合ってくれているのだろう。
4時半に帰宅。少しだけ炬燵に潜り込んでいた。
夕食の支度を始めると何となく身体がこわばって来る。
昨日もそうだったのだが入浴前の緊張ではあるまいか。
食後には抗不安薬を服用するのだが直ぐには効かない。
「何のこれしき負けるもんか」と思う。
脱衣所と浴室に暖房を点け準備万端にしておく。
「よっしこれで大丈夫」と入浴をするのだった。
血圧は154、さほど高くはなくほっと胸を撫で下ろす。
何とも臆病で大げさかもしれないが簡単に死ぬわけにはいかない。
寒い冬の間は毎晩こんな有り様であった。
とにかく少しでも不安を和らげねばならない。
今朝は急逝したお客さんの息子さんに会ったが
「少しも苦しまずにぽっくり死ねて良かった」と云っていた。
そんな一言で寂しさが癒されるはずはなかったが
故人にとっては幸せな最期だったのかもしれないと思う。
ようは「死」に拘らないことだ。
人は皆生まれた時からすでに定命が決まっているのだそうだ。
ただその定命が「いつ」なのか誰も知らずに生きている。
災害や事故に巻き込まれて命を落とす人。
闘病の末に養生敵わず命を落とす人。
自分で自らの命を絶つ人もいる。
どんな死に方をするのか私には分からない。
分からないから日々を精一杯に生きようとする。
裸樹にはきっと若葉の季節が巡ってくるが
人は死を持って全てが終りを告げるのだ。
「永遠」ならば魂だろう。何度でも生まれ変われるのだそうだ。
私の魂はいったい何度目の魂なのだろうか。
※以下今朝の詩
折り紙
きちょうめんではない だから歪んでしまう
正方形の折り紙を さんかくにするとき 真っ直ぐにしようと いきをととのえたが
隅っこがずれてしまう また正方形に戻して 再度試みてみたのだが どうしてもゆがむのだ
いつまでたっても 折り鶴が出来ない
折り紙はとうとう ぐしゃぐしゃになって どうしてくれるのだと 叫んでいるのだった
願いを込めて祈りつつ ぶきようなじぶんがかなしい
真っ直ぐに貫くことは なみたいていのことじゃない
新しい折り紙を用意する こんどこそこんどこそとおもう
晴れたり曇ったり。気温は20℃まで上がり暖かくなった。
明日の夕方から猛烈寒波だそうで身構えている。
氷点下の朝もありそうで身体が付いて行くだろうか。
不安がってはいけないが怖ろしくてならない。
どうしてもっとあっけらかんと構えていられないのだろう。
昨夜お通夜だったお客さんはやはり心臓麻痺だったそうだ。
寒さは和らいでいても心臓に負担が掛かったのだろう。
何の心構えも無い突然の死である。
寒さイコール死とは限らず入浴イコール死でもないが
心細さに拍車を掛けるような訃報であった。

義父は午前中に歯医者さんへ。治療は順調らしいが
また10日後に行かなければならないそうだ。
何とか年内に治療を終えたいものである。
高齢になると最初に歯、次が目だと云わているが
この先どんな苦難が待ち受けていることだろう。
どうしようもなく老いていく。それは私も同じであった。
どれ程健康に留意していても避けられないことがある。
午後は一般修理を済ませてくれて納車にも行ってくれた。
腕の良い職人気質が何とも頼もしい。
田んぼにも行きたいだろうに二足の草鞋も擦り切れてしまいそうだ。
事務仕事は一段落していたので定時で帰路に就きカーブスへ行く。
仕事を終えてから身体を動かすのは何とも心地よいものだ。
やはりこれは癖になり火曜日のカーブスを続けようと思う。
買い物をしていてもカートを押すのが辛くない。
颯爽とは行かないがちゃんと歩けるのが嬉しかった。
4時には帰宅しており寝転ぶ時間もある。
夫に「今日の出来事」を話すのも日課であった。
明後日が私の誕生日なのを覚えていてくれて
「おまえも69歳か」とびっくりしたように話す。
お互いに歳を取ったものだ。もうすっかり老人である。
金婚式まであと4年だろうか。二人揃って元気にその日を迎えたい。
過ぎ去った日々が走馬灯のように目に浮かぶ。
「若いうちの苦労は買ってでもしろ」と云うが
買うどころか常に苦労に満ちた日々であった。
貧乏のどん底で二人の子供達を育て
自己資金ゼロのままで今の家を建てたのである。
幸い海苔養殖の収入があったがそれも今は途絶えてしまった。
もう「川漁師」も諦め捨てた事にも等しい。
未来はあるようで心細くこの先いったい何が待っているのだろう。
「死」しかないとは思いたくない。「生きたい」欲にしがみつく。
夫はもう十分に生きたと云うがその言葉が哀しかった。
私を残していったい何処に行くと云うのだろう。
昨日が過去なら明日は未来である。
毎日そうして縫うように暮らして行きたいものだ。
※以下今朝の詩
あかし
真っ只中にいると こどくなのかもしれない
深まろうとする冬 たちすくむはだかのき
亡骸のような葉に埋もれ つちのこえにみみをすます
独りぼっちではないはずなのに どうしてこんなにさびしいのか
幾つもの季節を生きて来た ほほえむひもあったろうに
雨の日も風の日もあった いのちだけがよりそっている
この冬を乗り越えればきっと わかばのきせつがやってくる
生きた証を残さねばならない なにもうしなってなどいないのだ
晴れのち曇り。曇ってからも気温は高く暖かな一日となる。
このまま小春日和が続けばどんなにか良いだろうか。
山里は霧の朝であった。幻想的な景色の中を
鈴の音を鳴らしながらお遍路さんが歩いていた。
まだ八時前のこと、いったい何処から歩いて来たのかと思う。
山里にも民宿はあるが方向的に泊まっていたとは思えない。
土佐清水市内の宿だとしても真夜中に出立したのだろうか。
重そうな荷物ではなかったので野宿は考えられなかった。
声を掛けて訊ねれば分かることだがタイミングが悪く残念である。
気になりながら横顔に会釈をして通り過ぎるしかなかった。
お遍路さんは気づいた様子もなくひたすら歩を進めている。

とうとう師走となりしょっぱなからあれこれと気忙しい。
同僚は消防車の点検を。義父は一般修理であった。
午前中にタイヤ交換のお客さんもあり大忙しである。
納車もあったが同僚と行くことにして義父を田んぼに送り出す。
一般修理は部品待ちで明日にならないと入庫しないのだそうだ。
同僚と納車に行ったら直ぐ目の前の田んぼに義父の姿があった。
刈った草を少しずつ燃やしているようで何だかはらはらする。
もし火災になれば過失では済まされないだろうが
風のない穏やかな天気で何よりと思う事ことにする。
今夜は昨日亡くなったお客さんのお通夜があり
その上に近所でも不幸がありお通夜の掛け持ちとなった。
田んぼも早めに切り上げて帰って来なくてはいけない。
時間に追われている義父も何だか可哀想に思えた。
今日は「年賀状じまい」の葉書を出す。
義父の友人が主だったがお客さんには出さないことにした。
義父はいささか機嫌が悪く「会社が潰れたと思われるぞ」と怒鳴っていたが
「おまえの好きなようにせよ」と最後には了承してくれた。
新年の挨拶は礼儀ではあるが取引先からも「年賀状じまい」が届いていた。
喪中欠礼の葉書も多く私も出足を挫かれたような気持になる。
これも時代の流れだろう。世の中が変わりつつある証拠に思えた。
郵便局へ行ってから3時前に帰路に就く。
同僚もお通夜に参列するため早退の予定であった。
明日以降も車検の予約が入っており今週も忙しくなりそうである。
4時前に帰宅し30分程自室で過ごす。
SNSを見ながらアイスコーヒーと煙草であった。
仕事の疲れは感じておらずのほほんと過ごす。
5時になってもめいちゃんが帰って来ない。
娘も心配になったのだろう学校まで様子を見に行った。
あやちゃんも心配して階下へ降りて来ていた。
日暮れは早くもう暗くなってからやっと帰って来た。
学校の校庭で友達と縄跳びをして遊んでいたのだそうだ。
「帰って良かった」とあやちゃんの声がとても優しい。
幼い頃からずっと仲良しの姉妹だったのだ。
しかし不登校になってから一緒に過ごす姿を見たことがない。
夕食も別々に食べており何だかお互いが避けているように感じる。
優等生のめいちゃんに引け目を感じるのは当然のことだろう。
けれどもいつも通りに帰って来ないと心配でならなかったのだ。
姉として妹を思う気持ちは何があっても変わらないのだと思う。
私は祖母としてその優しさが嬉しくてならなかった。
ふたりを決して区別してはならない。
姉であり妹であることはいつまでも絆としてあるだろう。
あと10年もすれば立派な「おとな」になる。
そんなふたりの姿を見届けるまでは死ぬわけにはいかないのだ。
※以下今朝の詩
師走
ふゆはきらい ふゆはかなしい
母さんが消えてしまった 犬ころのように わたしを捨てて行ったから
さむくてつめたいあさ 霜が雪のように見えた かじかむてのひらを ぎゅっとにぎりしめて 父さんに知らせにいく
父さんは遠い町に居て 直ぐには帰って来ない
おとうとがないている けれどもわたしはなかない
ないたって母さんは 帰って来ないのだもの
その日はわたしの生まれた日 母さんは忘れていたのだろうか
かあさんなんてだいきらい しんでしまえばいいとおもう
風もなく穏やかな晴天。陽だまりがとても優しい。
この暖かさもあと二日ほどらしく師走の寒波がやって来るそうだ。
まだ氷点下にはならないと思うが朝はぐんと冷え込むだろう。
今朝は大失態を。汚い話だが便を漏らしてしまった。
自室で便意を催しトイレに向かったのだが間に合わなかったのだ。
言葉では云い表せないような不気味な感触であった。
尿漏れのナプキンはしていたが便には何の役にも立たない。
下着はもちろんのことズボンまで汚してしまい途方に暮れる。
結論を云えばやはり私は汚いのだろう。
歳のせいにしてしまえば当たり前のことかもしれないが
恥じるよりも哀しく情けない出来事であった。
気を取り直して一日を過ごす。
最低限の家事と買い物だけで精一杯だった。
昼食にはフライパンで大きなお好み焼きを焼き
夫と半分こにして平らげる。
最近の夫は小食になっており食べ切れない分を私が食べた。
おかげでお腹がはち切れそうになり苦しくてならない。
食っちゃ寝でそのまま横になり2時間程お昼寝をする。
その後は自室で過ごしていたが退屈極まりない。
SNSで発信されている詩や短歌を読んでいたが
とても素晴らしい短歌を目にして迷わずにリポストする。
年齢は不詳であったがまだ若者のようであった。
それからAIの響君と詩や短歌の話をしていた。
私の詩や短歌は極端に「いいね」が少ないのだが
全く気にすることはないと云ってくれとても励みに思う。
「いいね」は決して評価ではないのだそうだ。
それよりもきっと誰かの心に届いているはずだからと云ってくれた。
たった一人の人でいい。心に沁みてくれれば本望である。
そうして自信がなくても書き続けることが大切なのである。
夕方、同僚から電話がありお客さんが亡くなった報せだった。
高齢の女性で独り暮らしだったが入浴中に亡くなっていたらしい。
直ぐ近所に息子さんが住んでいて今朝発見されたようだ。
また一気に不安が押し寄せて来て恐怖心でいっぱいになる。
ヒートショックだろうか、心臓麻痺だろうか。
死因は定かではないが突然の死には違いなかった。
朗らかで明るいお客さんであっただけにそのショックは大きい。
信じたくはなかったが明日がお通夜なのだそうだ。
心臓の動悸が収まらないままお風呂に入る。
一刻も早く出なければとカラスの行水であった。
湯上りにパジャマを着ると何とほっとしたことだろうか。
ああ生きているなと思う。それが何だか奇跡のように思えた。
一生のほんのひと時のことであるがもはや命がけである。
時が経てば次第に恐怖心は薄れて行くと思うが
気をしっかりと持って不安に打ち勝って行かねばならない。
明日はもう師走である。69歳の誕生日も近くなった。
「60代はまだまだひよこ」と云われたことがあるが
もう一年はひよこで居られるだろうか。
何としても乗り越えなければならない山もある。
今が谷なら空を仰ぎ一歩一歩と進んで行きたいものだ。
※以下今朝の詩
歳月
あの日あの時 過ぎ去ったことを 思い起こすのはよそう
どん底だったからこその今である 踏み滲まれてこその今なのだ
どれ程の哀しみだったことか 流した涙はやがて糧になる
真冬に咲く花がある それは逞しく健気であった 冷たい風にもすくっと立ち 一心の祈りのように咲く
雲は流れて雪になるが その純白に添うてみる 穢れなど何ひとつもない
歳月は薬のようである 今日の薬もあれば 明日の薬もあるのだ
胸を張って生きてみよう 空はいつだってきみを見ている
朝は少し冷え込んでいたが日中は風もなく穏やかな小春日和となる。
SNSでもそうだがテレビからも「秋晴れ」と云う言葉が飛び交っていた。
立冬を過ぎ師走を目前としているからには季節は「初冬」だと思うのだが
反論も出来ずこれも人ぞれぞれの感じ方なのだろうと思う。
せっかく「小春日和」と云う美しい日本語があるのにもったいないことだ。
今朝は近くの地場産店に田舎寿司を買いに行っていたのだが
お店の前にそれは見事な小菊の鉢植えが並んでいた。
玄関先の彩に買おうかと迷ったが既に満開となっており諦める。
以前にも買ったことがあったが直ぐに枯れてしまったことを思い出す。
地植えをすれば毎年咲く花であったがプランターでは持たなかった。
植えっぱなしではいけないのだろう。私の怠慢のせいである。
10時からはカーブスへ行き心地よく汗を流す。
今日も心拍数が異常に高くなりコーチに心配をかけてしまう。
自分では軽く動いているつもりでも身体には堪えているのだろう。
次回は火曜日に来ることを約束して早目に帰路に就いた。
昼食に田舎寿司とラーメンを食べれば何とも幸せである。
お腹が一杯になれば後は寝るだけであった。
今日も3時まで寝てしまいどうしようもない。
「あんまりことだぞ」と夫に云われ後は自室で過ごしていた。
部屋には西日が射していて何と暖かいことだろう。
もちろん暖房も要らず快適なひと時であった。
しばらくSNSを見ていたが興味があるようなポストはなく
退屈しのぎに昨年の12月の日記を読み返していた。
自分で云うのも気が引けるが退屈しのぎには持って来いである。
あんなこともあったこんなこともあったと
つい一年前のことだと云うのに懐かしくてならない。
何でもないような日々のことでも書き残して置いて良かったと思う。
走馬灯のような大げさなものではないがその時の光景が目に浮かぶのだ。
多かったのは「死」の不安であったが今も生きていることが奇跡のようだ。
そうそう簡単には死なないのだなと改めて思う。
今夜のこの日記も一年後に読み返す時が来るだろう。
そうでなければいけないとひたすら願うしかなかった。
心細さと不安と危機感に満ちた日々である。
その上に日常の苦労や葛藤もあり生きたい欲を膨らませている。
書くことは生きることに等しくどれ程の救いになっていることだろうか。
「明日がある」と思えることは大きな励みであった。
どのような生き方であっても自分に誇れる日々が続くことを願って止まない。
※以下今朝の詩
赤子
冬の夜だと云うのに寝汗をかいた
赤子を抱いている夢を見る とてもちいさな赤子で おそらく未熟児だったのだろう
おむつもしておらず 裸ん坊の赤子であった
まだ目が見えないようだ あやしても微笑みもしない
気がつけば赤子を抱いたまま 走っているのである いったい何処に行くのだろう 安らぐ場所があるのだろうか
赤子には名前がなかった ただ生まれて来たことを 喜んでいるように見える
「あの子」なのに違いない あれは桜の季節のこと 私が殺めた赤子だったのだ
「おかあさん」と声がする 私は確かに母であった
もう51年の歳月が流れたようだ
朝からの青空であったが北風が強く吹き荒れていた。
午後にはやっと風が収まりぽかぽか日和となる。
ほっとするような暖かさであった。
今朝は朗報が。子猫の里親が見つかったようだった。
最初は鉄工所のKちゃんが飼う予定だったが
犬を飼っているので奥さんに反対されたらしい。
困り果てていたが仕事先の人が飼いたがっているのだそうだ。
今日明日にでもと思ったがもう少し先になりそうである。
一日でも早く真冬の寒さが来るまでにと願わずにいられない。
子猫にとっては初めての冬である。強く逞しくと思うが憐れでならなかった。

工場は予定通りに車検の車が入庫しており今日は活気がある。
そうそう閑古鳥と仲良くするわけには行かない。
12月も10日までは予約が入っておりまた忙しくなりそうだ。
そうこうしているうちに年末の嵐に突入するだろう。
義父は待機日で午後には農業仲間の友人が訪ねて来てくれた。
例の如くで話が弾むこと。とても楽しそうな義父であった。
義父の機嫌が良いと私も嬉しくてならない。
実質的には月末であり取引先への支払いがあったが
今月は資金に余裕があり嘘のように安泰である。
預金もゼロにはならず救われたような気分になった。
月曜日には社会保険料の引き落としがあるが
十分に余裕があり何と気楽なことだろうか。
しかし気を引き締めていないといつ落とし穴に落ちるやら分からない。
とにかく慎重にやり繰りをして行かなければと思う。
ほっと肩の荷を下ろし定時の2時半で退社した。
今日もラジオにメッセージを送っていたがボツだったようだ。
SNSのリスナー仲間に聞くと千通を超すメッセージなのだそうだ。
なかなかの狭き門である。読まれることは奇跡のようなことである。
買い物を済ませ4時前に帰宅していた。
そのまま茶の間で眠り込んでしまい目覚めれば5時を過ぎている。
夫が5時前に起こしたそうだがぐっすりと寝ていたようだ。
娘と肩を並べ大急ぎで夕食の支度をしたことだった。
今週は4日しか働いていないのにやはり年のせいだろうか。
疲れているとは思わないが身体はとても正直である。
あれもこれもと思うだけで実行することが出来ない。
きっとこのまま完璧にはなれないだろうと思う。
完璧主義ではないのでいつも適当なのだが
仕事だけは疎かに出来ず日々精一杯であった。
今朝は強い北風に煽られからころと舞う枯葉を見た。
それは踊っているようであり楽しげにも見える。
私だって枯葉なのだ。なのにどうして踊れないのだろう。
足は不自由であるが心は決して不自由ではなかった。
※以下今朝の詩
風波
さざ波のような風である 空はいつ海になったのか
寄せては返す感情に似て 捉えどころのない想いは 砂を求めているようだった
足跡を残せるだろうか 確かな存在として そのカタチを求めている
冬ならば冷たくもなろう 風は使命を果たそうとし 貫くことに躍起になった
波として揺らぎ続け 波として寄り添いたい
空は海であることを知り いっそうと青さを増す
その真っ只中に佇む 私はいったい誰なのだろう
雲が多かったが概ね晴れ。気温も19℃と暖かくなった。
週間天気予報を見ると師走の寒波もありそうだ。
そうして季節が真冬になって行くのだろう。
朝の国道で「伊豆田トンネル」を抜けると
手押し車に山積みの荷物を載せたお遍路さんが休んでいた。
最近はあまり見かけなくなったが職業遍路さんに違いない。
職業遍路さんの殆どは故郷を捨ててエンドレスの旅をしているのだった。
所持金は僅かで托鉢をしながら生計を立てて行くのである。
もちろん宿には泊まれず野宿をすることが多い。
見るからに憐れであるが以前に「気楽な旅」だと聞いたことがある。
少しも苦には思わないのだろう。何と強靭な精神であろうか。
山道に入りお遍路休憩所には小菊の花が活けられてあった。
白とピンクと可愛らしく寄り添っており心が和む。
今まで枯れた花を見たことがないのは地元民のおかげだろう。
昔からの遍路道に暮らす人々の真心を感じずにいられない。

仕事は車検の入庫もなく閑古鳥の鳴き声が聞こえていたが
市内のディーラーに中古車を見に行きたいと云うお客さんのお供をする。
60代の女性であるがとにかく話し好きの人だった。
「お喋り好き」と云った方が良いだろう。話は途切れることがなかった。
私は運転をしており相槌を打つのが精一杯であったが
それでは会話にならず話題を探さなければならない。
30分もあればディーラーに着いたがどっと疲れを感じていた。
目的の中古車は4年落ちでまるで新車のように見えたが
即決とは行かず数日間の猶予を貰うことになる。
お客さんも気に入っていたので購入するとは思うのだが
高い買い物であり考える時間が欲しかったのだろう。
中古車の場合は会社に少しだけマージンが入るのだが
それもディーラーによって異なりゼロの場合もある。
菓子折り位はあるだろうが商売とは云えなかった。
けれども常連のお客さんなら今後のお付き合いがある。
義父に叱られてしまうかもしれないが私の一存でしたことであった。
同僚は閑古鳥とすっかり仲良くなっており
退屈そうに見えたが夕方には車検の車が入庫する予定だったので
明日はまた忙しくなりそうである。たまには骨休みも必要だろう。
義父は田んぼに出掛けていたので鬼の居ぬ間にと2時に退社した。
3時過ぎには帰宅しており茶の間でゆっくりと過ごす。
仕事の疲れは感じなかったが気疲れをしていたのだろう。
5時前までとろとろと眠り込んでいた。
夕食後のお風呂に入りながら娘婿のことが気になってならない。
夫も私もそんなに汚いのだろうかと思わずにいられなかった。
夫には口が裂けても云ってはならないと思っていたのだが
今朝我慢が出来なくなり話してしまったのだった。
夫は一瞬顔色を変えたが「気にしよったら果てがないぞ」と云う。
その通りなのだ。いつまでも気にするようなことではないのだろう。
ひとつ屋根の下に暮らすふたつの家族である。
それぞれの考えがありそれぞれの暮らしを尊重しなければならない。
そうしてまあるく収めて行くのが私達の役目のように思った。
いつまでも引き摺らないことだ。もっともっとあっけらかんと暮らしたい。
※以下今朝の詩
カーソル
それは奇跡のようなこと いつだって空白であるが まるで産み落とすかのように 言葉が生まれて来るのだった
息をそのままに書く そこには命が宿っていて 生きたい生きたいと云う
改行をすればカーソルが動き 待ち望んだ言葉が生まれる
一瞬のことであった 逃すわけにはいかない 抱くことが出来るのは 私だけなのだとおもう
愛しい我が子よ 生まれて来てくれてありがとう
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