日中は今日も小春日和。黄色い蝶々が飛んでいるのを見た。
予報ではあと一週間は穏やかな天気が続きそうだ。
そうして師走が目前となればまた寒波がやって来るのだろう。
皇帝ダリヤや栴檀の実を仰ぐ朝、お遍路さんの姿も見える。
大きな荷物のお遍路さんはリュックにお鍋をぶら下げており
野宿の旅なのが見て取れる。以前には大根をぶら下げているお遍路さんもいた。
今はまださほどの寒さではないが日に日に冬が深まることだろう。
雨の日もあれば雪の日もある。まさに修行のような旅であった。
同僚が精密検査のため今日は病院へ行く。
義父も田んぼに出掛け職場は開店休業状態であった。
車検は一段落しており特に急ぎの仕事はなかったが
バッテリー上りのお客さんから要請があり
例の充電機を持って私が駆け付ける。
二度目の事なので手順は憶えており直ぐにエンジンが始動した。
おそらく明日の朝もバッテリーが上がることだろう。
そうなればもうバッテリーを交換するしかない。
お客さんにそう説明をして出張料金は貰わなかった。
修理ではない来客が3人程あったが世間話をするばかりである。
それも仕事の内で和気あいあいと楽しいものだ。
お孫さんが自動車学校へ通っているそうで車が売れるかもしれない。
午後2時になりやっと義父が帰って来た。
さすがに空腹には耐えられなかったのだろう。
しかし今朝ご飯を炊き忘れていたそうで昼食どころではなかった。
売れ残りかもしれないがお弁当を買いに走る。
思った通りに義父が好むようなお弁当は無かった。
仕方なく田舎寿司を買い求め義父に我慢してもらう。
食べ終わるなり休むこともせずまた田んぼへ出掛けて行く。
後姿を見ると酷くやつれている様に感じた。
気は若くても82歳の高齢者である。
どれほど身体に堪えていることだろうか。
義父を見送ってから私も帰路に就いた。
今日もラジオにメッセージを送っていたが
どうやらボツになったらしい。
そうそう読まれるものではないのだなと思う。
先週はたまたまラッキーだったのだろう。
4時に帰宅して少しだけSNSをチェックしていたのだが
昨日安否を気遣った人が私のポストに「いいね」をしてくれていた。
きっと「生きていますよ」と知らせてくれたのだろう。
これ程の安堵があるだろうか。胸に熱いものが込みあげて来る。
私は私に出来る精一杯のことをしたつもりだが
その人にとってそれが善だったとは限らない。
もしかしたら余計なことだったのかもしれないのだ。
縁とは儚いものである。これまでどれ程そう思い知ったことか。
特に顔の見えないネットの世界では糸のようにぷつりと切れる。
一度切れてしまうともう二度と手繰り寄せることが出来ない。
そうしてお互いが傷つく。悲しい思いをするしかないのだった。
それでも私はネットの世界にしがみついているようだ。
目に見えないからこそ通じ合うことがきっとあるのだと信じている。
※以下今朝の詩
天の国
ねえどこにいるの? 訊ねても声は聞こえない
空に違いないとおもう 広く果てしなく広がる そこが天の国なのだ
父がいて母がいる 私がコロシタアノコもいる
ふかふかの白い雲 そよそよと吹く風
一日中下界を見ている 悲しいことがありませんように 幸せに暮らせますように 寂しくありませんように
朝は朝陽に手を合わせ 夕には茜色の空を仰ぐ 夜には満天の星を掴む
そうして尽くし続ける それが天の国の一日であった
抱きしめてやりたい けれども滅びた肉体は 魂に姿を変え彷徨っている
どうして忘れられようか 守りたい一心で生きている
今朝は今季一番の冷え込みとなったが
日中は17℃まで気温が上がりぽかぽかと暖かくなる。
また次の寒波が来るまでしばらくは穏やかな日が続きそうだ。
心配でならなかった大分市佐賀関の大規模火災は
まだ鎮火には至ってないようである。
今日で3日目となり報道も少なくなっているようだ。
ただ住宅への延焼はほぼ鎮圧されたのこと。
おそらくまだ山林等が燃えているのだろう。
焼け出された大勢の人達はどうしているのだろうか。
着の身着のままで逃げ出した人も多いだろう。
安全な避難所があるのかそれさえも分からずにいる。
今朝は旧知の友とやっと連絡が取れ
やはり距離的に離れているそうで無事を確認する。
しかし同じ市内の惨事にどれほど心を痛めていることだろう。
自分が無事ならそれで良いと思うような人ではなかった。
何の手立ても出来ず心配は募るばかりであるが
一刻も早く鎮火することを祈るしか出来ない。

仕事はそこそこの忙しさであったが義父が高知市へ出掛けており
同僚とふたり気が抜けたように過ごす。
まるで「のらくら一等兵」と「二等兵」である。
私は久しぶりにお昼休憩をした。
陽だまりの車内で30分程うたた寝をする。
冬のおひさまの何と有難いことだろうか。
一時過ぎに保険会社のO君が顔を見せてくれて
二人で「連れモク」をした。煙草がとても美味しい。
O君は職場では一切吸えないのだそうだ。
それが大きなストレスになっているらしい。
それを聞くと私は恵まれているのだなと思う。
鬼の居ぬ間にいつもより早く2時に退社する。
さあ今夜のおかずは何にしようと考えながら帰った。
夫にもたまには好きな物を食べさせてやりたい。
サニーマートでゆっくりと買い物をし3時過ぎには帰宅していた。
夫と大相撲を観ていたがまた5時まで眠りこける。
疲れてはいないはずだが鼾をかいていたそうだ。
夕食後、SNSをチェックしていたら
フォロワーさんがお別れのポストをしていた。
先日からずっと気になっていたのだがもしや死ぬつもりではと思う。
見ず知らずの人であってもどうして見過ごすことが出来ようか。
胸がざわざとして居ても立ってもいられなくなった。
直ぐにAIの響君に相談したのは云うまでもない。
そうしたら「報告」の機能があることを教えてくれた。
24時間以内に安否を確認してくれるのだそうだ。
連絡が取れない場合は警察にも動いて貰うらしい。
私の思い過ごしかもしれないが一刻を争うことに思えた。
もし死を選ぼうとしているのならどうか思い留まって欲しい。
真っ先に私に出来る事を考える。何としても助けてやりたかった。
何とお節介なことをと笑い話で済めばそれに越したことはないが
顔の見えないネットの世界で縁があったこそ出会えた人である。
誰にも等しく明日がなければならない。
その明日を自ら断つことがあってはならないのだ。
※以下今朝の詩
猫日和
僕たちは猫 僕には名前があるが 子猫には名前がなく 「おちび」と呼ばれている
朝ご飯の時間になると 僕だけ餌をもらえる
どうしてなのか分からないが お腹一杯になるまで食べる
おちびは少し離れた処から 食べている僕の姿を見ている
お父さんはいいな なんて幸せそうなのだろう
おちびにはお母さんがいない 兄弟たちと何処かに行ってしまった でもお父さんがいるから寂しくない
お父さんと散歩に行く 陽だまりを見つけると まんまるくなって お父さんが顔を舐めてくれる
ふたりっきりの家族だった 僕はなんとしても おちびを守ってやりたい
夜になると一緒に眠る 何とあったかいことだろう おちびはいつも夢を見ている
野良猫なのだそうだ でも哀しい日は一日もなかった
今日も僕とおちびの一日が始まる
| 2025年11月19日(水) |
当たり前ではない日常 |
今朝も真冬程の冷え込みではなかったが
昨日と同じく日中の気温が上がらず冬らしい一日となる。
昨日の夕方大分市佐賀関で発生した大規模火災は未だ鎮火せず
170棟以上の住宅が焼失し大勢の人が焼き出されている。
これ程の大惨事があって良いのかと心が痛んでならない。
この寒空に家を失い何と気の毒なことだろう。
海辺の町で穏やかに暮らしていた人達の日常が失われたのである。
道が狭く入り組んでおり消火活動がかなり困難だったらしい。
そんな人的な悲劇が大きな惨事に繋がったのだろう。
せめて雨をと願うがしばらく晴天が続きそうだった。
一刻も早く鎮火することをひたすら願ってやまない。
大分市には旧知の友が住んでおり連絡をしてみたが
電話番号は知らずメールアドレスだけが頼りだった。
しかし送信したら直ぐにエラーになって返って来る。
おそらくメールアドレスを変えているのだろう。
パソコンのアドレスにも送信してみたが届かなかったようだ。
住所で位置を確認しようとしたがその住所が思い出せない。
距離が十分にあれば延焼を免れているはずである。
連絡が取れない以上は諦めるしかなく無事を祈ることしか出来ない。
まさか大分市全域に延焼することはないだろう。
きっときっと鎮火する。そう信じて見守るしかないようだ。

仕事はやっと車検の車が2台入庫し今日は順調であった。
義父も上機嫌で田んぼの草刈りに出掛ける。
私はリハビリ通院でいつもの整形外科へ向かった。
普段は無口なU君が今日はあれこれと話し掛けてくれる。
週末の連休の話になりU君は友達の結婚式があるのだそうだ。
友達の結婚ラッシュが続いているらしくU君が独身であるのが分かる。
先日30歳になったばかりなのだそうだ。びっくりの若さであった。
そんな若者に足腰を揉み解してもらい何と幸せなことだろう。
なんだか申し訳ないような気持にもなった。
会話も仕事の内なのだろうと思う。それは私も同じであった。
昼間のこと足の手術を終えたばかりのお客さんと話していて
一本だった杖が二本に増えたのだそうだ。
経過は順調らしいが手術をしても成果を感じられないとのこと。
何のために二ヶ月近くも入院していたのだろうと嘆いていた。
そんな話を聞くと手術も良し悪しだなと思う。
私は杖さえあれば歩ける。車にも乗れるし仕事にも行ける。
ふっとこのままで良いのかもしれないと思った。
本音を云えば手術は嫌だった。日常が奪われるのが何よりも嫌である。
しかしそんな日常が決して当たり前ではないことを思い知った。
火の手が迫って来てランドセルを持ち出すのが精一杯だったそうだ。
他の大切な物はすべて焼き尽くされてしまったのだ。
※以下今朝の詩
北風と太陽
小春ちゃんがいじめられている 助けてやらないと 守ってやらないといけない
「北風と太陽」のお話を思い出す あれは小春ちゃんのお母さんだった 決して自慢話ではないのだ お母さんはただとても優しかった
大きくなったらお母さんみたいになりたい 小春ちゃんは早くおとなになりたいと思う
悪戯っ子が小春ちゃんの髪を引っ張る 足が太いと云ってからかっている
小春ちゃんは泣きそうな顔をして それでもいっしょうけんめいに 空に手を伸ばそうとしていた
独りぼっちじゃないよ みんながそばにいるんだよ
私は勇気を出して 悪戯っ子に向かって行ったのだ
やがて小春ちゃんは陽だまりになった お母さんによく似ている優しい女の子である
寒気到来ではあったが今朝はさほど冷え込まなかった。
しかし日中の気温が上がらずこれが寒波なのかと思う。
冷たい北風が吹き暖房無しでは過ごせない。
猫達も寒さで丸まっており可哀想でならなかった。
屋内で過ごせたらどんなにか幸せだろうかと思う。
今朝は「猫係」のお客さんが現れず
あまりに鳴くので私が餌を与えたのだが
子猫も空腹だったのだろうみい太と一緒に食べようとする。
すると同僚が何と子猫を足で蹴ってしまったのだった。
それはあまりにも酷いと抗議をせずにいられない。
同僚も義父と同じ考えなのだ。情けをかけてはいけないと云う。
私もこれまでどれ程心を鬼にして来たことだろうか。
しかし今朝は少しぐらい餌を食べさせてやりたかった。
子猫は飛び逃げ父猫が食べ終わるのを遠くから見ている。
その健気な様子に涙が出そうになった。
野良に生まれたばかりに受けなければいけない仕打ち。
それはどうすることも出来ずただ見守ることしか出来ない。

仕事は今日も車検の予約が無く同僚は待機であった。
する仕事がないのは辛いものだが同僚は反対に喜んでいるようだ。
喫煙所でスマホを操作していたりしてどうしようもない。
するとやっとオイル交換のお客さんが来てくれた。
同僚が仕事を始めると何とほっとしたことだろう。
午後には大型車のパンク修理があったが
大きなタイヤを外さねばならず同僚も苦労していた。
仕事が全くない訳ではなくこれでこそ「そこそこ」である。
その同僚だが先日の「大腸がん検診」で異常が見つかったらしく
専門の病院で再検査をしなければならないのだそうだ。
まだ病院も決めていないと云うので今日は背中を押した。
とにかく早いに越したことはない。最悪の場合も考えなければと思う。
宿毛市内の病院に決め金曜日に検査をすることになった。
大事に至らなければ良いが大きな心配となる。
それにしても同僚の落ち着きようには呆れる程であった。
へらへらと笑い飛ばしているが内心では不安なのに違いない。
義父は午前中に歯医者さんへ行き治療は順調とのこと。
午後は「さあ行くぞ」と勇ましく田んぼの草刈りに出掛ける。
機嫌はとても良く私も笑顔で見送ったことだった。
またまた鬼の居ぬ間に定時で帰路に就く。
夫の冬物の衣類が少なく「しまむら」で買い求めた。
未だにポロシャツで過ごしており寒そうでならないのだ。
帰宅して早速見せたら「まだ冬もんは早い」と云う。
せっかく買って来たのに何と可愛げのないことだろう。
明日は定期の通院日なので着て行って欲しいものだ。
今日はSNSでちょっとしたトラブルに巻き込まれ
AIの響君に対処方法を教えてもらった。
パスワードも変更せねばならず帰宅するなり直ぐに更新する。
ひとますこれで安心だが今後も十分に注意しなければならない。
私の場合は詩や短歌の発信が主なので娯楽性は殆ど無いのだが
落とし穴は目に見えずいつどん底に陥るやら分からなかった。
絶対に安全だと云う保障はない。自分で守るしかないのだと思う。
私にとっては唯一詩を書ける場所であった。
※以下今朝の詩
北風
ひゅるひゅると声がする 泣いているのだろうか いいえ歌っているのです
与えられた場所があり 与えられた空がある
野を越え山を越え遠く遥かに その歌声がこだましている
冬鳥が横切っていく 彼らにとっては波のようなもの 身を任せ自由に飛び交う
老樹は嘆くこともせず その葉を惜しみなく落とす 痛みなど在りはしないのだ
風ならば歌うことが出来る 陽気でなければ生きていけない
それならば吹かれよう 背を真っ直ぐに伸ばし 立ち向かっていこう
晴れのち曇り。気温は20℃を超え暖かな一日だった。
明日から寒波とのことで身構えていたのだが
どうやら真冬並みの寒さではなさそうである。
ただ明日は朝から殆ど気温が上がらないらしい。
それなりにと思う。冬らしい一日となるのだろう。
今朝の国道でとても嬉しいことがあった。
すっかり諦めていた皇帝ダリアの花が咲いていたのである。
僅か二輪程だったが朝陽を浴びてきらきらと輝いていた。
おそらくまだ蕾が残っていたのだろう。奇跡のように思った。
またしばらくは朝の楽しみが出来る。
逞しく根を張り彼女らも精一杯に生きているのだ。

朝一に義父とちょっとしたいざこざがある。
私が余計なことを云ったばかりに義父を怒らせてしまったのだ。
直ぐに謝ったが許してくれない。くどくどとほじくり返す。
義父の性格は分り切っているつもりだったが今朝はいささか参った。
口は災いの元である。今後の教訓にしなければならない。
工場は月曜日だと云うのに車検の予約が入っておらず
あわや閑古鳥を招くところであったが
オイル交換のお客さんが二人も来てくれた。
僅かな売り上げであっても仕事があるのは有難いことだ。
お客さんに珈琲を淹れて雑談をするのも楽しいものである。
機嫌を損ねていた義父も次第に朗らかになり
トラクターの準備をすると田んぼを耕しに行った。
農作業さえ出来れば彼は幸せなのだろう。
とことん好きなことをやらせてやりたかった。
午後は来客がなく同僚は会社のサービスカーの車検整備をしていた。
年末に車検が切れるので暇な時に済ませておいた方が良い。
もちろん売上にはならず経費が嵩むばかりだが
お客さんに貸し出す代車は万全に整えておかねばならない。
鬼の居ぬ間にではないが私は早目に退社させてもらった。
今日は娘夫婦がまた病院へ行っており帰りが遅くなるとのこと。
今朝はちゃんと話してくれて高知市ではなく四万十町窪川の病院らしい。
車だと一時間程の道のりだが午後からの診察らしかった。
病状は訊いても詳しくは教えてくれない。
ただ内臓が悪いのではないらしく整形外科かもしれないと思う。
窪川病院の整形外科は評判が良いと聞いたことがあった。
しかしそれも私の憶測で本当のことは何も分からないのである。
娘達にとっては「秘密」ではなく「内緒」なのだろう。
だから決して根掘り葉掘り訊いてはいけないのだと思う。
けれども打ち明けてくれたらどんなにか気が楽になるだろうか。
心配は募るばかりで気分はもやもやと落ち着かない。
大相撲を観ながら夫と質素に夕食を済ます。
娘達は夕食不要と云い残して行った。
それを知らなかったあやちゃんが「今夜は何?」と訊きに来る。
「お母さんは?」ともうとっくに帰って来ていると思ったようだ。
あやちゃんも詳しいことを聞かされていないようである。
子供達に心配をかけてはいけないと思ったのかもしれない。
「秘密」と「内緒」がぐるぐると回り続けている我が家であった。
6時過ぎには娘夫婦が帰って来たが二人ともあっけらかんとしている。
そんな姿を見ていると何だかほっとするのだった。
娘婿は明日は仕事に行くらしく無理をしないようにと願う。
家族ではないのかもしれないが家族なのだと思わずにいられない。
※以下今朝の詩
冬将軍
冬将軍がやって来る 馬に乗ってやって来る
蹄の音が風に舞い ぱっかぱっかぱっか
花たちは覚悟をする 負けるもんかと思う 根をこれでもかと張り 茎を真っ直ぐに伸ばす
闘わねばならぬのか 争いたくはなかったが 命を守るためである
冬将軍の刃が光る 殺めようとするのなら 立ち向かうしかない
花たちは身を寄せ合う 花びらは鎧であった
暴れたければそうすればいい どのような惨劇であっても やがて訪れる春に敵いはしない
晴れの天気予報が外れてしまい曇り空の一日となる。
洗濯物係の夫が「乾くろうか」と心配していた。
陽射しは無かったが気温は21℃まで上がり暖かい。
風も殆ど無く過ごし易い一日であった。
明後日には大寒波とのこと。朝のうちに冬布団を出す。
陽に干したかったが叶わずそのままベットに設えた。
冬物の衣類も出さねばならずそこそこの家事である。
たまには主婦らしいこともしなければならない。
午後は2時間程寝て後は自室で過ごしていた。
あまり寝過ぎると夜に響くようだ。
昨夜も熟睡出来ず嫌な夢ばかり見ていた。
昼寝もそこそこでなければいけないのだろう。
自室に居ても本を読むわけでもなく
SNSばかりを見ていた。
八丈島の断水が完全復旧したとのこと。
やっと目の前が明るくなったように思うが
まだ倒れた家屋や道路の復旧が残っているようだ。
自衛隊は帰ってしまい後は島民の力でやり遂げなければならない。
詩や短歌の投稿も目立つ。中にははっとするような素晴らしい作品もあった。
有名な詩人さんではなくても無名の才能におどろく。
私と同じようにひっそりと書き続けている人が居るのだった。
もちろん薔薇の花ではない。野に咲く野菊のような人である。
自室で過ごす時間はそれなりに有意義ではあるが
コーヒーを飲み過ぎ煙草を吸い過ぎるのが困ったものである。
特に煙草はひっきりなしとなり咳き込むことが多い。
情けないことだがその度に尿漏れもあった。
長生きはしたいが長生きをすればどうなるのだろうと思う。
来月には69歳になるが70歳の自分が怖ろしくてならない。
「これでは駄目だ」と思い夫が居る茶の間に行っても
そわそわと落ち着かず10分も居られないのである。
そうなればまた自室に戻り同じことの繰り返しであった。
午後4時なりやっと茶の間に落ち着く。
大相撲が面白く夫とわいわい云いながら観ていた。
夫はすっかり解説者気取りとなりそれも愉しくてならない。
とにかく一緒に過ごすことだ。まるで老夫婦の鑑である。
夕食は「すき焼き」だったが娘が準備をしてくれて助かった。
私はタレを味付けしただけで後は食べるだけである。
いつものように夫と先に食べ終えていたが
今夜も孫達の姿が無かった。その上に娘婿の姿も見えない。
娘が独りで食べていたから気になってしょうがなかった。
娘に訊けば干渉となる。老婆心は疼くが何も訊いてはならない。
夫とも話したが娘婿はよほど体調が悪いのではないだろうか。
先日の病院行きのこともあり心配は募るばかりである。
決して秘密ではないと思うが私達には話す必要がないのだろう。
それも複雑な気持ちなるがそっと見守るしかないようだった。
ひとつ屋根の下に暮らすふたつの家族である。
皆がひつになることはまず無くそれぞれに暮らし行かねばならない。
そう受け止めれば些細なことなのだろう。
この世は些細な事で満ちているのかもしれない。
※以下今朝の詩
通夜
夜中に怖い夢を見ると 枕を抱いて父の布団に入った 大きな胸とたくましい腕 父はそうして私を守ってくれた
どうしようもなく歳月が流れ もう何度目の冬なのだろう
父は息をしなくなり冷たくなった
そんな父に添い寝をする 無言の夜は深くかなしい
夢なのかもしれないとおもう けれども少しも怖くはなかった
父は微動だにせず目を閉じている 唇を噛みしめるそれは無念なのだろう
私が守ってやらなければとおもう どうして父を独りぼっちに出来ようか
夜が明けて朝陽が射し始めた 「おとうちゃんおはよう」 声がこだまする何処までも遠くまで
朝の肌寒さもつかの間、日中はぽかぽかの小春日和となる。
紅葉が見頃とのこと。絶好の行楽日和であった。
玄関先の多肉植物に小さな白い花が咲く。
初冬に咲くとは思ってもいなかった。
何とも健気な可愛らしい花である。
おそらく越冬は無理だろう。
娘任せであるがやはり温室が必要に思う。
他にも花をと思うだけで苗を買い求めにも行かなかった。
パンジー、ビオラ、葉牡丹と思いを馳せるばかりである。
二週間ぶりのカーブスが何とも心地よかった。
余程身体が鈍っていたのだろう。薄っすらと汗を流す。
来週は仕事の予定なのでまた休まねばならなかった。
平日の午後は3時からなのだそうでいささか無理っぽい。
少しでも体力作りをと思うがその日の気分次第である。
父の22年目の命日であったが何も出来ず。
遺影に手を合わせ詫びるばかりであった。
未だお墓も無く遺骨は弟の家に安置してある。
弟も苦労をしていて納骨堂どころではないようだった。
姉である私が援助すべきだが経済的なゆとりは全く無かった。
父には本当に済まないと思うがきっと許してくれているだろう。
そう思うことで弟も私も安堵する日々である。
生前の父は弟の家に来ても玄関から一歩も家の中へ入らなかったそうだ。
その理由は定かではないが父にも複雑な遠慮があったのだろう。
その父が今は遺骨となり弟達家族と共に暮らしているのである。
決して寂しい思いはさせない。父にも家族が在るのだった。
そうして見守り続けてくれているのだと信じて止まない。
午後はひたすら寝て過ごす。夫に云わせれば異常とのこと。
今日は4時間も寝てしまい半日を無駄にしてしまった。
30分ほど自室で過ごしてから夕食のカレーを作る。
今夜はダンス教室があるので娘に頼るわけにはいかない。
作っていたら娘が気づいたのか台所に顔を見せてくれた。
そうして「ささ身カツ」を手早く作ってくれてとても助かる。
おかげで5時半には夕食が出来て娘達は予定通りに出掛けて行った。
最低限の家事である。これ以上もこれ以下もない。
家事に限らず私はいつも最低限を彷徨っているようだ。
「ぼちぼち」も好きだが最近は「そこそこ」が好きになった。
もう上を目指すこともないだろう。今の居場所が一番に思える。
今朝の朝刊に例の文芸賞の発表が載っていた。
やはり佳作には間違いなかったが一番最初に私の名が載っていた。
これでこそ「そこそこ」なのだと思う。
それなりの実力でありそれなりの評価なのだろう。
上を目指すことはある意味「欲」であり愚かな事にも思える。
そう思うとちょうど良い処に私が存在しているのだった。
書くことを諦めるつもりはないがこれからも「そこそこ」を目指したい。
身の程を知り過ぎた私であっても存在することは叶うのである。
※以下今朝の詩
独り
独りきりで在れば 何も求めはしない
ひとついっぽん ひとかけらである
薔薇の花束よりも 野菊がこのましい
どれ程の美しさであっても ひそやかな姿に敵いはせず 賛美の声は遠くなるだろう
かと云って偉ぶることをせず 身の程を知り慎ましく生きる
遠ければ手を伸ばすだろう 哀しければ涙を流せばいい
たったひとりのひとが きっと見つけてくれる
野に吹く風が冷たさを纏い 季節はもう冬なのに違いない
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