ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年10月29日(水) 貧乏暇なし

予報通りに昨日の朝より気温が低くなる。

とうとう暖房のお世話になった朝であった。

そんな肌寒さもつかの間のことで日中は随分と暖かい。

柔らかな陽射しの何と有難いことだろう。


朝の山道から峠道を越え山里の人家が見え始めると

ピラカンサスの赤い実がとても鮮やかである。

つい先日まではオレンジ色だったのが一気に赤くなったようだ。

晩秋から初冬へと変わる季節を知らせてくれたのだろう。

「赤い鳥小鳥なぜなぜ赤い 赤い実を食べた」

ついそんな歌を口ずさみながら職場へと向かった。



今朝も義父の姿が見えず朝刊もポストにそのままだった。

一瞬また二日酔いかと思ったが居室から物音が聞こえている。

心配することはないだろうとお昼まで声も掛けずにいた。

すると「ドジャースが負けた」と云ってやっと姿を見せた。

ゆっくりと野球観戦をしていたのだろう微笑ましい事である。

午後はまるで火が点いたように大型車の修理を始めた。

何と頼もしいことだろう。惚れ惚れとするような姿である。

ディーラーでもあまり気が進まない難解な修理なのだそうだ。

義父の手に掛かると直らない車はないと云っても過言ではない。


今日は自賠責保険と重量税の精算があったが

資金はゼロ。その上に一円も入金がなかった。

何と全てのお客さんが立替金である。

請求書は出しているが一向に入金がないのであった。

けれどもお客さんを恨んではならない。

立て替える余裕のない我が社が悪いのだと思う。

義父に助けて貰うことも考えたが苦労をもぎ取るようで心苦しい。

ここは自分の力で乗り越えるしかないと思った。

善は急げである。平田町の銀行まで車を走らせていた。

銀行には「奥の手」があった。もうこそ最後の手段である。

仕事はいくらでもあるのだ。きっと挽回出来ると信じて止まない。

同僚とも話したのだが忙しいばかりでどうして資金繰りが困難なのか。

例えばオイル交換のお客さんが「財布を忘れた」と云う。

タイヤ交換のお客さんは「今はお金が無い」と云う。

いくら田舎でもあまりにも非常識ではないかと思うのだ。

「ツケ」が当たり前になっているこの現状を変えなければならない。

車検もしかりである。予め予算を組んでから予約して欲しい。

その予算も無いのなら車検を依頼してはいけないと思う。

すったもんだと愚痴るがここで愚痴らなければ捌け口がない。


私はもうやけくそである。矢でも鉄砲でも持って来いと思う。

随分と追い詰められているが何としても会社を守りたい。

どうかどうか明日の風が優しく爽やかでありますように。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


    リクエスト

お昼休みなると放送室へ行く
皆が楽しみにしている
リクエストの時間であった

放送室の前には箱が置いてあり
毎日たくさんのリクエストがある

レコードを買う予算などなく
部員たちの持ち寄りであった
ラジオを録音したカセットもある
DJは私の担当であったが
それが楽しくてならなかった

荒井由実吉田拓郎NSPなど
時には洋楽を流す時もある

恋をしている人
失恋をしたばかりの人
それぞれの想いを曲に託す

教育実習の西尾先生は
毎日のように放送室に来ていた
そうして私にちょっかいを出す

放送室からは海が見える
潮風に吹かれるように好きな曲が流れた

#詩 「リクエスト」



2025年10月28日(火) 日向ぼっこ

今朝は今季一番の冷え込みとなる。

秋と云うよりもう初冬ではないかと思う。

明日の朝は今朝よりも気温が下がるのだそうだ。

そろそろ暖房も必要となり冬支度が始まろうとしている。


朝の山道につわぶきの花が沢山見られるようになった。

特に峠道の途中にある谷に群生している。

山からの谷水が流れており何とも風情のある光景であった。

お遍路さんもきっと足を止めることだろう。


職場に着くと看板猫のみい太とその子猫が出迎えてくれた。

餌の催促であったが今朝は猫係のお客さんの姿が見えない。

しばらく待っていたがあまりにも鳴くので私が餌を与えた。

すると直ぐに子猫の姿が何処へともなく消えるのである。

自分は餌が貰えないことを知っているのだろう。

何とも憐れでならないが心を鬼にしなければならない。

しかし不思議なことに子猫は痩せもせずすくすくと育っている。

誰かに餌を貰っているとしか思えず気になってならない。


10時を過ぎると随分と暖かくなり猫達は日向ぼっこを始める。

いつも親子が仲良く寄り添っていて微笑ましい光景であった。

野良扱いなので家の中には入れて貰えない。

これから厳しい寒さがやって来るが耐えて欲しいと願うばかりである。



工場は今日も忙しく活気に満ちていた。

義父は大型車の部品がやっと届いたので本腰を入れて頑張っていた。

お客さんから催促が在り何としても今月中に直さねばならない。

今日は野球観戦どころではなく仕事に集中していた。


同僚は車検整備を後回しにして緊急の一般修理である。

これも急かされており今日中に直さねばならない。


金庫番の私はのほほんとしていたが切羽詰まった状態である。

預金残高はほぼゼロ。現金も底を尽いてしまっていた。

そうなれば日給の私の賃金も賄うことが出来ない。

節約はいくらでもするが食費だけは何とかしなければいけなかった。

今日は何とかなったが明日はどうなることだろう。

奥の手はあるがその手も微かに震えているようである。

会社も私もその日暮らしになった。後は野となれ山となれだろう。


4時前に帰宅して少しうたた寝をする。

いつもと変わらない穏やかな夕暮れ時であった。

三日月は少しふっくらとして西の空に輝いている。

月はそうしてまあるくなるが人生もそうであって欲しい。

欠けるのは一時的なものである。月は決して砕けたりはしないのだ。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


      営業所

 高校を卒業して就職した
 書籍販売の会社の営業所である

 朝礼が終わると営業マン達は外に出て
 私は一人で留守番をする毎日だった

 壁一面の本棚に沢山の本が並び
 仕事中に読んでも良いのだそうだ
 子供向けの絵本や文学全集など
 どれも新品でわくわくとする

 営業所の窓からテニスコートが見えた
 高校時代に私もテニスをしていて懐かしい
 後輩達の姿を見つけると窓から手を振った

 四時になると営業マン達が次々に帰って来る
 本が売れた人まったく売れなかった人
 グラフにすると一番の人は誇らしい顔である

 ある日のこと営業所の電話が鳴り
 聞き慣れた声で「話がある」と云う
 私は「何もお話しすることはありません」と応えた

 そうして恋人と別れたこともある



2025年10月27日(月) ケセラセラ

爽やかな秋晴れ。柔らかな陽射しが燦々と降り注ぐ。

吹き抜ける風の何と心地良いことだろう。


早朝近くのローソンに買い物に行っていたら

40代位の立派な体格のお遍路さんに会った。

ささやかなお接待のつもりでチョコを手渡したら

とても喜んでくれて納め札を頂くことが出来た。

兵庫県からのお遍路で名前もちゃんと記してある。

昨夜は近くのペンションに泊まっていたのだそうだ。

店内の事で長話は出来なかったがこれも一期一会であった。

陽に焼けた逞しい足。きっと無事に結願するに違いないと思う。

不思議なもので声を掛け易いお遍路さんとそうでないお遍路さんがいる。

何か特別な光のようなものを発しているのかもしれない。

私は直感で動くがこれまでその感が外れたことはなかった。

声を掛けて良かったのだなと思う。それはとても清々しい気持ちである。



義父は未明から高知市へ。最後に収穫したお米を運んで行く。

量が少なかったので米問屋さんも運送の手配が出来なかったそうだ。

大型の運搬車に昨夜からお米を積み込み準備していたらしく

3時半に山里を出たと聞きおどろく。

とても82歳の高齢者とは思えないパワフルな義父であった。

無事に問屋さんにお米を引き渡すととんぼ返りである。

何と11時にはもう帰って来ていて上機嫌であった。

午後からは市内で検査員研修があり忙しなく出掛けて行く。

おそらく最高齢の検査員だろう。それがとても偉大に思える。


経理は自動車保険の引き落としがあり預金残高が足らなかった。

先月分も払っていなかったので併徴となっており大いに厳しい。

3時ぎりぎりまで入金を待ったがなしのつぶてである。

仕方なく同僚に頼み立て替えて貰うしかなかった。

情けない事だが同僚にも現状の厳しさを知っておいてもらいたい。

親方日の丸ではない。零細企業の底の底である。

義父が知れば「どうして俺に云わんがじゃ」と叱られることだろう。

これは秘密にしようと思う。入金が在り次第同僚に返済するつもりである。

今日の事は何とかなったが明日からまたゼロであった。

月末の目途も立たず途方に暮れるべきだが

私も図太くなったのだろう。ケセラセラと笑い飛ばしているのだった。

くよくよと思い詰めても何も変わらないと思う。

乞食のように嘆いてもお金は天下の回り物である。

まわるまわる世界はまわると歌うように過ごしたいと思う。


帰宅したらご近所で不幸があったらしくお香典の準備をした。

財布の中にあった最後の一万円札があっけなく消えていく。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


       お湯

 父が瞬間湯沸かし器を買ってくれた

 「なんぼか冷いろう」と云って
 学校から帰ったら真っ先に台所に行く

 最初は怖くて不安でならない
 「かちかちかち」と音がする
 すると小さな窓から炎が見えた

 蛇口に手を添えると温かいお湯が出る
 嬉しくてならず何か洗いたいと思った

 夕食後は食器洗いが楽しみでならない
 お茶碗もお皿もお箸も喜んでいる
 弟が興味深そうに傍らから覗いていたが
 これはお姉ちゃんの仕事だからと云った

 霜がいっぱい降りた朝も
 雪がチラつく夕暮れ時も

 お湯さえあれば生きて行けると思った






2025年10月26日(日) 風に吹かれながら

朝のうちは雨が降っていたが次第に青空が見え始める。

24℃まで気温が上がり少し暑さを感じた。

けれども風は秋を装い何と爽やかなことだろう。

部屋中の窓を開け広げ風に吹かれていた。


やっと夏物の衣類を仕舞う。やがては冬物の出番がやって来る。

去年の今頃は何を着ていたのだろうと思う。

さほど衣装持ちではなく古びた衣類が多い。


お昼にはお好み焼きを焼いて食べた。

夫はビールを飲みご満悦である。

いかにも日曜日らしくまったりとした時間であった。


午後はお決まりのお昼寝となり3時までぐっすりと寝る。

夕食はおでんの予定だったので玉子や大根を湯がいた。

珍しくあやちゃんが階下に来ていたので玉子の殻を剥いてくれたのだが

茹で方が悪かったのか殻がつるりと剥けない。

「おばあちゃん無理」と云うので一個だけ剝いてもらった。

それでも手伝ってくれたのが嬉しくてならない。

おでんの匂いが家中に漂い何とも平和な午後であった。


めいちゃんは元気に「行って来ます」と声を掛け出掛けて行く。

娘達は無言である。やっぱりねと夫と苦笑いしていた。

5時前には帰って来たがめいちゃんのお化粧が凄い。

口裂け女のように口紅を塗っていたのである。

訊けばハロウィンのイベントでダンスを披露したのだそうだ。

それで正式な発表会ではなかったことを初めて知る。

だから娘も何も云わなかったのだろう。

昨夜の寂しさが一気に薄れて行った。

私と夫の取り越し苦労だったのだ。


夕食後暮れなずむ空にぽっかりと浮かぶ三日月を見た。

まるで「詩とメルヘン」の世界のようで心が和む。

癒しの時間はそうして思いがけずにやって来るものなのだ。


特に辛いこともなくのほほんと過ごしていても

ふっと不安が襲って来ることはよくあることである。

何かを失いそうな危機感は常にあるのではないだろうか。


生きたことよりも生きることを選ぶ。

すくっと前を向いて踏み出して行かねばならない。


※以下今朝の詩


     熟柿

 熟してくると落ちる
 そうなればもう
 カタチはなくなり
 どろどろになってしまう

 いっそ鳥に啄まれたかった
 彼らの糧になれたものを

 ちくちくと痛むのは
 群がる蟻の仕業だろう
 彼らにとっても糧であり
 貴重なカタチなのである

 種だけは残したいと思う
 何の希望も在りはしないが
 それが最後のカタチであった

 秋が深まっていく
 やがて木枯らしの季節がやって来る









2025年10月25日(土) 雨音が切ない

曇り日。時おり霧のような雨が降る。

気温は20℃程で今日も過ごし易い一日だった。


先週に引き続き仕事が休めず山里の職場に向かったが

山道を歩くお遍路さんの何と多かったことだろう。

10人程見かけ一人一人に会釈をして追い越して行く。

その一人に声を掛けることが出来て笑顔が嬉しかった。

まだ20代と思われる青年だったが自分探しの旅だろうか。

その笑顔には少しも翳りが見えず何だかとてもほっとした。


同行二人とは云え独りぼっちで山道を歩く。

無心なら幸いであるが色んな思いも駆け巡ることだろう。

いったい何処から来たのかそれは訊くことが出来なかった。



仕事は一日車検が入庫していたが同僚がまさかの遅刻だった。

げっそりとやつれた顔をしており体調が悪いのではと気遣う。

訊けば何と二日酔いとのこと。しかも朝帰りだったのだそうだ。

もう決して若くはないのに何と無茶なことをと思う。


義父はちらっと顔を見せていたが居室でテレビを見ていたようだ。

「ドジャースがやりよるぞ」と興奮気味の声である。

野球など全く興味がない人だと思っていたので寝耳に水のようなこと。

大型車の修理があったがまだ部品が入っておらず先に進めない。

たまには野球観戦も良いだろうとそっとしておくことにした。


お昼前には車検整備が完了していたが不具合が見つかりアウトである。

土曜日は部品屋さんがお休みなのでどうしようも出来ない。

お客さんに連絡して車検は延期することになった。

大学生の娘さんの車で明日は高知市へ帰らねばならないのだそうだ。

来月にはまた帰省するらしくそれまで保留である。

高知市内なら幾らでも車検場があるが常連のお客さんであった。

田舎の車検場を贔屓にしてくれ有難いことだと思う。


車検が延期になり一気に気が抜けたようになる。

早目に帰ろうと2時には職場を出ていた。

今夜は娘達が夕食不要だったので何とも気が楽である。

夫にサイコロステーキを買い私はお刺身の盛り合わせにした。


3時には帰宅しており茶の間でしばらく横になる。

今朝は張り切って仕事に行ったので一気に疲れが襲って来ていた。

何事も順調とは限らないものだ。まあそれなりの一日だったと思う。


夕飯時、めいちゃんと娘がダンス教室に出掛けた後で

夫が寂しそうに教えてくれたのだが、明日はダンスの発表会あるのだそうだ。

娘は何も話してはくれず夫はめいちゃんから聞いたらしかった。

そこで家族だと云い張ってもどうしようもないが

そこまで私達祖父母は疎外されなければいけないのだろうか。

夫は娘に訊くなよと云う。それは何とも寂しいことであった。

孫の晴れ姿を見たいのは祖父母なら当然のことである。

娘には娘の考えがあるのだとしてもどうして納得出来ようか。

事ある度にとうとうここまで来たかと思う。

一つ屋根の下に暮らしながらもう家族とは認めて貰えないのだろう。


夜になりぽつぽつと雨が降り始めた。

雨音はリズミカルで歌っているように聴こえるが

一緒に口ずさむことも出来ず夜が更けようとしている。


※以下今朝の詩


      感触  

 ころころと転がっている
 そのうち何かにぶつかるだろう

 不思議と痛みはなく
 むしろ心地良くてならない

 石の道砂の道草の道
 その感触は温かくて
 身体中の血が沁み込む

 もし止める手があっても
 振り払うことを選ぶだろう

 一心に貫くことがある
 だからこそ生きていられるのだ

 夢だったのかもしれない
 けれどもその儚さを信じたい

 何処までも転がって行く
 ぶつかれば終りだとは限らない



2025年10月24日(金) それなりに生きている

晴れたり曇ったり。暑からず寒からずの一日であった。

一年中こんな気候ならどんなにか良いだろうかと思うが

四季はなければならず冬がなければ春は来ない。


朝の国道沿いに毎年咲く「皇帝ダリヤ」が随分と伸びて

大きな緑の葉が朝陽に輝くのを見た。

皇帝ダリヤは日が短くならないと花芽が出ない花で

11月下旬頃から咲く冬の花である。

花の種類は色々あるようだが毎年見るのは向日葵に似ていた。

以前に冬の向日葵と見間違えたこともあったくらいである。

冬には冬の楽しみがあり花が咲くのが待ち遠しくてならない。



今朝は職場に着くなり義父が居室から姿を現し

あれこれと声を荒げて私に指図をするのだった。

昨日の事などすっかり忘れている様子で愉快でもある。

よほど体裁が悪かったのか足腰の痛みを訴えていた。

動けなくなって寝ていたと云うのだから信じてやらねばならない。

その割には元気そうで直ぐに仕事を始めてくれて助かる。

お昼前には緊急の修理も入り義父の腕の見せ所であった。

仕事中だったお客さんは大喜びで帰って行く。


今日は農機具店に大口の支払いがあり義父に頼まれコンビニまで行ったが

郵便局のみの振込用紙だったらしく受付けて貰えなかった。

仕方なく近くの郵便局へ行ったが金額が大きいため本人確認が必要とのこと。

最初は「ご本人ですか?」と問われたので「そうです」と嘘を付いたが

免許証を見せるように云われて嘘は直ぐにばれてしまった。

4時までに送金しなければならずまた大急ぎで山里へ帰る。

やはり最初から義父が送金するべきだったのだ。

てんやわんやとなったが義父が山里の郵便局へ走り一件落着となる。

なんでもかんでも私に押し付けるのは義父の悪い癖であった。


すっかり帰りが遅くなり帰宅したら4時半である。

夫は昼間何か作業をしていたらしく軽いぎっくり腰になっていた。

「一生のお願いがある」と云うので訊けば

テレビで宣伝しているバンテリンの腰サポータ―を買って欲しいのだそうだ。

可哀想でならずアマゾンでポチれば明日はもう届くらしく大喜びである。

あれ程「ネットで買い物をするな」と云っていた夫であるが

最近ではその便利さにすっかり負けてしまった様子で

酒類に始まり薬や洗剤、衣類や食料品まで買うことが多くなった。

娘達もよく利用するので宅配便のお兄さんも配達が大変である。

娘が玄関先に「置き配」の張り紙をしたので少しは楽になっただろうか。

配達が完了すると直ぐにメールが届き玄関先の荷物の写真まである。

それにしても便利な世の中になったものだ。

私は買い物に行っても最小限となり随分と楽になった。

ただカードから毎月引き落とされる金額には唖然とするばかりである。



明日は雨らしく夜風もしっとりとしているようだ。

肌寒さもなく窓を開け放してこれを記した。

毎日が「そこそこ」でそれなりに生きている。

「ぼちぼち」も好きだが「そこそこ」が気に入っているこの頃であった。


※以下今朝の詩


     秋桜

 秋桜が枯れ始めた
 僅かな花を残し
 たくさんの種を抱く

 それはまた巡り来る季節の
 約束のようである

 枯れることは
 あたらしくなること

 どれ程憐れに見えても
 決して嘆いてはならない

 空は見守り続けている
 雨の日も風の日も
 倒れ朽ち果てるその姿を

 やがて種は土に埋もれ
 眠り始めることだろう

 季節の掟に逆らってはならない
 そうして何度でも生まれ変わる












2025年10月23日(木) 広い野原

二十四節気の「霜降」大気が冷え始め霜が降りる頃。

昨日の肌寒さが今日も続くかと思っていたのだが

気温は22℃まで上がり過ごし易い一日となる。


あちらこちらに咲いていた秋桜がもう枯れ始めてしまった。

僅かに花を残し種を沢山付けているのが見える。

それはまた巡り来る季節の「約束」となるのだろう。

花の終りは憐れなものだが決して哀しんではならない。



今朝は職場に着けば義父の姿は見えず朝刊も取ってはいなかった。

田んぼに出掛けた形跡もなく二階の居室のなんと静かなことだろう。

同僚の話では昨日の夕方友人が訪ねて来ていたそうで

どうやらそのまま行きつけのスナックへ行ったようだった。

よくあることだが飲み過ぎてしまったのかもしれない。

二日酔いだとしてもお昼には起きるだろうと待っていたが

2時を過ぎても物音ひとつ聞こえず何だか心配になった。

82歳の高齢者である。二日酔いをするような年齢ではなかったが

よほど楽しい夜だったのだろう羽目を外し過ぎたのに違いない。

とにかく様子を見に行かないと帰るにも帰れない。

息絶えている可能性もありそれが一番不安でならなかった。


居室への階段をやっとの思いで上り「おとうさん」と声を掛けたら

「おう」と小さな声が聞こえた。咄嗟に「生きちょるかね」と声が出た。

蓑虫のように布団に包まっている姿は何とも情けない。

する仕事はあったがどうして無理矢理起こすことが出来ようか。

日頃の疲れも出たのだろう。ゆっくりと休ませてやりたかった。

「起きんでもえいけん寝よったや」と云うとほっとしたようである。

そうして今日は義父にとって貴重な休養日となった。


同僚に留守番を頼み2時半に退社する。

仕事は順調とは行かなかったが不思議と焦りを感じない。

野もあれば山もある。今日は広い野原のように思えた。

ゆったりのんびりと歩いている。空を見上げる余裕もあった。

急いで駆け出す必要はない。そのために明日があるのだと思う。


帰宅して母の遺影に報告すれば母も頷いているようである。

「お父さんらしいよね」と二人で笑い合った。

生きている限り明日がある。明日はあすの風に吹かれよう。


※以下今朝の詩


     霜降

 見えること見えないこと
 知っていること知らないこと

 あやふやでありながら確かなこと
 信じる信じないも己次第である

 霜降の朝であった
 季節は晩秋から初冬へと向かう
 野を彩っていた花は枯れ始め
 たくさんの種を残そうとする

 その行く末を知らないことは
 また巡り来る季節への憧憬か
 夢を夢で終わらせないために
 すくっと前へと歩み始める

 果てしない空の彼方に
 見知らぬ町があるように
 雲を追い駆け風に身を任せる

 どれほどの希望だろうか
 きっと知らないほうがいい



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