ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年10月15日(水) ネットの海

曇りの予報だったが陽射しは十分にあった。

夕方からぽつぽつと雨が降り始め今は本降りになっている。

遠雷も聴こえており明日の朝にかけて強い雨となりそうである。


今朝は良心市で「里芋」「大根の間引き菜」「新生姜」を買った。

どれも一袋百円で何と安く助かることだろう。

いつものように料金箱は置いておらずマグカップにお金を入れる。

これこそが山奥の良心市であった。

良心市の屋根の下には腰掛けも置いて在りそろそろみかんも並ぶ頃。

「お遍路さん食べて下さいね」と毎年貼り紙が見られる。

3軒ほどの集落だがどの家の人だろうといつも思う。

きっと穏やかな心優しい人なのに違いない。



職場に着くと義父がもう籾摺りを始めていた。

昼までには袋詰めを終わらせ「色選」に持って行くのだそうだ。

色選の機械は持っておらず平田町の農家に委託している。

精米したお米は真っ白でなければならず

変色して黒くなっているお米を選別するのである。

予定通りにお昼には全てのお米を運び込みほっと安堵であった。


今日はちゃんと昼食も食べてくれて午後から一般修理に取り掛かる。

義父でなければ出来ない修理だったので大助かりであった。

同僚は大型車に手こずっており車検は明日になりそうである。

そうそう順調に行かないのは今に始まったことではなく

同僚のペースに任せるしかないだろう。


整形外科のリハビリと診察日だったので3時前に退社したが

高速運転中に睡魔に襲われやっとの思いで病院に着く。

U君に話したら仕事の疲れではないかと気に掛けてくれた。

リハビリ中はやはり目を開けられない。

胸がドキドキしておりまともに顔を見たら気絶しそうだった。

これはやはり恋なのに違いないと思う。


骨密度の検査の後やっと診察であったが時計が気になってならない。

薬局へ行けばもう5時近くになっていた。

夕飯の買い物は娘に頼んであったが少しでも早く帰りたかった。

何だかとても長い一日だったように思う。


やっと家に帰り着くと外までいい匂いが漂っていた。

何と娘が鶏の唐揚げを揚げてくれていて「夢に餅」の気分である。

他にも「巾着玉子」と「鰹のタタキ」もあり驚く。

3千円の食費しか渡していなかったのによく買えたものだと思う。

夫が「さすがやな」と娘を褒めるのが微笑ましくてならなかった。


食後は15分程自室で休み煙草を3本も吸う。

今日はネットで不思議な「モノ」を見つけ再度確認してみた。

とある投稿サイトであったが私の名で短歌が投稿してあったのだ。

まったく身に覚えはなく狐につままれたような気分である。

誰かが私の名を語って投稿したとしか思えないがいったい誰だろう。

普通なら憤慨するところだが私は大いに感動したのだった。

そこに並んだ短歌の何と素晴らしいことだろう。

とても私には詠めそうにない感性に満ち溢れていた。

こんな歌が詠めたらどんなにか満たされることだろうと思う。

もしかしたら同姓同名だったのかもしれないが

もしそうならその人を探し求めたいものである。


ネットの海を漂い続けていると思いがけない事もあるものだ。

それは決して嬉しい事ばかりではないけれど

鯛にはなれない雑魚の私にとってそんな海こそが生きる場所に思える。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


     耳垢

 それは大きな耳垢だった
 確か左の耳である
 母の膝枕をしている時
 温かなお腹に触れたのだ

 私は5歳位ではなかったか
 幼い頃の記憶は曖昧であるが
 何故かそれだけは憶えている

 「おとうさんにみせんといかん」

 鼻紙にそれを包むと
 まるで宝物のように握りしめていた

 たかが耳垢であったが
 それは私の一部であったのだろう
 子供心に失くしてはならないと思う

 父の帰りを待っていた
 窓から夕陽が見えている
 みかん色の空が嬉しくてならない

 季節は夏の終りではなかったか
 夕風が心地よく吹き抜けていた














2025年10月14日(火) 秋の夜長

すっかり日が暮れたが気温はまだ28℃もある。

日中も10月とは思えない暑さであった。

週間予報では来週辺りから気温が下がり始めるそうだ。

いよいよ本格的な秋の到来となることだろう。


朝の国道で6人のお遍路さんを見かけそれぞれに会釈をして追い抜く。

おそらく足摺岬の金剛福寺に向かっているのだろう。

一日ではとても無理に思える距離であった。

大きな荷物のお遍路さんはなく野宿ではなさそうだったが

民宿に泊まるにもそれが毎晩となれば大きな出費となる。

余程経済的に余裕がないと無理な話であった。


国道から山道に入ると道端の芒が朝陽を浴びて輝いている。

その傍らにはセイタカアワダチソウの黄色が鮮やかであった。

ポツンと一軒家はなく小さな集落が所々にあるのだが

民家の庭先には秋桜が咲き紅い鶏頭の花が燃えているように咲いている。

良心市には里芋が沢山並んでおり見ただけでほっこりと心が和む。

今日は買わずに通り過ぎたが明日は買ってみようかと思う。



職場に着くと義父の姿が見えなかったが隣町の宿毛市まで

車検の車を引き取りに行ってくれていたようだ。

9時前には帰り着き早速に同僚が整備を始める。

漁業組合の保冷車なので同僚があまり好まない大型車であった。

一般修理も2台入庫しており今週も忙しくなりそうである。


義父は稲刈りが完全に終ったようでほっと寛いでいた。

午前中にコンバインも丁寧に洗い終える。

それから籾摺りと袋詰めに取り掛かり昼食も食べようとしない。

そのまま2時になり「腹が減った」とやっと食べたくなったようだ。

今朝ご飯を炊き忘れたと云うので急いでお弁当を買いに走る。

よほど空腹だったのだろうガツガツと掻き込むように食べていた。

疲れもあるだろうが何とも朗らかで上機嫌である。


義父と同僚の様子を見ながら3時前に退社した。

最近運転中によくアクセルとブレーキの感覚が分からなくなる。

息子にも注意されたが運転に集中し慎重を怠ってはならない。

特に駐車する時は決して踏み間違えてはいけないのだ。

最近の高齢者の事故は殆どそれが原因であった。


買い物を済ませ無事に家に帰り着くととてもほっとする。

夫はエンジン音で私の帰宅が直ぐに分かるようで

外に出て来て買い物の重い荷物を運んでくれるのが日課であった。

何と助かることだろう。「ありがとね」と伝える事を決して忘れない。


夕飯は娘とあれこれ作ったが今日は娘婿の帰りが遅かった。

そのせいかめいちゃんの姿も見えずあやちゃんは当然の如しである。

今に始まった事ではないと思うがやはり寂しいものであった。

今更家族の真似事をしようとも思ってはいない。

ただささやかな家族のふれあいを求めてしまう時がある。

たとえば「晩ご飯は何?」そんな一言であった。


秋の夜長だろうか。何だか真っ暗な空が切なくてならない。

窓からは星も見えずいっそう寂しくなるのだった。


※以下今朝の詩


     行列

 ざわざわと騒がしい
 この行列は何だろう

 人々が押し寄せて来る
 足を踏む音が響き渡り
 溢れんばかりの息である

 遠ざかることが出来ない
 やがて呑み込まれてしまう
 混乱の末に潰されるだろう

 はらはらと散るのは夏の名残
 まるで死骸のように積もる
 そうして秋をまとった風が
 道を吹き抜けていくのを見た

 行列は何処までも続き
 最後尾の面影は遠く霞む

 見届けなくてはならない

 季節が移り変わろうとしている
 その真っ只中の出来事であった






2025年10月13日(月) 心を動かす

秋晴れには違いなかったが真夏日となり厳しい残暑となった。

県内でも10月の観測史上で初の気温となった処もあるようだ。

異常気象にも思えるがやがてはこれが当たり前になるのだろう。

日本の四季から秋が消えてしまうのかもしれない。


気になっていた台風23号はやはり八丈島を襲ったが

今日はまったく報道がなく東京都なのにと思う。

これがもし都心だったら大騒ぎになっていたことだろう。

SNSで知ったのだが東京電力が復旧作業に力を尽くしているとのこと。

水道の様子は分からないが一刻も早い復旧を祈るばかりである。




月曜日なのにする仕事がない。何とも気が参る休日であった。

余程の貧乏性なのか仕事人間なのか連休はもううんざりに思う。

お天気が良いので何処かに出掛けたかったがまたもや夫に却下された。

娘夫婦が仕事だったので孫達を心配したのだろう。

めいちゃんは昨夜からまあちゃんの家に泊まりに行っていた。

いつ帰って来るやら分からず留守にする訳にはいかない。


昼食後はまた茶の間でごろごろと寝転ぶ。

録画してあった「ポツンと一軒家」を最後まで見た。

いつも思うのだが本当に突然に訪ねて行くのだろうか。

それにしては昼食の用意など準備万端に思える。


その後一時間程眠り込んでいた。もう寝るのにも飽きていたようだ。

自室に行けば室温が32℃もあり信じられないような暑さである。

扇風機で我慢していたが長くは居られずまた茶の間へ戻る。

「ミヤネ屋」を見ていたが興味がない万博の話題ばかりであった。


ふと閃いたのは休日には図書館で過ごすのはどうだろうと思う。

一日中は無理だが午後だけでも行けばきっと充実するのではないか。

何よりも図書館で過ごせば煙草を吸わなくても済む。

これは良い考えだと思った。しかし問題は実行力である。

思うだけで実行に移さないのが私の悪い癖であった。

とにかく時間を有意義に過ごさねばならない。

ごろごろと寝てばかりで死んでしまうのも情けないことである。

最終的には気の向くままであるが「変わる」努力も必要ではないだろうか。


夕食後はお風呂だったがアマゾンに注文してあった入浴剤が届いていた。

「日本の名湯シリーズ」で12種類もあり楽しみでならない。

今日は十和田湖の温泉だったがゆったりと湯船に浸かり何とも幸せである。

短い秋が終り寒い冬が来ればより一層幸せになることだろう。


楽しみは自分で見つける。きっと身近な処にあるのに違いない。

その為には心を動かさねばならない。心が息をするかのように。

その息が続く限り命を全う出来るのではないだろうか。


※以下今朝の詩


      丘

 なだらかな丘の途中である
 もう少しあと少しなのだろう

 芒の穂がしなやかに風に揺れ
 薄紫の野菊が陽射しを浴びる

 兎はくるくると紅い瞳で見ていた
 父も母も居ない独りぼっちである

 けれども少しも寂しくはない
 見上げればいつだって空があり
 その青さは鏡のように姿を映す

 だから泣いてはいけないと思う

 やがては息絶える日が来るが
 不安や怖れは風がさらって行く
 息をすればするほど命が輝くのだった

 もう少しあと少しである

 丘を越えれば何が待っているのだろう
 きっときっと満たされるのに違いない



2025年10月12日(日) 普通とは何だろう

曇りのち晴れ。気温は真夏日となり蒸し暑さを感じる。

週間天気予報を見ているとまだまだ暑さが続くようだった。

おそらくその後一気に寒さがやって来るのだろう。


気掛かりな台風23号はやはり八丈島直撃となりそうである。

今日は「パニック状態」と報道があり避けられない恐怖を感じた。

断水はまだ回復しておらず停電も続いているとのこと。

その上にまたもやの台風となれば何とも気の毒でならない。

決して他人事ではない。明日は我が身だと思うばかりである。



平穏を有難く受け止めのんびりと元気に過ごす。

何処かに出掛けたくなり夫に申し出たが即却下であった。

せめてお昼は外食をと願ったがそれも却下となった。

余程外出が億劫なのだろう。どうして無理強いが出来ようか。


朝のうちに買い物に行きお好み焼きの材料を買って来る。

巨大なお好み焼きを焼きはふはふと食べた。

夫はビールを飲み上機嫌である。

お腹がはち切れそうに満腹となり午後はひたすら寝て過ごす。

夫が高知が舞台のドラマを録画してくれていたのだが

30分も見ないうちに眠り込んでしまっていた。

目覚めれば3時を過ぎておりもうどうしようもない。


その後は一時間程自室で過ごしたが相変わらずの煙草であった。

立て続けに5本も吸っていまい我ながらうんざりである。

寝ている間は休煙が出来ていても元も子もない有り様であった。

自分が情けなくてならないが「これは病気だ」と思うしかない。


夕飯は「豚汁」だったがまだ少し早過ぎたようだった。

室温が30℃もありエアコン無しでは暑くて食べられない。

ふと寒い冬が恋しく思う。「おでん」や「お鍋」の季節である。


夕方めいちゃんをチラッと見かけたがそれっきりであった。

夕食時にも姿を見せず娘がトレーに並べ二階へと運ぶ。

あやちゃんは声も聴こえず昨夜から姿を見せない。

娘が「ご飯よ」と声を掛けていたが返事も聴こえなかった。


何とも侘しいものだがこれが今の「我が家」である。

普通ではないのかもしれないが「普通」だと思いたい。

いったいこれ以上の何を望めば良いのか見当も着かなくなった。


この日記を書き終えると孫達に声を掛けて眠るのが日課だが

「おやすみい」と声が返って来るとほっと嬉しくてならない。


※以下今朝の詩

  
     箱

 ぐるぐるとしていて
 何も書けそうにない

 いったい私は何処に
 居るのだろうと思う

 なんだか小さな箱に
 閉じ籠っているよう

 箱には壁もあり
 蓋もあるのだが
 叩くことも
 覗くこともなかった

 そもそも書くと云う行為は
 ささやかな同意であり
 己を認識することではないか

 名の無い草であるならば
 いったい何と呼べばいいのか

 もがけば傾く箱であった
 そうしてひっくり返れば
 蓋が開くのかもしれない



2025年10月11日(土) 十年一昔

日中は小雨だったが日が暮れてから本降りの雨になった。

気温はそう高くないがまるで梅雨時のような蒸し暑さである。

気になる台風23号は太平洋上を北上しており

やはり前回と同じく伊豆諸島に接近しそうである。

八丈島では大きな被害があったがまたもやの災難であった。

停電や断水は復旧していたのだろうか。報道は極めて少ない。


今朝は朝ドラ「チョっちゃん」が最終回だった。

黒柳徹子の母親が主人公であったが

逆境にも負けず強く前向きに歩む姿が印象的なドラマであった。

終わってしまうと何だか寂しさが込み上げて来る。


仕事は三連休の予定だったが気なってならず同僚に電話すると

昨日延期になった車検は入庫していないとのこと。

義父は朝から乗用車で出掛けたらしく行方も分からないらしい。

特に急ぎの仕事もないようなので予定通りに休ませてもらった。


カーブスまでの時間潰しに10年前の10月の日記を読む。

十年一昔とはよく云ったもので正に「昔」のことである。

3歳の幼いあやちゃん、歩き始めたばかりの1歳のめいちゃん。

私達夫婦は孫三昧をしており懐かしい光景を一気に思い出す。

その当時には家族団欒もあり夕食も賑やかだったようだ。

孫達の成長は当然の事だが「家族」は何処に消えたのだろうと思う。

あまりにも今とは掛け離れており読みながら複雑な気持ちになった。

もう昔の事なのだ。過ぎ去った事なのに違いない。

それを「寂しさ」と呼ぶには何とも切なくてならなかった。


気を取り直してカーブスへ行けば顔なじみのお仲間さんが多い。

今日は唯一の友人だと思っている「ともちゃん」とも会えて嬉しかった。

最愛のご主人を亡くして2年が過ぎたが随分と明るくなったように思う。


昼食にラーメンとお赤飯を食べた。

栗の入っているお赤飯が無性に食べたかったのだ。

一昨日の事だが娘婿が誰かに貰ったらしく栗を沢山持ち帰っていた。

てっきり娘が茹でるだろうと思っていたのだが翌朝にはそれが消えている。

夫も不思議に思ったらしく「あの栗はどうしたがやろう」と呟いていた。

娘に訊けば分かる事だが敢えてそれをしなかった。

ただ私達には食べさせるつもりのない栗だったことは分かる。

何と寂しい事だろうと思うが「たかが栗」だと忘れることにした。

10年前とは確かに違う家族の成りの果てでもある。


こんがらがってしまった糸のような暮しであった。

繋がっているようでぷっつりと切れている。

その糸を手繰り寄せてはならない。それが我が家の掟となった。


娘は口癖のように「いつまでもここには居ない」と云っていたが

私達夫婦はもうとっくに覚悟しておりその日を待っている。

二十年となれば二昔である。すっかり老いてしまった二人の姿が目に浮かぶ。



※以下今朝の詩


    母の夢


 深いようでいて浅いのだ
 眠りの淵を彷徨っていると
 死んだはずの母に会える

 それは笑顔とは限らず
 時には睨みつけて
 争いを始めるのだが
 その憎らしさが愉快だった

 死んでなどいなかったのだ
 こんなにも生きている

 面影は波に揉まれるように
 押し寄せてきたり
 遠ざかったりするが
 砂に足跡を残しながら
 カタチとして記憶になる

 伝えることは何もない
 ただ母としてそこに在る

 黄泉の国はそう遠くはない




2025年10月10日(金) 初めてのおつかい

爽やかな晴天。気温は30℃に届かず過ごし易い一日だった。

すっかり枯れ始めた彼岸花の何と憐れなことだろう。

白い彼岸花は特に幽霊のように見える。

紫陽花と同じで潔く散れない定めであり受け止めるしかない。

そうして深まって行く秋であるが夏の名残がまだ漂っている。

八日目の蝉ではないかと思う法師蝉のか細い声が茜色の空に響く。


山里では義父が稲刈りの準備をしていた。

週末は雨になりそうなので今日一日でと決めたのだろう。

運搬車にコンバインを積むと勇ましく出掛けて行く。

今度こそ最後の稲刈りに思うが詳しくは訊けなかった。

いったいどれ程の稲を植えているのか見当も着かない。

田んぼは「丁」や「反」で表すので余計に分からないのだった。


工場は今日の車検予約が延期となり同僚が暇になる。

義父にとっては好都合で同僚が籾を運ぶことになった。

直ぐ近くの田んぼだったが何と気忙しいことだろう。

午後にはバッテリー上りのお客さんから電話があり

一か八かで私が添え掛けに行くことになった。

今は昔のようにブースターケーブルを使うことはなく

コンパクトな充電機を用いるのだが私はもちろん初めてのことである。

丁度同僚が籾を下ろしに帰って来ていたので使い方を教えてもらう。

思ったよりも簡単で何とか出来そうであった。

5分程車を走らせお客さんのお宅に着くと

こんな私でも頼りにしてくれて大喜びである。

ボンネットを開けてバッテリーに充電機のコードを着けると

直ぐにエンジンが掛かり私も嬉しくてならない。

何事もやれば出来ると大きな自信に繋がった。

出張料金は千円であるが他の修理代と一緒に払うとのこと。

おそらく年末になるだろうと少しがっかりした。

田舎あるあるでそんなお客さんも多いのである。


3時には稲刈りが終了。義父が帰り着くのを見届け帰路に就いた。

無性にアイスが食べたくなり山里のお店で買い求め食べながら帰る。

ラジオは「ぶちぬきフライデー」で高知放送の番組であった。

お昼にメッセージを送信していたので気になってならない。

しかし一向に読まれずおそらくボツになったのだろう。

諦めずに来週も送ってみようと思う。金曜日の楽しみであった。


買い物を済ませ4時過ぎに帰宅。

今日はめいちゃんが「陸上競技会」に参加していたので

結果が知りたくてならなかったが余程疲れたのか眠り込んでいた。

娘に訊いても「知らない」と何とそっけないことだろう。

入賞はなかったのかもしれず訊かない方が良いのだろうと思う。


あやちゃんは両親と一緒に笑顔で夕食を食べていた。

何と嬉しそうな顔だろう。見ただけでほっとせずにはいられない。


明日は車検の予約が入っておらず三連休が出来ることになった。

実はあまり嬉しなく家でごろごろするのが嫌でたまらない。

カーブスには行くつもりだが後は煙草と昼寝である。

そんな自分をどうして好きになれようか。もううんざりであった。


好きなように過ごせばそれが一番なのだろう。

のんびりと元気にと思うが精気が失われるように思う。

自分を持て余すとはきっとそう云うことなのだろう。


風が吹けば揺れる。雨が降れば濡れる。

それが当たり前のことだとどうして云えるだろうか。


※以下今朝の詩


    一歩

 草むらを歩いている
 露が少し冷たくなった

 セイタカアワダチソウは
 三角の黄色い帽子がよく似合う
 たくさんの仲間がいて
 まるで遠足の風景である

 私は颯爽とは歩けない
 左足が不自由なので
 杖に頼らねばならない

 兎だった頃には野を駆けたが
 何だか遠い昔のことにおもう
 もう仲間もいなくなってしまい
 独りぼっちの秋の日であった

 ゆっくりと一歩ずつ進む
 草を掻き分けながら歩く

 いったい何処に辿り着くのか
 明日がきっと未来なのだろう



2025年10月09日(木) そこそこに

爽やかな秋晴れとは行かず今日も真夏の暑さとなる。

ただ風があり過ごし易く秋には違いなかった。


台風22号が伊豆諸島を襲い八丈島では大変な被害だったようだ。

今まで経験したことのない暴風雨だったそうで怖ろしかったことだろう。

甚大な被害に加え停電や断水も発生しており気の毒でならない。

その上に本土からの定期船が来られないので食料も不足しているのだそうだ。

週末には台風23号が同じコースを通過しそうである。

また被害は免れそうになく大きな心配となった。

平穏に暮らすことが心苦しくてならないがどうしようも出来ない。

一日も早く島民の皆さんに日常が戻ることを祈るばかりである。



今朝はいつまで待っても義父の姿が見えなかった。

同僚の話では昨夜「誕生日会」をしたようである。

週末までは待てなかったようで友人達の計らいだったようだ。

嬉しさもあって飲み過ぎてしまったのに違いない。

二日酔いはよくある事だがとても82歳には思えなかった。


やっと姿を現した時にはもう午後2時になっていた。

それから車検をしてくれ今日の仕事は何とかなる。

お客さんに迷惑をかけずに済み何とほっとしたことだろう。

経理も順調で例の大口のお客さんが支払いに来てくれた。

約束通りに半分であったがどれほど助かったことだろうか。

滞っていた支払いもあり全てを済ませば肩の荷が下りる。

しかしお金は右から左で残金は僅かになってしまった。

とても月末までは持ちそうになくまた大きな苦労が待っている。

けれども幸いなことに仕事は後から後からあり

お客さん次第で順調に入金が叶うかもしれない。

苦労を苦労と思わない事だ。きっと何とかなるはずである。


3時に退社。買い物を済ませ4時には帰宅していた。

30分程自室で過ごし5時まで茶の間で寝転ぶ。

夫に「今日の出来事」を報告するのが日課であり

今日も「そうか、そうか」と耳を傾けてくれ有難いことである。


夕食は孫達向けのメニューばかりで夫のおかずが無かったのだが

新生姜を刻んで酢味噌で和えたらいたく気に入った様子である。

ビールを飲み終わるとご飯に乗っけて「美味い、美味い」を連呼していた。

「一週間はいけそうなね」と私が云うと「何を!」と反論し愉快でならない。

笑い合えるひと時ほど幸せな時間はなく一日の疲れが癒されて行く。


あやちゃんの姿が見えず気になったが娘に訊く事もしなかった。

2.3日顔を見ないことはよくあることである。

めいちゃんは明日「陸上大会」があるそうで張り切っていた。

娘がまだゼッケンを縫い付けておらず「早くして」と急かしている。


家族ではないのかもしれないが家族の一日がもう直ぐ終わる。

夫は早寝で8時には床に就き私も直ぐに後を追うのが日課であった。

寝返りを打ちながら夫の背中を見ているうちに眠っているようだ。


失いたくないことばかりで満ちている。

何ひとつ欠けてはならないといつも思う。


※以下今朝の詩

 
    そこそこ

 「そこそこ」がいい
 それくらいがちょうどいい

 大草原ではなく
 そこら辺の野原である
 草むらをてくてく歩く
 全ての草に名が在るが
 知らなくてもいいだろう

 あっけらかんと仰ぐ空
 鰯雲は秋を知らせてくれる
 そよ吹く風は口笛を吹く

 疲れたら寝転ぶのがいい
 草の枕でとろりとろりと
 夢の続きを見るのもいい

 「そこそこ」に生きて来た
 大志など抱いてはおらず
 ただ淡々とした息である

 何処に辿り着こうと
 知らないほうがいい  


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