二十四節気の「寒露」露が冷たく感じられる頃であるが
今日も30℃を超える真夏日となった。
太平洋上にある台風の影響かも知れないが
季節外れとしか云いようがない暑さである。
朝の山道にお遍路さんの休憩所があり
花瓶から溢れんばかりの秋桜が活けられていた。
昔からの遍路道である。地元の人のささやかなおもてなしだろう。
ふと足を止めて一休みしたくなるような場所であった。
峠道を越え山里に差し掛かると道端の秋桜の何と愛らしいこと。
私の好きな白い秋桜も咲いていてほっとするように心が和む。
朝の道が楽しみでならない。そうして気力が湧いて来る。

今日は義父の82歳の誕生日だった。
休養日と決めたのだろう午前中は乗用車で出掛ける。
帰ってからも仕事はせず居室でゆっくり休んでいたようだ。
滅多にない事なので私もほっとしていたのだが
午後2時になると急に思い立たったように田んぼに出掛けて行った。
一番暑い時間帯であるが暑さにはもう慣れているのだろう。
「さあやるぞ」と何とも勇ましい姿であった。
週末には友人達が「誕生日会」をしてくれるのだそうだ。
それが嬉しく楽しみでならない様子だった。
独居老人には違いなく友人達にどれほど救われていることだろうか。
工場の仕事は今日も忙しく飛び込みのお客さんもあった。
同僚は厄介な車検整備をしておりいささか機嫌が悪い。
直ぐには対応出来ず夕方まで待ってもらうことにする。
タイヤ交換であったが予約なしの場合は本当に困るのだった。
同僚が「後から後から」と文句を云うので私の権限で一喝する。
どれほど忙しくても「出来ない」では済まされないのだった。
同僚には負担を掛けるが無理を承知で頼るしかない。
整形外科のリハビリがあり3時前に退社した。
3時40分の予約であったが15分前には順番が来る。
施術中は目を閉じている事が多いのだが今日は薄っすら目を開けてみた。
U君の顔が直ぐ近くに見え年甲斐もなくドキドキする。
ようく見ると何とイケメンなのだろう。まるで芸能人みたいだった。
そんなU君に足から腰まで揉み解してもらい私は幸せ者だと思う。
リハビリ室からエレベーターで階下に下りる間もドキドキが止まらない。
老いらくの恋ではないがその真似事を始めるのも良いかもしれなかった。
4時半に帰宅。もう横になる時間もなかったが10分だけ寝転ぶ。
5時になれば娘が率先して炊事をしてくれるので大助かりであった。
茄子を揚げたり南瓜を揚げたり至って質素な夕食である。
あやちゃんはやはりめいちゃんを避けている様子で
めいちゃんもそれを感じていて一緒に食べることは殆どなかった。
あやちゃんは両親と一緒に食べるのだが
めいちゃんは二階で独りで食べている。
寂しくはないかと気遣うのだがそれが当たり前になったこの頃だった。
老婆心を突き詰めれば切りがなく単に両親の取り合いにも思える。
めいちゃんのパワーには到底叶わないあやちゃんであった。
片や優等生。片や不登校。比べるのはあまりにも憐れである。
ただ両親と一緒に夕食を食べているあやちゃんの笑顔が嬉しかった。
トンネルの出口は見えているが歩み出せずにいるのだろう。
もう少しあと少しに思うが誰にも未来が分からなかった。
笑う時には「くっく」と鳩ぽっぽのように声を出すあやちゃんである。
※以下今朝の詩
時
一秒ごとに進む「時」がある 秒針であることは忙しなく 休むことも許されないが まるで使命のように進むのだった
刻々と夜明けが近づいている 真っ暗な空が薄っすらと明るむ 土手の芒の穂が姿を現し 風の行方が見える頃である
一秒を粗末にしてはならない
ただ淡々と時を刻んでいるが 苦労や哀しみもきっとあるだろう
癒すための薬にもなり 涙を微笑みに変えることも出来る それは未来であり希望でもあった
「時」として生きている どれほどの息だろうか 確かめてやらねばならない
曇りの予報だったが十分に陽射しがあった。
気温は30℃あったが爽やかな風が心地よい。
風はもう秋そのものである。
芒の若い穂がずいぶんと見え始め秋の風景となった。
朝陽を浴びて艶々と輝く姿には感動さえ覚える。
芒もやがては老いていくがその過程を見るのが好きであった。
茶の色から黄土色にそうして白へと変わっていく。
枯れ芒も風情があり生き抜いた証にも見える。
「貧しさに負けたいえ世間に負けた」昔そんな歌もあった。
人は老いてしまうともう元には戻れないが
芒には永遠の命が宿っている。春は緑にそうして秋に穂を出す。
根は強く逞しく何度でも季節を巡ることが出来る。

午前中に市内へ行っていたが山里から下るお遍路さんの多さに驚く。
ダム湖の辺りから下り坂になっており何と6人ものお遍路さんであった。
大きな荷物のお遍路さんはなく野宿ではなさそうであったが
おそらく早朝に民宿を出立したのであろう。
時間的にお昼には延光寺に着きそうであった。
そのまま伊予路に入るのもまた大変な道のりである。
颯爽と歩く人、杖にすがるように歩く人。若い人もいれば高齢らしき人も。
皆それぞれに志を持ちひたすら歩く旅路であった。
市内にはディーラーに大型車を持ち込んだ義父を迎えに行ったのだが
方向音痴のせいで道を間違えてしまい義父に叱られる。
「右も左も分からんのか」と云われたが正にその通りであった。
自分でも情けないが市内に住んでいてもその市内がよく分からない。
何度も行ったことのある場所でもよく道を間違えてしまうのだ。
幸い義父は本気で叱ったわけではなかったがすっかり呆れ返っていた。
そうして例の重症の大型車はディーラーに任せたのだが
あまりの重症のためいつ修理が完了するか目途が立たないのだそうだ。
またお客さんに迷惑をかけてしまうので気が気ではなかった。
義父が説明してくれるそうだが納得してもらえるだろうか。
頭を悩ますことは経理の事だけではなかった。
全ての事が順調にと考える事ばかりである。
それも私の仕事だと思えば常に精一杯でなくてはならない。
その上に義父の顔色を窺いどれほど気を遣っていることだろう。
午後は義父が田んぼに出掛けていたので
これ幸いと定時の2時半に退社する。
それで丁度6時間のパート仕事であった。
今月から最低賃金が上がったので収入は増えるのだが
同僚のお給料も上げなくてはならなくなった。
会社は火の車である。困難は後から後から押し寄せて来るのであった。
「野となれ山となれ」と思うが野には芒の穂である。
山はやがて紅葉の季節となる事だろう。
兎は野を駆け猪は山を彷徨うばかりであった。
秋の空は青く澄み渡り何処までも広く続いている。
私の空はいったい何処にあるのだろうか。
※以下今朝の詩
道
この道でいいのだろうか 立ち止まって空を仰いだ
夏の雲と秋の雲が交差し 陽射しと風が混ざり合う
石ころだらけの道である 丸い石と尖った石が 互いを認めようとしている 決して傷つけ合ってはならない
深い山へと続く道 広い海へと続く道
どちらを選べばいいのだろう
ふと背中を押された気がして 立ち上がったその時である
おいでおいでと呼ぶのは 光の天使たちの声であった
すくっと前を向く もう二度と振り向くことはない
連日の真夏日。10月だと云うのに何と異常な気温だろう。
市内の江川崎では33℃を超えていたようである。
しかし真夏の暑さとは何となく違う。
そよそよと心地よい風が吹き暑さを和らげてくれるのだった。
夏を追いやれない秋がそっと寄り添っているようである。
今夜は「仲秋の名月」なのだそうだ。
窓からはそれが見えず残念だが外に出て土手に上がる気力もない。
もしかしたら明日の夜明け前に西の空に見えるかもしれなかった。
月を愛でる気持ちも薄れ感慨に浸ることももうないのだろうか。
何とも寂しく落ちぶれてしまったものである。

仕事は月曜日のせいか怒涛の忙しさであった。
出勤するともう予約のお客さんが来ており待ち兼ねていた様子。
同僚が来るのを待ち早速にタイヤ交換を始めてくれた。
そうしていると今度は車に傷を付けてしまったお客さんが来る。
それは義父ではなくてはならず電話をしても繋がらない。
あたふたと焦りながら独断で「傷隠しクリーナー」を試してみた。
すると車体の傷があっという間に消えたのである。
お客さんは大喜びで一円も払わず帰って行った。
お次は車検切れのお客さんで困り果てていたが
予約制であることを伝えると納得してくれ明日まで待ってくれることになる。
スケジュールのボードはもう20日まで埋まっていた。
明日も予約が入っているが何とかなるだろう。
よくある事だが飛び込みのお客さんにはいつも頭を悩まされる。
9時を過ぎてやっと義父が顔を見せてくれた。
私の着信に気づいたようだがもう遅かりしである。
とりあえずあれこれと報告をすると「そうか」の一言であった。
例の大型車の修理は完璧ではなかったようで納車は出来ない。
人間だと癌なのだそうだ。それもあちこちに転移している。
ディーラーに相談したが即答は出来ないらしく義父も困り果てていた。
同僚には無理だが義父ならきっと出来る修理であったが
まだ稲刈りも完全に終っておらず義父も悩んでいたのだろう。
午後は車検。大型車なので随分と時間が掛かった。
帰宅が遅くなりそうだったので娘に買い物を頼んだのだが
昼寝をしていたらしくすこぶる機嫌が悪い。
遅くなってもちゃんと作るからと云ってくれ頼るしかなかった。
車検の書類を整え4時に退社。帰宅すれば5時であった。
メニューは「牛丼」だったので娘のおかげで直ぐに出来る。
孫達も好きなので何とほっとしたことだろう。
血圧が上がっているようには思えなかったが
背中に針金が刺さったように痛む。
朝の8時半から4時までお昼休憩もなかったのだ。
さすがに老体には厳しい一日だったようだ。
お風呂に入浴剤を入れてゆっくりと湯船に浸かる。
おかげで背中の痛みもすっかり楽になっていた。
お風呂から出ると娘達の夕食の時間であり
あやちゃんがにこにこしながら牛丼を食べてくれていた。
「美味しいかね?」と訊くと「うん」と応える。
そんなささやかなことが嬉しくてならない。
一日の疲れも何処へやらとても幸せな気分になった。
老体にムチ打つ。私よりもムチが折れるかもしれない。
とにかく出来る事を精一杯に頑張っているこの頃であった。
いつかは必ずゴールに辿り着く。
どれ程の老いであっても心地よい達成感が待っていることだろう。
※以下今朝の詩
実
落ちるならば手を添える 転がるならば拾い上げる
花の季節が終り 実を付けるようになった それは種でもあり尊い
私もかつては咲いていた 薄紫の花だった頃がある 蜜蜂や蝶とふれあい 微笑んでばかりいた
夏の陽射しの眩しさに 雨を欲しがるかのように 恋をしたこともある
どうして散り急いだのか そうして落ちて行ったのか
実となれば切なさが募る やるせない想いが深まる
種としてまた巡る季節に 生きて在りたいと願う
朝のうちは曇っていたが次第に青空が広がる。
気温はなんと33℃まで上がり10月とは思えない暑さになった。
もう汗をかくこともないだろうと思っていたのだが
あまりの蒸し暑さにエアコンを点けて過ごしていた。
夏はいったい何を忘れていたのだろう。
余程大切な物なのに違いない。
振り向いて必死になって捜しているように感じる。
玄関から外に出るとすっかり荒れ果てた庭に溜息が出た。
あれもこれも引き抜いてしまいたいが座ることも出来ない。
なんと情けない事だろうと思う。
とにかく花苗を買って来れば娘が何とかしてくれるだろうが
直ぐ近くの地場産店へ行くのも億劫でならないのだった。
お向かいの奥さんはいつも庭の手入れを怠らず
菊の花が咲き始め鉢植えのコキアがずらりと並んでいる。
そんな庭にどんなにか憧れていることだろうか。

買い物に出掛けただけで後は殆ど寝て過ごす。
喫煙のこともありなるべく自室へ行かないようにしたのだが
午後も3時になれば目が覚めて退屈でたまらなくなった。
仕方なく自室に籠り3年前の初夏の日記を読み返す。
日記のページには「過去と未来」がありひたすら未来に進む。
過去に遡ってはいけないような気がしたのだった。
驚いたのはまだ足の痛みがなく普通に歩けていたことだった。
お大師堂にも行き自分なりの任務も果たしていた。
娘達との家族団欒もあり賑やかな夕食の光景もある。
あやちゃんも毎朝元気に学校へ行っていた。
会社の経理も順調で今のような緊迫感もない。
この三年の間に大きな変化があったことを思い知る。
誰のせいでもないのである。それが歳月の仕業でなくて何だろう。
そうして歳を重ねたからこそ今が在るのだろうと思う。
僅か三年であるがもう二度と戻ることは出来ない「過去」であった。
そんな過去にしがみついてはいけない。毎日が未来であるべきだ。
こうして今日を記せば明日はもう過去となる。
だからこそ私は明日が未来だと信じて書き続けたいと強く思う。
取り返しのつかないことがあれば取り返せば良い。
後悔を希望に変えることがきっと出来るだろう。
そうして決して自分を見失わないことだ。
老いの坂道を上り続けている。ゴールはもう「死」であるが
その時はその時の事と思いたい。
もう何も書けなくなってしまうが生きた証はきっと残るだろう。
※以下今朝の詩
四季
冷たさを知っているから 温もりを感じることが出来る
冬から春への季節の移ろい 雪が雨に変わり 木の芽がふくふくと芽吹く
やがて季節は夏に変わるが 燃えているような太陽が これでもかと焼き尽くす
秋風が吹き始めると切ない 忘れられないことが多くなる 哀しい記憶に圧し潰される
木枯らしが吹き始めると 心にぽっかりと穴が開く 耐えなければとおもう 冬に咲く花もあるのだから
ずいぶんと生きて来た 四季がなければ とっくに息絶えていただろう
夏の背に別れを告げて 私は秋になろうとしている
雨が降りそうで降らない曇り日。
気温は28℃まで上がり少し蒸し暑さを感じた。
週間予報を見ていると明日からしばらくは晴天が続くようだが
気温が高めとなりまだまだ夏の名残がありそうである。
夏から咲いていた我が家の秋桜はすっかり枯れてしまったが
娘の庭いじりの熱が醒めてしまいそのまま放置してある。
そろそろビオラの苗を買って来ようと思うが
娘の手を借りないと植えることも出来ないのだった。
花のない庭の何と侘しいことだろうか。
朝ドラ「チョっちゃん」を見てから9時まで寝ていた。
夫が「ケンミンショー」を録画してくれていたが見ずじまいとなる。
せっかくの夫の計らいを無駄にしてしまい済まないことをしてしまった。
10時からカーブスだったので一時間程自室で過ごす。
一年前の10月の日記を読み返していたが
哀しかったことを思い出してしまいその辛さが一気に蘇る。
「無礼な人」と云われたこと「太平楽」と云われたこと。
とても信頼していた人から云われたことがとてもショックであった。
もう誰とも親しくはならないと決めた出来事でもある。
今もネットの海を漂い続けているがたった独りきりでありたいものだ。
自室に籠るとひたすら煙草となり一時間で10本も吸ってしまう。
それは異常な程に病的で自分ではどうすることも出来なかった。
当然のように激しく咳き込む。咳が止まらないままカーブスへ行く。
カーブスへ行けば気分転換となり心地よく汗を流した。
顔なじみになっているお仲間さんの高血圧が改善されたとのこと。
もう病院とも縁を切ったと云うので驚く。
筋トレは確かに身体に良いようだが私には無縁のように思える。
それでも続けなければならない唯一の運動であった。
昼食に冷食の「カルボナーラ」を食べる。
めいちゃんも冷凍庫からカルボナーラを出して来ていた。
おばあちゃんと一緒やねとにっこりと笑顔を交す。
娘の勤めているドラッグは今日が開店だった。
これまでは他の店舗で研修をしていたのだがやっと正式雇用になった。
新聞に大きなチラシも入っており開店初日は忙しかったことだろう。
定時では終われないだろうと思っていたがお昼過ぎに帰って来る。
しかし仕事の話は一切しない。私も訊いてはいけないようだった。
それから買い物には絶対に来ないことと前々から強く念を押されている。
午後はまたひたすらに寝る。目覚めればもう4時になっていた。
乾燥機に入れてあった洗濯物を夫が出してくれている。
毎日「洗濯物がかり」をしてくれ何と有難いことだろう。
夕食は「ささ身フライ」と「ポテトサラダ」の予定だったが
めいちゃんのダンス教室があり娘の何と気忙しいこと。
5時半には家を出なければならず炊事どころではなかったのだろう。
つんつんと機嫌が悪いので「母がするから」と伝えれば
「間に合うように頑張りようやいか」と荒い言葉が返って来る。
もっと簡単なメニューにすれば良かったのだと悔やまれた。
あやちゃんの好きな物をとそればかり考えていたのである。
毎日の事だが思うように行かないことが沢山あった。
皆の美味しい顔が見れるのが一番の幸せである。
一年前の日記には詩の事には殆どふれていなかった。
今は毎朝の詩を転記しており申し訳なく思っている。
全く興味のない読者の方もいることだろうと気遣う。
今後はなるべく詩に関する日記は控えたいと思っている。
詩人でもない私がいったい何様のつもりだろう。
もっともっと身の程を知らなければならない。
詩の転記は続けるつもりでいるがお目汚しをお許し願いたい。
たった一人の方でも共感して頂けたら幸いである。
※以下今朝の詩
一滴
ほんの一滴である 雨になれない空が 溜息のように呟く
消えてしまいたいなんて嘘 存在はそれほどに儚くはない
寒露が近くなり空は 冬支度を始めている 風に聴いてみるがいい 南から北へとそれは変わる
真っ只中に居ながら 心細いのは何故だろう 失いたくはないのだ 一心に貫きたい命である
一滴の迷いであるなら そっと導かねばなるまい
生きてこその空である その青さに命を委ねよう
ぽつぽつと小雨降る一日。気温は23℃と秋らしい涼しさであった。
しかし明日はまた28℃と夏の名残がありそうである。
朝の道にセイタカアワダチソウが見られるようになった。
ブタクサと間違い易く花粉症の原因になると思われているが
セイタカアワダチソウの花粉は飛ばないのだそうだ。
間違われて可哀想だが薬効効果もある花らしい。
夫は花粉症があり「また黄色い花が咲き出した」と嘆くのだが
ブタクサとは違うのだと教えても納得が行かないようである。
「じゃあ何でくしゃみが出るがぞ」と素直に信じようとしない。
おそらく思い込みから来るアレルギー反応だと思われる。
黄色い三角帽子の可愛らしい花である。
どうか嫌わないでやって欲しいと願ってやまない。

今朝は職場に着くと義父がコンバインを丁寧に洗っていた。
昨日の稲刈りは無事に終わったようだがまだ最後の稲刈りがあるのだそうだ。
私は完全に終ったと思っていたので何だか戸惑ってしまう。
収穫量は昨年の半分にも満たないとのこと。
それでも刈らないわけには行かずまた忙しい日がありそうだった。
コンバインを洗い終わると散髪に行き男前になって帰って来る。
それから色づき始めた柿をいくつか獲ると友人の家へ行った。
いつも農作業を手伝ってくれている友人で柿が大好物なのだそうだ。
村内ではなく大月町なので直ぐには帰らないだろうと思っていたら
お昼過ぎには帰って来て今度は大型車の修理をすることになった。
先月から預かっており気が気ではなかったので大助かりである。
早ければ月曜日には納車出来るだろう。
経理もまずまず。昨日の入金の上に今日も入金があり随分と潤う。
週給制の同僚のお給料を準備し、私の二日分の日給もあった。
残りは預金したがそれも直ぐになくなってしまうだろう。
それでも預金残高を見ると嬉しく救われたような気がした。
後は野となれ山となれである。ゼロになればまた始めれば良い。
4時前に帰宅。夫と録画してあった「あんぱん特別編」を見る。
今日は初めて「アンパンマン」のテレビ放映があった日なのだそうだ。
もう朝ドラは終わってしまったが何だか感慨深いものがある。
やなせたかし先生の出身地は母と同じ香北町でもあった。
あやちゃんが珍しく茶の間に来て「今晩は何?」と訊く。
特売だったフランクフルトを買って来ていたのでそう告げると
残念そうな声を出してまた部屋へ戻って行った。
娘に話すと何か作るからと冷凍庫の豚肉を解凍している。
スライスチーズを挟んでミルフィーユカツを作っていた。
私も迂闊であったが今夜は娘に助けられたことになる。
毎日の献立を考えるにも限界がありついつい手を抜いてしまう。
あやちゃんは夕飯をとても楽しみにしていることを忘れてはならない。
今朝の詩はそこそこに。書こうと思って書いた詩ではないので
自分では不出来であったが書けたことを「よし」としたかった。
ある人の為にと思う。きっと読んでくれるだろうと信じていたが
今朝は時間が足らなかったのだろう足跡がなかった。
まあそんなものである。空振りに終わることもあるものだ。
いかにも当て付けがましい詩だったのかもしれない。
「貴方の為に書きました」等とどうして云えようか。
所詮は垂れ流しの詩である。ネットの波に呑み込まれてしまうだろう。
消えずに残ったとしてもそれは藻屑のようなものだ。
それでも私は書くことを諦めない。書けなくなった時は「死」しかない。
※以下今朝の詩
落葉
雨に打たれ風に吹かれる やがて寒い冬がやって来るが 一本の樹であり続けたい
千切れるように葉が落ちる そうしてからころと地を舞う 裸樹になってこそ 芽吹くことが出来るのだ
そうして新しくなる むくむくとしたいのち 嘆くことなど何ひとつない
たとえ失った季節であっても 哀しみはきっと癒える いくつもの季節が巡り 時の薬が助けてくれる
枝を手のように空に伸ばす 青ければ青いほど 明日が未来になるだろう
朝の気温は20℃に届かず随分と涼しくなった。
しかし日中は30℃とまだ夏の暑さである。
とても10月の気温とは思えない。
昨日まだ百日紅が咲き誇っていると書いたが
今朝の道では殆ど散っているようだった。
確か実のようなものが成るのだが遠目では分からない。
職場の百日紅は忽然と消えてしまい確かめることが出来なくなった。
消えたのは百日紅だけではなく「ムラサキシキブ」も見えない。
どちらも母が愛でていたので残念でならなかった。
なんだか母と一緒に死んでしまったようにも思う。
義父は稲刈りの予定であったが午前中は準備に手間取り
午後2時になりやっと出掛けて行った。
僅かなので2時間もあれば終わるとのこと手伝いも要らないと云う。
とても機嫌が良く溌溂としている姿にほっとせずにはいられない。
事務仕事はけっこう忙しく今日は記帳の仕事をしていた。
現金の出入りが一目で分り残高がどんどん減って行く。
入金があっても翌日には直ぐに出て行くのだ。
まるでお金に羽根が生えているとしか思えない。
今日も入金はゼロで笑いが止まらなくなった。
随分と追い詰められたものだ。とことんやってくれと思う。
2時半に退社したのだが同僚から電話があり
先日車検をしたお客さんが支払いに来てくれたとのこと。
待てば海路の日和ありではないがもう少し職場に居れば良かった。
もう後の祭りであったが同僚が預かってくれたそうでほっとする。
おかげで明日は何とかなりそうだがまた直ぐにゼロになるだろう。
面白いことこの上なくまるで毎日が喜劇のようであった。
サニーマートで3割引きのステーキ肉を買って来ていた。
一枚だけなので娘達にと思っていたのだが
娘が父親を気遣ってくれて「おじいさんのは?」と訊く。
「おじいさんは要らんよ」と応えたら
夫が「なんでや!」と文句を云うのが面白かった。
娘達にはその上に鰹のお刺身もあり私達とは大違いである。
決して機嫌取りではない。ただそうして丸く納めているのだった。
些細な事で波風を立ててはいけないといつも思っている。
今朝は「昭和シリーズ」の詩が書けたが相変わらずの不評であった。
しかし自分では書きたいように書けたので大満足である。
どこからともなく私の詩を見つけてくれた方が居て
コメントを残してくれており思いがけずに嬉しかった。
その方のホームに飛べば短歌や俳句を書いている方だったのだ。
その短歌がとても気に入り迷わずにフォローしたら
その方も直ぐにフォロー返しをしてくれささやかな繋がりが出来る。
発端は私の詩なのでこれも何かの縁なのだろうと思う。
伝わる人にはちゃんと伝わるのだととても励みに思ったことだった。
私はあくまでも「私のような者」であり多くを望んではいない。
この歳になり羽ばたくこともなければスポットライトを浴びることもない。
けれどもまるで命を削るかのように精を尽くして書き続けている。
明日もきっと書けるだろう。明日が未来である限り。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
さっちゃん
生まれたばかりの娘のことを 息子は「ごんべえ」と呼んだ それではあまりにかわいそう 早くなまえをつけてあげなければ
息子は「さっちゃん」がよいと云う おじいちゃんが「さ」がつく名前を お寺の住職さんに考えてもらった さちこさなえさおりいっぱいある
みんなでさんざん迷った結果 娘の名前は「さほ」に決まった
息子の何と喜んだことだろう さっそく「さっちゃん」を連呼する
さっちゃんはふにゃふにゃしていて 顔はおサルさんみたいだった ちいさな手ちいさな足を元気に動かす
息子はさっちゃんからはなれない 泣けば心配そうにおろおろとして 眠ればほっとしたように微笑んだ
「いもうと」がまだわからない 「おにいちゃん」もまだわからない
たださっちゃんと呼べるのが うれしくてたまらなかったのだ
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