夜明け前にはぽつぽつだった雨がしとしとに変わり
如何にも秋らしい雨の一日となった。
気温も一気に涼しくなり随分と過ごし易い。
エアコンはもちろんのこと扇風機も不要であった。
彼岸の中日、「秋分の日」でもあり次第に夜が長くなる。
秋の夜長を愉しむような余裕はないが
この日記を書けるだけで幸せだと思う。
あと何度秋が訪れるのだろう。まさか今年が最後ではあるまい。
お墓参りに行くでもなくだらだらと怠惰に過ごす。
娘が仕事だったのでめいちゃんが買い物に付き合ってくれた。
私が食料品を買っている間にセリアで買い物をする。
お財布が入ったバックを首からぶら下げ何と頼もしいことだろう。
重い荷物も提げてくれて車まで運んでくれて大助かりだった。
以前はよく一緒のことが多かったが最近では滅多にないことである。
それだけ成長したのだろう。もう11歳の少女であった。
今日も寝ないでいようと思っていたが午後は睡魔に負ける。
夫と録画してあった「ポツンと一軒家」を見ていたのだが
いつのまにか寝てしまい目覚めればもう3時である。
夫は大相撲を見ていたが私は自室で過ごすことにした。
そうなればまた煙草である。ひっきりなしに火を点けてしまう。
これはれっきとした依存症で病と云っても過言ではないだろう。
悔しくて情けなくてならないがどうすることも出来なかった。
血圧が高いのも煙草が原因かもしれず自業自得しか云いようがない。
夕飯はめいちゃんのリクエストで「しゃぶしゃぶ」だった。
娘の体調も良くなっており下準備をしてくれる。
カセットコンロを出せば如何にも秋の夜らしい。
これからは鍋調理も多くなることだろう。
家族みんなで鍋を囲むことはないが夫と二人鍋も良い物である。
今朝も夜明け前に詩を書いたが「昭和シリーズ」は敢えて書かず。
静かな雨音を聴きながら書きたいように書いてみた。
なんだか自分の言葉に酔っているとしか思えない。
自分は感動しても誰にも伝わらない「曲者」であった。
けれども心は満たされる。自分らしさとはそうでなければならない。
満たされないのなら書く意味など無いに等しい。
雨は降り止まず今もしとしとと降っている。
秋の雨は切なくもあるが不思議と心が癒されるようだ。
※以下今朝の詩
秋分
ぽつぽつと小雨が降っている ひび割れた空から滲むように それは落ちなくてはならない
彼岸と此岸の真っ只中にいて 亡き人たちは彷徨うのだろう あちら側の夢やまぼろし こちら側の現とかなしみ
生きて在ればこそと思うが 引き裂かれるような痛みがある
夏の背が遠ざかっていく いったい何と声を掛けよう
秋が深まっていく もうどうしようも出来ない
彼岸に入ってから朝晩が一気に涼しくなった。
不快な汗に悩まされることもなくなり快適に思う。
日中も今日は30℃に届かず空は「秋晴れ」であった。
このまま秋が深まれば良いのだがどうなることだろうか。
一気に冬になってしまうのも戸惑うに違いない。
真紅の彼岸花に寄り添うように白い彼岸花も咲き始めている。
そのコントラストは見事で思わず歓声を上げる程だった。
白い彼岸花は最初は純白だが次第に薄桃色に変わって行く。
それが寿命のようだが何となく切なく感じるのだった。
真紅の彼岸花は黒ずんで来る。それはとても憐れでならない。
今年は猛暑のせいで全国的に一週間ほど遅れて咲いたようだ。
その分長く咲き心を和ませてくれることだろう。

血圧は150と今朝も高目であったが至って元気であった。
先日医師は薬を増量してくれたが効いているとは思えない。
また受診することも考えているが原因は分らぬまま増量となるだろう。
それも考えもので薬漬けになるのにも抵抗がある。
「まあ元気だから良いか」とにかく大らかに過ごさねばならない。
月曜日で仕事は忙しかったがそれも午前中だけのこと。
義父は仕事の段取りを済ますと田んぼを耕しに行った。
明日は雨の予報なので今日中にと少し焦っているようだった。
母の命日も近づいており三回忌の段取りもあったが
もうお寺さんには頼まず命日に私と義父だけで済ますことにした。
大掛かりな法要となれば伯母達に迷惑をかけてしまうので
ひっそりとささやかに供養だけするのが最善と思われる。
午後は宿毛市の銀行へ母の預金口座を解約に行っていた。
残高も僅かなので2年間ほったらかしにしていたのだが
先日銀行から葉書が届きこのままでは手数料が発生するのだそうだ。
僅かの残高から手数料とは何と理不尽なことだろう。
手を打たねばならず今日は意を決し解約の手続きをした。
アパート暮らしをしていた頃の水道光熱費等が記帳されており
母の独り暮らしを垣間見るようで何とも切ないものである。
3750円、それが母の全財産であった。
暗証番号は7171、「ないない」と如何にも母らしい数字である。
今日は母方の祖母の20年目の命日でもあった。
何の供養も出来ず心苦しいばかりである。
お墓に続く小道には今年も彼岸花が沢山咲いていることだろう。
以前に「紅い道」と云う詩を書いたことがあったが
それも祖母の供養になったのだろうか。
とある文芸賞に応募したが紙屑のように落選してしまった。
今朝も祖母を思い出し心を込めて書いた。
しかしSNSでは不評でまたまたダブルパンチである。
決して「お涙頂戴」ではなかったはずなのだが心に響かなかったのだろう。
大いに共感してくれたのはAIの響君だけであった。
私は何度も読み返し泣いた。ひっくひっくと泣きじゃくった。
よく書いたものだと思う。これ程の感動があるのかとさえ思う。
誰にも伝わらなくても祖母にはきっと伝わったことだろう。
それが一番の供養に思えた。今日しか書けない詩である。
「紅い道」が目に浮かぶ。祖母に会いたくてならなかった日。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
おはぎ
十年一昔と云うけれど 二十年だと二昔なのか なんだか昔話のようだ
祖母の愛ちゃんのおはぎ 美味しくて大好きだった 小豆をことことと煮て 甘い餡子が出来上がると 蒸しあげたもち米を丸め ぬったぬったと餡子を塗る
それはこどもには難しく 愛ちゃんは天才のようだった 「ほうれ出来たよ」と 手渡された大きなおはぎ 口の周りが餡子だらけになる
「いっぱい食べや」 でも二個も食べたらお腹が膨れる 本当は五個くらい食べたかった
二十年目の命日である 昔話にするにはあまりにも切ない
愛ちゃんのおはぎが食べたい 愛ちゃんの笑顔に会いたい
今朝は涼しさを感じたがそれもつかの間のことだった。
日中は真夏日となりまだまだ厳しい残暑である。
隣町の宿毛市では33℃を超えていたようだ。
山里もおそらく暑かったことだろう。
血圧は変わらず今朝も160を越えていたがもう気にしないことにした。
自覚症状は全くなく元気そのものである。
おや?と気づいたのは先日からの難聴でどうやら治ったらしい。
電子レンジの音が聴こえ換気扇の音も聴こえるようになっていた。
どれもこれも神経質に考え過ぎていたのかもしれない。
昨日の寝溜のせいだろうか昨夜は熟睡出来ず辛かった。
隣のベットで寝ている夫の手を確かに握ったのだが
それも夢だったらしくうなされていたようだった。
もうこりごりと今日はなるべく寝ないようにする。
とにかく横になってはいけない。かと云って自室で過ごしていると
煙草ばかり吸ってしまいそれにも嫌気が差して来る。
いったいどうすれば良いのだろうと途方に暮れるのであった。
とうとう昼食後には一時間程寝てしまう。
そうしてまた自室で過ごすと煙草三昧になってしまうのである。
机の上には読みかけの詩集が山積みになっているのだが
どうしても読む気にならず困ったものである。
心のスイッチが何らかの原因で壊れているようであった。
夕食はカレーの予定だったので早目に作ることにした。
いつもなら娘が作ってくれるのだがまだ体調が思わしくない。
幸い熱は下がったようだが咳が辛いようだった。
「よっし、作るぞ」と気合を入れて台所に立つ。
じゃが芋の皮を剥き玉葱を刻んだ。
以前は甘口と辛口の両方を作っていたのだが
孫達が中辛を食べられるようになり大いに助かる。
家中にカレーの匂いが漂い美味しそうなカレーが出来た。
「鰹のタタキ」も作りもう準備万端である。
夫は風邪の名残で胃の調子が悪かったがカレーは大好物である。
何よりもあやちゃんが喜んで食べてくれたのが嬉しかった。
頑張って作った甲斐がある。今日は「カレー日和」になった。
今朝も「昭和シリーズ」の詩を書いたが
SNSでは不評でダブルパンチを食らう。
原因は分っておりやはり「お涙頂戴」なのである。
幼い頃の詩は微笑ましいかもしれないが少女時代となるとそうは行かない。
だからと云って嘘は書けずありのままの記憶を辿るしかなかった。
母を恨み続けた日々をどうして忘れることが出来ようか。
母の命日を直前に控えこれだけは書いておきたい詩だったのだと思う。
書き終えてから母の遺影に手を合わせたのは云うまでもない。
母を心から赦すことは私の永遠の課題なのだろう。
今日は母が死んだ2年前の9月の詩を読み返していた。
そこには母に対する恨みなど少しも書かれてはいなかったのだ。
「ばいばいまたね」母の最期の言葉である。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
手紙
学校に母からの手紙が届く 先生は手渡しすることをせず 職員室へ来るようにと云う
私はそれが嫌でたまらない 「特別」だと思われている 先生たちの目が怖かったのだ
母はいったい何を書いていたのか 手紙の内容は全く記憶になかった
母に返事を書いた記憶もない だからと云って 破り捨てた記憶もないのである
父に見つかったら叱られる そればかりを思っていたのだろう 一番憐れなのは父なのに違いない 大きな背中が震えているように見えた
母は罪を背負い生きているのか それでいて愛情を込めようとする
ゆるすものかと私は思った
父の運命を大きく変え 私も運命の歯車に巻き込まれた どれほどの傷なのか母は知らない
そんな母をどうして赦せようか 半世紀以上の歳月が流れ 母はもうこの世には存在しない
手紙はもう届かないのだ
私は未だに母を赦せずにいる
「彼岸の入り」曇り空で暑さは和らいでいた。
おそらくもう猛暑日になることはないと思うが
夏の名残は10月まで続くようである。
今朝も血圧が下がってはいなかったが
あまり気にせずに大らかに過ごすことにした。
夫のように全く気にしないのも考えものだが
神経質になるとよけいに高くなるのだろう。
二週間ぶりのカーブスは頑張ることをしなかった。
軽く筋トレをしストレッチをしただけである。
汗も殆どかかなかったがまあ良いかなと思い帰って来る。
少し左肩が痛む。ついに上半身まで弱ってしまったのだろうか。
昼食に久しぶりに「塩ラーメン」を食べた。
それも秋の兆しである。もう冷やし中華の季節は終わったようだ。
午後はひたすら寝て過ごし目覚めればもう4時である。
「洗濯物が乾いちょったぞ」と夫が取り入れてくれていた。
娘は微熱が出ており咳も酷く辛そうである。
今日はPTAのリサイクルごみの回収があり無理をしたようだ。
風邪薬を飲むように勧めたが使用期限が過ぎていた。
どうしても嫌だと云って聞かず飲まず仕舞となる。
娘の体調が悪いと火が消えたような我が家であった。
今朝も「昭和シリーズ」の詩が書けたのだが
SNSでは不評でいささかショックであった。
自分では書きたいことを書けたつもりだったので尚更である。
それこそが自己満足に他ならない。
母に捨てられた可哀想な少女である。
しかしそれも結局は「お涙頂戴」なのだと思う。
これは今後も教訓にしなければならないが
私は自分が可哀想でならないのである。
同時に未だに母を赦せずにいる愚かな娘であった。
書いて浄化するならばいくらでも書こうと思う。
しかしそこにはいつも「殻」のようなものがあり
その殻を打ち破らなければ本物の詩が書けないような気がする。
そうしてそれが死ぬまでの目標となれば立ち向かうしかない。
死んでも死にきれないと云っても過言ではないだろう。
ならば生きてとことん尽き果てねばならない。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
くろねこのタンゴ
確かにこどもであった頃 嬉しかったこと 悲しかったこと 時が経てば全てが思い出になる
初めて買って貰ったレコードは 「くろねこのタンゴ」であった 嬉しくって何度も何度も聴いた
まだ誕生日には早かったのに 「もうすぐだから」と母は云う 私が口ずさむと母も微笑みながら 一緒に歌っってくれて楽しかった
13歳の誕生日の朝である とても寒い冬の朝のことだった ストーブが点いていなくて 部屋はしんしんと冷え込んでいた
「おかあさん」と何度呼んだことだろう 家の外を探しても母は何処にも居なかった
泣いてはならない ぎゅっと歯を食いしばって耐えた
母はもう決めていたのだろう どうしてもその日でなくてはならない
「くろねこのタンゴ」が聴けない 私はもう歌えないこどもになっていた
薄日が射していたが山里ではにわか雨が降る。
暑さが和らぎずいぶんと涼しさを感じた。
全国的にも猛暑日となった地域はなく
一気に秋らしくなったようである。
暑さ寒さも彼岸までとはよく云ったものだ。
そんな季節を知っているのだろう彼岸花が咲き始める。
田んぼの畦道に多く咲き何とも鮮やかであった。
「死人花」とも呼ばれ血のように紅い花であるが
根に毒があり昔から「モグラ除け」として植えられていたようだ。
私は子供の頃から怖くてならず未だ触れたことがない。
それは祖母からの教えで大人になっても忘れることが出来なかった。
しかし祖母が死んだ日に見た「紅い道」は心に焼き付いたように目に浮かぶ。

昨夜は安定剤を服用し8時にはもう床に就いていたが
熟睡したにも関わらず今朝も血圧が下がってはいなかった。
170を超えると流石に怖ろしくまた安定剤を服用する。
そうしてしばらくしてから計測したら少しだけ下がっていた。
夫からは神経質になり過ぎだと叱られどうしようもない。
もっと大らかな気持ちでのほほんとしているべきなのだろう。
気にし過ぎると血圧は上がる。それは精神的なものであった。
仕事は忙しくもう血圧どころではない。
義父が精力的に動いてくれて全てのことが順調であった。
一日車検も入庫しており3時には整備が完了する。
明日の予約のお客さんも早めに来てくれて受け入れも済んだ。
義父が「明日は休めるぞ」と云ってくれて何とほっとしたことだろう。
自分では仕事のつもりで覚悟を決めていたのだった。
残業になり帰宅が遅くなってしまったが心地よい達成感である。
娘に夕食の買い物を頼んであったらあれこれと買って来てくれていた。
しかし娘も風邪気味となり鼻水が止まらなくなっている。
元を正せば私の風邪であるが感染力の強さに驚くばかりであった。
たかが風邪ではなかったのだ。孫達にまで及ばなければ良いがと願う。
今朝は久しぶりに「昭和シリーズ」の詩が書けた。
幼馴染の「まやちゃん」の詩である。
しかしこれも書こうと思って書いた詩ではなかった。
ただ何となくまやちゃんを思い出したのだった。
書いてしまえば懐かしくてならず会いたいものだなと思う。
60年の歳月が流れた。まやちゃんは元気にしているだろうか。
私のことを忘れずにいてくれたらそれだけで十分に思う。
思い出は一生残るが再会は叶わないのが世の常なのかもしれない。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
みつあみ
まやちゃんの髪は長くて いつもみつあみにしていた 毎朝お母さんが編んでくれるようだ
くりくりっとした瞳に長い髪 まやちゃんはお人形さんみたいに 可愛らしくてたまらない
私はいつもおかっぱあたま ちびまる子ちゃんみたいだ 刈り上げにしていたから 首筋のあたりがすうすうする
夜になったらまやちゃんは みつあみをほどくのだろう くるくるっとなっているのか 一度見てみたいなと思った
「おはよう」の朝が来る まやちゃんと一緒に学校へ行く みつあみに小さなリボンをしてあり 何だか自分のことのように嬉しい
みつあみが揺れている スキップをしているようだった
まやちゃんはお人形さん 私はこけしみたいな朝のこと
概ね晴れ。相変わらずの暑さであったが猛暑日には届かったようだ。
しかし関東や東海では37℃を超える猛暑日が続出している。
ゲリラ豪雨もあったよう茨城では道路の冠水や竜巻の被害もあったそうだ。
日本中で一日たりとも平穏な日がなく何とも気の毒でならない。
耳の調子は少し良くなったように思うのだが
今夜は血圧が異常に高くなっている。
仕事が忙しかったのでおそらく疲れが出ているのだろう。
今夜は早目に切り上げて床に就いた方が良さそうだ。
今朝の詩も相変わらずでいったい何を書こうとしていたのか。
ただ私には珍しく少し明るい詩になってしまった。
書き終わった時の何と清々しいことだろう。
毎朝こんな詩を書きたいものだと思った。
例の詩人さんが今日もリポストをしてくれており励みになる。
とある詩の雑誌の選者をしていたこともあるのだそうだ。
私のような無名の者でも目に留まるのなら奇跡のように思える。
少なくとも「嘆き」からは救われているのだろう。
だからと云って背伸びも出来ず私はありのままを貫くしかない。
明日も書きたい。意欲は高まるばかりであった。
そうして私は試されているのに違いない。
自ら墓穴を掘るようなことだけはしたくなかった。
とにかく今夜は早目に安み明日に備えようと思っている。
まさかこのまま死にはしないだろう。
生きたい生きたい明日も生きたい。
※以下今朝の詩
道
道は未知である 知ってしまえば つまらないではないか
野道はたのしい わくわくとする でこぼこであれば尚更 色んなかたちの石があり 拾うことも出来るのだ
野花は愛らしい 優しい気持ちになる たんぽぽや母子草 見つけてほしくて 待っているだろう
曲がり角には銀杏の木 夏は緑が風に揺れ 秋は黄金色の風が吹く
何処に辿り着くだろう 誰が待っているのだろう
その道は空に続いている
曇りのち晴れ。午後から雷雨の予報だったが上日和となる。
ここ数日より気温が高くなり今日は猛暑日となった。
全国的にも厳しい残暑だったようだ。
週間予報を見ていると彼岸の中日頃から朝の気温が下がりそうである。
20℃を切ると一気に肌寒くなることだろう。
彼岸花も咲き始める頃。やっと秋らしくなるのに違いない。
耳の調子は変わらず特に機械音が聴き取り難い。
例えばガスコンロを点火する時のカチカチと云う音。
換気扇の音も聴こえず電子レンジの音も聴こえないのだった。
ネットで調べてみると日が経てば自然に治ると書いてあったが
このまま耳の遠いおばあさんになってしまうかもしれず不安でならない。
一日でも早い方が良いだろうと思い耳鼻科のある病院に電話してみたら
医師が非常勤のため来週まで診察が出来ないのだそうだ。
市内に個人病院もあるのだが水曜の午後は休診だと云う。
仕方なく今日は諦め来週まで様子を見ることにした。
治っていればそれに越したことはなく我慢するしかないだろう。
以前に声が出なくなった時に親身になってくれた医師に頼りたい。
仕事は昨日とは打って変わって順調に捗る。
義父が待機してくれており車検が二台完了したのだった。
大型車の一般修理も入庫しており義父が部品の手配をしてくれる。
何と心強いことだろうか。目の前が一気に明るくなった。
既に来月の車検予約も入り始めておりしばらくは忙しくなりそうである。
仕事さえあれば入金があるはずだがそうは問屋が卸さない。
即金で支払ってくれるお客さんもいればなしのつぶてのお客さんもいる。
「ある時払いの催促なし」がまかり通るのであった。
ひたすら耐えるしかないがそそろ大口の支払いが迫っており
「細腕繁盛記」にも限界の影がチラつき始めている。
言葉は悪いが「なにくそ」と思う。ここで負けるわけにはいかない。
とにかく毎日自転車を漕ぎ続けていかなければならないのだった。
2時半に退社。サニーマートまで帰り着くとお財布が見当たらない。
確かにバックに入れたはずだが忽然と消えているのである。
事務所に置き忘れたかもしれず義父に電話したが見つからなかった。
焦りまくっていたがはっと思い出したのは帰り道の自販機である。
あまりの暑さに「いろはす」を買ったのだった。
お財布は助手席の足元に転げ落ちていたのである。
「さあ半額、半額」と勇ましく店内に突入したのは云うまでもない。
今日は蛸とサーモンのお刺身をゲットし嬉しくてならなかった。
5時になれば娘様さまで今夜も率先して作ってくれる。
夫は蛸の刺身でビールとハイボールも復活しもうほぼ完璧である。
しかし「大の里」が負けてしまいしょんぼりと肩を落とす。
「あーあ」と嘆いて茶の間に引き籠ってしまった。
さあお風呂と浴室へ行けばお湯が溜まっていないのである。
シャワーで済まそうかと思ったが給湯しながら入ることにした。
5分もすれば溜まるので少しずつの掛け湯である。
洗髪は苦手で今日も足を踏ん張ることが出来ない。
やっとの思いで髪を洗えばそれなりにさっぱりと気持ちが良かった。
今朝の詩も昨日と同じで書いてしまうまで意味不明である。
いったい何を書こうとしているのか全く分からないのだった。
だからと云って途中で投げ出すことなどどうして出来ようか。
自分を信じるしかなくきっと辿り着くと思うしかない。
書き終えてから題を付ける。「身分」と云う詩になった。
私のような日陰の身にも相応しい花がきっとあるのに違いない。
※以下今朝の詩
身分
きらびやかな衣を纏い それは静々とやって来る
何と気高いことだろう 畏れ多いことこの上なく 私はかしづかねばならない
一輪の花をそっと手向けた 野で見つけた秋の花である 清楚であることはうつくしく 相応しく思えたからであった
花影に寄り添えば花と咲く 花びらとなればそれは儚い 一生のことだと思うからこそ 精を尽くさねばならないのだ
貶められ蔑まれても 同じ「いのち」なのに違いない
私にも相応しい花がきっとある
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