| 2025年10月24日(金) |
それなりに生きている |
晴れたり曇ったり。暑からず寒からずの一日であった。
一年中こんな気候ならどんなにか良いだろうかと思うが
四季はなければならず冬がなければ春は来ない。
朝の国道沿いに毎年咲く「皇帝ダリヤ」が随分と伸びて
大きな緑の葉が朝陽に輝くのを見た。
皇帝ダリヤは日が短くならないと花芽が出ない花で
11月下旬頃から咲く冬の花である。
花の種類は色々あるようだが毎年見るのは向日葵に似ていた。
以前に冬の向日葵と見間違えたこともあったくらいである。
冬には冬の楽しみがあり花が咲くのが待ち遠しくてならない。

今朝は職場に着くなり義父が居室から姿を現し
あれこれと声を荒げて私に指図をするのだった。
昨日の事などすっかり忘れている様子で愉快でもある。
よほど体裁が悪かったのか足腰の痛みを訴えていた。
動けなくなって寝ていたと云うのだから信じてやらねばならない。
その割には元気そうで直ぐに仕事を始めてくれて助かる。
お昼前には緊急の修理も入り義父の腕の見せ所であった。
仕事中だったお客さんは大喜びで帰って行く。
今日は農機具店に大口の支払いがあり義父に頼まれコンビニまで行ったが
郵便局のみの振込用紙だったらしく受付けて貰えなかった。
仕方なく近くの郵便局へ行ったが金額が大きいため本人確認が必要とのこと。
最初は「ご本人ですか?」と問われたので「そうです」と嘘を付いたが
免許証を見せるように云われて嘘は直ぐにばれてしまった。
4時までに送金しなければならずまた大急ぎで山里へ帰る。
やはり最初から義父が送金するべきだったのだ。
てんやわんやとなったが義父が山里の郵便局へ走り一件落着となる。
なんでもかんでも私に押し付けるのは義父の悪い癖であった。
すっかり帰りが遅くなり帰宅したら4時半である。
夫は昼間何か作業をしていたらしく軽いぎっくり腰になっていた。
「一生のお願いがある」と云うので訊けば
テレビで宣伝しているバンテリンの腰サポータ―を買って欲しいのだそうだ。
可哀想でならずアマゾンでポチれば明日はもう届くらしく大喜びである。
あれ程「ネットで買い物をするな」と云っていた夫であるが
最近ではその便利さにすっかり負けてしまった様子で
酒類に始まり薬や洗剤、衣類や食料品まで買うことが多くなった。
娘達もよく利用するので宅配便のお兄さんも配達が大変である。
娘が玄関先に「置き配」の張り紙をしたので少しは楽になっただろうか。
配達が完了すると直ぐにメールが届き玄関先の荷物の写真まである。
それにしても便利な世の中になったものだ。
私は買い物に行っても最小限となり随分と楽になった。
ただカードから毎月引き落とされる金額には唖然とするばかりである。
明日は雨らしく夜風もしっとりとしているようだ。
肌寒さもなく窓を開け放してこれを記した。
毎日が「そこそこ」でそれなりに生きている。
「ぼちぼち」も好きだが「そこそこ」が気に入っているこの頃であった。
※以下今朝の詩
秋桜
秋桜が枯れ始めた 僅かな花を残し たくさんの種を抱く
それはまた巡り来る季節の 約束のようである
枯れることは あたらしくなること
どれ程憐れに見えても 決して嘆いてはならない
空は見守り続けている 雨の日も風の日も 倒れ朽ち果てるその姿を
やがて種は土に埋もれ 眠り始めることだろう
季節の掟に逆らってはならない そうして何度でも生まれ変わる
二十四節気の「霜降」大気が冷え始め霜が降りる頃。
昨日の肌寒さが今日も続くかと思っていたのだが
気温は22℃まで上がり過ごし易い一日となる。
あちらこちらに咲いていた秋桜がもう枯れ始めてしまった。
僅かに花を残し種を沢山付けているのが見える。
それはまた巡り来る季節の「約束」となるのだろう。
花の終りは憐れなものだが決して哀しんではならない。

今朝は職場に着けば義父の姿は見えず朝刊も取ってはいなかった。
田んぼに出掛けた形跡もなく二階の居室のなんと静かなことだろう。
同僚の話では昨日の夕方友人が訪ねて来ていたそうで
どうやらそのまま行きつけのスナックへ行ったようだった。
よくあることだが飲み過ぎてしまったのかもしれない。
二日酔いだとしてもお昼には起きるだろうと待っていたが
2時を過ぎても物音ひとつ聞こえず何だか心配になった。
82歳の高齢者である。二日酔いをするような年齢ではなかったが
よほど楽しい夜だったのだろう羽目を外し過ぎたのに違いない。
とにかく様子を見に行かないと帰るにも帰れない。
息絶えている可能性もありそれが一番不安でならなかった。
居室への階段をやっとの思いで上り「おとうさん」と声を掛けたら
「おう」と小さな声が聞こえた。咄嗟に「生きちょるかね」と声が出た。
蓑虫のように布団に包まっている姿は何とも情けない。
する仕事はあったがどうして無理矢理起こすことが出来ようか。
日頃の疲れも出たのだろう。ゆっくりと休ませてやりたかった。
「起きんでもえいけん寝よったや」と云うとほっとしたようである。
そうして今日は義父にとって貴重な休養日となった。
同僚に留守番を頼み2時半に退社する。
仕事は順調とは行かなかったが不思議と焦りを感じない。
野もあれば山もある。今日は広い野原のように思えた。
ゆったりのんびりと歩いている。空を見上げる余裕もあった。
急いで駆け出す必要はない。そのために明日があるのだと思う。
帰宅して母の遺影に報告すれば母も頷いているようである。
「お父さんらしいよね」と二人で笑い合った。
生きている限り明日がある。明日はあすの風に吹かれよう。
※以下今朝の詩
霜降
見えること見えないこと 知っていること知らないこと
あやふやでありながら確かなこと 信じる信じないも己次第である
霜降の朝であった 季節は晩秋から初冬へと向かう 野を彩っていた花は枯れ始め たくさんの種を残そうとする
その行く末を知らないことは また巡り来る季節への憧憬か 夢を夢で終わらせないために すくっと前へと歩み始める
果てしない空の彼方に 見知らぬ町があるように 雲を追い駆け風に身を任せる
どれほどの希望だろうか きっと知らないほうがいい
幸い小雨であったが一日中降り続く。
気温は16℃と低目で冷たい雨となった。
11月中旬の気温だそうで一気に晩秋のようになる。
つわぶきの花を楽しみに峠道を上ったが
生憎の雨で項垂れており憐れでならない。
茎の長い花なので雨を凌げなかったのだろう。
けれどもまだ咲いたばかりである。
青空が見え始めるときっと元気になるに違いない。
雨遍路さんも多い朝だった。これも憐れに見えて
雨合羽を着ていないお遍路さんもいて心配でならない。
笠を被ってはいるがどんなにか冷たいことだろう。
延光寺に着くまで一日中歩き続けなければいけないのだ。

仕事は一気に順調となりほっと肩の荷が下りたようだった。
義父は昨夜遅くまで片付けをしていたそうで見違えるように整理されていた。
大型車の難解な修理もしなければならず工場の中に入れてある。
そうして同僚に今日の仕事の指示をすると車検を2台済ませてくれる。
午後は大型車の修理を始めており工場は活気に満ちていた。
どうか順調にとひたすら願うばかりであった。
取引先の部品屋さんが集金に来て全額支払ったが
また一気に預金残高が少なくなり前途が暗くなる。
しかしまだゼロではないので何とかなるだろうと思う事にした。
月末まで綱渡りとなるが決して足を踏み外してはならない。
仕事を終えればリハビリが待っていたが
今日もキャンセルがあったらしく直ぐに順番が来る。
リハビリ中に薄っすらと目を開けてみた。
やはりU君はかなりのイケメンで俳優の誰かに似ている。
その俳優の名を思い出せずそれがもどかしくもあった。
恋をしようと思う。おそらく人生最後の恋だろう。
帰宅して娘に恐る恐る今朝の物音について訊いてみたら
「静かやったねえ」と褒めてくれて何とほっとしたことか。
「うるさかった」と云われたらもう限界にも思える。
この調子で明日からも忍び足で頑張らねばならない。
それにしても肌寒い夜だこと。
一気に寒くなったせいか今夜は血圧が177もあった。
神経質な者だから納得が行かず3回も測ったが変わらない。
けれども特に自覚症状はなく至って元気な夜である。
毎年冬になると死が頭を過るが今年はあっけらかんと過ごしたい。
人間だもの死ぬ時は死ぬ。生かされることだってある。
生きたい願いだって叶うかもしれないのだ。
殺せるものなら殺してみなさい。雨の暗闇に向かい叫んでみた。
※以下今朝の詩
内緒
ひそひそと雨が降っている 誰にも知られたくないように これは内緒の話である
例えば山肌に咲く一輪の花 つわぶきの花は晩秋を知らせ 旅人のこころを和ませるが 誰も手折ろうとはしないのだ
雨に濡れ雨に打たれる その姿を見つけたら そっと通り過ぎて欲しい
そんな存在で在りたい ひそやかないのちである
雨はやがて止むだろう そうして何事も無かったように 見上げる空が輝き始める
曇り日。山里では少しだけにわか雨が降った。
気温は22℃までしか上がらず一気に秋らしくなる。
朝の山道では山肌からこぼれるように「つわぶきの花」が咲く。
辺りを見回してみたがその一輪だけであった。
きっと真っ先に季節を知らせに来てくれたのだろう。
晩秋の花である。向日葵を小さくしたような花でとても愛らしい。
今朝は娘婿から苦言があり一日中気になってならなかった。
毎朝4時に起きて活動を始めるのだがその物音が耳に付くらしい。
足音だろうか杖の音だろうか咳かもしれないし頭を悩ます。
私には直接云わず夫に告げてから出勤したようだった。
夫には「気をつけろよ」と云われたが気のつけようがない。
とにかく明日の朝から忍び足で動いてみようと思う。
云ってくれなかったらずっと無神経な私だったことだろう。
そう思うと娘婿の苦言も有難く受け止めなければならない。
仕事は順調とは行かず義父に振り回された一日だった。
車検整備が完了した車が2台あったのだが車検をしてくれないのだ。
まだ工場の片付けが終わっておらず今日中に済ませたかったようだ。
幸いお客さんから苦情はなかったがどうにも気になってならない。
田舎の車検場だからと安気に考えることが出来なかった。
2時半になりもう諦めようと義父に声を掛けて帰ろうとしたが
私の苛立ちが伝わっていたのだろう「明日まで待てや」と声がする。
それで義父も気になっていたことが分かり何だかほっとした。
帰り道の県道で団体のお遍路さん達を見かける。
老若男女ざっと数えても30人程だったろうか。
まるで遠足のように行列を作りダム湖の橋を渡っている。
伊予鉄の観光バスも見えていたが乗り込む気配はなかった。
おそらく延光寺までそのまま歩き続けるのだろう。
おしゃべりをしながら歩いているのかとても楽しそうに見えた。
バス遍路も良いものだなと思う。憧れていた時期もあったが
この足ではとても無理だろうと諦めざる得なかった。
そうして夢は夢として遠ざかって行くのだろう。
4時前には帰宅しており茶の間で寝転んでいた。
疲れているようで眠くならないのが不思議である。
テレビは高市首相の話題ばかりであった。
息子のお嫁さんだった人にどこか似ており好感は抱けるが
果たして国政を務められるのかと思うと心細さも感じる。
政治にはあまり関心のない私でもこの国で暮らして行かねばならない。
娘と夕食の支度をしながらそれとなく訊いてみたら
やはり私の足音がうるさく目が覚めてしまうのだそうだ。
5時までは自室でひっそりと詩を書いているが
その後は階下の台所で朝食の準備をしなければならない。
娘達の寝ている部屋は台所の真上なので余計に音が響くのだろう。
娘の提案でスリッパを履かないこと。歩く時は忍び足で歩くこと。
何だか三日坊主になってしまいそうだが明日から実行することになった。
親しき仲にも礼儀在りである。家族だからこそ疎かにしてはならない。
生きているだけで迷惑をかける位なら死んだ方がましだ。
※以下今朝の詩
声
おいでおいでこっちだよ 何処からか呼ぶ声がする
それは山の向こうのようで 空の彼方のような気がする
たなびく雲の声だろうか それとも鳥の声だろうか
行かなくちゃとおもう きっと誰かが待っている
羽根を失くしたのは遠い日 若さゆえの過ちであった 傷口はもう癒えたようで 時々思い出したように疼く
もう飛べやしないだろう けれども飛びたいとおもう
おいでおいでこっちだよ
声ならば信じよう 声ならばきっと待っていてくれる
曇り日。雨が降りそうで降らず一日が暮れた。
気温は25℃程で夏日ではあったが随分と涼しく感じる。
明日から次第に気温が下がり始めやっと秋めいて来そうだ。
北海道北部では初雪が降ったらしくもう真冬と云っても良いだろう。
つかの間の秋であった。これから過酷な冬の暮らしが始まる。
仕事は今日も車検の予約が入っており今週も忙しくなりそうだった。
明日はまた大型車が入庫するため義父は工場の片付けに精を出す。
なにしろ何屋さんかと思うほどお米でいっぱいなのだった。
予約販売はほぼ終わったがまだ最後の出荷をするのだそうだ。
昨日は一日中田んぼを耕していたらしく気が済んだのだろう。
今日は機嫌も良く工場の仕事の段取りもしてくれた。
事務仕事は午前中で片付き午後はのらりくらりと過ごす。
SNSのX社から英語のメールが届いており詳しい内容が分からない。
AIの響君に翻訳して貰ったら会費の請求らしかった。
けれども添付ファイルが付いており詐欺メールの可能性もあるとのこと。
とにかく慎重に対処せねばならずファイルは決して開いてはならない。
響君のアドバイスでカード会社に確認を取ったら
確かに今日付けでX社から請求が来ていることが分かる。
その時点で詐欺ではないことが分かったが何だか気味が悪かった。
いくらアメリカの会社でも日本語で送信出来なかったのかと思う。
響君のアドバイスがなければパニックになっているところだった。
何と詳しく調べてくれて親切なアドバイスには感謝しかない。
一件落着したところでまた無性にアイスが食べたくなり
山里のお店に走ったらアイスの売り場でお遍路さんと一緒になった。
咄嗟に「私に買わせて下さい」と声が出てしまう。
ささやかなお接待のつもりであったがお遍路さんが喜んでくれて
とても清々しい気持ちになった。これも一期一会であろう。
お遍路さんは延光寺に向かっており夕方までには着きそうであった。
「何処からおい出たのですか?」と訊くと
昨夜泊まった民宿の名を云い少し拍子抜けがしたが
あれこれと訊くのも失礼に思いそのまま手を振って別れた。
その笑顔が今も目に浮かび旅の無事を祈らずにいられない。
2時半に退社。丁度6時間の定時であった。
義父に来客が来ており「もう帰るのか」と云われたが笑い飛ばす。
もう今日のノルマはなかった。さっさと家に帰りたい。
少しでも横になりたくてたまらなかった。
夕飯は「寄せ鍋」にしたが汗が噴き出る。
扇風機を回しながらはふはふと食べた。
夫が「これは明日の晩までありそうなぞ」とぼやくのも愉快である。
明日の朝にはおうどんを入れて食べるのが楽しみであった。
雨は降らないまま夜が更けようとしている。
窓を開け放せば心地よい夜風が吹き込んで来ていた。
「そこそこ」の一日だったのだろう。
私はそこそこに満たされている。
※以下今朝の詩
出発
千切れんばかりに手を振っていた その姿が小さくなり見えなくなる
確かに別れの夢であったが 少しも哀しくはなかった 何と清々しい別れだろう
車窓から真っ青な海が見え 陽射しを浴びて輝いている その真っ只中にきみがいた
二十五年の歳月が遠くなる きみは掛け替えのない記憶となり 私の人生に栞を挟んだのだろう
何ひとつ失ってなどいない きみの声もきみの笑顔も あれは最後ではなかったのだ
秋が深まっていく やがて木枯らしの季節がやって来る そうして待ち侘びる春があった
きみの未来に幸多かれと祈る 別れこそが出発なのに違いない
曇り日。夕方からぽつぽつと小雨が降り始めている。
秋を招く雨かも知れないが日中は今日も蒸し暑かった。
サニーマートに買い物に行くと秋の装いの人が多く驚く。
長袖の人、重ね着をしている人、カーディガンを羽織っている人もいる。
外気は28℃の夏日であるのに暑くはないのだろうかと不思議でならない。
店内は冷房が効いていたが決して肌寒くはなかった。
10月は衣替えの季節だがもう夏服を仕舞ってしまったのだろうか。
臨機応変にと思うが暑さを感じるのも人それぞれなのだろう。
私は人一倍暑がりなのでまだまだ夏の装いで胸を張っている。
ゆっくりのんびりの日曜日であった。
今朝は夫が掃除機を掛けてくれて大助かりである。
床の拭き掃除もままならない。あちこちに埃が見えていた。
そうして殺風景な庭先。花苗は今日も買いに行かない。
そのうち娘が整えてくれるだろうと思うが
彼女も日曜日は一気に疲れが出ているようだった。
午後は図書館にも行かずごろごろと寝てばかりである。
道に迷った嫌な夢を見てしまい夢の中で焦りまくった。
それも車ではなく自転車に乗っておりしんどくてならない。
国道かと思いきや山道も走っており人影も見当たらないのである。
夫に電話をして迎えに来て貰おうとしたが携帯電話を持っていなかった。
3時間程寝ただろうか、目覚めたらぐったりと疲労感に襲われる。
自室で冷たいコーヒを飲んだり煙草を吸ったりしたがすっきりしない。
無性にアイスが食べたくなり近所のローソンへ走った。
迷わず「チョコもなかジャンボ」を買い求め直ぐに食べたのは云うまでもない。
なんと美味しいことだろう。頭も身体もすっきりと元気になった。
娘達が夕食不要とのことで輸入肉のステーキを一枚焼く。
夫は魚よりも肉を食べたがり大喜びであった。
私は魚が好きなので秋刀魚が良かったのだが今夜は我慢する。
夫の美味しい顔が見られて何よりも幸せだと思った。
娘達も牛肉を買って来ており今夜は焼き肉のようだったが
食卓にはあやちゃんの姿もめいちゃんの姿も見えない。
要らぬ口を叩いてはならず娘には何も云えなかったが
そんな夕食が当たり前になっていることが哀しかった。
核家族には違いなかったが何とも受け入れ難い現実である。
雨は止んでおり何処からか打ち上げ花火の音が鳴り響いていた。
何の情報もなかったが秋祭りかもしれないと思う。
音だけで花火は見えないが秋の花火も風情があるものだ。
何となくしんみりとするのは秋の夜のせいかもしれない。
随分と生きて来たように思うが後どれ位だろうといつも思う。
思い残すことはないが命が尽きることが怖くてならない。
※以下今朝の詩
いのち 最後ではないかといつも思う 心細さは何処から来るのだろう
あれは春の日はらはらと散った 風に舞い吹雪のような花びらのこと
夏には緑に随分と助けられた 強い陽射しに照らされながら 影になれば生きていられたのだ
秋はもの哀しい季節であった 今度は葉がはらはらと散る もうどうしようもないと思う
やがて木枯らしが吹き始め 何も纏うものがなくなったが 骨のような枝を守り続けた
生きてさえいればと思う 季節は何度でも巡って来る
心細さを打ち消すように 今はただ風に吹かれている
晴れのち曇り。気温は28℃程だったが蒸し暑さを感じる。
明日は雨の予報だが少しずつ気温が低くなりそうだった。
北海道には雪が近づいているらしい。
同じ日本でも北と南とでは随分と違うものだ。
夏の名残を感じながら柿の実が色づき鈴なりになっている。
今年は何処の柿も沢山なっており秋らしい風景である。
職場の敷地内に義祖母が暮らしていた家があり
柿の木が二本あるがそれもたわわに実っている。
いつの秋だったかハクビシンに食い荒らされて
義祖母が「柿どろぼうがいる」と大騒ぎしたことも懐かしい。
義父は柿を好んで食べるが友人は大好物だそうでまた欲しがっているようだ。
友人を喜ばせようと柿の木に登る義父は少年のように見える。

カーブスどころではなくなり今日は仕事だった。
朝一番に昨日手配していた部品が入り車検整備がやっと終わる。
直ぐに車検をと思ったが義父は籾摺り機の掃除に精を出していた。
それは念入りでエアーを吹き付けて隅々まで綺麗にする。
今年のお米を一粒でも残す訳にはいかないのだ。
そうして丁寧に手入れをしておけば来年の為になるだろう。
お昼にやっと車検である。私はすっかり待ちくたびれていた。
書類を書き終えたら今日の仕事はもうなかったが
午後から義父が親戚の法事に行かねばならず送り出すまではと思う。
例の険悪な故人であったが残された親族には何の罪も在りはしない。
遠い親戚であってもしっかりと義理を果たす義父であった。
義父を無事に送り出し2時に退社する。
こんなに早く帰れるのは滅多にないことであった。
サニーマートに寄ればもの凄く混雑しており驚く。
車は何とか停めることが出来たが人に酔いそうであった。
夫が「すき焼きを食べたい」と云っていたので食材を買い求める。
牛肉も奮発して2パック買った。
3時には帰宅しており「えらい早いな」と夫が驚いていた。
娘は休みだったが今日は参観日で学校へ行っているようである。
洗濯物を畳まねばならず寝転ぶのは後回しにした。
畳み終えるとばたんきゅうである。30分程眠り込んでいたようだ。
今日はお舅さんの43年目の命日であったが
起き上がることが出来ずお線香も上げに行けなかった。
夫が「俺が代表する」と云ってくれて義妹宅に行ってくれる。
43年とは大昔にも思えるが記憶はとても鮮やかであった。
57歳の短い生涯であったが思い残すことも多かったことだろう。
みんなみんな幸せに暮らしていることを伝えたくてならない。
私にもやがて命日が出来るが春だろうか秋だろうかと思う。
命日だからと云って娘や息子や孫達に負担を掛けたくはなかった。
死んでしまえばそれでお終いだと思って欲しい。
幸せな人生であった。もう思い残すことなど在りはしないのだ。
※以下今朝の詩
旅
さあ何処に行こう わくわくと楽しみでならない
行き当たりばったりの旅である 目的など何ひとつありはしない
車窓から見える風景は すっかり秋のようであった 苅田には子雀が飛び交い 芒の若い穂が風に揺れている セイタカアワダチソウの黄色
切符を握りしめていた それは何処の駅なのだろう 知らない町の名が記されている
海だろうか山だろうか 夢だろうか現だろうか
行ってみないと分からない 旅は始まったばかりである
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