| 2025年10月31日(金) |
待てば海路の日和あり |
日中は断続的に雨が降り続き夕方になりやっと止む。
気温は15℃と肌寒い一日だった。
今朝はいつもの場所に車を停めてはっと驚く。
何と金木犀の花が咲いており雨に打たれているのだった。
匂いが全く無かったので今朝まで気づかずにいたが
おそらくだいぶ前から咲いていたのだろう。
金木犀の咲く時期は9月から10月上旬だったと思う。
遅咲きの金木犀かも知れないが全く気づかなかったのだ。
花は散るものだがその金木犀は枯れているように見えた。
花の色が黄土色になっており決して綺麗とは云えない。
香っても香っても誰も気づいてはやれなかったのだ。
職場の庭は「母の庭」でもあり色んな植物を植えてあったが
今年は百日紅が消え紫式部も忽然と消えてしまっていた。
母が諦めてしまったのかもしれないそう思うと切なくてならない。

とうとう月末となり資金繰りは目途が立たないままだった。
ケセラセラの精神で乗り切ろうと思っていた。
しかし午前中にATMに行っても入金はゼロである。
待てば海路の日和ありでとにかく腰を据えて待つ。
お昼過ぎに8月にタイヤ交換をしたお客さんが来てくれた。
「遅うなって済まんのう」と忘れてはいなかったようだ。
体調が悪くろくに仕事も出来なかったと聞き憐れに思う。
無理をしてでも支払いに来てくれて有難いことだった。
他にも小口の入金があり何とか最小限の支払いを済ます。
後は社会保険料と同僚のお給料だけであった。
社会保険料は後払いが可能なので安心であったが
同僚には先日の借りもあり心苦しくてならない。
しかし払えないかもしれないと伝えると承諾してくれたのだった。
午後二時を過ぎ再度ATMへ走る。
まさか大口の入金があるとは夢にも思っていなかった。
社会保険料は引き落とされておりそれでも残高がしっかりとある。
おかげで同僚のお給料も支給出来て何とほっとしたことだろうか。
母が助けてくれたのに違いないと思う。危機を救ってくれたのだ。
事務所に戻るなり母の遺影に手を合わせたのは云うまでもない。
一気に肩の荷が下り飛び上がる程に嬉しかった。
達成感に満たされ帰宅するとポストに大きめの封書が届いていた。
差出人は「高知県芸術祭実行委員会」とあり目の前がぱあっと明るくなる。
9月の末に詩を応募していたのだ。その結果に違いなかった。
ドキドキしながら封を開けたが「佳作」の文字が最初に見える。
一瞬「なんだ佳作か」と思った。それが少しも嬉しくないのだった。
この複雑な気持ちは何だろうと自分でも不可解でならない。
ふと思いつきAIの響君に相談してみた。
「佳作」は認められたことなのだそうだ。
それは詩を書く者にとって大きな一歩だと云う。
その一歩があってこそこれからも書き続けられると云ってくれた。
ふと私にも未来があるのだと思う。生きている限りの「達成」である。
表彰式には胸を張って参加しようと思う。最初で最後になるかもしれない。
数年前にも入選したことがあったがコロナ禍の真っ最中で中止になったのだ。
今度こそはと思う。杖に縋ってでも出掛けて行きたい。
夫は「そうか」の一言であったが娘は「凄いやん」と喜んでくれた。
家族ではないと思う日々が続いていたが娘はやっぱり家族だった。
※以下今朝の詩
尽くす
尽くことを考えている それは消滅することであり 儚い命の最後の息であろう
それならば尽くすのはどうだろう 精を尽くし全うすることである 努力を惜しまずやり抜くことである
私の目的は生きることだが 様々な困難が押し寄せて来る 生きたいことは欲に他ならず その欲を捨てることが出来ない
樹々は色づきやがて葉を落とす 裸木になれば寒さが身に沁みる それでも空を仰ぐことを忘れない
尽きるならば尽くさねばならない
身を粉にするような人生でありたい
| 2025年10月30日(木) |
丁と出るか半と出るか |
穏やかな晴天。気温も20℃を超え随分と暖かく感じる。
猫のように日向ぼっこをしたくなるような陽気であった。
しかしお天気は下り坂で明日は大雨になるらしい。
風も強くなるらしく明日は日中も肌寒くなるだろう。
義父のおかげで大型車の修理が完了しほっと肩の荷が下りる。
お客さんからは月末までにと云われていたので約束が果たせた。
修理代も高額になりそうで大きな売り上げになることだろう。
義父に訊けばディーラーでは修理困難と云われたのだそうだ。
熟練工の義父ならではの事でとても誇りに思う。
なんだか義父に表彰状をあげたくなった。
国内でも義父ほどの高齢で現役の整備士は居ないのではないだろうか。
しかも農業との二足の草鞋を履いているのである。
明日の月末に向けて資金繰りも限界に思えたが
今日は二人のお客さんが支払いに来てくれてやっと収入がある。
一人は今年の2月の修理代で「待って欲しい」と頼まれていた。
収入が少なく日々の暮らしにも困窮している様子である。
私もお人好しなのか「いつでも良いよ」と伝えていたのだった。
人柄も良く誠意のある人なのできっと支払ってくれると信じていた。
義父に云わせれば「いつでも良い」は商売の禁句なのだそうだ。
しかし「待てない」とどうして無理強いすることが出来ようか。
わずか3万足らずの売上であったが会社にとっては夢に餅である。
この調子で明日もと思うが全てお客さん次第であった。
丁と出るか半と出るか明日になってみないと何も分からない。
焦りは禁物でとにかく大らかにに明日を待とうと思う。
同僚と大型車の納車を済ませ3時前に退社する。
同僚の仕事は一段落していたが義父はまた次の修理に取り掛かっていた。
これも厄介な修理のようで同僚にはとても無理らしい。
「俺がやるけんな」と義父の何と頼もしいことだろうか。
4時には帰宅しており一休みする。
夫に今日の報告をすると「そうかそれは良かった」と頷いてくれた。
愚痴が出る日もあるが耳を傾けてくれる夫には感謝しきれない。
そんな夫を失う日が来る事など考えたくもなかった。
かと云って夫を残して先に逝くことも考えられない。
いっそ死ぬ時は一緒にと思うがそれは神様しか決められないことだろう。
雨が近いせいか月の見えない夜である。
私はいったい何処に向かっているのだろうと思う。
それは誰にも分からない事なのだろうか。
※以下今朝の詩
一心
ふと打たれたいとおもう それは激しい雨だろうか
花として散るのもいい その花びらを惜しみつつ いっそ何もかもとおもう そんな潔さが欲しいのだ
守り続けて来たこと 一心に貫いて来たこと
命がけだと云ってしまえば 嗤われてしまうことだろう
歯を食いしばるように生きている 真っ直ぐな茎もやがては折れて ただ根だけを残す行く末が見える
嘆いたところで何も変わりはしない 生きて来たことを誇るより 生きることを選ぼうとしている
予報通りに昨日の朝より気温が低くなる。
とうとう暖房のお世話になった朝であった。
そんな肌寒さもつかの間のことで日中は随分と暖かい。
柔らかな陽射しの何と有難いことだろう。
朝の山道から峠道を越え山里の人家が見え始めると
ピラカンサスの赤い実がとても鮮やかである。
つい先日まではオレンジ色だったのが一気に赤くなったようだ。
晩秋から初冬へと変わる季節を知らせてくれたのだろう。
「赤い鳥小鳥なぜなぜ赤い 赤い実を食べた」
ついそんな歌を口ずさみながら職場へと向かった。

今朝も義父の姿が見えず朝刊もポストにそのままだった。
一瞬また二日酔いかと思ったが居室から物音が聞こえている。
心配することはないだろうとお昼まで声も掛けずにいた。
すると「ドジャースが負けた」と云ってやっと姿を見せた。
ゆっくりと野球観戦をしていたのだろう微笑ましい事である。
午後はまるで火が点いたように大型車の修理を始めた。
何と頼もしいことだろう。惚れ惚れとするような姿である。
ディーラーでもあまり気が進まない難解な修理なのだそうだ。
義父の手に掛かると直らない車はないと云っても過言ではない。
今日は自賠責保険と重量税の精算があったが
資金はゼロ。その上に一円も入金がなかった。
何と全てのお客さんが立替金である。
請求書は出しているが一向に入金がないのであった。
けれどもお客さんを恨んではならない。
立て替える余裕のない我が社が悪いのだと思う。
義父に助けて貰うことも考えたが苦労をもぎ取るようで心苦しい。
ここは自分の力で乗り越えるしかないと思った。
善は急げである。平田町の銀行まで車を走らせていた。
銀行には「奥の手」があった。もうこそ最後の手段である。
仕事はいくらでもあるのだ。きっと挽回出来ると信じて止まない。
同僚とも話したのだが忙しいばかりでどうして資金繰りが困難なのか。
例えばオイル交換のお客さんが「財布を忘れた」と云う。
タイヤ交換のお客さんは「今はお金が無い」と云う。
いくら田舎でもあまりにも非常識ではないかと思うのだ。
「ツケ」が当たり前になっているこの現状を変えなければならない。
車検もしかりである。予め予算を組んでから予約して欲しい。
その予算も無いのなら車検を依頼してはいけないと思う。
すったもんだと愚痴るがここで愚痴らなければ捌け口がない。
私はもうやけくそである。矢でも鉄砲でも持って来いと思う。
随分と追い詰められているが何としても会社を守りたい。
どうかどうか明日の風が優しく爽やかでありますように。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
リクエスト
お昼休みなると放送室へ行く 皆が楽しみにしている リクエストの時間であった
放送室の前には箱が置いてあり 毎日たくさんのリクエストがある
レコードを買う予算などなく 部員たちの持ち寄りであった ラジオを録音したカセットもある DJは私の担当であったが それが楽しくてならなかった
荒井由実吉田拓郎NSPなど 時には洋楽を流す時もある
恋をしている人 失恋をしたばかりの人 それぞれの想いを曲に託す
教育実習の西尾先生は 毎日のように放送室に来ていた そうして私にちょっかいを出す
放送室からは海が見える 潮風に吹かれるように好きな曲が流れた
#詩 「リクエスト」
今朝は今季一番の冷え込みとなる。
秋と云うよりもう初冬ではないかと思う。
明日の朝は今朝よりも気温が下がるのだそうだ。
そろそろ暖房も必要となり冬支度が始まろうとしている。
朝の山道につわぶきの花が沢山見られるようになった。
特に峠道の途中にある谷に群生している。
山からの谷水が流れており何とも風情のある光景であった。
お遍路さんもきっと足を止めることだろう。
職場に着くと看板猫のみい太とその子猫が出迎えてくれた。
餌の催促であったが今朝は猫係のお客さんの姿が見えない。
しばらく待っていたがあまりにも鳴くので私が餌を与えた。
すると直ぐに子猫の姿が何処へともなく消えるのである。
自分は餌が貰えないことを知っているのだろう。
何とも憐れでならないが心を鬼にしなければならない。
しかし不思議なことに子猫は痩せもせずすくすくと育っている。
誰かに餌を貰っているとしか思えず気になってならない。
10時を過ぎると随分と暖かくなり猫達は日向ぼっこを始める。
いつも親子が仲良く寄り添っていて微笑ましい光景であった。
野良扱いなので家の中には入れて貰えない。
これから厳しい寒さがやって来るが耐えて欲しいと願うばかりである。

工場は今日も忙しく活気に満ちていた。
義父は大型車の部品がやっと届いたので本腰を入れて頑張っていた。
お客さんから催促が在り何としても今月中に直さねばならない。
今日は野球観戦どころではなく仕事に集中していた。
同僚は車検整備を後回しにして緊急の一般修理である。
これも急かされており今日中に直さねばならない。
金庫番の私はのほほんとしていたが切羽詰まった状態である。
預金残高はほぼゼロ。現金も底を尽いてしまっていた。
そうなれば日給の私の賃金も賄うことが出来ない。
節約はいくらでもするが食費だけは何とかしなければいけなかった。
今日は何とかなったが明日はどうなることだろう。
奥の手はあるがその手も微かに震えているようである。
会社も私もその日暮らしになった。後は野となれ山となれだろう。
4時前に帰宅して少しうたた寝をする。
いつもと変わらない穏やかな夕暮れ時であった。
三日月は少しふっくらとして西の空に輝いている。
月はそうしてまあるくなるが人生もそうであって欲しい。
欠けるのは一時的なものである。月は決して砕けたりはしないのだ。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
営業所
高校を卒業して就職した 書籍販売の会社の営業所である
朝礼が終わると営業マン達は外に出て 私は一人で留守番をする毎日だった
壁一面の本棚に沢山の本が並び 仕事中に読んでも良いのだそうだ 子供向けの絵本や文学全集など どれも新品でわくわくとする
営業所の窓からテニスコートが見えた 高校時代に私もテニスをしていて懐かしい 後輩達の姿を見つけると窓から手を振った
四時になると営業マン達が次々に帰って来る 本が売れた人まったく売れなかった人 グラフにすると一番の人は誇らしい顔である
ある日のこと営業所の電話が鳴り 聞き慣れた声で「話がある」と云う 私は「何もお話しすることはありません」と応えた
そうして恋人と別れたこともある
爽やかな秋晴れ。柔らかな陽射しが燦々と降り注ぐ。
吹き抜ける風の何と心地良いことだろう。
早朝近くのローソンに買い物に行っていたら
40代位の立派な体格のお遍路さんに会った。
ささやかなお接待のつもりでチョコを手渡したら
とても喜んでくれて納め札を頂くことが出来た。
兵庫県からのお遍路で名前もちゃんと記してある。
昨夜は近くのペンションに泊まっていたのだそうだ。
店内の事で長話は出来なかったがこれも一期一会であった。
陽に焼けた逞しい足。きっと無事に結願するに違いないと思う。
不思議なもので声を掛け易いお遍路さんとそうでないお遍路さんがいる。
何か特別な光のようなものを発しているのかもしれない。
私は直感で動くがこれまでその感が外れたことはなかった。
声を掛けて良かったのだなと思う。それはとても清々しい気持ちである。

義父は未明から高知市へ。最後に収穫したお米を運んで行く。
量が少なかったので米問屋さんも運送の手配が出来なかったそうだ。
大型の運搬車に昨夜からお米を積み込み準備していたらしく
3時半に山里を出たと聞きおどろく。
とても82歳の高齢者とは思えないパワフルな義父であった。
無事に問屋さんにお米を引き渡すととんぼ返りである。
何と11時にはもう帰って来ていて上機嫌であった。
午後からは市内で検査員研修があり忙しなく出掛けて行く。
おそらく最高齢の検査員だろう。それがとても偉大に思える。
経理は自動車保険の引き落としがあり預金残高が足らなかった。
先月分も払っていなかったので併徴となっており大いに厳しい。
3時ぎりぎりまで入金を待ったがなしのつぶてである。
仕方なく同僚に頼み立て替えて貰うしかなかった。
情けない事だが同僚にも現状の厳しさを知っておいてもらいたい。
親方日の丸ではない。零細企業の底の底である。
義父が知れば「どうして俺に云わんがじゃ」と叱られることだろう。
これは秘密にしようと思う。入金が在り次第同僚に返済するつもりである。
今日の事は何とかなったが明日からまたゼロであった。
月末の目途も立たず途方に暮れるべきだが
私も図太くなったのだろう。ケセラセラと笑い飛ばしているのだった。
くよくよと思い詰めても何も変わらないと思う。
乞食のように嘆いてもお金は天下の回り物である。
まわるまわる世界はまわると歌うように過ごしたいと思う。
帰宅したらご近所で不幸があったらしくお香典の準備をした。
財布の中にあった最後の一万円札があっけなく消えていく。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
お湯
父が瞬間湯沸かし器を買ってくれた
「なんぼか冷いろう」と云って 学校から帰ったら真っ先に台所に行く
最初は怖くて不安でならない 「かちかちかち」と音がする すると小さな窓から炎が見えた
蛇口に手を添えると温かいお湯が出る 嬉しくてならず何か洗いたいと思った
夕食後は食器洗いが楽しみでならない お茶碗もお皿もお箸も喜んでいる 弟が興味深そうに傍らから覗いていたが これはお姉ちゃんの仕事だからと云った
霜がいっぱい降りた朝も 雪がチラつく夕暮れ時も
お湯さえあれば生きて行けると思った
朝のうちは雨が降っていたが次第に青空が見え始める。
24℃まで気温が上がり少し暑さを感じた。
けれども風は秋を装い何と爽やかなことだろう。
部屋中の窓を開け広げ風に吹かれていた。
やっと夏物の衣類を仕舞う。やがては冬物の出番がやって来る。
去年の今頃は何を着ていたのだろうと思う。
さほど衣装持ちではなく古びた衣類が多い。
お昼にはお好み焼きを焼いて食べた。
夫はビールを飲みご満悦である。
いかにも日曜日らしくまったりとした時間であった。
午後はお決まりのお昼寝となり3時までぐっすりと寝る。
夕食はおでんの予定だったので玉子や大根を湯がいた。
珍しくあやちゃんが階下に来ていたので玉子の殻を剥いてくれたのだが
茹で方が悪かったのか殻がつるりと剥けない。
「おばあちゃん無理」と云うので一個だけ剝いてもらった。
それでも手伝ってくれたのが嬉しくてならない。
おでんの匂いが家中に漂い何とも平和な午後であった。
めいちゃんは元気に「行って来ます」と声を掛け出掛けて行く。
娘達は無言である。やっぱりねと夫と苦笑いしていた。
5時前には帰って来たがめいちゃんのお化粧が凄い。
口裂け女のように口紅を塗っていたのである。
訊けばハロウィンのイベントでダンスを披露したのだそうだ。
それで正式な発表会ではなかったことを初めて知る。
だから娘も何も云わなかったのだろう。
昨夜の寂しさが一気に薄れて行った。
私と夫の取り越し苦労だったのだ。
夕食後暮れなずむ空にぽっかりと浮かぶ三日月を見た。
まるで「詩とメルヘン」の世界のようで心が和む。
癒しの時間はそうして思いがけずにやって来るものなのだ。
特に辛いこともなくのほほんと過ごしていても
ふっと不安が襲って来ることはよくあることである。
何かを失いそうな危機感は常にあるのではないだろうか。
生きたことよりも生きることを選ぶ。
すくっと前を向いて踏み出して行かねばならない。
※以下今朝の詩
熟柿
熟してくると落ちる そうなればもう カタチはなくなり どろどろになってしまう
いっそ鳥に啄まれたかった 彼らの糧になれたものを
ちくちくと痛むのは 群がる蟻の仕業だろう 彼らにとっても糧であり 貴重なカタチなのである
種だけは残したいと思う 何の希望も在りはしないが それが最後のカタチであった
秋が深まっていく やがて木枯らしの季節がやって来る
曇り日。時おり霧のような雨が降る。
気温は20℃程で今日も過ごし易い一日だった。
先週に引き続き仕事が休めず山里の職場に向かったが
山道を歩くお遍路さんの何と多かったことだろう。
10人程見かけ一人一人に会釈をして追い越して行く。
その一人に声を掛けることが出来て笑顔が嬉しかった。
まだ20代と思われる青年だったが自分探しの旅だろうか。
その笑顔には少しも翳りが見えず何だかとてもほっとした。
同行二人とは云え独りぼっちで山道を歩く。
無心なら幸いであるが色んな思いも駆け巡ることだろう。
いったい何処から来たのかそれは訊くことが出来なかった。

仕事は一日車検が入庫していたが同僚がまさかの遅刻だった。
げっそりとやつれた顔をしており体調が悪いのではと気遣う。
訊けば何と二日酔いとのこと。しかも朝帰りだったのだそうだ。
もう決して若くはないのに何と無茶なことをと思う。
義父はちらっと顔を見せていたが居室でテレビを見ていたようだ。
「ドジャースがやりよるぞ」と興奮気味の声である。
野球など全く興味がない人だと思っていたので寝耳に水のようなこと。
大型車の修理があったがまだ部品が入っておらず先に進めない。
たまには野球観戦も良いだろうとそっとしておくことにした。
お昼前には車検整備が完了していたが不具合が見つかりアウトである。
土曜日は部品屋さんがお休みなのでどうしようも出来ない。
お客さんに連絡して車検は延期することになった。
大学生の娘さんの車で明日は高知市へ帰らねばならないのだそうだ。
来月にはまた帰省するらしくそれまで保留である。
高知市内なら幾らでも車検場があるが常連のお客さんであった。
田舎の車検場を贔屓にしてくれ有難いことだと思う。
車検が延期になり一気に気が抜けたようになる。
早目に帰ろうと2時には職場を出ていた。
今夜は娘達が夕食不要だったので何とも気が楽である。
夫にサイコロステーキを買い私はお刺身の盛り合わせにした。
3時には帰宅しており茶の間でしばらく横になる。
今朝は張り切って仕事に行ったので一気に疲れが襲って来ていた。
何事も順調とは限らないものだ。まあそれなりの一日だったと思う。
夕飯時、めいちゃんと娘がダンス教室に出掛けた後で
夫が寂しそうに教えてくれたのだが、明日はダンスの発表会あるのだそうだ。
娘は何も話してはくれず夫はめいちゃんから聞いたらしかった。
そこで家族だと云い張ってもどうしようもないが
そこまで私達祖父母は疎外されなければいけないのだろうか。
夫は娘に訊くなよと云う。それは何とも寂しいことであった。
孫の晴れ姿を見たいのは祖父母なら当然のことである。
娘には娘の考えがあるのだとしてもどうして納得出来ようか。
事ある度にとうとうここまで来たかと思う。
一つ屋根の下に暮らしながらもう家族とは認めて貰えないのだろう。
夜になりぽつぽつと雨が降り始めた。
雨音はリズミカルで歌っているように聴こえるが
一緒に口ずさむことも出来ず夜が更けようとしている。
※以下今朝の詩
感触
ころころと転がっている そのうち何かにぶつかるだろう
不思議と痛みはなく むしろ心地良くてならない
石の道砂の道草の道 その感触は温かくて 身体中の血が沁み込む
もし止める手があっても 振り払うことを選ぶだろう
一心に貫くことがある だからこそ生きていられるのだ
夢だったのかもしれない けれどもその儚さを信じたい
何処までも転がって行く ぶつかれば終りだとは限らない
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