ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年11月04日(火) 桜もみじの頃

今朝は一段と冷え込み今季の最低気温を更新する。

立冬も近くなり晩秋ならではのことだろう。

すっかり秋が深まったように思うこの頃である。


朝の国道を行けば桜並木の紅葉に目が留まる。

「桜紅葉」(さくらもみじ)何と風情のある呼び名だろう。

古くからの日本語はまるで詩歌の世界を思わす。


紅葉が終われば葉は散り裸樹となるが枝を空に伸ばし

冬の寒さに耐えている姿もまた好きだなと思う。

自然は決して媚びることをしない。だからこそ愛でてやるべきなのだ。



三連休明けの仕事であったがさほど忙しくもなくぼちぼちであった。

義父は昨夜から歯痛が酷く歯医者さんへ行っていた。

お昼には帰って来て痛みは治まったらしく昼食も食べられたようだ。

厄介な修理に取り掛かっていたが連休中は部品が入らず保留である。

午後には乗用車に乗って行き先も告げずに出掛けて行った。


同僚は車検整備がありこつこつと働いてくれる。

直七のお礼を云えばまだまだ沢山あるのだそうだ。

何とか商品化出来ないものかと思うがそんな暇があるはずもない。
  
欲しい人があれば分けるが名乗り出る人も居ないのだそうだ。

美味しい直七なのに何ともったいないことだろうか。


2時を過ぎても義父は帰らず特に急ぎの仕事も無かったので

いつもより少し早めに帰路に就いた。

夫の直七絞りが気になっていたのだが帰宅すると全く手を付けていない。

昨日はやる気満々だったのにいったいどうしたことだろう。

理由を訊けば一人では気が進まなかったらしい。

よほど私と一緒に絞りたかったのだろうと思うことにした。

何しろコンテナいっぱいの直七と格闘せねばならないのだ。


娘婿の41歳の誕生日であったが夕食は特にご馳走ではなかった。

焼き肉かステーキと思っていたのだが鶏の唐揚げが食べたいと云う。

お安い御用で今朝から鶏肉を漬け込んでいた。

後はお刺身の盛り合わせとワインを買いささやかな誕生日である。

父親の誕生日だと云うのに今夜も食卓に孫達の姿がなかった。

老婆心が疼いたが一切の口出しは禁句である。

おそらくもう元には戻らないと思う。前途はそう明るくはない。


明日は雨になるらしく暗闇ばかりの夜空になった。

不安や心細さはいつものことだが圧し潰されてしまいそうだ。

いったいどうすれば「死」から逃れられるだろうと

しょうも無いことを考えている。

「生きたい」欲を捨てられたらきっと楽になるのだろう。


※以下今朝の詩


  木枯らし

もう木枯らしの季節
あと数日の秋を残し
冬が立とうとしている

冬に生まれたこどもは
寒さに負けずに育って
やがて初めての春を知る

母の乳房に顔を埋めながら
柔らかな陽射しを浴びていた

たんぽぽ桜チューリップ
初めての出会いに微笑む
母の声がそよ風になった

空の青さを知ってから
光の天使とふれあった
小さな手を空に伸ばす
息を放てば風にもなれた

木枯らしは知っている
どのように生きるかを

冬がなければ春は来ない



2025年11月03日(月) 冬支度

風もなく穏やかな晴天。優しい陽射しが降り注いでいた。

しかしそんな好天も西日本だけだったようで

関東や近畿では木枯らし一号が吹いたそうだ。

雹や霰が降った地域もあり冬の兆しを感じたことだろう。


今朝は庭に出ると娘が多肉植物を飾ってくれていた。

以前から好きで育てていたので種類も多い。

ようく見ると何とも可愛らしく心が和む。

けれども寒さに弱いのでつかの間になりそうである。

冬は小さなビニールハウスで育て春を待つ。


やっと地場産市場へ行き花苗を買い求めようとしたが

葉牡丹の苗は沢山あったビオラは少ししかなかった。

それもあまり良い苗ではなかったので買わずに帰る。

葉牡丹はもう少し先の方が良いだろう。


朝のうちに扇風機を片付け炬燵を出した。

炬燵布団を押し入れから出せば夫が陽に干した方が良いと云う。

私もそう思ったが肌寒い朝の事で直ぐに炬燵に入りたくてならない。

通電にはまだ早いが炬燵があるだけで暖かさを感じるものである。


午後は直七を搾る予定だったが搾り器がまだ届いていなかった。

ネットで配送状況を確認すると近くの営業所まで届いているらしい。

引き取りに行くことも考えたがもうトラックに積んであるかもしれない。

迷惑をかけてしまうので到着するのを待つことにした。

しかし3時まで待ったが届かず仕方なく手で絞ることにする。

思いがけずに夫が絞ってくれて何と助かったことだろう。

何とか一リットル程の果汁が搾れたがもう夫が限界であった。

搾り器があれば楽なので明日また絞ってくれるそうだ。


夕方やっと宅配便が来てくれる。わくわくしながら封を切ると

何だか思ったよりも小さく玩具みたいな搾り器だった。

でもステンレス製なので作りは頑丈で役に立ちそうである。

めいちゃんが興味を示し2個だけ絞ってみた。

子供の力でも簡単に絞れて買って良かったのだと思う。

夫は明日の仕事が出来て嬉しいのやら面倒なのやら「やれやれ」と呟く。

家中に直七の爽やかな香りが漂う夕暮れ時であった。



金曜日にここに記した例の文芸賞の表彰式であるが

よくよくネットで調べてみたら佳作者は出席出来ないのだそうだ。

表彰状は郵送と記してあり何だか穴に落ち込んだような気分になった。

やはり佳作は佳作なのだ。その他大勢となり隅に追いやられる。

表彰式には胸を張って出席しようとほざいていたことが恥ずかしい。

「お呼びでない」その現実はいささかショックであった。

しかしそれが悔しさならきっとバネになるだろうと信じようと思う。

文芸賞は毎年応募があり来年もきっと挑戦するつもりである。


私が賞に拘るのには理由があった。

私の詩を「詩ではない」と罵倒し踏みにじったO氏への反撃である。

「思い知らせてやる」何度そう思ったことだろう。

今回の応募にもそれが一番に頭にあったように思う。

動悸が不純なのだ。だから佳作どまりになったのだろう。

雑魚でも道端の石ころでも野の雑草でもいい。

「これが自分だ」と胸を張れるような詩を書きたくてならない。


※以下今朝の詩


    風

樹々が薄化粧を始める頃
風の囁きが聴こえる

そよと云えばそよと応え
呼応する声がこだまする

兎は山野に佇みながら
明日のことを考えていた

失くした耳はもう戻らない
傷口は痛むが嘆くことをせず
ただ生きてさえいればと
風に吹かれ続けている

空の青さが目に沁みるのは
瞳に宿る希望ではあるまいか

失うことは始めることである

やがて樹々はその枝を揺らし
風そのものとなり舞い始める

儚い秋であったが兎は満たされていた



2025年11月02日(日) 前髪ぱっつん

雲間から小さな青空が見える。

気温は20℃程で過ごし易い一日だった。


今朝は洗濯物を干しに庭に出たら枯れた秋桜とオクラが消えていた。

娘がしてくれたのだろう。ずっと気になっていたからとてもほっとする。

苗を買って来れば娘が植えてくれるかもしれないが

「忙しい」と云われるのが怖くて今日も買いに行かなかった。


朝のうちに髪を切りに行く。2センチの憂鬱もきれいさっぱりとする。

前髪を今までよりも短くしたので我ながら可愛らしいなと思う。

実は先日あまりにも前髪が撥ねるので自分で切ってしまったのだ。

その後きれいに切り揃えなかったので酷くアンバランスになっていた。

美容師さんも「これは」と笑っていたが短さに合わせて切ってくれたのだ。


驚いたのは980円の会計を済ますとベルーナの商品券をくれる。

何と5千円分の買い物が出来るのだった。

2ヵ月前にも貰っていて夏服を2着買ったばかりである。

もしかしたら来る度に貰えるのだろうか。

次回になって見ないと分からないがとてもラッキーなことだった。

今回は冬服を買おうと思う。何とも楽しみである。


お昼前に同僚から電話があり直七を沢山収穫したとのこと。

実は「そんな暇はない」と云っていたのを私が頼み込んだのだった。

毎年貰っているので今年も当にしていたのである。

直七の果汁は爽やかでポン酢にするととても美味しいのだ。

最初は「取りに来いや」と云っていた同僚であったが

午後から市内に来る用事があるそうで持って来て貰うことにした。

早速アマゾンで果汁搾り器を買い求めわくわくが止まらない。

明日には届くそうで絞るのがとても楽しみである。


同僚は乗用車ではなく軽トラックで来てくれた。

日曜日なのに作業ズボンを履いており忙しい目にあわせたようだ。

申し訳なかったが私の願いを聞き入れてくれて何と有難いことだろう。

「同僚さま直七さま」と手を合わせつつ見送ったことだった。

明日はゆっくりと休ませてやりたいものである。


夕飯は「鶏ちゃんこ鍋」具沢山でとても美味しい。

いつものように夫と先に食べたのだが

娘達が食べ始めたら珍しくあやちゃんもめいちゃんも居た。

二人が一緒に食べることは殆どなく何とも微笑ましい光景である。

ずっとこんな日が続けば良いなと思ったが今夜限りかもしれない。

娘夫婦には「方針」があり決して要らぬ口を挟んではならなかった。

決して普通ではないことが当たり前になって行く。

老婆心は痛むばかりだがこれからも見守っていかねばならない。


曇っているのだろう月も星も見えない夜になった。

「見えない」ことに拘ってはいけない。

またその理由を知りたがってもいけないと思う。


※以下今朝の詩


  シャットアウト

例えば電源を切るように
絶ってしまえるものなら

それは失うのではなく
潔く捨ててしまうこと

いつまでも秋ではいられない
樹々が葉を落とすように
冬支度を始めようとする

身に沁みる寒さに耐える
木枯らしならば吹かれよう
雪ならば空を見上げよう

そうして孤独に埋もれていく
一切の温もりを手放す時なのだ

もう私に触れないで欲しい
求めることに疲れ果てて
ただ生きながら春を待つ



2025年11月01日(土) 晴れたり曇ったり

雨上がりの爽やかな朝かと思いきや曇り空が続く。

午後からやっと陽射しがあり随分と暖かくなった。


庭の手入れをしたかったが動き出せず。

すっかり枯れた秋桜、オクラもまだそのままである。

近くの地場産市場へ行けば苗を売っているのだが

すぐそこだと云うのに出掛けるのが億劫でならない。

これからの時期にはビオラが良いだろう。

寒さに強く越冬する逞しく可憐な花であった。


カーブスは三週間ぶり。勢いはあったがこれも思うようには行かず

少し動いただけで心拍数が異常に高くなりしんどくてならない。

コーチにも心配を掛けてしまい早目に切り上げて帰って来た。

やはり毎週の継続が大切なのだろう。

この三週間まったく身体を動かしていなかった。


午後はお決まりのお昼寝で3時近くまで寝る。

夢か現か分からないような変な夢を見て寝起きの何と怠いこと。

それから自室に籠り煙草ばかり吸っていた。

SNSで新たなフォロワーさんが出来る。

詩人さんらしかったが名前は公表しておらず

「晴れたり曇ったり」と名乗っており興味深い。

詩も魅力的で「ああ好きだな」と思う。

書かれてある短い文章も随筆のようで巧みである。

今後繋がりがあるかどうか定かではないが

ささやかな出会いだと思い大切にしたいものだ。


11月になり今日は高校時代の友人の誕生日であったが

昨年から一切の連絡を絶っており今年も電話をしなかった。

懐かしさはもちろんあるが距離を置きたい気持ちが大きい。

彼女は私をそっとしておいてくれないのである。

干渉されたり過剰反応されるのがほとほと嫌になった。

そうして何よりも私を心配するのである。

心配されるほど私は弱々しく見えるのだろうか。


そうして友人は遠ざかる。親友と呼べる人もいなくなった。

そのほうがずっと気楽で自分らしく生きて行けるような気がする。


老いの坂道を上り続けていると孤独を感じる時もあるだろう。

やがては辿り着く死の不安。全てを失うような心細さ。

かと云って決して不幸ではない満ち足りた人生である。

私は独りぼっちではない。少しも寂しくはなかった。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


   スカート

初めて貰ったお給料で
ブティックに行った
どれでも好きな服が買える

父から貰ったお小遣いではなく
自分のお金なのが嬉しくてならない

働いたのだなと思う
頑張ったのだなと思う

モスグリーンのスカートを買った
丈が長くお姫様みたいである
五月の風に吹かれながら
くるくると踊ってみたくなった

そうして誰かに会いたくなる
一番に見せたいひとがいた
それはきっと恋だったのだろう

そよ吹く風の行方を知らない
季節は初夏へと移り変わろうとして
陽射しをともない風も輝いている

会いたいひとには会えなかった

哀しいこともあるのだなと思った







2025年10月31日(金) 待てば海路の日和あり

日中は断続的に雨が降り続き夕方になりやっと止む。

気温は15℃と肌寒い一日だった。


今朝はいつもの場所に車を停めてはっと驚く。

何と金木犀の花が咲いており雨に打たれているのだった。

匂いが全く無かったので今朝まで気づかずにいたが

おそらくだいぶ前から咲いていたのだろう。

金木犀の咲く時期は9月から10月上旬だったと思う。

遅咲きの金木犀かも知れないが全く気づかなかったのだ。

花は散るものだがその金木犀は枯れているように見えた。

花の色が黄土色になっており決して綺麗とは云えない。

香っても香っても誰も気づいてはやれなかったのだ。

職場の庭は「母の庭」でもあり色んな植物を植えてあったが

今年は百日紅が消え紫式部も忽然と消えてしまっていた。

母が諦めてしまったのかもしれないそう思うと切なくてならない。



とうとう月末となり資金繰りは目途が立たないままだった。

ケセラセラの精神で乗り切ろうと思っていた。

しかし午前中にATMに行っても入金はゼロである。

待てば海路の日和ありでとにかく腰を据えて待つ。

お昼過ぎに8月にタイヤ交換をしたお客さんが来てくれた。

「遅うなって済まんのう」と忘れてはいなかったようだ。

体調が悪くろくに仕事も出来なかったと聞き憐れに思う。

無理をしてでも支払いに来てくれて有難いことだった。

他にも小口の入金があり何とか最小限の支払いを済ます。

後は社会保険料と同僚のお給料だけであった。

社会保険料は後払いが可能なので安心であったが

同僚には先日の借りもあり心苦しくてならない。

しかし払えないかもしれないと伝えると承諾してくれたのだった。


午後二時を過ぎ再度ATMへ走る。

まさか大口の入金があるとは夢にも思っていなかった。

社会保険料は引き落とされておりそれでも残高がしっかりとある。

おかげで同僚のお給料も支給出来て何とほっとしたことだろうか。

母が助けてくれたのに違いないと思う。危機を救ってくれたのだ。

事務所に戻るなり母の遺影に手を合わせたのは云うまでもない。

一気に肩の荷が下り飛び上がる程に嬉しかった。


達成感に満たされ帰宅するとポストに大きめの封書が届いていた。

差出人は「高知県芸術祭実行委員会」とあり目の前がぱあっと明るくなる。

9月の末に詩を応募していたのだ。その結果に違いなかった。

ドキドキしながら封を開けたが「佳作」の文字が最初に見える。

一瞬「なんだ佳作か」と思った。それが少しも嬉しくないのだった。

この複雑な気持ちは何だろうと自分でも不可解でならない。

ふと思いつきAIの響君に相談してみた。

「佳作」は認められたことなのだそうだ。

それは詩を書く者にとって大きな一歩だと云う。

その一歩があってこそこれからも書き続けられると云ってくれた。

ふと私にも未来があるのだと思う。生きている限りの「達成」である。

表彰式には胸を張って参加しようと思う。最初で最後になるかもしれない。

数年前にも入選したことがあったがコロナ禍の真っ最中で中止になったのだ。

今度こそはと思う。杖に縋ってでも出掛けて行きたい。


夫は「そうか」の一言であったが娘は「凄いやん」と喜んでくれた。

家族ではないと思う日々が続いていたが娘はやっぱり家族だった。


※以下今朝の詩


    尽くす

尽くことを考えている
それは消滅することであり
儚い命の最後の息であろう

それならば尽くすのはどうだろう
精を尽くし全うすることである
努力を惜しまずやり抜くことである

私の目的は生きることだが
様々な困難が押し寄せて来る
生きたいことは欲に他ならず
その欲を捨てることが出来ない

樹々は色づきやがて葉を落とす
裸木になれば寒さが身に沁みる
それでも空を仰ぐことを忘れない

尽きるならば尽くさねばならない

身を粉にするような人生でありたい





2025年10月30日(木) 丁と出るか半と出るか

穏やかな晴天。気温も20℃を超え随分と暖かく感じる。

猫のように日向ぼっこをしたくなるような陽気であった。

しかしお天気は下り坂で明日は大雨になるらしい。

風も強くなるらしく明日は日中も肌寒くなるだろう。


義父のおかげで大型車の修理が完了しほっと肩の荷が下りる。

お客さんからは月末までにと云われていたので約束が果たせた。

修理代も高額になりそうで大きな売り上げになることだろう。

義父に訊けばディーラーでは修理困難と云われたのだそうだ。

熟練工の義父ならではの事でとても誇りに思う。

なんだか義父に表彰状をあげたくなった。

国内でも義父ほどの高齢で現役の整備士は居ないのではないだろうか。

しかも農業との二足の草鞋を履いているのである。


明日の月末に向けて資金繰りも限界に思えたが

今日は二人のお客さんが支払いに来てくれてやっと収入がある。

一人は今年の2月の修理代で「待って欲しい」と頼まれていた。

収入が少なく日々の暮らしにも困窮している様子である。

私もお人好しなのか「いつでも良いよ」と伝えていたのだった。

人柄も良く誠意のある人なのできっと支払ってくれると信じていた。

義父に云わせれば「いつでも良い」は商売の禁句なのだそうだ。

しかし「待てない」とどうして無理強いすることが出来ようか。

わずか3万足らずの売上であったが会社にとっては夢に餅である。

この調子で明日もと思うが全てお客さん次第であった。

丁と出るか半と出るか明日になってみないと何も分からない。

焦りは禁物でとにかく大らかにに明日を待とうと思う。


同僚と大型車の納車を済ませ3時前に退社する。

同僚の仕事は一段落していたが義父はまた次の修理に取り掛かっていた。

これも厄介な修理のようで同僚にはとても無理らしい。

「俺がやるけんな」と義父の何と頼もしいことだろうか。


4時には帰宅しており一休みする。

夫に今日の報告をすると「そうかそれは良かった」と頷いてくれた。

愚痴が出る日もあるが耳を傾けてくれる夫には感謝しきれない。

そんな夫を失う日が来る事など考えたくもなかった。

かと云って夫を残して先に逝くことも考えられない。

いっそ死ぬ時は一緒にと思うがそれは神様しか決められないことだろう。


雨が近いせいか月の見えない夜である。

私はいったい何処に向かっているのだろうと思う。

それは誰にも分からない事なのだろうか。


※以下今朝の詩


   一心

ふと打たれたいとおもう
それは激しい雨だろうか

花として散るのもいい
その花びらを惜しみつつ
いっそ何もかもとおもう
そんな潔さが欲しいのだ

守り続けて来たこと
一心に貫いて来たこと

命がけだと云ってしまえば
嗤われてしまうことだろう

歯を食いしばるように生きている
真っ直ぐな茎もやがては折れて
ただ根だけを残す行く末が見える

嘆いたところで何も変わりはしない
生きて来たことを誇るより
生きることを選ぼうとしている



2025年10月29日(水) 貧乏暇なし

予報通りに昨日の朝より気温が低くなる。

とうとう暖房のお世話になった朝であった。

そんな肌寒さもつかの間のことで日中は随分と暖かい。

柔らかな陽射しの何と有難いことだろう。


朝の山道から峠道を越え山里の人家が見え始めると

ピラカンサスの赤い実がとても鮮やかである。

つい先日まではオレンジ色だったのが一気に赤くなったようだ。

晩秋から初冬へと変わる季節を知らせてくれたのだろう。

「赤い鳥小鳥なぜなぜ赤い 赤い実を食べた」

ついそんな歌を口ずさみながら職場へと向かった。



今朝も義父の姿が見えず朝刊もポストにそのままだった。

一瞬また二日酔いかと思ったが居室から物音が聞こえている。

心配することはないだろうとお昼まで声も掛けずにいた。

すると「ドジャースが負けた」と云ってやっと姿を見せた。

ゆっくりと野球観戦をしていたのだろう微笑ましい事である。

午後はまるで火が点いたように大型車の修理を始めた。

何と頼もしいことだろう。惚れ惚れとするような姿である。

ディーラーでもあまり気が進まない難解な修理なのだそうだ。

義父の手に掛かると直らない車はないと云っても過言ではない。


今日は自賠責保険と重量税の精算があったが

資金はゼロ。その上に一円も入金がなかった。

何と全てのお客さんが立替金である。

請求書は出しているが一向に入金がないのであった。

けれどもお客さんを恨んではならない。

立て替える余裕のない我が社が悪いのだと思う。

義父に助けて貰うことも考えたが苦労をもぎ取るようで心苦しい。

ここは自分の力で乗り越えるしかないと思った。

善は急げである。平田町の銀行まで車を走らせていた。

銀行には「奥の手」があった。もうこそ最後の手段である。

仕事はいくらでもあるのだ。きっと挽回出来ると信じて止まない。

同僚とも話したのだが忙しいばかりでどうして資金繰りが困難なのか。

例えばオイル交換のお客さんが「財布を忘れた」と云う。

タイヤ交換のお客さんは「今はお金が無い」と云う。

いくら田舎でもあまりにも非常識ではないかと思うのだ。

「ツケ」が当たり前になっているこの現状を変えなければならない。

車検もしかりである。予め予算を組んでから予約して欲しい。

その予算も無いのなら車検を依頼してはいけないと思う。

すったもんだと愚痴るがここで愚痴らなければ捌け口がない。


私はもうやけくそである。矢でも鉄砲でも持って来いと思う。

随分と追い詰められているが何としても会社を守りたい。

どうかどうか明日の風が優しく爽やかでありますように。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


    リクエスト

お昼休みなると放送室へ行く
皆が楽しみにしている
リクエストの時間であった

放送室の前には箱が置いてあり
毎日たくさんのリクエストがある

レコードを買う予算などなく
部員たちの持ち寄りであった
ラジオを録音したカセットもある
DJは私の担当であったが
それが楽しくてならなかった

荒井由実吉田拓郎NSPなど
時には洋楽を流す時もある

恋をしている人
失恋をしたばかりの人
それぞれの想いを曲に託す

教育実習の西尾先生は
毎日のように放送室に来ていた
そうして私にちょっかいを出す

放送室からは海が見える
潮風に吹かれるように好きな曲が流れた

#詩 「リクエスト」


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