燦々と降り注ぐ陽射し。ぽかぽかと暖かい小春日和となる。
猫も今日は日向ぼっこをしており微笑ましい姿だった。
朝の国道でいささかショックなことがある。
昨日まで確かに咲いていた皇帝ダリアの花が忽然と消えていた。
散ってしまったのだとしても跡形もなく消えるものだろうか。
不可解でならなかったが車を停めることも出来ず残念でならなかった。
まさか手折る人はいないだろう。高い所に咲く花に手が届くはずがない。
いつまでも未練がましく思うのも憚られ「仕方ないこと」とした。
いったい何があったのか花に訊くことも出来ないのだ。

ゆるりゆるりと仕事。今週はもう車検の予約が入っていない。
同僚も手持ち無沙汰となり工場の片付けをしていた。
義父は大月町まで出張修理に出掛ける。
来客は二人ほど。バッテリー交換と支払いのお客さんだった。
月始めにはゼロだった資金だったが現金も預金も随分と潤う。
このまま順調に月末まで辿り着きたいものである。
朝一にRKCラジオの番組にメッセージを送信していた。
先日小さなポケットラジオを買ったばかりである。
音量は大きく出来ないが仕事中でも十分に聴くことが出来た。
まさか読まれることはないだろうと思っていたのだが
9時半頃にそのメッセージが読まれて何と嬉しかったことだろう。
金曜日の楽しみである。これは癖になるなとほくそ笑んでいた。
リクエスト曲も送信してあったがラジオばかり聴いている訳にもいかず
ラジオのスイッチを切り義父の帰りを待っていた。
修理は無事に終わったとのこと。お客さんも喜んでくれたそうだ。
まるで車の110番である。困った人が居れば直ぐに駆け付けるのだった。
午後は大型車のタイヤ交換があったが一時間程で終る。
義父は久しぶりに田んぼの草刈りに出掛けて行った。
私も特にする仕事もなく少し早目に帰路に就く。
今週も程よい疲れと心地よい達成感であった。
サニーマートでゆっくりと買い物をする。
今日は朝獲れの「カマス」が安く6匹買い求めた。
近海で大漁だったのだろう。新鮮でとても美味しそうである。
高知の良い処は目の前が太平洋なのだ。
おかげで新鮮な魚がいつでも手に入るのである。
3時過ぎには帰宅しておりゆっくりと休むことが出来た。
「おい、もう5時だぞ」と夫が起こしてくれる。
娘の方が先に台所に立ち追うように私も炊事をした。
夕食後は煙草を吸いながらしばらくSNSを見るのが日課だが
今朝の詩に北海道の詩人さんが「いいね」をしてくれていた。
北海道新聞で「特選」を取ったそうで大いに興味が湧く。
しかし発信されている詩を読んでその期待は裏切られた。
心に響く詩が一編もないのである。どの詩にも「あなた」が居る。
おそらくまだ若い恋多き女性なのだろうと察した。
言葉は悪いが「特選」とはこんなもんかと思う。
そうして鼻高々に自信満々になるのは何とも愚かなことである。
私は薔薇の花よりも野に咲く花が好きだ。
どれ程美しさを誇っても野の花には敵わないと思う。
ひっそりと静かに咲く。例え誰にも見つけてもらえなくても。
※以下今朝の詩
凛々
凛々とそれは目には見えず 感じるものなのだろうか
花であることの誇らしさ 胸を張りたくましく咲く
手折られることを怖れず 散ることを受け止めれば なんの未練も在りはしない
季節の掟に逆らうことをせず 風の行方を見届けることだ
どのような生き方であっても 花の一生を否定出来るだろうか 寄り添えばこころを支配する 執着に他ならないとしても
凛々と咲けばりんりんと鳴る その微かな音に耳を傾けている
小雨が降ったり止んだり。気温も上がらず肌寒い一日だった。
明日は晴れて数日小春日和が続きそうだが
来週の火曜日には一気に冬将軍がやって来そうである。
どれ程の寒さだろうか。早くも不安でならなかった。
職場のすぐ近くに2本の銀杏の木が並んでおり
今朝はその黄金色に心を奪われる。
生憎の雨であったがきらきらと輝いているように見えた。
健脚だった頃はお昼に散歩をした事もある。
すぐ傍に小さな川が流れておりせせらぎの音も懐かしい。
今は写真も撮れなくなった。それも歳月の悪戯だろうかと思う。

仕事は車検が無かったがタイヤ交換やオイル交換があった。
先日から入庫していた一般修理の部品も揃う。
同僚がひとつひとつこなしてくれてそれなりに活気がある。
義父は請求書を作成するのに知恵を貸してくれ助かった。
複雑な修理は整備をした者にしか分からないことが多い。
23万円の請求書が出来て入金があるのが楽しみである。
何でも直す義父らしくトイレのドアノブも直してくれた。
古い事務所なのであちこちガタが来ているようだ。
トイレも相当古く水洗トイレではないのだが
リフォームをする資金も無い貧乏会社であった。
免許の更新に行く予定だったので2時に退社したが
警察署に着くと何と早くわずか10分で終わった。
写真も撮って貰ったが何とも不細工な顔である。
もしかしたら遺影になるかもしれないと思うとぞっとした。
3時過ぎには帰宅しており大相撲を観ながらうたた寝をする。
とろりとろりと何と心地良いことだろう。
夕食用に有頭海老を買って来ていたのであやちゃんに訊くと
海老フライが食べたいとちゃんと応えてくれて嬉しかった。
最近は夕食をとても楽しみにしている様子で笑顔も多い。
そんな明るさが前途をきっと照らしてくれるはずである。
夕食後にはNHKのローカルニュースにめいちゃんが出ていた。
今日は社会学習で四万十川の海苔の研究会があったのだそうだ。
漁協では養殖に力を注いでおり日々全滅と闘っている。
人工的な養殖であっても海苔の未来に繋がって欲しいと願う。
青海苔を食べているめいちゃんの顔がアップで映り感激であった。
めいちゃんはもう我が家のスターである。
明るいニュースがずっと続くことを願って止まない。
一番には家族の健康で平穏無事な日々である。
決して裕福な家庭ではないが人並みに暮らして行けること。
事故や災害に決して巻き込まれないこと。
欲を云えばきりがないが最低限の保障があればと思う。
季節はどうしようもなく真冬に向かっているが
心にはいつも春の花を咲かせていたいものだ。
※以下今朝の詩
布
途切れてはならない ただ一心につらぬく
雨ならば雨に寄り添い 風ならば風に吹かれよう
もしも破れてしまったら 繕うことから始めればいい
一針に心を込める 痛かったことだろう 辛かったことだろう
だいじょうぶ 糸はたくさんあるのだから
否定からは何も生まれない 認めてこその命ではないか
つらぬけばきっと辿り着く 一枚の広い布となり すべてを包み込むことが出来る
肌寒い曇り日。陽射しの有難さをつくづくと感じる。
寒がりの猫達も今日は散歩に行かずずっと工場に居た。
みい太は段ボールの寝床で丸まっていたが
子猫は入ろうとせず何だか戸惑っているように見えた。
もしかしたらお腹が空いているのかもしれない。
義父に内緒で餌をやりたかったが心を鬼にする。
痩せ衰えてはいないが何とも憐れな子猫であった。
母猫はいったい何処に行ってしまったのだろう。
まだまだ母親が必要な年頃ではないだろうか。
せめて抱いてやりたかったが人の手を怖れているようだった。

仕事は午前中に車検が終了し後の予約は入っていない。
珍しいことだが閑古鳥が鳴く日があっても良いだろう。
例の事故車は保険請求の段取りが済み外注先の板金屋さんへ行く。
土曜日の夕方までには必ず納車してくれるそうで大助かりだった。
義父が段取りをしてくれなかったらそれも叶わなかったことだろう。
農閑期で何よりに思う。義父でなければ出来ない仕事である。
リハビリ通院日で2時半過ぎに退社した。
昨日は内科、今日は整形外科と何とも気忙しい。
リハビリ前には血圧を測るのだがまた169の高さであった。
U君はよく心得ていて無理な施術を控えてくれる。
例えば腰上げ運動とか腹筋運動も今日は休みだった。
何となく物足らなさを感じたがU君に任せるしかない。
それにしても昨日は134だったのにと思う。
上がったり下がったり血圧も大忙しである。
帰宅して夫に話せば「神経質過ぎるがじゃ」と偉そうに云う。
神経質だから不安を和らげる薬も飲んでいるのだが
夫は理解出来ないようで笑い飛ばしてしまうのだった。
もう明日から血圧の話をするのはよそうと思った。
しかし夫婦揃って神経質だったらどうなっていたことだろう。
二人で不安がっていたら助け船を出す人が誰も居なくなる。
夫婦とはよく出来ているものだ。プラスマイナスで丁度良い。
夕食後は入浴。体重を測り入浴後はまた血圧を測るのが日課であった。
夜は昼間よりも低くまあこんなもんだろうと思う。
それもどんな日もあるがイコール「死」だとは限らないのだそうだ。
昨日主治医がそう云って安心させてくれた。
ゲンキンな者で「そっか死なないのか」とのほほんと思う。
そうなればまだまだ生きるチャンスが巡って来るのである。
死ぬ時は死ぬがそうそう切羽詰まったことではないだろう。
ただ覚悟だけは常にしておかなければならない。
明日は雨になるらしく夜風もしっとりとしている。
「これだけは」と自分に課していることを全うしたようだ。
後はぐっすりと眠るだけである。
※以下今朝の詩
坂道
上り坂であったり 下り坂であったり
息を切らしながら 目指す場所がある
季節は初冬のこと 冷たい風を受けて 仰ぐ空のまぶしさ
陽と風が競い合う 真っ只中をあるく
辿り着けば救われるのか 命を認めてくれるだろうか
足が痛むこころは折れる 弱音はいくらでも吐こう
空の何と果てしないこと だからこそ生き永らえる
| 2025年11月11日(火) |
毎日難儀なことばかり |
晴れの予報だったが曇り日となり気温も上がらず。
これが本来の11月の気候なのだろう。
まだ重ね着はしていないが何か羽織りたいような肌寒さだった。
朝ドラ「ばけばけ」を見終わるなり掛かり付けの病院へ走る。
主治医は午前中のみの診察なので急がなければならない。
しかし皆さん考えることは同じなのだろうもう10番目であった。
ひたすら順番を待ちやっと名前を呼ばれた時には2時間半を経過していた。
主治医に会ったのは4か月ぶりである。顔を見ただけでとてもほっとする。
余程リラックスしていたのだろう血圧も134と正常だった。
今朝は156と高目だったので信じられない数値である。
高いのは緊張や疲れ、ストレスでも高くなるのだそうだ。
しかし自分ではその自覚がなく不思議でならない。
主治医と相談の上、降圧剤をまた増量することになった。
それが限度でもうこれ以上増やすことは出来ないらしい。
採血もありインフルエンザの予防注射も済ませた。
次の通院日はもう来年であっという間に今年が終わりそうである。
処方箋を貰い薬局に行ったが待ち時間の何と長いことだろう。
後から来た人が先に帰って行くので不可解でならない。
すると薬剤師さんが病院へ電話を掛けている声が聞こえた。
どうやら主治医が薬の処方を間違えていたらしい。
弘法も筆の誤りだろうか。仕方ないことであった。
私の薬は一体化にしているので全て詰め直さねばならない。
後30分程待って欲しいと云われたがもう12時を過ぎている。
空腹でもあり仕事も気になってならず仕事帰りに取りに来ることにした。
途中のコンビニで腹ごしらえをし急いで職場に向かう。
同僚は車検整備をしており義父は昨日入庫した事故車の段取りをしていた。
車両保険を使うので急いで見積りをしなければならない。
お客さんは長野県から帰省しており来週にはまた長野へ帰るとのこと。
大急ぎで修理をしなければならず義父も頭を悩ませていた。
保険会社とのやり取りもあり大忙しである。
私は急ぎの仕事だけ済ませ2時半に退社し薬局へ向かっていた。
そうしたら義父から電話があり再び職場へ戻らなくてはならない。
保険会社が事故車の写真を直ぐに送信して欲しいと云って来たのだそうだ。
もう薬どころではない。インターチェンジまで行き急いで引き返す。
平田町まで着いたところでまた義父から電話があった。
写真が無くても保険請求が出来るようになったのだそうだ。
「もういいぞ」と云うのでまたUターンをして薬局に向かった。
何と慌ただしかったことだろう。血圧も上がっているように思う。
薬局で大量の薬を受け取り7千円も支払った。
また薬代が高くなったが「命の代償」と思うしかない。
買い物を済ませ4時過ぎに帰宅。今日は少し寝転ぶことが出来た。
夫に「今日の出来事」を話せば疲れも薄れるようだった。
「そうか、そうか」と耳を傾けてくれ有難くてならない。
夕食後には新しく処方してもらった薬を飲んだ。
直ぐに効くとは思えないが明日の朝の血圧が楽しみである。
朝ドラ「ばけばけ」の主題歌がとても好きだった。
「毎日難儀なことばかり 泣き疲れ眠るだけ」
以下今朝の詩
小春日和
小春ちゃんの誕生日 今夜はお母さんが ご馳走を作ってくれる
お父さんがケーキを 買って来てくれる 小春ちゃんは チーズケーキが大好き
ろうそくは6本だ ふうっと消すのが楽しみ
冬に生まれたこどもは 優しい子なんだよと おばあちゃんが言った
お友達と遊ぶ時 仲良くしようとおもう 泣いている友達がいたら よしよししようとおもう
陽だまりに枯葉が舞って 悪戯っ子の北風君が らんぼうなことをしたら 駄目だよってちゃんと言う
小春ちゃんの夢は 春風になること
そうして桜の木の下で みんなと笑顔で遊ぶこと
今朝は18℃と随分と暖かだったが
日中は20℃止まりで少し風が肌寒く感じる。
明日の朝はぐんと冷え込む予報であった。
寒さに怖気づいてはいけないが緊張せずにはいられない。
冬を怖れないと決めたのに何と情けないことだろう。
今朝は国道で数人のお遍路さんを追い越し
山道に入ると例の休憩所で一休みしているお遍路さんが居た。
マリーゴールドに目を留めてくれたのだろうか。
何だか絵のような風景に見えた。
車を停めて声を掛けてみたかったが
俯いてスマホを操作している様子で遠慮する。
会釈はしたがきっと気づいてはくれなかっただろう。

仕事は月曜日らしく怒涛の忙しさとなる。
土曜日に不備のあった車も整備が完了し車検をしなければならない。
それがお昼になり休憩どころではなかった。
午後には義父が手掛けていた複雑な修理も完了しそれも車検である。
そうこうしているうちに同僚は一日車検の整備を済ませていた。
何とも気忙しく立て続けに車検完了の書類を書かなければいけない。
3時を過ぎてから納車だった。
高齢のお客さんで代車を貸していなかったので同僚と二人で行く。
代金は明日振り込んでくれるそうで有難いことである。
4時前に退社したが仕事はまだ終わらない。
お客さんから電話がありタイヤの注文があった。
その段取りもしなければならず5時前にやっと帰宅した。
大相撲どころか横になる暇もなくぐったりと疲れを感じる。
8時間ぶっ続けの仕事だった。流石に老体には厳しかったようだ。

あれこれと考えていたが今日はSNSに日記のリンクを貼り戻した。
そうしておけば娘や息子がきっと気づいてくれるだろう。
もしかしたら20年前の日記も読んでくれるかもしれない。
一縷の望みであったがその望みに賭けてみたいと思う。
リンクを外したのはあやちゃんの願いがあったからだったが
これ以上新規の読者が増えるとは思えない。
SNSのプロフィールにも日記の事には一切触れていないのだ。
そんなリンクに誰が興味を示すだろうと思う。
もし気づいた人が居たとしても一度きりの読者ではないだろうか。
毎日読みたいと思う人がいたら奇跡にも思える。
とにかくもうこれ以上の読者を増やしてはならない。
あやちゃんを傷つけることがあってはならないのだ。
もしアクセス数が増えるようであればまた考えようと思う。
読者への「信頼」それがなければ何も書けない。
日々の事を洗いざらい書くことは出来ないのだ。
恥も曝し弱音も吐き不安や心細さもある。
そうして私がこの世から消えても
いつまでも心に残る存在でありたいと願ってやまない。
※以下今朝の詩
皇帝ダリヤ
短日を知ってこそ咲く花である
それは川辺の畑の隅っこで咲き 一斉に川面を見つめているのだった
朝陽が射し始め光り輝く川面 花たちの花びらは透き通り まるで天使の羽根のようである
爽やかな朝風が吹き抜けていく 茎は揺れその逞しさを伝える
負けてはならないのだ それはどれ程の誇りなのだろうか
やがては霜の朝がやって来る 根に染みる冷たさを知るだろう
生きて咲くことの尊さを 思い知る時が来たのである
雨のち晴れ。気温が高くなり蒸し暑さを感じる。
もう11月だと云うのにこれも異常気象だろうか。
朝のうちに先週搾り切れなかった直七を搾る。
夫も手伝ってくれてやっと全てを搾り終えた。
先週の分と合わせると2升程だろうか。
あまりの多さにご近所さんにお裾分けをする。
直七の果汁は柚子よりも透明で見た目も爽やかだった。
冷蔵庫に保管して置けば一年は持つ。
自家製のポン酢は家族に大好評である。
大した作業でもなかったのに午後は疲れてごろごろと寝ていた。
大相撲の九州場所が初日で夫はテレビに釘づけである。
2時間程寝ただろうか。後は自室でゆったりと過ごす。
SNSのタイムラインは「おすすめモード」にしてあり
興味のある記事が流れることが多い。
ここひと月ほどは「八丈島」からの発信が多く
被害状況や断水の復旧状況を知ることが出来た。
断水はほぼ復旧しているが未だ12世帯が残されているらしい。
東京都の水道局が必死で復旧作業に当たっている。
もう少しの辛抱であると心を寄せずにはいられない。
後は闘病中の方の記事も多かった。
興味と云うより応援である。何としても乗り越えて欲しいと願う。
しかし残念なことに今日も訃報の記事が流れていた。
それは遺族からの報告で何とも辛い現実を押し付けられる。
見ず知らずの人であってもこんなに悲しいことはなかった。
確かに生きていたのである。それが死となり衝撃が走る。
私の場合はと思わずにいられない。死んでしまったらどうなるのだろう。
ある日突然だとしたら私の魂はどれ程戸惑うことだろうか。
もう何も書けないのだ。「私は死にました」とも告げられない。
娘に遺言を残すことも考えたが果たしてそれが叶うだろうか。
「母は息を引き取りました」と娘が記事を書いてくれるとは限らない。
この日記も同じである。まして家族は知らない日記である。
SNSのリンクを外してしまったので誰も辿り着けないだろう。
そうなればもう藻屑のようなもので海の底で眠るしかない運命である。
さあ困ったな。いったいどうすれば良いのだろう。
いくら考えてもどうしようも出来ないことである。
死んだら死んだ時と開き直るしかないのかもしれない。
今夜は書けた。それが何よりに思う。
どうかどうか私のことを忘れないでいて下さいね。
※以下今朝の詩
欲
ひとつふたつみっつ
何と欲張りなのだろう 両の手では持てない
ひとつめは種 ふたつめは実 みっつめは苗
どれも大切なもので 捨てることが出来ない
初冬の雨の日である 潤った土が待っていた 今日でなくてはならない しかしひとつを選べない
途方に暮れることは 諦めることだろうか
ひとつきりでなくてはならないと いったい誰が決めたのだろう
風が少しあったが穏やかな小春日和となる。
春を思わすような蝶々がひらりひらりと舞っていた。
朝の国道の皇帝ダリヤを楽しみに山里の職場に向かう。
花は5輪ほど、みな一斉に川の方に向かって咲いている。
朝陽を浴びてきらきらと輝き可愛らしくてならない。
明日は雨の予報だが逞しく咲き続けて欲しいものだ。
仕事は朝一から来客あり。その後も立て続けに来客がある。
タイヤ交換やバッテリー交換等いかにも土曜日らしい。
以前に同僚が「土曜日が一番忙しい」と云っていたのを思い出した。
午後一にもオイル交換の来客があり車検整備が捗らない。
私はカーブスに行きたいためにいつも休ませてもらっているが
一気に心苦しくなり今後も続けて良いものかと思う。
仕事を取るか体力作りをとるか悩ましいところである。
義父はお客さんと商談があり新車の軽トラックが売れた。
新車は仕切値で仕入れをするので定価よりも安くなる。
儲けは少なくなるがお客さんの喜ぶ顔が一番であった。
来客が一段落してやっと車検整備に取り掛かったが
不備の上にまた不備が重なり車検まで漕ぎつけない。
土曜日は部品屋さんが休みなのでどうすることも出来なかった。
義父と相談して月曜日まで持ち越すことにする。
そうなれば私も待機の必要が無くなり3時に退社させてもらった。
くたびれ儲けかもしれなかったが来客が多かったのでよしとする。
売上もそこそこあり夢に餅のようであった。
休んでいればそれも無かっただろう。今日は仕事の日で良かった。
4時には帰宅しており茶の間で少し横になる。
いつもの土曜日ならごろごろと寝てばかりいただろう。
何だかシャキッとして気分爽快であった。
夕飯には娘がシチューを作ってくれた。
「はい出来たよ」と器にスプーンも添えて食卓に出してくれる。
何と美味しいシチューだろうか。お代わりをしたいくらいだった。
持つべき者は娘だなと思う。今夜の娘はとても機嫌が良かった。
どんな日もあるものだ。いつも明るく朗らかにとは行かない。
我が家の場合は特に些細なことで亀裂が入り易いのだ。
おそるおそる話し掛けることも多くいつも神経を擦り減らしている。
家族団欒も無くなった今となれば現状維持に尽くすしかないだろう。
そろそろ世代交代も考えているが娘夫婦には何も云えなかった。
「それじゃあ出て行く」とも云い兼ねない雰囲気である。
私達夫婦は日に日に老いて行く。そうして「死」もそう遠くないだろう。
それは明日かも知れないと考えずにはいられないこの頃であった。
※以下今朝の詩
一瞬
それは一瞬のことである
輝くならそのとき 光るならそのとき
瞬きをすれば消えてしまう だから真っ直ぐに空を仰ぐ
冬支度を始めた樹々の梢に 飛び交う鳥の姿が見えた 糧となる木の実を求めて 生きることに精を尽くす
見失ってはならない
一瞬であることは奇跡である その日その時だけの賜物なのだ
もしかしたら光になれるかもしれない
哀しい記憶があるのならば 一瞬で消し去ってしまおう
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