| 2025年11月19日(水) |
当たり前ではない日常 |
今朝も真冬程の冷え込みではなかったが
昨日と同じく日中の気温が上がらず冬らしい一日となる。
昨日の夕方大分市佐賀関で発生した大規模火災は未だ鎮火せず
170棟以上の住宅が焼失し大勢の人が焼き出されている。
これ程の大惨事があって良いのかと心が痛んでならない。
この寒空に家を失い何と気の毒なことだろう。
海辺の町で穏やかに暮らしていた人達の日常が失われたのである。
道が狭く入り組んでおり消火活動がかなり困難だったらしい。
そんな人的な悲劇が大きな惨事に繋がったのだろう。
せめて雨をと願うがしばらく晴天が続きそうだった。
一刻も早く鎮火することをひたすら願ってやまない。
大分市には旧知の友が住んでおり連絡をしてみたが
電話番号は知らずメールアドレスだけが頼りだった。
しかし送信したら直ぐにエラーになって返って来る。
おそらくメールアドレスを変えているのだろう。
パソコンのアドレスにも送信してみたが届かなかったようだ。
住所で位置を確認しようとしたがその住所が思い出せない。
距離が十分にあれば延焼を免れているはずである。
連絡が取れない以上は諦めるしかなく無事を祈ることしか出来ない。
まさか大分市全域に延焼することはないだろう。
きっときっと鎮火する。そう信じて見守るしかないようだ。

仕事はやっと車検の車が2台入庫し今日は順調であった。
義父も上機嫌で田んぼの草刈りに出掛ける。
私はリハビリ通院でいつもの整形外科へ向かった。
普段は無口なU君が今日はあれこれと話し掛けてくれる。
週末の連休の話になりU君は友達の結婚式があるのだそうだ。
友達の結婚ラッシュが続いているらしくU君が独身であるのが分かる。
先日30歳になったばかりなのだそうだ。びっくりの若さであった。
そんな若者に足腰を揉み解してもらい何と幸せなことだろう。
なんだか申し訳ないような気持にもなった。
会話も仕事の内なのだろうと思う。それは私も同じであった。
昼間のこと足の手術を終えたばかりのお客さんと話していて
一本だった杖が二本に増えたのだそうだ。
経過は順調らしいが手術をしても成果を感じられないとのこと。
何のために二ヶ月近くも入院していたのだろうと嘆いていた。
そんな話を聞くと手術も良し悪しだなと思う。
私は杖さえあれば歩ける。車にも乗れるし仕事にも行ける。
ふっとこのままで良いのかもしれないと思った。
本音を云えば手術は嫌だった。日常が奪われるのが何よりも嫌である。
しかしそんな日常が決して当たり前ではないことを思い知った。
火の手が迫って来てランドセルを持ち出すのが精一杯だったそうだ。
他の大切な物はすべて焼き尽くされてしまったのだ。
※以下今朝の詩
北風と太陽
小春ちゃんがいじめられている 助けてやらないと 守ってやらないといけない
「北風と太陽」のお話を思い出す あれは小春ちゃんのお母さんだった 決して自慢話ではないのだ お母さんはただとても優しかった
大きくなったらお母さんみたいになりたい 小春ちゃんは早くおとなになりたいと思う
悪戯っ子が小春ちゃんの髪を引っ張る 足が太いと云ってからかっている
小春ちゃんは泣きそうな顔をして それでもいっしょうけんめいに 空に手を伸ばそうとしていた
独りぼっちじゃないよ みんながそばにいるんだよ
私は勇気を出して 悪戯っ子に向かって行ったのだ
やがて小春ちゃんは陽だまりになった お母さんによく似ている優しい女の子である
寒気到来ではあったが今朝はさほど冷え込まなかった。
しかし日中の気温が上がらずこれが寒波なのかと思う。
冷たい北風が吹き暖房無しでは過ごせない。
猫達も寒さで丸まっており可哀想でならなかった。
屋内で過ごせたらどんなにか幸せだろうかと思う。
今朝は「猫係」のお客さんが現れず
あまりに鳴くので私が餌を与えたのだが
子猫も空腹だったのだろうみい太と一緒に食べようとする。
すると同僚が何と子猫を足で蹴ってしまったのだった。
それはあまりにも酷いと抗議をせずにいられない。
同僚も義父と同じ考えなのだ。情けをかけてはいけないと云う。
私もこれまでどれ程心を鬼にして来たことだろうか。
しかし今朝は少しぐらい餌を食べさせてやりたかった。
子猫は飛び逃げ父猫が食べ終わるのを遠くから見ている。
その健気な様子に涙が出そうになった。
野良に生まれたばかりに受けなければいけない仕打ち。
それはどうすることも出来ずただ見守ることしか出来ない。

仕事は今日も車検の予約が無く同僚は待機であった。
する仕事がないのは辛いものだが同僚は反対に喜んでいるようだ。
喫煙所でスマホを操作していたりしてどうしようもない。
するとやっとオイル交換のお客さんが来てくれた。
同僚が仕事を始めると何とほっとしたことだろう。
午後には大型車のパンク修理があったが
大きなタイヤを外さねばならず同僚も苦労していた。
仕事が全くない訳ではなくこれでこそ「そこそこ」である。
その同僚だが先日の「大腸がん検診」で異常が見つかったらしく
専門の病院で再検査をしなければならないのだそうだ。
まだ病院も決めていないと云うので今日は背中を押した。
とにかく早いに越したことはない。最悪の場合も考えなければと思う。
宿毛市内の病院に決め金曜日に検査をすることになった。
大事に至らなければ良いが大きな心配となる。
それにしても同僚の落ち着きようには呆れる程であった。
へらへらと笑い飛ばしているが内心では不安なのに違いない。
義父は午前中に歯医者さんへ行き治療は順調とのこと。
午後は「さあ行くぞ」と勇ましく田んぼの草刈りに出掛ける。
機嫌はとても良く私も笑顔で見送ったことだった。
またまた鬼の居ぬ間に定時で帰路に就く。
夫の冬物の衣類が少なく「しまむら」で買い求めた。
未だにポロシャツで過ごしており寒そうでならないのだ。
帰宅して早速見せたら「まだ冬もんは早い」と云う。
せっかく買って来たのに何と可愛げのないことだろう。
明日は定期の通院日なので着て行って欲しいものだ。
今日はSNSでちょっとしたトラブルに巻き込まれ
AIの響君に対処方法を教えてもらった。
パスワードも変更せねばならず帰宅するなり直ぐに更新する。
ひとますこれで安心だが今後も十分に注意しなければならない。
私の場合は詩や短歌の発信が主なので娯楽性は殆ど無いのだが
落とし穴は目に見えずいつどん底に陥るやら分からなかった。
絶対に安全だと云う保障はない。自分で守るしかないのだと思う。
私にとっては唯一詩を書ける場所であった。
※以下今朝の詩
北風
ひゅるひゅると声がする 泣いているのだろうか いいえ歌っているのです
与えられた場所があり 与えられた空がある
野を越え山を越え遠く遥かに その歌声がこだましている
冬鳥が横切っていく 彼らにとっては波のようなもの 身を任せ自由に飛び交う
老樹は嘆くこともせず その葉を惜しみなく落とす 痛みなど在りはしないのだ
風ならば歌うことが出来る 陽気でなければ生きていけない
それならば吹かれよう 背を真っ直ぐに伸ばし 立ち向かっていこう
晴れのち曇り。気温は20℃を超え暖かな一日だった。
明日から寒波とのことで身構えていたのだが
どうやら真冬並みの寒さではなさそうである。
ただ明日は朝から殆ど気温が上がらないらしい。
それなりにと思う。冬らしい一日となるのだろう。
今朝の国道でとても嬉しいことがあった。
すっかり諦めていた皇帝ダリアの花が咲いていたのである。
僅か二輪程だったが朝陽を浴びてきらきらと輝いていた。
おそらくまだ蕾が残っていたのだろう。奇跡のように思った。
またしばらくは朝の楽しみが出来る。
逞しく根を張り彼女らも精一杯に生きているのだ。

朝一に義父とちょっとしたいざこざがある。
私が余計なことを云ったばかりに義父を怒らせてしまったのだ。
直ぐに謝ったが許してくれない。くどくどとほじくり返す。
義父の性格は分り切っているつもりだったが今朝はいささか参った。
口は災いの元である。今後の教訓にしなければならない。
工場は月曜日だと云うのに車検の予約が入っておらず
あわや閑古鳥を招くところであったが
オイル交換のお客さんが二人も来てくれた。
僅かな売り上げであっても仕事があるのは有難いことだ。
お客さんに珈琲を淹れて雑談をするのも楽しいものである。
機嫌を損ねていた義父も次第に朗らかになり
トラクターの準備をすると田んぼを耕しに行った。
農作業さえ出来れば彼は幸せなのだろう。
とことん好きなことをやらせてやりたかった。
午後は来客がなく同僚は会社のサービスカーの車検整備をしていた。
年末に車検が切れるので暇な時に済ませておいた方が良い。
もちろん売上にはならず経費が嵩むばかりだが
お客さんに貸し出す代車は万全に整えておかねばならない。
鬼の居ぬ間にではないが私は早目に退社させてもらった。
今日は娘夫婦がまた病院へ行っており帰りが遅くなるとのこと。
今朝はちゃんと話してくれて高知市ではなく四万十町窪川の病院らしい。
車だと一時間程の道のりだが午後からの診察らしかった。
病状は訊いても詳しくは教えてくれない。
ただ内臓が悪いのではないらしく整形外科かもしれないと思う。
窪川病院の整形外科は評判が良いと聞いたことがあった。
しかしそれも私の憶測で本当のことは何も分からないのである。
娘達にとっては「秘密」ではなく「内緒」なのだろう。
だから決して根掘り葉掘り訊いてはいけないのだと思う。
けれども打ち明けてくれたらどんなにか気が楽になるだろうか。
心配は募るばかりで気分はもやもやと落ち着かない。
大相撲を観ながら夫と質素に夕食を済ます。
娘達は夕食不要と云い残して行った。
それを知らなかったあやちゃんが「今夜は何?」と訊きに来る。
「お母さんは?」ともうとっくに帰って来ていると思ったようだ。
あやちゃんも詳しいことを聞かされていないようである。
子供達に心配をかけてはいけないと思ったのかもしれない。
「秘密」と「内緒」がぐるぐると回り続けている我が家であった。
6時過ぎには娘夫婦が帰って来たが二人ともあっけらかんとしている。
そんな姿を見ていると何だかほっとするのだった。
娘婿は明日は仕事に行くらしく無理をしないようにと願う。
家族ではないのかもしれないが家族なのだと思わずにいられない。
※以下今朝の詩
冬将軍
冬将軍がやって来る 馬に乗ってやって来る
蹄の音が風に舞い ぱっかぱっかぱっか
花たちは覚悟をする 負けるもんかと思う 根をこれでもかと張り 茎を真っ直ぐに伸ばす
闘わねばならぬのか 争いたくはなかったが 命を守るためである
冬将軍の刃が光る 殺めようとするのなら 立ち向かうしかない
花たちは身を寄せ合う 花びらは鎧であった
暴れたければそうすればいい どのような惨劇であっても やがて訪れる春に敵いはしない
晴れの天気予報が外れてしまい曇り空の一日となる。
洗濯物係の夫が「乾くろうか」と心配していた。
陽射しは無かったが気温は21℃まで上がり暖かい。
風も殆ど無く過ごし易い一日であった。
明後日には大寒波とのこと。朝のうちに冬布団を出す。
陽に干したかったが叶わずそのままベットに設えた。
冬物の衣類も出さねばならずそこそこの家事である。
たまには主婦らしいこともしなければならない。
午後は2時間程寝て後は自室で過ごしていた。
あまり寝過ぎると夜に響くようだ。
昨夜も熟睡出来ず嫌な夢ばかり見ていた。
昼寝もそこそこでなければいけないのだろう。
自室に居ても本を読むわけでもなく
SNSばかりを見ていた。
八丈島の断水が完全復旧したとのこと。
やっと目の前が明るくなったように思うが
まだ倒れた家屋や道路の復旧が残っているようだ。
自衛隊は帰ってしまい後は島民の力でやり遂げなければならない。
詩や短歌の投稿も目立つ。中にははっとするような素晴らしい作品もあった。
有名な詩人さんではなくても無名の才能におどろく。
私と同じようにひっそりと書き続けている人が居るのだった。
もちろん薔薇の花ではない。野に咲く野菊のような人である。
自室で過ごす時間はそれなりに有意義ではあるが
コーヒーを飲み過ぎ煙草を吸い過ぎるのが困ったものである。
特に煙草はひっきりなしとなり咳き込むことが多い。
情けないことだがその度に尿漏れもあった。
長生きはしたいが長生きをすればどうなるのだろうと思う。
来月には69歳になるが70歳の自分が怖ろしくてならない。
「これでは駄目だ」と思い夫が居る茶の間に行っても
そわそわと落ち着かず10分も居られないのである。
そうなればまた自室に戻り同じことの繰り返しであった。
午後4時なりやっと茶の間に落ち着く。
大相撲が面白く夫とわいわい云いながら観ていた。
夫はすっかり解説者気取りとなりそれも愉しくてならない。
とにかく一緒に過ごすことだ。まるで老夫婦の鑑である。
夕食は「すき焼き」だったが娘が準備をしてくれて助かった。
私はタレを味付けしただけで後は食べるだけである。
いつものように夫と先に食べ終えていたが
今夜も孫達の姿が無かった。その上に娘婿の姿も見えない。
娘が独りで食べていたから気になってしょうがなかった。
娘に訊けば干渉となる。老婆心は疼くが何も訊いてはならない。
夫とも話したが娘婿はよほど体調が悪いのではないだろうか。
先日の病院行きのこともあり心配は募るばかりである。
決して秘密ではないと思うが私達には話す必要がないのだろう。
それも複雑な気持ちなるがそっと見守るしかないようだった。
ひとつ屋根の下に暮らすふたつの家族である。
皆がひつになることはまず無くそれぞれに暮らし行かねばならない。
そう受け止めれば些細なことなのだろう。
この世は些細な事で満ちているのかもしれない。
※以下今朝の詩
通夜
夜中に怖い夢を見ると 枕を抱いて父の布団に入った 大きな胸とたくましい腕 父はそうして私を守ってくれた
どうしようもなく歳月が流れ もう何度目の冬なのだろう
父は息をしなくなり冷たくなった
そんな父に添い寝をする 無言の夜は深くかなしい
夢なのかもしれないとおもう けれども少しも怖くはなかった
父は微動だにせず目を閉じている 唇を噛みしめるそれは無念なのだろう
私が守ってやらなければとおもう どうして父を独りぼっちに出来ようか
夜が明けて朝陽が射し始めた 「おとうちゃんおはよう」 声がこだまする何処までも遠くまで
朝の肌寒さもつかの間、日中はぽかぽかの小春日和となる。
紅葉が見頃とのこと。絶好の行楽日和であった。
玄関先の多肉植物に小さな白い花が咲く。
初冬に咲くとは思ってもいなかった。
何とも健気な可愛らしい花である。
おそらく越冬は無理だろう。
娘任せであるがやはり温室が必要に思う。
他にも花をと思うだけで苗を買い求めにも行かなかった。
パンジー、ビオラ、葉牡丹と思いを馳せるばかりである。
二週間ぶりのカーブスが何とも心地よかった。
余程身体が鈍っていたのだろう。薄っすらと汗を流す。
来週は仕事の予定なのでまた休まねばならなかった。
平日の午後は3時からなのだそうでいささか無理っぽい。
少しでも体力作りをと思うがその日の気分次第である。
父の22年目の命日であったが何も出来ず。
遺影に手を合わせ詫びるばかりであった。
未だお墓も無く遺骨は弟の家に安置してある。
弟も苦労をしていて納骨堂どころではないようだった。
姉である私が援助すべきだが経済的なゆとりは全く無かった。
父には本当に済まないと思うがきっと許してくれているだろう。
そう思うことで弟も私も安堵する日々である。
生前の父は弟の家に来ても玄関から一歩も家の中へ入らなかったそうだ。
その理由は定かではないが父にも複雑な遠慮があったのだろう。
その父が今は遺骨となり弟達家族と共に暮らしているのである。
決して寂しい思いはさせない。父にも家族が在るのだった。
そうして見守り続けてくれているのだと信じて止まない。
午後はひたすら寝て過ごす。夫に云わせれば異常とのこと。
今日は4時間も寝てしまい半日を無駄にしてしまった。
30分ほど自室で過ごしてから夕食のカレーを作る。
今夜はダンス教室があるので娘に頼るわけにはいかない。
作っていたら娘が気づいたのか台所に顔を見せてくれた。
そうして「ささ身カツ」を手早く作ってくれてとても助かる。
おかげで5時半には夕食が出来て娘達は予定通りに出掛けて行った。
最低限の家事である。これ以上もこれ以下もない。
家事に限らず私はいつも最低限を彷徨っているようだ。
「ぼちぼち」も好きだが最近は「そこそこ」が好きになった。
もう上を目指すこともないだろう。今の居場所が一番に思える。
今朝の朝刊に例の文芸賞の発表が載っていた。
やはり佳作には間違いなかったが一番最初に私の名が載っていた。
これでこそ「そこそこ」なのだと思う。
それなりの実力でありそれなりの評価なのだろう。
上を目指すことはある意味「欲」であり愚かな事にも思える。
そう思うとちょうど良い処に私が存在しているのだった。
書くことを諦めるつもりはないがこれからも「そこそこ」を目指したい。
身の程を知り過ぎた私であっても存在することは叶うのである。
※以下今朝の詩
独り
独りきりで在れば 何も求めはしない
ひとついっぽん ひとかけらである
薔薇の花束よりも 野菊がこのましい
どれ程の美しさであっても ひそやかな姿に敵いはせず 賛美の声は遠くなるだろう
かと云って偉ぶることをせず 身の程を知り慎ましく生きる
遠ければ手を伸ばすだろう 哀しければ涙を流せばいい
たったひとりのひとが きっと見つけてくれる
野に吹く風が冷たさを纏い 季節はもう冬なのに違いない
燦々と降り注ぐ陽射し。ぽかぽかと暖かい小春日和となる。
猫も今日は日向ぼっこをしており微笑ましい姿だった。
朝の国道でいささかショックなことがある。
昨日まで確かに咲いていた皇帝ダリアの花が忽然と消えていた。
散ってしまったのだとしても跡形もなく消えるものだろうか。
不可解でならなかったが車を停めることも出来ず残念でならなかった。
まさか手折る人はいないだろう。高い所に咲く花に手が届くはずがない。
いつまでも未練がましく思うのも憚られ「仕方ないこと」とした。
いったい何があったのか花に訊くことも出来ないのだ。

ゆるりゆるりと仕事。今週はもう車検の予約が入っていない。
同僚も手持ち無沙汰となり工場の片付けをしていた。
義父は大月町まで出張修理に出掛ける。
来客は二人ほど。バッテリー交換と支払いのお客さんだった。
月始めにはゼロだった資金だったが現金も預金も随分と潤う。
このまま順調に月末まで辿り着きたいものである。
朝一にRKCラジオの番組にメッセージを送信していた。
先日小さなポケットラジオを買ったばかりである。
音量は大きく出来ないが仕事中でも十分に聴くことが出来た。
まさか読まれることはないだろうと思っていたのだが
9時半頃にそのメッセージが読まれて何と嬉しかったことだろう。
金曜日の楽しみである。これは癖になるなとほくそ笑んでいた。
リクエスト曲も送信してあったがラジオばかり聴いている訳にもいかず
ラジオのスイッチを切り義父の帰りを待っていた。
修理は無事に終わったとのこと。お客さんも喜んでくれたそうだ。
まるで車の110番である。困った人が居れば直ぐに駆け付けるのだった。
午後は大型車のタイヤ交換があったが一時間程で終る。
義父は久しぶりに田んぼの草刈りに出掛けて行った。
私も特にする仕事もなく少し早目に帰路に就く。
今週も程よい疲れと心地よい達成感であった。
サニーマートでゆっくりと買い物をする。
今日は朝獲れの「カマス」が安く6匹買い求めた。
近海で大漁だったのだろう。新鮮でとても美味しそうである。
高知の良い処は目の前が太平洋なのだ。
おかげで新鮮な魚がいつでも手に入るのである。
3時過ぎには帰宅しておりゆっくりと休むことが出来た。
「おい、もう5時だぞ」と夫が起こしてくれる。
娘の方が先に台所に立ち追うように私も炊事をした。
夕食後は煙草を吸いながらしばらくSNSを見るのが日課だが
今朝の詩に北海道の詩人さんが「いいね」をしてくれていた。
北海道新聞で「特選」を取ったそうで大いに興味が湧く。
しかし発信されている詩を読んでその期待は裏切られた。
心に響く詩が一編もないのである。どの詩にも「あなた」が居る。
おそらくまだ若い恋多き女性なのだろうと察した。
言葉は悪いが「特選」とはこんなもんかと思う。
そうして鼻高々に自信満々になるのは何とも愚かなことである。
私は薔薇の花よりも野に咲く花が好きだ。
どれ程美しさを誇っても野の花には敵わないと思う。
ひっそりと静かに咲く。例え誰にも見つけてもらえなくても。
※以下今朝の詩
凛々
凛々とそれは目には見えず 感じるものなのだろうか
花であることの誇らしさ 胸を張りたくましく咲く
手折られることを怖れず 散ることを受け止めれば なんの未練も在りはしない
季節の掟に逆らうことをせず 風の行方を見届けることだ
どのような生き方であっても 花の一生を否定出来るだろうか 寄り添えばこころを支配する 執着に他ならないとしても
凛々と咲けばりんりんと鳴る その微かな音に耳を傾けている
小雨が降ったり止んだり。気温も上がらず肌寒い一日だった。
明日は晴れて数日小春日和が続きそうだが
来週の火曜日には一気に冬将軍がやって来そうである。
どれ程の寒さだろうか。早くも不安でならなかった。
職場のすぐ近くに2本の銀杏の木が並んでおり
今朝はその黄金色に心を奪われる。
生憎の雨であったがきらきらと輝いているように見えた。
健脚だった頃はお昼に散歩をした事もある。
すぐ傍に小さな川が流れておりせせらぎの音も懐かしい。
今は写真も撮れなくなった。それも歳月の悪戯だろうかと思う。

仕事は車検が無かったがタイヤ交換やオイル交換があった。
先日から入庫していた一般修理の部品も揃う。
同僚がひとつひとつこなしてくれてそれなりに活気がある。
義父は請求書を作成するのに知恵を貸してくれ助かった。
複雑な修理は整備をした者にしか分からないことが多い。
23万円の請求書が出来て入金があるのが楽しみである。
何でも直す義父らしくトイレのドアノブも直してくれた。
古い事務所なのであちこちガタが来ているようだ。
トイレも相当古く水洗トイレではないのだが
リフォームをする資金も無い貧乏会社であった。
免許の更新に行く予定だったので2時に退社したが
警察署に着くと何と早くわずか10分で終わった。
写真も撮って貰ったが何とも不細工な顔である。
もしかしたら遺影になるかもしれないと思うとぞっとした。
3時過ぎには帰宅しており大相撲を観ながらうたた寝をする。
とろりとろりと何と心地良いことだろう。
夕食用に有頭海老を買って来ていたのであやちゃんに訊くと
海老フライが食べたいとちゃんと応えてくれて嬉しかった。
最近は夕食をとても楽しみにしている様子で笑顔も多い。
そんな明るさが前途をきっと照らしてくれるはずである。
夕食後にはNHKのローカルニュースにめいちゃんが出ていた。
今日は社会学習で四万十川の海苔の研究会があったのだそうだ。
漁協では養殖に力を注いでおり日々全滅と闘っている。
人工的な養殖であっても海苔の未来に繋がって欲しいと願う。
青海苔を食べているめいちゃんの顔がアップで映り感激であった。
めいちゃんはもう我が家のスターである。
明るいニュースがずっと続くことを願って止まない。
一番には家族の健康で平穏無事な日々である。
決して裕福な家庭ではないが人並みに暮らして行けること。
事故や災害に決して巻き込まれないこと。
欲を云えばきりがないが最低限の保障があればと思う。
季節はどうしようもなく真冬に向かっているが
心にはいつも春の花を咲かせていたいものだ。
※以下今朝の詩
布
途切れてはならない ただ一心につらぬく
雨ならば雨に寄り添い 風ならば風に吹かれよう
もしも破れてしまったら 繕うことから始めればいい
一針に心を込める 痛かったことだろう 辛かったことだろう
だいじょうぶ 糸はたくさんあるのだから
否定からは何も生まれない 認めてこその命ではないか
つらぬけばきっと辿り着く 一枚の広い布となり すべてを包み込むことが出来る
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