台風15号の接近でかなりの雨が降る。
今は止んでいるが明日の朝にかけてまた大雨になりそうだ。
暴風圏内のない台風だそうで風は大したことがないかもしれないが
台風には違いなく用心に越したことはないだろう。
怖いのは雨で線状降水帯が発生するかもしれないとのこと。
各地に水害がないことを祈るばかりである。
仕事はほぼ順調であったが雨が工場に降り込むためシャッターを閉めた。
私も早めに退社したが帰り道の雨の何と凄かったことだろう。
前が見えないほど降るとさすがに怖くてならない。
市内まで戻ると小雨になりとてもほっとする。

幸い稲刈りは昨日で終了。義父の機嫌がとても良かった。
今日は荷造りかと思っていたが工場の仕事を手伝ってくれる。
同僚は一般修理をしていたが義父のアドバイスが必要であった。
手取り足取りではなく同僚にヒントを与えるのが義父の方針である。
見ているととても微笑ましい。同僚も素直に従い師匠と弟子であった。
3時過ぎには帰宅していてテレビの台風情報を見ていた。
そのうち眠ってしまったらしく目覚めればもう5時である。
娘が「今夜は何かね?」と訊いてくれ献立を告げると直ぐに作り始めた。
誰に似たのか手際よくちゃちゃっと作ってくれて大助かりである。
思い起こせば中学、高校と「帰宅部」だったのでよく手伝ってくれた。
バスケットをしていたのだが膝を痛め運動が出来なくなってしまったのだ。
諦めるのは辛かったと思うが我が家の「料理部」に入部した。
それからかれこれ30年だろうか。娘はもう立派な主婦である。
私も13歳から主婦をしていたが全て見よう見真似であった。
母の味を思い出しては同じ味にするのに苦労したものである。
父も弟も喜んで食べてくれたのがとても嬉しかった。
「やれば出来る」のである。そうして自信をつけて行く。
今朝も「昭和シリーズ」の詩を書くことが出来たが
読み返せば何だか涙が出そうになるのだった。
先日義父は「運命」だと云ったがその歯車が目に浮かぶ。
歯車は軋み音を立てながら回っていたのだろう。
誰もが傷ついたがそのおかげで今の幸せがあるのだと思う。
「おとうさん」と呼べばもう義父しかいない「いま」であった。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
むっちゃん
父の狩猟仲間に 「むっちゃん」と云う青年がいた すぐ近所だったので しょっちゅう遊びに来て 父とお酒を酌み交わしていた
私にはギターを教えてくれたり リカちゃん人形を買ってくれたり 優しくて大好きなおにいちゃんだった
今思えば母も好きだったのだろう むっちゃんが来てくれた夜には 腕を振るいご馳走を作っていた
父と母が喧嘩を始めると 父の暴力は凄まじくて怖ろしい 母が殺されるのではないかと思った
むっちゃんは母を庇った まるで楯のようになり母を守ったのだ 母は決して涙を見せない いつも歯を食いしばって耐えていた
もう半世紀以上も昔のことである 歳月の嵐は荒れるばかりで そこには運命が渦巻いていた
いま私はむっちゃんのことを 「おとうさん」と呼んでいる
曇りのち雨。沖縄付近にある熱低がまた台風に変わるようだ。
前回の台風と同じであらあらと云う間に通り過ぎてしまうのだろうか。
高知県は明日大雨の予報になっているがどうなることやらである。
直撃となれば用心に越したことはないが特になにもせずに過ごしていた。
毎日のように日本の何処かで災害級の豪雨が降っている。
今日は秋田で冠水被害があったようだ。
農作物の被害も多いことだろう。何とも気の毒でならない。
稲刈りは昨日で終ったと思っていたのだが
まだ少し残っていたらしく義父がそわそわと落ち着かない。
空模様を見ながらであったが今日こそ最後の稲刈りであった。
ちょうどお昼のことで同僚はお昼休みをしており
トラックで籾を運ぶ役目を私が引き受けた。
幸いオートマの軽トラックがあり私でも運転が出来る。
足が不自由になってからクラッチが踏めなくなってしまったのだ。
稲刈りを見るのはけっこう面白いもので興味深く眺める。
義父の操るコンバインが右往左往し田んぼを縫うように走って行く。
3分の一ほど刈ればもうトラック一台分のお米が獲れた。
しかし天は味方してくれず雨が降り出してしまったのだ。
義父が大声で叫んでおり稲刈りは中止かと思ったのだが
小雨決行となりコンバインは走り続けている。
籾を大急ぎで工場まで運び同僚とバトンタッチをした。
車検整備をしていたのだがそれどころではない。
「お米さまさま」なのである。義父を一番に助けてやらねばならないのだ。
会社の危機を救ってくれたのは義父であり「お米様」であった。
同僚が籾を運び始めると手際よく乾燥機に入れてくれる。
そうしてまた直ぐに田んぼへと向かって行く。
雨は小雨で降ったり止んだりだった。何としても終らせてやりたい。
気になって仕方なかったが3時までに整形外科に行かねばならなかった。
今日はリハビリ後に診察もありキャンセルは出来ない。
まして私が待機していても何の役にも立たないのである。
明日になればきっと上機嫌の義父に会えるだろう。
とにかく毎日義父の顔色を窺っている身にはそれが一番であった。
昨日とは打って変わって今日は体調が良く何よりに思う。
死ほど身近なことはなく生きていることが嬉しくてならない。
このままずっと長生きが出来たらどんなに良いだろうか。
目標は88歳の米寿である。あと20年もあるのか
あと20年しかないのかのどちらを選べば良いのだろうか。
神様は指折り数えている。その指に私の指を足したいと思う。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
紙芝居
6年生になると 1年生の教室に 紙芝居を読みに行く その時間がとても好きだった
ちいさな子等が一斉に くりくりとした瞳を輝かせ わくわくしているのが 伝わって来て嬉しくてならない
私は大きな声で読んだ まるで大人のような気持になり テレビ漫画の声優みたいだった
叫んだり泣いたりする 笑う時には思いっきり笑う
教室の真ん中に座っていた 男の子と目が合った 何と素直で純真なのだろう その輝く瞳に胸が熱くなる
読み終わると一斉に拍手が聴こえた それはまるで爽やかな風のようで 何と清々しく心地よかったことか
物語は終ってしまっても いつまでも消えない記憶である
夏があがいているような暑さでほぼ猛暑日となる。
風もなくただただ陽射しの一日であった。
ちいさな秋も諦めかけていたが国道から山道に入るなり
真紅の鶏頭の花が見事に咲いているのを見る。
ちょうど遍路石の傍らで毎年目にする光景であった。
かつて地元の人が植えていたのだろう。
草に埋もれることもなく綺麗に手入れをしている。
お遍路さんの心もきっと和むに違いない。
職場に着くなり今朝も籾摺り機の音が鳴り響いていた。
乾燥機の籾はあと一機となっておりもう少しである。
しかし「いもち病」のせいか屑米がとても多いのだそうだ。
それは30キロの小袋に詰めなくてはならず手間が掛かる。
もちろん食用にはならず鶏などの餌になるらしい。
一袋千円とか。僅かな金額であるが売れるに越したことはない。
午後は稲刈りに。とうとう早稲米の最後の収穫である。
3時間もあれば済むだろうと義父一人で出掛けたが
トラックで籾を運ばねばならず同僚が手伝うことになった。
工場の仕事が一段落しており何よりに思う。
私は記帳の仕事をしていたが頑張り過ぎたのか肩が重くなった。
首の後ろに痛みがありどうやら血圧が高くなっているらしい。
黒酢を飲んだりリポビタンも飲んでみたがしんどくてならない。
3時前に退社したが運転中に倒れるのではないかと不安になる。
もし意識が無くなったらどうなるのだろう。
そのまま死んでしまうかもしれないと怖くてならなかった。
何とか買い物を済ませ帰宅するなり安定剤を服用する。
そのまま5時前まで寝ていたが一向に楽にならない。
血圧は164と少し高めであったが普段とさほど変わらなかった。
神経質になっていたのだろう。とにかく肩の力を抜かなければと思う。
夕食後いつもの血圧の薬と鎮痛剤を服用しお風呂に入る。
血の巡りが良くなったのだろうやっと少し楽になっていた。
カーブスへ通い始めてから肩凝りとは無縁であったが
油断をし無理をし過ぎたのかもしれない。
まだ火曜日である。週末まで何としても乗り越えなければと思う。
夏は居座っており季節の変わり目とはまだ実感がないが
そろそろ夏の疲れが出始める頃なのだろう。
体調管理には十分気をつけなければならない。
幸いこうしていつものようにこれを記すことが出来ている。
日記中毒かもしれないが書けないことほど辛いことはなかった。
夜明け前の詩も同じくで大げさかもしれないが「命がけ」なのだった。
書いてこそ生きる。書けなければ死んだも同然に思える。
やがて死ぬのだ。それは明日かもしれない。
けれども一日一日を惜しむように私は生きている。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
放課後
放課後になると まさひろ君がギターを弾いた NSPの歌がとても上手い
「夕暮れ時はさびしくて」 口ずさむと涙が出そうになる
私はもう家に帰らなくてはならない 買い物をして夕飯を作らなくては みんなとは違うのだなと思う
まさひろ君が私の詩に曲をつけてくれた ちょっとNSPに似ていたけれど 真似ではないとまさひろ君は胸を張る
みんなで歌った私とまさひろ君の歌だ その時には絶対に忘れないと思ったのに おとなになるともう思い出せない ただギターの音だけが胸に残っている
夕飯は何にしようかと焦って来る 弟がお腹を空かして待っているだろう
校門を出て振り向くとみんなの歌声が聴こえた 「さようなら」なんて切ない歌なのだろう
校舎の窓から夕陽が見えただろうか 私は台所に立ちフライパンを揺すっていた
名ばかりの9月。爽やかな朝風も何処へやら
昨日よりも気温が上がり今日は猛暑日となった。
入道雲がいきり立っている空。陽射しは迷わずに降って来る。
早朝また川向のお客さんから着信があり「ゴーヤだと」嬉しい。
やっぱり思った通りに大好物のゴーヤだった。
出勤途中に立ち寄ると上半身裸でステテコ姿で待っていてくれる。
「ほーい」とビニール袋を助手席の窓から放り込んでくれた。
ゴーヤだけではなく白い茄子とオクラも入っている。
ゴーヤはきんぴらにすると美味しく白い茄子は豚肉と炒める。
オクラは肉巻きにすると孫達がいくらでも食べるのであった。
メニューが頭に浮かびるんるんしながら職場に向かう。
月曜日だけあって「これは幸先がいいぞ」とほくそ笑んでいた。
それにしても何と有難いことだろうか。
職場に着くなり例の大型車の納車である。
土曜日に同僚が頑張ってくれていて大助かりであった。
お客さんも喜んでくれて何とほっとしたことだろう。
同僚も嬉しかったのか機嫌よく直ぐに次の仕事に取り掛かってくれる。
車検は順調に予約が入っており閑古鳥が鳴くことはないだろう。
とにかく目の前のことを精一杯に取り組んでいかねばならない。
義父は土曜日に稲刈りをしたのだがまだ少しだけ残っているとのこと。
乾燥機がまた満杯になってしまい全て刈ることが出来なかったらしい。
そうなればまた荷造りである。工場には籾摺り機の音が鳴り響く。
大きな一トン袋が所狭しと工場を占領していて何屋さんなのかと思う。
近いうちにまた出荷であった。義父の機嫌も頗る良い。
経理はまたゼロからのスタートであったが仕事さえあればと思う。
小金をこつこつと貯めて「コガネムシ」になろうではないか。
いざとなれば義父が助けてくれるだろうが当てにしてはならない。
ここは何としても自分の采配で乗り越えて行こうと思っている。
やってやれないことはない。やる前から諦めてはいけない。
事務所の冷蔵庫に大きな鮪の切り身が入っていた。
土曜日に義父の友人が持って来てくれたのだそうだ。
入れ歯の具合も良くなり義父も食べられるようになったのだが
「全部やるから持って帰れ」と言ってくれたのだった。
鮪は寝かすほど美味しいそうで今日で3日目であったが
ぷりぷりとした赤身はとても美味しそうであった。
夫はもちろんんこと娘達も大喜びでたらふくご馳走になる。
食べながら義父の顔が目に浮かんだ。義父も食べたかったろうに。
男やもめの夕食を思う。今夜は何を食べたのだろうか。
せめて彼女が来てくれたらと思うが最近は遠ざかっているようだ。
私も話題にしないが義父も何も言わなかった。
午後7時40分、辺りはもうすっかり夜の帳が下りている。
ちょうど半分の月が夜空に輝いていてほっこりと心が和む。
天の国からも月が見えるだろうか。ふっと母の顔が目に浮かぶ夜であった。
※以下今朝の詩
9月
後姿が見えているけれど 名残惜しそうに振り向く
燃え尽きてしまうまで 炎はあとどれくらいだろう 見届けてやらなければ あまりにも憐れであった
夏草の茂る野に一輪の 黄花コスモスが咲いた それはちいさな秋である
白装束の旅人が鈴を鳴らし 峠道を一歩一歩と進んでいる 里には刈り取られた稲株から 孫生えの若い緑が生まれている
夏の背が微かに震えているのを見た 肩にそっと手を添えてやりたい 思い残すことがあってはならないのだ
振り向けば9月の風が吹き抜ける 夏は何かを決心したかのように 真っ青な空を真っ直ぐに見上げた
| 2025年08月31日(日) |
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる |
立春から数えて「二百十日」もうそんなに経ったのかと思う。
春を待ち侘びていたはずだが今は秋を待ち侘びている。
昔から台風シーズンであったが今年は気配すらなかった。
その代わりにゲリラ豪雨と厳しい猛暑が続いている。
今日も名古屋は40℃と信じられないような危険な暑さだったようだ。
9月の声を聞けばと期待ばかりでこの暑さは10月まで続くらしい。
テレビは「24時間テレビ」で見たり見なかったりする。
昨夜は黒柳徹子の青春期のドラマがあり録画してあった。
朝ドラ「チョっちゃん」の続編のように思え見応えがある。
徹子ちゃんが何かを始めようとする度に母親が「いいんじゃない」と云う。
その言葉がとても印象的であった。子供の未来を信じているのである。
好きな道を歩ませてやりたい親ならばそうあるべきだろう。

今朝は思いがけずにとても嬉しいことがあった。
先に朝刊を読んでいた夫が「今週も名前はないぞ」と云ったのだった。
もうずっと長いこと続いており私もすっかり諦めていた。
いったいいつまで踏みにじられるのだろうと嘆くばかりである。
しかしこの目で敗北を確かめなければ気が済まない。
夫は苦笑いをしながら「駄目なもんは駄目じゃ」と云い放つ。
おそるおそる文芸欄を開く。そうしたら短歌が二席に入選していたのだった。
夫はその他大勢の箇所しか見ておらず気づかなかったようである。
そればかりではなかった何と俳句も入選しているではないか。
一気に目の前が明るくなり胸に熱いものが込み上げて来る。
諦めずに投稿し続けた甲斐があった。やっと報われたのだと思う。
「励み」あってこそのことである。失望からは何も生まれない。
どん底に落ちてこそ見える光があったのだろう。
ようは諦めないことだ。これからも精進しようと心に誓った朝だった。
名もない日陰の身であることには変わりなく
今後もそうそう認められることはないのだと思う。
有頂天になってはならない。気を引き締めて歩んでいかなければ
落とし穴は必ずある。スランプだってきっとあるだろう。
あがき苦しみもがいてこそ貫くことが出来るのかもしれない。
そうして葉月が尽く。けれども私は決して尽きはしないのだ。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
鍵
閉じてしまえばそれまでのこと またいつだって開くことが出来る
鍵付きの日記帳であった だからと云って鍵を隠さない それはさりげなく置いておく
父は必ず見るだろう まるで罪を犯すように 開くその背中が目に浮かぶ
いつまでも少女ではいられない 花の蕾が開くとき微かに音がする その音を父に聴かせてやりたかった
恥じらいよりも誇りである 閉じ籠るよりも風に吹かれる そうしてすくっと前を向くこと
日常の何と儚いことだろう 哀しみは空に浮かぶ雲のようだ
父がおどおどしながら私の顔を見た 胸を張らねばならない夕暮れ時のこと
鍵はここに置いておく だからずっと私を見ていて
残り少ない8月を焼き尽くすような暑さ。
夏雲に支配された空からは熱を帯びた風が吹いていた。
全国的にも厳しい猛暑となり三重や埼玉では40℃を超えていたようだ。
とても屋外では過ごせない危険な暑さである。
9月になればと期待せずにはいられないがまだまだ残暑が続きそうだ。
我が家のブロック塀に寄り添うように一輪の黄花コスモスが咲いていたのだが
今朝見るとすっかり枯れており無残な姿となっていた。
犯人は夫で一昨日に除草剤を散布していたらしい。
草引きをして花だけ残すことなど考えもしなかったのだろう。
夫を責めても仕方なく草引きをしなかった私が悪いのだと思う。
しゃがんで作業をすることが出来ない。草一つ引くことが出来ない。
それが悔しく情けなくてならない朝のことであった。

朝のうちにカーブスへ行き心地よく身体を動かして来た。
汗が滴り落ちる。髪の毛は洗ったかのようにびしょ濡れになる。
代謝が良い証拠だとコーチは云うが異常としか思えなかった。
いったいいつからこんなに汗っかきになってしまったのだろう。
昼食後はお昼寝体制に入ったがぐっすりとはいかない。
変な夢ばかり見て何度も目を覚ます。
得体の知れないモノに追い掛け回されるのだった。
逃げても逃げてもどうしようもなく酷く疲れを感じる。
もう寝るのはよそうと自室に籠ったのだが
エアコン無しでは5分と居られなかった。
もう節電どころではなくエアコンに頼るしかない。
8月の電気料は如何ほどだろうと気なってしょうがない。
室内でも熱中症になるのだそうだ。電気料は命と引き換えである。
娘達が夕食不要とのことで今夜は楽をさせてもらった。
「納涼花火大会」がありめいちゃんが浴衣を着て出掛けて行く。
ひまわり模様の浴衣がよく似合っており我が孫ながら可愛くてならない。
目に入れても痛くないと思うが目に入らないほど大きくなった。
四万十市の花火は毎年8月末に行われ正しく「納涼」であったが
夏の終りを彩る花火は何ともせつないものである。
昔、真っ白い花火を見たことがある。
恋をしていたのだろう。涙がほろほろと流れたのだった。
「あのひとに見せてやりたい」もう二度と帰っては来ない夏のことである。
三日月が少しふっくらとしてまるで一切れのオレンジのようだ。
その一切れに手が届かない。そんな当たり前のことが切ない。
花火は一瞬の輝きであり夜空に弾けるとぱらぱらと音を立てながら
あっけなく消えていくのであった。
※以下今朝の詩
秒針
休みたくても休めない ひたすら時を刻み続ける
泣きたくても泣けない 涙で濡らしてしまうから
ぐるぐると同じ処を もう何度目の朝だろうか 春夏秋冬と季節を知らせ 目覚める人を待っていた
雨の朝はすこしせつない 胸がちくたくと痛む ぎゅうっと締め付けられ 息のままに時を知らせた
どんな一日が待っているのか 進んでみないと何も分からない
かなしいことがありませんように つらいことががありませんように 祈り願いながらの日々であった
たとえ壊れてしまっても まるで永遠であるかのように あたらしい朝がやって来る
ずいぶんと日が短くなった。これも秋の兆しだろうか。
西の空にか細く折れてしまいそうな三日月が見えている。
そろそろ秋の虫たちが鳴き始める頃でもあった。
ずっと一晩中彼らは朝陽が射し始めるまで鳴き続けるのである。
朝の山道から鉄砲百合が姿を消した。
枯れても折れることはないと思っていたが草に埋もれたのだろう。
代わりにススキの若い穂が見え始めゆうらゆうらと風に揺れている。
景色が少しずつ夏から秋へと変わろうとしているようだ。
職場に着くなり籾摺り機の音が響いていた。
先日の稲刈りで乾燥機は満タンになっており義父は今日も忙しい。
また明日稲刈りをするのだそうで乾燥機を空けなければならない。
義父の段取りではなく友人達が決めたらしく振り回されている。
しかし手伝ってくれるおかげで成り立っているのだった。
今日は5トンの玄米が出来る。また直ぐに出荷しなければならない。
30キロの小袋ではなく大きな一トン袋に入れるので
手間が掛からず作業はずいぶんと楽なのだそうだ。
それでも付きっきりの作業なので義父もしんどそうに見えた。
おまけに昨夜から入れ歯の調子が悪く歯茎が腫れているようだった。
食事もまともに食べられず今朝はお粥で我慢したらしい。
歯医者さんに行けば入れ歯を削ってくれて楽になるとのこと。
何とか時間を作って行くようにすすめたが素直に頷かない。
お粥さんでは体力が持たないこと、明日は稲刈りで忙しいこと。
こんこんと言って聞かせたらやっと行く気になってくれたのだった。
時間を惜しむよりも自分の身体を一番に守らなければならない。
無理をして倒れるようなことになれば元も子もないのである。
同僚は午前中に車検整備を終わらせ大型車の修理に取り掛かっていた。
明日も休まず出勤してくれるとのことで大助かりであった。
ホワイトボードの土曜日の予定に「がんばれ」と書き残し帰路に就く。
月曜日の朝には何としても納車しなければならない。
義父の手助けが無くてもきっと遣り遂げてくれるだろう。
帰宅して茶の間で横になっていたら珍しくあやちゃんが入って来て
「おばあちゃん餃子が食べたい」と言ってくれたのだった。
きっとテレパシーが通じたのだろう今日は餃子を買って来ていた。
「やったあ」と喜ぶあやちゃんに何だか目頭が熱くなる。
顔も合わさない会話もない日が何日続いたことだろうか。
娘達と同居を始めて昨日で11年が経った。
娘は大きなお腹を抱えあやちゃんはまだ2歳の幼子であった。
懐かしさはもちろんのこと感慨深く思うばかりである。
事あるごとに娘は「いつまでも居ないから」と言っていた。
私も夫も心構えをしもう十分に覚悟は出来ているつもりである。
しかしいつまで経っても出て行く気配がないのだった。
あやちゃんのこともあり今の環境を守りたいのかもしれない。
娘は何も言ってはくれない。それで安心とは思えない複雑な心境である。
ひとつ屋根の下に暮らす家族のようで家族ではないのかもしれない。
ただめいちゃんだけは「家族の絵」を描いてくれて
真っ先に「おじいちゃん」「おばあちゃん」があった。
我が家で生まれ育っためいちゃんももう直ぐ11歳になろうとしている。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
花子
校庭の隅に大きな檻があり 「花子」と云う名の猿がいた
子供達が近づくと嬉しいのだろうか きいきいと啼いてはしゃぎまわる 可愛らしい猿であったがやんちゃで 時々檻から脱走しみんなを困らせた
「花子が脱走したけん外に出ないように」 先生にそう云われても気になってしょうがない
私は外に出てしまった 走り回る花子を見てみたかったのだ
花子がまっしぐらに駆け寄って来る 私は追い詰められて太腿を噛まれた 血がいっぱい出て大声で泣きじゃくる
花子は先生達に捕えられ また檻の中に入れられてしまった ほんとうは山に帰りたかったのだろう 逃がしてやれば良かったのにと思う 独りぼっちの花子が可哀想でならない
噛まれても花子が怖いとは思えなかった 檻に近づくと目をくりくりさせて 私と見つめ合うこともあったのだ
太腿の傷跡はいまもある 花子はもう死んでしまったのだろうか
野山を自由に駆けさせてやりたかった
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