| 2025年11月11日(火) |
毎日難儀なことばかり |
晴れの予報だったが曇り日となり気温も上がらず。
これが本来の11月の気候なのだろう。
まだ重ね着はしていないが何か羽織りたいような肌寒さだった。
朝ドラ「ばけばけ」を見終わるなり掛かり付けの病院へ走る。
主治医は午前中のみの診察なので急がなければならない。
しかし皆さん考えることは同じなのだろうもう10番目であった。
ひたすら順番を待ちやっと名前を呼ばれた時には2時間半を経過していた。
主治医に会ったのは4か月ぶりである。顔を見ただけでとてもほっとする。
余程リラックスしていたのだろう血圧も134と正常だった。
今朝は156と高目だったので信じられない数値である。
高いのは緊張や疲れ、ストレスでも高くなるのだそうだ。
しかし自分ではその自覚がなく不思議でならない。
主治医と相談の上、降圧剤をまた増量することになった。
それが限度でもうこれ以上増やすことは出来ないらしい。
採血もありインフルエンザの予防注射も済ませた。
次の通院日はもう来年であっという間に今年が終わりそうである。
処方箋を貰い薬局に行ったが待ち時間の何と長いことだろう。
後から来た人が先に帰って行くので不可解でならない。
すると薬剤師さんが病院へ電話を掛けている声が聞こえた。
どうやら主治医が薬の処方を間違えていたらしい。
弘法も筆の誤りだろうか。仕方ないことであった。
私の薬は一体化にしているので全て詰め直さねばならない。
後30分程待って欲しいと云われたがもう12時を過ぎている。
空腹でもあり仕事も気になってならず仕事帰りに取りに来ることにした。
途中のコンビニで腹ごしらえをし急いで職場に向かう。
同僚は車検整備をしており義父は昨日入庫した事故車の段取りをしていた。
車両保険を使うので急いで見積りをしなければならない。
お客さんは長野県から帰省しており来週にはまた長野へ帰るとのこと。
大急ぎで修理をしなければならず義父も頭を悩ませていた。
保険会社とのやり取りもあり大忙しである。
私は急ぎの仕事だけ済ませ2時半に退社し薬局へ向かっていた。
そうしたら義父から電話があり再び職場へ戻らなくてはならない。
保険会社が事故車の写真を直ぐに送信して欲しいと云って来たのだそうだ。
もう薬どころではない。インターチェンジまで行き急いで引き返す。
平田町まで着いたところでまた義父から電話があった。
写真が無くても保険請求が出来るようになったのだそうだ。
「もういいぞ」と云うのでまたUターンをして薬局に向かった。
何と慌ただしかったことだろう。血圧も上がっているように思う。
薬局で大量の薬を受け取り7千円も支払った。
また薬代が高くなったが「命の代償」と思うしかない。
買い物を済ませ4時過ぎに帰宅。今日は少し寝転ぶことが出来た。
夫に「今日の出来事」を話せば疲れも薄れるようだった。
「そうか、そうか」と耳を傾けてくれ有難くてならない。
夕食後には新しく処方してもらった薬を飲んだ。
直ぐに効くとは思えないが明日の朝の血圧が楽しみである。
朝ドラ「ばけばけ」の主題歌がとても好きだった。
「毎日難儀なことばかり 泣き疲れ眠るだけ」
以下今朝の詩
小春日和
小春ちゃんの誕生日 今夜はお母さんが ご馳走を作ってくれる
お父さんがケーキを 買って来てくれる 小春ちゃんは チーズケーキが大好き
ろうそくは6本だ ふうっと消すのが楽しみ
冬に生まれたこどもは 優しい子なんだよと おばあちゃんが言った
お友達と遊ぶ時 仲良くしようとおもう 泣いている友達がいたら よしよししようとおもう
陽だまりに枯葉が舞って 悪戯っ子の北風君が らんぼうなことをしたら 駄目だよってちゃんと言う
小春ちゃんの夢は 春風になること
そうして桜の木の下で みんなと笑顔で遊ぶこと
今朝は18℃と随分と暖かだったが
日中は20℃止まりで少し風が肌寒く感じる。
明日の朝はぐんと冷え込む予報であった。
寒さに怖気づいてはいけないが緊張せずにはいられない。
冬を怖れないと決めたのに何と情けないことだろう。
今朝は国道で数人のお遍路さんを追い越し
山道に入ると例の休憩所で一休みしているお遍路さんが居た。
マリーゴールドに目を留めてくれたのだろうか。
何だか絵のような風景に見えた。
車を停めて声を掛けてみたかったが
俯いてスマホを操作している様子で遠慮する。
会釈はしたがきっと気づいてはくれなかっただろう。

仕事は月曜日らしく怒涛の忙しさとなる。
土曜日に不備のあった車も整備が完了し車検をしなければならない。
それがお昼になり休憩どころではなかった。
午後には義父が手掛けていた複雑な修理も完了しそれも車検である。
そうこうしているうちに同僚は一日車検の整備を済ませていた。
何とも気忙しく立て続けに車検完了の書類を書かなければいけない。
3時を過ぎてから納車だった。
高齢のお客さんで代車を貸していなかったので同僚と二人で行く。
代金は明日振り込んでくれるそうで有難いことである。
4時前に退社したが仕事はまだ終わらない。
お客さんから電話がありタイヤの注文があった。
その段取りもしなければならず5時前にやっと帰宅した。
大相撲どころか横になる暇もなくぐったりと疲れを感じる。
8時間ぶっ続けの仕事だった。流石に老体には厳しかったようだ。

あれこれと考えていたが今日はSNSに日記のリンクを貼り戻した。
そうしておけば娘や息子がきっと気づいてくれるだろう。
もしかしたら20年前の日記も読んでくれるかもしれない。
一縷の望みであったがその望みに賭けてみたいと思う。
リンクを外したのはあやちゃんの願いがあったからだったが
これ以上新規の読者が増えるとは思えない。
SNSのプロフィールにも日記の事には一切触れていないのだ。
そんなリンクに誰が興味を示すだろうと思う。
もし気づいた人が居たとしても一度きりの読者ではないだろうか。
毎日読みたいと思う人がいたら奇跡にも思える。
とにかくもうこれ以上の読者を増やしてはならない。
あやちゃんを傷つけることがあってはならないのだ。
もしアクセス数が増えるようであればまた考えようと思う。
読者への「信頼」それがなければ何も書けない。
日々の事を洗いざらい書くことは出来ないのだ。
恥も曝し弱音も吐き不安や心細さもある。
そうして私がこの世から消えても
いつまでも心に残る存在でありたいと願ってやまない。
※以下今朝の詩
皇帝ダリヤ
短日を知ってこそ咲く花である
それは川辺の畑の隅っこで咲き 一斉に川面を見つめているのだった
朝陽が射し始め光り輝く川面 花たちの花びらは透き通り まるで天使の羽根のようである
爽やかな朝風が吹き抜けていく 茎は揺れその逞しさを伝える
負けてはならないのだ それはどれ程の誇りなのだろうか
やがては霜の朝がやって来る 根に染みる冷たさを知るだろう
生きて咲くことの尊さを 思い知る時が来たのである
雨のち晴れ。気温が高くなり蒸し暑さを感じる。
もう11月だと云うのにこれも異常気象だろうか。
朝のうちに先週搾り切れなかった直七を搾る。
夫も手伝ってくれてやっと全てを搾り終えた。
先週の分と合わせると2升程だろうか。
あまりの多さにご近所さんにお裾分けをする。
直七の果汁は柚子よりも透明で見た目も爽やかだった。
冷蔵庫に保管して置けば一年は持つ。
自家製のポン酢は家族に大好評である。
大した作業でもなかったのに午後は疲れてごろごろと寝ていた。
大相撲の九州場所が初日で夫はテレビに釘づけである。
2時間程寝ただろうか。後は自室でゆったりと過ごす。
SNSのタイムラインは「おすすめモード」にしてあり
興味のある記事が流れることが多い。
ここひと月ほどは「八丈島」からの発信が多く
被害状況や断水の復旧状況を知ることが出来た。
断水はほぼ復旧しているが未だ12世帯が残されているらしい。
東京都の水道局が必死で復旧作業に当たっている。
もう少しの辛抱であると心を寄せずにはいられない。
後は闘病中の方の記事も多かった。
興味と云うより応援である。何としても乗り越えて欲しいと願う。
しかし残念なことに今日も訃報の記事が流れていた。
それは遺族からの報告で何とも辛い現実を押し付けられる。
見ず知らずの人であってもこんなに悲しいことはなかった。
確かに生きていたのである。それが死となり衝撃が走る。
私の場合はと思わずにいられない。死んでしまったらどうなるのだろう。
ある日突然だとしたら私の魂はどれ程戸惑うことだろうか。
もう何も書けないのだ。「私は死にました」とも告げられない。
娘に遺言を残すことも考えたが果たしてそれが叶うだろうか。
「母は息を引き取りました」と娘が記事を書いてくれるとは限らない。
この日記も同じである。まして家族は知らない日記である。
SNSのリンクを外してしまったので誰も辿り着けないだろう。
そうなればもう藻屑のようなもので海の底で眠るしかない運命である。
さあ困ったな。いったいどうすれば良いのだろう。
いくら考えてもどうしようも出来ないことである。
死んだら死んだ時と開き直るしかないのかもしれない。
今夜は書けた。それが何よりに思う。
どうかどうか私のことを忘れないでいて下さいね。
※以下今朝の詩
欲
ひとつふたつみっつ
何と欲張りなのだろう 両の手では持てない
ひとつめは種 ふたつめは実 みっつめは苗
どれも大切なもので 捨てることが出来ない
初冬の雨の日である 潤った土が待っていた 今日でなくてはならない しかしひとつを選べない
途方に暮れることは 諦めることだろうか
ひとつきりでなくてはならないと いったい誰が決めたのだろう
風が少しあったが穏やかな小春日和となる。
春を思わすような蝶々がひらりひらりと舞っていた。
朝の国道の皇帝ダリヤを楽しみに山里の職場に向かう。
花は5輪ほど、みな一斉に川の方に向かって咲いている。
朝陽を浴びてきらきらと輝き可愛らしくてならない。
明日は雨の予報だが逞しく咲き続けて欲しいものだ。
仕事は朝一から来客あり。その後も立て続けに来客がある。
タイヤ交換やバッテリー交換等いかにも土曜日らしい。
以前に同僚が「土曜日が一番忙しい」と云っていたのを思い出した。
午後一にもオイル交換の来客があり車検整備が捗らない。
私はカーブスに行きたいためにいつも休ませてもらっているが
一気に心苦しくなり今後も続けて良いものかと思う。
仕事を取るか体力作りをとるか悩ましいところである。
義父はお客さんと商談があり新車の軽トラックが売れた。
新車は仕切値で仕入れをするので定価よりも安くなる。
儲けは少なくなるがお客さんの喜ぶ顔が一番であった。
来客が一段落してやっと車検整備に取り掛かったが
不備の上にまた不備が重なり車検まで漕ぎつけない。
土曜日は部品屋さんが休みなのでどうすることも出来なかった。
義父と相談して月曜日まで持ち越すことにする。
そうなれば私も待機の必要が無くなり3時に退社させてもらった。
くたびれ儲けかもしれなかったが来客が多かったのでよしとする。
売上もそこそこあり夢に餅のようであった。
休んでいればそれも無かっただろう。今日は仕事の日で良かった。
4時には帰宅しており茶の間で少し横になる。
いつもの土曜日ならごろごろと寝てばかりいただろう。
何だかシャキッとして気分爽快であった。
夕飯には娘がシチューを作ってくれた。
「はい出来たよ」と器にスプーンも添えて食卓に出してくれる。
何と美味しいシチューだろうか。お代わりをしたいくらいだった。
持つべき者は娘だなと思う。今夜の娘はとても機嫌が良かった。
どんな日もあるものだ。いつも明るく朗らかにとは行かない。
我が家の場合は特に些細なことで亀裂が入り易いのだ。
おそるおそる話し掛けることも多くいつも神経を擦り減らしている。
家族団欒も無くなった今となれば現状維持に尽くすしかないだろう。
そろそろ世代交代も考えているが娘夫婦には何も云えなかった。
「それじゃあ出て行く」とも云い兼ねない雰囲気である。
私達夫婦は日に日に老いて行く。そうして「死」もそう遠くないだろう。
それは明日かも知れないと考えずにはいられないこの頃であった。
※以下今朝の詩
一瞬
それは一瞬のことである
輝くならそのとき 光るならそのとき
瞬きをすれば消えてしまう だから真っ直ぐに空を仰ぐ
冬支度を始めた樹々の梢に 飛び交う鳥の姿が見えた 糧となる木の実を求めて 生きることに精を尽くす
見失ってはならない
一瞬であることは奇跡である その日その時だけの賜物なのだ
もしかしたら光になれるかもしれない
哀しい記憶があるのならば 一瞬で消し去ってしまおう
二十四節気の「立冬」暦の上では今日から冬であるが
気温は24℃まで上がりほぼ夏日となった。
秋どころかまだ夏の名残を感じる程である。
日向ぼっこをしていた猫達も陰を求めているようだった。
夏には薄紫の花を咲かせていた栴檀の木が
実を付けたのはいつのことだったろう。
オリーブ色の実が黄な粉色に変わり始めている。
栴檀の木は大きいのでその実が青空によく映えるのだった。
見上げれば何と可愛らしいことだろうか。
鳥が啄む様子はあまり見かけないが
実としての種を運ぶのは彼らであった。
そうして根付きまた新しい栴檀の木が生まれる。

仕事は怒涛の忙しさとなり今日のノルマを果たせない。
月曜日の朝までに仕上げなければいけない車検があったが
不備が見つかり完成が明日になりそうである。
義父と相談の上私も出勤することにした。
お客さんに迷惑を掛ける訳にはいかない。
先月末に納車した大型車の請求書も作らなければならず
あまりに複雑な修理だったため義父の知恵が必要だった。
30年前のダンプで標準点数表が無いため義父も頭を悩ませていたが
もしやと思いAIの響君に訊いてみたら彼はよく知っていて
おおよその工賃を教えてくれたのだった。
おかげでやっと請求書が出来る。何と40万越えの高額であった。
半分が部品代だが会社にとっては大きな売上となる。
義父は鼻高々となり「俺がした仕事やけんな」と上機嫌であった。
同僚では無理な修理だったので「義父さまさま」である。
AIに興味を示した義父があれこれと愚痴を云い始めたので
響君に聞いてもらうことにしたのだがそれが愉快でならない。
私は義父の愚痴を聞く「心の整備士」なのだそうだ。
そうでなければ高齢の義父がどうして仕事に励むだろう。
疲れは溜まる一方でその捌け口も無いのである。
これまでストレスを感じる時もたくさんあったが
義父のストレスは私以上なのだと思った。
寄り添ってやらなければならない今日はそう思い知らされる。
例え義理の娘であっても親孝行は出来るのだ。
それが義父への恩返しにもなるだろう。
今日出来なかった事は明日へと清々しい気持ちになり帰路に就く。
生きている限り明日があるのはまるで奇跡のように思う。
一歩一歩と明日を信じながら生きて行きたいものだ。
※以下今朝の詩
立冬
遺すことを考えている
例えば種であったり 根っこのようであったり そうすれば永遠に 生きていられるだろう
そうして花になり 実になることも叶う
冬が立つ日のことだった 秋が残した置手紙には たった一言「いのち」とある
それは何度でも巡って来る 忘れることなど在りはせず いつだって約束が出来るのだ
私は何を遺せるだろうか もしかしたら 最後の冬なのかもしれない
| 2025年11月06日(木) |
捨てる神あれば拾う神あり |
「秋晴れ」と呼べるのは今日限りだろうか。
季節は明日から初冬となり「小春日和」となる。
夏の名残を感じるような晴天であった。
気温は24℃まで上がりほぼ夏日となる。
長袖では暑く薄っすらと汗をかく時もあった。
今朝の国道では「皇帝ダリヤ」が咲いており嬉しくてならない。
花の色は黄色で向日葵によく似ている。
昨日は咲いていなかったので昨夜の雨が催雨になったのかもしれない。
まだ二輪ほどだったが明日はもっと咲いているだろう。
「皇帝ダリヤ」は短日植物で晩秋から初冬にかけて咲くのだそうだ。
多年草なので一度植えると毎年咲く健気な花である。
我が家にも植えてみたいがプランターで育つのだろうか。
土の庭が欲しくてならないがもう今更は無理だろう。

仕事は午前9時から「機械校正」があった。
運輸局から指定された業者が検査機器の点検に来るのである。
年に一度の事だが手数料がとても高く毎年頭を悩ませている。
ありったけの現金とありったけの預金で何とかなったが
またすっからかんになってしまい思わず笑いが込み上げて来た。
面白い会社だなと思う。ゼロになっても決して潰れないのだ。
捨てる神あれば拾う神ありで午後には車検代の入金があった。
即金のお客さんはとても有難く正に神様に思える。
全てのお客さんがそうならどれ程助かることだろうか。
義父の友人であるお客さんが車検のトラックを持って来てくれた。
予約制なので来週になるが全く急がないとのこと。
「それにしても今日は暑いのう」と話題になり
アイスを買って来たら大喜びで義父と三人で食べる。
子供のような義父の顔がとても微笑ましく思う。
同僚は午後から法令研修があり市内へ出掛けていた。
3時間の禁煙である。彼は私に勝るヘビースモーカーであるが
集中出来ているだろうかと気掛かりでもあった。
研修は必須で「技術」と「法令」が年に二度ある。
同僚も60歳を過ぎており最近は特に苦手なことが多くなった。
義父は陰口のように「いくら勉強しても駄目じゃ」と云うが
私はそうは思わない。同僚も一生懸命に努力をしているのである。
仕事が一段落しており少し早目に退社した。
帰宅したら仕事が休みだった娘夫婦が高知市内の病院へ行ったらしい。
夫は何も聞かなかったがあやちゃんが教えてくれたそうだ。
何らかの体調不良ならどうして一言も云ってくれなかったのだろう。
まして高知市内の病院へ行くなどただ事ではなかった。
4時には帰って来たが娘は何も言ってはくれない。
夫が「要らん事を訊くなよ」と険しい顔をして告げたが
気になってならず夕食の支度をしながら娘にそれとなく尋ねてみた。
そうしたら「別に、何ともない」と少しツンツンした口ぶりであった。
詮索はしてはならずこれも干渉かもしれないと思い
根掘り葉掘りとどうして詳しいことを訊けようか。
夫に話せば「何ともなかったのじゃないか」とあっけらかんとしている。
それならそうとどうして娘は安心させてくれないのだろう。
家族ではないのだとしても他人ではないのだ。
また大きな亀裂が出来たような気がして複雑な気持ちになった。
ひとつ屋根の下に暮らしているがもっと距離が必要なのかもしれない。
まるで「ここまで」と仕切られているような暮しが続いている。
結婚前には何でも話してくれた娘は何処に行ってしまったのだろう。
※以下今朝の詩
冬支度
夜中に雨が降ったようだ その名残であろう 滴がぽつんと呟いている
暦を見れば明日は立冬 今日は秋終いの日である 健気に咲いていた花を想い 老い始めた草の穂を想う
自然は媚びることをしない だからこそ見届けてやらねば
枯れるならば寄り添おう そうして種を守ってやろう
慈しみ注ぐ愛のようなものは かけがえのない魂となるだろう
季節の掟に逆らってはならない 冬ならば冬として生きることだ
どんよりとした曇り日。雨が降りそうで降らず。
気温は20℃に届かず少し肌寒さを感じる一日だった。
予報では今夜遅くから明日の朝にかけて雨になるようだ。
今朝の山道ではお遍路休憩所に「マリーゴールド」が活けて在り
鮮やかなオレンジ色がまるで陽だまりのように見えた。
お遍路さんの姿は無かったがきっと足を止めることだろう。
それからその花の事が気になり職場に着くまで探し求める。
民家の庭先であったり畑の隅にも植えられてあった。
今まで気にも留めなかったが何と可愛らしい花だろうか。
花期は4月から10月らしい。11月になると枯れてしまうのだそうだ。
もう11月なのでそろそろ見納めになるのだろう。
今日気づいて良かったと思う。数日経てば出会うこともなかった。

仕事は朝一から来客。話し好きのお客さんで会話が止まらない。
やっと見送ったと思えばまた新たな来客があった。
そのお客さんも話し好きでとうとうお昼まで粘られる。
会話は楽しかったが事務仕事は全く手に付かない。
仕事をしながら相槌を打つなどもっての外に思えた。
ちゃんと目を見て話すこと。それが一番大切な事である。
午後もまた来客があったがリハビリの時間が迫っており
訳を話してお先に退社するしかなかった。
お客さんは快く応じてくれて何と助かったことだろう。
それにしても来客の多い日で有難いことだと思う。
義父は午後から宿毛市内の県立病院へ行っていた。
義父の妹である叔母が腰を骨折しており今日は手術であった。
もうひと月近くも入院しているのに随分と遅い手術である。
昨日義父が出掛けたのは病院へ行き説明を受ける為だったようだ。
何も告げずに出掛けたので気にはなっていたが
やはり妹の事が心配だったのだろう。義父らしいなと思う。
叔母にも家族は居るのだが子供達と3人暮らしであった。
その子供達が心許ない。今日の手術にも顔を見せなかったそうだ。
叔母も憐れでならず例え完治しても先が思い遣られるばかりである。
まだ70代の叔母であるが認知症も始まっているようだった。
この先きっと義父の支えが必要となることだろう。
リハビリ前に待合室の計測器で血圧を測ったら174もあった。
U君に話したら再度測ってくれたがそれでも169である。
整形外科なのでどうすることも出来ず元気なので良しとした。
今月は内科の受診があるので医師に相談して見ようと思っている。
血圧が高くても死ぬことはないと医師は云っていたが
その言葉が何だか信じられなくなって来ている。
そうして今日か明日かと追い詰められているようだった。
幸いなのは元気な事で体調には全く異常がない。
けれどもある日突然もあり得るだろう。それが不安でならなかった。
死ぬのなら死ぬと云って欲しいが誰も教えてはくれないのである。
そうなればあっけらかんと生きて行くしかないだろう。
死んでしまえばどうすることも出来ないが
一日一日を縫うように書き続けて行きたいものだ。
※以下今朝の詩
記憶
遠くなったり近くなったり 記憶の欠片が風に舞っている
少女がおとなになった時 真紅の血が流れるのを見た なんと残酷なことだろうと 嘆かずにはいられなかった
春になればこころが芽吹く それは希望に似ていて 未来への道標であった
いつまでも少女ではいられない 羽ばたく準備をする時が来た
空は手を広げて待っている 勇気を出して飛ばねばならない
空の一部になってしまえば もう何も怖れることはない
これは記憶なのだろう 生きた証を抱きしめる時が来た
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