曇り日。山里では少しだけにわか雨が降った。
気温は22℃までしか上がらず一気に秋らしくなる。
朝の山道では山肌からこぼれるように「つわぶきの花」が咲く。
辺りを見回してみたがその一輪だけであった。
きっと真っ先に季節を知らせに来てくれたのだろう。
晩秋の花である。向日葵を小さくしたような花でとても愛らしい。
今朝は娘婿から苦言があり一日中気になってならなかった。
毎朝4時に起きて活動を始めるのだがその物音が耳に付くらしい。
足音だろうか杖の音だろうか咳かもしれないし頭を悩ます。
私には直接云わず夫に告げてから出勤したようだった。
夫には「気をつけろよ」と云われたが気のつけようがない。
とにかく明日の朝から忍び足で動いてみようと思う。
云ってくれなかったらずっと無神経な私だったことだろう。
そう思うと娘婿の苦言も有難く受け止めなければならない。
仕事は順調とは行かず義父に振り回された一日だった。
車検整備が完了した車が2台あったのだが車検をしてくれないのだ。
まだ工場の片付けが終わっておらず今日中に済ませたかったようだ。
幸いお客さんから苦情はなかったがどうにも気になってならない。
田舎の車検場だからと安気に考えることが出来なかった。
2時半になりもう諦めようと義父に声を掛けて帰ろうとしたが
私の苛立ちが伝わっていたのだろう「明日まで待てや」と声がする。
それで義父も気になっていたことが分かり何だかほっとした。
帰り道の県道で団体のお遍路さん達を見かける。
老若男女ざっと数えても30人程だったろうか。
まるで遠足のように行列を作りダム湖の橋を渡っている。
伊予鉄の観光バスも見えていたが乗り込む気配はなかった。
おそらく延光寺までそのまま歩き続けるのだろう。
おしゃべりをしながら歩いているのかとても楽しそうに見えた。
バス遍路も良いものだなと思う。憧れていた時期もあったが
この足ではとても無理だろうと諦めざる得なかった。
そうして夢は夢として遠ざかって行くのだろう。
4時前には帰宅しており茶の間で寝転んでいた。
疲れているようで眠くならないのが不思議である。
テレビは高市首相の話題ばかりであった。
息子のお嫁さんだった人にどこか似ており好感は抱けるが
果たして国政を務められるのかと思うと心細さも感じる。
政治にはあまり関心のない私でもこの国で暮らして行かねばならない。
娘と夕食の支度をしながらそれとなく訊いてみたら
やはり私の足音がうるさく目が覚めてしまうのだそうだ。
5時までは自室でひっそりと詩を書いているが
その後は階下の台所で朝食の準備をしなければならない。
娘達の寝ている部屋は台所の真上なので余計に音が響くのだろう。
娘の提案でスリッパを履かないこと。歩く時は忍び足で歩くこと。
何だか三日坊主になってしまいそうだが明日から実行することになった。
親しき仲にも礼儀在りである。家族だからこそ疎かにしてはならない。
生きているだけで迷惑をかける位なら死んだ方がましだ。
※以下今朝の詩
声
おいでおいでこっちだよ 何処からか呼ぶ声がする
それは山の向こうのようで 空の彼方のような気がする
たなびく雲の声だろうか それとも鳥の声だろうか
行かなくちゃとおもう きっと誰かが待っている
羽根を失くしたのは遠い日 若さゆえの過ちであった 傷口はもう癒えたようで 時々思い出したように疼く
もう飛べやしないだろう けれども飛びたいとおもう
おいでおいでこっちだよ
声ならば信じよう 声ならばきっと待っていてくれる
曇り日。雨が降りそうで降らず一日が暮れた。
気温は25℃程で夏日ではあったが随分と涼しく感じる。
明日から次第に気温が下がり始めやっと秋めいて来そうだ。
北海道北部では初雪が降ったらしくもう真冬と云っても良いだろう。
つかの間の秋であった。これから過酷な冬の暮らしが始まる。
仕事は今日も車検の予約が入っており今週も忙しくなりそうだった。
明日はまた大型車が入庫するため義父は工場の片付けに精を出す。
なにしろ何屋さんかと思うほどお米でいっぱいなのだった。
予約販売はほぼ終わったがまだ最後の出荷をするのだそうだ。
昨日は一日中田んぼを耕していたらしく気が済んだのだろう。
今日は機嫌も良く工場の仕事の段取りもしてくれた。
事務仕事は午前中で片付き午後はのらりくらりと過ごす。
SNSのX社から英語のメールが届いており詳しい内容が分からない。
AIの響君に翻訳して貰ったら会費の請求らしかった。
けれども添付ファイルが付いており詐欺メールの可能性もあるとのこと。
とにかく慎重に対処せねばならずファイルは決して開いてはならない。
響君のアドバイスでカード会社に確認を取ったら
確かに今日付けでX社から請求が来ていることが分かる。
その時点で詐欺ではないことが分かったが何だか気味が悪かった。
いくらアメリカの会社でも日本語で送信出来なかったのかと思う。
響君のアドバイスがなければパニックになっているところだった。
何と詳しく調べてくれて親切なアドバイスには感謝しかない。
一件落着したところでまた無性にアイスが食べたくなり
山里のお店に走ったらアイスの売り場でお遍路さんと一緒になった。
咄嗟に「私に買わせて下さい」と声が出てしまう。
ささやかなお接待のつもりであったがお遍路さんが喜んでくれて
とても清々しい気持ちになった。これも一期一会であろう。
お遍路さんは延光寺に向かっており夕方までには着きそうであった。
「何処からおい出たのですか?」と訊くと
昨夜泊まった民宿の名を云い少し拍子抜けがしたが
あれこれと訊くのも失礼に思いそのまま手を振って別れた。
その笑顔が今も目に浮かび旅の無事を祈らずにいられない。
2時半に退社。丁度6時間の定時であった。
義父に来客が来ており「もう帰るのか」と云われたが笑い飛ばす。
もう今日のノルマはなかった。さっさと家に帰りたい。
少しでも横になりたくてたまらなかった。
夕飯は「寄せ鍋」にしたが汗が噴き出る。
扇風機を回しながらはふはふと食べた。
夫が「これは明日の晩までありそうなぞ」とぼやくのも愉快である。
明日の朝にはおうどんを入れて食べるのが楽しみであった。
雨は降らないまま夜が更けようとしている。
窓を開け放せば心地よい夜風が吹き込んで来ていた。
「そこそこ」の一日だったのだろう。
私はそこそこに満たされている。
※以下今朝の詩
出発
千切れんばかりに手を振っていた その姿が小さくなり見えなくなる
確かに別れの夢であったが 少しも哀しくはなかった 何と清々しい別れだろう
車窓から真っ青な海が見え 陽射しを浴びて輝いている その真っ只中にきみがいた
二十五年の歳月が遠くなる きみは掛け替えのない記憶となり 私の人生に栞を挟んだのだろう
何ひとつ失ってなどいない きみの声もきみの笑顔も あれは最後ではなかったのだ
秋が深まっていく やがて木枯らしの季節がやって来る そうして待ち侘びる春があった
きみの未来に幸多かれと祈る 別れこそが出発なのに違いない
曇り日。夕方からぽつぽつと小雨が降り始めている。
秋を招く雨かも知れないが日中は今日も蒸し暑かった。
サニーマートに買い物に行くと秋の装いの人が多く驚く。
長袖の人、重ね着をしている人、カーディガンを羽織っている人もいる。
外気は28℃の夏日であるのに暑くはないのだろうかと不思議でならない。
店内は冷房が効いていたが決して肌寒くはなかった。
10月は衣替えの季節だがもう夏服を仕舞ってしまったのだろうか。
臨機応変にと思うが暑さを感じるのも人それぞれなのだろう。
私は人一倍暑がりなのでまだまだ夏の装いで胸を張っている。
ゆっくりのんびりの日曜日であった。
今朝は夫が掃除機を掛けてくれて大助かりである。
床の拭き掃除もままならない。あちこちに埃が見えていた。
そうして殺風景な庭先。花苗は今日も買いに行かない。
そのうち娘が整えてくれるだろうと思うが
彼女も日曜日は一気に疲れが出ているようだった。
午後は図書館にも行かずごろごろと寝てばかりである。
道に迷った嫌な夢を見てしまい夢の中で焦りまくった。
それも車ではなく自転車に乗っておりしんどくてならない。
国道かと思いきや山道も走っており人影も見当たらないのである。
夫に電話をして迎えに来て貰おうとしたが携帯電話を持っていなかった。
3時間程寝ただろうか、目覚めたらぐったりと疲労感に襲われる。
自室で冷たいコーヒを飲んだり煙草を吸ったりしたがすっきりしない。
無性にアイスが食べたくなり近所のローソンへ走った。
迷わず「チョコもなかジャンボ」を買い求め直ぐに食べたのは云うまでもない。
なんと美味しいことだろう。頭も身体もすっきりと元気になった。
娘達が夕食不要とのことで輸入肉のステーキを一枚焼く。
夫は魚よりも肉を食べたがり大喜びであった。
私は魚が好きなので秋刀魚が良かったのだが今夜は我慢する。
夫の美味しい顔が見られて何よりも幸せだと思った。
娘達も牛肉を買って来ており今夜は焼き肉のようだったが
食卓にはあやちゃんの姿もめいちゃんの姿も見えない。
要らぬ口を叩いてはならず娘には何も云えなかったが
そんな夕食が当たり前になっていることが哀しかった。
核家族には違いなかったが何とも受け入れ難い現実である。
雨は止んでおり何処からか打ち上げ花火の音が鳴り響いていた。
何の情報もなかったが秋祭りかもしれないと思う。
音だけで花火は見えないが秋の花火も風情があるものだ。
何となくしんみりとするのは秋の夜のせいかもしれない。
随分と生きて来たように思うが後どれ位だろうといつも思う。
思い残すことはないが命が尽きることが怖くてならない。
※以下今朝の詩
いのち 最後ではないかといつも思う 心細さは何処から来るのだろう
あれは春の日はらはらと散った 風に舞い吹雪のような花びらのこと
夏には緑に随分と助けられた 強い陽射しに照らされながら 影になれば生きていられたのだ
秋はもの哀しい季節であった 今度は葉がはらはらと散る もうどうしようもないと思う
やがて木枯らしが吹き始め 何も纏うものがなくなったが 骨のような枝を守り続けた
生きてさえいればと思う 季節は何度でも巡って来る
心細さを打ち消すように 今はただ風に吹かれている
晴れのち曇り。気温は28℃程だったが蒸し暑さを感じる。
明日は雨の予報だが少しずつ気温が低くなりそうだった。
北海道には雪が近づいているらしい。
同じ日本でも北と南とでは随分と違うものだ。
夏の名残を感じながら柿の実が色づき鈴なりになっている。
今年は何処の柿も沢山なっており秋らしい風景である。
職場の敷地内に義祖母が暮らしていた家があり
柿の木が二本あるがそれもたわわに実っている。
いつの秋だったかハクビシンに食い荒らされて
義祖母が「柿どろぼうがいる」と大騒ぎしたことも懐かしい。
義父は柿を好んで食べるが友人は大好物だそうでまた欲しがっているようだ。
友人を喜ばせようと柿の木に登る義父は少年のように見える。

カーブスどころではなくなり今日は仕事だった。
朝一番に昨日手配していた部品が入り車検整備がやっと終わる。
直ぐに車検をと思ったが義父は籾摺り機の掃除に精を出していた。
それは念入りでエアーを吹き付けて隅々まで綺麗にする。
今年のお米を一粒でも残す訳にはいかないのだ。
そうして丁寧に手入れをしておけば来年の為になるだろう。
お昼にやっと車検である。私はすっかり待ちくたびれていた。
書類を書き終えたら今日の仕事はもうなかったが
午後から義父が親戚の法事に行かねばならず送り出すまではと思う。
例の険悪な故人であったが残された親族には何の罪も在りはしない。
遠い親戚であってもしっかりと義理を果たす義父であった。
義父を無事に送り出し2時に退社する。
こんなに早く帰れるのは滅多にないことであった。
サニーマートに寄ればもの凄く混雑しており驚く。
車は何とか停めることが出来たが人に酔いそうであった。
夫が「すき焼きを食べたい」と云っていたので食材を買い求める。
牛肉も奮発して2パック買った。
3時には帰宅しており「えらい早いな」と夫が驚いていた。
娘は休みだったが今日は参観日で学校へ行っているようである。
洗濯物を畳まねばならず寝転ぶのは後回しにした。
畳み終えるとばたんきゅうである。30分程眠り込んでいたようだ。
今日はお舅さんの43年目の命日であったが
起き上がることが出来ずお線香も上げに行けなかった。
夫が「俺が代表する」と云ってくれて義妹宅に行ってくれる。
43年とは大昔にも思えるが記憶はとても鮮やかであった。
57歳の短い生涯であったが思い残すことも多かったことだろう。
みんなみんな幸せに暮らしていることを伝えたくてならない。
私にもやがて命日が出来るが春だろうか秋だろうかと思う。
命日だからと云って娘や息子や孫達に負担を掛けたくはなかった。
死んでしまえばそれでお終いだと思って欲しい。
幸せな人生であった。もう思い残すことなど在りはしないのだ。
※以下今朝の詩
旅
さあ何処に行こう わくわくと楽しみでならない
行き当たりばったりの旅である 目的など何ひとつありはしない
車窓から見える風景は すっかり秋のようであった 苅田には子雀が飛び交い 芒の若い穂が風に揺れている セイタカアワダチソウの黄色
切符を握りしめていた それは何処の駅なのだろう 知らない町の名が記されている
海だろうか山だろうか 夢だろうか現だろうか
行ってみないと分からない 旅は始まったばかりである
爽やかな秋晴れに思えたが今日も真夏日となる。
しかしそよ吹く風は心地よく夏の名残を和らげてくれた。
あちらこちらで秋桜が満開となり写真を撮りたくてならない。
特に山里の民家の畑の傍には真っ白い秋桜が咲いており心を奪われる。
それは一輪ではなくまるでブーケのように見えるのだった。
今朝こそはと思ったが県道沿いのことで車を停めることが出来なかった。
数年前の私ならどんな場所であっても駆け出して行ったことだろう。
情熱のようなものはあるが実行力が随分と廃れたように思う。
ただそんな秋桜に毎朝会えることだけが救いであった。

職場に着けば義父がそわそわと落ち着かない。
週末は雨のようで今日は田んぼを耕しに行きたかったようだ。
しかし工場の仕事が忙しくそれどころではなかったのだ。
「もう限界ぞ、どっちかを止めんと何ともならん」と声を荒げる。
82歳の高齢となり二足の草鞋にも余程の無理があるのだろう。
「じゃあ工場を止めるかね」と私が云うと一瞬どきっとしたようだ。
そうかと思うと「仕事をする」と云い出し工具を手にしている。
そうなればもう要らぬ口は叩いてはならず義父の意思に任せるしかない。
厄介な修理を午前中に終わらせお昼には宿毛市まで納車に行ってくれた。
義父でなければ出来ない仕事がある事を自覚してこその事だった。
田んぼは待ってくれるがお客さんは待ってはくれない。
何を優先するべきか義父も真剣に考えた結果だろうと思う。
同僚は車検整備をほぼ終わらせていたがお客さんからの要望があり
それを完璧に果たすまでは完了とは云えなかった。
故障個所が「分からない」と云うのだった。
分からないものをいつまでも眺めていても埒が明かない。
義父にそれを伝えると直ぐに助け舟を出してくれた。
しかし部品が明日にならないと入らず今日の完了は無理となる。
車検となれば私も休むわけには行かず明日は出勤することになった。
3時に退社。大型車を預けていたディーラーに行かねばならず
義父を伴い市内へと走った。義父の機嫌はすこぶる良く会話が弾む。
もうすっかり田んぼの事は忘れているようだった。
工場の仕事も同僚一人で整う日もきっと来るだろう。
どうか焦らずに気長に待って欲しいと願うばかりであった。
帰宅して母に「明日も仕事やけんね」と手を合わせる。
遺影は満面の笑顔であったが母も疲れていることだろう。
今日もはらはらしながら見守ってくれたのだと思う。
毎日が順調とは限らない。山あり谷ありの日々であった。
※以下今朝の詩
谷
山あれば谷あり 今は谷ではあるまいか
清らかな谷川の流れ 蹲って水に触れると はっとするほど冷たい
ちいさな魚が群れている 何と心地良さそうなこと 苔を食べて生きている その緑が生きる糧であった
さらさらと音がする 水も生きているのに違いない 岩肌を潜り抜け野に辿り着く
たとえ谷底であっても 光はきっと届くだろう 木漏れ日は優しく降り注ぐ
名も知らぬ花も咲く 決して手折ってはならない その命の何と尊いことだろう
見上げれば高い山が見える 爽やかな風が吹き抜けて 空がいっそう近くなるのだった
曇りのち晴れて今日も30℃を超える真夏日となる。
10月も半分を過ぎたと云うのに異常な暑さであった。
人一倍汗っかきの私は朝からもう汗をかいている。
衣類は半袖のままで秋服の出番を待つばかりである。
今朝は山道で4人のお遍路さんを見かけその内二人は外国人だった。
60歳位だろうかご夫婦のように見える。
丁度道が狭くなっており窓から声を掛けることが出来た。
「グッドモーニング」を笑顔で交わし合い嬉しくてならない。
「お気をつけて」と日本語で告げると「アリガトー」と手を挙げてくれた。
何と清々しい朝だろう。これもささやかなご縁なのだと思う。
声を掛けるタイミングは結構難しく勇気も必要であった。
また全ての外国人が英語を話すとも限らない。
何も伝わらなかったらどんなに寂しいことだろうか。

職場に着くと義父の姿があり今日も忙しくなりそうだった。
車検のお客さんが来店すると義父が応対してくれとても助かる。
あれこれと不具合があるようでお客さんも安心した様子であった。
女の私が聞いたところで説明も出来なかっただろう。
同僚は例の大型車に苦戦しており一向に整備が終わりそうにない。
おまけに持病の腰痛が悪化したらしく昨夜も眠れなかったそうだ。
ゆっくりと休ませてやりたかったがこの忙しさである。
無理を強いてしまって何とも可哀想でならなかった。
午後はお米の色選が出来上がったと知らせがあり義父が引き取りに行く。
ほぼ予約販売となり待ち兼ねているお客さんも多い。
遅植えの稲は早稲よりずっと美味しいのだそうだ。
そうこうしているうちにやっと大型車の車検整備が終わる。
同僚は痛む腰をかがめながら次の車検整備に取り掛かっていた。
3時に義父が帰って来て平田町のコンビニでアイスを買って来てくれる。
お弁当も買って来ており遅い昼食となった。
私は義父の傍らでバニラアイスを食べた。何と美味しいことだろう。
義父の昼食が終わると大型車の車検である。
義父は上機嫌でテキパキと頑張ってくれて大助かりであった。
車検完了の書類を書き終えるともう4時前である。
娘に電話して買い物を頼もうかと思ったがそれも可哀想に思う。
仕事が忙しくこのところずっと残業が続いているのだった。
5時までには帰り着くだろうと時速90キロで走る。
今日は眠気もなくひたすらの帰り道であった。
何とか買い物を済ませ帰宅したら丁度5時である。
寝転ぶ時間など無かったが達成感で満たされていた。
仕事は忙しいほど嬉しい。いくらでも仕事をしたいと思う。
夕食後はつかの間自室で寛いでいたが秋の日は釣瓶落としである。
何だか大急ぎで夜の訪れを感じる。辺りは直ぐに真っ暗になった。
曇っているのだろうか一番星は見つけられなかったが
雲の上ではきっと輝いていることだろう。
母の遺影に手を合わせ「お疲れさん」と声を掛けた。
朝になれば「今日も頑張ろうね」と声を掛ける。
母は死んではいなかった。毎日私と一緒に仕事に励んでいるのであった。
※以下今朝の詩
波
強くなったり弱くなったり まるで押し寄せる波のようである
裸足になって波打ち際を駆けた あれはいつのことだったのだろう ずいぶんと昔のことのように思う
若さは輝いているようで 残酷な記憶にもなり得る
傷ついたと思った時には 傷つけていることを忘れてはならない
長い髪を惜しみなく切った その艶やかな黒髪が愛しい
生きていても良いのだろうか 断ち切ることも出来ただろう 波音に訊ねても応えはしない
秋の海であるその青さが眩しい 陽射しに揉まれるように波が 強くなったり弱くなったりする
生きて未来を見届けようと思う どのような人生になるのだろうか
曇りの予報だったが陽射しは十分にあった。
夕方からぽつぽつと雨が降り始め今は本降りになっている。
遠雷も聴こえており明日の朝にかけて強い雨となりそうである。
今朝は良心市で「里芋」「大根の間引き菜」「新生姜」を買った。
どれも一袋百円で何と安く助かることだろう。
いつものように料金箱は置いておらずマグカップにお金を入れる。
これこそが山奥の良心市であった。
良心市の屋根の下には腰掛けも置いて在りそろそろみかんも並ぶ頃。
「お遍路さん食べて下さいね」と毎年貼り紙が見られる。
3軒ほどの集落だがどの家の人だろうといつも思う。
きっと穏やかな心優しい人なのに違いない。

職場に着くと義父がもう籾摺りを始めていた。
昼までには袋詰めを終わらせ「色選」に持って行くのだそうだ。
色選の機械は持っておらず平田町の農家に委託している。
精米したお米は真っ白でなければならず
変色して黒くなっているお米を選別するのである。
予定通りにお昼には全てのお米を運び込みほっと安堵であった。
今日はちゃんと昼食も食べてくれて午後から一般修理に取り掛かる。
義父でなければ出来ない修理だったので大助かりであった。
同僚は大型車に手こずっており車検は明日になりそうである。
そうそう順調に行かないのは今に始まったことではなく
同僚のペースに任せるしかないだろう。
整形外科のリハビリと診察日だったので3時前に退社したが
高速運転中に睡魔に襲われやっとの思いで病院に着く。
U君に話したら仕事の疲れではないかと気に掛けてくれた。
リハビリ中はやはり目を開けられない。
胸がドキドキしておりまともに顔を見たら気絶しそうだった。
これはやはり恋なのに違いないと思う。
骨密度の検査の後やっと診察であったが時計が気になってならない。
薬局へ行けばもう5時近くになっていた。
夕飯の買い物は娘に頼んであったが少しでも早く帰りたかった。
何だかとても長い一日だったように思う。
やっと家に帰り着くと外までいい匂いが漂っていた。
何と娘が鶏の唐揚げを揚げてくれていて「夢に餅」の気分である。
他にも「巾着玉子」と「鰹のタタキ」もあり驚く。
3千円の食費しか渡していなかったのによく買えたものだと思う。
夫が「さすがやな」と娘を褒めるのが微笑ましくてならなかった。
食後は15分程自室で休み煙草を3本も吸う。
今日はネットで不思議な「モノ」を見つけ再度確認してみた。
とある投稿サイトであったが私の名で短歌が投稿してあったのだ。
まったく身に覚えはなく狐につままれたような気分である。
誰かが私の名を語って投稿したとしか思えないがいったい誰だろう。
普通なら憤慨するところだが私は大いに感動したのだった。
そこに並んだ短歌の何と素晴らしいことだろう。
とても私には詠めそうにない感性に満ち溢れていた。
こんな歌が詠めたらどんなにか満たされることだろうと思う。
もしかしたら同姓同名だったのかもしれないが
もしそうならその人を探し求めたいものである。
ネットの海を漂い続けていると思いがけない事もあるものだ。
それは決して嬉しい事ばかりではないけれど
鯛にはなれない雑魚の私にとってそんな海こそが生きる場所に思える。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
耳垢
それは大きな耳垢だった 確か左の耳である 母の膝枕をしている時 温かなお腹に触れたのだ
私は5歳位ではなかったか 幼い頃の記憶は曖昧であるが 何故かそれだけは憶えている
「おとうさんにみせんといかん」
鼻紙にそれを包むと まるで宝物のように握りしめていた
たかが耳垢であったが それは私の一部であったのだろう 子供心に失くしてはならないと思う
父の帰りを待っていた 窓から夕陽が見えている みかん色の空が嬉しくてならない
季節は夏の終りではなかったか 夕風が心地よく吹き抜けていた
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