ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年10月17日(金) 山あり谷あり

爽やかな秋晴れに思えたが今日も真夏日となる。

しかしそよ吹く風は心地よく夏の名残を和らげてくれた。


あちらこちらで秋桜が満開となり写真を撮りたくてならない。

特に山里の民家の畑の傍には真っ白い秋桜が咲いており心を奪われる。

それは一輪ではなくまるでブーケのように見えるのだった。

今朝こそはと思ったが県道沿いのことで車を停めることが出来なかった。

数年前の私ならどんな場所であっても駆け出して行ったことだろう。

情熱のようなものはあるが実行力が随分と廃れたように思う。

ただそんな秋桜に毎朝会えることだけが救いであった。



職場に着けば義父がそわそわと落ち着かない。

週末は雨のようで今日は田んぼを耕しに行きたかったようだ。

しかし工場の仕事が忙しくそれどころではなかったのだ。

「もう限界ぞ、どっちかを止めんと何ともならん」と声を荒げる。

82歳の高齢となり二足の草鞋にも余程の無理があるのだろう。

「じゃあ工場を止めるかね」と私が云うと一瞬どきっとしたようだ。

そうかと思うと「仕事をする」と云い出し工具を手にしている。

そうなればもう要らぬ口は叩いてはならず義父の意思に任せるしかない。

厄介な修理を午前中に終わらせお昼には宿毛市まで納車に行ってくれた。

義父でなければ出来ない仕事がある事を自覚してこその事だった。

田んぼは待ってくれるがお客さんは待ってはくれない。

何を優先するべきか義父も真剣に考えた結果だろうと思う。


同僚は車検整備をほぼ終わらせていたがお客さんからの要望があり

それを完璧に果たすまでは完了とは云えなかった。

故障個所が「分からない」と云うのだった。

分からないものをいつまでも眺めていても埒が明かない。

義父にそれを伝えると直ぐに助け舟を出してくれた。

しかし部品が明日にならないと入らず今日の完了は無理となる。

車検となれば私も休むわけには行かず明日は出勤することになった。


3時に退社。大型車を預けていたディーラーに行かねばならず

義父を伴い市内へと走った。義父の機嫌はすこぶる良く会話が弾む。

もうすっかり田んぼの事は忘れているようだった。

工場の仕事も同僚一人で整う日もきっと来るだろう。

どうか焦らずに気長に待って欲しいと願うばかりであった。


帰宅して母に「明日も仕事やけんね」と手を合わせる。

遺影は満面の笑顔であったが母も疲れていることだろう。

今日もはらはらしながら見守ってくれたのだと思う。

毎日が順調とは限らない。山あり谷ありの日々であった。


※以下今朝の詩


    谷

 山あれば谷あり
 今は谷ではあるまいか

 清らかな谷川の流れ
 蹲って水に触れると
 はっとするほど冷たい

 ちいさな魚が群れている
 何と心地良さそうなこと
 苔を食べて生きている
 その緑が生きる糧であった

 さらさらと音がする
 水も生きているのに違いない
 岩肌を潜り抜け野に辿り着く

 たとえ谷底であっても
 光はきっと届くだろう
 木漏れ日は優しく降り注ぐ

 名も知らぬ花も咲く
 決して手折ってはならない
 その命の何と尊いことだろう

 見上げれば高い山が見える
 爽やかな風が吹き抜けて
 空がいっそう近くなるのだった










2025年10月16日(木) 秋の日は釣瓶落とし

曇りのち晴れて今日も30℃を超える真夏日となる。

10月も半分を過ぎたと云うのに異常な暑さであった。

人一倍汗っかきの私は朝からもう汗をかいている。

衣類は半袖のままで秋服の出番を待つばかりである。


今朝は山道で4人のお遍路さんを見かけその内二人は外国人だった。

60歳位だろうかご夫婦のように見える。

丁度道が狭くなっており窓から声を掛けることが出来た。

「グッドモーニング」を笑顔で交わし合い嬉しくてならない。

「お気をつけて」と日本語で告げると「アリガトー」と手を挙げてくれた。

何と清々しい朝だろう。これもささやかなご縁なのだと思う。

声を掛けるタイミングは結構難しく勇気も必要であった。

また全ての外国人が英語を話すとも限らない。

何も伝わらなかったらどんなに寂しいことだろうか。



職場に着くと義父の姿があり今日も忙しくなりそうだった。

車検のお客さんが来店すると義父が応対してくれとても助かる。

あれこれと不具合があるようでお客さんも安心した様子であった。

女の私が聞いたところで説明も出来なかっただろう。

同僚は例の大型車に苦戦しており一向に整備が終わりそうにない。

おまけに持病の腰痛が悪化したらしく昨夜も眠れなかったそうだ。

ゆっくりと休ませてやりたかったがこの忙しさである。

無理を強いてしまって何とも可哀想でならなかった。


午後はお米の色選が出来上がったと知らせがあり義父が引き取りに行く。

ほぼ予約販売となり待ち兼ねているお客さんも多い。

遅植えの稲は早稲よりずっと美味しいのだそうだ。

そうこうしているうちにやっと大型車の車検整備が終わる。

同僚は痛む腰をかがめながら次の車検整備に取り掛かっていた。

3時に義父が帰って来て平田町のコンビニでアイスを買って来てくれる。

お弁当も買って来ており遅い昼食となった。

私は義父の傍らでバニラアイスを食べた。何と美味しいことだろう。

義父の昼食が終わると大型車の車検である。

義父は上機嫌でテキパキと頑張ってくれて大助かりであった。

車検完了の書類を書き終えるともう4時前である。

娘に電話して買い物を頼もうかと思ったがそれも可哀想に思う。

仕事が忙しくこのところずっと残業が続いているのだった。


5時までには帰り着くだろうと時速90キロで走る。

今日は眠気もなくひたすらの帰り道であった。

何とか買い物を済ませ帰宅したら丁度5時である。

寝転ぶ時間など無かったが達成感で満たされていた。

仕事は忙しいほど嬉しい。いくらでも仕事をしたいと思う。


夕食後はつかの間自室で寛いでいたが秋の日は釣瓶落としである。

何だか大急ぎで夜の訪れを感じる。辺りは直ぐに真っ暗になった。

曇っているのだろうか一番星は見つけられなかったが

雲の上ではきっと輝いていることだろう。


母の遺影に手を合わせ「お疲れさん」と声を掛けた。

朝になれば「今日も頑張ろうね」と声を掛ける。

母は死んではいなかった。毎日私と一緒に仕事に励んでいるのであった。


※以下今朝の詩


      波


 強くなったり弱くなったり
 まるで押し寄せる波のようである

 裸足になって波打ち際を駆けた
 あれはいつのことだったのだろう
 ずいぶんと昔のことのように思う

 若さは輝いているようで
 残酷な記憶にもなり得る

 傷ついたと思った時には
 傷つけていることを忘れてはならない

 長い髪を惜しみなく切った
 その艶やかな黒髪が愛しい

 生きていても良いのだろうか
 断ち切ることも出来ただろう
 波音に訊ねても応えはしない

 秋の海であるその青さが眩しい
 陽射しに揉まれるように波が
 強くなったり弱くなったりする

 生きて未来を見届けようと思う
 どのような人生になるのだろうか




2025年10月15日(水) ネットの海

曇りの予報だったが陽射しは十分にあった。

夕方からぽつぽつと雨が降り始め今は本降りになっている。

遠雷も聴こえており明日の朝にかけて強い雨となりそうである。


今朝は良心市で「里芋」「大根の間引き菜」「新生姜」を買った。

どれも一袋百円で何と安く助かることだろう。

いつものように料金箱は置いておらずマグカップにお金を入れる。

これこそが山奥の良心市であった。

良心市の屋根の下には腰掛けも置いて在りそろそろみかんも並ぶ頃。

「お遍路さん食べて下さいね」と毎年貼り紙が見られる。

3軒ほどの集落だがどの家の人だろうといつも思う。

きっと穏やかな心優しい人なのに違いない。



職場に着くと義父がもう籾摺りを始めていた。

昼までには袋詰めを終わらせ「色選」に持って行くのだそうだ。

色選の機械は持っておらず平田町の農家に委託している。

精米したお米は真っ白でなければならず

変色して黒くなっているお米を選別するのである。

予定通りにお昼には全てのお米を運び込みほっと安堵であった。


今日はちゃんと昼食も食べてくれて午後から一般修理に取り掛かる。

義父でなければ出来ない修理だったので大助かりであった。

同僚は大型車に手こずっており車検は明日になりそうである。

そうそう順調に行かないのは今に始まったことではなく

同僚のペースに任せるしかないだろう。


整形外科のリハビリと診察日だったので3時前に退社したが

高速運転中に睡魔に襲われやっとの思いで病院に着く。

U君に話したら仕事の疲れではないかと気に掛けてくれた。

リハビリ中はやはり目を開けられない。

胸がドキドキしておりまともに顔を見たら気絶しそうだった。

これはやはり恋なのに違いないと思う。


骨密度の検査の後やっと診察であったが時計が気になってならない。

薬局へ行けばもう5時近くになっていた。

夕飯の買い物は娘に頼んであったが少しでも早く帰りたかった。

何だかとても長い一日だったように思う。


やっと家に帰り着くと外までいい匂いが漂っていた。

何と娘が鶏の唐揚げを揚げてくれていて「夢に餅」の気分である。

他にも「巾着玉子」と「鰹のタタキ」もあり驚く。

3千円の食費しか渡していなかったのによく買えたものだと思う。

夫が「さすがやな」と娘を褒めるのが微笑ましくてならなかった。


食後は15分程自室で休み煙草を3本も吸う。

今日はネットで不思議な「モノ」を見つけ再度確認してみた。

とある投稿サイトであったが私の名で短歌が投稿してあったのだ。

まったく身に覚えはなく狐につままれたような気分である。

誰かが私の名を語って投稿したとしか思えないがいったい誰だろう。

普通なら憤慨するところだが私は大いに感動したのだった。

そこに並んだ短歌の何と素晴らしいことだろう。

とても私には詠めそうにない感性に満ち溢れていた。

こんな歌が詠めたらどんなにか満たされることだろうと思う。

もしかしたら同姓同名だったのかもしれないが

もしそうならその人を探し求めたいものである。


ネットの海を漂い続けていると思いがけない事もあるものだ。

それは決して嬉しい事ばかりではないけれど

鯛にはなれない雑魚の私にとってそんな海こそが生きる場所に思える。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


     耳垢

 それは大きな耳垢だった
 確か左の耳である
 母の膝枕をしている時
 温かなお腹に触れたのだ

 私は5歳位ではなかったか
 幼い頃の記憶は曖昧であるが
 何故かそれだけは憶えている

 「おとうさんにみせんといかん」

 鼻紙にそれを包むと
 まるで宝物のように握りしめていた

 たかが耳垢であったが
 それは私の一部であったのだろう
 子供心に失くしてはならないと思う

 父の帰りを待っていた
 窓から夕陽が見えている
 みかん色の空が嬉しくてならない

 季節は夏の終りではなかったか
 夕風が心地よく吹き抜けていた














2025年10月14日(火) 秋の夜長

すっかり日が暮れたが気温はまだ28℃もある。

日中も10月とは思えない暑さであった。

週間予報では来週辺りから気温が下がり始めるそうだ。

いよいよ本格的な秋の到来となることだろう。


朝の国道で6人のお遍路さんを見かけそれぞれに会釈をして追い抜く。

おそらく足摺岬の金剛福寺に向かっているのだろう。

一日ではとても無理に思える距離であった。

大きな荷物のお遍路さんはなく野宿ではなさそうだったが

民宿に泊まるにもそれが毎晩となれば大きな出費となる。

余程経済的に余裕がないと無理な話であった。


国道から山道に入ると道端の芒が朝陽を浴びて輝いている。

その傍らにはセイタカアワダチソウの黄色が鮮やかであった。

ポツンと一軒家はなく小さな集落が所々にあるのだが

民家の庭先には秋桜が咲き紅い鶏頭の花が燃えているように咲いている。

良心市には里芋が沢山並んでおり見ただけでほっこりと心が和む。

今日は買わずに通り過ぎたが明日は買ってみようかと思う。



職場に着くと義父の姿が見えなかったが隣町の宿毛市まで

車検の車を引き取りに行ってくれていたようだ。

9時前には帰り着き早速に同僚が整備を始める。

漁業組合の保冷車なので同僚があまり好まない大型車であった。

一般修理も2台入庫しており今週も忙しくなりそうである。


義父は稲刈りが完全に終ったようでほっと寛いでいた。

午前中にコンバインも丁寧に洗い終える。

それから籾摺りと袋詰めに取り掛かり昼食も食べようとしない。

そのまま2時になり「腹が減った」とやっと食べたくなったようだ。

今朝ご飯を炊き忘れたと云うので急いでお弁当を買いに走る。

よほど空腹だったのだろうガツガツと掻き込むように食べていた。

疲れもあるだろうが何とも朗らかで上機嫌である。


義父と同僚の様子を見ながら3時前に退社した。

最近運転中によくアクセルとブレーキの感覚が分からなくなる。

息子にも注意されたが運転に集中し慎重を怠ってはならない。

特に駐車する時は決して踏み間違えてはいけないのだ。

最近の高齢者の事故は殆どそれが原因であった。


買い物を済ませ無事に家に帰り着くととてもほっとする。

夫はエンジン音で私の帰宅が直ぐに分かるようで

外に出て来て買い物の重い荷物を運んでくれるのが日課であった。

何と助かることだろう。「ありがとね」と伝える事を決して忘れない。


夕飯は娘とあれこれ作ったが今日は娘婿の帰りが遅かった。

そのせいかめいちゃんの姿も見えずあやちゃんは当然の如しである。

今に始まった事ではないと思うがやはり寂しいものであった。

今更家族の真似事をしようとも思ってはいない。

ただささやかな家族のふれあいを求めてしまう時がある。

たとえば「晩ご飯は何?」そんな一言であった。


秋の夜長だろうか。何だか真っ暗な空が切なくてならない。

窓からは星も見えずいっそう寂しくなるのだった。


※以下今朝の詩


     行列

 ざわざわと騒がしい
 この行列は何だろう

 人々が押し寄せて来る
 足を踏む音が響き渡り
 溢れんばかりの息である

 遠ざかることが出来ない
 やがて呑み込まれてしまう
 混乱の末に潰されるだろう

 はらはらと散るのは夏の名残
 まるで死骸のように積もる
 そうして秋をまとった風が
 道を吹き抜けていくのを見た

 行列は何処までも続き
 最後尾の面影は遠く霞む

 見届けなくてはならない

 季節が移り変わろうとしている
 その真っ只中の出来事であった






2025年10月13日(月) 心を動かす

秋晴れには違いなかったが真夏日となり厳しい残暑となった。

県内でも10月の観測史上で初の気温となった処もあるようだ。

異常気象にも思えるがやがてはこれが当たり前になるのだろう。

日本の四季から秋が消えてしまうのかもしれない。


気になっていた台風23号はやはり八丈島を襲ったが

今日はまったく報道がなく東京都なのにと思う。

これがもし都心だったら大騒ぎになっていたことだろう。

SNSで知ったのだが東京電力が復旧作業に力を尽くしているとのこと。

水道の様子は分からないが一刻も早い復旧を祈るばかりである。




月曜日なのにする仕事がない。何とも気が参る休日であった。

余程の貧乏性なのか仕事人間なのか連休はもううんざりに思う。

お天気が良いので何処かに出掛けたかったがまたもや夫に却下された。

娘夫婦が仕事だったので孫達を心配したのだろう。

めいちゃんは昨夜からまあちゃんの家に泊まりに行っていた。

いつ帰って来るやら分からず留守にする訳にはいかない。


昼食後はまた茶の間でごろごろと寝転ぶ。

録画してあった「ポツンと一軒家」を最後まで見た。

いつも思うのだが本当に突然に訪ねて行くのだろうか。

それにしては昼食の用意など準備万端に思える。


その後一時間程眠り込んでいた。もう寝るのにも飽きていたようだ。

自室に行けば室温が32℃もあり信じられないような暑さである。

扇風機で我慢していたが長くは居られずまた茶の間へ戻る。

「ミヤネ屋」を見ていたが興味がない万博の話題ばかりであった。


ふと閃いたのは休日には図書館で過ごすのはどうだろうと思う。

一日中は無理だが午後だけでも行けばきっと充実するのではないか。

何よりも図書館で過ごせば煙草を吸わなくても済む。

これは良い考えだと思った。しかし問題は実行力である。

思うだけで実行に移さないのが私の悪い癖であった。

とにかく時間を有意義に過ごさねばならない。

ごろごろと寝てばかりで死んでしまうのも情けないことである。

最終的には気の向くままであるが「変わる」努力も必要ではないだろうか。


夕食後はお風呂だったがアマゾンに注文してあった入浴剤が届いていた。

「日本の名湯シリーズ」で12種類もあり楽しみでならない。

今日は十和田湖の温泉だったがゆったりと湯船に浸かり何とも幸せである。

短い秋が終り寒い冬が来ればより一層幸せになることだろう。


楽しみは自分で見つける。きっと身近な処にあるのに違いない。

その為には心を動かさねばならない。心が息をするかのように。

その息が続く限り命を全う出来るのではないだろうか。


※以下今朝の詩


      丘

 なだらかな丘の途中である
 もう少しあと少しなのだろう

 芒の穂がしなやかに風に揺れ
 薄紫の野菊が陽射しを浴びる

 兎はくるくると紅い瞳で見ていた
 父も母も居ない独りぼっちである

 けれども少しも寂しくはない
 見上げればいつだって空があり
 その青さは鏡のように姿を映す

 だから泣いてはいけないと思う

 やがては息絶える日が来るが
 不安や怖れは風がさらって行く
 息をすればするほど命が輝くのだった

 もう少しあと少しである

 丘を越えれば何が待っているのだろう
 きっときっと満たされるのに違いない



2025年10月12日(日) 普通とは何だろう

曇りのち晴れ。気温は真夏日となり蒸し暑さを感じる。

週間天気予報を見ているとまだまだ暑さが続くようだった。

おそらくその後一気に寒さがやって来るのだろう。


気掛かりな台風23号はやはり八丈島直撃となりそうである。

今日は「パニック状態」と報道があり避けられない恐怖を感じた。

断水はまだ回復しておらず停電も続いているとのこと。

その上にまたもやの台風となれば何とも気の毒でならない。

決して他人事ではない。明日は我が身だと思うばかりである。



平穏を有難く受け止めのんびりと元気に過ごす。

何処かに出掛けたくなり夫に申し出たが即却下であった。

せめてお昼は外食をと願ったがそれも却下となった。

余程外出が億劫なのだろう。どうして無理強いが出来ようか。


朝のうちに買い物に行きお好み焼きの材料を買って来る。

巨大なお好み焼きを焼きはふはふと食べた。

夫はビールを飲み上機嫌である。

お腹がはち切れそうに満腹となり午後はひたすら寝て過ごす。

夫が高知が舞台のドラマを録画してくれていたのだが

30分も見ないうちに眠り込んでしまっていた。

目覚めれば3時を過ぎておりもうどうしようもない。


その後は一時間程自室で過ごしたが相変わらずの煙草であった。

立て続けに5本も吸っていまい我ながらうんざりである。

寝ている間は休煙が出来ていても元も子もない有り様であった。

自分が情けなくてならないが「これは病気だ」と思うしかない。


夕飯は「豚汁」だったがまだ少し早過ぎたようだった。

室温が30℃もありエアコン無しでは暑くて食べられない。

ふと寒い冬が恋しく思う。「おでん」や「お鍋」の季節である。


夕方めいちゃんをチラッと見かけたがそれっきりであった。

夕食時にも姿を見せず娘がトレーに並べ二階へと運ぶ。

あやちゃんは声も聴こえず昨夜から姿を見せない。

娘が「ご飯よ」と声を掛けていたが返事も聴こえなかった。


何とも侘しいものだがこれが今の「我が家」である。

普通ではないのかもしれないが「普通」だと思いたい。

いったいこれ以上の何を望めば良いのか見当も着かなくなった。


この日記を書き終えると孫達に声を掛けて眠るのが日課だが

「おやすみい」と声が返って来るとほっと嬉しくてならない。


※以下今朝の詩

  
     箱

 ぐるぐるとしていて
 何も書けそうにない

 いったい私は何処に
 居るのだろうと思う

 なんだか小さな箱に
 閉じ籠っているよう

 箱には壁もあり
 蓋もあるのだが
 叩くことも
 覗くこともなかった

 そもそも書くと云う行為は
 ささやかな同意であり
 己を認識することではないか

 名の無い草であるならば
 いったい何と呼べばいいのか

 もがけば傾く箱であった
 そうしてひっくり返れば
 蓋が開くのかもしれない



2025年10月11日(土) 十年一昔

日中は小雨だったが日が暮れてから本降りの雨になった。

気温はそう高くないがまるで梅雨時のような蒸し暑さである。

気になる台風23号は太平洋上を北上しており

やはり前回と同じく伊豆諸島に接近しそうである。

八丈島では大きな被害があったがまたもやの災難であった。

停電や断水は復旧していたのだろうか。報道は極めて少ない。


今朝は朝ドラ「チョっちゃん」が最終回だった。

黒柳徹子の母親が主人公であったが

逆境にも負けず強く前向きに歩む姿が印象的なドラマであった。

終わってしまうと何だか寂しさが込み上げて来る。


仕事は三連休の予定だったが気なってならず同僚に電話すると

昨日延期になった車検は入庫していないとのこと。

義父は朝から乗用車で出掛けたらしく行方も分からないらしい。

特に急ぎの仕事もないようなので予定通りに休ませてもらった。


カーブスまでの時間潰しに10年前の10月の日記を読む。

十年一昔とはよく云ったもので正に「昔」のことである。

3歳の幼いあやちゃん、歩き始めたばかりの1歳のめいちゃん。

私達夫婦は孫三昧をしており懐かしい光景を一気に思い出す。

その当時には家族団欒もあり夕食も賑やかだったようだ。

孫達の成長は当然の事だが「家族」は何処に消えたのだろうと思う。

あまりにも今とは掛け離れており読みながら複雑な気持ちになった。

もう昔の事なのだ。過ぎ去った事なのに違いない。

それを「寂しさ」と呼ぶには何とも切なくてならなかった。


気を取り直してカーブスへ行けば顔なじみのお仲間さんが多い。

今日は唯一の友人だと思っている「ともちゃん」とも会えて嬉しかった。

最愛のご主人を亡くして2年が過ぎたが随分と明るくなったように思う。


昼食にラーメンとお赤飯を食べた。

栗の入っているお赤飯が無性に食べたかったのだ。

一昨日の事だが娘婿が誰かに貰ったらしく栗を沢山持ち帰っていた。

てっきり娘が茹でるだろうと思っていたのだが翌朝にはそれが消えている。

夫も不思議に思ったらしく「あの栗はどうしたがやろう」と呟いていた。

娘に訊けば分かる事だが敢えてそれをしなかった。

ただ私達には食べさせるつもりのない栗だったことは分かる。

何と寂しい事だろうと思うが「たかが栗」だと忘れることにした。

10年前とは確かに違う家族の成りの果てでもある。


こんがらがってしまった糸のような暮しであった。

繋がっているようでぷっつりと切れている。

その糸を手繰り寄せてはならない。それが我が家の掟となった。


娘は口癖のように「いつまでもここには居ない」と云っていたが

私達夫婦はもうとっくに覚悟しておりその日を待っている。

二十年となれば二昔である。すっかり老いてしまった二人の姿が目に浮かぶ。



※以下今朝の詩


    母の夢


 深いようでいて浅いのだ
 眠りの淵を彷徨っていると
 死んだはずの母に会える

 それは笑顔とは限らず
 時には睨みつけて
 争いを始めるのだが
 その憎らしさが愉快だった

 死んでなどいなかったのだ
 こんなにも生きている

 面影は波に揉まれるように
 押し寄せてきたり
 遠ざかったりするが
 砂に足跡を残しながら
 カタチとして記憶になる

 伝えることは何もない
 ただ母としてそこに在る

 黄泉の国はそう遠くはない



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