ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年08月25日(月) お米さまさま

薄雲が広がっていたが概ね晴れ。気温もほぼ猛暑日となる。

湿度が高く非常に蒸し暑いことを「溽暑」と云うのだそうだ。

俳句では晩夏の季語とのこと。またひとつ勉強になった。

教養の無い私のような者はとにかく学ばなければならない。


今朝は胃の調子も良く「さあ月曜日」と職場に向かう。

車を停めるなりみい太親子が駆け寄ってきたが

子猫が一緒に居る限り餌を与えてはならず心が痛む。

みい太に私の言葉が分かるとは思えなかったが

話してみると子猫を何処かに連れて行きまた戻って来る。

餌を食べてからそれを吐き出しているのかもしれないが

その現場を見たことはなく子猫の成長が不思議でならなかった。

母猫の姿は見かけず他の子猫も何処かに消えてしまっている。

死んでしまったのならそれほど憐れなことはなかった。


工場はやっと活気を取り戻し今朝も車検の車が入庫する。

義父も午前中に来客があり待機してくれていた。

はるばる奈良から帰省中の人がお米を大量に買い求めてくれる。

「三原米」はブランド米であり奈良では手に入らないのだそうだ。

その代金を大金であったが即金で支払ってくれておどろく。

もっとおどろいたのはその代金をそのまま私に渡してくれたのだった。

例の新車代の引き落とし日が明日に迫っており窮地に立たされていた。

使い込んでしまった穴埋めにと義父が助けてくれたのである。

それだけではなかった。月末の資金にと不足分も出してくれたのであった。

先日出荷したお米代がもう口座に振り込まれていたのだそうだ。

義父の汗と苦労の賜物である。心苦しさもあるが何と有難いことだろう。

「お米さまさまじゃな」と義父の笑顔に救われたように思った。

それもこれも今年の新米が高値で取引された結果である。

消費者には気の毒だが米農家の苦労はそうして報われるのだった。

そうなれば一粒のお米も無駄にせず大切に食べて貰わねばならない。

食品ロスの問題ももっと深刻に受け止めて欲しいと願う。

戦中戦後の食糧難を経験した人は今となればそう多くはないと思うが

白米が食べられずお芋や南瓜が主食だったことを思い出して欲しい。


日本の米農家の平均年齢は71歳なのだそうだ。

あと10年もすればどうなることだろう。

お米を作る若者が増えるとは思えず高齢者ばかりになるだろう。

日本人の主食でありながら作る農家が消えてしまう可能性もある。

義父は後10年と息込んでいるが無理を強いても後5年が限界だろう。

「しんどい、しんどい」が最近の口癖になっている。

もう直ぐ82歳になるのだ。それは当然のことだろう。


会社設立から32年目となったが義父の援助は初めてのことだった。

母は借金ばかりを重ね今もその返済に追われている。

義父の米作りを嫌い言い争いが絶えなかったことを思い出す。

母は義父の優秀な技術を信じ整備士として仕事を全うして欲しかったのだろう。


私は母とは違い義父の米作りを応援していた。

工場が窮地に立たされたことも何度かあったが

最終的にはいつも義父が助けてくれたのである。


「子供が欲しかった、男の子が欲しかった」

今日はふっとそんなことを口にし寂しそうな顔を見せた義父であった。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


      橋

 今は古びた小さな橋である
 川の名は「広見川」
 愛媛県へと流れている

 橋を渡り切ると角に
 魚屋さんがあったのだが
 今は仕出し屋さんになっている

 母は毎日そこで買物をしていた
 「今日は何にしょうかね」と
 私はわくわくと嬉しくてならない

 宇和島の雑魚天を並べたケースには
 コロッケもあり私は大好きだった
 一個だけねと母が買ってくれたのだ

 コロッケを食べながら帰る
 母は自転車を押しながら
 私は今日の出来事を話した
 それは楽しいことばかり

 橋を渡ると製材所があり
 大きな木から山の匂いがする
 やがて駅が見え始めると
 坂道を上りやっと家に帰り着く

 台所に立つ母の背中が見えた
 弟が甘えてしきりに話し掛けている

 父が帰って来ると晩ご飯だった
 まるで絵のような光景が目に浮かぶ

 橋は今もちゃんとあるのだが
 もう帰る家はなくなってしまった

 歩いてみたいといつも思う
 川のせせらぎの音がきっと聴こえるだろう








2025年08月24日(日) 足るを知る

処暑を過ぎてもまだ爽やかとは行かず

今日も関東を中心に39℃越えの猛暑だったようだ。

四万十は猛暑日にはならず幸いであった。

入道雲がまるで千切れたかのように鰯雲に変わる。

風は海からの「沖の風」で辺りの熱を冷まそうとしていた。

長期予報では10月まで暑さが続くとのこと。

秋はつかの間で直ぐに寒い冬がやって来そうである。



目覚めから胃が重くしくしくと痛みがあった。

夏の疲れかもしれないが暴飲暴食が原因に思われる。

らっきょうの食べ過ぎも考えられその上に喫煙が重なる。

胃が痛くても鎖のように吸い続けてしまうのだった。

そうなれば自業自得であるが自分を制御できないのが情けない。


昼食後は胃薬を飲み4時間程ぐっすりと眠る。

それが良かったのか夕方には痛みが消えていた。

夕飯も美味しく食べられらっきょうは3粒に留める。

そうして入浴後の今はちびりちびりと寝酒を呑み始めたところだった。


「いつも通り」が一番に思う。

少しでもいつもと違うことがあると心が悲鳴を上げるのである。

そわそわと落ち着かなくなり心ここに在らずとなるのであった。

幸い平和な日常が続いており何と恵まれていることだろうか。


日々努力をしているつもりだが報われることはないようだ。

そもそも「足るを知る」ことに疎いのも原因だろうと思う。

少々のことでは満たされない欲深い人間である。

たとえば「賞」を貰うように上を上をと望む性分であった。

それこそが「身の程知らず」だともっと思い知るべきである。


ちっぽけな人間である。どれほどもがいても偉大にはなれない。

それが分かっているのにもがき続いている私であった。

老いれば老いるほど焦る。このまま死ぬのかと思う。

この世に何ひとつ残せないまま骨になることだろう。

けれどもいつだって「いま」がある。それが唯一の救いに思う。

今日に栞を挟めばまた明日開くことが出来る「いのち」があるではないか。


※以下今朝の詩

  
    実

 熟せば落ちる
 いつまでも樹に
 しがみついてはいられない

 その実は香る
 甘い匂いに誘われ
 鳥達が啄みにくる

 痛くはなかった
 むしろ心地よい
 誰かのためにと
 誇りにさえ思う

 落ちてしまえば
 腐るしかあるまい
 地面に転がれば
 今度は蟻がやって来る

 食い尽くされる
 もう実は姿を失い
 種だけが残った

 土に還る時が来たのだ

 だいじょうぶ
 まだ生きている



2025年08月23日(土) 年の功

二十四節気の「処暑」暑さが少し和らぎ夏が退き始める頃。

空の雲や風にふっと秋を感じる頃である。

曇り空で蒸し暑い一日だったが猛暑日にはならず

何だかあれほど燃えていた空が鎮まったように感じた。

「これが秋の気配なのか」と心の中で呟く。


カーブス休暇どころではなく山里の職場に向かう。

事務所の扉を開くなり義父が蹲るように座っていた。

膝の痛みが酷く動くのがとても辛いのだそうだ。

湿布や痛み止めの薬はあるがまた下血があれば入院を強いられる。

それだけは避けなければならずひたすら我慢するしかない。

「十二指腸潰瘍」は慢性化しており痛み止め等の強い薬は危険であった。

湿布も同様で体内に薬が浸透するのである。

めったに弱音を吐かない義父だが今朝はすっかり弱り果てていた。

心配でならなかったが何の手立ても出来ないのである。

昨日一回目の出荷が終りどっと疲れが出たのに違いない。

稲刈りはまだ終わっていない。やがてまた次の出荷がやって来る。

つかの間でもゆっくりと休ませてやりたいものだ。


仕事は忙しく義父を訪ねて来るお客さんも多かった。

車検終了の車もあり義父が納車に行ってくれる。

そうなればもう弱音どころではなくなり元気そうに見えた。

「寝よるわけにはいかんぞ」と気丈に振舞うのである。


同僚は二台の車検整備を完了させほっと一息であったが

持病の腰痛が酷くリハビリに行けなかったことを嘆く。

無理をさせてしまったがおかげで仕事が捗り感謝しかない。

何が何でも今日の埋め合わせは必ずするつもりである。

週末になり一気に忙しかったが心地よい達成感であった。

明日はゆっくりと休み来週に備えようと思っている。



昔「処暑」と云う詩を書いたことがあったが

今朝もまた書いてしまった。似ているようで全く違う詩である。

それだけ私も成長したのだろうと思う。

言い換えれば歳を重ねた「年の功」かもしれなかった。

私が実ならもう熟しているのだろう。後は地面に落ちるだけである。

もう鳥に啄まれることもない。地に還るだけの運命だと思う。


※以下今朝の詩

      処暑

 退くことは去ることに似ているが
 振り向きもせず潔くとはいかない

 未練を残してはいけないが
 後ろ髪を引かれる時がある

 茅の穂には陽射しが降り注ぎ
 熱を帯びた風が吹き抜けていく

 夏がたとえば「きみ」ならば
 そろそろ別れの準備をしよう
 開け広げた窓を閉めるように
 僅かの隙間もゆるせはしない

 真っ青な空に散らばる雲は
 切なくもあり哀しくもある
 きみは何かを言い忘れたように
 姿を風に変えようとするだろう

 振り向けば夏であったが
 その背中にもう触れてはならない


















2025年08月22日(金) 臨機応変

雨が降ったり止んだり。気温は30℃に届かず暑さは和らいでいた。

台風12号は午前中に熱低に変わり雨雲が北上していたが

幸い大雨にはならずに済み何よりだった。

けれども上陸した鹿児島県では河川の氾濫があり

家屋の浸水等、大きな被害があったようである。

その上に断水の地域もあるそうで気の毒でならなかった。

決して他人事ではなく明日は我が身である。


山里は運送会社の大型車が来てくれてお米の出荷だった。

若いドライバーさんだったが義父がフォークリフトで積み込む。

雨が降らないうちにと慌てていたのだろう。

フォークリフトからパレットが外れお米が地面に落ちてしまった。

雨は降っていなかったが地面が濡れており大変なことになる。

袋は丈夫に出来ており破れることはなかったが

すっかり汚れてしまってそのままでは出荷出来なくなった。

ドライバーさんにも手伝ってもらいお米の詰め替えをする。

全部で30袋と大変な作業である。

9時から積み込みを始めていたが全てのお米を積み終えるともうお昼だった。

炎天下でなかったのは幸いだったがどんなにか疲れたことだろう。


大型トラックは高知市へ向かう。義父は安堵の表情で見送っていた。

来週早々には代金が振り込まれるのだそうだ。

苦労をした甲斐がありこれで義父も報われるのである。


同僚はやっと出勤して来てくれたがあまりの忙しさに機嫌が悪い。

車検ばかりではなくオイル交換も2台あった。

気疲れもあったのだろう何だかのらりくらりである。

その上に明日は通院のため午前中は休みたいと云う。

内科ではなく整形外科のリハビリがあるのだそうだ。

臨機応変に出来ないものかと思い私は休みを許可しなかった。

お盆休みからの忌引きで工場はもう限界に等しい。

そんな状況が判断出来ない同僚に少し苛立ちを覚える。

もしかしたらまともにボーナスを支給しなかったせいだろうか。

経営難を理解してくれていないのならそれほど悲しいことはなかった。

車検が2台入庫しており明日中に納車しなければならない。

私もカーブスどころではなく出勤することにした。


「臨機応変」と簡単に云うが同僚のようにそれが苦手な人もいる。

あれもこれもと圧し掛かって来るとパニックになるのだろう。

最優先するべきことを一番に選べば良いのだがそれが出来ない。

休みを許可しなかった私は恨まれるかもしれないが

とにかく現状を突破することが一番だと思っている。

一人でも欠けては成り立たない会社であった。

今回の同僚の忌引きでそれを思い知らされたのだった。


角を立てずにまあるく収める。それも私の仕事なのだろう。

明日の風がどうか穏やかでありますように。


※以下今朝の詩


     葛藤

 偽りであってはならないが
 時々嘘をつきたくなるのだ

 優しい言葉には正直である
 それはふわりと舞い降りる
 天使の声なのかもしれない

 「元気そうやね」と言われると
 「元気なよ」と応えるのだった

 日々が葛藤であった
 何としてもと思いながら
 心細くてならないのだ

 誰にも言えないことが増えていく
 それはきっと試されているのだろう

 出来る出来ない出来ること
 呪文のように唱えながら過ごしている

 やまない雨などありはしない
 けれども黒い雲が怖いと思う

 雲間から一筋の光が射した時
 いのちの芯がほんの少しだけ
 真っ直ぐになるのだった



2025年08月21日(木) 雲間から射す光

朝のうちは小雨が降っていたが直ぐに止む。

日中は曇り空でほんの少し暑さが和らいでいた。

驚いたのは台風12号でまったく知らずにいたのだが

熱低が台風に変わるなり鹿児島県へ上陸していた。

明日には高知県へ接近するがまた熱低に戻りそうである。

風雨が強まるかもしれないが警戒心は薄く何の備えもしていない。

「その時のことよ」と夫と語り合ったことだった。


仕事は今日も開店休業となる。

同僚はまだあれこれと用事があるようで無理も云えなかった。

お母さんと二人暮らしだったので全てのことが圧し掛かって来たようだ。

せめて奥さんがいればと思うがそれも仕方ないことである。


義父は高知市で役員会があり出掛けて行った。

独りぼっちも寂しいものでその上に手持無沙汰でならない。

暇つぶしにネットのライブで高校野球見ながら過ごしていた。

来客は三人、一人は先月分の支払いに来てくれて久しぶりに万札を見る。

それも右から左で直ぐに羽根が生えて飛んで行くことだろう。

後の二人は雑談であったが話し相手となってくれて嬉しかった。


2時半過ぎに退社し整形外科へ向かう。

リハビリのみなので医師とスマホ越しに面談したが

「どうした?元気がないぞ」と気遣ってくれたのだった。

仕事もろくにしていないのによほど疲れた顔をしていたのだろう。

たまに精気を失う時があるのだ。心の何処かが故障してしまう。

お盆休みからこっちもう8日もまともに仕事をしていない。

やはり貧乏性なのだろう。私は忙しいのが好きであった。

リハビリはいつもの手順であったが一つだけ違う施術がある。

U君が私の様子を見ながら考えてくれたのだと思う。

その施術が効いたのか痛みが全く無くなっていたのだった。

一瞬直ったのかと思うほど颯爽と歩ける。

まるで夢を見ているようで天国にいるような気分になる。


帰宅して夫に話せば一時的なものだろうと笑い飛ばされてしまう。

しかしこの日記を書いている今も殆ど痛みを感じないのだった。


暗い道ばかりではないのだと思う。

光は誰にでも分け隔てなく降り注ぐものであるべきだ。

「私のような者」にも雲間から射す光があり眩しくてならない。


※以下今朝の詩


     羽根

 コオロギだろうか
 秋の虫がしきりに鳴いている
 羽根を擦り合わせているのだそうだ
 それは鳴くと云うよりむしろ
 奏でていると云うべきであろう

 にんげんには羽根がないが
 どうして泣くのだろう
 辛い時や悲しい時ばかりではない
 嬉しい時も泣くことが出来る
 もしかしたらこころのなかに
 羽根があるのかもしれない

 胸が熱くなるこころが震える
 その時だけ羽根が生じるのだ

 私の羽根は古びているらしく
 母が死んでも泣かなかった
 擦り合わす羽根が千切れて
 こころの襞に絡みついていたようだ

 おもいっきり泣きたい時がある
 絡みついた羽根を引き剥がそうとする
 ずいぶんと永いこと生きて来たが
 羽根のことを考えない日はなかった




2025年08月20日(水) 夢の中へ

今日もほぼ猛暑日の厳しい残暑となった。

帰宅時には途中から大雨となったが市内は降っていなかった。

局地的な雨は各地で降っており秋田や青森では河川が氾濫したようだ。

今夜から明日未明にかけて線状降水帯が発生する怖れがあり

これ以上の被害がないことを祈るばかりである。


山里は予定通りの稲刈り。義父の友人が3人も手伝いに来てくれていた。

2台のコンバインで刈るのである。あっという間のことらしい。

それでも今日で完了とはいかずまた後日刈るのだそうだ。

友人達への手前もありいつも以上に張り切っている義父であった。

そのせいか言葉遣いが悪く私に食って掛かろうとする。

悪く云えば「高慢ちき」だった。「この野郎」と私は心で叫ぶ。


工場は今日も開店休業でそろそろ限界のようである。

車検の予約が入り始めエアコン修理の依頼もあった。

おそるおそる同僚に電話したら明日から出勤出来そうとのこと。

無理を強いることになるが背に腹は代えられない。


帰宅したら常連のお客さんから電話があり出先でパンクしたらしい。

今の車はスペアタイヤが装備されておらずこんな時に困る。

稲刈り中の義父はとても無理で仕方なく同僚に頼むしかなかった。

その電話を横で聞いていた夫が「やめておけ」と口を挟むので

むっとして睨みつけてしまった。これは私の仕事なのである。

同僚は嫌がりもせずに駆け付けてくれることになり大助かりだった。

同僚が神様のように思えたがそれ以上にお客様は神様である。

夫も理解してくれたのだろう。その後の機嫌も良くほっとしていた。


娘と夕食の支度をしていたら昨夜とても怖い夢を見たのだそうだ。

誰かに手を引っ張られ窓から空へと連れて行かれそうになったらしい。

咄嗟に「おかあ助けて」と私を呼んだところで目が覚めたと云う。

私は私で丁度同じ時間帯に誰かに足を引っ張られていた。

とてもリアルで夢だとは思えない感触があったのである。

「やめて!」と叫んだところで目が覚めたがそれが寝言だったらしい。

夫は真夜中に大きな声で起こされすっかり寝不足だったそうだ。

もうお盆も終わったのにそんな霊的なことがあるだろうかと思う。

私の霊感の強いのは母譲りで娘もその血を引いているようだった。


「疲れちょったがよ」と娘を宥めたことだった。

実は私も今朝まで知らなかったのだが娘は昨日から再就職をしていた。

私には何も知らせてはくれなかったが留守を守る父親に報告があり

孫達の昼食のことも頼まれたのだそうだ。

半年のブランクがあり慣れない新しい仕事である。

緊張もあれば気疲れも大きかったことだろうと察する。

だからたまたま見てしまった怖い夢だったのだろう。


それにしてもどうして娘は私に何も報せてくれなかったのだろう。

「今日から仕事に行くけんね」その一言が無かったのが寂しかった。

いったい何の隔たりがあるのか私には理解出来ないことである。


それでも例え夢の中でも私に助けを求めてくれたのが嬉しかった。

私は必死の思いで娘の手を引っ張っていたのだと思う。

どれほどの隔たりがあろうと娘は私の「陽だまり」に違いない。


※以下今朝の詩


      鍵


 何処へ行こうとしているのだろう
 明るい光の射す場所から
 暗闇へと押しやられているようだ

 記憶の鍵を握り絞めていると
 錆びのようなものが見える
 赤茶けた血痕のようでもある

 鍵穴を覗き込むと青空が見えるが
 流れる雲の行方など知りもしない
 せめて鳥の姿があれば救われるだろう

 いつまでもこどもではいられない
 少女はやがておとなになっていく
 知ってはならないことが増えていった

 父よ母よ弟よ
 あの陽だまりのような暮しは
 もう過ぎたことなのだろう

 いっそ捨ててしまばいい鍵を
 握りしめたまま
 老いの坂道を上り始めている




2025年08月19日(火) 男と女

厳しい残暑が続いており今日もうだるような暑さであった。

今週末には「処暑」だが少しでも暑さが和らいでくれるだろうか。

朝の山道を行けばもう鉄砲百合が枯れ始めている。

純白の花だけに茶に染まれば憐れな姿であった。

それでも折れることはない。何と逞しい花であろうか。


同僚宅のお葬式。義父が出掛け私は留守番をしていた。

来客はなかったが車のトラブルの電話が2件ある。

訳を話し午後まで待ってもらうことにした。

お昼過ぎには義父が帰って来て出張修理に行ってくれる。

開店休業とはいかないのだ。義父が行ってくれてとても助かった。

幸い大きなトラブルではなく直ぐに直ったようである。


今朝は姿の見えなかった「みい太」が子猫を連れて帰って来た。

しきりに鳴いて餌をねだるのだが子猫には餌を与えてはならない。

仕方なく心を鬼にしたが何とも心が痛む。

義父は子猫にはとても厳しかった。情けをかけてはいけないと云う。

昔母にも同じことを云われたことがあり私も鬼にならざるを得ない。

Kちゃんが里親を探しているようだが未だ報告はなかった。

いつまでも可愛い子猫ではいられないのも切ない現実である。



県税事務所に用事があり2時過ぎに退社した。

全ての書類が整ったので明日は県に郵送出来そうである。

一番苦手な事務仕事だったのでほっと肩の荷が下りた。


サニーマートに着くなり同僚から電話があり

無事にお骨上げも済み帰宅しているとのこと。

喪主としての務めも果たしほっとしたのだろう。

真っ先に私に報せてくれたことが嬉しかった。

お兄さんに孫がいるらしく故人にとってはひ孫である。

その幼い子供たちが先を争うようにお骨を拾ったのだそうだ。

その光景が微笑ましかったのだろう同僚も笑い声であった。

亡くなったお母さんもどんなにか嬉しかったことだろうか。

仕事のことは気にせずに落ち着くまで休むように告げて電話を切る。


帰宅して同僚のことを夫に話していたら何だか機嫌が悪い。

私がまるで姉のように親身になっているのが気に入らなかったようだ。

心の広い人だと思っていたが夫も「男」なのだなと思う。

今日を限りにもう同僚の話はしないほうが良さそうである。


今朝は父と母の喧嘩のことを詩に書いたが

それがきっかけだったのだろう。父と母は増々険悪になって行った。

毎晩のように訪ねて来る若い青年こそが今の義父だったのだ。

子供の私にはおとなの男女のことなど何も分からなかった。

しかし母が家出をした時に真っ先に義父の顔が浮かんだのだった。

母は「母親」よりも「おんな」を選んだのである。

運命の糸は私まで絡めたがその結果が今の幸せなのだと思っている。

その青年が義父で良かったと思う。母が心から愛した人であった。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


     喧嘩

 一編の物語のように思い出す
 記憶には確かな「カタチ」があった

 優しいはずの父は厳格であり
 か弱いはずの母は強情である

 喧嘩が始まると弟と一緒に
 押し入れに逃げるのが常であった
 私は父の猟銃をしっかりと抱き
 その重みの何と悲しかったことか

 押し入れの戸を少しだけ開けて
 一部始終を見ていた
 怖くてならなかったが
 子供心に見届けなければと思う

 父は鬼のような形相であったが
 母は決して涙を見せなかった
 歯を食いしばり耐えようとする
 ぎゅっと握り絞めた拳が震えていた

 まるで嵐のような夜であったが
 朝になるとお味噌汁の匂いがし
 母の「おはよう」の声がする

 夢だったのかもしれない
 それなのにどうして忘れられないのだろう


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