ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年09月19日(金) 彼岸花が咲いた

薄日が射していたが山里ではにわか雨が降る。

暑さが和らぎずいぶんと涼しさを感じた。

全国的にも猛暑日となった地域はなく

一気に秋らしくなったようである。

暑さ寒さも彼岸までとはよく云ったものだ。


そんな季節を知っているのだろう彼岸花が咲き始める。

田んぼの畦道に多く咲き何とも鮮やかであった。

「死人花」とも呼ばれ血のように紅い花であるが

根に毒があり昔から「モグラ除け」として植えられていたようだ。

私は子供の頃から怖くてならず未だ触れたことがない。

それは祖母からの教えで大人になっても忘れることが出来なかった。

しかし祖母が死んだ日に見た「紅い道」は心に焼き付いたように目に浮かぶ。



昨夜は安定剤を服用し8時にはもう床に就いていたが

熟睡したにも関わらず今朝も血圧が下がってはいなかった。

170を超えると流石に怖ろしくまた安定剤を服用する。

そうしてしばらくしてから計測したら少しだけ下がっていた。

夫からは神経質になり過ぎだと叱られどうしようもない。

もっと大らかな気持ちでのほほんとしているべきなのだろう。

気にし過ぎると血圧は上がる。それは精神的なものであった。


仕事は忙しくもう血圧どころではない。

義父が精力的に動いてくれて全てのことが順調であった。

一日車検も入庫しており3時には整備が完了する。

明日の予約のお客さんも早めに来てくれて受け入れも済んだ。

義父が「明日は休めるぞ」と云ってくれて何とほっとしたことだろう。

自分では仕事のつもりで覚悟を決めていたのだった。

残業になり帰宅が遅くなってしまったが心地よい達成感である。

娘に夕食の買い物を頼んであったらあれこれと買って来てくれていた。

しかし娘も風邪気味となり鼻水が止まらなくなっている。

元を正せば私の風邪であるが感染力の強さに驚くばかりであった。

たかが風邪ではなかったのだ。孫達にまで及ばなければ良いがと願う。



今朝は久しぶりに「昭和シリーズ」の詩が書けた。

幼馴染の「まやちゃん」の詩である。

しかしこれも書こうと思って書いた詩ではなかった。

ただ何となくまやちゃんを思い出したのだった。

書いてしまえば懐かしくてならず会いたいものだなと思う。

60年の歳月が流れた。まやちゃんは元気にしているだろうか。

私のことを忘れずにいてくれたらそれだけで十分に思う。

思い出は一生残るが再会は叶わないのが世の常なのかもしれない。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


     みつあみ

 まやちゃんの髪は長くて
 いつもみつあみにしていた
 毎朝お母さんが編んでくれるようだ

 くりくりっとした瞳に長い髪
 まやちゃんはお人形さんみたいに
 可愛らしくてたまらない

 私はいつもおかっぱあたま
 ちびまる子ちゃんみたいだ
 刈り上げにしていたから
 首筋のあたりがすうすうする

 夜になったらまやちゃんは
 みつあみをほどくのだろう
 くるくるっとなっているのか
 一度見てみたいなと思った

 「おはよう」の朝が来る
 まやちゃんと一緒に学校へ行く
 みつあみに小さなリボンをしてあり
 何だか自分のことのように嬉しい

 みつあみが揺れている
 スキップをしているようだった

 まやちゃんはお人形さん
 私はこけしみたいな朝のこと




2025年09月18日(木) 明日も生きたい

概ね晴れ。相変わらずの暑さであったが猛暑日には届かったようだ。

しかし関東や東海では37℃を超える猛暑日が続出している。

ゲリラ豪雨もあったよう茨城では道路の冠水や竜巻の被害もあったそうだ。

日本中で一日たりとも平穏な日がなく何とも気の毒でならない。


耳の調子は少し良くなったように思うのだが

今夜は血圧が異常に高くなっている。

仕事が忙しかったのでおそらく疲れが出ているのだろう。

今夜は早目に切り上げて床に就いた方が良さそうだ。


今朝の詩も相変わらずでいったい何を書こうとしていたのか。

ただ私には珍しく少し明るい詩になってしまった。

書き終わった時の何と清々しいことだろう。

毎朝こんな詩を書きたいものだと思った。


例の詩人さんが今日もリポストをしてくれており励みになる。

とある詩の雑誌の選者をしていたこともあるのだそうだ。

私のような無名の者でも目に留まるのなら奇跡のように思える。

少なくとも「嘆き」からは救われているのだろう。

だからと云って背伸びも出来ず私はありのままを貫くしかない。


明日も書きたい。意欲は高まるばかりであった。

そうして私は試されているのに違いない。

自ら墓穴を掘るようなことだけはしたくなかった。


とにかく今夜は早目に安み明日に備えようと思っている。

まさかこのまま死にはしないだろう。

生きたい生きたい明日も生きたい。


※以下今朝の詩


    道

 道は未知である
 知ってしまえば
 つまらないではないか

 野道はたのしい
 わくわくとする
 でこぼこであれば尚更
 色んなかたちの石があり
 拾うことも出来るのだ

 野花は愛らしい
 優しい気持ちになる
 たんぽぽや母子草
 見つけてほしくて
 待っているだろう

 曲がり角には銀杏の木
 夏は緑が風に揺れ
 秋は黄金色の風が吹く

 何処に辿り着くだろう
 誰が待っているのだろう

 その道は空に続いている



2025年09月17日(水) 身分不相応

曇りのち晴れ。午後から雷雨の予報だったが上日和となる。

ここ数日より気温が高くなり今日は猛暑日となった。

全国的にも厳しい残暑だったようだ。


週間予報を見ていると彼岸の中日頃から朝の気温が下がりそうである。

20℃を切ると一気に肌寒くなることだろう。

彼岸花も咲き始める頃。やっと秋らしくなるのに違いない。


耳の調子は変わらず特に機械音が聴き取り難い。

例えばガスコンロを点火する時のカチカチと云う音。

換気扇の音も聴こえず電子レンジの音も聴こえないのだった。

ネットで調べてみると日が経てば自然に治ると書いてあったが

このまま耳の遠いおばあさんになってしまうかもしれず不安でならない。

一日でも早い方が良いだろうと思い耳鼻科のある病院に電話してみたら

医師が非常勤のため来週まで診察が出来ないのだそうだ。

市内に個人病院もあるのだが水曜の午後は休診だと云う。

仕方なく今日は諦め来週まで様子を見ることにした。

治っていればそれに越したことはなく我慢するしかないだろう。

以前に声が出なくなった時に親身になってくれた医師に頼りたい。



仕事は昨日とは打って変わって順調に捗る。

義父が待機してくれており車検が二台完了したのだった。

大型車の一般修理も入庫しており義父が部品の手配をしてくれる。

何と心強いことだろうか。目の前が一気に明るくなった。

既に来月の車検予約も入り始めておりしばらくは忙しくなりそうである。


仕事さえあれば入金があるはずだがそうは問屋が卸さない。

即金で支払ってくれるお客さんもいればなしのつぶてのお客さんもいる。

「ある時払いの催促なし」がまかり通るのであった。

ひたすら耐えるしかないがそそろ大口の支払いが迫っており

「細腕繁盛記」にも限界の影がチラつき始めている。


言葉は悪いが「なにくそ」と思う。ここで負けるわけにはいかない。

とにかく毎日自転車を漕ぎ続けていかなければならないのだった。


2時半に退社。サニーマートまで帰り着くとお財布が見当たらない。

確かにバックに入れたはずだが忽然と消えているのである。

事務所に置き忘れたかもしれず義父に電話したが見つからなかった。

焦りまくっていたがはっと思い出したのは帰り道の自販機である。

あまりの暑さに「いろはす」を買ったのだった。

お財布は助手席の足元に転げ落ちていたのである。

「さあ半額、半額」と勇ましく店内に突入したのは云うまでもない。

今日は蛸とサーモンのお刺身をゲットし嬉しくてならなかった。


5時になれば娘様さまで今夜も率先して作ってくれる。

夫は蛸の刺身でビールとハイボールも復活しもうほぼ完璧である。

しかし「大の里」が負けてしまいしょんぼりと肩を落とす。

「あーあ」と嘆いて茶の間に引き籠ってしまった。


さあお風呂と浴室へ行けばお湯が溜まっていないのである。

シャワーで済まそうかと思ったが給湯しながら入ることにした。

5分もすれば溜まるので少しずつの掛け湯である。

洗髪は苦手で今日も足を踏ん張ることが出来ない。

やっとの思いで髪を洗えばそれなりにさっぱりと気持ちが良かった。



今朝の詩も昨日と同じで書いてしまうまで意味不明である。

いったい何を書こうとしているのか全く分からないのだった。

だからと云って途中で投げ出すことなどどうして出来ようか。

自分を信じるしかなくきっと辿り着くと思うしかない。

書き終えてから題を付ける。「身分」と云う詩になった。


私のような日陰の身にも相応しい花がきっとあるのに違いない。


※以下今朝の詩


     身分

 きらびやかな衣を纏い
 それは静々とやって来る

 何と気高いことだろう
 畏れ多いことこの上なく
 私はかしづかねばならない

 一輪の花をそっと手向けた
 野で見つけた秋の花である
 清楚であることはうつくしく
 相応しく思えたからであった

 花影に寄り添えば花と咲く
 花びらとなればそれは儚い
 一生のことだと思うからこそ
 精を尽くさねばならないのだ

 貶められ蔑まれても
 同じ「いのち」なのに違いない

 私にも相応しい花がきっとある




2025年09月16日(火) びっくり箱

晴れたり曇ったり。山里ではほんの少しだけにわか雨が降った。

そのせいか何と蒸し暑かったことだろう。

気温は33℃だったが江川崎では今日も36℃近くあったそうだ。


秋らしさと云えば「黄花コスモス」で今が見頃である。

朝の道でもあちらこちらに群れ咲いており心が和む。

お遍路さんがふたり、もう「秋遍路」と云っても良いだろう。

真夏の間は少なかったお遍路さんも少しずつ増え始めている。

しかしまだ熱中症の危険があり命がけの旅にも思えるのだった。



今朝は目覚めるなり耳がよく聴こえない。

鼻風邪の後遺症で耳に何らかの炎症が起こっているようだった。

「突発性難聴」やもしれず耳鼻科を受診したかったが

三連休明けでどうして仕事を休むことが出来ようか。

幸い風邪の症状は治まっているので数日様子を見ることにした。

早ければ明日にでもと思うが仕事はどうなることだろう。

半日でも休めばまた義父が慌てふためくに違いない。


仕事は車検が入庫しており順調に整備は完了したが

義父に来客があり車検どころではなくなってしまう。

同じ米農家仲間さんで「百姓談義」のそれは長いこと。

義父も話し相手が欲しかったのだろう延々と話し続けていた。

昼食も摂らずに3時前まで。これは駄目だなと諦めて退社するしかない。

明日も車検の予約が入っており義父次第であった。

何としても助けて貰わなければにっちもさっちも行かなくなる。


4時過ぎに帰宅。夫と一緒に大相撲を観ていたが

いつの間にか寝てしまい「おい5時だぞ」と起こされる。

三連休の間、目が腐るほど寝たのにいったいどうしたことだろう。


5時になれば娘が率先して夕食の支度をしてくれ大助かりである。

今日は半額品のオンパレードで娘も驚いていた。

夫は戦利品のベビーホタテで早速ビールを飲み始める。

いつもはハイボールも飲むのだがまだ飲みたくないそうで

本調子ではない様子に少し心配になった。

風邪は万病の素である。夫だけではなく私も用心しなければならない。

難聴が長引けばと思うと少し不安になった。


夜明け前の詩は相変わらずで「昭和シリーズ」が書けなくなっている。

おそらくもう限界だと思うのだがある日突然もあるだろう。

書こうと思って書いていないのでまるで「びっくり箱」であった。

今朝も何も考えずに書き始めてしまったら「ゆでたまご」になったのである。

「なんじゃこりゃ」と書いた本人もびっくり仰天であった。


詩作は面白い。愉しくてならない。

古希のおばさんは詩を書きながらいつも生き生きとしているようだ。


※以下今朝の詩


   ゆでたまご

 こつんと音をさせて
 それは剥がれていく

 つるつるとした膜があり
 ぬるりと絡みつくのだが
 そのような執着を
 一気に剥がさねばならない

 私はもう茹でられてしまった
 あの熱さは言葉には出来ない

 苦しくても叫べない
 痛くても泣けはしない

 運命だとしたらいったい
 誰が決めたのだろうか

 いのちがまあるく固まる
 すべすべとした手触りに
 満たされてしまえば
 もう何も怖いものなどない







2025年09月15日(月) あと20年

晴れのち曇り。午後には雷雨予報だったが降らずに済んだ。

9月も中旬だと云うのに全国の28地点で猛暑日だったとのこと。

江川崎も含まれており36℃を超えていたようだ。

今週末には彼岸の入りである。せめて朝晩だけでもと涼しさを願う。


「敬老の日」であったが私達夫婦にはまだ少し早いようで

地区の「敬老祝い」は75歳からであった。

お赤飯もしくは商品券を配るのが習わしである。

高齢者の多い地区のことで今日は笑顔の一日になったことだろう。


夫はまだ咳が続いており本調子ではない様子だったが

食欲はあるようでお昼には「ところてん」を食べた。

高知のところてんは鰹出汁のつゆを掛けて食べるのが一般的で

全国でも珍しい食べ方のようである。

私は冷凍炒飯をこじゃんと食べてお腹がいっぱいになっていた。

らっきょうも食べられるようになりすっかり本調子である。


午前中に2時間、午後は4時間も寝て我ながらよく寝ること。

夢に姑さんが出て来て気になったがお線香を上げには行かなかった。

「敬老の日」には菓子折りを届けていたので思い出したのだろう。

折り合いの良くなかった姑さんであるが夢の中ではいつも笑顔である。


大相撲を観ながら娘と夕食の支度をする。

娘がお素麺を湯がいてくれて私は鰹のタタキを作った。

夫はビールを飲み始めて大相撲に釘付けである。

まるで平和を絵に描いたような夕暮れ時であった。

そんな絵を塗りつぶしたくないと誰だって願うのに違いない。


今朝は百歳の詩を書いた。目標は88歳の米寿であったが

あと20年足らずだと思えば何と儚いことだろう。

日々をひたすら織り続けているが糸が足らなくなるかもしれない。

若い頃の20年と老いてからの20年は雲泥の差に思える。

若い頃なら好きな色の糸を買い求めることも出来るが

今となっては手元に残った糸を使い切らなければならない。

そうして一枚の布に仕上げていくのが私の使命だと思っている。

穴が開いていれば繕わなければならない。

みずぼらしい最期であってはならないと苦労を惜しまないのであった。


一日が終われば一日が縮む。織り進む布をそっと広げて見れば

もう十分に生きたようにも思えるこの頃であった。


※以下今朝の詩


     百歳

 「百まで生きたらいいだろな」
 敬老会で園児たちが歌ってくれた
 あやちゃんとめいちゃんの声もする

 その頃の私は長生きをすることより
 ぽっくり死ぬことばかり考えていた

 ある日突然の死ほど不安なことはなく
 何ひとつ心構えが出来ないのだった

 身体から魂がすうっと抜けていく
 いったいどんな感覚なのだろう
 戻りたくても戻れないことは
 生きたくても生きられないこと

 春だろうか秋だろうかとおもう
 桜の花が溢れんばかりに咲いて
 秋桜が風に揺れているのがいい

 「おばあちゃーん」と声がする
 その時にこそ振り向かねばならない

 百を数えるのはむつかしい
 途中で間違えてしまいそうだ

 もう十分に生きたのかもしれない
 記憶の波が押し寄せて来て
 足元の砂がすうっと引いていく





2025年09月14日(日) めいちゃんの詩

午後7時、外気温はまだ30℃あり昼間の暑さを物語る。

日中は蒸し暑さの上に35℃を超す猛暑日であった。

そんな暑さの中、市内では「不破八幡宮」の大祭が執り行われ

同時に「よさこい四万十」の催しもあった。

大祭は昔から「八幡さん」と呼ばれており

日本でも珍しい神様の結婚式があることで有名である。

男神輿と女神輿がぶつかり合う様は結婚とは云い難いが

その「ふれあい」を結婚としたのだろうと思われる。

古くからの伝統行事でとても縁起が良い祭りであった。


「よさこい四万十」は「よさこい祭り」のミニバージョンであるが

県内各地から59チーム3200名もの踊り子が参加していたそうだ。

一目見たかったが出掛けることは出来ず残念であった。

どんなにか多くの見物客で賑わったことだろう。



今朝は幸い夫の熱が下がっておりほっと胸を撫で下ろす。

しかしまだ食欲がなく朝食は食べられなかった。

寝ていることを勧めたが起きて茶の間で過ごすと云って聞かない。

昼食には少し食欲が出て来て冷やし中華を食べることが出来た。

咳と鼻水は続いているがゆっくりと恢復しているようで何よりである。


買い物に行った時にめいちゃんの好きな「シャインマスカット」を買い求めた。

バースデーカードを添えてテーブルの上にそっと置いておく。

それを見つけためいちゃんの何と嬉しそうな顔だったことだろう。

「おばあちゃんありがとう」と笑顔溢れるめいちゃんに会えた。

早いものでもう11歳の誕生日であった。

やがてめいちゃんも少女の階段を上り始めることだろう。


今日から大相撲秋場所が始まり夫には元気が戻って来る。

目を輝かせて観戦している姿はまさに「風邪知らず」であった。

お刺身用の「びんよこ」で「ひっつけ寿司」を作る。

夫は大喜びで何とビールまで飲むのであった。

これにはびっくりで一気に風邪が吹っ飛んだようである。


娘達はてっきり外食だと思っていたのだが

あれこれとご馳走を買い込んできており部屋でパーティーをしている。

私と夫は部外者でありその疎外感はやはり寂しいものであった。

しかし娘達にとっては家族水入らずが一番なのだろう。

先ほどめいちゃんがお皿にケーキを載せて持って来てくれた。

娘が気を遣ってくれたのかもしれないが思いがけずに嬉しくてならない。

娘達には守り抜きたい暮らしがある。私達は踏み込んではいけないのだ。

荒らすことは容易いがそれをしてしまえば後悔しかないのだと思う。

それぞれの暮らしを尊重することそれが一番の安泰に繋がるのである。


今朝はめいちゃんの詩を書いた。

胸に熱いものが込み上げて来てほろりと涙がこぼれそうだった。


※以下今朝の詩


     めいちゃん

 11年前の今日のことである
 娘が二人目の女の子を産んだ

 名前は生まれる前から決めており
 トトロの「めいちゃん」であった

 めいちゃんはミルクをいっぱい飲んで
 元気にすくすくと大きくなった

 少し癇癪持ちは娘譲りで
 泣き始めると火が点いたように泣く
 よしよしと何度抱きしめたことだろう

 乳児保育園から保育園へ
 そうして小学校へ通うようになる
 薄紫色の大きなランドセルが
 やがて小さく見えるようになった

 絵を描くのが好き手紙を書くのが好き
 レモンが好き葡萄が好き梅干しが好き

 「家族」の絵を描くと真っ先に
 おじいちゃんとおばあちゃんを描いてくれた

 何と優しい子に育ってくれたのだろう
 目に入れても痛くないと思うのだけれど
 もう目に入れられないほど大きくなった

 どんな未来が待っているのだろう
 二十歳になっためいちゃんに会いたい








2025年09月13日(土) 一心同体

早朝には小雨が降っていたが日中は思いがけずに晴れる。

真夏日となりとても蒸し暑い一日だった。

しかし吹く風のなんと心地良いことだろう。

ささやかな秋の気配を感じほっと空を仰いでいた。


体調はまずまず。食欲はあまりなかったが

熱もなく鼻水が治まっただけで随分と楽になった。

義父からも連絡がなく心置きなく休むことが出来た。

カーブスも休み10時頃までごろごろと寝て過ごす。


夫がお昼に「ばってら寿司」を食べたがり買い物に行く。

サニーマートのばってらは柚子が効いていて美味しいのだ。

ばってらだけでは物足らないと云うのでお蕎麦も湯がいた。

夫はお昼からビールも飲み上機嫌である。


昼食後もひたすら寝て過ごし目覚めればもう4時であった。

すると夫の様子がおかしい。鼻水と咳が出始めており倦怠感を訴える。

熱を測れば38℃あり夫にとっては高熱であった。

「俺はもういかんぞ」とすっかり弱気になっている。

私の風邪薬と解熱剤を飲み直ぐに寝室に向かったのだった。


たかが風邪と思っていたのでまさかうつるとは思ってもいなかった。

夫も高齢になり抵抗力も薄れていたのだろうと思う。

それにしてもお昼にはあんなに元気だったのにと驚くばかりである。


娘達は夕食不要とのことで何も作らず独りで細々と夕食を食べた。

昨夜のロールキャベツが一個だけ残っておりとろとろと美味しい。

ノンアルビールで喉を潤しそれだけでもう十分に思う。


汗で髪の毛がねばねばしていたのでお風呂で洗い流した。

もうこれで完璧だと思う程さっぱりと気持ち良い。

弱り切っている夫には申し訳なかったが

せめて私だけでも元気にならなければと思う。

3連休で何よりである。夫も連休明けには恢復しているだろう。


どうやら一心同体の夫婦であるらしくそれも愉快に思える。

コロナの時もインフルの時も二人で寝込んだことを思い出す。

それだけ仲睦まじいのだろう。辛い時はいつも一緒であった。


思い起こせば苦労の多い人生だったが

言葉で励まし合うことはなくても寄り添う心があったのだと思う。

貧乏のどん底で二人して耐え子供達を育てたことが忘れられない。

夫はいつも逞しかったのだ。そんな歳月が「宝物」のように思える。


以下は今朝の詩だが書きたくてならなかった割に出来が悪かった。

SNSでの評判も悪く少し落ち込んでいる。

お目汚しになるだけですが読んで頂けたら幸いです。


     河口

 深いようで浅いのである
 重いようで軽いのである

 それを持て余してしまえば
 あっけらかんと生きるしかない

 大雨が降れば大河は濁る
 強い風が吹けば白波を立てる
 その流れに逆らってはならない

 上流から河口へと流れ着けば
 押し寄せて来る海があるのだ

 潮が香り沖からの風が吹いている
 その真っ只中に立ってみるがいい

 全てのことが些細な事だったのだ
 あっけらかんと生きるしかない


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